謎町紀行 第51章

人食いの社務所に追い込まれる2つの追手

written by Moonstone

 翌朝。ちょっと寝不足気味の中、部屋でのんびり朝食を取りながらシャルの説明を聞く。勿論、ダイレクト通話で。

『偽の情報を流して、公安を順次コウザン寺に放り込みました。総勢130人。よく住み着いていたものです。』
『どこに泊まってたんだろう?』
『身分を偽って普通に旅館に泊まっていました。そもそもがスパイですから、偽装や嘘はお手の物です。その嘘の情報をあっさり信じてコウザン寺に詰め込まれたあたり、情報の分析は素人ですね。』
『130人も社務所に入る?』
『入らなければ入るようにするまでです。別にご丁寧に部屋に据え置く必要はありません。』

 部屋に入れるとは限らないってことは、台所やトイレ、最悪縁の下や屋根裏ってこともありうる。否、130人詰め込もうとなれば最後の方は文字どおり隙間に詰め込まれただろう。鮨詰めどころの話じゃない環境で2日間飲まず食わず、更に寝ることも許されない。有数の拷問だ。

『ホーデン社は公安から情報を得ていますが、公安もすべての情報をホーデン社に流していません。ホーデン社も同じですから、利害関係で構築された歪な癒着ですね。もっとも、癒着ですから正当も何もありませんが。』
『ホーデン社とA県県警の目的は、A県からの独立を目指すハネ村の体制転覆で共通してるんだね。最終目標は違うみたいだけど。』
『ハネ村の現体制を転覆すれば、ホーデン社はヒヒイロカネを強奪するでしょうし、A県県警はハネ村の幹部や自主警備隊を根こそぎ逮捕連行して実績作りが出来ます。そこから先は元々汚れた絆で結ばれた関係。互いに不干渉でハネ村を蹂躙するでしょう。』
『そうだろうね…。ホーデン社の渉外担当室社員もコウザン寺に押し込んだの?』
『心底癒着した間柄ですから、社務所で水入らずの修行が出来るでしょう。』

 ホーデン社の渉外担当室社員が何人潜んでいたか知らないけど、多分10人20人は居たんだろう。社務所はあらゆるスペースにホーデン社社員とA県県警の公安が詰め込まれた状態だ。飲まず食わずに寝させてもらえないことに加えて、呼吸もままならないんじゃないだろうか。

『ホーデン社とA県県警は全員コウザン寺に押し込めたの?』
『若干A県県警の残党がいますが、それも時間の問題です。現在、早朝に流した偽の情報を受けて、コウザン寺に向かっています。ゴキブリそのものですね。』
『そうなると、あとは役場と弁護団に潜り込んだスパイくらいだね。』
『はい。スパイはホーデン社とA県県警と情報のやり取りをしています。それも明後日には不可能になりますから、孤立無援になります。あとの処分は簡単です。』

 コウザン寺にA県県警とホーデン社を押し込んだのは、ヒヒイロカネを狙う勢力や僕とシャルを妨害する勢力の制裁・排除に加えて、役場や弁護団に潜むスパイを弱体化するためか。警察の権限とスパイの越権行為を兼ね備える公安と、有り余る資金を持つホーデン社は、役場や弁護団に潜むスパイには強力な援軍だ。

『A県県警とホーデン社を排除したら、役場や弁護団に潜むスパイを炙り出すのは簡単だろうけど、今から攻めても良いんじゃない?』
『勿論、今の段階でも処分だけなら十分可能です。情報を引き出すだけ引き出す必要があるので。』

