謎町紀行 第67章

狂瀾の後

written by Moonstone

 2日後の夜、僕とシャルはすべてのヒヒイロカネ回収を終えて、拠点としているオクセンダ町の温泉旅館に帰還した。回収するヒヒイロカネの量がこれまでになく多かったこと、神殿に居た信者だけじゃなく、入りきれずに町に居た信者もヒヒイロカネの検査と回収の対象だったからだ。
 流石のシャルも、万単位の人にヒヒイロカネが埋め込まれているか検査して、埋め込まれていたら摘出して回収するのは、一度じゃ出来ない。それに加えて、地下にあったヒヒイロカネ施設の完全破壊と莫大な量のヒヒイロカネ回収もあった。僕とシャルは旅館に連絡した上で現地で車中泊して検査・摘出、そして回収にあたった。
 信者には、2/3以上にヒヒイロカネが埋め込まれていた。埋め込まれていなかった信者は、入会して日が浅いか献金額が少なかった。神祖降臨祭で本部に入って教祖の祝福という名のヒヒイロカネ埋め込みが可能になるのは、入会1年以上で献金額が100万を超えるかを満たす必要がある。骨の髄まで金次第だ。
 教祖と同じく若い女性信者を強制性交していた幹部は、やはりと言うか、性器にもヒヒイロカネを埋め込んでいた。教祖も同じ。シャルはオクシラブ町の時と同じく、麻酔なしで埋め込まれていたヒヒイロカネを抉りだした。「触れたくないし忌々しいけど必要だから」と言ったシャルが殺気に満ちていたのは言うまでもない。
 ヒヒイロカネの回収がすべて完了し、SMSAが撤収した後、シャルが警察に通報した。警察が目にしたのは、崩壊寸前の巨大な神殿、性器を抉られて泡を吹いて倒れた幹部、棒立ちの警備員や職員、監禁されていた若い女性や子ども。そして神殿が見える住宅地で棒立ちの信者達だった。

 同時期に、SNSには衝撃的な情報が続々とアップされた。元神祖黎明会信者というアカウントから、神祖黎明会が若い女性信者を臓器移植に使う子どもを産むための道具としていたこと、クローン製造に手を出し、それを臓器密売に利用していたこと、それにはH県選出の国会議員が関連の医療機関と金で繋がっていたことなどなど。
 またしても政権党の議員の不祥事、しかも今度は女性の尊厳や子どもの人権、更には生命倫理や臓器移植を蹂躙する酷い事実の数々に、元財務相の核兵器発射施設建設などで批判が収まらない政権党への批判が、更にヒートアップすることになった。
 加えて、別のアカウントから国会議員が半グレ集団と癒着して、強引な土地買収などで不当な利益を上げていたこと、臓器密売や土地買収で言うことを聞かない個人や企業、そしてメディアに圧力をかけていたことなども暴露され、警察は国会議員に任意同行を求め、事情聴取に入った。
 悪事が明らかなのに警察が逮捕しないことで、警察に対しても「政権党には忖度するのか」「H県県警もA県県警と同じ政権子飼いの駄犬」など激しい批判が沸き起こった。激しい批判にH県県警本部長が慌てて異例の記者会見を行い、容疑が固まり次第逮捕送検する方針であることなどを釈明したが、扱いが違うのは否めない。
 結局H県県警まで巻き込んだ批判の嵐が巻き起こる中、政権党は国会議員の除名を発表した。元財務相の国際条約違反などで手がいっぱいの中、下っ端国会議員を庇う余力はないと判断したんだろう。除名は政党では最も重い処分。政権党のこれまでの経緯を考えるとほとぼりが冷めたら復党もあり得るけど、当分無理だろう。

「H県県警は、国会議員の関連企業や医療機関への家宅捜索に入りました。資料や情報がそのまま残っていますから、逃げ場はありません。」
「先にシャルがSNSに放流した情報の裏付けだね。」
「はい。神祖黎明会の幹部は全員病院に収容されましたが、回復次第逮捕されるでしょう。関連企業を使った脱税のみならず、準強制性交、医師法違反、薬事法違反、麻薬取締法違反などなど、違反の大セール状態です。教祖が行方をくらました以上、幹部への避難集中は避けられません。」

