名探偵コナン Side Story
雨
〜100のお題 No.34〜
written by Moonstone
移ろい行く季節の中にある、雨に彩られる時期。
「移り気」なる花言葉を持つ花が、この時の訪れと共に青や赤や白に咲き誇る。
雨模様の空を避けてか、人通りも心なしか少なくなり、町全体が沈んだ雰囲気を醸し出す、そんな時期。
鉛色の空から絶え間なく滴る雫を小さなピンクの傘で遮りつつ、1人の少女が静かな住宅街を歩いていた。
肩口で切り揃えた髪、やや濃い目のピンクのヘアバンド、長袖のブラウスとスカートもやや濃い目のピンク。襟だけ白なのがアクセントとなっている。
つぶらな瞳のその少女−吉田歩美は、小学校で習ったこの時期に相応しい童謡を口ずさみながら、お使いの帰り道を歩いていた。
元々人通りが少ない住宅街は、雨ということもあって、時折車が歩美の横をすれ違ったり追い越したりする程度で、静まり返っている。
歩美は、ふと足を止める。
大きく不揃いな石で作られた石垣の上に咲く、自分の服の色に似た赤い紫陽花に目を惹かれたのだ。
歩美の家はマンションという、木々や花々とはある意味隔絶された場所にある。
元来の好奇心も相俟って、日頃見慣れないものを見ると、こうして足を止めて見入ってしまうことがある。
紫陽花は梅雨と言われるこの時期に咲く。だが、梅雨が終わる頃になって目を向けると何時の間にやら消えている。
よく見ると、花弁はあるが他の花のようにおしべやめしべがない。花弁だけで出来ている、と言えば良いか。
「紫陽花って、不思議だなぁ・・・。」
考えてみると、紫陽花は場所によって青だったり赤だったりする。花の種類は同じようなのだが、色だけ違う。
色違いの花は珍しくない。チューリップや薔薇にも赤や白や黄色がある。だが、それらとは違うように思う。
チューリップや薔薇は、冷気の緩みを待ち侘びた人々を歓迎するように咲く。彩り豊かに、鮮やかに。
だが、紫陽花は人が外に出たがらないこの時期にひっそりと咲き、気が付いたら消えている。
チューリップや薔薇と比較すればするほど、歩美は紫陽花の不思議に惹かれる。
「歩美ちゃん。」
紫陽花に見入っていた歩美に声がかかる。歩美にとって絶対忘れようのないその声で、歩美は思考の霧を払って声の方を向く。
自分の頭ほどのサッカーボールを自分の身体の一部のように絶え間なく自由に足で転がす、眼鏡をかけた少年−コナンを見て、歩美は目を輝かせる。
頻繁に発揮される好奇心とは別の、恋という気持ち故に輝きを増した歩美の大きな瞳は、コナンだけを映す。
胸に鷲を象ったエンブレムを付けたユニフォームは、コナンが歩美の友人である光彦と元太に紹介されて入ったサッカーチームのものだ。
戦力が乏しかったチームにとって、コナンの小学生離れした技能は魅力的で、早速フォワードとしてチームの得点源となり、チームの牽引役となった。
歩美は試合の度に応援しに行っている。遠征で米花町近隣のみならず都外に出る場合でも、必ず。
小学1年生で当然ながら背も低い歩美には、忙しなく動く巨人の波を泳いで電車を乗り継ぐことは決して容易なことではない。
だが、そうしてでも、往復に要する時間の方が試合時間より長くなろうとも、コナンが縦横無尽にフィールドを駆け回るのを見たいのだ。
夏のような日差しの下でも、今日のような雨の日でも、他に観客が誰も居なくても。
ボールを巧みに操り、敵のスライディングやディフェンスを颯爽とかわし、鋭いシュートを蹴り込むコナンに歓声と拍手を送る。
ハーフタイムや試合終了後には、家から持参或いは途中で購入したスポーツドリンクを手渡す。
今日も見に来てくれたの?
