謎町紀行

第13章 華族政治家の負債、高原の村の謎

written by Moonstone

 翌日。やっぱりナーススタイルのシャルに起こされた僕は−正直目の保養だけど若干心臓に悪い−、着替えと身繕いを済ませてからシャルと共に朝食のために1階のレストランに向かう。このホテルにはそこそこの数の宿泊客が居る。7時過ぎでちょっと混雑しているけど、待ちぼうけを食らうほどじゃない。
 ビュッフェ方式だから、ホテルは変わってもすることは同じ。和食系で見繕って、飲み物はまずは水にする。シャルは洋食系の食べ物とオレンジジュース。「どうしてこういうスタイルの朝食の飲み物には紅茶がないんでしょうね」とちょっと不満顔。言われてみれば確かに紅茶がこういう場にあるのは見たことがない。コーヒーはあるのに。
 やや奥の、壁際の席の1つにシャルと向かい合って座って食べ始める。シャルはカジュアルな服に髪を後ろで束ねて薄紫のリボンを着けている。奇をてらっていないごく普通の、ある方面からすれば地味なファッションだけど、容貌が容貌だけにこれで十分目立っている。男性客は他のカップルや夫婦の男性までが、シャルが入って来てからチラ見している。
 そのシャルはと言うと、素知らぬ顔で食事をしている。人体創製で人間の形を取っているシャルが楽しみにしていることが、食事と入浴だ。車の形状じゃどうにも出来ないことだ。水素の充填や洗車はそれ以前に何度かしているけど、人格があることで人間が出来ることが自分には出来ないことに疎外感を持っていたのかもしれない。

『それはありましたね。私もヒロキさんと同じように食事や入浴をしたい、と思ってました。』
『だよね。シャルが人体創製を続けているのは、食事や入浴の楽しさを手放したくないってことが大きい?』
『それも1つですけど、一番の理由は、ヒロキさんの護衛がしやすいことと、ヒロキさんが若くて綺麗な女性に目移りしないように見張ることですよ。』
『…シャル。自分の容貌を分かってて言ってる?』

 僕の目の前に居るシャルは、紛れもなく「若くて綺麗な女性」だ。それも群を抜いている。しかも僕の好みのストライクど真ん中。これで他の女性に目移りするようなら、僕は袋叩きにされても文句は言えない。元々今のシャルの容貌は、僕が気に入りそうなものを検索した結果だし、目移りするかどうか以前の問題だと思うんだけど。

『私はヒロキさんが最も気に入ると感じた容貌を選択しただけで、他からの評価は全く考慮していません。』
『前者はそのとおりなんだけど、後者はそうでもないよ。行く先々でシャルは人目を引いてる。』
『見るだけなら自由ですよ。勝手に写真を撮ったり後をつけ回したりするようなことをしない限り、他者には妨害や干渉はしません。』

 今の容貌は僕の評価のみが決め手であって、他は危害を加えて来なければどうでも良い、ってことか。普段の行動を見ていても、シャルの考えはブレがない。逆に危害を加えるなら容赦しないことも、これまたブレがない。2日かけて旧シシド町を回った際に付け回したワゴン車一味は森に突っ込まされたし、他は山道で遭難しかけた。

『それはそうと、昨日ヒロキさんから頼まれたタカオ市の歴史や行政情報について調査した結果を纏めました。スマートフォンを出してくれませんか?』
『スマートフォン?分かった。ちょっと待って。』

 僕は箸を止めてズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、テーブルの中央に置く。シャルはフォークを置いてスマートフォンに手を置く。画面が切り替わって文章と表が整然と並んだものに切り替わる。よくよく見るとシャルの指先がスマートフォンと一体化しているのは何時もどおり。これだけでも凄い。

『まず歴史です。中世から近現代にかけて、取り立てて特異な事例はありませんでした。』
『戦国時代から幕末まで続いた家系がこの地域をずっと治めていた、か。確かに珍しくはないね。』
『次に行政です。こちらが問題です。』

