カードキャプターさくら Side Story
譬え背丈は違えども
Page 6 爽やかな夏の日と理不尽な実情の認知
written by Moonstone
南の方から徐々に梅雨明け宣言が発表されるようになってきた頃。
利佳が通う友枝小学校は間もなく夏休みを迎えようとしていた。
クラスメート達は約1ヵ月半にも及ぶ長い休みを前にして、夏休みをどう過ごすかで早くも盛り上がっている一方、利佳はどちらかというと沈みがちだった。
勿論、夏休みに予定されている臨海学校の話題には、さくら達と共におしゃべりに興じるものの、それ以外の時は沈んだ表情でぼんやりしていた。
夏休みになればクラブに入っていない利佳は学校に来る必要がない。それは担任の寺田と会えないことを意味する。
この前、偶然商店街で出くわして買い物を共にし、その後寺田の自宅で魚を捌く「実演」を見せてもらって以降、利佳はお使いを頼まれる度に寺田と会っていた。
勿論、偶然ではない。利佳が出かける前に母親の目と耳を盗んで寺田の家に電話をかけ、待ち合わせをしたいと持ちかけていたのだ。
寺田から事実上の交際申し込みを受けて以来、寺田と利佳の仲は順調に進んでいた。
生憎の梅雨空の下、時に寺田が差す傘に入れてもらって雨から守ってもらい、共に買い物をする時間が利佳には嬉しくてならなかった。
そして学校では、利佳がよく出入りする図書室で「密会」をしていた。
最初、利佳は図書室ではなく、もっと目立つ場所−例えば廊下や教室−を希望していたのだが、それには寺田が難色を示した。
利佳は別に後ろめたいことがあるわけでもないのにどうして人目を避けなければならないのか、と寺田に詰め寄ったが、寺田はそうしてくれ、と言うだけだ。
利佳は寺田と確かな絆が結べたことを喜ぶ一方、人目を忍んで会うようなことにもどかしさと何とも言えない気分を感じていた。
その気分が切なさであることを利佳はまだ知らない。
利佳の恋愛に関する知識はそれなりにあるとは言え、年齢が倍以上離れた相手との付き合いに関する知識は皆無と言える。
そのため、特定の生徒と、しかも小学生と特別な絆を持つに至った寺田が、人目を避けて利佳と二人きりになることに対するある種の後ろめたさが
分からないのだ。それが利佳にはもどかしいのだ。
二人きりの時を満喫したい。寺田との付き合いを公認のものにしたい。
そんな思いが叶えられるものでないということを、利佳はまだ理解出来ないでいた。
利佳にとって幸せな、一方でもどかしく切ない「密会」すら出来なくなる時期がやってきた。夏休みの到来である。
一般の生徒にとっては待ってました、という時期の到来なのだが、利佳にとっては寺田と会う機会が約1ヵ月半断絶することを意味する。
寺田と会えない。それだけでも辛いことなのにそれが1ヵ月半も続くなんて耐えられない。
利佳はそんな苦しい胸の内を、しかし寺田には打ち明けられずに居た。
こんなことを言ったら先生を困らせてしまう。自分の思いは所詮我が侭だ。先生に迷惑をかけたくない。
利佳はそう思うことで、寺田に会えなくなる時期の到来を控えていた。
学期末が近付いてきたある日の昼休み。
利佳をはじめ、さくら、知世、千春や奈緒子といった仲良しメンバーが校庭の一角で弁当を食べている。
そんな中、憂鬱な表情で時折重い溜息を吐く利佳を見た知世が声をかけてくる。
