名探偵コナン Side Story

Call my first name

written by Moonstone

 阿笠博士の自宅、凡そ研究者のイメージから乖離している、昼間の日差しがカーテン越しに柔らかく溶け込む広いリビング。
そのソファに宮野志保−元灰原哀が時折コーヒーを口にしながら座っている。だが、その表情はリビングの雰囲気とは反対に曇っている。
 組織が壊滅し、自分が創り出したAPTX4869の解毒剤を完成させたため、自分は勿論、抹殺される筈だった工藤新一も元の姿を取り戻した。
新一は帝丹高校に復帰し、相変わらず事件が起これば即座に飛んで行くという探偵の顔を加えつつも、高校2年生としての生活を満喫している。
しかし、志保は帝丹高校に編入していない。
 志保は18歳。絶えず組織の影が付きまとった経歴を断ち切るためにも、帝丹高校に3年生から編入してやり直すことも出来る。
実際、志保の良き理解者であり、今でも生活を共にしている阿笠は、志保に帝丹高校への編入を勧めていた。
志保自身、一度はその方向に向いた。しかし、その方向から退いた。
物心ついた頃から組織によってアメリカに留学させられ、アメリカの大学で学士号を得ているから、わざわざ高校生からやり直す必要がないのもある。
しかし、それ以上に志保が高校での生活、否、18歳としての日本女性としての生活から手を引かせるものを新一の生活から垣間見たのが大きい。

 新一の家を毎日のように、否、毎日訪れる幼馴染でもある恋人の蘭との会話。

「もう、新一ったら。まーた洗濯物こんなに溜め込んじゃって。」
「しゃあねぇだろ。このところ事件が立て続けに起こったからよ。」
「推理に関する知識も良いけど、もっと実生活の知識も身につけなきゃ駄目なんじゃなくって?探偵さん。」
「家での生活はオメーに任せてっから、必要ないんだよな。」
「あのね、新一。私は新一の家の家政婦じゃ・・・」
「俺の家での生活に馴染んでもらえ、って父さんと母さんも言ってたしよ。」
「な・・・。」
「これからも頼むぜ?。」


 距離は遠くても心は通じ合う、同業者でもある大阪の親友、服部平次との会話。

「よぉ、服部。今月そっちはどうだ?」
「6や。工藤は?」
「7だ。また俺の勝ちだな。」
「東京はめっちゃ治安が悪いで、必然的にお前の出番が多くなるんやろな。」
「負け惜しみだな。色黒男。」
「・・・嫌味なやっちゃな。ところで工藤、そっちはどうだ。よろしゅうやっとるか?」
「バーロ。オメーに心配されるまでもねぇよ。」
「ブンヤ(註:記者の隠語)の素っ破抜きには注意せえよ。『17歳探偵、自宅で恋人と熱い一夜の謎は解けたか?』ちゅう見出しが出てまうで。」
「・・・オメー、週刊誌の読み過ぎ。そういう服部はどうなんだよ。和葉ちゃんとの仲は。」


 新一と蘭の仲を取り持った、少々ぶっ飛んだところもあるキューピット、園子との会話。

「あーもう!どうして蘭にしても新一君にしても、こうも奥手なわけ?!」
「奥手ってオメー、何を期待してるんだよ。しかもいきなりキレてるし。」
「毎日お手製のお弁当、夕食は新一君の家。これで最近ようやく手を繋いだばかりなんて、何十年前の映画やドラマじゃないんだから、もっと大幅な展開が
あるのが普通でしょうが!蘭も蘭だけど、新一君が一番悪い!夕食が済んだら次は蘭をベッドに運んでいただきます、ってくらいしなさいよね!」
「・・・オメー、レディースコミックの読み過ぎ。っつーか、そんな真似したら俺、おっちゃんに殺されちまう。おっちゃんにはただでさえ睨まれてんだぞ?
蘭が俺の家に毎日出入りしてるってことでよ。この前だって『嫁入り前の娘に手ぇ出したら汐留のビルの屋上から投げ飛ばしてやる』って釘刺されたんだぜ?」
「既成事実を作っちゃったらこっちのもんよ。大体、蘭が嫁入りする先は新一君のところって分かりきってるじゃないの。」
「分かりきってるって、オメー・・・。」
「あーら、赤くなっちゃって。可愛い探偵さんね〜。」
「・・・うっせー。俺と蘭のことより自分のこと考えろよ、園子。」