 これまでの情報で、ホーデン社の経営層は、ヒヒイロカネの存在を把握していることが判明している。経営層直結の渉外担当室はヒヒイロカネの探索も任務としている。孤立無援にして身柄を確保するなりして、ホーデン社の経営層の情報を引き出すつもりか。
 ホーデン社の経営層がヒヒイロカネの存在を把握していることは、今後僕とシャルの旅に影響してくるかもしれない。日経平均株価の構成企業の1つでもあり、世界的大企業の1つでもあるホーデン社の経営層が知っているということは、経済団体や政治団体との繋がりで他の企業や政治家も知っている確率がある。
 この世界に散在するヒヒイロカネの回収が必要なのは、この世界ではヒヒイロカネを正しく使えないのが明白なのもある。自社の株価と報酬、そして保身しか考えない人間の坩堝と言っても過言じゃない経営層が、ヒヒイロカネを正しく使えると考える要因はどこにもない。
 大企業の経営者は概ね政権と密接な関係にあるのは、今更言うまでもない。献金は序の口或いはイロハのイ。経済団体として大企業に有利な税制や税率にするよう献金を餌に圧力をかけたり、残業代をはじめ賃金を払わずに労働者を長時間働かせる法制度を要求したりと、やりたい放題だ。
 ヒヒイロカネを手に入れたら、確実に量産に向かうだろうし、それを利益と株価のためだけに振り向ける。そしてそれに抗する動きを政権を使って弾圧する。日本では、ストライキを「利用者の迷惑になる」とか批判さえすることが定着して久しい。それが自らの首を絞めることになるとも知らずに、経営層やそれに繋がる政権に飼われた駄犬が溢れている。

『大企業の経営層や政権との対峙も視野に入って来るでしょう。ヒロキさんと私の旅の目的は、あくまでヒヒイロカネの捜索と回収です。それらとの対峙は過程であって、目的でありません。』
『目的じゃなくても、ヒヒイロカネの捜索と回収の障害になるなら対峙は厭わない。そうだよね?』
『はい。』

 ハネ村を中心とするヒヒイロカネ捜索と回収で、ホーデン社という日本なら誰でも知っているであろう大企業が関与していることが判明した。恐らくこの先、ホーデン社は巻き返しを図ってくるだろうし、ホーデン社の大ダメージを知った政権も睨んで来るだろう。それでも、邪魔するなら排除するしかない。

『そういえば、オウカ神社の宮司からの情報はどうだった?』
『昨夜にご神体からのお告げを装って収集しました。宮司が信心深いようで、非常に楽に情報を入手できました。』

 シャルの説明によると、宮司はホーデン社とトヨトミ市から敷地の買収を打診されていた。移転費用は全面負担と言っても、神社は災害や放火で損壊或いは焼失した時くらいしか移転しないし、敷地自体が神聖なものだからおいそれと売却なんて出来ない。当然宮司は断ったが、そこから嫌がらせや圧力が始まった。
 境内に生ゴミを撒かれたり、朱印に関して理不尽なクレームを受けたり、宮司が賽銭や初穂料を着服しているという噂など。巫女が帰宅途中に追いかけられることもあって、警察に被害を訴えたが、そこはホーデン社と癒着しているA県県警。まともに相手にされなかった。
 疲弊が強まる中、本殿に泥棒が侵入しかけた。警備会社のセキュリティが作動して事なきを得たけど、本殿という最も神聖な場所に土足で踏み入ろうとされたことに、宮司は衝撃を受けた。本殿にあるものと言えばご神体。警備会社や警察の到着前に逃亡した泥棒がご神体を狙って侵入しようとしたのは明らかだ。
 嫌がらせの中には、初穂料を弾むからご神体を見せろというものもあった。初穂料を弾まれたところでおいそれとご神体を拝観させることは出来ない。ご神体は宝物殿にある宝物とは根本的に違う。宮司がそれらを説明して断っても執拗に食い下がって、悪態をついて帰っていった。
 村の人や役場から、ホーデン社とトヨトミ市がハネ村の合併を目論んでいる話も聞いて、宮司は確信した。ホーデン社とトヨトミ市はご神体を狙っていると。何のためかは分からないが、このままではご神体を守り切れない。そう判断した宮司は、全面改修を名目にオウカ神社を全面封鎖して、その際に秘かにご神体を持ち出した。
 今のところご神体を持ち出したことを気づかれていないようだが、最近、仮設の社務所周辺に見慣れない人達がうろつくようになった。参拝や祈祷を申し込むわけでもなく、ただ仮設の社務所周辺を屯するだけ。顔ぶれはほぼ同じ。気味が悪くて仕方がない。

