謎町紀行

第10章 食事と観光でも続く監視と尾行

written by Moonstone

 公園を一回りしたら昼過ぎ。天守閣や御殿といった目立つ建物がないだけで元の敷地をほぼそのまま使ったという公園は、予想以上に広かった。結構いい汗をかいたけど、運動すれば腹が減る。昼ご飯を何処で食べるかが当面の問題として浮上する。旅先は土地勘がないから、飲食店は勘かネットの情報に頼るしかない。ベンチに座って作戦会議。

「オクシラブ町もそうでしたけど、魚介類の名産はないですね。」

 僕が貸したスマートフォンを見ていたシャルが言う。操作してないのに画面が次々変わっていくから一瞬壊れたかと思ったけど、よくよく見るとシャルの左手の指の一部がスマートフォンと一体化している。ヒヒイロカネならこんなことは朝飯前か。

「魚介類を名産に出来るのは、漁港に近い町だよ。内陸部はその代わりに肉類が名産になるんだ。」
「輸送技術と名産としての扱いは別なんですね。」
「輸送が発達しても産地は調べれば分かるし、その産地で食べられるから名産扱いってこともあるね。」
「名産になるには単に生産しているだけでは駄目なんですね。」

 シャルが言うには、シャルが創られた世界では生産技術と輸送技術がこの世界より非常に発達しているから、何処に居ても同じものが食べられるそうだ。それが当たり前だから名産が地域で魚介類と肉類に分かれることが理解できなかったらしい。この話だけでも文明水準のもの凄いギャップを感じる。

「ということは、お昼ご飯も肉類方面で探すのが無難でしょうか。」
「他にうどんや蕎麦があれば、それも良いと思うよ。」
「うどんや蕎麦、ですか。オクシラブ町にはなかったですね。探してみます。」

 興味が湧いたのか、シャルがスマートフォンを操作する。程なく幾つかの店が表示される。タカオ市の名産には蕎麦もあるようだ。

「蕎麦を食べてみたいです。この店に行きませんか?」
「此処から歩いて10分くらいか。結構近いところにあるね。勿論良いよ。」
「楽しみです。」

 そう言えば、今までシャルと遠出した時も蕎麦が書かれた幟を見て僕に聞いて来たな。人体創製で行動範囲が大幅に広がったし、試したいことや経験したいことが一気に出て来たんだろう。ヒヒイロカネを探して回収するのは勿論重要だし、この旅の目標だけど、その大切なパートナーであるシャルにこの世界をよく知ってもらうための寄り道も必要だ。

『そういえばシャル。シャルの本体−語弊があるかもしれないけど、そちらは異常ない?』
『直接の異常はありませんが、周囲に人が居ます。主に40歳以上と見られる男女が5名。私の写真を撮ったりしてますね。』
『それこそ不審者じゃない?!』
『傍から見ればまさにそうですね。触れると拙いと思っているのか、他の車との隙間からなど。』
『そいつらは会話はしてる?』
『奇妙なことに無言です。』

 一体何なんだ?一見普通の車でしかないシャル本体や、それこそ一般人にしか見えない僕やシャルに付き纏い続けて何の得があるんだ?しかも今日は平日。会社勤めもあるだろうし、学校や家のこともある。平日休日の勤務もあるけど、不特定多数が彼方此方から湧いて現れて訪れた一般人を監視するほど暇じゃないと思う。
 もしかして、犯罪件数がやたらと多くて、不審者や付き纏いの件数が突出しているのは、こういう徒党を組んだ余所者監視の結果なんじゃないか?だとすれば、この異様な監視も納得がいく。「犯罪者の町」なんてあまりにも不名誉な通称なのに、市側は何の対策もしてないんだろうか?