 志保の表情を覆う雲が更に厚く、重みを増す。その形の良い唇から漏れる小さな溜息1つ。
少し冷めて来たコーヒーが残るカップを、志保はテーブルに置く。そこで溜息もう1つ。
自分が工藤君と会おうとしたこと自体間違いだった、と志保は思う。今更、と思って更に溜息。今度は自嘲が篭る。
 自分が創り出したカプセル大の薬品、APTX4869。本来なら組織の取引現場を覗き見た新一も、姉明美の死に対する抗議への粛清が下される前になって
自らそれを飲んだ志保も、この世から消滅する筈だった。永遠に行方不明とされ、やがて闇に消えて忘れ去られる筈だった。
しかし、新一は動物実験の段階で発覚していた幼児化が具現化したため江戸川コナンとして名を変えて身分を偽って生き残り、志保もまた幼児化した。
ダストシュートから脱出し、雨の中を走り、向かった先は幼児化したことを察していた新一の家。その前に力尽きて倒れていたところを阿笠に庇護された。
そして新一と同じように、灰原哀と名を変えて身分を偽り、小学生としての暮らしを続けて来た。
 そんな中で何時しか芽生えていた新一への特別な気持ち。否、幼児化して新一の家に向かおうとしたところから芽生えていたのかもしれないその気持ち。
本来なら薬を通じて多くの人を殺(あや)めて来た間接的殺人者という、許されない存在である筈の自分を受け入れてくれた。
共に組織との戦いに挑み、決死の覚悟で組織の壊滅と本来の自分を取り戻す力と勇気を与えてくれた。
そのことは素直に感謝している。組織という呪縛から解き放たれ、1人の18歳の女性として新たに人生を踏み出すことが出来たのだから。
だが、本来の姿を取り戻し、本当の名前を公言出来るようになった今でも、新一の自分に対する呼称は代わらない。それが志保の胸を締め付ける。

狂おしく。そして切なく。

志保が残りのコーヒーをゆるりと飲んでカップを静かに置いたところで、リビングのドアが開く。

「おお、志保君。此処に居ったのか。」

 入って来たのはこの家の主にして志保の良き理解者でもある阿笠。その右手には1枚の書類がある。

「君が昨日送付した論文について、編集から回答が来とったぞ。是非掲載したいということじゃ。」
「そう。」

 志保は阿笠から書類を受け取る。志保がアメリカの薬学関係の専門誌に送付した論文についての編集からの回答だ。
専門誌では論文を投稿すれば直ぐ掲載、となるわけではない。内容に問題があったり、用語について詳細の解説を要求されたりする。
既出のものなら著作権や特許の侵害になるから掲載出来ないのは当然だが、その学問の世界に関わる者なら凡そ誰でも知っているような語句でも、商標の
問題などで詳細を書いて−よくあるのは略語の正式名称−再提出するよう編集から要求されることがある。
 志保が受け取った編集からの回答は、幾つかの語句に関する詳細の解説を求められているものの、総合判断は阿笠の言うとおり是非掲載したいというものだ。
英語で書かれた回答を一瞥した志保は、その書類を2つ折にする。端から見れば、掲載に積極的な回答が返って来て当然、と言わんばかりの態度だ。
だが、志保は闇の分野に関係していたとはいえ実践的な立場で新薬品の開発をしてきた経験を持つ。アメリカ留学の時代が長いがために論文用の英語も
堪能だから、その気になれば論文の1本や2本を書ける程度の実力は志保には十分備わっている。
そういった背景を知っていれば、志保の素っ気無い態度は別段珍しくも、癇に障るものでもない。だが、阿笠は志保の横顔の曇り具合が気になる。
滅多なことでは感情を表に出さない志保の変化は、幼児化していた時代から生活を同じくして来た阿笠なら分かる。

