謎町紀行 第63章

手配犯の二面性とその真相

written by Moonstone

 一度T県に入って水素を補給した後、温泉旅館に戻った。往復100km近くを一般道で走ると、それ以降札所を巡る時間はほとんど残されてなかった。蛇行もするし片側1車線あれば御の字という道路だからスピードは出せない。今日は此処まで、と割り切るしかない。
 部屋に運ばれた夕食を食べて寛ぐ。今回の局所気象制御機の撃墜と回収は、市街地じゃなかったのが不幸中の幸いだ。SMSAを展開させるのも時間と手間を要するし、市街地だと動員数も馬鹿にならないだろう。だけど、それが宗教団体の良心とはとても思えない。あくまで偶然でしかない。
 この温泉旅館と宗教団体本部の直線距離は、約100km。今日の局所気象制御機の撃墜と回収が宗教団体本部の知るところとなって、こちらに刺客が送られるまで半日以上かかるだろう。若干余裕はあると言えるけど、それは楽観的な見通しだろう。発信機が厳生寺あたりからシャルに寄生していたし。
 局所気象制御機を派遣して豪雨を降らしたことからして、宗教団体本部は僕とシャルの存在や行動を一定水準で把握していると見て良い。そうじゃないと、局所気象制御機を派遣した理由が説明できない。シャルの解析では、発信機はビーコンとしての機能に限られていたそうだから、どうやって僕とシャルを知ったかが謎だ。

「敵があれだけの信者を集めている理由が分かりました。」

 シャルがTVに映像を映す。見た瞬間、絶句してしまう。暗闇の中で何本も聳える炎の柱。周期的に打ち鳴らされ、地響きのような低音を発する巨大な太鼓。それらが見据える中、間隔は不規則に、だけど動作は一律な信者と思しき大集団。何かの儀式だろうけど、此処まで大規模な、そして不気味なものは初めて見る。

「な、何だこれ…。」
「調べたところ、神祖降臨祭。阿羅霊神(あらたまかみ)が罪に汚れ堕落したこの世を嘆き、救うために神祖にお言葉とお力を与えた日。つまるところ、教祖の誕生日です。」
「なるほど…。」

 その宗教が教義に共感できるかどうかは兎も角、非信仰者を含む社会と折り合いをつけられるものかどうかは、教祖の扱いを見るのが良い、と聞いたことがある。唯一神と共に開祖の存在が強いキリスト教やイスラム教では、開祖はあくまで預言者、言い換えれば神の言葉を預かった代理人だ。だからこれらの宗教では神を崇拝しても開祖を崇拝することはしない。
 仏教は開祖釈迦が悟りを開いて輪廻転生から解脱することを目指す宗教だ。時を経て解脱に至るのが自分自身か仏の力を借りるか、阿弥陀如来に縋るとか禅で瞑想を続けるとか数多くの流派が出来たけど、釈迦は解脱した先駆者という位置づけだ。生誕日もあまり知られていない。
 一方で、教祖こそ唯一絶対の存在あるいは絶対神がこの世に現れた存在と位置付ける宗教は、兎に角教祖を崇める。教祖の言葉は絶対だし、生誕祭は総出で祝う。死のうものならこの世の終わりとばかりに深く悲しむ。独裁政権と殆ど変わらない。違いは国家の体裁を持つかどうかくらいだ。
 一様に白装束を身に纏った信者は、太鼓が織りなすリズムにシンクロして、一斉に上体を起こして両腕を高く挙げ、その姿勢のまま床に突っ伏す。あの広大な神殿を埋め尽くした信者の動きは、驚くほどシンクロしている。こういう多人数が同一の動きをすることを好むのは、教祖絶対の宗教や軍隊という似たような性質の集団だ。

「不快なのでカットしていますが、教祖を崇める呪文のようなものが、信者によって読み上げられています。」
「太鼓に合わせてるんじゃないのか。道理で太鼓が鳴るタイミングにあまり合ってないと思った。」
「聞かない方が良いです。不快なのは勿論、一定時間聞いていると判断能力が低下する恐れがあると判断しました。」
「洗脳そのものだね…。」