『集合して来た様子からもそうですが、統率されたチームではなさそうです。付近を徘徊していて、近くに監視対象を発見したら監視と追跡を開始するという感じのようです。』
『だから時間や場所によって顔ぶれが変わってるのか。』
『直接危害を加えて来なければ、無関心でいるのが一番ですよ。反応を示すと監視の口実を与えることになりますから。』
『そうするしかないね。』

 僕とシャルは今も手を繋いでいる。シャルがスマートフォンを操作する際にも手を離したけど、それを終えたら再び繋いだ。僕が言い出したのでもないし、シャルからでもない。自然とそうした。自他共にデートと言える状態だと思うし、そう意識すると頭がくらくらしそうだ。
 遠巻きに監視や尾行を続けているようだけど、今のところ不快感以外は直接の害はない。シャルの言うとおり、放っておくのが無難だろう。もしかすると、こうして見慣れない人や旅行者に付き纏って、不快感を増幅させて攻撃させることで犯罪を作っているのかもしれないし。
 スマートフォンの地図に従って歩く。公園を出て大通りを少し進むと、目的の店に到着。昼時だけどピークを過ぎたらしく、並んだりしなくても店に入れる。奥のテーブル席に案内され、メニューを広げてシャルに見せる。シャルは蕎麦初体験だから、納得できるものを選んで欲しい。

「天ぷら蕎麦というのは、どういうものですか?」

 シャルが挙げた疑問にちょっと驚く。だけど蕎麦だけじゃなくて天ぷらを食べるのもこれが初めてか。

「蕎麦の上に天ぷらが乗ってるんだ。天ぷらのサクサクした食感も楽しめるよ。」

 メニューを見ると、天ぷらはノーマルな海老を基本に、馴染み深いサツマイモや茄子、ちょっと豪華にかき揚げ、土地ならではと言うべき山菜から2つ選択できるようになっている。値段はそれほど高くない。観光地にありがちな観光客価格ではなさそうだ。

「海老と組み合わせる形だね。オーソドックスな選択だとサツマイモや茄子かな。タカオ市の名産らしい山菜も良いと思う。」
「内陸部なのに海老は固定ですね。」
「何とも率直な…。海老は天ぷらやフライの常連だから、大抵海老はメニューにあるよ。」

 先に内陸部だと魚介類は名産にならないという話をしてるから、それと比較して海老があるのは妙に思ったんだろう。天ぷらでは海老が定番の1つだし、盛り合わせだとちょっと豪華に感じるものだとシャルに説明する。シャルは不思議そうな顔をして、天ぷら蕎麦で海老と山菜を選ぶ。興味が湧いたようだ。
 僕も天ぷら蕎麦にして、海老と野菜の盛り合わせにする。何となく食べてみたくなった。店員を呼んで注文をして、茶を飲みながら待つ。シャルも茶を飲む。茶はこの手の店ではちょっと珍しい玄米茶だ。シャルは少し不思議そうな顔をするが、飲めなくはないらしい。

「このお茶、他のお茶と違う香りと味がしますね。」
「玄米茶っていうんだ。緑茶にも色々種類があるよ。」
「紅茶とまた違った楽しみ方があるんですね。」

 シャルはどうやら玄米茶は問題なく飲めるようだ。紅茶が好きなことからも考えると、シャルは香りが良いものを好む傾向にあるらしい。僕と違ってお洒落なんだよな、シャルは。カジュアルな服もすんなり着こなしてるし−ネットの情報から選択したそうだ−、茶を飲む姿も全く違和感がない。
 少しして2人分の蕎麦が運ばれて来る。天ぷらは予想以上に大きい。丼から溢れだしそうだ。なるほど。別に皿が運ばれて来たのは、天ぷらを取っておくためか。確かに、この皿がないと蕎麦を食べるのが難しい。盛られた天ぷらに四苦八苦していたシャルにも、そのことを教える。
 シャルは一口一口確かめるように、味わいながら食べる。この様子は、傍目には日本文化を体験する外国人としか見えない。とは言え、日本語は何不自由なく話すし、箸も綺麗に使うから、日本文化に造詣が深いお嬢様かと思われるんだろうか。
 後ろで束ねている金髪がひときわ目を惹く。シャルは、髪を降ろすのは入浴時と就寝時と決めているらしく、それ以外は常に髪を後ろで束ねている。束ねるのは薄紫の幅広のリボン。金色と紫は意外と合う。こういうちょっとしたところにも、シャルのセンスの良さを感じる。
 蕎麦は手頃な長さで切ってあるから、食べ千切って汁に蕎麦の塊を落とすということはない。食べ物に限っては、タカオ市は何ら怪しいところはない。むしろ食べ物には不自由しないように思う。それだけに、遠巻きに監視を続ける不可思議な動きが物凄い違和感を生じさせる。

「次は何処へ行こう?」

 ほぼ同じくらいに食べ終えて、僕はスマートフォンを取り出して地図アプリを操作する。今の場所は…この辺り。割と近いところで他にめぼしいところというと…やっぱり善明寺かな。善明寺は国道19号に入って少し北に走れば良い。オクラシブ町の経験からすると、寺社仏閣の神聖な場所やものに姿を変えたり入れ替わったりしている可能性は高い。

「善明寺、でしたか?そこが良いと思います。」
「善明寺は大きな寺だから、今から回ると夜になるかもね。」
「地図でもかなり専有面積が広いのが分かりますね。」

 神社だと剣とか鏡とか宝玉とか、或いは山や木とかが御神体として祀られている。寺だとそれに相当するのは大抵仏像だと思うけど、それをオクラシブ町のように入れ換えるのはちょっと無理がある。仏像は結構大きいし、抱えて持てるようなものでもない。持ち出すのは発覚するリスクが大きい。
 だけど、一旦置き換えてしまえばその性質上、容易に接近できない物理的・心理的圧力に守られることになる。これはオクラシブ町でも経験したことだ。シャルのスキャン能力はある程度接近しないと識別できないし、ヒヒイロカネの存在を確かめるには一度は赴く必要がある。
 善明寺は僕でも知っている全国屈指の有名な寺だ。時代までは覚えてないけど、一介の農民が仏様のお告げで山の一角を掘ったら、木彫りの仏像が出て来た。農民はお告げに従って仏像を綺麗にして近くの廃寺に持って行ったら、廃墟同然だった廃寺が美しい姿を取り戻し、仏像が金色に輝いた。
 金の仏像に仏様が乗り移り、かつてこの廃寺に安置されていたが、時の住職が破戒の限りを尽くして失踪し、寺は荒れ果ててしまい、自分も輝きを失って打ち捨てられてしまったことを話し、農民に寺を守るように頼んだ。農民はこの寺を善明寺と名付け、住職となって寺を守ることにしたという。
 伝承だから全て真実と見るのは早計だけど、仏像がキーワードなのは間違いない。となると、大きさの問題はあるけど、ヒヒイロカネが仏像と置き換えられていることは十分考えられる。やっぱり善明寺には行っておくべきだ。なければ他を当たれば良いんだし。

「昼ご飯は満足?」
「はい。美味しかったです。」
「それじゃ、次に行こう。」

 僕とシャルは席を立ち、僕が伝票を持ってレジに向かう。金はこの旅を続けている間は無尽蔵だし、シャルならそれでなくても払う。デートってシャルも認識してるし、目的地間の移動の時くらいはデート気分に浸っても良いだろう。
 …ん?何だか周囲で動きがあったような…。
 車、つまりシャルの本体のところに戻る。僕とシャルが不在の間に複数の不審者が観察していたそうだが、一回りして見たところ、異常は見当たらない。何か設置されたりしたら、即シャルが無効化するだろうけど、シャルの本体であり貴重な移動手段でもあるこの車に他人の手が不用意に触れるのは良い気がしない。

『不審者はACSを警戒しているらしく、接触することはありませんでした。』
『写真は撮られた?』
『もう360°からと言って良いくらい、執拗でした。こういうモデルになった覚えはないですが。』
『シャル本体の見た目は、一般的なコンパクトカーなんだけどね…。』

 こちらの世界の車も音声入力や画像認識、各種情報と連携したHUD表示といったことは出来るが、人格や人体創製などは持っていない。シャルは人体創製でこうして僕の隣に居るけど、それも言わなければ分からないし、言ってもまず信用されないだろう。その本体はどう見てもよく見る車種の1つだ。
 なのに、360°から写真を撮っていたという。何を探しているのか、何を監視しているのか、何が目的なのか全く分からない。接触してないから爆弾とか盗聴器を仕掛けられたことはないだろうけど、シャルも良い気分はしないだろう。監視や尾行の目的を解き明かすことも考えた方が良いような気がする。

「双方に存在を認知していない相手に、無許可で写真を撮られるのは不快ですね。何にその写真を使うのか分かったものじゃありませんから。」
「珍しい車や特定の車種だと、写真を撮って飾ったりコレクションする人は居るけど、今回は明らかに様相が違うよね。」

 僕は特別車が好きってことはないけど、クラシックカーやスポーツカーは希少価値の高さや車そのもの価格−数千万とか考えられない価格の車種もあるとか−から、それを趣向とする人が居るのは知っている。集まりがあってそこで自慢の車を披露したり、写真を撮影したりするそうだ。
 一方、シャルの本体であるこの車は車種も色もありふれたもの。機能はずば抜けているどころか別次元のレベルだけど、それは僕とあの老人以外知らない。改造とかもしてないから−「その手のことはされても処分します」と以前シャルが言っていた−まったくもって不審なところはないし、特別な個所もない。
 それに、シャルは人格がある。人格には趣味趣向や好き嫌いも当然含まれる。いきなり写真を撮られてあまり良い気分はしないもんだ。ましてや全方位からお構いなしに撮影されたんじゃ、写真1枚につき幾らか払えとも言いたくなるだろう。そもそも写真を撮るなと言う方が先か?

「カメラのCPUとかに干渉すれば、写真を消したりできるんじゃない?」
「車の制御系より容易ではありますけど、私を撮影した写真だけが消えていたら、余計に監視や尾行の口実を増やすことにもなりかねません。」
「それもそうか。撮影すると何か変な工作がなされる、とか。」
「直接の危害がない限り、当面はこちらも監視を続けるに留めます。」
「こちら『も』?」
「執拗に撮影された頃に、偵察機を4機創製して発進させました。ヒロキさんと私を中心に半径10kmはカバーできる監視網を構築しました。」

 流石だ。監視や尾行されっ放しは許さないわけだ。シャルの創造機能はサイズの制限こそあるものの、戦闘機から一個師団まで、飲食物以外なら何でも創れる。偵察機4機なんて朝飯前だ。しかも光学迷彩に消音機能まで装備しているから、飛び立ったことさえも気付かれない。最強の偵察・監視網が構築される。

「ヒロキさんと私に監視や尾行を行っていると判明或いは推測される連中を、半径1kmの範囲で表示します。」
「!こ、こんなに?!」

 停車している立体駐車場にも赤い点が複数。外にも立体駐車場を取り巻くように幾つも赤い点がある。数えるのも嫌になるくらいだ。
 一体タカオ市は何なんだ?!満月以外霧で覆われていたオクラシブ町は、御神体を奪われまいと必死で警戒していた赤宮周辺の集落以外、こんなことはなかった。赤宮には正当な理由があったが、タカオ市はまったく分からない。

「ヒロキさんと私がお昼ご飯を食べたあの蕎麦屋から、新規に監視や尾行を開始した連中が居ました。」
「何か視線を感じたような気がしたと思ったら…。」
「背を向けたから気付かれないと思ったんでしょう。ある意味センサの塊である私には容易に分かりました。」
「…奴らが何をしてるか分かる?」
「こちらが視界に入らないエリアに居る連中は、大半が待機しています。こちらが視界に入るエリアに居る連中は、動画や写真の撮影と待機が半々といったところです。若干名、携帯端末で通信や操作を行っているものも居ます。」
「連絡を取っているの?」
「通信内容を傍受した結果、タカオ市の不審者情報にアクセスしています。既に不審者情報には、ヒロキさんと私が登録されています。」
「え?!」