「・・・やはり、日本の大学院に進学するのかね?」

 阿笠は問いかけを入口からではなく、かなり突っ込んだところから始める。
志保に帝丹高校への編入の意思がないと察した阿笠は、日本の大学の大学院への進学を勧めていた。
 少し前までは入学に厳格な年齢制限を課していた日本の大学も、少子化と言われる時代に入ってからは年齢制限を緩めている。大学院も例外ではない。
志保はアメリカの大学で学士号を得ているから、わざわざ4年制大学からやり直さずとも最初から大学院に進学する道もある。
既に薬学に関する研究開発の基本的な技術や知識を習得しているから、大学より研究色の濃い大学院から始めた方が志保にとっても良いだろう。
そういう配慮を込めての阿笠の勧めに対し、少しの沈黙の後、志保は首を小さく横に振る。その動作には力がなく、横顔は涙を堪えているようでさえもある。

「博士が勧めてくれたもう1つの方にするわ・・・。」
「じゃが志保君、それじゃと・・・。」
「良いのよ、これで・・・。」

 工藤君にとっても私にとってもね、という続く言葉を、志保は微かに震える唇で抑え込む。
阿笠は志保に、日本の大学院進学と同時に「補欠」としてもう1つの選択肢を提示していた。
恐らく、否、決して選ぶまいと思っていたもう1つの選択肢は、志保にとって大きな心の断絶ともなる。
だが、当の志保が自ら選んだのだ。阿笠はそれを提示した以上取り下げることは出来ない。
日差しを受けて煌く赤みがかった茶色の髪が、皮肉にも志保の日本での生活の黄昏時を演出しているように見える・・・。

 日曜の午後。羽田空港に大きなボストンバッグとスーツケースを持った、スーツ姿の志保が居た。
見送りは誰も居ない。阿笠さえも居ない。志保が「玄関までで十分だから」と言って断ったのだ。
 阿笠が提示したもう1つの選択肢。それはアメリカの大学院への進学だった。
阿笠は知り合いの研究者などを頼って調べたのだが、何処も志保の進学を受け入れる条件が整っていた。
だが、渡米することは自分は勿論、折角知り合えた蘭や園子、そして新一と離れることを意味する。
 志保は自分が渡米することを亜笠以外誰にも告げていない。阿笠にも「誰にも言わないで」と強く念押ししている。
渡米を決めた翌日。行動的と言えばそうだが、見送りが誰も居ないというのはあまりにも寂しい。
だが、志保はこれで良いと思っている。それどころか、見送りを期待するような自らの心境を作ってしまったこと自体が間違いだったとさえ思っている。

 そもそも自分が彼に会おうと考えたことが間違いだった。
 どうせ死ぬつもりでAPTX4869を飲んだのだ。幼児化してもその場に留まって殺されていれば良かった。
 こんな気持ちになるくらいなら、あの時粛清で殺される前に銃なり毒薬なりで確実に自らの命を絶っておくべきだった。

男性(ひと)を好きになることを知らなければ、こんな気持ちになることはなかったのだから。

 こみ上げて来る涙を志保は目を閉じることで懸命に堪える。
チケットは既に昨日買ってある。後は搭乗手続きを済ませて搭乗の時間まで待つのみだ。
だが、搭乗ロビーに居ることさえ自分を引き止められるような気がする志保は、搭乗手続きを済ませようと向かう。

「コラ、待て!!」

 搭乗ロビーに大声が響く。当然ロビーは声を発した主の方を向いて騒然となるが、志保は我関せず、とそのまま歩を進める。

「待てっつってんだろ!!宮野!!」

 自分の苗字が含まれた聞き覚えのある、否、最も忘れたい筈の声を聞いて、志保は思わず足を止める。

「博士に聞いたぞ!!オメー、誰にも内緒でアメリカに行くんだってな!!」

 博士がおしゃべりなのか工藤君が尋問したのか知らないが、何れにしても迷惑な話、と志保は思う。
歩き始めようとした志保の背中に、汗だくの青年−新一が大声をぶつける。

「どうしてテメーは何でも1人で片付けようとしやがるんだ!!」

私の勝手じゃない。

「誰にも内緒でとんずらすれば、自分を消せるとでも思ってんのか!!」

思ってるから、そうするんじゃないの。
思わせてるのは誰だか・・・、分かってるの?

