名探偵コナン Side Story

Playing Soccer under the sunright

〜2007年「Chibi-Festa」企画参加作品〜

written by Moonstone

 6月29日。まだ梅雨明け宣言が出ていないのに、この日は朝から雲一つない青空。雲という遮蔽物がない上、季節としては夏に属する太陽の日差しは
夏本番を思わせる厳しさだ。梅雨の合間の灼熱の暑さは、雨続きの時期の終わりと共に訪れる夏の厳しさを予告しているようにも思える。
 そんな中、夏が待ちきれないと言わんばかりに早くも半袖を着た少年と、薄いピンクの長袖ワンピースを着たお嬢様的雰囲気を醸し出す少女が、公園で遊んでいる。
空には眩いばかりの太陽が大地に夏の日差しを突き刺し続けているとは言え、昨日まで1週間ほど続いた雨の痕跡は、公園のいたるところに残っている。
その最たる場所が地面。彼方此方に大小さまざまな水溜りが残り、砂や土を泥に変えて踏みつけるものに泥汚れなる洗礼を与える機会を窺っている。

「蘭ー!行くぞー!」
「あんまり強くしないでね!」
「平気平気。加減すっからよ。」

 誰も居ない水溜りだらけの公園で、頭ほどの大きさがあるサッカーボールを巧みに片足一つで左右に転がし上下に動かしていた少年−工藤新一は、
10メートルほど離れている少女ー毛利蘭に向けて、サッカーボールを蹴る。言葉どおり威力は相当抑えているが、やはり自分の頭ほどはある大きさのボールが
地面を飛び渡るごとに水飛沫を上げて速い速度で迫ってくると、どうしても萎縮してしまう。

「きゃっ!」

 間近でバウンドしたサッカーボールは、十分加減されていると言っても結構なスピードだ。元々恐怖と緊張で身を硬くしていた蘭にとっていきなり迫ってきた
脅威の存在。嗜み始めた空手の要領で跳ね返すことも出来ず、もろに胸に直撃を受けてもんどりうって倒れてしまう。
蘭が後ろめりに倒れた先にあった水溜りが、茶色く濁った水飛沫を大きく跳ね上げる。

「蘭!」

 新一は血相を変えて、水溜りを強く踏んで泥を含んだ飛沫が服に付着してもお構いなしに、ようやく上体を起こした蘭に駆け寄る。

「大丈夫か?」
「大丈夫しゃないよぉ!」

 蘭の大きな瞳を潤ませての非難の声は、新一の心に深く突き刺さり、罪悪感を生じさせる。
自分が足の一部のように巧みにサッカーボールを操る様子に目を輝かせた蘭に、サッカーの楽しさを知ってもらおうと雨が上がったこの日は、地面が雨上がりで
十分濡れているため転倒しても怪我をし難いと思って蘭を誘ったのだが、蘭には恐怖を感じさせてしまっただけだったと新一は今更ながら悔やむ。
 自分の技術や知識が相手にそのまま通用するとは限らない、ましてやサッカーボールをまともに扱った経験がない素人なら尚更そうなのに、サッカー好きが
蘭への配慮をおざなりにさせてしまった。

「・・・悪ぃ、蘭。怪我してねぇか?」
「う、うん。多分・・・。」
「どれ。ちょっと立ってみろよ。」

 新一は涙目の蘭に手を差し出す。蘭はおずおずと新一の手を取る。新一が引っ張ると蘭は立ち上がる。泥で汚れたワンピースは見るも無残だ。

「お母さんに叱られちゃう・・・。」
「俺も一緒に謝る。否、蘭は謝らなくて良い。俺が蘭のこと考えないで強く蹴って蘭が転んだんだから、俺が悪い。蘭は何も悪くねぇ。」
「新一・・・。」

 それまで得意気だった新一が心底すまなさそうに自分が全ての責任を負うと言ったことで、まだ新一への非難がくすぶっていた蘭の心が鎮まっていく。
新一が自分の母英理に何度も怒られ−蘭を誘って探偵ごっこなどと称して怪我をして帰ってくるからだ−苦手としているのは蘭も知っている。
新一の自業自得と言ってしまえばそれまでだが、新一が自分を庇って苦手とする英理の叱責を一身に浴びると宣言したことは、蘭のわだかまりを消滅させるには
十分だ。蘭も新一と遊べるのが楽しくて嬉しい。色々ハプニングがあったり怪我をしたりするが、新一は被害を最小限に食い止めようとするし、擦り傷や服の汚れは
あっても深刻な怪我には至らせない。自分は新一にとって特別な存在なんだ、とその度に蘭は思う。
 一時期、新一は蘭を名前で呼ぶことをクラスメートなどに冷やかされたことで、「毛利さん」と呼んでいた。それまで普通に一緒に遊んでいたのに
急に余所余所しくなった。それは蘭にとって、新一が自分から遠い存在になる、見えなくて超えられない壁が出来たような気がする出来事だった。
町一帯を駆け巡った奇妙な暗号捜査を契機に、再び新一は「蘭」と呼ぶようになった。クラスメートからの冷やかしは当然再開されたが、それでも新一が
自分を「蘭」と呼ぶことが蘭には嬉しい。
名前で呼ぶのは特別な存在だからだということは、自分の父小五郎が母英理を名前で呼ぶことからも感じている。小五郎が仕事に行く時留守を頼む際、
英理に向ける温かい視線と共に「英理」と優しく呼びかける様子は、小五郎の英理への特別な気持ちがあってこそのものだと蘭は思っている。
 新一はポケットからハンカチを取り出し、蘭のワンピースや髪についた泥を拭う。ハンカチは小さいし泥で汚れた部分は広いから気休めにしかならないが、
少しでも泥汚れを取り除くことで謝りたいという新一の意思の表れだ。新一は蘭の泥汚れを拭いながら、抵抗一つせずに佇んでいる蘭をチラチラ見やる。
物心ついた頃から一緒にいた幼馴染という存在。だが、肩を越えた長い髪は艶があって、自分を見る瞳は「こいつを危険な目に遭わせたくない」と思わせる
不思議な力を湛えている。泥で汚れていない部分が僅かとなったハンカチで、新一は蘭の顔についた泥の飛沫を拭う。ほぼ同じ目線で見る蘭から、
新一はクラスメートの女子や蘭と仲の良い園子からは感じない「何か」を感じる。

