名探偵コナン Side Story
眼鏡
〜100のお題 No.3〜
written by Moonstone
「ねえ新一。眼鏡をかける人ってどんな気分なのかな?」
あるうららかな日曜の午後。眠気を誘う日差しが溶け込む工藤邸ならぬ新一邸のリビングで、入れたてのハーブティーを持ってきた蘭が尋ねる。
それまで新刊の推理小説に向けていた視線を上げた新一は、少し考えてから答える。
「結構面倒らしいぜ。レンズのコーティングとかにも因るけど汚れやすいそうだし、外した場所を決めておかないと探す時凄んげぇ困るっていうし。」
「ふーん。」
「いきなりどうしたんだよ。眼鏡っていえば小母さんもかけてるから、疎遠ってことはないだろ?」
「お母さんの眼鏡はかけたことないし、お母さんが眼鏡外してるところって見たことがないから。」
「眼鏡がなくても困らねぇ人間がかけると、目が回ったり痛くなったりするってのは確かだぜ。」
「コナン君に変装した時の経験談ね?」
「変装じゃねぇっつーの。」
ハーブティーを入れながら過去を突付いた蘭に、新一は少し不満そうな顔をする。
APTX4869を飲まされたために身体が幼児化した直後に蘭と出くわした新一は、とっさに父優作の眼鏡をかけたのだが、視界が激しく回って見えた上に頭が痛くなった。
その時はとっさにレンズを抜いて縁だけの眼鏡をかけ、後に隣に住む阿笠に度が入っていないプラスチック製のレンズを作ってもらって入れたという経緯がある。
それまで眼鏡とは縁のなかった新一にとって、眼鏡をかけての生活は最初こそ多少の違和感はあったが、直ぐに身体の一部になった。
それは、簡潔に言えば透明なプラスチックの板越しに外界を見るようになったに過ぎないという、度が入ったレンズを持つ「本物」の眼鏡とは違う条件があってのものだ。
「本物」の眼鏡をかける必要がある生活は未経験だから、それを思うと蘭の疑問もそれなりに納得出来るものではある。
「新一のお父さん、眼鏡かけてるよね。」
「ああ。」
「前に新一のお父さんとお母さんの結婚写真を見せてもらった時、新一のお父さんって新一そっくり、って思ったんだけど、何時から眼鏡をかけるようになったの?」
「うーん・・・。」
新一が記憶の引き出しを探る間に、蘭はハーブティーを2人分のカップに注いでそれぞれの近くに置く。
それぞれと言っても若い芝生のような絨毯に並んで腰を下ろしているから、「並べて置く」と言った方が正確かもしれない。
「俺がガキん頃には、父さんはもう眼鏡をかけてたように思うなぁ・・・。」
「視力って大人になってからでも悪くなるものなの?」
「個人差はあるけど、20歳くらいを契機に病気とか特殊な場合以外ではさほど視力は低下しないようになる筈だけどな・・・。」
「お母さんは、私が小さい頃からずっと眼鏡をかけてたのよね。前に聞いたら、小学生頃からずっとかけてる、って言ってたし。新一のお父さんの場合は仕事の関係?」
「かも知れねぇな。父さんは一旦仕事に没頭すると原稿が完成するまでずっとPCと睨めっこするタイプだし、その間場所の明るさの変化とかもお構いなしだし。」
「そういうところも、新一とそっくりね。」
「褒めてんのか?」
「さあ。推理してみたら?」
新一の問いを、蘭は軽くはぐらかす。
蘭はこのところ、この手の手段が巧みになっている。鋭い突込みを入れたかと思えば、相手の「反撃」をさらりと受け流すこの手法は、新一に嫌な予想を抱かせる。
新一が元の姿を取り戻したと同時にやはり元の姿を取り戻した灰原哀こと宮野志保は、こういった手法を得意とする。
志保は引き続き阿笠の家に身を寄せ、組織に奪われた時間を取り戻すという理由で新一と蘭が通う帝丹高校に編入し、クラスメートでもある。
その志保は元々ファッションなどに興味があることが共通する園子と仲が良かったのだが、近頃は蘭とも親しく話すようになっている。
もしかして蘭は志保から自分を操る策を吹き込まれているのでは、と思うと新一は悪寒さえ感じる。
志保の頭の切れの良さは高校では有名だ。勉強はさることながら、その容姿や知的な印象から言い寄ってくる男子生徒を軽くあしらうことにおいても発揮される。
女を「落とす」腕は校内で一二を争うと自他共に認める2年の男子生徒ももれなく志保を口説きにかかったのだが、まったく相手にされずに退散させられた。
当人は、志保がブランド物好きという情報を事前に入手して脇を固めたつもりだったのだが、具体的な商品名を幾つ挙げても眉一つ動かさなかったという。
その話を耳にした新一−当日は警視庁に呼び出されていた−が後で志保本人に尋ねたら、「商品名を挙げるところもセンスのない証拠よ」とだけ答えた。
他にも自分を「落とせる」だけの要素がなかったという含みを持たせる言葉だが、それ以上のことは新一もはぐらかされた。
事件の真相を暴くことには長けた新一だが、志保の本心を知ることだけは並大抵のことではないと確信している。
新一が志保の本名を知ったのは組織壊滅の時ではなく、高校に編入してきた志保が自己紹介した時にようやくといった有様だ。
灰原哀という仮の名前を名乗っていた時にはとうとう、志保本人の口から本名や年齢といった本人に密接に関係することはまったく聞き出せなかった。
年齢については灰原時代の発言から18歳だと推測しているが、新一がどう攻めてもはぐらかされてしまう。
「秘密のベール」という表現があるが、志保の場合は「秘密の鉄壁」が相応しいと新一は思っている。
その「鉄壁」の裏にどんな武器が隠されているか窺い知れない。迂闊に機嫌を損ねたらどんな報復が待っているか、考えるだけでも恐ろしい。
「この前、園子と志保と話していた時、眼鏡の話が出てね。」
蘭の口から問題の人物の名前が出たことで、新一は思わず口に入れたハーブティーを噴出しそうになる。
「眼鏡もファッションの1つとして見るのも良いんじゃないか、って話になったの。」
「ファッション、ねえ・・・。」
「志保の眼鏡が度の入ったものじゃないことは、新一も知ってるでしょ?」
「まあな。」
志保は元の姿を取り戻してから、眼鏡をかけるようになった。新一とは丁度逆の展開だ。
「気分的なものよ」と本人は言っているが、眼鏡を介することになったために志保のミステリアスな雰囲気が増したのは事実だ。
それまでの挑戦者が悉くあしらわれているのに今尚志保に言い寄る男子生徒が後を絶たないのは、同年代とは思えない名実共に知的なところが大きな要因だろう。
灰原哀の時代を知っている新一には、眼鏡の奥に潜む瞳が常に何かに照準を定めて見通しているような気がして、これまた悪寒を呼び起こす原因となっている。
「その話をしてた時志保が眼鏡を外したんだけど、眼鏡をかけた時と外した時とでは随分違うな、って思ったの。」
「あいつ、眼鏡外したのか?」
「うん。」
驚き混じりの新一の問いに、蘭はすんなり答える。別に不思議とも意外とも思っていないようだ。
志保が初めて元の姿で新一の前に姿を現したのは、高校に編入してきた時だ。その時には既に眼鏡をかけていた。
新一は事件現場の遺留品の分析の依頼などで時々阿笠の家にお邪魔するのだが、志保は眼鏡をかけ続けている。
一度も眼鏡を外したことがないと思っていたのに、蘭と園子の前で眼鏡を外したのは驚くべきことだし、何か裏があるのではと詮索してしまう。
「でね。昨日志保と園子と一緒に眼鏡屋さんに行ってきたの。」
「てことは、まさか・・・。」
予感が限りなく確信に変化していくのを感じる新一に、蘭はハンドバッグから薄いピンクの真新しいケースを取り出し、蝶番になっている蓋を開ける。
中に収められているのは、やや細長いレンズに細いフレームをあてがった眼鏡。
「作ってもらいましたー。」
「・・・影響されやすいな、オメー。・・・って、今日いきなり眼鏡の話を持ち出したのは。」
「そう。新一が眼鏡に興味があるのか知りたくてね。どのくらい知識があるかも知りたかったし。」
蘭が志保の影響を受けていることを知った新一は、蘭を通して志保が自分に何か仕掛けてくるのではないかと嫌な予感を抱く。
「・・・コーティングにも因るけど汚れやすいらしいって、さっき・・・。」
「それなら大丈夫。志保に特殊なコーティングをしてもらったから。えっと・・・何て言ってたっけ・・・。光を受けてどうこう・・・。」
「光触媒か。」
「あ、そうそう。それ。志保が開発したその光触媒のコーティングをしてもらったし、それでも付いちゃった汚れは眼鏡拭きで簡単に落とせるって。」
特製の光触媒(註:光を受けることによって化学反応を起こす物質)を施したという時点で、新一は益々蘭が志保の影響を受けていることを思い知る。
蘭の背後に見え隠れする志保の影に悪寒を感じる新一の前で、蘭はその眼鏡をかけて新一の方を向く。
悪寒に震えていた新一の意識は、眼鏡をかけた蘭の顔を見たことで視線と共に蘭の顔に集約される。
大きな瞳を覆い、微かな遮蔽感を醸し出す2つのレンズ。控えめなフレームで縁取られた新しい目の周囲の形。蘭のイメージを大きく変えるものだ。