「これ以上勝手な真似するんじゃねえ!!志保!!」

!!

 それまで茶色の髪にベールのように隠され、やや俯き加減だった志保の横顔が、新一の発した一言で跳ねるように前を向き、勢い良く新一の方を向く。
驚きで目を見開く志保に対し、新一は息を切らしながら笑みを浮かべる。

「どうせオメーのことだ。俺が周囲と名前で呼び合ってんのに自分だけ苗字なのに疎外感を抱いてたんだろう。それが我慢の限界に達して、誰にも内緒で
アメリカにとんずらしようと思った。・・・そうだろ?」
「・・・。」
「俺は探偵だぜ?オメーの考えなんざお見通しなんだよ。」
「・・・だったらどうして、今の今まで呼んでくれなかったのよ・・・。」

 騒然とする搭乗ロビーで、志保と新一は2人だけのように会話する。志保の目にじわじわと涙が溜まって来る。

「バーロ。オメーこそ、俺を今まで何て呼んでたか思い出してみろよ。」
「・・・!」
「蘭や園子とは名前で呼び合うようになっても、俺だけは『工藤君』だったろうが。そんな中で俺が『志保』なんて先に呼んでみろ。蘭や園子が何て言うか
分かったもんじゃねぇ。だから時期を待ってたんだよ。互いに自然に名前で呼び合えるようになるまでな。」
「・・・。」
「アメリカは名前そのものか愛称で呼び合ったりするのが普通だがな、日本で相手の名前を呼ぶってのは、それなりの関係の深さや時間を要するんだよ。
特に男と女はな。俺と蘭とは幼馴染だし、園子とは中学から一緒だったし園子自身がああいう奴だから名前で呼び合うようになったんだ。物事にはな、
積み重ねってもんがあるんだよ。人間関係では尚更な。何でもかんでも化学反応みたいに数日そこらで熟成するもんだと思うんじゃねぇよ。」

 謎、否、心深く垂れ込めていた暗雲が完全に消えた志保は、その雲が瞳に残していった天気雨を指で拭う。

「それが分かってるなら・・・もっと早く教えて頂戴。私は貴方みたいに寸分惜しんで人の粗探しをする性分じゃないんだから。」
「探偵も研究者も同じようなもんじゃねぇか。たった1つしかない真理をとことん追究する、って意味ではな。」
「真理、ね・・・。」

 志保は身体の向きを変えて、手首の甲の側で汗を拭う新一に歩み寄る。
新一と手を伸ばせばその身体に触れ合うことが出来る距離にまで近づいたところで、志保は足を止めて尚も汗を滴らせる新一と向き合う。
何もかも俺には分かるんだ、分からなけりゃ解明してやる、という強い意志が篭った2つの瞳に自分が映っているのを見て、志保はようやく笑みを浮かべる。

「で、その真理を私に直接伝えるために此処まで来た、ってわけ?」
「オメーみたいな捻くれ者には、直接言ってやらないと分からねぇだろ?」
「随分な物言いね。探偵さん。」

 双方皮肉を込めたやり取りだが、新一と志保にとってはこれが普通のやり取りだ。
これまでの皮肉交じりのそれとは違う、心の凪を反映する笑みを浮かべながら志保は思う。

 こんなやり取りを繰り返していけば、何時か貴方と名前で呼び合えるようになるのかしら。
 名前で呼び合えるようになるまでに、蘭さんにライバル宣言出来るのかしら?
 ・・・止めておこう。2歩も3歩も先のことを予想するのは。今は・・・彼が私を引き止めに来てくれたことだけを素直に喜ぼう。
 今までの私に足りなかったのは、彼が言ったとおり人間関係の積み重ねなんだから。

だけど、もう一度呼んでくれないかしら?
私の名前を、もう一度・・・。


このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。
Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp.
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。
or write in BBS STARDANCE.
第3SSグループへ戻る
-Back to Side-Story Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall-