謎町紀行 第47章

旅のパートナーを超えてカップルとして

written by Moonstone

 シャルに起こされて、夕食を迎え入れて食事を摂る。寝起きで最初は少し食べる気がしなかったけど、地元産の鹿や猪の肉と山菜を主体にした料理は美味しくてボリュームもあって、すんなり食事にのめり込めた。仲居の説明では、料理はこの旅館の売りの1つだという。
 料理を終えて、布団を敷いてもらう。部屋も外も至って静かだ。自主警備隊が不審者と見るや派手に追跡劇をするのかと思ったけど、そんな無法組織でもないようだ。耳を澄ますと、微かに虫の音も聞こえる。雰囲気は凄く良い。ホーデン社絡みのドタバタがなければ、この雰囲気や環境を売りにした観光でやっていけると思うんだけど。

「シャル。外で不審な出来事があるとか動きがあるとかどう?」
「自主警備隊が2人1組でパトロールをしている程度です。不審者の村外からの侵入もありません。」
「平和な夜か…。自主警備隊が機能してるか、この村の本来の姿なのか分からないけど。」

 この静けさを素直に受け入れられない。人口が少なくて喧騒を呼ぶ繁華街がないハネ村本来の姿かもしれないけど、自主警備隊の目を恐れて外出を控えているのかもしれない。シャルの情報だと、実際自主警備隊がパトロールをしているっていうし。夜が静かなのは戒厳令とか夜間外出禁止令が発令されている、恐怖政治の表れである場合もある。

「外に出ませんか?」
「僕は良いけど、危険はないかな?自主警備隊に職務質問されるとか。」
「妙な真似をすれば、その瞬間に口を封じられるだけですよ。」
「…過激なことはしないでね。」

 シャルはあえて外に出ることで、自主警備隊の本性を探ろうとしてるんだろう。見た目可憐だけどその気になれば全身凶器の塊と化すシャルだからこそ出来る、ある意味囮捜査だ。シャルに絡んだ瞬間、重武装の兵士でもその場で瞬殺されるのは確実。命がけどころか自殺行為でしかない。
 浴衣のままでも外出可能なので-ただし防寒や傘などは自前-、そのまま外に出る。静まり返った外は、予想以上に暗い。街灯がないからだ。フロントにLEDライトを渡された理由がよく分かる。何もなしに歩いたら、溝に嵌ったり躓いたりしそうだ。

「夜ってこんなに暗いんだね。」
「街灯や家の明かりがどれだけ夜空を明るくしているか、よく分かりますね。」

 この旅に出てから星空を見たことは何度かあるけど、殆どがシャル本体の中からだ。こうして外の空気に触れて直接吸いながら夜空を見るのは、新鮮でもある。こうして夜空を見ながら気ままに歩ける時間が得られたのも、この旅で得られたことの1つ。以前は運転しての帰宅だったから、夜空を見ることはなかった。
 街灯がないのは、本来の夜空を守るためだろうけど、外出にはかなり危険だ。物陰に何が居るか分からない。勿論、今はセンサの塊ともいえるシャルが居るから、その辺の心配も不要ではある。さて、パトロール中だという自主警備隊はどう出るか?そもそも出くわすか?そんな遭遇を狙いながら歩くのはちょっとなぁ…。

「わざわざ絡みに来るなら、こちらとしては好都合です。相手が何をしようが、ヒロキさんには指一本触れさせませんよ。」
「シャルの能力を信用してないわけじゃないんだ。ただ…。」
「ハネ村が本当に財政面でも自治の面でも独立しようと奮闘しているのか、ただ治安維持ごっこに興じる集団でしかないのか、それによって自ずと自主警備隊の動きも変わってきます。人口や財政規模を跳ね返して未開の道を切り開くか、権力という名の麻薬に溺れて狂うかは、ハネ村次第です。」
「…。」
「ハネ村が長年ホーデン社とトヨトミ市の干渉に晒され、反撃の機会を窺っていたのは事実ですし、それは評価されるべきです。しかし、無実の人の生活や、時に人生や人格をも踏み躙ってまで独立を進めるのは筋が通りません。これまでの経緯とこれからの方向性は、別々に見極め、評価する必要があります。」
「うん…。」