『-こういう状況です。宮司の判断でご神体、すなわちヒヒイロカネが守られたのと同時に、ホーデン社はオウカ神社のご神体がヒヒイロカネだと知っていると見て間違いないですね。』
『うん。ホーデン社とA県県警の動きを完全に封じて、出来るだけ早くヒヒイロカネを回収した方が良いね。』

 ホーデン社がヒヒイロカネを知っている、しかもA県の辺境の村にひっそり佇む神社のご神体がヒヒイロカネと知っていることは、非常に脅威だ。政権や警察権力と-そもそも治安維持と政権維持は近い関係にある-癒着して、世界規模で展開する大企業と事実上、否、完全に敵対することを意味する。
 現時点でホーデン社に表立った動きはない。激しい批判の前に幹部は雲隠れ。A県県警を飛び越えて警察庁が幹部を事情聴取する方針だけど、これが逮捕起訴に結び付く保証は皆無に等しい。何しろ政権や警察権力と癒着しているから、警察が逮捕を見送るか、強引に逮捕しても政権が圧力をかけるかのいずれかだ。日本に法の平等はないってことは公然の秘密だ。
 少なくともホーデン社の表立った動きが封じられているうちに、ヒヒイロカネを回収して次の候補地に向かうのが良い。この先ホーデン社の追手が来る危険は十分ある。A県は際立った例だと思うけど、ホーデン社の追手とトラブルになっても、警察がまともに捜査しないばかりか、僕とシャルを加害者に仕立て上げる危険もある。

『ヒロキさんと私に喧嘩を売るなら、ご自由にどうぞ、です。まとめて地獄に叩き込むだけです。』
『シャルなら全世界の軍隊を相手にしても勝てるだろうけど…。』
『奴等の家族が心配ですか?ホーデン社や仲良しの政権が何とかしてくれますよ。備えを怠って転落しても、それは彼らが大好きな自己責任というものです。』

 自己責任、か。この言葉が「普及」してから、やったもの勝ち、勝ち組負け組論が前面に出て、絶えず誰かの粗を探して叩く構図が蔓延るようになった。自己責任論は結局のところ、夜警国家的資本主義を目指す富裕層やそれが支持する政権のためであって、大多数の市民労働者は分断されて足を引っ張り合うことになる。
 ホーデン社の経営層も典型的な自己責任論者。度重なる過労死や下請けの搾取も、広報部を通した表面的な謝罪と事務フローに則った手続きで片付け、引き続き社員を競わせ、下請けを搾取する。徹底的に効率を突き詰めろ、それが嫌なら辞めるか蹴落として出世しろというのが、カイカクの根本原理だ。
 ホーデン社の社員や公安の中には家族がいる場合もあるだろう。今後のシャルの制裁によっては、家族に冷酷な事実が突き付けられるかもしれない。家族には罪はない…と言い切れない面もある。そういう仕事をしている夫や家族と諫めず、場合によっては誇ってさえいるだろうから。
 シャルはそういう「弱点」を逆手にとって、容赦ない攻撃や制裁を加えるのを躊躇わないだろう。シャルにとっては、ヒヒイロカネの回収を邪魔する存在は敵であり、その敵の家族や関係者のその後なんて全く考慮する必要はないと認識している。僕はそこまで完全に割り切ることは出来ない。…まだ。