「利佳ちゃん。どうかなさったのですか?」
「え?あ、ううん、何でもないわ。」
「そうですか。なら良いんですけど・・・。」
深い観察力と洞察力を持つ知世に尋ねられたことで、利佳は慌てて否定する。
まさか寺田に会えなくなることが憂鬱でならない、などと言うわけにはいかない。
寺田からも自分との関係を他に打ち明けないように、と言われているし−それが利佳にもどかしさと切なさを感じさせているのだが−、寺田との約束を
破りたくはない。
利佳が口数少なく手製の弁当を黙々と食べるうち、今度はさくらが利佳に声をかけてくる。
「利佳ちゃん。顔色が良くないよ。具合悪いの?」
「あ、何でもないから・・・心配しないで。」
「そう?利佳ちゃん、最近あんまり元気ないから・・・。」
さくらの一言で、利佳はドキッとする。
出来るだけ自分の内面を出さないように心がけているつもりだったが、さくらにも分かるほど−さくらが鈍感ということではない−日常の様子に
ものの見事に反映されてしまっていることを利佳は思い知る。
これから学期末までしっかり自分を隠し通さねば、と利佳は決意する。
かと言って、それがすんなり実行できるほど利佳は大人ではない。
利佳は話し掛けられたらそれに応じるものの、それ以外は仲間内の賑やかな会話の中で黙々と弁当を食べていた。
そんな中、奈緒子が隣の千春に尋ねる。
「千春ちゃんは、夏休みに山崎君と何処か行くの?」
「うん。遊園地に行く約束してる。」
「へえー、夏休みの間もきちんと山崎君との付き合いを続けるんだ。」
「付き合いだなんて・・・折角の夏休みだから何処かへ行こうか、っていう話になって、遊園地へ行こうってことになっただけよ。」
そう言う千春だが、その表情は照れくさそうで、それでいて明るい。
自分も千春のように人に公言出来る付き合いをしたい、と利佳は切に思う。
年上の男性との付き合いがこんな秘められたものになるとは、利佳は想像もしていなかったからだ。
「千春ちゃんと山崎君って、何だかんだ言って仲良いよね。」
「ま、まあ・・・幼稚園からの付き合いだから。」
さくらの言葉に、千春ははにかんだ笑みを浮かべる。
その幸せそうな表情に、利佳は理想と現実のギャップの大きさを改めて実感する。
千春の浮かべる表情が輝いていることが、利佳には羨ましくてならない。
「お弁当はどうしているのですか?」
「私と山崎君がそれぞれ作って持ち寄ってくるの。山崎君、おにぎりが得意で色々な具を入れて美味しいおにぎり作ってくれるから。」
「山崎君も作ってくるのですか。千春ちゃんが羨ましいですわ。」
「おにぎりって、簡単なようでなかなか形を整えるのが難しいのよ。山崎君はその点、見た目にも綺麗に作ってくれるから、何時の間にかおにぎりは
山崎君の担当、って感じになっちゃったんだけどね。」
知世と千春の会話を聞くうち、利佳は寺田の料理風景を思い出す。
魚を捌くことはもとより、日本料理に関しては天才的な腕前を持つ寺田。
糠(ぬか)漬けまで自分で作っているところからも、寺田の料理の腕前やこだわりが並々ならぬものだと実感した。
利佳は納豆が嫌いなのでそれだけは食べるのを丁重に辞退したが、寺田の作ったきんぴらごぼうや糠漬けなどは本当に美味いものだった。
それを思い出すと、寺田と一緒に料理をして一緒に食べる理想像が脳裏に浮かんでくる。
一緒に料理を食べる・・・!