母英理や志保のように視線が合ったものを時に萎縮させる威圧感はなく、その手足1つでその辺の男を一撃で倒すことを想像させない、清楚で上品なイメージだ。
蘭は少し首を左に傾けて、左手の指先でフレームをほんの少し押し上げてみせる。眼鏡のCMにそのまま流用出来そうな仕草に、新一は見惚れてしまう。
「どう?」
「・・・わ、割と似合ってるじゃねーか。」
「それだけ?」
更なる称賛を要求するように、蘭は新一に顔を近づける。今までのようにむくれることもなく、目を輝かせたままで新一に迫る。
視界に蘭しか映らなくなった新一は、混迷極まる思考の中から別の言葉を探るがなかなか出てこない。
無言且つ魅惑的な笑みを浮かべて顔を近づけ続ける蘭の眼鏡に自分の顔が少し映っているのを、新一は知る。
同時に、眼鏡越しに見える蘭の瞳には自分しか映っていないことも、新一は知る。
眼鏡というたった1つのアイテムで大きくイメージが変わった相手。眼鏡というたった1つのアイテムが生み出した新たな魅力。
そのどれもが、普段は饒舌な新一の口と小さな痕跡を見出す視線を、潤滑油が切れた機械のように満足に動かせない状況を作り出す。
称賛の言葉を顔を近づけたまま無言で求め続ける蘭を見詰め続けているうちに、新一は次第に頭がふわふわと高揚してくるのを感じる。
「・・・蘭の眼鏡姿は・・・反則だ・・・な。」
「反則?」
「視線も逸らせねぇし、言葉にも詰まっちまう。それを狙ってのことか?」
「狙ってなかったとは言い切れないのは事実よ。だけど新一がこんなに動揺するなんて思わなかったな。」
蘭は新一に顔を近づけたまま、春の微風のように耳に心地良い響きでの言葉を紡ぎ出す。新一は益々蘭から目を離せなくなる。
「前にお母さんから聞いたんだけどね。お母さんがコンタクトにしないでいるのは、2つの顔を作るためなんだって。」
「2つの・・・顔?」
「うん。眼鏡をかけた顔と眼鏡を外した顔。その2つを作ることで生まれるギャップは1つの武器なんだって言ってた。」
「武器って・・・、おっちゃんに対してのか?」
「そうじゃないかな。お母さんが眼鏡を外したのを見たことがあるのはお父さんだけだって、お母さんが言ってたし。」
法曹界のクイーンの異名を誇る蘭の母英理。新一もよく知る頭脳明晰な英理の策略の知恵は、娘の蘭に確実に受け継がれているようだ。
顔を合わせる度に意地を張り合って未だ別居が続いている小五郎と英理だが、離婚へとことが進まないのは心の内では相手の存在を気にかけているからだろう。
元々滅多なこと以外では嘘を吐くタイプではない蘭の証言が正しいとすれば、英理は小五郎と2人きりの時には眼鏡を外し、顔を含めた小五郎しか知らない自分を
見せることで、小五郎の心を自分に引き付け、繋ぎとめているのかもしれない。
そうでなければ、女癖が悪い小五郎が英理と10年も続く別居から離婚へ移行しない理由が見当たらない。
「この眼鏡をかけたのを見た男の人は、新一だけ。新一は今、誰も知らない私の新しい一面を間近で見てるのよ。」
「・・・それで、俺に何をしてほしいんだよ。」
「それは、私を見て推理してみて。」
含みを持たせた物言いに志保の影を感じつつも、新一は自分の答えを待つ蘭の顔と瞳から、蘭が求める次の自分の行動を推測する。
暫し穏やかな緊張の時間が流れた後、新一は蘭の顎に右手をやり、親指と人差し指で軽く摘んで少し押し上げる。蘭は表情を変えない。
「・・・眼鏡っ子好きの男の心理が、少し分かったような気がするぜ。」
新一は目を閉じながらゆっくりと蘭に顔と近づける。蘭はそれに呼応して目を閉じるが、蘭の甘い束縛を受ける新一にそれを観察する余裕はない。
日曜の午後の静かなリビングで、2つの唇の距離がゼロになる。何度も交わした筈の愛の儀式が、新一には特別なもののように思える。
ふと、志保がレンズに施したという新開発の光触媒はフェロモンを発するものではないか、という疑問を抱くが、直ぐに新一の頭からかき消される。
新たな魅惑の手段を手にした蘭から、新一は益々逃れられなくなったのは確かのようだ・・・。
このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
 |
第3SSグループへ戻る
-Back to Side-Story Group 3- |
 |
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall- |