『ヒロキさんに私の考えをすべて容認するよう求めるつもりはありません。ヒロキさんがそうであるように。』
『…。』
『ヒヒイロカネの捜索と回収。これを協力して進めていけば良いんです。その過程で生じる障害や妨害は、基本的に私が排除します。大人しく撤退しない、あるいはヒヒイロカネを我が物にするなら、二度と対峙しようと思わないように対処します。今回は、後者の段階にあります。』
『そう…なんだよね。ホーデン社がヒヒイロカネを正しく使う可能性は…残念ながらないと言って良い。』

 僕とシャルがヒヒイロカネの捜索と回収を進めるのと同じように、ホーデン社も、そしてホーデン社のようにヒヒイロカネの存在を知る企業や団体、個人はヒヒイロカネから手を引かないだろう。どのみち、ヒヒイロカネをめぐっての衝突は避けられないと考えたほうが良い。
 やはり気になるのは、この世界から回収されて歴史にも存在しないヒヒイロカネを、どうして知ることになったのかということ。この世界にヒヒイロカネを持ち込んだ手配犯が企業や政権に食い込んだか、あるいは…。いずれにせよ、手配犯やその関係者の身柄拘束も必要になってくると見たほうが良いだろう。

『公安とホーデン社社員をすべてコウザン寺に隔離・拘束しました。』

 朝食が終わって、茶を飲んで寛いでいると、シャルからダイレクト通話が流れ込んできた。ハネ村に潜む最後のスパイを炙り出す時が来たか。

『蛾を炙り出すのは夜の方が好都合です。それまで心理的に追い込んでおきます。』
『ちなみに、残りのスパイは何人?』
『村役場に2人、弁護団に1人です。』

 弁護団はともかく、村役場に2人も食い込んでいたのか。村の人口からして、役場職員はせいぜい数十人。割合からすれば、数%はあるだろう。監視網を事実上掌握しているという職務の性質上、1つの係をスパイで完全に独占しているかもしれない。まさに浸食されていたわけだ。

『夜まではどうする?』
『ゆったり過ごしましょう。』

 思わず脱力してしまう。さっきまでの話の流れとは凄く対照的に映る。

『残りのドブネズミを炙り出す策は既に実行済みです。その策によってドブネズミが姿を現すのは夜になってから、とシミュレーション結果が出ています。』
『逃げられたりしない?』
『その点も対策済みです。ドブネズミは巣から飛び出た時点で捕縛されて、モルモット代わりにされるだけです。』

 まさに袋のネズミってことか。…ん?外で何か音がする。庭に面したガラス戸を見ると、灰色の雲が空を覆っている。雨の音か。かなり大粒の雨のようだ。

『この雨では仲間を探すことも、別の巣を探すこともままなりません。それぞれの巣で夜まで懸命にあがくだけです。』
『雨が目くらましになることはない?』
『そうする余裕も、ドブネズミにはありませんよ。破滅が迫る情報と通じることのない救援通信に翻弄されていますから。』

 残りのスパイのうち、村役場に潜入したスパイは、村全体を網羅する監視網を担当している。そこから味方-と言えるかどうか不明だけど-の通信が途絶えたり、敵が迫っているとかいう、ある意味真実ではある情報が次々と入って、ホーデン社やA県県警に救援を要請しても、まったく通じないか「異常なし」に入れ替えられてしまっているんだろう。
 突発的な事態に即座に対応できる人は、そう多くない。これまで絶対安全な立ち位置にいたと信じて疑わなかったところに、一転してそれが一気に崩壊することを知らされた時、どれだけの人が冷静に対処できるだろうか?味方は次々通信途絶か全滅。救援信号は無効。しかもスパイという立場上、いきなり投げ出して逃亡することも難しい。
 弁護士の動向が気がかりだけど、こちらもシャルが何らかの策を施しているだろう。弁護士は1人だというし、まさか間違っても弁護団の同僚に相談するわけにはいかない。気が気じゃないだろう。そうしているうちにも着実に破滅の時が近づく。何とか逃げ出そうとするのが…、役場の終業時刻の後、つまり夜か。