 シャルが呪文をカットしたこの状況でも、この宗教がかなり危険な性質を持っていると感じる。あまりにも異様だ。交通の便が悪い山奥に佇む本部に赴き、急で長い階段を上って神殿に鮨詰めになって、マスゲームそのものの儀式を続ける様は、異様としか言いようがない。
 こんな危険な宗教が、ヒヒイロカネを安置するだけにとどめるとは、どうしても思えない。まだ帰宅していないらしい手配犯は、宗教団体のこの性質を知っているんだろうか?知っててヒヒイロカネ捜索の先兵として動いているなら、もう救いようがない。知らずに協力しているとしても、あまりにも浅はかだ。

「この映像を撮ってて、上空の偵察機とかに気づかれない?」
「神殿の監視カメラに侵入して撮っているので、大丈夫です。」
「監視カメラって、神殿にそんなものがあるの?」
「それはもう彼方此方に。おかげで様々な角度から撮れます。」

 ヒヒイロカネを安置しているから、関係者、つまりは教祖や幹部以外は近づけさせないように警戒しているんだろう。信者のマスゲームまがいの儀式が止まる。とは言え、完全に床に突っ伏したような姿勢のままだ。一旦止んだ太鼓が、急に激しく鳴らされる。教祖のお目見えか?

「そのようです。奥から十二単のような衣装を着た男が出て来て…!」
「どうしたの?」
「この男、手配犯です。」
「?!」

 て、手配犯が教祖?!どういうこと?博物館の学芸員をしながら教祖をしてるってことか?そんなことが出来るのか?制度的な問題は勿論だけど、単純距離で100km以上ある、しかも丸1日かかるような移動を伴う二重生活が出来るのか?新幹線通勤でも大変だというのに。
 頭が混乱する中、教祖が神殿の奥にある高台に上る。両側から炎の柱が噴き出し、太鼓が激しく打ち鳴らされる。鮨詰めになった信者が床に突っ伏すようにひれ伏しているのに、プロレスラーの入場か一昔前の披露宴みたいな登場の仕方をするあたり、この宗教団体が異様なことが分かる。

「志ある神の子達よ、面を挙げよ。」

 神殿に朗々とした教祖の声が響く。信者が一斉に顔を上げる。次の瞬間、物凄い拍手と歓声が沸き起こる。アイドルのコンサートみたいだ。熱狂ぶりはまさにそれだ。シャルが別角度から映す信者の表情は、皆歓喜に溢れていて、涙を流している人も多い。異様としか言いようがない光景だ

「神祖降臨祭によくぞ来た。信心深き神の子達に、大いなる神の祝福を与えよう。」

 信者が歓喜の声を上げながら一斉に立ち上がる。今度は何が始まるんだ?最前列に居た信者が、列をなして高台に向かう。他の信者もそれに続く。洗礼みたいな儀式を教祖から直々に受けるんだろうか。この性質の宗教団体だと、神そのものの教祖から直接何かを授かったり儀式を受けたりするのは、至極光栄なことだろう。共感はしないけど理解は出来る。
 先頭の信者が、教祖の前で跪く。教祖が右手の上半分を掲げる。将棋の駒を持つような形にした右手の先を、信者の額に当てる。その瞬間、信者の身体が一度脈動する。これが神の祝福を授けるってことか?

「!この男、信者に微量のヒヒイロカネを埋め込みました!」
「え?!」

 何時の間に?!それに、教祖はそれらしいものを手に取ったりする様子は見せなかった。いったいどこからヒヒイロカネを出したんだ?!まさか、タカオ市の市長のように体内に埋め込まれて、否、埋め込んでいるのか?!
 祝福を受けた信者は、教祖にひれ伏し涙ながらに礼を言う。それが入れ代わり立ち代わり延々と繰り返される。教祖の動きに注目しても、教祖が不可解なものを手にする瞬間はない。ということは、やっぱり体内に埋め込んでいて、それを小出しにしているのか?