 どっちが不審者だと言いたいところだけど、既に先手を打たれていたとは…。不審者情報に登録されているから、何か怪しいことをしてないか、していたら即座に警察に通報する構えなんだろう。町全体が監視社会の典型だなんて思わなかったけど、ある意味ヒヒイロカネの存在に確証が持てる材料が得られたとも言えるか。
 オクラシブ町は気象に顕著な影響が出ていたし、ヒヒイロカネを埋め込まれた連中が人狩りと生贄と乱交を伴う儀式をしていた。この執拗な監視や尾行もヒヒイロカネを埋め込まれて操られていると考えられる。だったら、怯えては居られない。善明寺に向かってヒヒイロカネの存否を確認する必要がある。

「シャル。もし直接危害や妨害をして来るようなら、対策を執って。」
「はい、勿論です。」

 シャルなら携帯端末を通信不能にするジャミングや、そもそも使用不能にするCPUとかへの干渉も造作もないことだろう。だけど、それは諸刃の剣になりかねない。反撃するなら全滅させるつもりで徹底的に。それまでは相手の様子や出方を窺う。イライラする心理戦だが、ここは我慢の時だ。
 コックピットが自動的にONになって、ナビに善明寺への経路が表示される。シャルの本体だからシャルの意向でどうにでも出来る。隣のシャルを見ると、普通に座席に座っているようにしか見えない。姿勢が綺麗なんだよな。…見惚れてしまった。善明寺へ急ごう。
 車で20分ほどで善明寺に到着。少し国道で渋滞していたから何かと思ったけど、単なる自然渋滞だった。駐車場は善明寺の境内から少し離れたところにある。平面だが広大な駐車場だ。これも休日や御開帳の時には鮨詰めになって、尚も出る車を待つ車の列が出来るんだろう。今日は場所を探す必要なくスムーズに止められる。
 運転中、HUDの一部には偵察機による監視や尾行の様子が表示されていた。車での移動を開始したことで駐車場周辺に包囲するように屯していた輩は振り切ったけど、渋滞中に別の輩が集まってきた。もうホラーか何かと思う事態だった。僕の精神的負担を考慮したのか、シャルが途中でHUD表示を消してくれた。

『さあ、暇な方々に見せつけて差し上げましょう。』

 シャルは僕の脳に直接そう言って手を繋いで来る。本体が車でリモート操作されている人形(ひとがた)、と分かってはいるけど、認識はまったく追いついていない。むしろ、認識の方は僕の好みのストライクど真ん中の容貌と性格を兼ね備えた女性、で固定化が進行している。
 善明寺への参道沿いには、多くの店が軒を連ねている。一般的な土産物屋は勿論、蕎麦屋にカフェ、料亭に旅館と滞在や飲食に困らない構成だ。見たところ、酒屋はあるが居酒屋など飲み屋はない。流石に寺周辺で飲酒して大騒ぎなんてミスマッチだし、そうならないようにしているんだろうか。