「その間、街を散歩しましょう。足湯が出来たり、夜より楽しめますよ。」

 シャルがスマートフォンの画面を見せる。この旅館がある集落は、飲食店や土産物屋が軒を並べる。前に散策した時は夜で全部営業終了していた。居酒屋くらい開いてそうなものだけど、どうやら居酒屋のように夜間営業する店はこの集落にはないようだ。
 コウザン寺はホーデン社社員とA県県警の収容所と化しているし、オウカ神社は現時点でこれ以上調査の必要はない。確かにシャルの言うとおり、街の散策をして夜が来るのを待った方が良い。時間は何処にいても何をしていても、同じように流れていく。

「待ってるだけじゃ退屈だし、出ようか。」
「はい。まず足湯に行きたいです。」

 夜は真っ暗闇に同化しているようにしか見えなかった街は、思いの外色々な店が軒を連ねる場所だった。シャルの希望どおりまず足湯に浸かってほっと一息。その後、ハネ村名物の1つという蕎麦屋に行って、錦鯉が泳ぐ池を見ながら食事をしたり、村の歴史博物館に行ったり。
 今でこそ辺境の過疎の村だけど、かつては豊かな農産物によって領主が度々入れ替わり、戦火にも見舞われた。だから、ハネ村には武家屋敷とかそういった遺跡は一切ない。名が戦乱と苦難の果てに訪れた平穏は、武士によるものではないという思いがハネ村の人々の根底にあるようだ。
 森を使った迷路やアスレチック、冬はスキー場でそれ以外はキャンプ場という場所もあったり、村の豊富な自然を活かした次の村づくりを模索しているのを感じた。自主警備隊の中には、警備のシフト以外はこういった施設を手伝って収入を増やしている人もいるそうだ。
 自主警備隊は、雇用の創出だけでなく、広大な面積と相反する人口の減少に一定の歯止めをかけ、増えた空き家に人が入ることで、家賃や売却益が出せて、高齢化が進んで限界集落待ったなしだったところに赴任することで集落が活気付いたり、防犯や鳥獣対策も改善したりといった、予想外の効果も生んでいるようだ。
 村はA県から引き出した補助金の他、村の財源や地方交付税を駆使して、自主警備隊を直接雇用している。しかも意外なのは、この手の雇用でありがちな有期雇用じゃなくて、無期雇用。実質的に公務員だ。兼業に関しても、兼業先が村の施設や店舗であることを条件にかなり柔軟に許可しているとのこと。
 村としては、賃金をある程度抑えることが出来るし、村の施設や店舗に若手-60代70代が「若い」と言われるのが過疎の村-が入ることで、人手不足の解消になる。人がいないと傷んでいく一方で、危険にもつながる空き家の改善にもなるし、売却できればそれなりの額になる。家賃にしろ売値にしろ、都心より広さに対して格安だ。収入に不安がある自主警備隊も、一気に広大な一軒家を持つことが出来る。
 このままだとホームレス一直線か、親兄弟に疎んじられて、やむなく自主警備隊に応募したという人が多い。蕎麦屋の店員もその1人だった。就職氷河期の世代を食いつぶすブラック企業で身体を壊し、以降就職がままならない状況で、親兄弟に疎んじられて、という流れ。
 自主警備隊に採用されて、借間として村から斡旋されたのは、実家の倍はあろう巨大な家の2部屋。キッチンやトイレとかは共同だけど、食材は豊富で安価だし、近所からもらうことも出来る。その分農作業の手伝いを頼まれたりするけど、こういうことだと兼業は無条件で許可される。
 これまで社会にも親兄弟にも爪弾きにされてきたけど、この村なら自主警備隊の勤務をこなしていれば、かつての環境よりずっとストレスなく生きていける。今時というか、ネット環境はケーブルTVで意外と高速だし、料金は定額。休日に引き籠ることも容易だ。
 中には、これまで有名企業に勤務していたけど、自主警備隊の話を聞いて、辞職してハネ村に来たという人もいる。アスレチックで出会った職員はそういう人だった。常に競争と見栄の張り合い、足の引っ張り合いで、自分も家族も疲弊していたところに自主警備隊の話を聞いて、ハネ村に心機一転移住したという。
 収入は確かに減った。だけど、これまでの貯金と退職金で、都心では考えられない価格であり得ない広さの家が買えた。自主警備隊の傍ら、耕作放棄地を安値で譲り受けて農作業をしたり、アスレチックで働いてもいる。精神的に参っていた奥さんや子どもも元気になって、奥さんは農産物の直販で収入を得るに至った。
 子どもが少なからず入ったことで、このままだと廃校待ったなしだった学校にも活気が戻った。運動場は広大だし、周辺が家で詰まっていないから、煩いと騒ぐ人もいないし、ボール遊びも自由に出来る。村出身の子どもは、今まで人数不足で出来なかった球技も出来るようになって、村に転入してきた子どもは周囲に気兼ねなく走り回れる。
 当然ながら、すべてが上手くいくわけじゃない。どうしても諍いが生じることもある。だけど、巨大な権力と莫大な金銭を背景にした干渉と圧力に長い間抗してきた村の人たちと、行き場をなくしたり疲れ果てたりした人たちは、それぞれの価値観を出して折り合いをつけながら、新しい生活を模索している。何度もそう感じた。