 画面が切り替わる。文章と図が配置された形式は同じだが、文章を読んでいくと確かに重大な問題が存在することが分かる。歴史において幕末まで約250年余り1つの家系が治めていたとあったが、その家系は明治以降実業家に転身している。その家系が興して成功したのが、タカオ市の主要産業の1つである精密工業を生業とするウエダプレシジョンだ。
 問題はその家系ではなく家老の家系。家老の家系は明治に爵位を得て政治家に転身した。対象は国政ではなく旧タカオ市。明治から戦中にかけての市長は選挙ではなく任命や世襲だった。今は世襲政治家が選挙という体で跋扈しているから大した違いはないかもしれないけど、選挙で落とされるリスクがない分、人によってはえげつないことをやらかす。
 戦中までは多少の波はあっても基本的に旧タカオ市の政治に尽力した。おかしくなったのは戦後、公選制になってから。取り捲きの業者との癒着が常態化していて、約20年前の選挙で当時の市長が贈収賄事件で落選したが、5年前、その市長の息子が県議を辞職して立候補して当選した。去年再選された現職市長だ。
 この市長が最大の問題だ。地盤は父親である元市長のものを受け継ぎ、それを利用して県議になった。旧タカオ市と旧シシド町の合併を主張し、市長に転じてから半ば強引に合併を推し進めた。これを市長は功績としているが、旧シシド町は小規模自治体ながらかなりの水準だった行政サービスが後退したばかりか、旧タカオ市の負債も押しつけられる格好になっている。
 1つは産業廃棄物処理場。旧シシド町の合併で市長が進めたそれは、旧シシド町住民、特に該当地域の猛反発を産んだ。しかし、市長は「同じタカオ市民として痛みを分かち合うべき」と強引に推し進め、産業廃棄物処理場を建設した。「対策」として企業団地を造成したが、インターから遠いことで殆ど企業は誘致できず。旧シシド町は踏み荒らされただけだ。
 もう1つは駅前再開発。旧タカオ市の中心部を走る鉄道の駅前の区画整備と再開発は、これもかなり強引に進んだ。中心部は明治以降実業家に転じた武家の家臣の末裔や親族が多く住んでいた。それをカネを掴ませて強引に追い出し、僕とシャルも歩いたあの高層ビルが立ち並ぶオフィス街+高級マンション群に変えた。
 そしてもう1つは、問題のタカオ市安全都市条例の制定。報奨金の制定と状況に応じた加算を餌に、市民を監視員にして通報させ、市のページで公開することで、市民の安全を守り、治安を維持するというのが理由。これじゃ相互に監視し合う、あまりにも息苦しい監視社会を市民レベルで構築させるものでしかない。
 だが、幾ら普段の生活で市長や市議を批判しても、結局投票先はその市長や市議、或いはそれらに白紙委任状を与えるものでしかない白票や棄権。反対した野党会派は居たが、多勢に無勢。治安と市民生活の安全を盾にして、市長と取り巻きの与党会派が強引に成立させて今に至る。
 タカオ市の犯罪件数で不審者や付き纏いが群を抜いて多いのは、この条例が背景にある。兎に角怪しい人が居ると見るや市民が民間監視員に変貌して、監視や尾行を続けてその情報を死のページにどんどんアップする。顔見知りはどうか知らないが、見たことがない人、それこそ市外からの旅行者だけでなく、違う町−学区とかの意味−の人でも監視対象になり得る。否、実際本人が気づいていないだけでそうなっているだろう。

『元家老の家系とその取り巻きが牛耳る市政、か。珍しくない構図だけど…。』
『この世界における日本は、民主主義社会を標榜していますけど、それが正しく機能しないようですね。』
『残念ながらね。これを見ると、タカオ市の市長とその周辺がやっぱり怪しいと思うけど、今のところ関連する情報がないね。』
『状況を鑑みると、聞き込みを主体とする一般的な情報収集は、タカオ市の条例に抵触してより監視や尾行が激化する恐れがあります。私が諜報部隊を創製して派遣します。』

 シャルの強力な機能の1つである創造機能は、オクラシブ町で早速その高機能ぶりを見せつけた。シャルのこの機能がなかったら、人狩り集団に占拠された集落を陥落させ、町長を拘束してヒヒイロカネを回収することは出来なかっただろう。

『調査には2,3日をかけたいと思います。その間、少し遠出しませんか?』
『遠出?どの辺に?』
『この辺りです。』

 シャルがスマートフォンを操作して地図アプリで示した先は、タカオ市から西に暫く行ったところにあるノリハラ高原。夏場は避暑地として、冬場はスキーなどウィンタースポーツのメッカとして有名な観光地だ。そういえば、この旅に出る前には来たことがないあたりだ。シャルが好きなダム湖とかがない場所だし、避暑に使う別荘なんてないし、ウィンタースポーツは敬遠しているから、縁がなかったのもある。

