謎町紀行

第15章 長閑な鉄道と家系の明暗

written by Moonstone

 ホテルに戻って揃って浴場に行って、部屋に戻る。男湯は閑散としているどころか僕以外誰も居なかった。女湯も同じだったそうで、シャルはゆったり天然温泉の大きな湯船に浸かれてご満悦の様子。僕は浴衣姿のシャルを見られて満足。部屋に戻ってソファに並んで座る。今回は十分広いんだけど、シャルは距離を詰めている。正直嬉しいけど、話に集中できるかちょっと不安だ。

「どういう順番でお話するか考えてなかったので、前後するかもしれません。」
「話せる順番で良いよ。時間は十分あるし。」
「お言葉に甘えて。」

 シャルは、話す順番や話せる内容を選ぶように、間を挟む。

「…手配犯をもう少し詳しくお話します。」

 シャルが最初に選んだのは、この世界にヒヒイロカネを持ち込んだ手配犯だった。ある意味、この旅の目的の核心に迫るものだ。

「手配犯は、危険な政治団体に属しています。ヒヒイロカネを本来の世界−この世界に戻し、神の家系による世界統治を実現するという思想を基に活動するこの団体は、ヒヒイロカネを扱う施設では絶対に採用しないとされていたのををはじめ、私が創られた世界では第1級警戒対象となっていました。あの大場という元副市長の方が目撃した人物の服装は、その団体の構成員が好む服装なんです。神の家系と心身を同じくする、と。」
「テロ集団みたいなものか。」
「政治団体の皮を被ったテロ集団です。以前も少しお話したかもしれませんが、ヒヒイロカネを管理地域外に持ち出すことは理由を問わず実刑など重罪とされています。それは、処理がなされていないヒヒイロカネが無限に増殖することや、これまでの事例のように埋め込んではならない部位に埋め込まれて、人体に甚大な悪影響があることも勿論ですが、この政治団体がヒヒイロカネを持ち出すことがこの世界に干渉する危険が高いと判断されたこともあります。」
「こっちの世界に干渉する危険ってことは、シャルが創られた世界からこっちの世界に来ることは出来る状況なの?」
「いえ、出来ません。この世界からヒヒイロカネを撤収させた際、この世界との行き来は出来ないようになりました。」

 確か、この世界にはヒヒイロカネはあってはならないとされて、ヒヒイロカネはシャルが創られた世界に運ばれて、世界は切り離されたんだったな。でも、あの老人はあちらの世界からこの世界に来ていたし、行き来自体は出来るんだろう。それが非常に厳しい条件なり手続きなりを必要とするようだけど。

「その政治団体の構成員が、ヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだことは分かってるの?」
「はい。事件が起こってから問題の政治団体の構成員を中心に捜査が行われ、その政治団体の構成員だけが事件後から消息不明になっていました。また、この世界と行き来できる唯一の方法が使用され、消息不明になった構成員が使用していることがログから判明しました。」
「関係者以外使えない専用のトンネルを使って抜け出したようなものかな。手配犯の目的は分かってるの?」
「その政治団体がかねてから『時は来た』と題する、政治団体のかねてからの主張を実行する段階に来たという論説を掲げていたので、そのためだという見方が有力です。」
「この世界に何人入り込んだの?」
「ログと警備システムの画像解析から、5人であることが分かっています。」

 5人を多いと見るか少ないと見るか、それは見解が分かれる。未処理のヒヒイロカネを管理区域から持ち出すのは、相当厳重な警備を抜けないと不可能。しかも、シャルが創られた世界の文明レベルはこの世界より格段に高いのは確実。その5人は相当な知能犯で計画的に実行したと考えられる。
 だとしたら余計に厄介だ。ヒヒイロカネを持ち出したが良いけど持て余して何処かに捨てるか埋めるかしたってなら、シャルが絞り込んだ候補地を順に辿っていけば何れは回収できるだろう。だけど、意図を持ってヒヒイロカネを持ち出したなら、重大な悪影響を齎す状況になっていても不思議じゃない。
 現に、タカオ市の状況はそうなっている。市の条例にまで間接的に食い込んで、人々の生活をギスギスしたものにしている。更に、元副市長も辛辣な口封じをして追放した。そしてシャルと同程度に人格や意志を持つ確率が高いヒヒイロカネが、一自治体とは言えその中枢に座している。宇宙人が地球の支配層に食い込んでいるという陰謀論が現実になったようなもんだ。
 此処で1つの疑問が浮かぶ。僕にシャルとヒヒイロカネ回収を託したあの老人は、そんな切迫した事情があることを一言も言わなかった。期限はないけど早めに回収するのが望ましいとは言ってたけど。それは僕にプレッシャーにならないようにするため?

「『全てを捨ててこちらの世界の不始末を片づける決意をした彼−ヒロキさんの負担を増やさないように。』あの方はそう言いました。」
「…。」
「あの方にはある意味楽観的な観測もあります。この世界の文明や技術の水準からあまりにも乖離しているヒヒイロカネを持ち出しても、十分な設備も管理プロセスもない中ではいずれ破綻する、と。長期的にはヒヒイロカネは手配犯の手に負えなくなるので、ある意味放棄されたヒヒイロカネを回収することも視野に入れる、ということです。」
「それだと、この世界の罪のない人が犠牲になってしまう…。」
「残念ながら、それは避けられません。」

 ヒヒイロカネはやっぱりこの世界にあってはならない。それがあるだけで無関係な人を巻き込んで犠牲にしてしまう。手配犯の手に負えなくなるレベルまで待っていたら、1つの町どころか1つの国が死絶えることもあり得る。そうなる前にヒヒイロカネを探しだし、回収する。目標達成の緊急度が高まっただけだ。

「ヒロキさんにとっては、騙されたような気分かもしれません。それは率直にお詫びします。」
「否、ヒヒイロカネを何としても回収する必要性と緊急性が増しただけだよ。言い換えれば、大義名分が強く裏付けられたんだ。そのためにこれまでを全て捨ててこの旅に出たのが騙されたんじゃないから、シャルが謝る必要はないよ。」
「ヒロキさん…。ありがとうございます。」
「問題はその5人が、今もその5人じゃないかもしれないってことだよね。子孫が居たり、意志を受け継いだ別人だったり。」
「それは十分あり得ます。こちらの世界に逃げ込んでからかなりの年月が経過していますから、手配犯当人ではないことは十分考えられます。この世界と比較すれば長寿命ですが、不死身ではありませんから。」
「それなら、手配犯やその継承者の身柄拘束より、ヒヒイロカネ回収に重点を置くべきだね。ヒヒイロカネを回収すれば手配犯は何もしようがなくなる。」
「そのとおりですね。手配犯の身柄確保とヒヒイロカネの存在はイコールではないです。」

 旅の目的はヒヒイロカネの回収だ。そこはぶれちゃいけない。終わりが何時になるか分からない長い旅になるからこそ、目的を見失わないようにするのは重要だ。これがぶれてしまうと、何をすれば良いのか分からなくて迷走する羽目になる。迷走だけならまだしも、旅自体を否定することにも繋がる。

「話を戻しますね。大場という方との面談でも触れましたが、タカオ市の市長と談笑していたという人物が着ていた服装は、手配犯が属する政治団体の構成員が好んで着るものです。その服装はヒヒイロカネではありませんが、私が創られた世界で軍隊や警察、消防など限定された職業の制服しか使用されない材質です。」
「用途を聞いただけで相当強靭なものだって想像できるよ。」
「そのとおりです。防弾防毒防火機能に優れ、柔軟かつ強靭な材質です。彼らはその材料を密かに集め、彼らのシンボルともいえる服を作り出し、活動しています。」
「政治活動はこの世界でも色々あるけど、そんな材質で出来た服を着てると、悪さをしても捕まえるのが難しそうだね。」
「はい。ですので、彼らとの戦闘は十分注意する必要があります。ヒロキさんが言ったとおり、目的はあくまでヒヒイロカネの回収。彼らとの戦闘で悪戯に消耗してヒヒイロカネの回収に支障が出ることは避けないといけません。」

 ヒヒイロカネを持ち出した連中が動く装甲車みたいな状態だと、それを悪用してヒヒイロカネの回収を妨害して来る危険が十分ある。戦闘となると僕は戦力以前の問題だし、シャルの消耗や損害も覚悟しないといけない。出来るだけ戦闘を避けてヒヒイロカネを回収できるならその方が良い。

「次は、手配犯とヒヒイロカネの制御、そして持ち出したヒヒイロカネの特質についてです。」

 シャルはやはり話すことを纏めるためのように一呼吸置く。

「持ち出されたヒヒイロカネは、何れも人格OSを搭載していないプレーンと呼ばれる状態だと判明しています。しかし、オクシラブ町の事例でも、まだ推論の段階ですがタカオ市の事例でも、水準は異なりますが意識や人格を持つ状態になっています。」
「確か、人格OSに重大な問題がある場合に限って書き換えが出来るようなことを聞いたことがあるけど、そういう機械を持ってるってこと?」
「いえ、人格OSの転送機器の持ち出しはありません。にもかかわらず、この世界で何らかの人格や意識がヒヒイロカネに存在する矛盾は、1つの推論で解決されます。」
「…この世界で、人格OSを書き換える機械が作られてるってこと?」
「はい。」

 この推論は、シャルが創られた世界の技術水準に、この世界の技術水準が一部匹敵するものになっているということだ。ヒヒイロカネに搭載される人格OSの概念があって、それへのアクセスの手法があって、それを実現可能にする技術がある。だけど、この世界でシャルのような高度な人格OSがリリースされたという情報は全く聞いたことがない。
 手配犯が格段に高度な技術や知識を持ち込んでも、その継承がないと途絶えるし、実現されないと時間の経過であやふやになったり忘れ去られたりする。ヒヒイロカネがこの世界に持ち込まれてからかなりの時間が経過したというし、文明の水準に大きな差がある。そんな状況で人格OSにアクセスできる手段があるということは、新たな課題が生じたのと同じだ。

「人格OSはヒヒイロカネに自動的に搭載されるものではありません。ヒヒイロカネの内部に人格OSの土台となる伝送ネットワークを構成する必要があります。それも人格OSの転送機器が必要です。」
「ということは、人格OSを書き換える機会はあると考えた方が良いね。それがどうやって作られたかによっては、手配犯に同調したか抱きこまれたかして、手配犯の側についたこの世界の人間が居るってことでもあるよね。それもかなり組織的に。」
「そのとおりです。」
「思った以上に大規模な攻防になりそうだね。」

 技術の継承や発展には、一定以上の規模の組織や集団が必要だ。ましてや、現代の水準を大きく超える技術の開拓や具体化となると、高度な設備やそれを設置・維持する資金が不可欠だし、それは資産家や大企業、政治家が絡んでいる確率が高い。ヒヒイロカネ回収は、そういった現代の支配層との闘いにもなり得る。
 僕は最低限の荷物だけ持って、シャルの本体である車にそれらを全部詰め込んでこの旅に出た。仕事を辞めて、自宅だったアパートを引き払い、友人知人−友人と言える人は居たか怪しいけど−や親や親族とも絶縁した。僕に失うものはない。否、シャルだけが居る。
 残りの人生をこの旅に費やすことには、何の後悔もない。そのためにこれまでの全てを捨てたんだから。懸案は唯一、この旅をどう進めるか。それには具体化して来た手配犯やそれに同調或いは協力しているこの世界の連中との闘いも含む。僕とシャルだけで進めるには、金や知恵もフル活用する必要がある。