 教祖は改めて手配犯の1人だと確認され、SMSAによってシャルが創られた世界へ連行された。だから、この世界には既にいない。意識があった幹部や信者の目撃証言として、悪魔に磔にされて悪事を暴露した後、悪魔に連れ去られたということになっている。信者も犯人隠避と麻薬取締法違反の容疑で事情聴取され、精神鑑定にかけられるようだ。
 柱を失った神祖黎明会は、一気に崩壊している。幹部は全員病院に収容、警備員や職員は全員逮捕。信者も順次事情聴取。特に子どもがいる信者は、子どもをきちんと学校に通学させていなかったことも発覚して、児童虐待防止法違反の容疑も加わっている。
 イズミ町は神祖黎明会に対して、立ち退きと原状復帰、そして損害賠償を求めて民事訴訟を起こし、所属の町議会議員にはリコール請求を始めた。神祖黎明会は統率を失ってバラバラの状態だし、信者の中からは教祖の悪事に絶望して離反する者も現れた。リコール成立は確実な情勢だ。
 神祖黎明会の教祖としてイズミ町と住民、そして信者を蹂躙した手配犯は、これから厳しい取り調べを受ける。同時に、桜蘭上人との関連性も明らかになるだろう。タカオ市の事件で拘束・連行された手配犯も改めて取り調べを受けて、逃亡経路やヒヒイロカネの隠し場所について厳しい追及を受けるだろう。

「教祖のクローンはどうするの?」
「文化財保護法違反と強盗の容疑でH県県警に告発済みです。既に最寄の警察が学芸員の自宅に向かっています。SMSAも周辺に待機しているので、逃げ場はありません。」
「こっちはシャルの創られた世界に連行しないってこと?」
「はい。更に調査を継続していましたが、国会議員経由で神祖黎明会から金銭を得ていたのは間違いない一方、クローンの元である手配犯とは全く独立した人格で、手配犯とは全くかかわりなく生きていることが分かりました。ですので、この世界で罪を償ってもらいます。」
「手配犯がヒヒイロカネを探すための別動隊として送り出したけど、人格までは手配犯と同一にはならなかったんだね。」
「はい。私が創られた世界でクローンの製造が厳しく制限されているのは、人格までコピーできないことが1つの理由です。人格が独立することは姿形は同じでも別人であり、別人をある意味解体して臓器や部位を利用するのは医療目的の殺人という見解が出されています。」

 この世界よりはるかに文明が進んでいるのは間違いない、シャルが創られた世界。そこでも、否、そこだからこそクローンの製造は厳しい制限が課せられている。シャルが言うとおり、クローンは姿形こそ「元」に瓜二つでも人格までは完全にコピーできない。人格は生育環境と対人関係で大きく変わる。
 O県の博物館の学芸員は、自分の出生の経緯を知らないだろう。ヒヒイロカネの捜索と回収のためにこの世界で作られ、送り出された彼は、この世界に生きるものとしてこの世界の法で裁かれる。強盗が容疑に含まれているから、諸藩でも実刑は免れないだろう。
 贖罪を終えて改めて世界に出る時、彼を待ち受ける目と環境は厳しいだろう。だけど、彼にはそれがヒヒイロカネの呪縛から解かれる契機になるだろう。この世界の人間は、ヒヒイロカネに関わっちゃいけない。探すことも持つことも使うことも、この世界の人間には荷が重すぎる。