 えてして人間は権力に弱い。治安維持に関わる権力は特に中毒性と依存性が強い。これにハネ村が毒されるかどうか。個人的には、ハネ村が独自の道を歩んでほしいけど、権力に毒されたらやっぱり破滅しか残されていない。残念だけど、これはどの時代でも変わらない。
 目的はあくまでヒヒイロカネの回収だし、それは十分分かっているつもりだ。その観点に立脚すれば、ハネ村の出方次第ではヒヒイロカネ回収の障害として排除するのが当然ではある。その結果、ハネ村が吸収合併の末路を辿ったとしても、仕方がないことか。そうは思うけど、今回はそう思いきれないのも確かだ。
 シャルの案内で、古い町並みを残した通りを歩く。土地柄か、空いている店はない。夜に外で飲み食いするという他の観光地の感覚だと、この辺は不満に思うかもしれない。幸いにして、僕はそんなに飲める方じゃないし、こうしてゆったり散歩をする方が性に合う。
 前から、LEDライトを持った制服姿の男性2人が歩いてくる。パトロール中の自主警備隊か。俄かに緊張が高まる。どちらかというと、自主警備隊の安全や生命の方面だけど。

「すみません。ハネ村自主警備隊の者です。少しお時間よろしいでしょうか?」

 すれ違うかと思ったら、自主警備隊が話しかけてくる。LEDライトで手元を照らして、「ハネ村自主警備隊」と書かれた、氏名と顔写真入りのネームプレートを見せる。

「何でしょうか?」
「旅行者の方と思いますが、どちらにお泊りか、どちらへ行かれるかを教えてください。」

 恐らくパトロールの一環としての職務質問だろう。予想よりかなり物腰は柔らかい。A県県警が役に立たなかったことの教訓を反映してのことだろうか。

「旅館オオゾノに泊まってます。特に行き先は決まってませんが、周辺の散歩をしてます。」
「旅館オオゾノにご宿泊、周辺の散歩、ですね。分かりました。ご協力ありがとうございました。」
「地域の治安は良好ですが、街灯がありませんので、民家がないところは十分ご注意ください。では、お気をつけて。」

 職務質問はあっさり終了した。自主警備隊は揃って一礼して、僕とシャルが来た方向へ歩いていく。もっとあれこれ根掘り葉掘り聞いて、少しでも怪しいと踏んだら本部に連行すると思ったけど、言葉遣いは少なくとも警察よりはずっと丁寧だったし、威圧や挑発もなかった。

「意外にあっさりしてたね。」
「ヒロキさんに指1本でも触れようものならただでは済まさない、と警戒していましたが、ひとまず杞憂に終わりましたね。」
「…お願いだから、過激なことはしないでね。」
「折角のデートを台無しにされたら、平静ではいられませんよ。」

 デート…だよな。むしろ、この状況がデートじゃないと言ったら、何を言ってるんだと言われるのは必至だ。シャルが手足を切り落とすことも躊躇しない警戒ぶりだったのは、そういう考えがあったからか。嬉しいけど、手足を切り落とされて鮮血を吹き出しながらのた打ち回る自主警備隊を積極的に見たいとは思わない。
 改めて2人で歩く。街灯がない夜の街は本当に暗い。LEDライトだけが頼りだ。ふと空を見ると、漆黒の空に無数の星が輝いている。月明かりがないと夜は本当に真っ暗で、空も真っ暗なんだと改めてよく分かる。この夜と空も、都心は勿論、住宅街に入ったらまず見られない貴重なものだ。
 宿がある界隈を抜けると、一面の水田になる。旅館にチェックインする時にも通った道だけど、夜になると黒一色の世界だ。ライトがないと何も分からない。空は変わらず星が埋め尽くしている。宇宙に浮かんで銀河を見ると、こんな感じなんだろうか。

