Saint Guardians

Scene 2 Act1-2 不信-Distrust- 今始まったもう一つの闘い

written by Moonstone

 川岸までは数ミムを要した。幅数十メールはある川は、優雅に揺らめく宝石を散りばめた深い青色の帯のようだ。
その流れに、不自然な回折ができる。一行が水に入ったのだ。川は流れこそ緩やかであるが、意外に深く、足は立たない。
水浴びの季節には少し早いせいか、水は肌に染み透るような冷たさを含んでいる。

「ちょっと潜ってみる。」

 ドルフィンは一度息を大きく吸い込んで潜る。川の岸壁には、幾つかの円形の網が見える。ドルフィンは腰に結び付けてあるロープを、数回軽く引っ張る。
アレンとフィリアは潜れという合図だと察し、大きく息を吸い込んで潜る。間もなく二人の体は前にぐいぐいと引き寄せられていく。
 川の岸壁に並ぶ円形の網は、直径1メール半程ある。そのうちの一つが、剥ぎ取られるように横にずれる。アレンとフィリアの体が、大きく口を開けた
穴に吸い込まれるように引き寄せられていく。
 穴はそのまま地肌が剥き出しのトンネルとなって、遥か向こうまで伸びている。水が充満しているトンネルの中を、アレンとフィリアはぐいぐい
引っ張られていく。二人の肺が新しい酸素を欲して暴れ始める。山間の町育ちで水に潜る機会が少ない二人は、潜水であまり息が続かないようだ。

 ひたすら一直線に伸びるトンネルを抜けると、いきなり広大な空間に出る。天井は水面から優に10メールはあり、トンネルのように地肌が剥き出しではなく、
整然と煉瓦が積み重ねられている。中央部には天井を円柱状に突き抜けるように伸びる空間と鉄製の梯子があり、その上には円形の蓋が被せられている。
水面の下の煉瓦が積み重ねられた壁には、一定の間隔で高さ2メール程のトンネルが口を開けている。
アレンとフィリアは水面に顔を出して大きく何度も息をする。どうにか呼吸が落ち着きを取り戻したところで、アレンが前方に居るであろうドルフィンに尋ねる。

「ここは何処なの?」
「大取水場だ。ここから地区ごとの分水トンネルが枝別れしていて、その先は地区取水場に通じている。そこから各家庭の井戸に分配されるっていう
段取りだ。」
「ふーん。凄いなあ。テルサは各自で遠い泉まで汲みに行くから。」
「で、これから目的の家まで行くわけだ。もう少し潜水してもらうぞ。」

 アレンは、大都市ならではの行き届いた給水システムを目の当たりにして、感嘆の声を洩らす。
アレンとフィリアの姿が、輪郭から徐々に浮き上がって来た。フィリアのかけた魔法の効力が切れようとしているのだ。

「効力が切れそうだな。もう必要ないだろう。」

 ドルフィンの声だけが二人の耳に飛び込んで来る。ドルフィンはフィリアよりも称号が高く、その魔力は遥かに上であるから、同じ魔法でも効力の持続時間が
大きく異なるのだ。フィリアは、ドルフィンの魔術師としての力量と比較して、改めて自分の非力さを思い知らされる。

「じゃあ、そろそろ行くぞ。もう一回しっかり息を吸い込んだらロープを引っ張るんだ。」

 二人は大きく息を吸い込むと、アレンがロープを軽く引っ張る。それに反応してロープが一つのトンネルへ向って強く引っ張られる。
地区分水場に通じるというトンネルもやはり煉瓦で造られ、今度は川の岸壁の取水トンネルと違って若干蛇行している。
トンネルを進んでいる間に、フィリアがかけた魔法の効力は完全に切れて、アレンとフィリアが完全に姿を現した。
 3ミム程進んで行くと、中央取水場を一回り小さくしたような場所に出る。壁にはやはり一定の間隔でトンネルが口を開けていたが、やや小ぶりな作りである。
ロープの引っ張りが止まり、アレンとフィリアは水面に顔を出して肺の空気を入れ替える。

