カードキャプターさくら Side Story

譬え背丈は違えども

Page 1 始まりの季節に二人は出逢う

written by Moonstone

 今年は桃色の花弁が吹雪く時期が少しばかり急ぎ足で訪れた。
3月の終わりから暦を間違えたと錯覚するような心地良い陽気の日々が続き、艶やかな卯月のブーケも季節の歩調に合わせて形を整えた。
しかし、早く咲いたからといって花吹雪までの時期が長引くわけではない。
桜の花は誰が急かすわけでもないのに、ある期間だけその存在を知らしめると咲くときの数倍の速さで散開する。
兎角忙しないといわれる現代社会を先取りしているのかもしれない。
 何枚目かは誰も知る由もない花弁が桃色の緩やかな塊から零れ落ちて、微風に乗って空に舞い上がる。
その様子を眺めながら、少しウェーブのかかった肩口で切り揃えられた髪とセーラー服に似た制服をいう出で立ちの少女が一人歩いている。
彼女の名前は佐々木利佳。この春、ここ友枝町にある友枝小学校の4年生になった。
その少し憂いを帯びた表情は、年齢や背格好よりかなり大人びた雰囲気を醸し出している。
本来なら心機一転、新しい季節に向けて明るい表情であってもおかしくないが、利佳がやや不安げな表情なのにはそれなりの理由がある。

 利佳の通う友枝小学校は、他に先駆けて教科別担任制度を導入している。
担任が一人何役もこなすのではなく、中学校以上と同じように教師がそれぞれの専門を持っていて、その教科を専任で授業するのである。
担任の専門が授業数の多い国語や算数といった教科だと顔を合わせる機会が多いが、体育や音楽といった教科になるとどうしても少なくなる。
それは仕方の無いことだが、それより今度の担任が誰になるのかと言う根本的な問題が一番気に掛かる。
 3年生のときの担任だった、国語担任でもあった碧麻紀子の授業は分かり易くて良かったし、その穏やかな性格は好きだった。
クラス替えは2年間ないし、教科担任は大半が持ち上がりだがクラス担任まで同じとは限らない。
碧先生やそれと同じくらい良い先生が担任になるかもしれないし、その逆も−今のところ、そういう教師の話は聞いたことはないが−ありうる。
今度の担任の先生はどんな人だろう・・・。
利佳は花吹雪を眺めながら、幾度となく自分では答えの出しようがない問いかけを繰り返していた。
利佳の期待と不安が入り混じった複雑な気持ちは、学校に近付くに連れて胸の奥で膨れ上がってくる。

「おはよう、利佳ちゃん。」

 利佳は後ろから軽く肩を叩かれる。振り向くと千春とそのお相手である山崎が立っていた。
二人とは3年生で初めて同じクラスになって、千春と仲良くなった縁で山崎とも知り合った。

「おはよう、千春ちゃん、山崎君。」
「今日から4年生だね。担任の先生、誰になるかなぁ?」
「3年のときの先生がそのまま持ち上がりだったら良いかな、って思って・・・。」
「そうだね。国語の碧先生、凄く良い先生だったからもんね。」
「ええ。」
「新学期といえばね、昔の学校制度では師範の座を争って、クラスで一番優秀な生徒と教師が一戦交えたんだよ。」

 山崎が唐突に驚くべきことを話し始める。
無論、こういうときに山崎が話すことは真っ赤な嘘なのであるが、さも本当のように言うのでうっかりしているとそうなのか、と納得してしまう。
そういう巧みとも言える話術に、利佳は初めてでもないが思わず本当か、と思ってしまう。

「え?そうなの?」
「利佳ちゃん、嘘よ嘘。」
「女学生の場合はハンデがあるから、その相手が男性教師だと片足で戦ったり、目隠しをしたりしたそうだよ。」
「はいはいはい。その話はまた後でゆっくり聞くから。」

