名探偵コナン Side Story

意地っ張り

〜100のお題 No.12〜

written by Moonstone

 ある日の夜、妃法律事務所の電話がコール音を立てる。
事務所で1人、間近に控えた裁判の準備資料を整理していた事務所の長にして「法曹界のクイーン」の異名を誇る妃英理が、キーボードを叩く手を休めて
電話機の液晶画面を見る。そこには「工藤有希子 固定」と表示されている。
弁護士は職業柄、依頼人は勿論、関係する個人や団体−会社員などではその会社といった具合−、裁判所や同僚の弁護士とのやり取りの他、担当する裁判に
よっては脅迫まがいの電話まで来ることがある。特に労働争議や住民運動では、被告の企業などが裏で雇う暴力団などが圧力をかけてくることも多い。
勿論、英理はそんなことで怯むほど柔ではない。全ての通話記録を克明に録音し、別件で刑事事件として告発する準備も抜かりない。
 電話機には電話番号表示機能の他、予め記録したデータと照合することで個人名や電話の種類の表示、録音機能もある。
高校までの同期生であり、気心知れた友人でもある有希子からの電話だと知って、英理は肩の力を抜いて受話器を取る。

「はい。妃法律事務所です。」
「英理ちゃん、こんばんはー。有希子よ。相変わらず几帳面ねぇ。」
「電話の応対も職業と切っても切れない関係だから、染み付いちゃってるのよ。」
「先に自宅の方に電話したんだけど留守電になってたから、もしかして此処かな、って思って電話したのよ。仕事?」
「ええ。今度の裁判の資料の整理。まあ、それほど手を煩わせるようなものじゃないわ。今日中には終わるわね。」
「さっすがは法曹界のクイーン。出来る女は違うわね。」
「高校時代に銀幕のスターに上り詰めた有希子ちゃんに言われてもね。」

 軽快な調子の有希子に対し、英理は落ち着いた口調だ。
英理は仕事に横槍を入れられたことに腹を立てているわけではない。むしろ、有希子からの電話で心弾むものを感じる。
普段自分に向けられるのは「法曹界のクイーン」という、自分が望んだわけでもない異名から生じる畏怖が専らだ。
これまでの実績でそうなったとは言え仕事以外で人を寄せ付けなくなった境遇で、普通に友人として接してくれる有希子は貴重な存在なのだ。

「いよいよあと一月まで迫ったわね。」

 少し間を置いてから、有希子が言う。
間近に迫ったものは、普段夫の優作と共にアメリカのロサンゼルスに居を構える有希子が、優作と共に帰国していることと密接な関係がある。
優作と有希子の一人息子である新一と、英理の愛娘である蘭が共に20歳を迎えたこの冬、挙式するのだ。
優作は式場の手配や各方面への報告、有希子は新一と蘭の衣装合わせに熱を上げている。式場は新一と蘭の希望もあって教会で行い、その後の食事会を
何と米花ホテルの展望レストランを丸々借り切って行うことになっている。
「母さん、大袈裟過ぎるよ」と苦笑いする新一に対し、「新ちゃんと蘭ちゃんの一世一代の晴れ舞台だもの」と返す有希子は、食事にも余念がない。
 有希子も英理も20歳で結婚し、一児を儲けた。自分達の過去が再現されているようで、有希子と英理は何か特別な縁を感じる。
しかも、蘭がその腹の中に生命の種を宿していることが、先に判明している。新一と蘭はそれぞれの母と同じく20歳で親になるのだ。
初々しいカップルは既に新居となる工藤邸で生活している。大学も同じ2人は、新一の知名度もあってキャンパスでも祝福の嵐を受けている。
 病院での検査結果を知った有希子と英理は先日の電話で、「私達、40歳でおばあちゃんになっちゃうのね」と複雑な気分で笑いあった。
孫が出来るのは勿論嬉しいのだが、40歳の若さで祖母になることはやはり複雑な心境なのだ。
有希子と英理は子どもが言葉を喋るようになったら、絶対「おばさん」と呼ばせるつもりで居る。既に有希子は新一に釘をさしている。