「クローンをこの世界に残すことは、マスターは了解してる?」
「そこに思考が及びますか…。流石ですね。マスターには既に事情を通知・説明して了解を得ています。マスターの判断も、クローン自体のこの世界への脅威度は低く、この世界で裁きを受け、罪を償うのが良いというものです。」
「大丈夫かな?クローンはヒヒイロカネの存在を完全じゃないけど知ってるようだし。」
「ヒヒイロカネに関するすべての情報は、私とSMSAが押収しました。その上でクローンは強盗や文化財保護法違反などで逮捕・起訴されます。クローンのヒヒイロカネに関する知識はごく限定的だと判明しています。裁判でヒヒイロカネがどうとか言っても、妄想扱いされるだけです。」
「なるほど…。」
「心神耗弱と認定される確率は低いので、減刑はされないでしょう。この世界の法と認識でクローンは裁かれ、服役することになるでしょう。」
「それで良いと思う。」

 ヒヒイロカネの存在を知っても、それはこの世界ではごく限られた人間しか知らない。検察や裁判官は知る由もない。そんな状況でヒヒイロカネがどうとか言っても、精神状況に問題があるとして精神鑑定にかけられるだけだ。そして現在、心神喪失や心神耗弱は認定される確率が下がっているという。
 前と同じく、2つの県を跨いだ移動を伴うヒヒイロカネの捜索と回収、そしてその戦闘は終結した。だけど、爽快感とか充実感とか、そういうものはない。「ようやく終わった」という感覚だ。これはどの戦闘でもあまり変わらない。含まれる成分に脱力感とかそんなものがどれくらい加わるかだ。
 この旅に出て、人間の醜悪な部分により近く接することが増えた。ヒヒイロカネは人間の欲を増幅させる作用を持つかのように、ヒヒイロカネに直接間接関わることでより醜悪な部分が露に、過激になる。その結果、無実の人達が苦しめられ、犠牲にされることも多い。
 かつてこの世界にあったヒヒイロカネが、この世界から引き揚げられた理由は明らかじゃない。だけど、これまでの経緯を見ると「この世界の人間にはヒヒイロカネを扱えない」と結論付けられたためだとしか思えない。欲を剥き出しにして他人を踏み躙ることを善とさえするこの世界じゃ…無理だ。
 結果的に長く滞在したオクセンダ町の旅館からは、明日出発するつもりだった。だけど、夕食を終えたシャルの口から、その考えを全否定された。

「明日1日、この町でゆっくりしましょう。」

 O県とH県に跨る謎解きと移動、そして戦闘でヒヒイロカネ回収は喫緊の課題だと認識を新たにした。だけど、シャルの提案はそれと正反対のもの。ヒヒイロカネ回収を急がなくて良いのかと聞いた僕に、シャルはこう言った。

「生産性や効率を上げるには、適度な休息や気分転換が必要です。」

 シャルが言うには、僕は明らかに疲れている。肉体的な疲労もさることながら、精神的な疲労が際立っている。シャル本体を運転してヒヒイロカネ回収の現場に移動したり、ヒヒイロカネを回収された神祖黎明会信者からの事情聴取をしたりした。そこで接した、神祖黎明会信者の頑なさや狂気ぶりが精神的な疲労を蓄積させた。
 信者の多くは、教祖こと手配犯の嘘や欺瞞、信仰の皮を被った搾取、そして女性信者に産ませた子どもやクローンを使った臓器密売の事実を目の当たりにしても、信仰を捨ててなかった。それどころか、教祖に無理やり嘘を吐かせた、教祖は自分達の罪を被って十字架にかけられた、など神格化が止まらなかった。
 神祖黎明会は、神祖こと教祖、つまり手配犯に物心すべてを捧げることで、世界の終末の際に神祖と共に神の国に行けるというのが教義のメイン。だから信者はこぞって献金を競い、家も土地も売り、信仰のために今の住宅地に移り住み、信仰にすべてを捧げてきた。その信仰はすべて教祖のためなのに。
 教祖の矛盾や誤りを認めることは、これまでの信仰が誤りだったことを認めるようなもの。信仰を捨てたら家も車も職も金もない、文字通りの無一文、裸一貫だけが残される。信仰への思い入れが強いほど、信仰を捨てた時の恐怖が強いのは分かる。だけど、信仰を悪用されたことすら認めない信者も多かった。
 ある信者が、教祖が天に召されたなら自分も天国に行くと言い出し、一気に自殺準備を始めたグループも出た。慌てて僕は止めたし、信者からヒヒイロカネを除去していたシャルも捕縛して止めた。それでも、シャルが触手で殴り倒して気絶させるまで、自殺志願の信者は泣きわめいて自殺を叫び続けた。
 シャルの捕縛をも振りほどいて自殺しようとする信者は、狂気としか思えなかった。数々の事実を聞かされ、更に見せられても尚、教祖を信じ、教祖を崇め、教祖のために命をも捨てようとする様は、見ているだけで精神を削られる気がした、否、削られた。シャルは、その影響が残っていることを言っているんだろう。