「この村は、元々の村人と新しい村人が協力して、次の村づくりを模索してるね。」
「はい。決して楽なことではありませんが、ハネ村の人々が小異を捨てて大同につくことで、自分達、ひいては次の世代のために今を生きようとしている気概が窺えましたね。」
「この村の将来は誰にも分からないけど、村の自主的な発展という点でも、ホーデン社やA県県警は放置しておけない。」
「同意見です。」

 旅館に戻った僕とシャルの合意が確認できたことで、方針は決まった。あとは残るスパイを炙り出して可能なら情報を引き出し、ヒヒイロカネを回収すること。後者はどうするか今のところ思いつかないけど、SMSAを招致することも出来るし、何とか出来る。兎に角、ヒヒイロカネとハネ村を狙う勢力の徹底排除が先決だ。

「シミュレーションどおり、残りのドブネズミが狼狽しながら持ち場を離れました。」

 運ばれてきた夕食を食べ始めたところで、シャルが言う。ダイレクト通話じゃないってことは、盗聴の恐れは完全になくなったということか。

「はい。監視網は検問など自主警備隊が使用する箇所以外はすべて遮断しました。全体の95%ですね。」
「どれだけあったんだ…。」
「それらは元々ホーデン社とA県県警のスパイだけが使用していたので、監視網には影響ありません。その監視網が次々遮断されたことで、村役場に潜んでいたドブネズミが狼狽し始めたわけです。」

 シャルが、これまで電源が入ったことがなかったTVの電源を入れる。上下に分割された上側が更に2等分された画面に、必死の形相で走る3人の男性の姿が映る。空はもう夜の帳が落ちているのに鮮明に映っているのは、シャルの画像処理のためだろう。

「下の画面が、弁護士の皮を被ったドブネズミです。」
「この弁護士、見たことがあるような…。」

 必死の形相で逃亡するこの弁護士、何処かで見たことがある。それは一旦置いておいて、3人とも徒歩での移動だ。スパイとしてハネ村に食い込んでいたんだから、車くらい持っていても良さそうなものだと思うけど、車に乗るのも忘れるほど狼狽えてるのか?