「この道を歩いていくと、川に着きます。今は時期を過ぎましたが、蛍が見られるそうです。」
「蛍か。見たことないなぁ。」
「私も情報として知っているだけで、実際に見たことはないですね。」
「山奥で交通が不便なことが幸いしてるね。川が整備されるとまず蛍は出ないから。」

 蛍が光っている様子は写真とかで見たことはあるけど、実際に見たことはない。蛍の時期は残念ながら過ぎてしまったけど、この自然や風景が保たれる限り、この村の蛍は1年に一定の時期だけ、仄かな光を放つだろう。
 ハネ村は蛍だけじゃない。桜や紅葉の時期も混雑とは無縁の穴場だと言うし-穴場という情報が広まると穴場じゃなくなるけど-、料理は普段の生活では珍しい鹿や猪の肉に加えて川魚や山菜を季節に応じて使う郷土色豊かなものだ。日常に疲れた人達が癒しを求める、穴場感と高級感を売りにした保養地としてやっていけるんじゃないかと思う。
 ハネ村は何処へ向かおうとしているんだろう。市町村が独立して48番目の都道府県になるなんて、実際に出来るのか疑問だ。A県から補助金を引っ張り出したけど、それは当然ながら独立したら得られないし、ハネ村の財政基盤で自主警備隊や監視網の保守管理が出来るかどうかも疑問だ。

「それにしても、真っ暗だね。道と水田の境界が分からない。」
「地表の水は鏡となって空を映します。空が黒なので黒一色です。」
「これだと、夜に外を歩くのは危険だね。」

 水田の周りは民家もないし街灯もない。今はLEDライトで何とか足元が見えているけど、万一足を踏み外したら水田に真っ逆さまだ。

『これは侵入者のトラップでもあるようです。』
『此処にもカメラや盗聴器が仕掛けられてるの?』
『はい。道の両側に埋め込まれています。水田に落ちたら、暗闇では上下も分からなくなって最悪溺死します。そうなれば、夜間に水田に落ちて溺死したという理由が成立しますし、目撃者も居ない環境となれば、アリバイ工作としては完璧です。』
『こんなところまで…。』
『この監視網は相当計画的、かつ組織的に構築されたと見て間違いないですね。』

 整備されているとはいえ、あぜ道や農道にまで街灯代わりに監視カメラと盗聴器を埋め込むなんて、尋常じゃない。村全体で一体何台の監視カメラと盗聴器が配置されているか、想像も出来ない。この監視網は単に侵入者対策として使用されているとは考えづらい。何か別の目的があると考えたくなる。
 監視カメラや盗聴器の価格は良く知らないけど、千円単位はくだらないだろう。単純にそれだけでも村全域を覆うには千や万の単位だろう。そこに、安定的に動くように電源を配線したり、高所や地中に隠蔽するように配置したりするには、人も金もかかる。数千万、下手したら億単位の費用が掛かっている筈。
 A県から引き出した補助金は、雇用関係に使われるもの。上手く文章をこね回せば監視網の構築に使えるかもしれないけど、全額回して足りるかどうか。それに、監視網を構築したらそれで終わりじゃなくて、設備そのものの維持費もかかる。それを今後賄う見通しはあるんだろうか?