「ここが地区取水場だ。」
「この方向で大丈夫なの?」
「目的の方角さえ把握してりゃあ、入り組んだ通りを歩くよりここを通った方が早い。人込みに邪魔されることもないしな。」

 ドルフィンが言っても、アレンは半信半疑だ。目標物がある地上ならまだしも、大きさや形状以外に大した変化のない地下トンネルで目的地に正確に
辿り着くことができるのか疑問だからだ。それでも、ここまで無事に来れた以上、ドルフィンを最後まで信用するしかない。

「さて、ここからはすぐだ。最後にもう一回深呼吸をしたら合図してくれ。」

 再度アレンとフィリアが深呼吸してロープを引っ張ると、水面下のトンネルの一つへ向って体が引っ張られる。やはり煉瓦で造られたトンネルは一直線で、
入ると間もなく行き止まりに達する。円柱状に貫かれた空間が正面に上に向かって伸びている。どうやら井戸に辿り着いたようだ。
井戸の中は、一行が立っているのがやっとの狭い空間で、上を見上げると、円形に切り取られた夜空が見える。

「どうやって上に登るの?まさか釣瓶を登っていけなんて・・・言わないよね?」
「登りたけりゃ登っても構わんが。」
「意地悪だなあ。で、どうするの?」
「ちょっと待ってろ。」

 ドルフィンが言って間もなく、ドルフィンの姿が瞬時に現れた。高い魔力故にまだ効力が続くトランスパレンシィを、強制的に解除したのだ。

「じゃ、ここから出るか。」

 ドルフィンは両手を足先に向ける。水の中のドルフィンの両足が、仄かに輝き始める。

「二人とも、手を貸すんだ。」

 アレンとフィリアが手を差し出すと、ドルフィンはその手を掴む。ゆっくりと一行の体が水の中から引き抜かれるように浮かび上がる。
夢でも幻でもなく、一行は宙に浮かんでいる。
 見えない糸に手繰り寄せられるように、一行は井戸から外に出た。唖然とするアレンとフィリアを先に下ろして、ドルフィンもゆっくりと着地する。

「はい、到着っと。」

 ドルフィンは平然としていたが、アレンとフィリアは、暫し呆然と立ち尽くす。ドルフィンはフライ6)の魔法を非詠唱で使ったのだ。
特にフィリアは、自分がまだ使えない魔法を非詠唱で使うところを目の当りにしたことで、ますますドルフィンに対する畏敬の念を強めた。
 やがてアレンは我に帰って、周囲を見渡す。井戸から出たところは高い塀に囲まれた裏庭らしい場所で、すぐ近くには煉瓦造りの立派な建物がある。
暗くて全体像までははっきり分からないが、どうやら相当裕福な家らしい。

「ここが、ドルフィンが世話になってる家?」
「そうだ。なかなか立派な家だろ?」

 ドルフィンは、裏口のドアを数回ノックする。暫くして、足音が近付いて来るのが分かった。

「・・・どちら様ですか?」

 ドアの向こうから、相手の出方を窺うような調子の声がする。夜の、それも恐らく兵士達が生け贄を探してうろついている状況下での来訪者とあって、
相当警戒しているようだ。

「俺はドルフィン、ドルフィン・アルフレッドだ。」

 ドルフィンが小声で言うと、鍵を外す金属質の音が聞こえ、恐る恐るというようにドアが開く。中から栗色の長い髪の若い女性が顔を覗かせる。
ドルフィンの顔を見て、驚きと喜びを交錯させながらドアを大きく開ける。

「ドルフィンさん、ドルフィンさんじゃありませんか。お帰りなさいませ。どうやってここへ?」
「ちょっと裏道からな。客人をお連れした。」
「ようこそ。すみませんが速やかに入って下さい。」