「それもありますが、車は制御システムに干渉して起動しないようにしてあります。」
「明かりがない中、徒歩で逃げるのは危険だけど人目は避けられるか…。」
「必死で逃げる先は決まってますけどね。」
「まさか…。」
「自由自在に使えたはずの監視網が続々遮断されて、外部との連絡が不通。そこにあるポイントだけ通信が出来たら、追い込まれたドブネズミはそこへ向かいますね。」

 この3人もコウザン寺に誘い込まれるのか。もうとっくに鮨詰めの筈だけど、どこに押し込むつもりなんだろう?それ以前に、碌に明かりもない中、徒歩でコウザン寺まで移動するのは相当な苦行だ。確か駐車場までもそこそこ山道を登る必要があった。麓から境内まで全部徒歩は、体力の限界に達するかもしれない。シャルはそれも狙っているのかもしれない。
 僕とシャルがゆったり豪華な食事をとる一方で、この3人は闇の中、唯一通信が通じた場所へと休みなくひた走る。そこに何が待ち受けているとも知らず。村全体を網羅する監視網を自由自在に使えたことで、ハネ村のすべてを掌握したつもりだったんだろうけど、それが使用不能になったら単なる1個人。しかもあまりにも無防備だ。
 画面には、必死の形相で、頻繁に後ろを振り返ったり、周囲を見回したりしながら走る3人が、その場の音声だけを拾って淡々と映される。BGMもナレーションもない、追手の影が一瞬映るわけでもない、カメラがズームしたりするわけでもない、ただ同じ角度と距離から映すだけの映像だけど、物凄く迫るものがある。
 3人は、別々の位置にいるようだ。相互に位置を確認できている様子はない。リアルタイムの映像処理があるから鮮明に見えるのであって、実際は街灯もほとんどない本当の暗闇。確認しようにも出来ない。激しい恐怖と焦燥感が、3人をコウザン寺に駆り立てているのか。そこで恐怖の罠が待っているとも知らずに。
 食事は終わって、食膳が片づけられる代わりに布団が敷かれる。この布団、1人分でもかなり広くてゆったり横になれる。しっかり乾燥させているからフカフカで寝心地も良い。その布団を捲って、シャルの膝枕で映像を見る。3人の服は彼方此方破れて、弁護士とかホーデン社社員という感は一切ない。画面のこちらと向こうでのギャップが激しい。

「それにしても、この3人、凄く慌ててるね。急いでコウザン寺に向かう理由は分かるけど、どうしてこんなに焦ってるのかな。」
「この映像を映している戦闘ヘリから、ライトを手にした自主警備隊がぼんやり見える映像を見せているからです。」
「今そこに居ない追手に追われているんだ。」
「はい。追いつめられる側の感覚をじっくり味わう、貴重な機会です。」

 3人の焦る理由が分かる。うっかり立ち止まれば、恐らくシャルのことだ。自主警備隊が迫ってくるように見えるんだろう。仲間や外部との通信が途絶した今、自主警備隊とは数で圧倒的に違う。しかも自主警備隊はA県県警から事実上の治外法権状態。スパイにとっては捕まったら安全どころか、生命の保証も疑問だ。
 3人のうち、上部左側の男がコウザン寺の麓に到着する。息も絶え絶えで足取りもおぼつかない状態で、男は懸命に山道を登る。明かりがないうえに森で周囲の光から隔絶されて、完全に真っ暗と言える。これまでどおり、スマートフォンのバックライトを頼りに、一歩一歩慎重に上る。体力からして、そうしないと上れないのもあるか。
 少し遅れて、上部右側の男もコウザン寺の麓に到着して、フラフラしながら山道を登っていく。一番遅いのは弁護士という下部の男。スーツ姿だけど彼方此方破れて、犯罪に巻き込まれたか泥酔して大暴れしたかにしか見えない、無残な姿を晒している。やっぱり見たことがある。何処だったっけ…。
 最初に到着した上部左側の男が、フラフラになりながらどうにか境内に到着する。ライトアップはないし、そもそも境内に明かりがない。唯一、社務所の窓がカーテン越しに明かりを放っている。人がいる可能性を暗示するこの光景に、男は吸い寄せられるように歩いていく。何だか亡者みたいだ。
 男は、社務所の玄関の前に到着する。そして、近くにあるインターホンを鳴らさず、玄関の扉を何度か叩く。一度では応答がなくて、2回3回と玄関の扉を叩く。男にはここしか逃げ場がないから必死の形相だ。引き戸の玄関が開く。その瞬間、黒い塊のようなものが飛び出して男を包んで引っ張りこんだ?!