ありがとう、歩美ちゃん。
ただ驚きや感謝の表情を見たくて、驚きや感謝の声が聞きたくて、歩美はコナンの姿を求めて駆け回っている。
「コナン君。どうしたの?ユニフォーム、凄く汚れてるよ。」
「練習してたんだ。来週からトーナメント戦が始まるからね。」
コナンのユニフォームは泥だらけで、泥の飛沫はシューズだけでなく腕や足、頭にも見受けられる。
常に足で操るボールは、雨で濡れた道路を転がして来たせいで泥本体は洗い流されているが、その表面はもう泥の球と表現した方が適切なくらいだ。
トーナメント戦のことは歩美は勿論知っている。今まで一回戦敗退が当たり前だったチームはコナンの加入を受け、上位進出を狙っている。
コナンはその期待に応えるため、暇さえあればサッカーボールを転がし、広いフィールドを延々と走ったりしている。
攻撃防御問わず常にフィールドを走り回るというサッカーの性質上、フルタイム出場はかなりの体力を必要とする。
コナンの技能は誰もが認めるところだが、体力はそれほど突出してはいない。コナンに残された課題は体力向上ただ一つと言って良い。
ボールを自在に操ることを身体に染み込ませると同時に、体力向上を図る。
技能だけで得点出来て且つ相手の攻撃を阻止することは出来ないと知っているからこそ、日々の練習を怠らないのだ。
それに、絶えず走り回るという性質上、サッカーを炎天下で行うのはあまり適切ではない。寒い日や雨が降っている方がむしろ好条件と言える。
泥塗れのその姿は、雨の日を待ち望んでボールを追うことに没頭していたことを無言のうちに物語っている。
「そういう歩美ちゃんはどうしたの?」
「あ、ううん。紫陽花がちょっと気になって・・・。」
「紫陽花が?」
「うん。紫陽花ってこの時期に咲いて、梅雨が終わる頃に気が付くとなくなってるでしょ?それに、同じ形の花なんだけど色が青だったり赤だったりするし、
よく見ると、紫陽花の花っておしべとめしべがないから、不思議だなぁって。」
「紫陽花の色は土の酸性度と窒素分で変わるんだよ。」
「酸性度?窒素分?」
「あ、御免ね。ちゃんと説明するよ。」
身体は小学生だが頭脳は博識のコナンから出た難解な単語に首を傾げた歩美に、コナンは丁寧に説明する。
酸性度とは簡単に言えば酸っぱさの強弱であること。レモンとバナナを食べ比べるとレモンの方が酸っぱく感じられるのは、レモンの酸性度が強いということ。
窒素とは空気に多く存在するもので酸素の助燃性(註:ものが燃焼するのを支援する能力)を抑えていること。園芸に使う化学肥料にリンという物質と
共に多く含まれていること。紫陽花は園芸品の1つだから育てるのに化学肥料を使うことが多く、そのため土における窒素の量が増えること。
喩えや実例を含めたコナンの説明は、歩美にとって大変分かりやすいものだ。
「−こんなところ。で、一般に紫陽花は酸性度が強い、つまり酸っぱい方だと青で、酸性とは逆になるアルカリ性が強いと赤になるんだよ。」
「へえ・・・。」
「それからね。紫陽花にもおしべやめしべはあるんだよ。」
「え?何処に?」
「よーく見てみなよ。小さいけど、1つの花の中央にあるよ。」
歩美は紫陽花に顔を近づけ、じっくり観察する。
確かに紫陽花を構成する赤い花弁1つ1つの中央部に、目立たないが小さな棒状の突起が幾つもある。理科の授業で習ったおしべとめしべだ。
「へえー。本当だー。ちゃんとあるんだ。」
「もっとよく見てみて。そのおしべとめしべの周囲にあるのが、紫陽花の本当の花弁なんだよ。」
「え?」
歩美は改めて注意深く紫陽花を観察する。
おしべとめしべの発見に気を取られて気付かなかったが、その周囲にごく小さい花弁がついているのが分かる。
「花弁みたいに見えるのはがく片って言って、普通の花だと花弁の下に花全体を支えるようにある部分なんだよ。」
「へえ・・・。そうなんだ・・・。」
歩美はしげしげと紫陽花を観察した後、コナンに向き直る。
事件に遭遇した時は警察や関係者から話を聞き、卓越した推理を行って事件を解決に導くコナンが発揮した博識に、歩美は目を輝かせる。
「コナン君って、何でも知ってるんだね。」