 一行は女性の言う通りに、速やかに中に入る。女性はすぐにドアを閉め、2つ付いているドアの鍵を閉める。

「改めて・・・お帰りなさいませ。そしてようこそいらっしゃいました。」

 女性は丁寧に頭を下げる。アレンとフィリアも思わず頭を下げ返す。

「あいつは?」
「お嬢様ですね?すぐにお呼びして参ります。ドルフィンさんのお帰りを本当にお待ちでしたよ。」

 女性は小走りに廊下を走り去っていく。
アレンとフィリアは、家の中を見渡す。煉瓦の壁と木目のはっきり見える奇麗に磨かれた床が、ランプの光に照らされて上品な美しさを醸し出している。
廊下も随分広く、所々に見えるドアも細かい彫刻が施されており、裕福な家庭であることがはっきり分かる。

「ここの家って、何をやってるんですか?」
「薬屋だ。ミルマ・・・いや、王国随一の規模のな。」

 フィリアの問いにドルフィンが答える。
薬屋の開業には、世界的な公的団体である国際薬剤師会が行う試験に合格しないと交付されない薬剤師免許が必要で、一般の傷病用薬品は勿論、
魔術師が古代魔術系魔法を使用する場合に必要な触媒となる薬草の仕入れ、栽培、調合、販売を行える唯一の職業であり、その社会的地位は高位の
魔術師、聖職者、医師と肩を並べる。

「ドルフィン。さっきの女性(ひと)って、誰なの?」
「ここの住み込みの従業員だが、それがどうした?」
「なぁんだ。てっきりドルフィンの彼女かと。」

 アレンは期待を込めて尋ねたのであるが、どうも的外れだったようだ。

「で、お嬢様って言ってたけど。」
「ここの主人の一人娘のことだ。確か、今年の8月に16歳になる。」
「じゃあ、俺やフィリアと同い年ってところか。」
「そうか。何ならお前に紹介してやろうか?珍しい黒髪のロングでなかなか可愛いぞ。」
「え、ええ?!」

 ドルフィンの突然の突っ込みに、アレンは当惑する。先程の仕返しなのだろうか、ドルフィンは意地悪な笑みを浮かべている。

「しょ、紹介って、そんな、いきなり・・・。」
「一人娘だから、上手くいけば資産家の婿養子だぞ。どうする?」
「う・・・。そんなこと、いきなり言われてもなあ・・・。」

 どぎまぎしているアレンの頬を、フィリアが力いっぱい抓る。

「痛い、痛い、痛い!!」
「アレンにはあたしがいるでしょうが!フラフラするんじゃないの!」

 フィリアは、アレンが一人娘の存在に動揺しているのが面白くないのだ。

「いいこと?このあたしを捨てたらどうなるか・・・分かってるわね?」

 フィリアはとどめにもう一度アレンの頬を抓って手を離す。アレンは赤くなった頬を押さえて顔を顰める。
 間もなく、ドタドタと廊下を勢いよく走って来る音が聞こえて来た。大きな純白のタオルを抱えた小柄な少女が、廊下の突き当たりを直角に曲がって、
ドルフィンに向かって勢いよく突っ込んで来る。そしてその勢いに任せて、ドルフィンにがばっと抱き着く。

「ドルフィン、お帰りー!!」

 随分大胆な歓迎だ、とアレンは思う。少女はドルフィンの胸にしがみ付きながら、何度も頬擦りをする。

「ずっと何処行ってたのよぉ。ずっと待ってたんだからね。本当だよ。会いたかったんだからぁ・・・。」
「分かったから一回離れろ。井戸を抜けて来たから濡れてるんだ。」

 ドルフィンが言うと、少女は名残惜しそうにドルフィンから離れる。少女は長い黒髪を白いリボンでポニーテールにしているが、それでも腰の近くまで
達するほどの長さだ。大きな瞳もやはり黒で、肌は髪や瞳の色とは対照的に白く、艶やかである。背はアレンより頭一つほど低く小柄であるが、ドルフィンに
抱き着いたために色が濃くなった、ピンクの丸襟のブラウスの胸の張り具合はアレンの視線を無意識に引き寄せる。