「教祖からヒヒイロカネのスペクトルが検出されました。ヒロキさんの推測どおり、体内に埋め込んでいます。しかもほぼ全身に及んでいます。」
「体内から小出しにすることって出来るの?」
「理論上可能です。ご存じのとおり、私が創られた世界では体内にヒヒイロカネを埋め込むことは禁忌事項なので、非常にイレギュラーな使用方法です。このような使用実績はデータベースを探しても数えるほどしか出て来ません。」

 ヒヒイロカネは人間の身体と非常に親和性が高い。だからプレーンの状態で体内に埋め込まないと、異常な快楽の中毒になったり、増殖したヒヒイロカネに乗っ取られたりと悲惨なことになる。恐らく教祖はプレーンのヒヒイロカネを体内に埋め込んでいるんだろう。
 一方で、体内に埋め込んでも比較的安全なプレーンは、無垢の状態と言える。言い換えれば無限の増殖など基本的な機能は何も出来ない状態だ。それを制御した結果小出しにして信者に埋め込んでいるとすれば、何らかの形でヒヒイロカネを操作できていると言える。どうやって?
 否、それ以前に重要なことは、教祖が手配犯と同一人物なのはどういうことだ?片方で休暇を取って33か所巡礼コースを辿りながら古代の謎を探りつつヒヒイロカネを探し、片方で自分に埋め込んだヒヒイロカネを小出しにして信者に埋め込んでいるのか?100kmは優に離れている、しかも一般道しか交通手段がない2つの場所をまたにかけて、そんなことが出来るのか?

「シャル。脳に微量のヒヒイロカネを埋め込むとどうなるの?」
「思考が大変高速になって、所謂『頭が切れる』状態になります。ですが、脳に非常に大きな負担がかかり、精神に異常をきたす恐れがあります。」
「それだけでも十分危険だけど、ヒヒイロカネに細工をしてあったら、洗脳と同じか、洗脳がしやすい状態になるんじゃない?」
「はい。その危険性が非常に高いです。」
「指先を額に当てられると、思考が明瞭になって、同時に教祖の言葉を無条件に受け入れる状態に出来るとなれば、教祖のカリスマ性を補強する有力な材料になる。そう考えられるね。」
「非常に筋が通った推論です。」

 信者がこんな地理的に悪条件が重なるところにある本部に大挙して詰めかけ、異様な儀式を延々と続けていた理由が垣間見える。教祖からこの祝福とやらを受けることで、頭脳明晰になる一方で、教祖の洗脳を受けるか受けやすくなる。結果より教祖にのめり込む。集金体制がより強化される。
 ヒヒイロカネは無限に増殖するから、信者に微量を埋め込んでも全く損失にならない。今も続けられる仰々しい儀式を機械的に続けていれば、集金体制がどんどん強化される。その一部をヒヒイロカネの捜索のためとして、H県選出の国会議員を介して自分自身に還流する仕組みになっているんだから、教祖の懐はちっとも痛まない。
 O県とH県に跨るヒヒイロカネの構図が見えてきた。どうやって二重生活を送っているのかの疑問はまだ解明できてないけど、手配犯が宗教団体の教祖として君臨し、ヒヒイロカネを悪用して信者を洗脳して、集金体制を強化していた。それと癒着するH県選出の国会議員が、宗教団体の資金力を背景に党の要職、ひいては大臣の椅子を狙っている。

「この儀式、今夜いっぱい続くのかな。」
「そのようですね。信者が入れ替わるペースからして、5,6時間はかかると見られます。この神祖降臨祭自体、夜通し行われるものなので、ある意味筋は通っています。」
「夜通し待って洗脳されるのか…。」
「洗脳は、当人が洗脳されると思っていないから成立する側面があります。しかも、この儀式は洗脳の環境が整っています。」

 傍から見れば理不尽というか意味不明というかそんな状況だけど、信者は恐らく必死に順番を待っているんだろう。脳に異物を混入されて頭脳明晰になる代わりに洗脳される順番を。生活を犠牲にしてまで献金に明け暮れることを求める宗教が正当なものなのか、疑問に感じることがなくなるために。

「この儀式を延々と見ていても、ヒロキさんと私に関係はありません。精神衛生上も良くないので、映像の転送を中断します。」

 TV画面が暗転する。確かに、あの祝福とやらを見ていても、これ以上分かることはないだろう。教祖が手配犯と同一人物で、しかも体内にヒヒイロカネを埋め込んでいて、それをある程度自由に操れる状態にあると分かった。ヒヒイロカネを巡って宗教団体本部で戦争になるのは確実だ。
 手配犯と教祖が同一人物と判明した一方で、大きな謎が生じた。手配犯と教祖がどうやって二重生活を実行しているのか、ということ。この手の宗教では、教祖は絶対的な存在。金や権力は思いのままかもしれないけど、安易に1人で外出とは出来ないだろう。しかも、O県の博物館の学芸員という職業もしながらなんて、まず不可能だ。
 手配犯は、O県の博物館の学芸員としてまっとうな勤務実績があるし、住所もある。しかも、H県の山奥にある宗教団体の本部とは、直線距離で100km。実際の移動は丸1日を見込んでおいた方が良い地理的条件で、二重生活が出来るとは思えない。一体どうやって?そもそも、手配犯が夜通しの儀式をしてるってことは、自宅には戻れないんじゃ?

「シャル。手配犯の自宅はどうなってる?」
「諜報部隊からの連絡はありません。戻り次第連絡が入るので、まだ戻っていませんね。」
「そりゃあ、こんなこと夜通しでしてれば戻りようがないけど、無断欠勤するつもりかな。」
「職場に連絡を入れて有休を使うと思います。疑問なのは、この神祖降臨祭とやらが、今の儀式を含めて丸1週間続くことです。」
「さらに1週間、有休を追加するのかな。」
「恐らくは。」

 そんなに簡単に休暇を延長できる環境なのか。僕が働いていた会社は、有休を使えることは使えたけど、やれ緊急の業務だの、やれ急な会議だので、僕が取得した有休をつぶされることが多かった。結局後でそれらは何も緊急性がなくて、単に僕に仕事を押し付けたいがためだったんだけど。

「手配犯が自宅に戻った瞬間、駐留中の諜報部隊から連絡が入ります。それまでゆっくり休んでください。」
「うん…。」
「不可解な点はこれから検証が必要ですが、一度思考を止めて脳や心を休めることも重要です。お風呂に入りましょう。」

 シャルはタオルを僕に渡す。確かに…現状考えてても仕方がないか。移動距離が長かったし、休める時に休んでおきたい。シャルのサポートがあるといっても、運転席で明らかに居眠りをしていたら、どう見てもおかしい。そうでなくても昨今は、正義気取りの馬鹿がSNS片手に通報や告発の機会を窺ってるんだし。
 僕は強引に思考を中断して、シャルと一緒に風呂へ向かう。勿論部屋風呂。最初は初めて見たのもあって面食らった部屋風呂だけど、何日も入っていると快適さにはまっている。他に人が居ない。これに尽きる。僕だけならどうでも良いけど、シャルは何かと人目を引くから気が気じゃない。
 大規模な部隊を動かすことで、流石のシャルもエネルギーの消耗が激しい。そこで、この部屋風呂の一角に水素製造装置を設置している。ちょっと大きめのデスクトップPCに何本か管が出ているといった感じだ。勿論、ヒヒイロカネだから仲居が入ってきた時は光学迷彩で隠せる。湯は無尽蔵に出て来るから、水素製造が捗るとのこと。
 水から水素を生成するのはさほど難しくない。だけど、十分な水素を得るには水の量が相当量必要だ。水素の分子量はおよそ2。1mol、つまり6.02×10^23個のH2を集めてようやく2g。水の分子量およそ18に対して2/18=1/9。1の水素を得るにはおよそ9倍の水の量が必要という計算になる。
 温泉やプール、海は水素を大量に取得できる場所と言える。シャルが入浴を好むのは本体-ここではシャルのこと-だけでも水素を得ることが出来るのもあるだろう。本体は水素生成に特化していないから、今回のように水素製造装置を作って大量製造するほうがより効率が良い。
 部屋の一角にある脱衣場は、2人で入るとちょっと狭い。手早く浴衣を脱いで縁側と連結する部屋風呂に出る。僕が湯船に浸かってすぐ、シャルが姿を現す。髪をアップにしてバスタオルを巻く何時もの、凄く妖艶な姿。湯船に静かに脚を差し込んで、バスタオルを取って僕の隣に座る。

「まだ緊張感があるようですね。」
「そりゃあ…、こんな美人でスタイル抜群の女性が、肩が触れ合う距離に居れば、ね…。」
「毎日思うがままに私を蹂躙しても?」
「言い方、言い方。」

 実際、あの夜から風呂上りに僕はシャルを全部見て触れている。そして極まってシャル目掛けて放出する。シャルも手や口で放出させてくれる。それを限界まで続けて寝る。その繰り返しだ。それからすると、湯船で隣り合っているだけで満足にシャルを見られないくらい緊張するのはどうかしている。
 100km先のH県の山奥では、異様極まりない儀式でヒヒイロカネが信者の脳に埋め込まれ、その周囲を大部隊が包囲して何時開戦となってもおかしくない状況。僕はと言えば、通りを歩くだけで二度見三度見される美女と温泉旅館の部屋風呂で一緒に入浴。パラレルワールドみたいな感覚さえ覚える。
 部屋風呂の奥行き方向に対してほぼ中央に鎮座する水素製造装置は、稼働しているのかどうか分からないほど静かだ。無論、24時間連続稼働するようにシャルが設置したんだけど、この世界の水素製造プラントよりはるかに効率的で、しかも凄く小型。技術水準の違いを感じずにはいられない。
 正しく使えば画期的な設備が出来るヒヒイロカネを、あの宗教団体は信者の洗脳に使っている。洗脳だけじゃ済まない。教祖のための操り人形になり果ててしまう。教祖こと手配犯はそれが目的か?目的の1つではあってもすべてじゃない気がする。地下に巨大なヒヒイロカネの設備まで持っているんだから。

「ヒロキさん?」
「うわっ!」

 僕の視界をシャルの顔が埋める。アメジストのような澄んだ大きな瞳に僕の驚いた顔が映っている。僕はほぼ正面を向いて考え事をしていた。そこに真正面やや上方からシャルが見えるということは…。

「今は私とお風呂に入ってるんですから、私のことを考えてください。」
「ちょ、ちょっと、この体勢は…。」
「敵は夜通し儀式をしてますし、敵機に攻撃態勢は見えません。儀式が終わるまで敵に動きはないと見て良いですし、仮に動いたらその瞬間総攻撃を行うだけです。この温泉街の周辺10km圏内は空と陸から常時監視中。妙な動きをすればその瞬間機銃掃射とミサイルの洗礼を受けることになります。」
「そ、それは分かったから、退いてくれない?」
「んー。ヒロキさんの意識を私に固定できたらにします。」
「!!」

 シャルが僕の両肩に手を置いて、身体を湯から出しながら僕に近づける。湯から出た豊満な2つの球体が、僕のほぼ目の前に来る。完全に跨ってる。しかも揃って裸。傍から見たらしてるようにしか見えない。否、それ以前に水滴が乗った立派な球体が目の前にあって、ゆっくり揺れていて…。

「わ、分かった。分かったから退いて。頭が沸騰しそう。」
「布団の上で毎晩見て揉んで咥えてるのに、シチュエーションの問題ですか?」
「そ、そう。シチュエーションの問題。お願いだから退いて。は、破裂しそう。」

 シャルがゆっくりした動きで僕の隣に戻る。沸騰寸前だった頭はどうにか危険水域を脱したけど、下の方は…。シャルは自分の容貌がトップクラスだってことを分かってるのか分かってないのか。

「それこそ、ヒロキさんはこれから私を堪能することに専念してください。常時監視とスクランブルは、私の役目です。」
「だから言い方。シャルの言いたいことは十分分かるし、少し考えるのを止めようとは思うんだけど、癖なのかな。」
「不可解な点が多いのは私も同じです。ここは相手の動きがあるまで待つべき時です。」
「そのとおりだね。当面シャルに任せるよ。」
「はい。」

 シャルがそう言うや否や、身を乗り出して僕の唇を塞ぐ。僕の両肩に手をかけているから、僕の胸にシャルの胸が押し付けられて大きく撓(たわ)む。と、兎に角今は、破裂寸前の下を落ち着かせよう。この状態で冷静にいられる男性がいるなら見てみたい…。
 翌朝。シャルに起こされる。シャルは裸に浴衣を羽織っただけの格好。浴衣の隙間から見える肌の彼方此方に、肌と違う白さの液体が付着している。顔も例外じゃない。気だるさが強く残っていた頭が、気恥ずかしさで鮮明になっていく。
 水素製造装置が稼働中の部屋風呂で身体を洗って、浴衣を着て準備完了。仲居が運んできた朝食を向かい合わせで食べる。風呂から上がってシャルを堪能して、高まるごとにシャルの顔に、胸に、腹に、口に放出した昨夜、シャルは一切中断を求めなかった。何も動きがなかったってことか?

「2回目が終わったあたりで、手配犯が帰宅しました。」
「!!帰宅したって、宗教団体の儀式は?!」
「数回の休憩を挟んで-教祖と幹部だけですが、継続中です。あまりにも不可解なので、昨夜は伏せて、行動の監視と手配犯の解析を続けています。」

 教祖が今も神祖降臨祭とかいう儀式を続けて、祝福と称してヒヒイロカネを信者に埋め込んでいるのに、アヤマ市の自宅アパートに帰宅したなんて、どういうことだ?分身できるわけがないし、シャルの解析が間違うとは思えないし、何が起こってるのか分からない。

「考えられることは、要望が酷似した人物、すなわち影武者の存在です。」
「影武者、か。そういう方法があるね。」
「この宗教団体-神祖黎明会は、献金がらみのトラブルの他、教祖に取り入るため幹部の内紛が発生しています。暗殺などを避けるため、影武者を用意していても不思議ではありません。」
「ありがちな話だね。」

 ありがちと思えるのが情けないというか何と言うか。金集めに狂奔して、暗殺を避けるために影武者を準備して、その影武者にヒヒイロカネ捜索を行わせる。こんな教祖に人を、人の心を救うことなんて出来るとは思えない。そう出来ると思い込ませて金を毟り取るのは詐欺そのものだ。
 だけど、影武者と言えどそこまで容貌を似せられるものだろうか?整形手術もあるし、不可能じゃないとは思うけど、完全に似せるのは難しいと思う。シャルの顔認識の精度が低いとは思えないし、精巧に似せているんだろうけど、どうも影武者説ですべて解決できるという考えに至らない。

「シャルでも識別しづらいくらい似てるとなると、コピーとか。」
「!それです!」

 シャルが何か閃いた様子だ。

「影武者説ではしっくりこない部分があったんですが、コピー、すなわちクローンならすべて解決できます。」
「ク、クローン?!人間の?!」

 クローンの研究自体、この世界ではタブーに等しい。ましてや人間のクローンなんて邪道とさえ位置付けられている。もし人間のクローンが実際に存在して、それが神祖黎明会とかいうあの宗教団体が創り出したとしたら、重大事態だ。
 だけど、シャルの解析でも同一人物と認識されたO県の博物館の学芸員と、神祖黎明会の教祖が同一人物だという不可解な事実は、人間のクローンだとすれば筋が通る。そして神祖黎明会が、ヒヒイロカネを使った信者の洗脳に留まらず、人間のクローンを創り出して実際に世に送り出すだけの研究設備を有しているということになる。
 クローンの作り方なんて良く知らないけど、少なくとも遺伝子操作や細胞の培養といった生物学研究の設備が必要だ。それは厳重な管理下に置かれないと、万一の事故発生時に周辺環境や人体に深刻な悪影響を及ぼす、所謂バイオハザードという事態に陥る恐れもある。何の考えもなしにクローン製造に手を出していたら、危険極まりない。