突如としてある考えが閃いた利佳は、真剣な表情で千春に尋ねる。
「千春ちゃん。山崎君と一緒にお弁当を食べるのって、楽しい?」
「え?う、うん。お話しながら一緒に食べるのって、弁当に限らず楽しいわよ。」
千春は突然の利佳の問いかけに戸惑いながらも、何とか答える。
利佳は弁当を摘みながら、閃いたある考えを実行に移す段取りを急いで頭の中で構築する。
沈んだ表情で弁当を食べていたと思ったら、突然千春に山崎と一緒に弁当を食べることが楽しいか、と真剣な面持ちで尋ねた利佳の行動が、皆の目に
奇異に映ったことは言うまでもない。
皆が利佳の行動を疑問に思う中、利佳は今までとは一転して軽快に食を進める。
そして自分の考えを今日寺田に打ち明けよう、と固く決意する・・・。
その日の放課後。
利佳は何時ものように図書室の本棚に隠れる形で寺田が来るのを待っていた。
臨時の職員会議などで1時間や2時間待たされることも時々あるが、そんなことを気にしたり不快に思ったりする利佳ではない。
利佳は今か今か、と寺田が来るのを待つ。
利佳が図書室に入って30分程して、図書室のドアが開き、スーツ姿の寺田が入ってきた。
寺田は入り口直ぐ傍に居る司書に会釈した後、何時もの「密会」場所へ歩いて向かう。走ったら他の生徒の迷惑になるし、何より怪しまれる。
何時もの場所で利佳の姿を発見した寺田は、安心した様子で利佳に歩み寄る。
このところ利佳が元気なさそうにしていたので、寺田は気になっていたのだ。
その原因が自分との関係のあり方にあるとは、寺田は気付いていない。
「遅れてすまん。纏めなければならない書類があったから・・・。」
「いいえ。それは先生のお仕事ですから仕方ないですよ。」
利佳がそう言って柔和な笑みを浮かべたことで、寺田は安堵する。
小学生とは思えないほど利佳は気長で、寺田の事情を良く知っている。
なのに寺田が自分との関係を秘められたものにしようとする理由がつかめないのは皮肉な話だが。
「で、折り入って話がある、ってメモにあったが、何だ?」
寺田は利佳に小声で尋ねる。
寺田と利佳は待ち合わせて話したいことがある場合、教壇の裏側にある、チョ−クのストックなどを入れておく場所に黄色のメモ用紙を入れておくのだ。
ちなみにメモ用紙の色を黄色にしようと言い出したのは寺田であるが、その理由がなんなのかは利佳には未だ分からないのだが、利佳は寺田を
問い詰めることなくすんなり受け入れて今に至る。
「先生・・・ちょっと耳を貸してくれませんか?」
利佳が頬を少し紅くして言うのを見て、寺田は右耳の高さを利佳の背丈に合わせる。
間近に迫った寺田の耳に触れてみたいという衝動に駆られつつも、利佳は昼に閃いた「ある考え」を非常に小さな声で話す。
耳に飛び込んでくる利佳の「ある考え」を聞くうちに、寺田はそう言えばそういう機会は今までなかったな、と思う。
利佳の話が終わったところで、寺田は屈んだ姿勢のまま利佳の方を向く。
話を持ちかけた利佳は、不安そうな表情を浮かべ、やや上目遣いで寺田を見る。
「駄目・・・ですか?」
「いや、良い話だな。確かに言われてみれば、そういう機会はなかったな。」
「それじゃあ・・・。」
「ああ。先生はそういうことに最適な場所を知ってるんだ。丁度良い。」
「何時にしますか?」
「こういうのは忘れないうちに実行したほうが良いだろ?今度の日曜日でどうだ?」
「はい。」
今週で1学期は終わる。それからさほど日を開けずに二人きりで出かける機会を持つことになる。
しかし、それは寺田にとっても利佳にとっても嬉しくて楽しみなことではあっても、頭を悩ますことではない。敢えて挙げるなら、当日の服装くらいのものか。
寺田はそのことに思案の手を伸ばし、利佳に提案する。
「当日は動きやすい服装にしてくれないか?」
「分かりました。」
「待ち合わせ場所は何処にしようか?」
「私が先生の家まで行きます。時間は8時頃で良いですか?」
「時間は構わないが・・・別の場所で待ち合わせても良いんだぞ?」
「先生は私が他の男の人に誘われても良いんですか?」
そう言って利佳は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
その大人っぽい表情にどぎまぎしつつ、寺田は苦笑いを浮かべる。
「それは困るな・・・。」
「それじゃ、今度の日曜日の8時に先生の家に行くということで。」
「分かった。・・・でも、本当に良いのか?」
「はい。そうしたいですから・・・。」
利佳は照れくさそうに頬をほんのり赤らめ、少し伏目がちになる。
何処でこんな大人っぽい表情の数々を身につけたのか、と寺田は思う。
何にせよ、寺田と利佳の1ヵ月半に及ぶ断絶の時期は一先ず避けられることになった。
寺田と利佳は早くも当日に思いを馳せる・・・。
約束の日である日曜日。
利佳は朝5時に起きて、キッチンに立っていた。
コンロでは利佳には少々不釣合いな大きなのフライパンと揚げ物用の鍋がかけられ、それぞれ材料が投入されるのを待っている。
利佳は踏み台を彼方此方に動かし、近くのテーブルで、昨晩から下味をつけておいて先程溶いた卵白に通した一口サイズの鶏肉に片栗粉をまぶし、
卵を割ってボールに入れ、よく掻き混ぜてテーブルの上に置く。
利佳は揚げ物用の鍋の温度を温度計で確認した後、片栗粉をまぶした鶏肉を静かに油へ投入する。
そして十分熱したフライパンに溶き卵を入れ、厚みが均一になるように素早くフライパンを傾ける。
そしてある程度熱したところで火を弱め、手前の方から注意深く丸めていく。
続いて利佳は油に投入した鶏肉の様子を窺う。
鶏肉の表面が狐色になって浮き上がって来てくるのを確認して、鶏肉−唐揚げだ−を油を切ってから油切り用の新聞紙に置いていく。
コンロの火を止めてアスパラガスのベーコン巻きやサラダを準備しているところに、利佳の母が入ってくる。
「利佳・・・。あなた、何してるの?」
「あ、おはようお母さん。お弁当作ってるの。」
「お弁当?・・・ああ、そう言えば今日お友達と出かけるって言ってたわね。それでお弁当を作ってるの?」
「うん。」
利佳は寺田と二人で行くとは言わず、友達と出かけると嘘をついている。
利佳の母は利佳の言葉を特に疑うこともなかったが、一人で弁当が作れるのか疑問に思い、同時に不安も感じたため−火傷や火災といったことだ−、
何時もの日曜日より早く起きて様子を見に来たのだ。
だが、母の心配を他所に、利佳は手際良く大きな弁当箱に作った料理を詰めていく。
利佳が弁当料理が得意なのは知ってはいたが、これほど手際良く作れるとは母親も思っていなかったので、感心した様子で見守る。
利佳は箱の一つにおかずや果物などを詰め終えると、今度はおにぎりを作り始める。
サンドイッチではなくおにぎりにしたのは、寺田が日本料理を好む様子だからである。
だが、炊き立てのご飯は熱く、利佳は思うようにおにぎりを作れず悪戦苦闘する。
見かねた利佳の母が手伝おうとして近寄ると、利佳は首を横に振って言う。
「今日のお弁当は私が作ることになってるんだから、お母さんは手出ししないで。」
「でも、危なかっしいから・・・。」
「熱さに慣れたら大丈夫。」
不安げに母が見守る中、利佳はラップに乗せたご飯に梅干や貝のしぐれ、おかかや昆布といった様々な具を乗せ、熱さに耐えながらおにぎりを作っていく。
少しずつ出来上がっていくおにぎりは、悪戦苦闘の経緯を物語るかのように形がいびつで、まともな三角形を形成しているものは一つもない。