「ノリハラ高原へ行くのは勿論良いよ。何か見たいものがあるの?」
「はい。高原そのものを。」
「そういうのも良いね。食べ終えたら行こう。」
「楽しみです。」

 調査結果が出るのを急かしても、精度が落ちたり誤った情報が出たりで良いことはない。待つ時は待つのも必要だ。その間、かなり広い割に訪れた場所は少ない方のN県を巡って、シャルにこの世界の一部を見てもらうのも良い。何か思わぬ発見があるかもしれないし…。
 朝食を食べ終えて早速ノリハラ高原へ出発。案の定、ホテルを一歩出たところから物陰からの監視が始まって、車で道に出て間もなく車での尾行が始まった。だけど、無視して車を走らせてタカオ市から出ると、尾行の車は次の信号で踵を返した。

「市の条例は、その市でしか有効ではないことが理由だと思います。」

 シャルがそう説明した。地方自治体の条例はあくまでその自治体でのみ通用するものだ。タカオ市外で尾行を続けて警察に駆け込まれたりしたら、ややこしいことになりかねない。そう判断したようだ。妙なローカルルールは悪い意味での田舎に限ったことじゃないと改めて実感した。
 邪魔ものが居なくなったことで、気分が楽になった中でドライブ。途中道の駅で休憩がてらクリームチーズケーキを食べて−シャルが気に入ったそうだ−、ノリハラ高原に車を走らせた。約2時間のドライブを終えて駐車場に車を止めて、シャルと一緒に外に出る。

「爽やかですねー。」

 シャルが空を見上げて言う。空はこれ以上ないというくらい綺麗に晴れ上がっている。高度を反映して空気は少しひんやりしていて、肌触りが良い。空気の澄み具合はなかなかないレベルだと感じる。

「これだと夜は星が良く見えそうですね。」
「そうだと思うよ。N県は全体的に星が見えやすいらしいし。」

 アケチ町もそうだし、このノリハラ高原があるスミノ市−旧ノリハラ町もそうだけど、N県は星空が良く見える場所が多い。市街地が一部に固まっていて、それ以外は街灯もない場所が多い、観光資源としてN県全体で星空が見える環境の保護に力を入れていることが理由だろう。
 ノリハラ高原も、車で行けるところは限られていて、そこから先にある避暑地は村−そこはツクシ村という別の自治体になる−が運営するバスでないと、住民以外は行き来出来ないようになっている。それも車で無暗に踏み込まれて自然が荒らされることを防ぐためだ。オフロード車を気取って踏み荒らしていく輩も居るし。

「車は殆ど止まってませんね。」
「夏は避暑地、冬はスキー客で結構賑わうけど、今はオフシーズンだからね。高原への観光客はそれほど多くないよ。」
「避暑地やスキー場になるところへは、今の時期でも行けるんですか?」
「村営バスが営業してたら行けると思うよ。」
「えっと…、本数は少ないですけど、営業していますね。」

 本体で調べたな。どうもシャルはノリハラ高原の中枢部、ツクシ村へ行きたいようだ。金の心配は無用だから現地で宿を取ることも出来る。僕もツクシ村は行ったことがないし、タカオ市とヒヒイロカネに関する調査結果が出るまで、ホテルを一歩出れば監視と尾行が付き纏うタカオ市から離れるのは精神衛生上も良い。

「近い時間のバスに乗ろうか。」
「!はい!」

 自分が言うより先に僕が前向きな提案をしたのが嬉しいのか、シャルはパッと表情を明るくする。そして僕の手を取って引っ張って行く。近くにバスターミナルがあるそうだ。人体創製で思いがけず行動の範囲や選択が広がったことで、それを満喫したいんだろうか。
 バスターミナルには他に人は居ない。点在している車の主は既にツクシ村に入っているんだろう。バスの時間まで1時間近くある。バスは1時間に1本じゃなくて、1日に数本といったところ。こんなに閑散としたバス停の時刻表は初めて見る。村の人は自分の車で最寄りのアスミ市に買い物に行ったりするだろうから、これでも良いんだろうか。
 スマートフォンは使えるけど、電波が弱いらしくて感度表示が60%を切っている。試しに地図アプリを使おうとすると、表示にちょっと待ち時間が出る。シャルが貸してみてと言うので貸してみると、スマートフォンの表示は至って普通。感度表示は変わらないのにどうして?

「私自身−本体の方で電波の受信感度を高めてみたんです。」

 GPSやラジオなどの電波を受信するのは、当然シャルの本体である車。そこで電波の感度を調整できるんだが、選択的に感度を上げることで、ノイズの増大を防ぐことが出来る。シャルは本体を介して信号を電波で送受信してスマートフォンを操作している。これなら本体で電波が受信できる限り圏外になることはない。

「そういうことも出来るんだね。」
「私を介して充電も出来ますから、スマートフォンがバッテリー切れで使えなくなることもないですよ。」
「出先でバッテリー切れはスマートフォンのあるある話だからね。一応モバイルバッテリーは持ってるけど。」

 シャル本体の水素はまだ90%以上あるし、車で必要なバッテリー容量に対してスマートフォンはごく少量。一定の容量を下回った時点で本体から供給すれば十分間に合う。思い立っての行動だから事前の情報は少ない。現地で得ようにも限界がある。スマートフォン使用の最大の足枷であるバッテリー容量の不安がないのはありがたい。
 シャルはスマートフォンを操作して、ツクシ村の地図を出してこういうところを見たいとか、ツクシ村の宿泊施設を検索してこういうところに泊まってみたいと言う。ツクシ村は温泉もあって、全ての宿泊施設が天然温泉を使っている他、足湯や公衆浴場もある。温泉があるなら夏と冬のオフシーズンでも客はそれなりに来そうなもんだが、相変わらず僕とシャル以外にバスターミナルに人は居ない。自分の車で行けないことが心理的なハードルになっているのかもしれない。

「オフシーズンとは言え、これだけ人が居ないと穴場かもしれないね。シーズンだと混雑していて行けないところにも楽に行けたりとか。」
「それだともっと楽しみです。特に此処に行ってみたいんです。」

 シャルはスマートフォンで地図のあるポイントを見せる。白木の滝。白木、つまり白樺の森の中にある滝で、かなりの高所から落ちることで水煙が霧のようになって、凄く幻想的だという。そんな観光スポットがツクシ村にあるなんて知らなかった。シャルの好奇心と調査能力には本当に驚かざるを得ない。
 バスがゆっくりターミナルに入って来る。前後のドアが開くが、人は1人も降りて来ない。ちょっと違和感を覚えつつ、シャルと共にバスに乗り込む。僕は後部ドア脇のボックスから突き出ている整理券を取ってシャルに渡してもう1枚取る。バスの中は至って普通。やや古びた感はあるけど、綺麗に掃除されている。

「これって何ですか?」
「整理券っていって、何処から乗ったかを示すメモみたいなものだよ。」

 僕はシャルを中央やや後ろの2人席に案内して座って、整理券のシステムを説明する。整理券に書かれた番号が前方の掲示板−ここはしっかり有機ELなのがシュール−の番号に対応していて、そこに表示された料金を降車時に整理券と共に払う。僕も久しぶりに見るからちょっと懐かしい気分もある。

「ヒロキさんが持っているICカードじゃないんですね。」
「こういうシステムの交通機関は、都心部を除けばまだまだ残ってると思う。」

 僕が会社勤めをしていた頃、通勤定期もICカードだった。ICカードは便利だけど、万一紛失した時の損害が大きい。通勤定期だと再発行で始末書ものだ。今は普通のICカードだけど、チャージしないと料金不足で改札でブロックされる。このチャージってものを意外と忘れやすい。その点では現金払いが便利な面もある。
 バスはドアを開けたまま停車しているが、やっぱり人は誰も乗ってこない。オフシーズンだとこんなものなんだろうか?やがてワンマンバスのアナウンスが流れ、高い音がしてドアが一斉に閉まる。バスがゆっくり動き始める。シャルの好奇心で始まったノリハラ高原の旅は、何だか違和感が多い…。
 1時間ほどバスに揺られて、ツクシ村に入る。僕が料金を2人分払って降りる。降りたところはログハウスのような平屋の建物が隣接するターミナル。道は整備されているけど、その両側には白樺の木が並んでいる。天候は変わらず快晴だけど、空気の冷え具合が麓のターミナルより強い。念のため持ってきたジャケットを着ると丁度良いくらいだ。

「山道を走ってたのは分かったけど、かなり高いところにあるんだね。避暑地やスキー場になるのが分かるよ。」
「でも、凄く気持ち良いです。」

 元々長袖+ジャケットのシャルは、ご機嫌な表情でぐっと伸びをする。気温の変化は何ともないようだ。さて、此処からどうするか?日帰りならある程度行き先を絞らないと、最終バスに乗れない。宿泊するなら選んで予約しないと、飛び込みはまず受け付けてはくれないだろう。

「早速、白木の滝に行く?」
「はい。ホテルは移動中に2泊分確保しました。」
「手際が良いね。」
「折角気分転換に来たのに、急ぎ足で回りたくなかったので。」

 何となく、ちょっと期待してシャルに手を伸ばす。シャルが手を繋いで来る。嬉しいのとほっとしたことが入り乱れる中、シャルが見せるスマートフォンの地図と周囲の風景を比較して道を歩く。道は中央の仕切り線こそないけど、車が十分すれ違える程度の幅がある。その両側に十分な幅の歩道があって、その脇に白樺の木が並んでいる。
 白木の滝への道は、ホテルや旅館が立ち並ぶ通りを過ぎたところで分岐する。此処から少し坂道になって、道には木で作られた階段が現れる。道幅はこれまで歩いて来た歩道と同じくらい。凛とした空気が丁度良い冷却効果を生む。ところどころにある標識が、白木の滝に確実に近づいていることを無言で教えてくれる。