『背低いくせに胸あるわね、こいつ・・・。』

 フィリアは少女の胸に羨望と嫉妬の混じった視線を向ける。フィリアも年頃だけに、アレンとは別の意味でそういうところが気になるようだ。

「タオル持って来たよ。これでちゃんと拭いてね。」

 少女はドルフィンにタオルを手渡す。

「すまんな。」
「お父さんも心配してたよ。早く行こうよ。」

 少女はドルフィンの腕を取る。

「まあ待て。客を連れて来たんだ。紹介するよ。」
「客?」

 それまでにこやかだった少女の表情が、一転して険しくなる。

「ああ。俺がテルサに立ち寄った際に世話になってな。訳ありで連れて来たんだ。」

 少女はじろりとアレンとフィリアを睨む。つい先程までの甘えた表情は何処へやら、その視線には明らかに疑惑と敵意の念が篭っている。

「赤い髪の方がアレン。その隣がフィリアだ。二人に紹介しよう。この娘(こ)がここの主人の一人娘のリーナだ。」

 アレンとフィリアは一応頭を下げたが、リーナは頭を下げるどころか軽蔑するように鼻で笑う。

「テルサ?あの山奥の田舎町の?そんな田舎者が2人並んで、何の用でここに来たわけ?」

 棘だらけのリーナの言葉にむかっとしたフィリアが、つかつかとリーナというその少女に歩み寄る。頭半分ほど背が高いフィリアが、見下ろすようにリーナを
睨むが、リーナは全く臆す気配がない。

「ちょっと。随分な言い方じゃないの。」
「あんた達には丁度いい歓迎のご挨拶だと思うけど。」
「挨拶もろくにできないらしいわね。いっそ体で教えてあげようかしら?」
「あたしには生憎、そういう趣味はないんで。」

 フィリアとリーナは、間で激しい火花を散らす。どうやらリーナは、見た目の可愛らしさとは裏腹に、フィリアに匹敵する気の強さを持ち合わせているらしい。
それにしても、初対面の相手に何故これだけ激しい敵意を剥き出しにするのか、アレンには分からない。

「リーナ、止めろ。前にも注意したはずだぞ。」

 ドルフィンが窘めると、リーナは小さくため息を吐いて言う。

「・・・分かった。ドルフィンが言うなら・・・。」
「じゃあ、改めて挨拶するんだ。」

 リーナは、フィリアの方を向いて睨み付ける。
言葉では態度を改めるといったが、全くその意志はないことを敵意が溢れる瞳がはっきりと物語っている。

「ようこそいらっしゃいました。」

 リーナは意外にも丁寧に頭を下げる。
しかし、頭を上げるなり鬱積する感情を吐き捨てる。

「とっととお帰り下さい。」

 あまりに露骨な嫌悪の表現に、フィリアはとうとう激昂する。

「何なのよあんたは!初対面の人間捕まえて、そんな挨拶しかできないの?!」

 リーナは軽蔑と敵意の入り交じった瞳でフィリアを睨みながら、臆することなく堂々と言い返す。

「初対面の人間に説教されたくはないわね。とっとと出てって。目障りだから。」
「あ、あんた、何様のつもり・・・?!」

 フィリアは怒りが爆発寸前らしく、体がぶるぶる震え、歯をぎりぎり軋ませている。

「田舎者は田舎者らしく、その辺の野山でごろ寝してればいいのよ。」

 リーナの悪態にプライドをいたく傷つけられたフィリアは、怒りが頂点に達する。
リーナの頬に強烈な平手打ちを浴びせる。バシンという乾いた音が廊下にこだまする。
リーナは反動で横を向いたが、すぐさまフィリアに平手打ちをお返しする。バシンバシンと音がして、フィリアの顔が左右に振れる。