『調査は進行中です、今夜一晩はかかりますから、ヒロキさんはゆったり構えていてください。』
『うん。待つときは待たないとね。』
「この先も街灯やめぼしい場所はないらしいので、この辺で帰りましょう。」
「そうだね。」

 監視カメラの役割は不明だし、デートの様子を覗き見られるのは気分が良くない。旅館の客室の方がゆっくり出来そうだ。果たして、調査結果で判明するのは、独立に向けて限られた人員で安全なまちづくりを試行錯誤する村の姿か、それとも監視と抑圧で抑え込もうとするディストピアに突き進む村の姿か…。
 旅館に帰還。暗闇の中を歩いていたせいか、ロビーが一瞬眩しく感じた。客室で何をするわけでもないけど-地元産の酒や茶菓子は客室にある-、ゆったり出来る方が重要だから、騒がしさと無縁のこの環境は好都合と言える。
 客室に入って、茶菓子を軽くたしなみつつ寛ぐ。自分の呼吸音が分かるほど室内は静かだ。深夜でも車のロードノイズが遠くに聞こえたり、繁華街の喧騒があったりするこれまでの生活とは完全に隔絶されている。この静寂に耐えられない人もいるだろうけど、僕はこういう環境の方が好きだ。

「ヒロキさん。隣、良いですか?」
「うん。」

 茶菓子を出した小型の机を挟んで向かい側に座っていたシャルが、立ち上がって僕の方に来る。腰を下ろして僕に軽く凭れ掛かる。柔らかい感触が浴衣越しに伝わる。

「ハネ村全域で自主警備隊を監視していますし、オウカ神社も勿論です。安心してください。」
「勿論、シャルやシャルが創った部隊の能力は間違いないと思ってるよ。つい最近まで典型的な過疎の村だったハネ村と、尋常じゃない監視網の関係性が気になってるんだ。」
「調査は順調に進行中です。今は、私を見てください。」

 シャルの左手が僕の頬を捉えて、シャルの方を向くよう誘導する。近い。シャルの顔が凄く近い。サファイアのようなシャルの瞳に僕の顔が映っているのが分かる。それだけ近いってこと。仄かに漂う甘酸っぱい香りもあって、シャルに魅惑の魔法をかけられているみたいだ。

「私にもっと構ってくださいよ。」
「シャル…。」
「池のほとりでのキス以来、何もしてくれないですね…。私のことも考えてください。」
「…。」

 シャルの瞳に引き寄せられて、僕は目を閉じながらシャルにキスをする。シャルの左手は僕の頬に添えられたまま。身体が軽く痺れるような感覚が襲う。これは…何だろう?気持ちいいから?
 ゆっくり唇を離す。シャルの瞼がゆっくり開く。距離を取ったけど、キスの前よりシャルの顔は近いところにある。シャルの左手は、まだ僕の頬に添えられている。離したくないってこと?それは…僕だって同じだ。
 チラッと左の方に視線をやる。散歩の間に2組の布団が並べて敷かれている。僕が布団に近い方に座っていたから、すぐ傍にあると言って良い。僕から見て左方向に押し倒せば、上半身は布団に十分届く。そこからどうこうするのは…僕とシャル次第。
 逸る気持ちを抑えて、もう一度キス。少し唇を吸ったり、角度を変えたりしてみる。シャルは何も抵抗することなく、唇を吸い返し、首の角度を変える。尚もシャルの左手は僕の頬に添えられているけど、それがむしろ気持ちよく感じる。
 暫くシャルの唇を堪能して、唇を離す。息継ぎも兼ねて少し間を置いてから、再び唇をシャルに近づける。今度は唇じゃなくて…白い首筋。

「ん…。」

 くぐもった声が聞こえる。僕の頬に添えられていたシャルの左手が、僕の後頭部に移る。そして軽く引き寄せる。嫌がってはいない。そう感じた僕は、唇を触れさせたまま、シャルの首筋の左から右に移動させる。シャルの首の傾きが、僕の首の動きに連動しているのを、頭頂部の方で感じる。
 シャルの滑らかな、ほんのりボディソープの香りがする首筋から唇を離して、再びシャルと至近距離で向き合う。ややとろんとした表情のシャルは、これまでになく扇情的だ。シャルは僕をじっと見つめている。僕の次の一手を待っている。そう思えるし、そう思いたい。