 千春はもう慣れたものだ、という表情で溜息を吐くと、山崎の手を引き摺って学校へ連行していく。
妙に爽やかな笑顔で怪しい講釈を続ける山崎は、千春にされるがままに後ろ向きに引き摺られていく。
そんな漫才にも似た二人のやり取りを見て、利佳は思わず微笑む。
その微笑が二人の後に続いて歩いていくうちに、次第に少し寂しげなものに変わっていく。
 二人が幼稚園からの付き合いだと以前に千春の口から聞かされたとき、利佳は驚いた。
男女が付き合うということの意味は漫画やドラマで一応分かっていたつもりだったが、自分と千春が友達として付き合うこととどういう違いがあるのか、
本当のところよく分からなかったし、実際にそういう関係を目にしたのも初めてだった。
 最初は友達と変わりないんじゃないか、と思っていた。
だが、じゃれあうような中で時折見せる二人の互いを見詰める目は、自分を見る目と違うことに気付いた。
昼食の席などでたまに山崎のことを話すときに見せる千春の顔も、その呆れたような口調とは裏腹に何処となく楽しげに見えた。
その千春に度々首を締められたり嘘の講釈を途中で止められたりしている山崎も、千春を見るその細い目からは何処か違うものを感じる。
これが友達としての「付き合う」ということとの違いなのだろうか、と利佳は感じた。

 そんな様子を見ているうちに、何時の頃からだろう、羨望の気持ちが芽生えていたのに利佳は気付いた。
自分もあんな風に楽しくお喋りできたら・・・。相手のことを楽しげに話せたら・・・。
だが、利佳は未だ自分の隣に居るべき相手が思い当たらないでいる。
別に初恋が苦い思い出だったとかいうことでもない。ただ、そういう感情をまだ感じたことがないだけだ。普段接する男の子に対して。
 まだ本格的に男の子を「異性」として見る年頃ではないせいもあるかもしれない。
だが、千春の様子を見ていると心が少しざわめき立つのを感じる。
羨望から生じた焦りとでもいうのだろうか?なまじ知識が先行しているが故に起こる心のずれかもしれない。
それより今の利佳の頭の中は、新しい担任が誰になるかという巨大な雲に覆われているのが現状だ・・・。

 利佳は千春、山崎の二人に続いて、4年1組の教室に入る。この教室で1年間、3年のときと同じクラスメート達と共に時を過ごすことになる。
まだホームルームには時間があるせいか、教室に居るクラスメート達はまばらだ。

「おはようございます。」

 挨拶をしてきたのは、やはり3年からクラスメートになった大道寺知世である。
親が大きな会社の社長という裕福な家庭ということだが、口調がお嬢様っぽい独特のものであること以外は非常に実直で、利佳も直ぐに親しくなった。

「おはよう、知世ちゃん。」
「大道寺さん、おはよう。」
「今日からまた1年間、クラスメートとしてよろしくお願いしますね。」
「知世ちゃん。そんなに改まらなくても良いのに・・・。」
「やはり節目節目のご挨拶は大切ですわ。」
「大道寺さんらしいね。そうそう、挨拶といえば・・・」
「はいはいはい。分かったから席を探しましょうね。」

 またしても怪しい講釈を始めようとした山崎を、千春が制服の襟を掴んで引き摺っていく。
そんなもはや見慣れたとも言って良い光景を見て、利佳と知世は顔を見合わせて微笑む。

「相変わらずお二人は仲がよろしいですわね。」
「そうよね。」
「ところで・・・何か考え事でもなさってるんですか?」
「え?どうして?」
「利佳ちゃんのお顔に、そう書いてありますわ。」

 さらりと言ってのける知世。だが、利佳はそこに何の嫌味も感じない。
知世が持つ鋭い観察力と相手を思いやる気持ちのなせる技だろう。

「・・・担任の先生が替わるかもしれないでしょ?それがちょっと不安で・・・。どんな先生だろうって。」
「利佳ちゃんがそう思うのも無理はないですわ。3年生のとき担任だった碧先生は、とても素敵な先生でしたものね。」
「ええ・・・。」
「でも、3年生になったとき、私達も初対面でしたでしょ?」
「・・・。」
「初めてを必要以上に恐れてはいけませんわ。初めてには今まで知らなかった新しい何かが秘められていることもありますし。」