「シャルが創られた世界では、クローンの研究や製造はどう?」
「ごく限定された医療目的-事故や病気で欠損した手足や臓器の再生といったことだけ、研究も含めて認められています。その他の目的では一切禁止です。違反した場合は確実に実刑で、関連免許などはすべて剥奪され、再取得は不可能です。」
「この世界では実質タブー。それに、少なくとも公には人間のクローンは成功してない。此処から考えられることは、手配犯が何処かの企業や団体を手を組んで、クローン製造も手掛けている。」
「筋の通った見解だと思います。」

 手配犯は、新興宗教の教祖としてこの世界に根を下ろしている。これまで水面下に潜る傾向があった手配犯とはかなり様相が異なる。だけど、集金手法としては有数の手段を選んだ上に、ヒヒイロカネを悪用して信者を洗脳して財政基盤をより強化して、ヒヒイロカネ関連の製造施設を建設するに至った。加えて、クローン製造にも手を出している。
 それは、財政基盤を強固に出来る一方で偶像になって、更に内部の権力争いに巻き込まれる懸念もある教祖という立ち位置を守りつつ、他にこの世界に眠るヒヒイロカネを探し出し、手中にするため。製造されたクローンは、O県の博物館の学芸員という地位を得て、地道にヒヒイロカネを探している。
 神祖黎明会の教祖である手配犯の目的は、H県選出の国会議員と癒着しているという事実から透けて見える。政権の中枢に食い込むことを狙う国会議員の黒幕として、政権に取り入ること。政権に取り入れば、自由度が格段に増す。何しろ典型的なお友達内閣の上に、マスコミは上層部を頻繁な会食で取り込み、SNSを中心にNSM(Network Support Membersの略:政権党が非公式に組織するネット工作部隊)が、政権への批判を「反日」「特亜の手先」などと攻撃する体制を整備している。

「今回の手配犯は、かなり用意周到で狡猾な面が強いね。他の手配犯がまともとは言えないけど。」
「はい。手配犯はこの世界に散り散りになって逃げ込んだため、横の繋がりが取れません。この手配犯はその現状を打破するため、膨大な財政基盤を持つ新興宗教の教祖に君臨して、国会議員を介して政権に食い込むことを狙っているんでしょう。」
「宗教団体は税金から逃れられる。不当に得た金も宗教団体に寄付という形にすればプールできるし、国会議員にとってもうまみがあるよね。」
「更に、選挙となればカネとヒトの動員を受けられます。癒着と言われる所以ですが、相互の利害が一致した結果ですね。」

 ヒヒイロカネにまつわる歪な関係性がほぼ確定した。アヤマ市に入ってから不穏な動きが連続していたけど、神祖黎明会の教祖をどうにかすればこの歪な関係は瓦解する。金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものだ。すべて金で繋がっている関係だから、金が止まればすべてご破算に至るだろう。
 唯一関連性がはっきり見えていないのが、アヤマ市で日中に人が見えなくなる不可解な現象。オクラシブ町での経験からして、恐らくヒヒイロカネが関係しているんだろうとは思うけど、これは解決の糸口が見えない。神祖黎明会の教祖の身柄確保で歪な関係性を打開することで、ある意味漁夫の利を狙うしかないか。