「シャルの機能を強化することって出来る?」
「私に加えることが出来る機能は、筐体の大幅な変化と、毒劇物や核燃料の生成や積載くらいですね。私にはあの方の指示で、通常は搭載できないものも含めて全ての機能が搭載されています。」
「ということは、今搭載されている機能を活用したり応用したりで、数の上での不利を覆すしかないね。毒劇物や核燃料なんて、シャルの負担が大き過ぎるよ。」
「積載は問題なく出来ますけど、ヒロキさんの心理的負担が大きそうですね。私が彼ら−人格OSを伴っていると思われるヒヒイロカネに対して有利なのは、搭載機能が圧倒的に多いことです。」
「人格OSを搭載すると、色々なことが出来るんじゃないの?」
「いえ、人格OSと各種機能は全くの別物です。機能の搭載は人格OSの転送機器だけでは不可能なんです。」

 それなら勝算が増える。シャルには通常は搭載されない機能も−車に搭載されたら本来危険な機能も多々ある−多数搭載されている。ヒヒイロカネ同士の闘いでは、機能が多い方が有利。単純明快な戦いに出来るように、金と知恵を絞って相手を追い込める環境を作ることが必要だな。

「もう1つ有利な点としては、手配犯は意思統一を行っておらず、バラバラに動いていることが確実なことです。」
「オクラシブ町では本能くらいしかなかったのに、タカオ市は人型をしていて知能もあるから、だよね?」
「流石ですね。そのとおりです。」

 手配犯は追跡させ辛くするためか、バラバラに行動しているようだ。少なくとも現在の時点で、交流は皆無に等しいとみて良い。組織立って行動していたら、オクラシブ町のヒヒイロカネは人狩り連中をもっと効率的かつ狡猾に配置・行動させて町全体を支配下に置いていただろう。
 あるものはプロトタイプで、あるものは実用段階という見方も出来るけど、それなら世に出る際は同程度になっている。プロトタイプでバグを潰して製品としてリリースするってのは、別に経営者の精神を学ばなくても分かること。本能程度しかなかったタイプと、人間と区別がつかないタイプが同時に存在していることはあり得ない。
 手配犯がバラバラになったまま年月が経てば、子孫の交流はより望み薄になる。親同士が密な交流があっても、その子どもである従兄弟や幼馴染と必ずしも密な交流にならないのと同じ。親族や近所でもそうなのに、遠距離だと更に難しい。交流が途絶えてある意味孤軍奮闘して、各々が人格OSの転送機器を作り出したんだろう。
 この推測が確実という保証はないけど、かなり高確率で当たっていると思う。それで状況が大幅に好転するわけじゃないけど、5人の逃亡犯やその子孫がバラバラに行動しているなら、ヒヒイロカネの捜索・回収や1人1人撃退することも多少はやりやすくなるだろう。この状況を利用しない手はない。

「ヒヒイロカネをこの世界に食い込ませることは、手配犯やその子孫が秘密裏に行っていると見て間違いありません。表沙汰になったら足元が崩壊しかねません。」
「大企業や政治家に食い込んでいる場合、汚職や犠牲者が暴露されて、場合によっては政権交代や訴訟になるよね。」
「はい。手配犯やその子孫が分断されていると見られることは、ヒロキさんと私に有利な状況です。」
「僕に出来ることは限られてるけど、考えたりシャルの本体を運転したりは出来るからね。確実に回収して行こう。」
「ヒロキさんは、ヒヒイロカネ回収に欠かせない存在です。私のパートナーとしても、あの方が言っていたとおり、任務への適合の度合いでも。」
「どういうこと?」
「この世界を巡るには、本体が車である私をどう認識するかが重要なんです。単なる便利で強力な道具と考えるのでは、ヒヒイロカネの捜索は出来ても回収は出来ません。回収は私でないと出来ませんから、そこで命令従属など、協力しての行動では有害な関係性に繋がる認識で臨むのでは不適格。−あの方はそう仰っていました。」