「勿論出るから。その日は前もって空けてあるわよ。出欠の葉書、届いてない?」
「ううん。ちゃんと届いてるし、新ちゃんも蘭ちゃんも知ってるわよ。それより・・・、どうするの?」
「どうするって?」
「英理ちゃんの旦那とのことよ。」

 分かっていても答えたくなかった英理に、有希子が回答を述べる。
蘭は結婚に伴い、それまで住んでいた父小五郎が経営する毛利探偵事務所のあるビルから工藤邸に転居している。
新一と蘭の結婚に伴い小五郎が1人になったことを、有希子は懸念しているのだ。
 小五郎は一人娘を持つ男親という立場もあってか、元々娘の蘭と新一の交際にはあまり乗り気ではなかった。
蘭が新一との子どもを宿していることを知った時、小五郎は喜ぶのではなく、悲しげに「そうか」と一言答えただけだった。
そして結婚に伴う蘭の転居。小五郎は完全に1人になってしまった。
 工藤邸と毛利探偵事務所は同じ米花町にある。徒歩でも十分通える距離だから、その気になれば何時でも様子を見に行くことが出来る。
だが、新婚家庭にいちいち親が乗り込むのは憚られる。新一が戻って来た時に蘭が号泣して新一の胸に飛び込んだところを見た小五郎は尚更だ。
小五郎の元にも新一と蘭から招待状が送られているが、いまだその返事は届いていない。幸せ絶頂の蘭が唯一悲しんでいるのはそれだ。
父に自分の晴れ姿を見てほしい、と思うのだが、新一との子どもを宿したことを伝えた時の反応を思い出すと、蘭も催促出来ないのだ。

「・・・あの人から出欠の返事は届いてないの?」
「うん。今、蘭ちゃんが気にしてるのはそのことだけ。かと言って、新ちゃんに出てくれるよう説得してもらうのは逆効果になりかねないし・・・。」
「娘の結婚くらい、素直に喜べば良いのに・・・。困った人ね、相変わらず。」

 そう言う英理の口調は沈んでいる。英理も蘭と同じ気持ちなのだ。
今も別居しているとは言え、離婚したわけではない。職業柄姓は「妃」を使い続けているが、戸籍の上では「毛利」のままだ。
元々生活概念が薄い小五郎の世話をして来たのは蘭だ。その蘭が居なくなれば、小五郎は事務所で1人朝から晩まで酒を煽るだけの生活になりかねない。
 今でも様子見を兼ねた訪問で、小五郎が明らかにやつれているのを有希子は知っているし、そのことを英理に伝えている。
食事は元より、洗濯や掃除といったこともきっちりこなしていた蘭が居なくなったことは、小五郎にとってそれ以上に大きな心の穴を作ってしまった。

「だからさ、英理ちゃん。説得してくれない?」
「・・・嫌よ。」

 有希子の依頼を、英理は少し躊躇いを匂わせつつも断る姿勢を示す。

「あの人が新一君をどう思ってるのかは知らないけど、蘭が新一君と結婚して更に子どもも出来る・・・。孫は子より可愛いっていうくらいなのに、あの人は
何時までも蘭を新一君に取られたっていう考えで居る・・・。蘭が妊娠したのは蘭も新一君も合意の上でのことだし、順番が逆になったことで婚姻が成立しない
なんてことはないわ。娘の、蘭の幸せくらい今になっても素直に喜べない頑固な人を説得するなんて、時間の無駄よ。」
「英理ちゃん・・・。」