利佳の母は形を整えてやろうとするものの、あくまで自分でやると言った利佳の行動を足蹴にするようなことは出来ず、ただ見守るだけだ。
利佳がおにぎりを作り終えた時、利佳の手は真っ赤になっていた。
利佳は蛇口を捻って水を出して手を冷やすと、じんじんと痛む手を動かしておにぎりが入った箱をおかずなどが入った箱の上に乗せて蓋をする。
出来上がった弁当は、利佳一人で食べるには明らかに多すぎる量だ。疑問に思った母が利佳に尋ねる。
「利佳。貴方一人でそんなに食べるつもりなの?」
「ううん。今回は皆がそれぞれ作って持ち寄って食べることにしてるの。だからある程度量がないと、自分が食べる分がなくなっちゃうでしょ?」
「そりゃあまあ、そうだけど・・・。そんな荷物一人で持っていけるの?」
「大丈夫。」
利佳は微笑んで母の不安を打ち消そうとする。
壁の時計を見ると7時少し前。今から出かければ、待ち合わせ時間に十分間に合う。
利佳はまだじんじんと痛む両手で弁当箱を風呂敷に包み、両手で持つ。やはりかなり重く、利佳の身体は大きく斜めに傾く。
見かねた母が利佳の手から弁当箱を取ってテーブルの上に置く。
「お母さん。私一人で大丈夫だから・・・。」
「さっきの貴方の様子じゃ、どう考えたって待ち合わせ場所に運ぶ以前に台所からも出られないわよ。」
「・・・。」
「自転車で出かけるの?」
「うん。」
「それなら自転車まで運んで、籠に入れてあげるわ。それくらいならお弁当作りの邪魔をすることにはならないでしょ?」
「ありがとう、お母さん。」
「お礼は返ってきてからでも良いから、後片付けだけはしておきなさい。お母さん、これから朝御飯作るから。」
「うん。」
利佳は頷いて台所の後片付けに取り掛かる。
その後姿を見ながら、この娘も随分成長したものね、と利佳の母は我が子の成長ぶりを温かい目で見守る・・・。
朝食後、手製の弁当を自転車の籠に入れてもらった利佳は寺田の家に向かう。
出発前に合わせた腕時計をチラッと見ると7時半を過ぎている。自転車で寺田の家に遅れずに到着出来るか、微妙なところだ。
寺田の家までの道程は以前教えてもらっているので知っているが、途中何度もアップダウンがあり、弁当箱の重さもあって、利佳は度々ふらつく。
それでも利佳は何とか態勢を崩さずに持ち堪え、着実に寺田の家に近付いていく。
寺田の家があるアパートが見えてくるのに併せて、長身の男性が手を振っているのが見える。間違いなく寺田だ。
利佳は嬉しさで心がいっぱいになり、残り僅かになった道程を懸命に自転車で進む。
ようやく到着した時、利佳は早くも汗だくになっていた。
「大丈夫か?利佳。」
「だ、大丈夫です。ちょっと急いで汗をかいただけですから・・・。」
利佳は笑みを浮かべて寺田の不安を打ち消そうとする。
汗が太陽の光で煌く利佳の微笑みは、文字どおり輝いて見える。
寺田は胸が高鳴るのを感じながら、利佳の自転車の籠から弁当箱を取り出す。
「重かっただろ?」
「ちょっとだけ・・・。」
利佳は決して弱音を吐かない。それが寺田には健気に映って仕方ない。
「よし、利佳。自転車は自転車置き場に入れておいてくれ。俺は車の準備をするから。」
「はい。」
利佳はアパートの敷地内にある自転車置き場に自転車を押して運んでいく。その間に寺田は弁当を車の後部座席に乗せ、エンジンをかける。
自転車置き場に自転車を運び終えた利佳は、寺田の車の助手席に乗り込み、後部座席に置いてあった弁当箱を膝の上に乗せてシートベルトを着ける。
弁当箱が倒れて中身が崩れないように、と利佳なりに配慮しているのだ、と思った寺田は、行こうか、と利佳に声をかけてから車を通りに出そうとする。
通りを走ってくる車に注意ながら通りに出た寺田の車は、90度向きを変えてゆっくりと加速を始める。
車の運転が軌道に乗ったと思ったところで、利佳は寺田に尋ねる。