「お店は色々ありますけど、外観は白塗りの壁に黒の屋根で統一されていますね。」
「昔の山道をイメージしてるんだろうね。観光主体の町は景観を大事にするから。」

 全国的に有名な寺だけあって、全国、ひいては世界から参拝や観光に訪れる。国内はどうか知らないけど、外国人は統一された景観を重視するらしい。観光主体の町だと景観に関する条例があって外観の統一や高層の建築が出来ないとかあるし、何処にでもある地方都市の景観にはならないようにしているんだろう。
 参道は片側2車線の国道くらいの幅があるだろうか。中央に欅(けやき)が一直線に並んでいて、その周辺に丸太を半分にしたようなベンチや小さな花壇がある。道は石畳で、同じサイズと形状の畳一畳くらいの石が整然と敷き詰められている。この欅の並木道が左右の緩やかな境界線になっている。
 この欅の並木道も、善明寺建立−再興と言うべきか−に関わりがある。仏像を掘り起こした農民がお告げに従って廃寺に運んだ経路に、仏像が輝きを取り戻すと次々と欅が生えたという。今は高価だから寺社仏閣とか限られた建物にしか使われないが、欅は昔から日本家屋の建築材に使われていたし、善明寺の建て替えのために植えられたというのが真相だろう。
 伝承はそういうものだとして、欅はどれもかなり大きい。横方向に広がった樹形は天然の屋根だ。正午を過ぎて一番日差しが強くなるこの時間帯には、天然の日傘になる。確かこの辺りは冬場に結構な降雪がある。雪に対しても心強い屋根になるだろう。雪国では雪はスキーとかを除いて害でしかない。
 人出は思ったより少ないけど、観光客らしい団体をはじめとして、換算というレベルからは程遠い。オフシーズンの平日とはいえ、全国的に有名な寺だから観光コースになるのも十分あり得る。カフェが何軒かあるせいか、意外とカップルや若い人も居る。
 店を回るのは後でも出来るから、まずは境内を目指す。参道を進んでいくと、左右を仁王像で固めた巨大な門が見えて来る。特に彩色はされていないが、木彫りの仁王像は数メートルはある巨大なもので、存在感や威圧感が十分だ。

『この像は木製ですね。ヒヒイロカネのスペクトルは全くありません。』
『流石にこんな分かりやすいところには置かないか。』
「それにしても、木材でこんな巨大な仏像を作れるのは凄い技術ですね。」
「こういう特殊な技能を持つ職人は、どんどん少なくなってるんだ。今だと仮に壊れたりしたら作り直すのは難しいと思う。」

 シャルは天守閣や日本家屋の欄間とか、手工芸の領域にある建築物などに強い関心を持つ。どうもシャルが創られた世界にはそういうものがないらしい。文明やテクノロジーはこの世界よりはるかに進展しているけど、その分個人の力量に依存する手工芸や職人的技術は衰退したのかもしれない。それはこの世界も同じようなもんだ。
 門を潜ると、広大な境内に出る。中央に柱があって、その回りに線香を立てる場所がある。人はそこに集中している。柱は善明寺が再興した際にかつての大黒柱が仏様の力で移動したもので、柱に触れることで仏像に触れたのと同じ御利益があるそうだ。柱に触れた手で自分の問題のある場所、腰痛なら腰に触れると腰痛が良くなるとか。

「神仏に関わるものは、超常現象が当たり前ですね。」
「神様仏様の偉大さや人知及ばないところを表すためっていうのがあるから、普通だとあり得ない内容になるのは仕方ないよ。」
『この柱も木製で、ヒヒイロカネのスペクトルは全くありません。』
『これもヒヒイロカネに置き換えるには目立ち過ぎるね。やっぱり本堂の仏像かな。』
『今のところ、本堂という柱の向こうにある大きな建造物からは、ヒヒイロカネのスペクトルは検出できません。近づく必要があります。』

 柱−正式には御柱(おはしら)というらしい−の脇を抜けて、本堂へ向かう。流石は全国屈指の有名寺院の本堂。今まで僕が見た寺より格段に大きい。せり出した軒先の下には、鶴や亀、鳳凰の彫刻がある。これも派手な彩色はなく、質実剛健という印象を受ける。

『仏像はこの建物の中にありますね。ですが、ヒヒイロカネのスペクトルは検出できません。』
『置き換わってたりすると思ったんだけど…。』
『仏像のサイズから考えると、この世界に持ち込まれたヒヒイロカネのサイズでは、置き換えることが出来なかったと思われます。』
『増殖じゃ追い付かないサイズ?』
『時間をかければ可能ですが、間に合わなかったか別の目的や場所があったか。何れにせよこの仏像と置き換えられるには至らなかったようです。』