 微笑みながら言う知世を見ていると、利佳の頭の中にあった雲が少し晴れた気がする。
その気持ちの変化が、微笑となって利佳の表情に現れる。

「・・・ありがと、知世ちゃん。」
「いえ、良いんですのよ。」

 知世は微笑を返す。それがやはり自然に感じさせるところが知世の魅力だ。
新しい教室に馴染んだ顔ぶれが続々と揃い始める。ホームルームの時間、即ち新しい担任との出会いが刻一刻と近付いてくる。
壁の時計であと5分を切ったところで、勢いの良い足音が急速に近付いてくる。

「おはよーっ!」
「さくらちゃん。おはようございます。」
「おはよう、さくらちゃん。」

 制服の他に手袋、肘と膝にプロテクターという様相で駆け込んできたのは、木之本桜である。
彼女、さくら−彼女を指すときは敢えて漢字を使わない−が遅刻寸前で教室に駆け込んでくるのは、さほど珍しいことではない。
低血圧というわけではないが、どうも朝が特別苦手なようだ。
 さくらとも知世と同じく3年生からクラスメートになったのだが、天真爛漫で前向きな性格でやはりすぐに親しくなった。
確かに知世が言ったとおり、初めがなければ今がないのだと利佳は改めて思う。

「み、みんな、おはよう・・・。はう〜。教室間違えちゃった・・・。」
「やはり1年間馴染んだ教室ですものね。仕方ないことですわ。」
「ま、まだ先生来てない?」
「ええ。まだ大丈夫ですわ。」
「良かった〜。新学年早々遅刻なんて、みっともないもんね〜。」

 遅刻でなくて緊張の糸が切れたのか、さくらはぺたんとその場に座り込む。
兎も角これで馴染みの顔は全て出揃ったようだ。後は唯一新しくなる可能性のある担任を待つばかり・・・。

 それより時は少し前に遡る。
職員室には何時もと少し違う雰囲気が漂っていた。
書類を整理してファイルに纏めたり、持ち物をチェックしたりという様子は何時もの朝の風景そのものだ。
しかし、教師によっては服装が普段とは違う、着慣れていないようなものだったり、表情が硬かったりする。
新年度を向かえるにあたって初対面を緊張感を感じるのは、生徒だけではないということだ。
とりわけ、初めてクラス担任を経験することになる教師の中には、明らかに緊張している様子が伺える者も居る。
 学期の始めと終わりくらいしか着たことがなかったスーツにネクタイという出で立ちの体育担当、寺田良幸もその一人である。
体育教師らしい刈上げ気味に切り揃えられた髪をやや後ろに流し、くっきりした眉を寄せた寺田は振り仮名の振られた名簿に何度も目を通している。
まだ20代とはいえ、新米というには短くないキャリアを持つ寺田がこれほど緊張しているのにはそれなりの理由がある。

 寺田は教師としてこの友枝小学校に採用されて以来、初めてのクラス担任を任命されたのである。
教科別担任制度を導入している友枝小学校では、教師全員が中学以上の教員免許を取得している。勿論、寺田も例外ではない。
中学校教師を目指すつもりで教員免許を取得したが、何の因果か腰が落ち着いた先は小学校だった。
近年の少子化の影響で公立中学は元より学校全体が新規採用を控える傾向があるから、教員免許を取ったその年に
教師の職に就けただけでも幸運と言えば幸運だし、それは寺田自身よく分かっている。
そんなことより寺田にとって、今度5年担当になる教師陣の中で持ち上がらず、初めて新4年生、それも担任が教科だけではないのが問題なのだ。
 初めてのホームルームを間近に控えて、寺田は正しく名前を呼べるように名簿を順番に見て暗唱を繰り返している。
着慣れない服装に初めてのクラス担任という大役を任じられた寺田は、最初の出席を取るときに間違えたりしないようにと年には念を入れているのだ。
間違えたら大恥をかくのは必至だし、何より名前を間違われた生徒が一番ショックを受けるだろう。
そういう責任感が寺田の緊張感を増幅する。着慣れないスーツがより実を固くするような感じさえする。

「かなり緊張なさってるようですね、寺田先生。」

 話し掛けてきたのは碧麻紀子。利佳をはじめとする旧3年1組のクラス担任であり、新4年生の教諭主任でもある。
教諭主任とはその学年を担当する教諭の代表格として、経験豊富で生徒の保護者からの人望もあるベテランが任じられる。
寺田が碧と同じ学年を担当するのは今年が初めてだが、その高い評判は既に聞き及んでいる。

