謎町紀行

第3章 青宮の御神体

written by Moonstone

「駄目だった…。」

 黒宮前の駐車場に居るシャルに戻った僕は、思わず溜息を吐く。ダイレクトに宮司に頼むより、集落の代表者というワンクッション置いた方が良いのでは、というシャルのアドバイスを受けて、集落の代表者である総代に青宮の本殿の拝観を口添えしてくれないかと頼んだが、答えは全てNO。
 集落の人間でも本殿の拝観は特定の時期しか出来ない。しかもそれは20年に1度。それを余所者が来て早々に拝観できる筈がない。まさかヒヒイロカネを出すわけにもいかず、歴史の研究を理由に挙げたが、大学名を出せと言われて作家志望と答えたら、そんな根なし草に何が出来るとにべもなし。理由はもっともだし、下手に食い下がると神社や集落への立ち入りそのものを禁止されかねない。話を聞いてくれたことに礼を言って引き下がるしかなかった。

「神代からの歴史ある神社の本殿を、余所者が唐突に拝観したいなど言語道断、ってことですね。」
「そういうことだね。」
「いっそ、御神体が持ち出されたらしいと言ってみるのも良いかもしれません。慌てふためいて宮司に駆け込むと思いますよ。」
「嘘を言って拝観できたとしても、直ぐばれると思うよ。そうなったら余計に事態が悪化する。」
「聖地や聖域なんて人間が勝手に空間や敷地を区切っているだけなのに、神経質ですね。」
「神社、厳密には神道は穢れを物凄く嫌うからね。」

 余所者というのは地元民から見れば異質なもの。神道の穢れ意識は異質なものへの嫌悪や排斥の意識と繋がっている。神社と同化していると考える地元民からして、余所者が来て早々に聖地中の聖地、神社の中枢である本殿の拝観を申し出ても、穢れが飛び込んでくるようなものに映るだろう。
 シャルの言い分も理解できる。儀式や作法を重ねたところで、物理的に仕切って名称を変えて形成した、人間による区分けに過ぎない。そもそも御神体が入れ換えられた確率が高いんだから、余所者とかどうとか言ってる場合じゃないと思うんだが、確証がないと駄目だよな…。

「正攻法が無理なら、手段を選ぶ必要はないですね。」
「…本殿へ潜入するってこと?」
「そうです。」

 やっぱりそうなるよなぁ…。宮司にダイレクトに頼んでも結果は見えてるし、ヒヒイロカネ回収がこの旅の目的だから、正攻法での拝観申し出が却下されたから諦めて次とは出来ない。正直犯罪行為は避けたかったんだが、手段を選んでは居られない状況だ。
 問題は潜入の方法。恐らく今時、神社も聖域だから誰も踏み入らないっていう性善説に徹しては居ないだろう。監視カメラや防犯装置の設置、警備会社加入といった対策をしているだろう。潜入経路は勿論だけど、脱出の経路や手順も十分考えておかないと、文字どおり袋の鼠になるオチが待っている。

「ヒロキさんに違法行為の実行を求めることはしません。私が潜入部隊を作成して送り込みます。」
「潜入部隊って、どうやって?」
「ヒヒイロカネは無処理で放置すると増殖するって前にお話しましたよね?その性質を上手く制御することで、別の筐体を任意の数だけ作れます。」
「シャルの制御下で、実際に動く軍隊を作れるってこと?」
「そういうことです。作れるサイズには制限がありますから、ミニチュアサイズになりますけどね。」

 シャルはINAOSという統合OSだが、多彩で潤沢な車の機能以外に、僕が填めている腕時計を介して僕の脳神経系にアクセスしたり、僕を介して様々な解析をしたり出来る。更には自分の制御化における別働隊まで作れるとなれば、極端な話、シャル1人で町1つは楽に占拠できてしまう。
 ヒヒイロカネの恐ろしいところは、こういうことが悪用の方で展開が思いつきやすいし、その方が威力が強いところだ。自己修復機能だけでも大概だけど、ミニチュアサイズの軍隊が作れるなら、それを送り込んで政敵を殺害したり、重要施設に送り込んで破壊工作をしたりといったことは、権力者や軍部なら直ぐ実行に移すアイデアだろう。

「本来、私は車として完結していますから、別筐体を作ることは出来ません。これは特別に実装された機能なんです。」
「シャルを僕に引き渡したあの老人がそうしたってこと?」
「あの方は指揮監督の立場ですけど、そう指示したのは事実です。ヒロキさんが私と一緒にヒヒイロカネの回収に乗り出すと決めてくれた時に。」

 あの老人、そんなに僕を信頼してたのか…。確かに助けて病院に搬送して、車がシャルになるまでガレージを覗かなかったけど、それがともすれば町1つ占拠したり、気に入らない奴を暗殺する凶器にもなる能力を特別に実装するほどの信頼に値するものなのか?
 それはまた別の時に考えよう。今はヒヒイロカネの確率が高い御神体をどうするか、だ。シャルの能力を使ってこっそり持ち出すのは、比較的容易だろう。だが、集落にとっては一体と言える神社の御神体を持ち出して、模造品とでも入れ替えるのはやっぱりちょっと気が引ける。それは最後の手段として、他に方法があればそちらを執りたい。
 4つの集落の総代全員に本殿と御神体の拝観を申し出たが、これは全て却下。宮司に直接頼んでも望むは限りなく薄い。だけど、シャルの潜入部隊で持ち出すより前に試すべきではある。拝観できればシャルがもっと詳しく分析できるだろう。出来る限り合法な手段でことが進めば、その方が良い。