 オクラシブ町では、町の名所だった四色宮のうち3柱の御神体とヒヒイロカネが入れ換えられていた。所在は直ぐに分かったけど、回収するのは凄く苦労した。今回もそうなるかと思ったんだけど、ある意味分かりやすい展開になる目論見は外れたようだ。
 でも、此処の仏像がヒヒイロカネじゃなくて良かったとも思う。善明寺の境内は開けているし、人の多さは四色宮の比じゃない。此処で争奪戦になったら善明寺の損害も覚悟しないと行けないだろう。オクラシブ町だって集落全体が敵だったし、シャルの創造機能に大軍があったから制圧して、ヒヒイロカネを回収できたと言っても過言じゃない。
 人が多い中であんな戦闘になったら、巻き添えは避けられそうにない。僕とシャルの目的はヒヒイロカネの回収であって、無関係な他人を戦禍に巻き込むことじゃない。これはヒヒイロカネの回収のためという大義名分と同等にぶれてはならないことだと思う。目的のためなら何をしても良い、多少の犠牲は問わない、となったら、アメリカ映画のヒーローと変わらない。

『手掛かりは…ないかな。』
『前回の例で言うと、ヒヒイロカネを埋め込まれた者が紛れ込んでいるかもしれません。』
『!そういえば、尾行や監視を続けている連中に、そういうのは居る?』
『今のところありませんが、必ずスキャンはしています。捕捉次第追跡させます。』
『頼むね。そういうところから繋がって行く可能性があるから。』

 善明寺になかったのは残念だけど、なければ他を探せば良い。保身に走る上司も、都合良く利用する同僚も、斡旋すらしない癖に結婚だ何だと騒ぐだけの両親も親族も居ない。目的のためにひたすら行動すれば良いんだ。更にシャルも居る。相談も出来るし協力も出来るし助けてもくれる。
 本堂に入るのにさして時間はかからない。人はそこそこ居るが待ち時間が発生するほどじゃない。靴を脱いでビニール袋に入れて、順路に沿って縁側を歩いて、通用口のようなところから入る。一瞬シャルはどうするのかと思ったけど、人体創製で本体から分離できているんだから、靴をシャルから分離するのは造作もない。
 少し幅が狭い廊下を歩いて、改めて本堂正面に出る。ちょっと回りくどいけど、多分直接仏像、つまり本尊の前に行けないようにするためだろう。神社で御神体が安置されている本殿にはごく限られた条件の下、ごく限られた人しか入れないのと似たようなもんだ。

「こういった建物では、手続きめいたことをすることが通例なんですね。」
「神聖なものだから閲覧や立ち入りに制限を設けたり、手順や格式を設定するんだよ。」
「神道は穢れという概念があって、それを忌み嫌う性質からむべなるかなと思う面はありますけど、仏教で同様の思想が存在するのは理解しかねます。」

 シャルが唐突に難しいことを言い出した。データベースや検索から考察を出したんだろう。僕は分かる範囲で推論を返す。
 神道と仏教が同居する、他国からしたら驚愕ものらしいが、神道の神棚と仏教の仏壇が1つの家に存在することも珍しくない日本だから、神道と仏教が混じり合った面は大小幾つかある。つい最近まで仏式の葬儀の後で清めの塩が振る舞われていたこともその例だろう。
 仏教では死は次の転生先への移動のようなもので、元々は葬儀すら「バラモンに任せよ」としていたくらい、儀礼や形式とは無縁な宗教だ。開祖釈迦の入滅以降、釈迦の思想の捉え方を巡って分裂し、日本に伝わり、一般市民に普及する過程で様々なものが付加された。
 初七日や四十九日という葬儀の後の法事は典型例で、それらは道教の影響だ。元々仏教では魂を説いていないし、魂をはじめとする固有の存在はないとする「空」の概念があるくらいだ。この概念は僕もよく分からないけど、釈迦が興した原始仏教と今この世界にある仏教は大きく異なっていることは確かだ。

「宗教というのはなかなか難しいですね。」
「宗教の開祖は歴史の教科書に出るし、宗教や哲学とかを学ぶ倫理って教科があるんだけど、単なる暗記モノに終わってる感があるからね。」
「データベースや検索結果の照合だけによるものではないことは理解できたつもりです。」