 文章にすると冷たく突き放す言葉だが、英理の表情はやりきれないもので、口調も明らかに沈んでいる。
別居しているとは言え夫婦であることには違いない。そして自分達の娘が、想い続けた相手と大きな幸せの瞬間を間近に控えている。
にもかかわらず祝いの場への出欠の返事を今尚保留している小五郎に、英理はやりきれない気持ちを感じずには居られない。
 電話口の有希子も珍しく表情が冴えない。
自分も良く知る妙齢の女性が自分の息子と結婚する。その上、女性は息子との子どもを宿している。
自分も出産後に病院を訪ねて来た両親に子どもの新一を見せた際、両親が満面の笑顔を向けて愛しげに抱っこしたことを憶えている。
蘭も両親に、自分と愛する男性との子どもを見せたい筈だ。そのためには今、恵理と小五郎が和解することが必要なのだが、このままでは埒が明かない。
 似たもの同士と言う言葉そのままに、英理も小五郎も意地っ張りだ。英理が小五郎との生活に戻る気持ちであることくらい、有希子は知っている。
そして自分が何度も様子を見に行っている小五郎も、高校の同期ということもあって、英理に対する態度が天邪鬼になってしまうことを知っている。
そんな2人がようやく素直になれたのは、英理が小五郎との子ども、すなわち蘭を宿したことが分かって学生結婚に踏み切った時だ。
「異色カップル」というのが小五郎と英理の関係を表現する際に最もよく用いられる言葉だが、双方本心では相手を思いやっているのになかなか素直になれず、
娘の結婚が決まった今尚別居を続けているという点からすれば、「お似合いのカップル」と表現すべきだろう。

「・・・蘭ちゃんがその件で、英理ちゃんと話がしたいんだって。」

 やや長い沈黙の後、有希子が切り出す。

「蘭ちゃんはまだ、って言うべきじゃないかもしれないけど妊娠3ヶ月だから普通に動く分には差し支えないから、一度英理ちゃんと会って話がしたいって。」
「蘭が・・・?」
「蘭ちゃんも、英理ちゃんと小五郎君に揃って祝ってほしいのよ。自分の門出をね。」
「だからって、どうして私が・・・。」
「英理ちゃんに非があるなんて少しも思ってないわ。私も蘭ちゃんもね。それは小五郎君に対しても同じよ。だから、蘭ちゃんの話を聞いてあげてくれない?」
「・・・分かったわ。」

 消極的ながらも、英理は有希子の申し出を受託する。
電話で場所と時間を調整して決定し、それをメモ用紙に記録してから、英理は有希子との電話を終える。
英理はキーボードに両手を添えるがその指は動かず、代わりに視線がCRTではなく左手に向かう。
左手薬指に輝く指輪。それは小五郎との結婚で交換した結婚指輪。
 英理も娘の結婚をきっかけに小五郎と和解したいとは思っていた。だが、どうしてもその気持ちに素直になれなかった。
相手を想う気持ちに早い時期から気づいていながらなかなか素直になれず、蘭を宿したことでようやく素直になれた。しかし、些細な諍いがきっかけで
家を出て以来、小五郎とは仕事の関係もあってなかなか会えないまま今に至る。
蘭が、自分の門出を両親が揃って祝ってくれないことを悲しむ気持ちは理解出来るつもりだ。せめて今回くらいは、素直になれれば良いと英理は思う。
かつては自分が小五郎との子どもを宿したことで素直に向き合い、そして今度は自分の娘の結婚と孫がきっかけになろうとしている。
英理はそこにも、不思議な何かを感じずには居られない・・・。

 米花ホテルの展望レストランの一角に沈黙の時間が流れ始めて久しい。
優作が有希子にプロポーズした席でもあり、新一が大学進学を決めた後に蘭にプロポーズをした席でもあるそこで向かい合うのは、小五郎と英理だ。
時折黙々と食事を口に運ぶことを除けば1人で食事をしているのと変わらない、気まずさを絵に描いたような光景だ。
 英理は蘭から話があると有希子から聞いて来店した。小五郎は優作から話があると聞いて赴いた。
しかし、優作と有希子の名義で予約されていたその席に優作も有希子も居ない。最初から自分達を鉢合わせるつもりだった、と気づいたがもう遅い。
何を話せば良いのか、そもそも自分から話を切り出すべきなのかすら見出せない小五郎と英理は、傍から見れば別れが近い夫婦としか見えない。

「・・・一人暮らしは・・・慣れた?」

 ステーキを一切れ食べた後、英理がおずおずといった様子で問いかける。
当たり障りのないところから話し始めよう、という判断に基づくものだが、その様子には法廷で見せる凛とした雰囲気は全くない。