「良幸さん。今日は何処へ行くんですか?」
「桑折(こおり)緑地公園っていうところだ。車で1時間くらいかな。」
聞いたことがない場所が出てきたことで、利佳はそこがどんな場所なのか色々と想像する。
友枝町にある公園を大きくしたような場所か。それとも緑地公園というくらいだから広い場所なのだろうか。
爽やかに晴れ上がった空の下、寺田と利佳を乗せた車は滑らかに通りを疾走していく・・・。
駐車場で停車した車から出た利佳は、目の前に広がる広大な緑の風景に目を見張る。
「わあー、広いところですね。」
「そうだろ?此処は春は桜、夏は緑、秋は紅葉、と四季折々の風景が楽しめる場所なんだ。イベントも此処で催されることがあるんだぞ。」
寺田は桑折緑地公園を簡潔に紹介すると、利佳の手から風呂敷に包まれた弁当箱を取る。
「弁当箱は俺が運んでやる。重いものを女性に持たせる主義じゃないんでね。」
「良幸さん・・・。ありがとうございます。」
「良いって。さて、何処に行こうか?」
「あそこなんてどうですか?広々としてて木陰もありますし。」
利佳が指差した方向には、左右に緑溢れる木々を置く、広く平坦な場所が見える。
「そうだな。あそこへ行こうか。ちょっと待っててくれ。」
寺田は車の後部に回り、トランクの鍵を開けて押し開ける。そして中からバドミントンの用具一式を取り出して小脇に抱える。
利佳はそれを見て、寺田が動きやすい服装で、と言った理由が分かり、笑顔を見せる。
「こういう日に運動するのって、きっと気分が良いでしょうね。」
「幸い今日はカラッとしてるし、折角広い場所に来たんだから、運動しない手はないだろう?」
「そうですね。」
寺田と利佳は顔を見合わせて微笑み、利佳が指差した場所へ仲良く二人並んで向かう。
その様子は端から見れば、仲の良い父子にしか見えない。
目的地に到着した寺田と利佳は、弁当箱を木陰に置いて早速バドミントンに興じる。
体育が好きな教科になった利佳は今まで敬遠していた種目にも積極的に取り組み、バドミントンでは相手と白熱したラリーを展開するまでになった。
二人は爽やかな笑顔で羽根を相手目掛けて打ち返し、長時間のラリーを展開してみせる。
寺田は体育教師という職業柄羽根を落とすわけにはいかない、という執念があり、利佳も負けてなるものか、と静かな闘志を燃やす。
両者殆ど羽根を落とすことなくラリーを展開し続け、気が付いた時には正午を過ぎていた。
爽やかな汗をかいた二人は、一旦バドミントンを止めて昼食を食べることにした。
利佳が風呂敷の結び目を外して広げ、弁当箱を開けて見せると、寺田は思わず、おっ、と驚きの声を上げる。
小学生が作ったとは思えないほど立派なおかずが揃っていて、目移りしてしまう。
その一方、おにぎりはどうにか三角形らしき形をしては居るものの、お世辞にも形が整っているとは言い難い。
「おにぎりはご飯が熱くて上手く作れなかったんです・・・。」
「なあに。気にすることはないさ。料理は味で勝負なんだから。」
恥ずかしそうに言う利佳を、寺田は明るい調子で励ます。
寺田は利佳からウェットティッシュを受け取って手を拭いてから、早速いびつな形のおにぎりに手を伸ばし、それに齧(かぶ)り付く。
何度か咀嚼(そしゃく)した後、寺田は笑顔で利佳に言う。
「美味いぞ。それにしても、よくこれだけ作ったな。熱かっただろ?」
「ええ・・・。でも頑張ってみました。」
「その努力は十分実を結んでいるぞ。ありがとう。」
寺田の称賛に、利佳ははにかんだ笑みを浮かべて自分が作ったおにぎりを一つ手に取り、口に運ぶ。
適度な塩味に加えて、中の具が良いアクセントとなっている。それよりも、寺田から称賛されたことが利佳は嬉しくてならない。