「は、はあ・・・。何分初めてのクラス担任ですもので・・・。」
「無理も無いですね。私も初めてクラス担任に任命されたときは随分緊張したものですよ。」
「碧先生でもですか?」
「勿論ですとも。寺田先生は3月まで新5年生を受け持っておられたそうですけど、その生徒さん達とも初めてはあったわけですよね?」
「はい。」
「誰でも、どんなことでも初めてはつきものですよ。ですからそんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。」
「・・・はあ。」

 寺田は照れくさそうに頭を掻く。
そのがっしりした体格に似合わない初々しさに、碧は柔らかい微笑を浮かべる。

「クラス担任と教科担任の違いは色々ありますけど、やはり毎日朝と帰りの二度、必ず顔を合わせるということ、これが第一ですね。」
「そうですよね。それでどう接したら良いものか、と思いまして・・・。とりあえず最初の出席確認で名前を間違わないようにと。」
「それは大切なことですよ。私も今度担任するクラスの名簿を何度も確認しましたもの。」
「そうなんですか・・・。」
「初めてで緊張するのは誰でも同じですよ。」

 寺田は少しだが緊張感が和らいだように感じる。
こういうときに経験豊富なベテランの存在とそれに基づく的を得たアドバイスは心強い。

「それに・・・確か寺田先生が担当されるのは4年1組ですよね?」
「え?あ、はい。」
「私は去年あの子達の担任だったんですが、良い子達ばかりですよ。」

 初めて聞いた意外な事実に、寺田は驚く。
担任する生徒達はまったく未知の存在ではなく、信頼の置ける教師である碧の折り紙つきというわけだ。
 ふと碧が腕時計を見ると、時間はホームルームまであと5分ほどに迫っている。
周囲の教師も続々と席を立ち始めている。教師が時間に遅れては生徒に示しがつかないという意識があるのだろう。

「あら、もうこんな時間。寺田先生もそろそろ行かれた方が・・・。」
「そうですね。それでは・・・。」

 寺田と碧は互いに微笑んで会釈をして、名簿を抱えて各々の担当するクラスへと向かう。
寺田の向かう先は、4年1組。利佳をはじめとする旧3年1組である・・・。

 教室の壁に掛けられた時計の針は、ホームルームの時間に着々と近付いていく。
だが、生徒達はそれぞれ友人と談笑したりしていて、自分の席に就いている者は殆ど居ない。
その中には今度の担任が誰になるか、という不安の色は見えない。
知世やさくらと談笑している利佳も知世のアドバイスのお陰か、今では不安より期待の方が比重が大きくなっている。
あとはホワイトボード寄りの閉じられた扉を開けて入ってくるのは誰かを待つばかりである。
 ガラッと扉が開いて長身のスーツ姿の男性が現れる。
先生、それも男の先生だと直感した生徒達はわたわたと席に就き始める。
小学校では男の先生は少ない方で、特に寺田のようにがっしりとした長身の体格だとどうしても畏怖の対象になってしまう。
寺田はそんな生徒達の様子を見ながら、緊張を隠せない様子で教壇に立つ。
全員が着席したのを確認して、寺田は軽く深呼吸をしてからホワイトボードのマーカーを握って中央部に大きめの文字で自分の氏名を書く。
そして再度軽く深呼吸をしてから、クラス担任としての第一声を発する。

「・・・皆、おはよう。」
「「「おはようございまーす!」」」
「元気が良いなぁ。えー、今日から1年間このクラスを担任する、寺田良幸だ。皆、よろしくな。」
「「「はーい!」」」

 学年が一つ下がったとはいえ、生徒の雰囲気がいきなり大きく変わるわけでもない。
そんな当たり前といえば当たり前の活気のある声を聞いて、寺田の緊張感が少し和らぐ。

「それじゃあ最初に名簿順に出席を取っていくから、呼ばれたら手を挙げて返事してくれ。」
「「「はーい。」」」

 寺田は持ってきたクラス名簿を開いてペンを取り、出席を取りながら顔と名前を確かめ始める。
先に何度も目を通し、暗唱したので間違いはない筈だが、念には念を入れて意識的にゆっくりと一人一人の名前を呼んでいく。
呼ばれた生徒は返事をして手を挙げていく。