「大量の水が流れる音が聞こえますね。」

 あと300mという標識を過ぎたところで、シャルが言う。耳を澄ましてみるけど、鳥の鳴き声が大きくて聞こえない。シャルは音を正確に聞き分けることも出来るんだな。

「滝は、見るのが初めてだっけ。」
「はい。だから尚更行ってみたかったんです。」

 滝は山の奥深いところにあることが多いから、車では行けない場合が多い。シャルが滝を見るために此処を選んだのは、人体創製で行動範囲が広がって、よりこの世界を満喫したいからなんだろう。ヒヒイロカネもこういう使われ方なら、誰も傷つかなくて良いのに。
 僕の耳にも滝の音が聞こえるようになってきた。滝に近づくのを拒むように、道の傾斜がきつくなってきた。周囲の冷気が心地良いと思えるくらいに身体が火照ってくる。歩を進めるごとに、滝の音が近づいて来る。もう少し、もう少し。
 目の前が開ける。白樺の森に見守られるように、水が高所から流れ落ちて滝壺で大きな音と霧のような水煙を生んでいる。滝壺は深い青色を湛え、緩やかに手前左方向に送り出している。白樺の森の裂け目に出来た小さな川は、大小様々な石に複雑に流れを変えられながら、奥へ奥へと流れている。

「幻想的ですね。」
「うん。こんな神秘的な滝があるんだね。」

 御伽話に出て来そうな、不思議さと神秘さが共存している滝。湧きあがる水煙が緩やかに上って行き、同時に広がって霧のように滝を覆い、森を漂っている。落下し続ける水が滝つぼに落ちると共に起こす音を主体に、周囲から不規則に聞こえる鳥の鳴き声が、幻想的な雰囲気を彩っている。
 滝壺と森の隙間を埋めるように細い道がある。この道も整備されているから歩きやすい。道は滝壺が数m先まで見えるところまで近づけるようだ。滝壺に向かって歩いて行く。道は滝壺の脇、滝を形作る断崖絶壁の直ぐ傍まである。横から至近距離で見る滝は、音も相俟ってなかなかの迫力だ。

「凄い水の量ですね。」
「多分、山の雪解け水が集まってるんだろうね。」

 シャルとの会話も、普段より近づかないと満足に出来ない。瀑布の音は声をかき消すには十分だ。その分、シャルとの距離が縮まる。シャルの顔が直ぐ傍にある。透き通った藍色の瞳は魔力を帯びた水晶みたいだ。
 有名どころの観光地の有名どころであろう観光スポットなのに、相変わらず人は居ない。ここまで人が居ないと、オフシーズンに敢えて他と違う選択肢を選んでラッキーを通り越して、怪しさを禁じ得ない。オフシーズンを狙って来る観光客は多少なりともいる筈。此処へ来るまで見た人がバスの運転手だけってのはあまりにもおかしい。

「シャル。この滝から半径…1km以内に人が居ないか調べられる?」
「それくらいは簡単ですけど、どうしたんですか?」
「おかしい。こんなに人が居ないなんて、どう考えてもおかしい。」

 考えているとパニックになって来る。ヒヒイロカネが絡んでいるんじゃないか、だとしたら監視社会と化したタカオ市、ひいては市長や取り捲きとの関係はどうなのか、など色々考えが広がって、しかも悪い方へ深くなっていく。嫌な予感が当たらなければ良いんだけど…。

「半径1km以内に人は居ないですね。」
「!!」
「ですが、私が手配したホテルなど、建築物やその周辺には人が居ます。全て一般的な人間のスペクトル反応です。」
「単に物凄く閑散としているだけか…。」

 思い過ごしかな…。それなら良いんだけど、特定の条件以外はスペクトル反応が検出できない事例もあったから、何かあるんじゃないかという疑念が消えない。監視・尾行の集団に金魚のフンみたいに付き纏われたことで、知らず知らずのうちに神経が過敏になってたのかな…。