 思想や哲学、宗教ってものはそれ以前のものとの関わりや環境、状況によって生じて変遷する。得られたデータを解析・分析して理論と照合して適切かどうか判断する理工学とは明らかに異なる領域だ。最先端理工学の結晶と言えるシャルと、関わる人の解釈や主導権争いによって変遷する宗教とかは、相性が良いとは言えない。
 だけど、シャルは人格がある。人格が何なのかと言えば、一言で言えば「我思う。故に我あり」。高校の倫理あたりでは失笑や嘲笑の的にもなるこの一節は、人格ひいては自我の本質を鋭く突いたものだと今は思う。シャルは自分が唯一のシャルと認識できる自我を持ち、自我に立脚した人格を持っている。
 この世界での人工知能は、基本的にディープラーニングに基づいている。繰り返し学習することで特有のパターンや工程を見出し、適用結果をフィードバックする。これも学習という行動を体現したものではあるけど、人格や自我とは違う。パターン認識や精度の向上は、人格や自我の獲得や形成とは別の話だ。
 いよいよ本尊、善明寺に再度祀られた仏像との対面だ。巨大な祭壇の上に安置された仏像は、少し色褪せてはいるけど黄金には変わりない輝きを湛えている。こういう場では当然のように写真や動画の撮影は禁止。様々な装飾がなされ、花や蝋燭が飾られた仏像は、僕とシャルを含む多くの参拝者を見つめながら静かに佇んでいる。

『手を合わせれば良いんですか?』
『そうだよ。』

 合掌してヒヒイロカネ回収の成功と旅の安全を祈願する。この祈願ってのも元々の仏教にはない概念だけど、此処で仏教の変質を言うのは野暮というもの。素直に本物の仏像に祈願しておく。シャルは何を祈願したんだろう?これも問い質すのは野暮というものだろう。
 見物する人の後ろを歩いて、本堂を後にする。入った時とは別の通用口のようなところから出て、今度は直ぐ近くにある階段を下りれば良い。此処で靴を履いてビニール袋を回収箱に入れる。本堂の参拝はそこまでの労力や時間と比べて呆気ないほど短いが、これは善明寺に限ったことじゃない。

「参拝も済ませたし、次の目的地を探す?」
「この寺の境内はかなり広いですし、他にも宝物殿などがあるそうですから、そこを見て行きましょう。」
「何か気になるところがあった?」
「いえ、単純に宗教などに興味が湧いて、関連の物品を見たりしたいと思っただけです。」

 ヒヒイロカネの捜索と回収に専念して、他のことは邪魔と考えそうなものだけど、シャルはそうはしない。シャルもただヒヒイロカネ回収のために僕にあてがわれた人格を持つOS搭載の車じゃなくて、この世界を見て知りたいと思っている。それはこの旅に出る前に遠出した時にひしひしと感じたことだ。
 シャルのデータベースでも「此処にある可能性が高い」と挙げられた候補地であって、ヒヒイロカネは此処にあると確定してはいない。オクラシブ町は可能性が現実と一致したのであって、初回だから余計にインパクトがあったに過ぎない。タカオ市もくまなく回って何処にもなかった、となる確率だって十分ある。
 ただヒヒイロカネを探すという意識だけだと、どうしても単純作業になる。世界各国に散在して、しかも一見しただけでは分からないものに擬態している確率が高いヒヒイロカネをただ探しまわるだけだと、多分心が持たない。シャルはそれを分かっているから興味を前面に出したり観光に切り替えたりするんだろう。
 まだまだヒヒイロカネ回収の旅は始まったばかり。オクラシブ町のように訪れた候補地に存在するとは思わない方が良いかもしれないくらいだ。次は何処に行くか考えながら、全て捨てた生活では考えられなかった、際立つ容貌と朗らかな性格を併せ持つ女性とのデートを楽しもう…。
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