「次は・・・木之本桜。」
「は、はいっ!」

 さくらが手を挙げて返事をすると、寺田は小さく頷いてペンで出席のチェックをつけていく。
出席確認はどんどん進み、やがて「さ」行に入る。利佳は苗字が「佐々木」なので、ここに含まれる。
利佳は幾分緊張が増してきた面持ちで自分が呼ばれる番を待つ。

「次は・・・佐々木利佳。」
「はい。」

 出来るだけ気持ちを落ち着かせた上で手を挙げて返事をする利佳。手を挙げた利佳の顔を見て小さく頷いて出席のチェックを入れる寺田。
これが二人の出逢いの瞬間。劇的も衝撃もない、一生徒と一教師としての偶然だけがある出逢い。
 出席確認が続く中、利佳は徐々に緊張が解れていく中、新しい担任である正面に立つ寺田を改めて見る。
今まで見た中で一番大きな存在であった父親を上回るような長身。スーツで固めたがっしりとした体格。短く切り揃えた髪に太い眉。
周囲の「男の子」とは明らかに違う何かを感じる。その姿態や服装は勿論、それらが相俟って醸し出す雰囲気は、明らかに「男の子」のものではない。
スーツを着ているのは会社勤めの父親と同じだが、そこから感じるものは父親とも明らかに違う。
それが何か分からぬまま、利佳は出席を取り続ける寺田を見詰める。

 寺田は生徒の氏名を読み上げて手が上がるのを確認してから名簿にチェックをしていくうちに、一つの視線がこちらに向いているのに気付く。
自分から見てほぼ正面、やや前寄りの席に座っている、肩口で切り揃えた軽いウェーブがかかった髪の女子生徒、利佳からの視線。
何度も名簿と席を見比べているうちに、寺田は利佳の視線が明らかに自分に向いていることが分かる。
そう思うと、何故か心拍数が妙に上昇して来るのを感じる。
 他にも自分の方を向いている生徒の視線はあるが、利佳の視線は他のものと何処か違うように感じる。
気のせいだ、と思おうとすると余計に利佳の視線が気になってくる。
この胸の高鳴りは緊張か・・・?そうかもしれないが、ホームルームを前にしたときのものとは明らかに違う種類のものだ。
先頭の生徒の名前を口にした瞬間、続いていた緊張はずっと軽くなったことくらいは分かる。
逆にそれが分かるからこそ、利佳の視線で胸が高鳴る理由が分からないのかもしれない。

 全ての出席を取り終えて、寺田は名簿を閉じて教壇に置く。
初のクラス担任としての緊張が一段落したところで寺田が腕時計を見ると、始業式が始まるまでまだもう少し時間がある。
話すことといっても生徒を笑わせるような話のネタなどないので、当り障りの無いところで質問形式の自己紹介でもしようと寺田は思う。

「さて・・・。始業式の時間まで少し時間があるから、先生のことについて何が質問があったら手を挙げてくれ。」
「はい。」
「えっと・・・大道寺。」

 まだ顔と名前が完全に一致しない寺田は、名簿の記載順と照らし合わせて名前を呼ぶ。
指名された知世が立ち上がる。間違いが無かったことで寺田は内心ほっとする。

「先生が担当される科目は何でしょうか?」
「ああ、言い忘れてたな。先生の担当は体育だ。だから朝と帰りのホームルーム以外では週3回、皆と顔を合わせることになるな。」
「分かりました。ありがとうございます。」