「これまでに回収したヒヒイロカネの量と、この世界に持ち込まれたヒヒイロカネの量には、大きな乖離が生じました。今回、手配犯が製造工場を有していたためです。」
「他の手配犯も、同じようにヒヒイロカネを増産している確率があるよね。」
「はい。それは、捜索と戦闘の対象や範囲が大幅に拡大したと見ることと同じです。今後ヒロキさんが対応するには、疲弊した状態では破綻をきたします。」
「…それは分かるけど…。」
「ヒヒイロカネの捜索と回収は、この世界に散在する以上、この世界の人間が行う必要があります。…時空管理に関する法律の1つ、時空管理干渉防止法で定められています。」
「確か、手配犯を磔にした時に、シャルが時空何々法とか言ってた。」
「よく覚えていますね。…その法律、時空転送管理法と同じく、独立した時空間に関する法律の1つです。」

 シャルが創られた世界は、この世界とは異なることは分かっていた。そして、同じ時間軸に存在しながら独立している並行世界だということも。その世界が創られるかマスター本人か先祖にあたる人達がこの世界を離れた時、行き来する手段はごく限定されたものになったことも。
 同時にそれは、シャルにとって機密性が高い情報なんだろうと察していた。シャルが創られた世界の話をする時、シャルは一瞬押し黙る。それは機密性の高い情報を僕に話して良いか、マスターかシャルが創られた世界の情報管理の部署に照会しているからだろう。

「僕にそんな機密性の高い話をして良いの?」
「ヒロキさんは感じていると思いますが、機密性の高い情報を伝える際は、マスターが統括する情報管理サーバーに照会しています。その了承を得てから話していますから、情報漏洩などで問題になることはありません。」
「それなら良いんだけど…。」
「話を元に戻しますが、時空管理干渉防止法では、私が創られた世界から他の世界への干渉はごく限定された事例のみとされています。具体的には、犯罪者の追跡と身柄確保、ヒヒイロカネのようなS級物質と定義されている物質の追跡と回収、この2つです。」
「手配犯やヒヒイロカネはその2つの条件を満たしているね。」
「はい。以前にも話したと思いますが、ヒヒイロカネを略奪した手配犯をSMSAが早い時期から追跡したことで、手配犯はまとまって逃げ込む機会を逸し、時間設定を合わせることが出来ない状態でこの世界に逃げ込むことになりました。」

 本当はある時代-機械製造や大規模工場が製造可能な文明レベルが存在する時代にまとまって逃げ込むことで、ヒヒイロカネの大規模増産や兵器展開などを目論んでいたんだろう。だけど、手配犯の所属団体が危険だとしてマークされていたのもあって、予想外にSMSAの追跡が早かった。だから手配犯は散り散りに逃げることで、SMSAの追跡をかわすことを優先せざるを得なかった。
 どうやら、うまい具合に現代やそれに近い年代に逃げ込んだ手配犯も居る。だけど、確証はないものの、相当昔に逃げ込んだ手配犯は、文明レベルの大きな格差の前にヒヒイロカネの増産や展開を断念せざるを得なかった。そこで高度な知識や持ち込んだであろう装備を活用して各地にヒヒイロカネを隠し、新道宗の開祖桜蘭上人として名を遺すことになった。
 逆に、かなり未来に逃げ込んだ手配犯がいるかもしれない。時空を飛び越える術はないから、その手配犯の追跡はMSAに頼るしかない。それ以外は隠されたヒヒイロカネと隠れた手配犯を探し出し、身柄拘束と回収を進める必要がある。それが僕とシャルの旅の目的だ。