「例の儀式はまだ続いてるの?」
「教祖はしっかり睡眠をとって、朝7時から再開しています。その間も、神祖の後輪を祝う儀式は続いていました。この宗教の信者でいると、体力が非常に向上するようです。」
「儀式が終わるまで、動きはないかな…。」
「敵の動きは表立ってはないでしょう。ですので、こちらは行動を開始しようと思います。」
「先制攻撃?」
「いえ、もう1人の手配犯こと、アヤマ市在住の学芸員とH県の国会議員を押さえます。」

 儀式が終わるまで待つ理由は分からないけど、金の循環の構図は学芸員とH県の国会議員が構成要素。此処を押さえて神祖黎明会の手足を封じる算段か。学芸員は一応個人。H県の国会議員は不動産会社をはじめグループ企業を持っているだろうけど、組織力は神祖黎明会の方が上だろう。
 まだ分からないこともある。だけど、すべてが分かってから行動開始では後手後手に回る。まだヒヒイロカネを悪用した洗脳システムを持つ宗教団体が政界に深く食い込む前に、神祖黎明会の動きを封じてヒヒイロカネの回収、そして神祖こと手配犯の身柄確保を進めた方が良い。

「今日はどうする?」
「ヒロキさんと私は、引き続き巡礼コースを辿ります。」
「陽動作戦?」
「流石に聡いですね。此処でこれまでの動きを止めると、敵が別の動きをする危険があります。敵は、局所気象制御機が撃墜されたのは知っているはずですが、どのように撃墜されたかまでは知らないようです。知っていたら危険が切迫しているとして直ちに追撃などするところですが、そのような動きは一切ありません。」
「非常事態なのは認識しているけど、状況が分からないし、神祖黎明会にとって重要な儀式があるから、周辺の警戒強化に努めているってところかな。」
「そうだと思います。」

 流石の神祖黎明会も、まさか局所気象制御機が撃墜されるとは思わなかったようだ。撃墜の事実は、局所気象制御機の防御力を上回る攻撃がなされたことを示す。当たり前のことだけど、それは、局所気象制御機を撃墜できる攻撃力が自分自身に向けられる確率が存在することでもある。
 カルト的な団体は、政治でも宗教でも組織の団結を至上命題とする一方で外敵を非常に警戒する。外敵との接触は組織の崩壊に繋がると見る、言い換えれば幹部の立場が危うくなると感じるからだ。局所気象制御機を撃墜された神祖黎明会は、本来なら外敵排除のために即座に攻撃を繰り出してくるところだ。
 それが一向にないのは、攻撃に打って出ることで迎撃されて戦力が減少することや、その攻撃力が本丸である総本山、そして教祖に向けられることを非常に警戒しているからだろう。ヒヒイロカネの設備を構築して、この世界の軍隊を超越する軍備も可能だと思っていたところに…。
 まさか、神祖黎明会はヒヒイロカネを悪用して強力な軍隊を持つことを計画しているんじゃないか?決して妄想とは言い切れない。並の武器じゃ歯が立たない強度と、無尽蔵に増産できる材料を両立するヒヒイロカネは、軍隊に転用すれば絶大な威力を持つことは、シャルの部隊が何度も証明している。
 それに、宗教団体が武装するのは、歴史では何度も見られることだ。H県の国会議員を金で操って-本人には操られているという自覚はないだろうけど-政界の中枢に食い込む意図を持つ一方で、反対勢力を弾圧するために武力行使する。実際にこの日本でかつてあった出来事-オウム真理教事件の再来になりかねない。

「私も、敵がヒヒイロカネを弾圧手段として整備していると思います。」
「最悪の場合を考えていくと、そういう推論に行きつくよね…。」
「悪い方の可能性として十分考えられます。必ずヒヒイロカネを回収して、手配犯の背後関係を明らかにする必要があります。」
「うん。」

 予想外に、或いは予想以上に重大かつ深刻な事態が明らかになってきた。これほど大規模にこの世界への干渉や攻撃を仕掛けようとしている手配犯は初めてだ。でも、怯んだり躊躇している暇はない。信者を洗脳して忠実な集金マシンにして、ヒヒイロカネを悪用した軍隊まで準備している確率が高い新興宗教団体の息の根を止めないといけない。