名探偵コナン Side Story

サヨナラ

〜100のお題 No.26〜

written by Moonstone

 日中に流れ行く空気にも温もりを感じるようになって久しい。
色とりどりの花が誘惑しているようにも思える花屋の軒先に、1人の女性が佇んでいた。
やや腰を曲げたその女性は赤みがかった茶髪を肩口で切り揃え、一見何処にでもあるブラウスとベスト、そしてフレアスカートはさり気なくブランド物だ。
言わなければそれと分からないように着こなし、持つ。それがブランド物を所有する者の流儀だ、というその女性の意向の反映だ。
 暫く店の彼方此方を行き来しながら花々を選んでいた女性は、徐に顔を上げる。
その時ふわりと舞い上がった髪の一部は肩より前に残るが、女性はさらりとかき上げる。
髪を伸ばしている女性には一種の共通項とも言えるその仕草は、不思議と嫌味を感じさせない。
それまで自分の購入の誘いをまったく意に介さなかった女性が自分に向ける瞳に購入の意思を感じた主人が、女性に駆け寄る。

「何になさいますか?」

 主人の問いかけに、女性は淡々と花の名前と本数を告げる。
女性が選んだ花の数は、花束というにはいささか大き過ぎる。しかも服装とは違って色も花の種類も無作為と言うべき内容だ。
だが、主人は口を挟むことなく花を手に取り、花がそれぞれの存在感を協調し合うように束ねる。
程なく出来上がった花束を、主人は紙で丁寧に包み、ピンクのリボンを巻きつけて花束らしくする。
 そこで初めて、女性の口元に笑みが浮かぶ。美しいが何処か儚げで悲しげでもあるその笑みに、主人はこの女性の心境を思う。
花を買い求める人にはそれぞれの理由がある。趣味のため、愛する人に贈るため、そして・・・惜別のため。
だが、主人は女性に花束を買い求めた理由を聞くような野暮なことはしない。
人それぞれの事情があるのなら、それを話す話さないも人それぞれ。長年の客商売で悟った知識だ。
女性は銀杏柄のハンドバッグから財布を取り出し、代金を支払って花束を受け取る。
ありがとう、と言って立ち去るその女性を、主人は姿が見えなくなるまで見送った・・・。

 綺麗に整備された、人気のない墓地を吹き抜ける一陣の風は、心なしか少し冷たく感じる。
様々な種類の花を織り込んだ花束を抱えた、赤みがかった茶髪の女性は、墓地の一角にあるまだ新しい墓の前に立っている。
何度目かの風が女性の髪を揺らす。その口元に浮かぶ笑みには、花屋で見せた時のそれより儚さや悲しさの色合いが増している。

「お父さん・・・。お母さん・・・。お姉ちゃん・・・。」

 呟きを漏らした女性の前にある墓に刻まれた文字は「宮野家の墓」。
・・・そう。そこは女性−かつて灰原哀と名乗っていた宮野志保の両親と姉が眠る墓である。
 組織との戦いの間は訪れるどころか作ることさえ許されなかった墓を、志保は元の姿に戻って程なく、この地に建立した。
かつて志保も属していた組織との戦いの過程で、様々なことが明らかになった。
事故死した、と聞かされていた両親は組織の手によって殺されていた。開発中だった薬の秘密を外部に漏らした、との疑惑だけを根拠に。
そして、物心ついた頃から唯一の肉親だった姉も、自分を組織から解放しようとして組織に殺された。
根拠すらあやふやな疑惑の段階で両親を殺され、組織と関わった以上は叶わぬ筈もない自らの自由を求めたため、姉を殺された。
 それらの事実を知った志保は、絶望と悲しみのどん底に叩き落された。何日も自室に閉じこもる日々が続いた。
姉の死以来初めて人前で見せた涙を、悲哀の叫びと共に流した志保。
声が枯れ、涙も枯れた志保は、自らが作り出した薬でこの世から抹殺された筈だった存在−工藤新一や阿笠博士らと共に、組織との戦いに挑んだ。