「悪ぃな。目立つところを拭いただけだし、服の汚れはハンカチだけじゃ取れねぇし・・・。」
「・・・良い。」

 蘭は新一を真っ直ぐ見据えて言う。その顔にはもはや非難の色は微塵もない。

「新一が意地悪したんじゃないって分かったから。」
「蘭・・・。」
「サッカー・・・しようよ。ね?」

 蘭が少し首を傾げて微笑んだ瞬間、新一の胸は強烈に締め付けられる。

『蘭って・・・こんなに可愛かったっけ・・・。』

 見慣れて来た筈の幼馴染が見せた表情は、新一の心を鷲掴みにして引き寄せるには余りある威力だ。
この瞬間から、新一の蘭に対する認識が「幼馴染」から「片思いの異性」に変わったと言っても過言ではない。今まで見えなかったもの、気付かなかったものを
一挙に見せ付けられ、気付かされた新一は、調子に乗って蘭を転倒させたことへの罪悪感を強める。だが、自分のせいで転倒させられ、服を汚されたのに
サッカーを続けようと持ちかけてくる蘭の気持ちを無視したくない。

「ああ・・・。今度からゆっくり蹴るからな。」
「うん。」

 新一は蘭と再び距離を離す。今度は5メートルほど。先ほどまでの半分程度だ。
新一は脚全体を使わず、膝から下をゆっくり振り上げて軽く蹴る。初め数回バウンドしたサッカーボールは、地面を転がって蘭の足元に届く。
蘭は爪先で跳ね返ったボールを足で踏んで止める。

「これくらいなら良いだろ?」
「うん。じゃあ、私からも行くね。」

 蘭は新一とは違い、脚全体を振り上げて蹴る。大きく跳ね上がったボールはゆったりと宙を舞い、地に落ちると泥混じりの水飛沫を飛ばしながらバウンドして
新一に届く。新一はボールがバウンドの頂点近くに差し掛かったところで胸で受け止め、勢いを殺して足で止める。
 サッカーに限らず屋外で行うスポーツは服を汚すのが普通、というのが新一の認識だ。ましてや手以外の全身を使ってボールを操るサッカーで服が汚れるのを
躊躇っているようではサッカーは出来ない、とも思っている。だから新一は服にボールの形をした泥の汚れがつこうと一向に気にしない。
蘭とサッカーをする前に水溜りに構わず、蘭へのアピールを兼ねたリバウンドの練習をしていた上にバウンドの際に跳ね上がった泥の飛沫も浴びたこともあって、
新一は泥塗れだ。だが、蘭は陽光に照らされる新一の姿が少しも汚いとは思わない。サッカーが好きなことを全身で示していて輝いてさえ見える。

「行くぞー。蘭。」
「うん!」

 凛々しくもある新一の呼びかけに、蘭は快活に応える。
緩やかに蹴られたボールが再び小さなバウンドを数回繰り返した後、地面を転がって蘭の足元に届く。蘭はボールの動きを足で止めてから、
新一に向かって蹴り返す。今度は蹴る場所が拙かったのか、ボールは正面ではなく左に大きく逸れる。だが、新一はボールの軌跡を予測して動き、
やはり泥の飛沫が跳ね上がるのを気にせずにボールを止める。

「御免ね、新一。」
「構わねぇって。」

 自分の失敗を気に留めずに笑顔を見せる新一に、蘭は新一の新たな魅力を見い出す。
口を開けばホームズの偉大さや推理小説のトリックが出てくるような呆れるほどのホームズオタク、推理オタクとは違う、サッカーが好きで相手の失敗に寛容な
心の持ち主である一面は、蘭の心を捕らえて離さない。
 夏を思わせる暑さと日差しの中、少年と少女のサッカーは続く。飛び上がるボール。飛び散る飛沫。飛び交う掛け声と笑い声。
泥塗れになっての2人の遊びは、後に蘭の予想どおり英理のカミナリを招くことになるだろうが、こうしてボールを蹴り合うころで心を通わせられる純朴な楽しさと
幸せを体感した2人は聞き流してしまうだろう。英理も実は、再び行動を共にするようになった新一と蘭を叱っても馬耳東風だと諦観している。
幼い2人のサッカーは、何時の日か2人の間に生まれた子どもを加えて賑やかさと幸せを増すことになるだろう・・・。

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