「部屋の明かり…消しますね…。」

 シャルが言うと、天井の電灯が消える。リモコンを操作してないのに?シャルにとっては、リモコン操作の電気製品なんて、手を伸ばしてスイッチをONOFFするようなものか。暗闇の中に、シャルの肌の白さと髪の金色が仄かに輝いて見える。
 シャルにキス。唇を吸いながら、角度を変えながらどうしようか考えるうちに頭が熱くなってきた。シャルの左手は僕の後頭部を軽く引き寄せたまま。僕も負けじとシャルの両腕を掴んで引き寄せる。よりシャルと密着する。シャルの柔らかさが唇だけじゃなく、身体の前面を通して伝わってくる。
 呼吸が荒くなるのを感じる。変に思われるのを避けるために、いったん唇を離す。シャルの顔しか見えない近さだ。僕とシャルの呼吸音と、僕の心臓の鼓動しか聞こえない、この世に僕とシャルしかいないんじゃないかと思わせる静寂の中、僕は意を決してシャルを引き寄せ、抱き締めて、左側に身体を傾ける。
 僕とシャルの上半身が掛布団に埋もれる。僕はシャルに体重をかけてシャルに覆い被さる。シャルの身体がより深く掛布団に埋もれる。シャルの両側に両手をついて、シャルを見る。シャルの左手は僕の後頭部を軽く抱いている。右手が動いて、左手と同じ位置に届く。

「重くないかとか、呼吸が荒くないかとか、そんなこと考えないでください。今は私への感情を剥き出しにしてください。」
「…シャル。」

 僕はシャルに覆い被さってキスをする。柔らかい。兎に角柔らかい。それに良い匂いがする。シャルが愛しくて堪らない。シャルの唇から首筋へと唇の場所を移す。柔らかくて滑らかで、髪に近いからか良い匂いが強まる。先に僕の方が頭がオーバーヒートしそうだ。
 僕は、シャルの身体全体を掛布団の上に乗せるように少しずつ動かす。圧し掛かっていると動かし難いしシャルも動き辛いだろうから、肘を立てて身体を浮かして誘導する。唇はシャルの首筋に触れたまま。シャルは脇腹に当てた僕の手に従って、大きめに身体をよじって動かす。
 シャルの身体全体が掛布団の上に乗ったところで、僕は顔を上げて、シャルの両脇近くに手をついてシャルを見る。シャルは唇を少し開けて、とろんとした表情で僕を見る。シャルの両腕は僕の後頭部に回ったまま。シャルは浴衣1枚…の筈。今目の前にあるシチュエーションに、頭が沸騰しそうだ。

「私とするのは…嫌ですか?」
「それは絶対ないよ。僕の真下に、こんな可愛くてスタイルが良くて、僕を騙したり馬鹿にしたりしない彼女が居るって事実に、頭が追い付いてないんだ。」
「私はホログラフィじゃないですよ。」
「分かってるつもりだけど…、こんな最高のシチュエーションが今目の前にあることを、頭がなかなか信用しきらないっていうか…。」
「ヒロキさんの五感全てを使って、私の存在を感じてください。今のシチュエーションを完全に信じられるように。」