 文字どおり生命を賭した戦いに、志保は勝利した。組織は壊滅し、志保は元の姿を取り戻した。
組織に命じられるがままに過ごした日々を取り戻すべく編入した高校生活も、この春で無事に終えた。この春から改めて大学生となった。
既にアメリカで学士号を得ている志保は、学位は必要ないし求めてもいない。ただ・・・、普通に過ごせなかった大学生活を送りたいため。
日本で向かえた、18歳の新大学生としての生活に追われて訪れることが出来ないでいた墓を、志保は今日訪ねたのだ。

自分が新たなスタートを切ったことを報告するために。

 死んだ者に何を言っても伝わらない。「死人に口なし」と言うように。
少なくとも日本より宗教観が深く根付いているアメリカでの留学生活で身についた、ある種冷淡とも言える死者との決別。
組織の呪縛から解放される代わりに備わった別の執着を思い、志保は内心自嘲する。
だが、それも18歳の大学生として改めて生きることが出来る「今」があってこそのもの。
そう思い、志保はまた内心自嘲する。

「私ね・・・。今年から大学生になったのよ・・・。友達と一緒にね・・・。」

 志保は一人、墓に向かって語りかける。大きな花束を抱えながら。

「報告が送れて御免ね・・・。本当はもっと早く来たかったんだけど・・・。」

 途中で志保の言葉が途切れる。言葉の紡ぎの再開に代わって、志保の頬を涙が伝う。
両親への思いは、志保が物心着く前に死んだ、否、殺されたことが幸か不幸かは分からないが、それほど強くはない。
志保が今尚思うのは姉明美の存在であり、今尚悔恨しているのは、姉明美の死だ。
 姉が自分を組織から解放するために行動している、と分かったなら迷わず止めた。
志保は分かっていた。組織に関わった者は服従か死かの二者択一を絶えず迫られながら生きていかなければならないことを。
組織に逆らったら、どんな立場であろうと必ず粛清されることを。
だが、明美は志保にそのことを明かさないまま、あの一言を最後に、自殺という報道で消息を知らせることになった。

大丈夫だから。

 大丈夫じゃなかった。どうして私に教えてくれなかったのか。
志保は何度も問いかけるが、明美からの答えはない。死者に回答を求めても、墓に問いかけても無意味だと分かってはいるが、そうせずには居られない。

「お姉ちゃん・・・。」

 志保の口から小さな呟きが漏れる。頬を悲しみ色に染まった熱い雫が伝う。
一人墓の前に佇む志保は、花束を抱えて俯きながら嗚咽する。

「志保君。」

 微風のような呼びかけで、涙で頬を塗らした志保は顔を上げて声の方を見る。
声の主は他ならぬ阿笠。灰原哀の時代からの志保の良き理解者であり、志保は今も生活を共にしている。

「博士・・・。」
「出かける前に一言くらい言っておかんかい。心配したぞ?」
「御免なさい・・・。」
「この際じゃ。ワシも墓参りさせてもらおうかのぉ。」

 阿笠は志保の頬をハンカチでそっと拭い、志保の隣に立つ。
何も告げずに外出したことを必要以上に咎めることなく、クールな内面に繊細な心を隠し持つ志保と暮らせるのも、阿笠ならではだ。

「・・・明美さんは、志保君の幸せを願っておるよ。」

 暫しの沈黙の後、阿笠は静かに言う。
心を見透かしたかのような言葉に志保は驚いて、思わず阿笠を見る。

「明美さんが志保君に何も言わなかったのは、その気持ちの表れじゃよ。」
「・・・。」
「志保君に言ったら志保君と言い争いになってしまうかもしれない。そうなったら、監視付きだった明美さんは周囲に秘密を漏らした、として組織に
報告されたじゃろう。そして遅かれ早かれ抹殺されたじゃろうな。明美さんはそれを避けたんじゃよ。」
「・・・。」
「結果として志保君を悲しませることになってしまったが、明美さんは何の呪縛もない大学生になった志保君の今を、きっと喜んでおるよ。」
「博士・・・。」
「じゃから・・・、もうお別れしても良いんじゃないかのぉ・・・。明美さんの死に対する後悔などといった気持ちから・・・。」