「時空管理干渉防止法の基準を満たすとは言え、SMSAが常時展開することは、この世界の時空の流れに重大な影響を及ぼす恐れがあります。恐らく手配犯の1人であろう桜蘭上人のように、一定以上の影響を及ぼす人物になっている場合、以降の歴史上の出来事や人物が存在しないことになります。」 「…。」
「それに私やSMSAと言えど、死者を生き返らせることは出来ませんし、クローンの医療目的以外での使用は厳禁です。そのため、ごく限られた要員をサポートとして、この世界の人間にヒヒイロカネの捜索と回収を託すしかないんです。」
「その任務を遂行するために、僕が選ばれた。」
「はい。」
「だったら、僕が率先して行動しないと、この世界に隠されたヒヒイロカネや潜伏している手配犯が…」
「ヒロキさんの心身が疲弊して活動継続が困難になるリスクの方が問題です。ヒロキさんに代わる人はいないんです。」

 僕の言葉を遮ってシャルが休養提案の理由を強く主張する。

「此処までの旅で、ヒロキさんは十分分かっている筈です。ヒヒイロカネはこの世界の人間にはとても扱えないこと。それは文明レベルの違いではなく、倫理観や道徳といったものが極端に低下して、欲望を剥き出しにした者が跋扈する歪な価値観が原因だということ。」
「それは…勿論。」
「マスターが少し言ったかもしれませんが、ヒロキさんより前に、ヒロキさんの役割を担える人を探していましたが、殆どが候補になりえませんでした。ごく僅かにいた候補者も、重大な問題がありました。私が創られた世界の秘密を知ろうとすることです。」
「そういえばそんなことを仄めかしてたな…。」

 僕がマスターというあの老人と出会ったのは、気晴らしのドライブで徐に走っていた時だった。発作を起こして苦しんでいた老人を発見して、かかりつけの病院を聞き出して搬送した。それが老人の気に入ったらしくて、治療が終わった後老人の家に運んだら、車を綺麗にしてやると言い出した。その時の老人の言葉は今でも憶えている。

「決してガレージを覗こうとするな。覗いたら、あんたの生命は保証できない」

 興味本位でガレージを覗いたら、シャルが創られた世界の秘密を探ろうとしたとして、抹殺されたか、あちらの世界に取り込まれたかで、何れにせよ二度と帰ることはなかっただろう。シャルが創られた世界の秘密を探ることは、手配犯と似たようなことと見なされるからだろう。
 僕は、確かに不思議に思ったけど、人に見せたくない、何か特別な設備でもあるんだろうという安直な推測で、言われたとおりに待つことにした。生命は保証できないと言ったし、言うとおりにした方が良いかと思ったのもある。結局それが、老人が僕にシャルとヒヒイロカネ捜索を託す決定打になったようだ。

「時空管理干渉防止法の基本理念は、『その世界のことは、その世界の人間が取り組む』です。先ほども触れたとおり、不用意な介入はこの世界の時空の流れに重大な影響を及ぼす恐れがあります。SMSAの大量投入が出来ないのは、時空管理干渉防止法に基づく組織であるSMSAが違法行為を働くことは出来ないからです。」
「だから、マスターに選ばれたこの世界の人間である僕が、ヒヒイロカネを探して回収する必要がある、と。」
「はい。私が出来るのはサポートです。ヒヒイロカネそのものはこの世界の人間だけでなく、専用の設備がないと扱えません。それはヒヒイロカネであり、専用の設備と機能を搭載された私の任務です。」

 ヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだのは、シャルが創られた世界の人間だ。だけど、ヒヒイロカネを悪用して欲望を際限なく膨らませ、無関係の他人をも蹂躙するのはこの世界の人間。ヒヒイロカネが持ち込まれなかったら、という仮定は重要じゃない。この世界からヒヒイロカネをすべて回収しないと、被害や犠牲は止まらないのは確実だ。残念ながら。
 だから僕は急ぎたい。被害や犠牲は少ない方が良い。だけど、シャルは僕を止める。それは…僕の次がいないから、か。シャルの話からして、僕が選ばれるまでにマスターは相当の時間を費やしたようだ。しかも物凄く低い確率だったらしい。僕の次は見つかるか分からないってところか。

「そのとおりですけど、私としては、それよりも大切なことがあります。ヒロキさんを失いたくないんです。」
「シャル…。」

 シャルが身を乗り出す。この光景、以前に見たような気がする。ヒョウシ市だったかな?あの時とは逆だったような。

「この世界は確かに歪んだ価値観がまかり通っています。異臭がするほど性根が腐った人間が、権力と金を手にして跋扈しているのも、不平不満を言いながら選挙では忠実な集票マシンになる口だけの愚民があまりにも多いのも事実です。ですけど、この世界にも頑張って誠実に日々を生きる人が居ます。ヒロキさんのように。」
「…。」
「この旅に出てから今日まで、マスターが私をヒロキさんに託した理由は確信に至りました。ヒヒイロカネの捜索と回収に注力できて、私が創られた世界やヒヒイロカネの機能に執着しない。それは取りも直さず、誠実でひたむきであるからこそ。ヒロキさんの前にも後にも、ヒロキさんに代わる人は出て来ないと確信しています。」
「シャル…。」
「私とヒロキさんには決定的な違いがあります。ヒロキさんが生身の人間だということ。誠実であるがゆえに、目的の障害になる要因を無条件に、機械的に切り捨てられないこと。無理をすれば心身に重大な悪影響が出ます。ヒロキさんが壊れてしまうリスクを看過するわけにはいかないんです。だから…。」

 シャルは徐に立ち上がって、僕の隣に来る。と思ったら、僕に真正面から抱き着く。

「今から明後日に此処を出るまで、ヒヒイロカネのことは忘れてください。忘れるのが難しければ棚上げでも良いです。」
「シャル…。」
「ヒロキさんの後任なんて考えたくないです。ヒロキさん以外と一緒に居たくない。旅をしたくない。」

 僕を気遣ってくれる気持ちがダイレクトに伝わってくる。僕にしがみつくように抱き着くシャルが愛しくてならない。シャルを抱き締める。柔らかくて温かくて、鼻先が触れる髪や肌から良い匂いがして…。ふとシャルと目が合う。どちらからともなく唇を塞ぐ。角度や重なり方を変えつつ、シャルとキスをする。
 唇の触れ合い重なり合いに舌が混じる。唇と舌の交錯が深く早く、激しくなる。合間の息継ぎも必然的に早く大きくなる。もう…我慢できない。僕はシャルを抱きながら横倒しになる。僕の横には布団の1組がある。頭から胸くらいまで掛布団の上に倒れ込む形になる。
 僕はシャルの上に圧し掛かる。布団とは全然違う柔らかさが僕の前側に広がる。僕とシャルは浴衣に着替えている。浴衣を脱がすのは簡単だ。

「灯り…消して…。」

 浴衣に手をかけたところで、シャルが囁くように言う。目は閉じたまま。リモコンはテーブルの上に置いてあるから…手を伸ばして一番上の赤いボタンを押す。2人では持て余すほどの広さを照らしていた灯りが消えて、部屋全体が暗転する。シャルの上に戻れば、シャルは目を閉じたまま、少しも動いていない。

シャル!
…。

 ん…。朝…?ふと左隣を見る。シャルがいる。僕の方に顔と身体を向けて、人差し指をこっちに向けている。

「起こしちゃいました?」
「ううん。自然に目が覚めた。朝?」
「空が明るくなってきたところです。曙に該当すると思います。」
「曙なんて言葉を聞くのは何時以来かな…。」