「俺は何でも知ってるわけじゃないよ。知らないことの方がむしろ多いんだ。」
「そうかなぁ・・・。」
「知らないから、疑問に思うから知ろうとする。本を読んだり実物を見てみたりしてね。俺が持っている知識は、そういったものの積み重ねなんだ。
だから歩美ちゃんだって色々疑問に思ったことを調べたりするうちに、色々なことが分かるようになるよ。今は難し過ぎて分からないことでも、中学高校と
進めていくうちに分かるようになることだってあるからね。」
進学に触れたことで、コナンは内心しまった、と思う。
コナンの正体は工藤新一という名の高校2年生で、自分に謎の薬を飲ませて抹殺を図った黒の組織を追うために名前と身分を偽っている。
自分の正体が黒の組織に知られることになれば自分は勿論、自分に関係すると判断された者全てがこの世から消されてしまう。
なのに今までの自分を振り返って中学高校と進学して来た経緯に触れることは浅はかだ。
コナンは辺りを見回す。幸いにして誰も居ないし、気配も感じない。
胸を撫で下ろすと共に、時に推理や知識の披露が先走ってしまい、自分の立場を踏み越えてしまう自分が、コナンには歯痒い。
阿笠博士からも、自分を幼児化した薬を作って今は阿笠博士の元に身を寄せている宮野志保こと灰原に釘を刺されているにも関わらず。
黒の組織を追うには自分の正体を知られるようなことはあってはならない。ましてや、黒の組織とは無関係な歩美を巻き込んではならない。
そのことは十分分かっている筈なのに、つい勇み足を踏み出してしまう自分が、コナンは時に腹立たしく思う。
「どうしたの?コナン君。急に怖い顔して。」
「あ、いや、何でもないよ。」
歩美に尋ねられてコナンは我に帰り、強張っていた顔を崩して誤魔化す。
コナンの否定を、歩美は別段勘ぐることなく受け入れる。こういったところが歩美の良さでもある。
歩美は改めてコナンを見る。泥だらけの身体は雨に濡れ、泥は幾分流し落とされたが土色はしっかり根付いている。
雨は決して勢い良くはないが、此処からコナンが住む毛利探偵事務所までは歩くにはかなりの距離がある。身体を冷やして風邪をひいてしまうかもしれない。
コナンのことだ。風邪をひいて熱を出しても試合に出るだろう。だが、そんな痛々しい姿を見たくはない。
「ねえ、コナン君。今から家に来ない?家でお風呂に入って綺麗にした方が良いよ。」
「え、否、良いよ。このまま帰るから。泥だらけじゃ歩美ちゃんの家が汚れちゃうし。」
「駄目だよ!濡れたままじゃ風邪ひいて、試合に出られなくなっちゃうよ!」
やんわり辞退したコナンを、歩美は強い調子で引き止める。
歩美は頑固一徹なところがある。好奇心の強さから派生したものだ。
一旦歩美がこうなると梃子でも動かないことは、コナン自身よく知っている。それに、歩美の誘いを無下にするのも気が引ける。
「お母さんに頼んで、コナン君のユニフォーム洗濯してもらうね。乾燥機もあるから直ぐ乾かせるよ。」
「そこまでしてもらわなくても・・・。」
「良いから。ね?」
歩美の念押しには逆らえない。コナンは苦笑いする。
歩美が毛利探偵事務所に来たことはあるが、コナンが歩美の家に行ったことはない。
いきなり連れて来た相手を風呂に入れさせ服を洗濯させて、と言われて歩美の母がどう思うか疑問ではあるが、歩美は押し通すだろう。・・・コナンのために。
「これ以上濡れちゃいけないよね。」
歩美はコナンの隣に並んで傘を半分手向ける。今でもなく見事な相合傘だ。
「行こ、コナン君。」
「あ、ああ。」
歩美より少し遅れてコナンは歩き始める。
しとしとと降りしきる雨の中、小さいピンクの傘で語らう二人を、紫陽花は無言で見送る。
静かな住宅街に咲いた一つの小さな花は、路地をゆっくり動く。泥塗れの少年と小奇麗な少女を雨から守りながら。
雨の季節に咲く花は何時しか消える。だが、この季節が過ぎても1つの小さな恋を象徴する小さなピンクの花が消えることはないだろう・・・。
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