「な、何?!今の。」
「ヒヒイロカネです。」

 シャルがさらっと言う。ヒヒイロカネが乗っ取った社務所は、まさに人を食らう建物。引き戸の玄関は音もなく閉まり、再び静寂が支配する。取り込まれた男の声は何も聞こえない。一瞬しか見えなかったけど、社務所の中は真っ暗、もしくは真っ黒だった。あの中はいったいどうなってるんだろう?

「この先、残る2人も同じように取り込まれます。ヒロキさんが見るまでもないでしょう。」
「情報収集はどうするの?」
「社務所で行います。わざわざ移送する手間をかける必要はありません。」

 TV画面が消える。孤立無援の残る2人が向かう先は、あの人食いの魔物そのものの社務所しかない。一方で、「外部」との通信は定常どおり行われているだろう。シャルが乗っ取ったシステムによって。「外部」は関係者の失踪を一切知る由がない。

「腐った弁護士は、ホーデン社経営層により近い情報源になると見られます。その分の利用価値はあります。」
「情報を引き出した後はどうするの?…殺しはしないよね?」
「処刑が主目的ではありませんし、ヒロキさんが望んでいないので、それは行いません。ですが、醜悪な目的でヒヒイロカネを狙う以上、そのまま解放することはしません。仏道を外れ、奴等に加担した住職も。」

 シャルの言うとおり、このまま解放しても、ヒヒイロカネからすんなり手を引くとは思えない。それに、僕とシャルの存在や行動を断片的にでも知られてしまう危険がある。解放は記憶を抹消するなりしてからになるだろう。その辺はオウカ神社のご神体回収時にも展開するであろうSMSAに任せれば良い。

「さて。次はヒロキさんの番ですよ。」
「僕の番って?」
「私が膝枕をしたんですから、次はヒロキさんが私に腕枕をする番です。」

 そういうことか。さっきまでの流れだと、僕が何か制裁されるのかと思った。少なくとも今のところシャルに制裁されるようなことはしてない筈だから、ちょっと焦った。
 身体を起こして、布団の1つに横になって掛布団を軽くかける。左腕を横に投げ出す。シャルはいそいそと布団に潜り込んで、僕の左腕の付け根近くに頭を置く。部屋の明かりが勝手に消える。シャルが赤外線リモコンを操作するなんて、寝ながら出来るレベル。あっという間に部屋は寝る場所へと変わる。
 ゆったりしたサイズとはいえ、1組の布団で大人2人が横になると、掛布団に収まるには密着する必要がある。僕はシャルとまさにその状況。シャルは僕の腕枕がお気に入りらしくて、ここ暫く、寝る時はずっとこうだ。寝心地が良いのか疑問ではあるけど。
 少し頭を左に傾ければ、綺麗な金髪を湛えるシャルの頭がすぐ近くにある。甘酸っぱい香りが鼻を抵抗なく通り抜けていく。この旅で同じように入浴してシャンプーとかしているのに、こうも良い匂いがするのは不思議だ。シャルが収集した香料を僕が一番気に入るように混合して放出しているからと聞いていても、やっぱり不思議だ。
 方や、追手の幻影を見せられて、人食いの館と化した社務所へ夜間行軍をする男がいて、方や、こんな美人と密着して寝られる僕がいる。同じ時間に同じ村で展開されている2つの状況はあまりにも違う。これもシャルの作戦の1つなのかな…。