 掛布団はシャルの胸を半分ほど覆っている。見えている部分は何も着けていない。それは…僕も同じ。
 僕はシャルと…。
 全身が急激に熱くなる。眠りにつく前の光景が次々と脳裏に蘇ってくる。思いつく限りのことをした。本能に任せて動いて動かした。シャルが髪を振り乱して喘いだ。

「…えっと…。」
「凄かったです。」

 シャルが人差し指で僕の頬を突く。シャルの髪は頬に少し張り付いていて、少し気だるそうな表情と相俟って凄く色っぽい。とうとう…シャルと…。

「後悔してます?」
「ううん。少しも。凄く良かった。」
「私も…。」

 シャルとの夜は想像していた以上に良かった。今までとは比較にならない猛烈な気持ち良さと幸福が、入れ代わり立ち代り、時には同時に押し寄せてきた。仰け反り、首を左右に振って喘ぐシャルの胸を、腕を、腰を、脚を掴んで動いて動かした。全部、シャルの中に放出した。

「外に出して終わるかな、とも思ったんですけど、すべてをぶつけてくれましたね。」
「もう我慢できなかった。シャルを全部僕のものにしたかった。」
「前々からヒロキさんにそういう気持ちがあるのは分かっていました。だけど、非常に強く抑え込む気持ちも働いていることも。それは私に魅力がないからか、それとも…私が人間じゃないからか。」
「どちらも全然ない。特に後者は、意識するかシャルが機能を使うかしないと、むしろヒヒイロカネって思えない。」

 僕の好みストライクど真ん中の顔立ちに、露出を増やすと分かるグラドル顔負けのスタイル。容貌だけ取っても僕にとってはこれ以上ない品揃えで魅力を感じない筈がない。シャルがヒヒイロカネってことは、そうだと意識するかシャルが機能を使うかしないと認識できない。肌の触れ合いが始まってからは尚更。

「一度したら、それこそもう毎晩のようにしたくなる。その時もしシャルが何かの理由で断ったら、きっと良い気分はしない。それが重なって不仲になったら…、この先の長い旅が凄く苦痛になる。僕にとってもシャルにとっても不幸でしかない。だから…我慢してた。」
「これからのことも深く考えてくれていたんですね。でも、心配無用ですよ。私はヒロキさんを拒否しませんから。シチュエーションやムードは考えてほしいですけど。」
「それも僕のサポートの一環?」
「サポートだけなら、ヒロキさんの射精に構成を特化してさっさと終わらせますよ。私自身気持ち良さを体感して、幸福感や満足感を得たいんです。」

 ただ僕の性欲を解消するためなら、それ用に特化することも出来るし、シャルなら造作もないだろう。そうじゃなくて、シャルも僕とセックスして幸福や快感を得たい。つまりは過程を楽しみたいと考えている。せめて僕はその考えを最大限尊重したい。ただ性欲を解消するためなら、相手がシャルである必然性はない。

「お風呂、入りませんか?」
「昨日は入ってなかったね。行こうか。」

 シャルが僕の腕枕から頭を退ける。それを受けて僕は身体を起こす。続いて身体を起こしたシャルと手を繋いで、部屋風呂へ向かう。うっすら光が満ち始めた空が山の向こうに見える。こんな時間に入浴なんて、部屋風呂ならではだな。しかも、隣には激しい夜を共にした女性がいる。少し前まで想像もしなかった状況だ。
 湯が湧き出し口から溢れて湯船に流れ込む音だけが、川のせせらぎのように続く。徐々に白さを増していく山の輪郭。枕草子の冒頭そのものの世界だ。隣に居るシャルの肩に手を伸ばす。シャルの肩に手がかかる。シャルが僕の左肩に凭れ掛かってくる。
 昨夜のシャルは、本当に可愛くて色っぽくて愛しくて…。好きな女性とのセックスがこんなに気持ち良くて幸せなのかと思いながら、シャルとの行為に没頭した。シャルを気持ち良くするにはどう動けば良いか、何処をどう愛撫すれば良いか模索しながら動いて動かして、僕はシャルの中で果てた。