寺田は利佳に紹介されながらおかずにも手を出し、それに舌鼓を打つ。
利佳は寺田が美味そうに食べてくれることで、朝早く起きて懸命に作った努力が報われたと感じ、充実感に満たされる。
暫くわいわい言いながら弁当を食べたところで、利佳は食べる手を休める。
どうしたのか、と疑問に思った寺田が声をかけようとしたとき、利佳が真剣な表情で尋ねる。
「良幸さん。どうして・・・私達の関係を隠そうとするんですか?」
突然の予想もしない問いに、寺田が言葉を失って利佳を見詰める。利佳も寺田を見詰める。
「千春ちゃんみたいに、皆に楽しく話せるような関係で居たいんです。でも良幸さんは図書室でしか私と一対一で接してくれない・・・。
この前、お昼休みに千春ちゃんが山崎君とのことを楽しそうに、幸せそうに話していたのを見て、今の私達の関係がそんなに恥ずかしいものなのか、って
疑問に思ったんです。私と良幸さんの間には何も疚(やま)しいことはない筈です。なのにどうして良幸さんは・・・私達の関係を隠そうとするんですか?」
「・・・本来は許されない関係だからだ。」
寺田の回答に、利佳は少なからずショックを受ける。
年齢は倍以上離れているとは言え、きちんと交際の申し込みを受け渡しした、何の疚しさもない関係だと思っていたので、許されない関係、という
寺田の答えにショックを受けるのは当然だろう。
呆然と自分を見詰める利佳に、寺田は静かに言う。
「俺は友枝小学校4年1組の担任として、全員に分け隔てなく接しなければならない立場だ。なのに一人の生徒と恋愛関係という特別な関係を持つことは
その生徒だけに思い入れを強くして、教師としての役割を捨ててしまいかねない。それは教師として、社会人として許されないことだ。」
「良幸さん・・・。」
「だが、俺は利佳に対して特別な感情を抱くようになった。利佳はその感情を受け入れてくれた。それは嬉しい。だが、さっきも言ったように、
一人の生徒に特別な感情を持ったこと自体が許されないことなんだ。なのに俺はその禁を破って利佳と特別な関係を持つようになった・・・。
それが他人に知られるようなことになったら、俺の教師生命は終わりだ。」
「!良幸さん!」
「利佳には理不尽なことだと思えるだろう。だが、世間というものはそういうものなんだ。歳の離れた、ましてや教師と生徒、それも小学生との恋愛は
色眼鏡で見られる。俺は勿論、利佳もな・・・。だから・・・隠さざるを得ないんだ。俺だって・・・利佳との関係を他の先生達に話したいという気持ちはある。
だが、幾ら当人同士が真剣でも、教師と生徒、ましてや小学生との恋愛はまともに評価してもらえない。・・・そういう理由だ。」
利佳の心に悲しみの暗雲が広がっていく。
寺田は自分を真剣に想ってくれるし、自分も寺田を真剣に想っている。なのに教師と生徒、加えて自分が小学生だからという理由だけで色眼鏡で見られる。
寺田が言う世間とはそんなに理不尽なものなのか、と思うと、利佳は悲しくてならない。
利佳の目元に寺田が手を伸ばし、そっと拭う。利佳は気付かないうちに泣いていたのだ。
寺田は寂しげな笑みを浮かべて言う。
「泣かないでくれ・・・。好きな相手の涙は嬉し泣きの時だけで十分だ・・・。」
「良幸さん・・・。」
「今は我慢してくれ・・・。辛いとは思うが、そうすることでしか、俺達の関係を続けることは出来ないんだ・・・。」
寺田の言葉に、利佳は涙を流しながら小さく頷く。
真剣な想いを、それぞれの立場だけでまともに見ようとしない世間の実情。
利佳はもどかしさが消えた代わりに、耐え忍ぶということを要求されることになった・・・。
to be continued...
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