 シャルは本体こそ車だけど、こうして人間の形を取って分離した行動が出来るし、何より固有の人格がある。つまりは組成が蛋白質か金属かの違いだけで、中身は人間そのものだ。人型を取っている今は人間としか思えない。そんな人格に対して「回収して来い」と本体でふんぞり返っていたら、その人格はどう思う?
 僕はとてもシャルに命令口調で接せないし、シャルはパートナーであって道具じゃないと思ってる。あの老人は、僕にひと月シャルを託してシャルの扱いをどうするか観察したんだろう。その上で僕にシャルを託し、ヒヒイロカネ回収も託した。僕にとっては身に余る光栄と責任だけど、便利な道具をもらったとは思えない。

「だから、私は思うんです。ヒロキさんを邪険にしたり見下したりしたかつての繋がりは、ヒロキさんの可能性を潰していた、いえ、ヒロキさんに暗示をかけることで可能性を潰させていた、と。」
「…。」
「私を預かってからも、この旅に出てからも、ヒロキさんは要所要所で事実に迫る推論を導いて、的確な判断をしてきました。私は、ヒロキさんと旅に出られて本当に良かった。そう思っています。ですから、自信を持ってください。ヒヒイロカネの回収は、ヒロキさんと私だからこそ出来ることなんです。」
「…ありがとう、シャル。」

 シャルは僕を高く評価してくれる。旅に出るまで、もっと都合良く動かすための叱咤激励の枕詞以外は評価なんてされなかった。あの老人が、シャルがこうして評価してくれるだけでも、僕は全てを捨てて旅に出ることを選んだ価値があったと思う。
 その評価にどう応えるか。唯一の解はヒヒイロカネを確実に回収すること。日本だけでもこんなに広いのかと思う地球を全部回る覚悟で、何処にあるか確証が持てないヒヒイロカネを探して回収する。旅の目的でもあるこのヒヒイロカネ回収をまっとうすることが、あの老人とシャルの評価への何よりの回答だ。
 あと2日でシャルが派遣した諜報部隊からの情報が集まる。玉石混合の数多の情報を精査分析して、現状を洗いだすには1日は見ておいた方が良い。そこからの行動はシャルと一緒に考えて判断しよう。何が待ち受けていても、ヒヒイロカネがあるなら回収して、それを覆い隠して悪事を働くようなら暴く。それだけだ…。
 ツクシ村3日目の朝。恒例となりつつあるナース姿のシャルに起こされて、レストランで朝食を摂る。このホテルはビュッフェ方式じゃなくて、和食か洋食かと飲み物を選んで注文するスタイル。客が今も僕とシャルしかいないから、店員が暇を持て余しているように感じられてならない。

「時間がゆったり過ぎて行くのを感じられるのは、贅沢なことなんだなって思うよ。」
「本来待っている時くらいは、心身の静養を優先して良いんですよ。」
「起きる時に時計を見る癖が抜けないのも、前の生活が身体に染み付いてるからだよね。」
「時間が来たら私が起こしますから、安心してください。」
「少しずつでも、時間に拘束される感覚から脱却していくよ。」

 これまでの生活は、今日が何月何日で、今日は何時から何があって、と時間を絶対の基準にしたものだった。そこにあれをしろ、これを準備しておいて、と何らかの用事や役目が降ってきた。家に帰ってようやく息を吐けたけど、心から休まることはなかった。
 シャルが言ったように、僕は周囲に自主性や自分で考えることを抑えつけられ、都合良く動くように暗示をかけられていたように思う。お前はだらしないから指示してやる。貴方は頼りないから色々考えてやってる。色々な理由づけはあったけど、結局は自分の思いどおりに僕を動かそうとしているだけだったな。
 全てをかなぐり捨てて絶縁を通告して、家も引き払ってからまだひと月ちょっと。旅に出て生活は激変した。唯一の目的である「ヒヒイロカネの回収」を達成するために、時間を金を存分に使える。状況を把握して背景を推理して、次の一手を考えて実行に移す。それをシャルと協力・分担する。それだけに専念できる。