 暗闇に目が慣れてきて、きっちり着られていたシャルの浴衣がかなり乱れているのが分かる。身体をずらすように移動したせいかな。胸元と裾がはだけて、深い谷間を作る2つの球体が顔を覗かせていて、白い足が付け根近くまで見えている。物凄く扇情的だ。
 ここまで来て、今のシチュエーションが何かの間違いとか騙されてるんじゃないかと疑う余地はない。第一、シャルがその気になれば、僕を道路まで弾き飛ばしたり、天井から逆さに吊るすことも簡単にできる。今のシャルから、そんな考えは微塵も感じられない。
 ここからどうするかは僕次第。浴衣を脱がして一気に一線を超えるのも、シャルの身体を隅々まで堪能するのも、僕次第。だけど、これから先、何時終わるか分からない旅を続けるパートナーでもあるシャルと、この場で一線を超えるのは…。この先、夜になればシャルを押し倒すようになるんじゃないかって気がしてならない。
 それは僕にとっては良くても、シャルにとって良いこと?夜になれば僕に押し倒されて、僕の精力が尽きるまでシャルは相手をさせられることになるんじゃないか?僕がそうならないって保障も自信もない。こんな僕の好みストライクど真ん中の彼女の「味」を覚えたら、それを食べないと満足できなくなることは容易に想像できる。
 もっと…もっとシャルを知りたい。シャルの知らない部分、知らないことを知りたい。一線を超えるのは…それからでも遅くない。キス1つとっても…知らないことはまだある。シャルの唇の向こう側。僕は身体を沈めて、シャルにキスをする。唇の感触を十分感じてから、シャルの唇を舌で割って中に入れる。

「んん…。」

 くぐもった声がする。シャルは唇を開いて僕の舌を受け入れる。唇や抱いた時の温もりとは違う温もり。他人の身体の中に入ったという感覚を醸し出す、生々しい温もり。これが…シャルの口の中…。僕は舌でシャルの歯や舌を突いたり舐めたりする。シャルの口の中を好きに動いている。この事実が興奮を強める。

「!」

 僕の口の中に柔らかいものが挿し込まれる。シャルの舌だ。僕とシャルの舌が、互いに圧迫を強める唇同士の境界線で交錯している。僕は口を開いてシャルの舌を受け入れる。シャルの舌が、僕の舌と同じように、僕の歯や舌を突いたり舐めたりする。シャルが僕の中に居る。僕の真下に居るシャルが…。
 僕とシャルは大きく口を開けて、交差するように首を傾ける。僕の舌はシャルの口の中を、シャルの舌は僕の口の中を自由に動き回って、舌先で歯の裏側を突いたり上下左右に小刻みに動かす。そんな動作が猛烈な快感を生む。シャルと舌が交錯するキスをしているこの現実に、頭が沸騰しそうだ。
 僕はシャルを抱いて、徐に身体を横倒しにする。そしてそのままシャルを引き寄せて持ち上げる。シャルと体勢を入れ替えた。唇を、否、口を開いて交差させたまま。シャルは体勢が入れ替わったことで行為を止めない。舌を出し入れして、歯の表も裏も、頬の裏側や上顎の奥も、舌先を動かす場所にする。凄く気持ち良い。
 何度も体勢を入れ替えての激しいキスが、僕が上になった体勢でようやくひと段落。僕が口を離すと、唾液が蜘蛛の糸のようにシャルの唇と繋ぐ。僕もシャルも呼吸は荒い。こんな激しいキスを延々と続けて、呼吸を平静に保てる方がおかしい。

「凄く…気持ち良かったです…。」
「僕も…。」

 名残惜しさを象徴するかのように尚も僕とシャルの唇を繋ぐ唾液の糸を、シャルに軽くキスすることで切る。シャルは目を開けて、恍惚とした表情で僕を見つめている。

「もっと…いっぱいしてください。」

 このシチュエーションで物欲しげにシャルに求められて何もしないほど、僕の理性は強固じゃない。身を沈めてシャルにキスすると同時に舌を挿し込む。ほぼ同時にシャルから舌が挿し込まれる。抱き合って体勢を入れ替えながら、僕はシャルと舌が交錯するキスを続ける。  何度目かの、僕が下になった体勢でキスが終わる。シャルが唇を離していくと、唾液の糸が僕とシャルの唇を繋ぐ。シャルは僕に軽くキスをして唾液の糸を切る。シャルは身を沈めて僕の左肩に頭を落とす。シャルの荒い吐息が間近で聞こえる。吐息が物凄く艶めかしい。