「・・・に、2発も殴ったわね・・・!!このチビ!!」
「あたしを殴るなんざ、いい度胸してるじゃない。田舎娘!!」

 フィリアとリーナは怒りで真っ赤になっているが、対照的にアレンはすっかり青ざめている。

「許せない!!この場で叩きのめしてやる!!」
「田舎娘に何ができる!!やれるもんならやってごらん!!」

 フィリアとリーナは激しく掴み合い、爪や平手、果ては拳や蹴りまで飛び交う取っ組み合いの喧嘩を始めてしまった。アレンはどうすることもできずに、
ただおろおろと激突する二人とドルフィンを交互に見やるだけだ。さすがにドルフィンも見かねたのか、小さく溜め息を吐くと二人の首根っこを掴んで強引に
引き離す。
 フィリアとリーナは肩で息をしている。激戦を物語るかのように、二人の顔には赤い手形や蚯蚓腫れが刻まれ、瞳は涙で潤み、着衣も乱れている。

「止めんか、二人とも。獣じゃあるまいし、会っていきなり激突するこたあなかろう。」
「だってドルフィン!この田舎娘が立場も弁えずにあたしに突っかかって来るから!」
「初対面の人間に挨拶もできない、高慢ちきで世間知らずのお嬢様が問題なんです!」
「いいから止めろと言ってるんだ。二人とも、自分の行動が理性的なものと思えるか?」

 ドルフィンが窘めて、ようやく二人の戦闘意欲は収束の方向に向かい始めた。フィリアにとってドルフィンは、雲の上の存在とも言える存在であるし、
リーナにとってもドルフィンは逆らえない相手らしい。

「リーナ。この二人は俺がテルサで宿が取れずに難儀していた時に、快く宿を提供してくれたんだ。
ここは一つ、俺の頼みとして彼らに宿を提供して欲しいんだが。」

 リーナは少し黙った後、小さく頷いて答える。

「・・・3階の西側に空いてる部屋があるから、ドルフィンが連れてって。」
「分かった。」
「後で事務室にいるお父さんのところに行ってね。ドルフィンが帰ったってことは、あたしから知らせておくから。」

 ドルフィンは、ようやく落ち着いた様子を見せる二人の首根っこから手を離す。それでも尚、二人の表情は険しさを失わない。リーナはフィリアを一瞥すると、
露骨に視線を逸らしてすたすたと歩き去る。腫れの引かないフィリアの顔面が、ひくひくと引き攣る。

「な、な、何なの、あのチビの態度は・・・!」

 フィリアはドルフィンが傍にいなければ、再度フィリアに飛び掛かりかねない剣幕だ。

「…最初に言っておくべきだったな。」

 ドルフィンはやれやれという口調で説明する。

「実はあの娘、リーナはひどい人間嫌いでな。会う人誰でも敵に見えるんだ。」
「・・・どうりで、ろくに話もしてないのにあんな態度に出るわけだ。」

 アレンは、リーナの横柄とも言える態度の理由を知って納得する。しかし、人間嫌いといっても多少人見知りが激しいくらいなのが普通であるが、リーナの
態度はそんな生易しいものではない。明らかにアレンとフィリアの二人に、激しい敵意を剥き出しにしていた。まるで、自分以外の人間の存在を否定するかの
ような、そんな雰囲気が漂っていた。

「でも、初対面の人間に、あんな態度を取っていいはずがありません!」
「そりゃ確かにそうだ。あとで厳しく言っておく。前にも注意したんだが…。」
「お願いします。・・・本当に、何考えてるのかしら!」

 フィリアはまだ怒りが収まらないようだ。元来プライドが高いフィリアでなくとも、初対面でいきなりあんな横柄な態度に出られれば怒りが爆発するのは
当然である。フィリアは苛立つあまり、加勢しなかった−実際はそれどころではなかったが−アレンに対しても攻撃の矛先を向ける。