「・・・まあ、そこそこはな。」

 ワイングラスを傾けた小五郎が答える。やはりこちらもぎこちなさで表情が硬い。
実際は部屋も散らかり放題、洗濯はギリギリになってようやくする、食事は専らレトルトかコンビニの弁当、若しくは階下のポアロだが、小五郎は言わない。
自分の弱さを曝け出すことを恐れているのは、小五郎だけでなくて英理も同じだ。

「・・・まだ、返事出してないんだってね。・・・招待状の。有希子から聞いたわ。」
「・・・ああ。まだ出してねぇ。」
「・・・どうするの?」
「・・・さあね。」
「さあね、って貴方、他人事みたいに・・・。」
「蘭はもうあの探偵ボウズのところへ行っちまった。・・・他人だ。」

 小五郎の言葉にやるせない寂しさが篭っているのを、英理は感じ取る。
同時に、他人と思うことで寂しさを紛らわせようとしている小五郎の一人苦しむ心の内を垣間見る。
 英理は弁護士だ。それに法廷は法律だけ知っていれば良いというものではない。心理作戦や駆け引きといったことも必要だ。
それ故に英理は娘の結婚を素直に喜べるだけの精神的許容が備わっているが、根は実直な小五郎にはそういうものがない。だから苦しんでいるのだ。
些細な諍いがきっかけで別居するに至ったとは言え、長い間想いあって来た相手には違いない。英理の中で小五郎に対する何かが徐々に変わっていく。

「・・・寂しいのね。」
「・・・だから何だってんだよ。」
「私も・・・寂しいのよ。」
「何言ってやがる。蘭に子育てに関する手続きとかを教えたりしてるくせしやがって。」
「私が寂しいのは、蘭が結婚することじゃないわ。・・・あなたと同じ境遇になることよ。」

 やや語気を強めた小五郎に対し、英理は眼鏡の奥に寂しげな瞳を見せる。

「一人娘が結婚して結婚相手のところへ行ってしまうのは、私も同じよ。私とあなたは・・・あの娘(こ)の親なんだから。」
「英理・・・。」
「私とあなたはあと半月ほどで、おじいちゃんとおばあちゃんになる。蘭が生まれた時、私の親とあなたの親が蘭を頻りに可愛がってたこと・・・、憶えてる?」
「・・・ああ。必ず玩具やら絵本やら持って来てたな。」
「私達も・・・、そうやって・・・孫に会いに行きたくない?」

 ようやく英理の口から、気持ちを断片的にでも映し出した言葉が出る。
こうやって自分の気持ちに素直になれなかっために蘭が幼い頃に別居してしまい、結果的に蘭を深く悲しませてしまった。
蘭が妊娠をきっかけに休学を即決して育児に専念すると言い、新一もやはり休学して共に育児に携わると聞いて喜んだのは、その悲しみの裏返しだ。
これ以上愛娘に悲しい思いをさせたくない。その思いは小五郎も英理も共通のものだと、互いに実感する。
 小五郎はスーツの懐に手を入れ、白い封筒を取り出して英理に差し出す。
その封筒は、新一と蘭が結婚式の招待客に送った招待状のものだ。テーブルを照らすランプの明かりで透かして見ると、中に何かが入っていることが分かる。

「・・・あなた・・・。これ・・・。」
「・・・蘭に・・・渡しておいてくれ。出しそびれちまったんでな。」
「・・・分かったわ。」

 英理は中身について追求することはせず、小五郎から受け取った封筒をハンドバッグに仕舞う。
英理は察する。小五郎がこの封筒の中身を出す機会を窺っていたことを。そして封筒の中身の記載内容が何であるかを。

「また・・・、此処で食事するか。・・・式の後の食事会とは別に。」
「あなた・・・。」
「偶には・・・違ったもんを食いたいんでな・・・。」

 顔を英理から逸らして、視線だけ窺うように英理の方に向ける小五郎に、英理は無言で頷く。微かだが穏やかな笑みと共に。
娘の幸せに引っ張られるように、離れていた一組の夫婦が少しずつ歩み寄り始めたようだ・・・。

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