「この先も…欲しくないですか?」
「シャ、シャル。耳元で囁き声なんて反則。」
「これもヒロキさんの特権ですよ。ヒロキさんの彼女が私だからこその。」
「だ、だから耳元で囁き声は反則だって…。」

 シャルの度が過ぎない甘さと透き通った声は、囁き声になると破壊力が更に高まる。脳の奥まで届いて溶かしそうな、凄い魅力がある。加えて浴衣1枚-正確には2枚-挟んだだけの胸には、シャルが持つもう1つの強力な武器、胸の暴力的な柔らかさが重力でこれでもかと伝わってくる。
 今もシャルを抱き締めているけど、シャルは本当に柔らかい。力を入れるとその場所が凹むけど、力を緩めるとふわっと押し返してくる。この弾力を的確に表現できないけど、抱き締めたくなる魔性の柔らかさというか。抱き方や力加減を少しずつ変えて、もっともっと抱き締めていたいと思わせる。
 僕もこの先へ進みたいと思う。囁き声と吐息、全身に伝わる柔らかさ。僕とシャルの間にある浴衣を脱がせば、シャルの肌が露わになる。浴衣は帯で留められているだけだから、帯を解けば脱がすのは簡単。激しいキスの名残で、僕もシャルも浴衣は相当着崩れている。脱がすのは片手1つで出来る。

「どうして今日はこんなに積極的なの?」
「ヒロキさんの心がヒヒイロカネとハネ村の行方に傾いているので、私の方に傾けたかったからです。」
「こ、答えるのも囁き声でしなくて良いから。」
「私は、ヒロキさんをヒヒイロカネの捜索と回収のために心身を費やさせるつもりは毛頭ありません。拠点に居る時、食事や休憩、そして夜は、非常時を除いて今を満喫して欲しいんです。私は、ヒロキさんのヒヒイロカネ捜索と回収の監視役ではありません。共に今を生きるパートナーであり彼女です。」

 シャルの囁き声は、僕の独占欲を巧みにくすぐる。この声とこの柔らかさで迫られ続けると、理性を崩壊させろと唆されているような感さえある。実際シャルはそう考えているのかもしれない。僕も正直、シャルをすべて僕のものにしたいという気はある。だけど、どうしても、このまま一線を越えて良いのかという疑問が完全に消えない。

「どうして自分の気持ちに素直になれないんですか?私は今までの女のように、求めてきたヒロキさんを騙したり嘲笑ったりしません。」
「それは十分分かってる。シャルはナチウラ市でも、僕に今までのトラウマを帳消しにする凄く良い記憶をくれた。」
「だったらどうして?」
「このまま一線を越えたら…、夜はシャルを抱かずにいられなくなると思うんだ。」
「それの何が問題なんですか?」
「シャルは、毎晩毎晩僕に押し倒されても良いの?」
「ヒロキさんが、私が彼女だから押し倒すんですよね?今も。…それとも、女なら誰でも良いとかー?」
「!ち、違う違う!それは絶対違う!」

 これまで独占欲をくすぐる、甘く透き通った囁き声だったのに、唐突に抑揚が少ない、1オクターブ下がったトーンの声に変わった。怖い。物凄く怖い。迂闊でも興味本位でも馬鹿な答えを返したら、喉笛を食い千切られるんじゃないかと思う。

「僕はシャルが好きだよ。これは嘘偽りない。本当の気持ち。」
「じゃあ、どうして私と一線を超えるのを躊躇うんですか?」
「こ、声のトーンがまだ低いよ…。そういう関係になるまでをもっと楽しみたいんだ。シャルと色々なところに行ったり、買い物したり、現地の料理を食べたり。今までしたくても出来なかった、騙されたり酷い目に遭わされたりしたことを帳消しにして、あの経験があったからシャルと出逢って2人きりで旅をしてるって、もっと思って良い記憶を作りたいんだ。」