『諜報部隊はまだ帰還してない?』
『チェックアウトする頃に帰還予定です。それらの分析には1日を見て欲しいです。』
『それは勿論良いよ。オクラシブ町より人も多いし面積も広いから、その分情報量も分析時間も膨大になるだろうし。』
『ありがとうございます。』
「この村の他に、何処かに行きたいところはある?」
「えっと…。スマートフォンを貸してください。」

 僕はシャルにスマートフォンを差し出す。シャルが指を当てると、画面が凄い速さで遷移して、地図が全画面表示されても目が回りそうな速さで前後左右に動く。時々店とかを指した時に出るポップアップが出ているようだけど、消えるのも速いから形状しか見えない。まさに身体の一部だ。

「電車。」
「え?電車がどうしたの?」
「電車に乗ってみたいです。この路線の。」

 シャルが僕にスマートフォンを見せる。現在地との距離や位置関係が分かりやすいように、現在地と希望の場所の両方にマーカーが付けられている。ツクシ村から北東の方向に約40km。タカオ市とアワノ町を結ぶシンコウ鉄道。もう少し北に行くと新幹線も見られるんだけど、どうしてまたこの路線に?

「この電車、沿線の風景が凄く綺麗なんだそうです。あと、ダム湖のすぐ横を通ったり。」
「ああ、そうか。なるほどね。」

 シャルにこの世界を見せて気に入ったものの1つは、ダム湖。シャルが創られた世界にはないらしくて−貯水や水力発電をどうしているのかは聞いてない−、特に偶然見ることが出来たダムからの放水は、シャルが凄く喜んで見入っていた。今のように人型で移動できたら、周囲を気にすることなく大歓声をあげてただろう。
 貨物ならともかく、まさか車の状態で電車には乗れない。バスには乗ったし、他にシャルが未経験の移動機関というと、やっぱり電車だろう。新幹線も良いけど本体からかなり離れてしまうし、ローカル線なら基本的に普通電車しかないから極端に遠距離にはならないし、途中下車もしやすい。これは行ってみるに限るな。

「車は何処に置く?」
「状況を考えて、タカオ市の方に置いた方が良いと思います。」
「うーん…。」
『タカオ市だと、駐車している間に散々盗み撮りされるよ?』
『盗撮は不快なことこの上ないですが、アワノ町側に置くと、タカオ市で下車した場合、危険が迫って本体を呼び寄せるにしても、時間がかかります。』
『判断が難しいところだけど、情報の分析をしながら警戒態勢を取るって負荷が大きくない?』
『それは大丈夫です。ヒロキさんと私の半径1kmをカバーする偵察やジャミングの態勢は現在も続行中で、負荷が増えるというレベルではありません。』
「そうしようか。駐車場はある?」
「タカオ市側は始発駅が別の大きな路線の駅でもあるので、駐車場は潤沢です。」
「じゃあ、チェックアウト後はタカオ市に戻って、このローカル線に乗ろう。」
「はい。」