「私も無許可の360度撮影をされたりと非常に不快な思いをしたので、ヒロキさんの心理状態は理解できるつもりです。半径10kmをカバーする偵察機4機による常時監視体制は継続中ですし、私本体からのスクランブル態勢も整っています。不安緩和の材料にしてください。」
「シャルを信用してないわけじゃないんだ。幾らオフシーズンだからって、有名な観光地にこんなに人が居ないなんておかしいとしか思えなくて。」
「奇妙な状況ではあります。この村も間接的にタカオ市、つまりはタカオ市の市長や取り捲きの影響を受けていることも考えられます。」
「その線もあるか。」

 この村、ツクシ村はタカオ市と国道と県道で結ばれている。それ自体は珍しくないけど、その道路を使わないとツクシ村へ行けない。タカオ市がああいう状態だと、ノリハラ高原があるスミノ市、そしてノリハラ高原の中枢であるこの観光地があるツクシ村への行き来が途絶えることも考えられる。
 道路だけで接続された自治体が、片方の影響を受けることは十分ある。単純に道路が通行止めになったら行けなくなるし、最寄りのインターチェンジがタカオ市だけだと、尚更人の行き来はタカオ市の影響を受けやすくなるだろう。その線を探る必要はありそうだ…。
 チェックインにはまだ早いから、食事のために一旦通りに出る。旅館やホテルが並ぶ通りから、白木の滝への分岐点をそのまま進むと飲食店街がある。ところが大半の店が閉まっている。オフシーズンで休業の店もあるだろうけど、これだけ客が少ないと営業しない方が良いと判断したんだろうか。
 こうなると、オクラシブ町の時とあまり変わらない。視界が常時クリアなだけましと思うべきか。幸いシャルは普通に食べられる食事が出るなら店の種類は問わないと言う。その上で、営業している店の中から食べてみたいものがある店をスマートフォンで示す。…あの店か。

「いらっしゃいませ。」

 店は木製の内装で純和風。出迎えたのは和装に白いエプロンというちょっと不思議な出で立ちの若い女性。席は何処でも良いというから−店内には客は1人も居ない−、通りに面した窓際のテーブル席にする。木製のテーブルと椅子に藍色の座布団という組み合わせ。シンプルなデザインだ。

「ご注文がお決まりでしたら、お声掛けください。」
「はい。」

 メニューも厚手の紙?を両面にして、和紙のような紙に筆で書かれている。勿論、字は普通に読める。メニューは和食もあるが洋食もある。さて、シャルは何が食べたいんだろう?

「どれがシャルの一押し?」
「これです。」

 シャルがメニューを2、3枚捲って指し示す。「川魚の姿焼定食」。姿焼っていうのがどんなものか食べてみたいんだな。見方によってはグロテスクだけど、その辺シャルは大丈夫だろう。

「それを2つにしようか。他は?」
「あと、これを。」

 シャルはページを捲って、デザートの1つを指差す。「白樺アイス」。まさか白樺の木がそのまま入っているわけはないけど、気になるネーミングだ。これも2人分注文する。

「−以上です。」
「かしこまりました。暫くお待ちください。」

 僕が呼んで注文を告げると、女性は水とおしぼりを置いてから一礼して奥へ向かう。注文の料理が来るまで時間がある。シャルは今回はむくれたりジト目で睨んだりしない。あの女性も「若くて綺麗」に該当すると思うんだけど、シャルがやきもちを焼く条件は何だろう?

『ヒロキさんの好みとの一致の度合いです。』
『どういうこと?』
『単に若くて綺麗なだけで食いつく、飢えた猿みたいな男性も居るようですけど、ヒロキさんは基本的に美人顔で髪が長くてスタイルが良いことが揃った女性でないと関心が湧かないことは把握しています。』
『どうやってそんなことまで把握したの?』
『あの女性は髪が短くて、服の影響もあるようですがスタイルがさほど良く見えないので、ヒロキさんの琴線に触れるに至らないと判断しました。そのとおりですよね?』
『…はい。』

 しっかり観察していたんだな…。もしタイプの女性だなとか思ってたら、店を出た後でシャルの制裁が待っていたってことか。それにしても、どうやって僕の好みのタイプを把握したんだろう?記憶している限り、シャルには僕の好みのタイプを話した覚えはないんだけど…。

『ちなみに、長身だと尚良いけど身長は優先度が高くないことも把握しています。』
『だからどうして僕の好みのタイプをしっかり把握してるわけ?』
『それまでのヒロキさんの心拍や体温の変化と瞳孔の拡大具合で、傾向は概ね把握できていました。決定的だったのはやや不謹慎ですけど、オクラシブ町でヒロキさんが銃撃を受けて、治療と安静のために薬剤を投与した時です。ヒロキさんの意識がなくなったことで心理状態が腕時計を介してフィルターなしで流れ込んで来て、それを分析しました。』