 知世はぺこりと頭を下げて着席する。随分律儀というか、御伽話か何かに出てくるお嬢様のようなな立ち居振舞いだな、と寺田は思う。
実際に知世は大道寺コーポレーションの社長の娘なのだが、それを表面に出さないために昨年のクラス担任の碧も、家庭訪問で初めて知ったくらいだ。
 一方、利佳は体育と聞いて一瞬体が強張る。
実のところ、利佳は体育が苦手な方だ。3年のときの担当だった木村ゆき絵が嫌いだったわけではなくて、自分の運動神経に自信がないのだ。
その点では走っても泳いでも抜群の運動神経を持つさくらが羨ましく思う。
 利佳は目の前の寺田がさらに大きくなったように見える。
その巨体から発する声も大きいのだろう。その声で失敗したのを叱られたら・・・。
そう思うと利佳は体育の時間が来るのが少し怖くなって、俯き加減になってしまう。
 寺田は今まで自分に向いていた利佳の視線が逸れたことが少し気になる。やはりこの風貌が威圧感を醸し出しているのだろうか?と寺田は思う。
しかし、クラス担任はスーツ着用というのが内規で定められているし、こればかりは止むを得ないだろう。

それにしても、どうして俺はあの生徒のことが気になるんだろう・・・?

寺田は利佳のことがやたらと気になる自分を訝る。
手が挙がるかどうか見回しているうちに、さっきの大道寺という生徒の質問を境に利佳の様子が変わったことで、
寺田はもしかしたら利佳は体育が苦手なのかもしれないと推測する。
なるほど、体育に限らず生徒によって教科の得意不得意はあるし、ましてや小学校には元々少ない若い男性教師ということで
今の服装や自分の体格も相まって畏怖の念が生じても仕方がないだろう。
それはこの初めてのホームルームの際に自分が入室したときの生徒の反応を思い返せば何となく察しがつく。

「えっと、先生から一つ皆に言っておきたいことがあるんだが・・・。」
「?」
「先生はちょっと怖そうに見えるかもしれないが、滅多なことでは怒ったりしないようにしているから安心してくれ。」

 利佳は寺田の言葉を聞いて少し意外そうな顔を上げる。
てっきり自分の想像どおりの体育の授業になるのかと思っていたが、どうもそうではないようだ。
事前にこういう断りをする辺り、今度の担任の先生は自分の風貌が生徒に圧迫感を与えないか気をかけているのかと利佳は思う。
クラス全体からも底辺に漂っていた寺田への畏怖の念が薄れていく。
初めて目にする若い男性教師ということで何処か近寄り難い雰囲気を感じていたのだが、それは杞憂のようだと感じ始めていたのだ。

 利佳は次第に和んでいくクラスの雰囲気の中で、寺田から感じる雰囲気の中にまたもう一つ別のものを見出したような気がする。
それもやはり周囲に居る「男の子」にはない。父親が持つ雰囲気に似ていなくもないがやはり違う。
そんな今まで感じたことのない気持ちを抱いた利佳は、意外さが出ていた表情を緩めて寺田を見詰める。
 一方の寺田は、クラスの雰囲気が和らいだことに内心安堵する。
やはり自分の服装や容姿、そして見慣れない若い男性教師という3つが父親に近い、或いはそれ以上の畏怖を抱かせていたのだと実感する。
そして気になっていた利佳の表情も柔らかくなっていることに気付いて胸を撫で下ろすと同時にそんな自分を不思議に思う。
さっきの発言は、まるで利佳を意識してのものであるかのようにすら感じる。
もしかしたら、という疑問がふと湧き上がるが、寺田は気のせいだと一気に打ち消す。
その感情はこの環境ではあまり歓迎されないものであるし、まして相手は・・・。

 寺田が内面で激しい葛藤を始めた頃、チャイムが鳴り響く。1時間目の予鈴である。
今日は新学期最初の日であるから、1時間目は始業式だ。

「よーし、始業式だから全員体育館へ行こうか。」
「「「はーい!」」」

 元気の良い返事と共に生徒達は次々と席を立つ。寺田は名簿を持って出入り口へ向かう生徒の列に混じる。
その聳えるような寺田の後姿を、列に混じった利佳は後ろから見詰める。
寺田の広い背中を見ていると、利佳は何かが胸の奥でざわめき始めたのを感じる。
そのざわめきは、山崎と一緒にいたり山崎のことを話す時の千春を見る時のものとは違う。
焦りでもなければ苛立ちでも勿論ない、初めて感じるそのざわめきに利佳の心は揺れ動く・・・。

to be continued...


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