「アレン!どうして援護してくれなかったのよ!」
「何も会っていきなり殴り合いまですることはないじゃないか。」
「あのチビがあんな態度に出ても、何にも思わないの?!」
「そりゃ確かにむかっとしたけどさ、それでいちいち殴り合いの喧嘩してたら身が持たないよ。」
「アレンの言う通りだな。心配しなくても、リーナはお前達に顔を見せようとはしないから、関わらないことだ。」
「頼まれても関わりあいたくありません!あーあ、もう最悪。」

 フィリアは、リーナに対して激しい敵意を抱いてしまったようだ。

「じゃあ、部屋に行くか。」

 フィリアは取り敢えず沸き立つ怒りを押さえて、ドルフィンについて行くことにする。アレンとフィリアは、ドルフィンに案内されて廊下を歩いて行く。
時々、普段着の若い男女に男女に出くわしたが、皆ドルフィンの帰宅を驚きと笑顔で迎える。その口調は丁寧なもので、彼らもドルフィンに一目置いて
いるようだ。

「あの人達って、誰なの?」
「ここで働きながら、薬剤師目指して勉強している学生だ。全部で20人ほどいる。」
「随分丁寧な応対ですね。さっきのチビとは違って。」
「リーナが、俺は家族同様だから無礼なことはするなって言ったらしいんだ。俺は堅苦しいから止めてもらっていいんだが。」
「人に命令できても、自分では出来ないようですね。お嬢様らしい態度ですこと。」

 フィリアは言葉や口調の節々に、リーナへの嫌みを込めている。
 一行は階段を上り、3階へ向かう。建築技術が現代ほど発展していないこの世界において、2階建ての建築物は平屋建ての2倍以上のコストを要する。
そのため、2階以上の建築物を持てるのは裕福な家庭に限られ、さらに3階となると、所有者はごく少数である。所得水準が全体的に低いテルサでは、
一般住宅で2階建ての建造物はお目にかかることができず、せいぜい町役場くらいである。レクス王国の経済、産業の中心地として発展しているとは言え、
3階建ての建造物を自宅にできるとは、町有数の実力者であることは間違いない。

「ここの主人って、どんな人?」
「人間が出来ている立派な人物だ。この家も、学生が住み込みで働けて、経済的負担が少しでも軽くなるようにと建てたそうだ。」

 ドルフィンがアレンの問いに答える。
薬剤師の勉強には、調合や分析などの実習で高価な薬草を使用することが多く、負担も馬鹿にならない。それだけに住居が確保されて給料も貰えるという
厚遇は、学生にとって有り難いものだろう。

「この建物は1階に店舗と炊事場と事務室があって、2階に学生の居室と実習室、3階に主人とリーナ、そして俺の部屋、あと来客用の部屋が用意されている。
お前達が使えるのはその部屋だ。」
「じゃあドルフィンさん、その部屋はやっぱり二人で寝られます?」

 フィリアが妙な期待を込めて尋ねる。

「残念だが、部屋は全て一人用だ。大部屋はない。」
「そうですか。残念です。」

 フィリアの表情は暗く沈む。

「部屋を行き来するのは勝手だから、相手の部屋に転がり込むのも一つだ。」

 ドルフィンは、フィリアの野望を後押しするようなことを言う。

「そうですね。何もずっと部屋にいる必要はないんだし。」

 フィリアは一転して表情が明るくなる。アレンは部屋に着いたら、まず鍵の確認をしようと決心する。
 程なく一行は3階に着いた。広い廊下の南側に並ぶドアの間隔は、2階でのドアの間隔の3倍はある。どうやら、相当広い部屋を持っているようだ。
 部屋の廊下を進んで行くと、ドアに『ドルフィンの部屋』と書かれた木製の札が掛けられている。その文字は、丸っこい字の形からして明らかに若い女性が
書いたものである。

「この字って、誰が書いたの?」
「リーナだよ。この部屋を貰った時に書いたんだ。俺が書くって言ったんだが、あたしが書くって聞かなくてな。」

 出迎えた時もそうだったが、初対面の人間に激しい敵意を剥き出しにするリーナも、ドルフィンには別格の扱いをしているようだ。一行は廊下の突き当たりに
あるドアの前に来る。