 なるほど。だからあの時、僕が意識を回復した時に今の容貌にナーススタイルを加えたんだな。多分、シャルは僕の好みや好物も全部把握してるんだろう。僕はシャルの好みとかまだあまり知らない。ちょっと不公平な気もするけど…、よく観察していれば分かって来るかな。

『ヒロキさんの好みのタイプを完全に把握できたから、今の容貌を選択できたんです。ただ単に趣味嗜好を覗いていたわけじゃないですよ。』
『それは感謝すべき…かな。』
『どうして断言じゃないんですか?』
『シャルが物凄く他の男性の視線を集めてるから。』

 シャルが他の男に目移りして付いて行くとは全く思わないけど、好奇の視線に晒され続けて良い気分はしない。前にワンボックスに付け回された時、シャルに危険が及ぶと考えたら何とかして撃退しないとって思った。でも、シャルには自分が男性の視線を集める容貌だという自覚が皆無に近い。

『視線を向けるだけなら勝手にすれば良いことです。干渉や攻撃といった直接の接触を伴う悪意には、ヒヒイロカネの有無を問わずに迎撃します。』
『シャルのそういう考えは十分分かってるつもりなんだけどね…。』

 ヤキモチ…なのかな、やっぱり。自分だけが見ていたい、他の男に見られたくないっていう感情は…やっぱりヤキモチ…かな。そうだと認めれば良いんだろうけど、認めることに躊躇している。認めたら僕は…。

「お待たせしました。川魚の姿焼定食です。」

 注文を聞いた店員が、2つのトレイを順にテーブルに置く。川魚は…岩魚(イワナ)か。トレイの横方向を埋めそうな大きさの岩魚が、水面から飛び跳ねたような形で塩焼きになっている。他にはご飯と味噌汁、オクラとミョウガの和え物。なかなか立派だ。
 もう1つ頼んだ白樺アイスは食後に持って来てもらうように頼んで、早速岩魚から食べ始める。シャルは少しの間興味深そうに観察した後、同じく岩魚を食べる。皮を取って肉を解して口に運ぶ。金髪という外見から箸が使えるのかと思われるかもしれないが、そこら辺のネイルで固めた女よりはるかにまともに箸を使える。

「どうしてこれを食べたいって思ったの?」
「川魚が大きくて食べ応えがあるらしくて、川魚を初めて食べるには此処にしたい、と。」
「ああ、そうか。川魚は初めてになるんだね。」

 シャルがこの形を取るようになってまだ日は浅いどころか、ふた月も経ってない。だけど、絶えず一緒に居るし、食事や入浴も普通にするから、人間が普通の生活をすることで経験することはひととおり経験済みだと錯覚していた。オクラシブ町は環境のせいで料理のバリエーションが乏しかったし、あまり日持ちしない魚介類とは縁が遠くなっていた。
 初めてとは思えないほど、シャルは綺麗に岩魚を食べる。魚を綺麗に食べるのは箸の使い方も関わるから意外と難しい。バラバラ殺人でもこうはならないと思うほど酷い食べ方をする輩は結構いる。それが、「私は上品」と自称する女の本性だったりするし、綺麗に食べる方が「気取ってる」とか貶されることすらある。
 多分、シャルは検索と分析で魚の綺麗な食べ方を知っていて、それを実践しているんだろう。この世界の水準では到底及ばない人格OSだから、その程度僕が教えなくても出来る。だけど、この場面で敢えてそうしない選択肢もある筈。今の選択をしたのは…、僕の好みに合わせた結果?…調子に乗り過ぎ?

「勿論、ヒロキさんの好みを把握した上での選択ですよ。」
「そ、そうなんだ…。ありがとう、って言えば良いのかな?」
「十分ですよ。」

 川魚は皮こそ塩で覆われたような感もあるけど、肉は塩味が適度に効いて美味。大きいから食べ応えも十分。串を通されて飛び跳ねたような形をしているから−だから姿焼って言うんだろうけど−串を抜いてから裏返す。横に長い皿から溢れだしそうになる。
 ご飯と味噌汁を合間に食し、オクラとミョウガの和え物を時々。オクラとミョウガの和え物は、軽く酢を効かせているようだ。ちょっと変わった料理法だけど、問題なく食べられる。シャルは結構好奇心が強いから、何が出て来るのかちょっと不安もあったけど、シャルの感性がごくごくまともで良かった。

「初めての川魚はどう?」
「美味しいですね。塩のみのシンプルな味付けが良いです。大きさはもう少し小さいものをイメージしていたので、ちょっとびっくりはしました。」
「僕もこんな大きな川魚は初めて見るよ。」