 渦中のタカオ市に戻るのは危険な臭いがするけど、少なくともシャルの本体である車には直接接触することはないようだ。何かしようものならシャルが激烈な制裁を加えるのは確実だから、治安維持を気取る民間監視員が妙な真似をしないことを願うばかりだ。
 シャルの分析が完了するまでは、観光主体になる。きな臭い場面が連続しているから、良い気分転換になる。シャルが観光先に選んだシンコウ鉄道は、僕も乗ったことがない。元々鉄道は出張の時に使うくらいの印象が強いのもあって、鉄道と観光がいまいち結びつかない。
 もしかしたらそこにもヒヒイロカネに纏わる痕跡やヒントがあるかもしれない。それを探ると同時に、シャルが人型を取ったことで行けるようになったところへ行って、出来るようになったことをするのも大事だ。それこそ、シャルは僕の便利な道具じゃなくて、1人の人格を持った存在なんだから…。
 2両編成の電車は、ゆっくりしたペースで田園地帯を走る。緩やかなカーブが次第に山間の景色を窓に加えて行く。シャルは時折背後の窓から外を見て、ゆったり流れて行く景色と電車の旅を楽しんでいる様子が良く分かる。
 ツクシ村のホテルをチェックアウト後、村営バスで駐車場に移動して、そこからタカオ市に入って始発駅であるタカオ市駅近辺にシャル本体を駐車して、切符を買ってホームで待って、と結構な時間がかかった。やっぱりタカオ市に入ってから民間監視員が纏わりついて来たけど、直接危害を加えてはこないから放置した。
 このまま終点まで乗ると1時間くらいかかるらしい。昼食は終点の駅に美味しいと評判の料理屋があるそうだから、そこまでお預け。ツクシ村のホテルで朝食は十分食べたし、空腹で待てないほどじゃない。普通電車だけの典型的なローカル線だけど、2両編成の電車には時間帯の割に人がそこそこ乗っている。
 両方の窓に沿って長椅子が据えられた車内の年齢層は、思ったほど高くない。個人客やカップル、家族連れが平均年齢を下げているようだ。何が有名なのかちょっと疑問だったけど、シャルが調べてくれた情報を見て理由が分かった。駅舎が全部個性的で、車両も独自のカラーリングがなされている、観光スポットだからだ。

「路線そのものを観光の対象にするなんて、面白いですね。」
「元々は目的地までの時間を楽しめるように、って考えだったみたいだけど、斬新だね。」

 駅舎のモチーフは田んぼが多いところだと蛙だったり、他は犬や猫だったり、地域の状況を踏まえて選ばれているそうだ。僕とシャルは途中下車してないからまだ見てないけど、駅舎ごとにオリジナルのグッズがあって、どれも手頃な価格で季節限定のものもあったりするから、かなり人気らしい。
 実際、駅に停車するたびに客がかなり出入りする。お目当てのグッズを買ったり、駅舎の写真を撮ったりして、次の目的地に移動するためだろう。シャルは駅舎や車両のカラーリングに興味はあるけど、あくまで目的地はダム湖や終着駅らしく、降りようとはしない。
 それは兎も角、シャルが外を見ようとする時、僕の方に首を回す。傍から見れば、シャルが僕の耳元にキスしているようにしか見えない。それが不規則に来るもんだからドキドキしっ放し。ただでさえ距離を詰めてるのに−座席の都合もあるけど−シャルの一挙手一投足が気になって仕方ない。
 動いたり止まったりしながら、電車は相変わらずのんびりしたペースで山に入って行く。少し森の中を走って、程なく景色が大きく変わる。山の谷間を覆うように流れる大きな川。そこに架けられた鉄橋を渡って行く。綺麗に晴れた空も相俟って、絶景そのものだ。

「凄い!こんな景色見たことないです!」

 シャルは窓から外を見て歓声を上げる。それは構わないんだけど、僕の首がある方から外を見られると、甘酸っぱい香りが心をグリグリと弄って来る。今までより更に近い。しかも…シャルが景色に見入っているから、シャルの歓声が生む吐息が耳の下側から首筋にかけてかかる。正直言わなくても、景色を見る余裕はない。
 僕は気を紛らわせるため、始発駅でもらったパンフレットのイラスト路線図を見る。この鉄橋を渡ると、ダム湖の脇を通ってそのままダム湖の上にある駅に着くらしい。車体の傾きが凄いことになりそうだけど、大丈夫なのかな?…あー、シャルが近くて気になって仕方ない!
 ダム湖の脇をゆっくり走って、そのままダム湖の上にある駅のホームに入る。此処でかなりの人が降りる。駅舎は魚をモチーフにしていて、口から出入りしてエラから上りか下りのホームに出る形。凄くユニークな作りだし、ダム湖が一望できるから、此処で写真を撮ったりグッズを買ったりするんだろう。