 志保は改めて墓と向き合い、思う。
姉を殺した組織とは完全に決別した。少し出遅れた格好にはなったが、普通の高校生として過ごし、普通の大学生となった。
ならば、決別する時ではないか?姉の死への悔恨から。
宮野志保としての生活を歩むためのけじめとして、組織に命を断たれた両親と姉を葬るこの墓を建立したのではなかったのか?
志保は目を閉じる。思い浮かぶのは、最期の記憶となった別れ際の明美の笑顔。

大丈夫だから。

・・・大丈夫だから。

 姉の最期の言葉と志保の心の言葉が、重なる。
目を開けた志保の口元が緩む。今度の笑みには悲しさはない。

「随分大きな花束じゃのぉ。」
「・・・お父さんとお母さんと、お姉ちゃんが好きだった花を集めたの。お父さんとお母さんの分は、お姉ちゃんからの受け売りだけどね。」
「じゃったら、今の志保君に涙は似合わんぞ?」

 泣いてはいけない、と言わないのも、志保の性格を知り抜いた阿笠ならではか。
志保は笑みを浮かべたまま阿笠の方を向く。阿笠は笑みを浮かべて小さく頷く。それで良いんじゃよ、とその目が言っている。
志保は両親と姉が眠る墓に、花束を手向ける。一際大きな花束は、墓を鮮やかに彩る。

サヨナラ

 志保は墓に向かって、その向こうに横たわっていた姉の死に対する悔恨に向けて、心の中で決別の言葉を放つ。
かつて志保は言った。「サヨナラ」はお互いの気持ちに針を刺す悲しい言葉だ、と。
だが、新たな人生を歩み始めるにあたっては、あえて「サヨナラ」を言うべき時もあるのだ、と志保は思う。
 花を手向け、揃って目を合わせて合掌した後、志保は阿笠と共に墓を後にする。
志保と阿笠を乗せたワーゲンが去った墓地には、誰も居なくなった。「宮野家の墓」と刻印された墓に捧げられた大きな花束だけが、人の来訪を無言で示すのみ・・・。

 カーステレオから流れて来る曲に、志保は耳を傾ける。

「博士。どうしたの?今までカーステレオなんて使ったことなかったのに。」
「たまには良いじゃろ。ホレ、この前、蘭君がワシの誕生日祝いにプレゼントしてくれたCDじゃよ。」
「・・・良い曲ね。」

 志保はカーステレオから流れて来る曲に合わせて口ずさむ。海外生活が長い志保の発音は非常に流暢だ。
間奏に入ったところで志保は口ずさむのを止め、志保は阿笠をチラリと見やる。その口元に浮かぶ笑みは悪戯っぽい。

「私、何だか無性にチョコレートが食べたくなって来たわ。」
「お、おいおい、志保君。」
「唇でとろける程好い柔らかさのチョコレート・・・。米花堂のチョコレートセットが手頃なイメージね。」
「これこれ・・・。」

 阿笠は苦笑いする。
志保が暗に催促した米花堂のチョコレートセットは、非常に美味なことと高価なことで知られる品だ。
こういう時の志保はどうやっても誤魔化せないと分かっているので、阿笠は抵抗しない。
 再び曲に合わせて歌詞を口ずさむ志保は、窓を見やる。
春の青空とそこを気ままに浮かぶ白い綿雲に、志保は両親と姉の面影を思い描く。

重い悔恨に「サヨナラ」した志保の顔は、その瞳が映す空のように明るい・・・。


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