 川魚も養殖してるんだろうか?天然ものだとどうしても大きさに差が出るし、こんな大きさの岩魚はそう簡単に釣れないだろう。養殖すればある程度決まった量の収穫が可能だし、産業にもしやすい。村の住人以外の出入りがかなり面倒な作りのこの村にも、こういう産業があるのは良いことだと思う。
 予想外にボリュームがあった定食は綺麗に食べ終えた。程なくトレイが下げられ、入れ替わる形で白樺アイスが置かれる。小料理屋で煮つけとかが入るような底が深めの器に、濃い茶色で粒々がある、大きさが不規則な細長い板状のものが、円錐を作る形で盛り付けられている。

「これは…チョコレート?」
「そのようです。粒状の物質は破砕された胡桃です。」
「よく分かるね。…分析した?」
「これくらいは直ぐです。」
「アーモンドやピーナッツが入ったチョコレートは売られてるけど、胡桃入りは初めて見るよ。」

 胡桃を食べる機会はそうそう多くない。胡桃っていうと硬いって印象があるけど、実際食べてみると食感はアーモンドやピーナッツと同じ。細かくされているせいか、むしろ食べやすい。チョコレートを取ると、中から茶色い粒が散見されるバニラアイスが出て来る。

「アイスにある粒は、チョコレートですね。こちらも破砕されています。」
「チョコレートの板が白樺の皮で、アイスが幹か。凝った作りだね。」

 チョコレートの板を白樺で出来た薪に見立てて組んであることは、見た時に大凡分かったけど、アイスがこういう形で出て来るとは思わなかった。アイスはごくノーマル。チョコレートの甘さが控えめでやや苦いから−多分ビターチョコ−、アイスの甘みが丁度良い具合に絡み合う。
 塩焼きを食べた後だからか、甘さがより印象強い。チョコレートを齧ってアイスを食べるを交互に繰り返す。シャルも美味しそうにかなり速いペースでアイスとチョコを崩していく。この前もそうだったけど、シャルは甘いものも好きらしい。食事を美味しそうに食べる女性は好感が持てる。ダイエットだ何だと言って食事を残して、甘いものだけ別腹とか言って貪る姿はあまりに滑稽だ。

「アイスもチョコレートも初めてなんですよ。だから、それらが同時に食べられるってことで、これに決めたんです。」
「そう言えば…そうなのか。ホテルの朝食だとアイスやチョコレートは出て来ないし。」
「美味しいものが多いですね。この地方の特色なんでしょうか?」
「それはあると思うよ。」

 食べ物が美味しいとされる地方は幾つかあるけど、農産物や魚介類といった第一次産業の産物が豊かなことが共通項だろうか。或いは、それらが大量に流れ込んで来る大都市圏か。店によって当たり外れは勿論あるけど、選択肢も多いから、駄目なら他の店という手が使いやすい。
 白樺アイスも綺麗になくなった。シャルの選択は大正解。監視の視線に嫌な思いをすることなく、安心して外食できたのは久しぶりな感じがする。ずっとこういう時間が続く旅とは思ってないけど、監視の目がホテル以外ずっと続くってことは思った以上に精神的にきつい。食事や休憩時くらいはゆったりしたい。

「まだ…チェックインには早いね。」

 シャルと脳神経系が直結している腕時計を見る。時刻は午後1時少し前。さっきシャルが手配したホテルのWebページを見たけど、チェックイン時刻は午後3時。2時間くらいある。散策していれば時間を潰せるだろうけど、あまりにも人が少ないことが気がかりだ。
 この店にしたって、僕とシャルが入店して食事を終えるまで、1人も入ってこない。幾らオフシーズンでも営業している以上、客が入らないと光熱費や人件費がかさむし、食材が無駄になる恐れもある。魚介類は意外と日持ちしないから尚更だ。何かこの村にヒヒイロカネやタカオ市の異常ぶりの謎が隠されているような気がしてならない。

「まだこの村に来たばかりですし、もっと歩いてみたいです。」
『ヒロキさんの考えはもっともです。チェックインまでの時間を利用して調査しましょう。』
「そうしようか。」
『うん。考えてばかりじゃ始まらないよね。』

 普通に会話をしながら、片方で腕時計経由でダイレクトに会話する感覚は、自分とシャルが複数いるような錯覚を覚える。だけど、慣れればかなり便利に使えそうだ。村は広い。シャルが2泊分確保してくれたから、散策を兼ねて歩き回ろう。何処かに謎の手掛かりが隠されている可能性にかけて、地道に調査するのが唯一の道かつ王道だ…。
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