「此処で降りてみる?」
「いえ、私は終点の駅に行きたいので。」
「終点は此処から2駅先か。料理屋の他に何かあるの?」
「凄く良いものがあるらしいですよ。」

 路線は途中で分岐しないから、このまま乗っていけばシャルが見たいものが分かる。やけに閑散とした印象がある車内で、シャルは時折外を見る。首を回す向きは相変わらず同じだけど、空いた席をゆったり使うって発想は、シャルにはないらしい。何となく窓の外からの視線が痛いような…。
 外の景色がゆっくり動き出し、景色はダム湖の沿線から水を湛えた深い谷、そして再び森の中へと推移する。こういう景色の推移は、旅に出る前に何回か見たことがあるけど、その時はシャルが本体の車だけだった。自分で移動しなくて良いのと、乗客という目線から見るのが重なって、シャルには新鮮に映るようだ。今も色々な角度から外を見やる。
 乗客がぐっと少なくなったことで、毎回シャルが首を後ろに回さなくても景色は見えるようになったけど、背後の景色を見る時はやっぱり僕の方に首を回す。そのたびに心拍数が急上昇するから、贅沢な悩みかもしれないけど生きた心地がしない。シャルは分かっててやってるんだろうか?腕時計を介して感じてる筈なんだけど。

「逆の方を向くと、ヒロキさんにそっぽを向く気がして嫌だからです。」

 終点1つ手前の駅を出て速度が一定になったところで、シャルがダイレクト通話じゃなくて耳元で音声として言う。囁き声が余計に艶っぽくて…頭が沸騰しそうだ。

「こうするとヒロキさんの心拍数と血圧が一気に上昇するのは分かりますけど、それに至る心境がいまいち理解できていません。」
「えっとね…。」
『僕の場合、女性がこんなに近距離に居ることに慣れてないのもあるけど、シャルの髪の匂いや吐息が…何て言うかな…凄く扇情的に感じるんだ。』
「扇情的…。女性の髪の匂いと吐息が近くに感じられることで、性的に挑発されていると感じるんですかー。」
『な、何だか声のトーンが低くなってるような気がするけど、誰にでもそう感じるわけじゃないから。僕はシャルだからそう感じるんだから。』

 シャルの声のトーンが低くなるのは、やきもちを焼く時。ついでに言うなら、語尾が抑揚を伴わずに引き延ばされる時も。どうやら僕が他の女性に同じことをされたら鼻の下を伸ばすと認識したらしい。
 決してそんなことはない。仮にこれが今まで僕を最終的に拒絶した女性達だったら、鬱陶しいとしか思わない。それは拒絶された経験から来る反発心みたいなものもあるけど、扇情的に感じるのは好意の存在が前提だ。好意がないと「耳元で声を出してきつい臭いを出して鬱陶しい」となる。

「なかなか複雑ですね。」
『シャルも人格があるから分かると思うんだけど。』
「私は基礎が車載OSですから、操縦操作や移動に無関係な部分は知らないんです。人間が何でも知っているわけではないのと同じですよ。」
『なるほどね…。えっと…、ヒヒイロカネに関わる話じゃなければ普通に話してくれれば聞こえるから、そろそろ姿勢を元に戻して。心臓がもたない…。』

 そういう知識というか感覚がないからだとは分かるけど、やっぱりシャルが耳元で囁いて間近で髪の匂いを嗅がせるのは、心臓に悪い。今だって破裂しそうなほど激しく脈打ってるのが僕自身でも分かる。それをシャルがどう感じてるのか…。
第14章へ戻る
-Return Chapter14-
第16章へ進む
-Go to Chapter16-
第5創作グループへ戻る
-Return Novels Group 5-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-