「凄く良かったです。絶えず強烈な快感が全身に走って、終わった後は幸福感や満足感でいっぱいになって…。」
「僕はその…初めてだから、うまく出来るか自信なかったけどね。」
「初めてなのは私も同じですよ。それに、初めてとか上手い下手とかより、ただ1つ大切なのは誰とするか、です。」
「そう…だね。」
「私の初めてをヒロキさんに捧げて、私はヒロキさんの初めてを貰って、こうして朝を迎える…。情報の分析で知ってはいましたけど、体感すると予想以上の幸福感や満足感を覚えるシチュエーションです…。」

 シャルが気持ち良くなると良いなと思って、それにはどうしたら良いか行動しながら考えた。単調にならないように、僕だけ気持ち良くならないように、シャルの反応を観察しながら、体位を変えたり動きに緩急をつけたりした。最中や果てた時も勿論だけど、シャルと一緒に迎える朝というシチュエーションがより強い幸福感や満足感を覚えるものだと分かった気がする。
 シチュエーションに流されての勢いもあったのは間違いない。だけど、それ以上にシャルとしたい、シャルを全部僕のものにしたいという気持ちが抑えられなかった。今までの女達と違って、僕を気遣ってくれて、寄り添ってくれるシャルを、僕のものにしたかった。
 当然ながら、今僕は裸だしシャルも同じ。言い換えればセックスした時と同じ。絶えず流れ込むことで湯面は常に小さく揺らめいてはいるけど、湯の中にあるシャルの凹凸が潤沢な首から下は、色や形の違いを全部見渡せる。シャルも隠そうとしない。今は不思議と欲情よりこうしていたいという気持ちがずっと強い。

「こんな言い方は不謹慎だと思いますけど…、ヒロキさんに今まで関わった人達が、全員ヒロキさんを蔑ろにする見る目のない人達で良かったです。」
「そうだね。人間関係に恵まれていたら、この旅に出る決意は出来なかったし、シャルと旅に出ることもなかったと思う。」
「ヒロキさんには辛くて厳しい時代だったと思いますけど、それが今に繋がっている…。こういうのを縁というんでしょうか。」
「そうだと思うよ。シャルと出逢うために僕は生きてきたんだと思う。生きて来て良かったと思える時間を得るために。」

 書類上だけは両親が住む家に居ることになっているけど、会社からも同僚からも、家族からも抜け出した僕には、旅の拠点になる宿や食事のために出入りする飲食店の従業員などを除けば、シャルとしか繋がりがない。だけど、それがとても心地良くてストレスフリーな時間と環境を作っていると感じる。
 人間関係は良好なら出来ることの幅が広がるけど、険悪だとストレスの元凶でしかない。僕のように、都合よく使い使われる関係だと、僕には何のメリットもない一方で、デメリットとストレスだけが溜まる。改善しようと働きかけても無駄だった。僕を取り巻く人間関係は僕に何もメリットを齎さないと見限るには十分だった。
 僕を取り巻く人間関係をすべて切り捨てて、シャルとだけの関係を築くことを選んだのは、後悔なんて全くしていないし、最善の判断だったと今でも思う。あのまま都合よく使われて疲弊して、言われるがままに言われて心をへし折られるより、シャルと旅をして、知恵を絞って、戦って、食事をして入浴をして寝る生活の方がずっと良い。

「シャル…。好きだよ。」
「!私も。」

 僕が「好きだ」って言うとは予想してなかったのか、シャルは一瞬目を見開く。だけど、それは直ぐに嬉しさ溢れる微笑みに代わる。朝が徐々に広がっていく中、僕はシャルとキスをする。僕とシャルは腕を取り合い、密着度合いを強める。こんな時間が得られるなんて…。