 ナチウラ市でシャルと2人きりのバーベキューは、あの詐欺による使役でバーベキューそのものに嫌悪感を持っていた僕に、優越感と幸福感と満足感を齎してくれた。シャルの容貌と魅力はまさに一騎当千だと実感した出来事でもある。あのレベルを出されたら、化粧や画像ソフトなしに写真や顔を出せない女性は尻尾を巻くか遠吠えするしかない。
 水着を着たシャルと海水浴に繰り出したのも、浴衣を着たシャルと花火大会の見物をしたのも、周囲から驚愕や羨望や嫉妬の視線を集めるには十分だった。僕は心の何処かで、こんな可愛くてスタイルも良い彼女と一緒なことを自慢したかった。まだあの頃は彼女じゃなかったけど、そうなると良いなって思っていた。
 もっとシャルとの記憶が欲しい。一線を越えたら、記憶を作るよりシャルを抱くことばかり考えてしまいそうだ。何しろシャルのスタイルは下手なグラドルが裸足で逃げ出すレベル。そんなシャルを一度抱いたら、シャルを抱かないと寝られないほど溺れてしまいそうな気がしてならない。
 この旅に出て3か月くらい経つけど、まだ3か月だ。シャルが僕の好みのストライクど真ん中の人型で僕の目の前に現れたのも、凡そそのくらい。3か月で一線を越えるのは、どうも違和感がある。…超えたいとは思うけど。

「私を今直ぐにでも抱きたい気持ちと、カップル関係をもっと堪能したい気持ちがせめぎ合っているわけですね。」
「簡潔に纏めてくれてありがとう。実際、そんな感じだよ。」
「私が…人間じゃないから、抱くのを躊躇っているんじゃないんですね?」
「それは全然ないよ。」

 シャルがヒヒイロカネってことは勿論分かってるけど、僕の中では僕の車と一心同体になって制御できる、僕の車と分離した存在という感が強い。車は戦闘機や戦闘ヘリが飛び立ったり、ミサイルが無尽蔵に発射されたりするから、明らかにこの世界の車とは違うと思うけど、シャルは余程意識しないとシャルがヒヒイロカネって認識できない。
 SFなどのアンドロイドやサイボーグだと、食べ物はオイルや特殊なカプセルだったりするし、明らかに何処か人間じゃない雰囲気なり違いなりがある。シャルはそれが全くない。人間と同じように食べて寝て、入浴もする。喜怒哀楽の感情も明瞭だ。
 ヒヒイロカネって認識できない決定的な理由の1つは、この柔らかさ。押し込めば押し込んだだけ凹むけど、押し込む力を緩めるとふんわり押し返してくる。それに温もりが加わっている。端的に言えば、物凄く抱き心地が良い。これで実はヒヒイロカネっていう特殊な金属だって認識する方が難しい。
 もう1つは、僕に寄り添ってくれること。初めて人型をとって現われた時は流石に面食らったけど-見たこともない妙齢の女性がナース服を着て目の前にいて驚かない方がおかしい-、あの時以来、シャルは常に僕を寄り添って、労わってくれる。

「彼女になってもらう時も言ったと思うけど、シャルが人間かどうかなんて僕は何の条件にもならないよ。容貌が僕の好みのストライクど真ん中なのは勿論だけど、シャルは僕に親身になって、労わってくれる。シャルのことが全部好きなんだ。」
「その言葉、もっと言ってください。ヒロキさんからその言葉を聞くと、全身が温かいもので包まれるようです。」
「そうか…。あまり言ってなかったね。…好きだよ。僕はシャルが好きだよ。大好きだよ。」
「嬉しい。私も好き。大好きです。」

 シャルの声が脳を溶かすような囁き声に戻る。僕にしっかり抱き着いて頬ずりする。凄く気持ち良いし、心が安らぐ。シャルが僕の彼女になってくれたからこそ出来ること、感じられることはまだまだたくさんある。一線を越えるのは、それらを体験し尽くしてからでも遅くない。僕とシャルはこれからも一緒に旅を続けるんだから…。