「さて、ここがお前達の部屋だ。」

 ドルフィンがドアの一つを開ける。部屋の中には鏡台や箪笥、ベッドや机など一通りのものが揃えられ、どれも手製の高級品だと容易に分かる。
部屋そのものも随分広く、アレンとフィリアは自分の部屋の広さと比較して思わず溜息を吐く。

「これなら狭いと思うことはないだろう。」
「・・・広いなあ。まさかこんなに広いとは思わなかった・・・。」
「食事の準備は俺が用意してもらっておく。俺はこれから主人に挨拶に行くから部屋で休んでろ。」
「うん。ずぶぬれだから体も拭きたいし。」
「鍵は机の上においてあるだろうし、必要なものは箪笥や引き出しにあるはずだ。じゃあ、ごゆっくり。」

 ドルフィンはリーナから受け取ったタオルで頭を拭きながら、自分の部屋へ向かう。ドルフィンがドアを開けた部屋にはフィリアが入り、アレンはその隣の
部屋のドアを開けて入る。
アレンはまず鍵を絞めた後、滴が滴る荷物を床に降ろし、袋の中からタオルを探して取り出す。革製だったのが幸いして、中の荷物はそれほど濡れて
いない。タオルも一部水を吸い込んでいたが、体を拭く分には十分だ。
 アレンは体の一部になった感のあるハーフ・プレートを外して、腰の愛用の剣と共に床に置いて、服を脱いで体を拭く。脱いだ服は窓を開けて絞って水気を
出来るだけ抜いてから、箪笥を開けてハンガーを取り出して掛けておく。アレンは予め用意して来た着替えを取り出してそれを着る。
まだ体に水分が付着している感触が残ってはいるが、この程度ならじきに体温で乾いてしまうだろうと思い、気にしないことにした。
 アレンはランプを点けてから大きくため息を吐いて、ベッドに飛び込むように倒れ込んで横になる。固い地面の上で眠ることがずっと続いていただけに、
ベッドは余計に柔らかく、心地良く感じられる。久しぶりにベッドに横になれることで、アレンは張り詰めていた緊張の糸を緩める。緊張が緩んだ途端、
アレンは眠気より先に空腹を感じる。
思い返してみれば、川潜りをしたために夕食を食べ損ねている。これだけ空腹では寝ようにも寝られない。ドルフィンが食事を手配してくれると言ったので、
それまでは何とか腹の虫を押え込むことにする。
 暫くして、ドアが軽くノックされた。アレンが鍵を開けてドアを開けると、若い男性がトレイに食事を乗せて立っていた。

「ドルフィンさんからの言づてで、お食事を御用意いたしました。」
「あ、どうも。」
「机の上にお運びします。」

 男性は一礼して部屋に入り、机の上に食事を置く。

「食器とトレイは、食べ終わりましたらドアの脇にでも置いておいて下さい。」
「わざわざありがとうございます。」
「いえいえ。ドルフィンさんの立ってのお願いとあれば。」

 男性の言葉からは強制は微塵も感じられない。

「それでは失礼します。」

 アレンと男性は、同時に一礼する。
男性が部屋を出ていった後で、アレンは早速食事を食べ始める。仕方ないことだが携帯食が続いていたせいもあってか、食事は高級レストランのそれにも
負けない豪華なものに思える。
アレンはじっくり味わう暇もなく、食料を要求する胃袋に食料を次々に送り込む。久々の食事らしい食事に、アレンは食べ物の有難さを実感する…。

用語解説 −Explanation of terms−

6)フライ:力魔術の一つで古代魔術系に属する。Enchanter(魔術師の11番目の称号)から使用可能。これは触媒を必要としない。効果範囲はゼロレンジ。
足の部分のみに反重力を作り出して浮遊することができる。効果持続時間は術者の称号によって異なるが、Illusionistで50ミム。


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