「潜入部隊を行使するのは最終手段として取っておこう。宮司に直接会って御神体の拝観を申し出るよ。」
「分かりました。これも若くて美人の店長さんのアドバイスに従って、青宮からにしましょう。」
「だからそういうつもりはないって…。」

 今日も昼食は例のオクラシブ牛筋煮込みカレーセットがある店だった。他の飲食店はやっぱりこの霧の影響か休業が多くて−シャルが調べてくれた−、この店がボリューム的にも味的にも一番良いと判断したとのこと。だけど、シャルにはあの女性−今日聞いたら店長だった−が、厳密には、僕があの女性をはじめとする若い美人と歓談するのが癇に障るらしい。美人かどうか認識するのと、恋愛感情が伴うかどうかは別なんだけど、それがシャルには理解できないようだ。うーん…。
 それはひとまず棚上げして、宮司との交渉をどう進めるか。単に神社の歴史に興味があるからという理由だけじゃ説得力に欠ける。かと言って、すり替えられている恐れがあるとか言い出しても、余所者だから俄かには信じてもらえないだろう。まずは取っ掛かりの良い神社の歴史から攻めてみるかな…。

 青宮に到着。HUDの3Dマップ駐車場には、主が消えたと思われる車が表示されている。シャルと脳神経系でリンクする腕時計はずっと填めているから、このまま外に出ても霧で立ち往生することはない。宮司に会うには…まず社務所に行けば良いか。

「社務所で問い合わせれば分かる筈です。会合や祈祷で不在かもしれませんが。」
「祈祷か…。それを利用するのも手かな。」
「単刀直入に御神体の拝観を申し出るより、祈祷をきっかけにした方が良いですね。これも社務所で問い合わせれば申し込みなどが分かる筈です。」
「分かった。行って来るよ。」
「行ってらっしゃい。」

 シートベルトが外れてドアが開く。外に出ると相変わらずの深い霧だが、シャルから転送される3Dマップのおかげで、何処に何があるかは一目瞭然。怪しまれないように、LEDライトを付けて出発。今のところ他に人気はない。昨日会ったあの男性は別のところに居るんだろうか?

『例の若くて綺麗な巫女さんは、社務所に居ますよ?』
『!だからそういうつもりはないってば!』

 唐突に突っ込みを入れられるとびっくりする。しかも脳にダイレクトだから余計に心臓に悪い。3Dマップの視覚アシストがあるとは言え、相変わらず360度真っ白に近い風景なのは変わりない。何か変なものが出て来そうな雰囲気だ。えっと、社務所は確かこっちだったな。

『シャル。青宮の境内に、僕の他に誰か居る?』
『境内には見当たりませんよ。』
『建物の中もスキャンできるんだよね?そっちはどう?』
『社務所に例の巫女さんが1人と、別の巫女さんが2人。宮司と思しき男性が拝殿に居ます。』
『祈祷を口実に宮司に接触できるね。』

 不在だと二度手間になるけど、ひとまずその確率は消滅した。社務所で祈祷を申し出て宮司に接触するところから始めよう。単刀直入に御神体を見せてくれというよりは、まだ宮司の心証はましだろう。それにしても、こんな霧の中でも神社に通って仕事してるんだな。行き来だけでも相当大変だろうな。
 社務所に到着。といっても、3Dマップのおかげでどんな形状か、何処に窓口があるかが分かるのであって、相変わらずの深い霧のせいで、ギリギリまで近づかないと窓口の場所さえ分からない。

「こんにちは。祈祷をお願いしたいんですけど、可能でしょうか?」
「はい。本日をご希望でしたら、少しお待ちいただくことになりますが。」
「構いません。」
「では、宮司に伝えますので、社務所にお入りください。ご案内します。」
「お願いします。」

 社務所に入るのって初めてだな。左手の方からLEDライトを持った巫女さんが出て来て、僕を社務所に案内する。僕は3Dマップがあるから巫女さんが何処から出て来て何処に居るかちゃんと見えるけど、巫女さんは外に出るとLEDライトを使わないとまともに見えないんだった。

『何なら3Dマップの転送を切りましょうかー?』
『物騒なこと考えないで!』

 本当にシャルは唐突に突っ込んで来るなぁ…。声のトーンも下がってるし、少しでも浮ついた気持ちを持ったら3Dマップの転送を本当に遮断してしまいそうだ。シャルは僕の思考も逐次把握してるのがよく分かる。凄い機能だが、若干怖くもある。
 社務所の中は、割と質素。少し年季が入っているようだが、綺麗に掃除されているのが分かる。神社は穢れを嫌うことは知ってるけど、こういうところにもその思想は表れるんだな。内部は徹底して和装。通された待合室も、床の間と縁側がある典型的な和室。座るのは勿論椅子じゃなくて座布団。

「宮司に伝えますので、暫くお待ちください。」
「分かりました。」

 巫女さんは茶菓子を出して退室する。複数人の待機を想定してか長机もある8畳間は僕1人には広過ぎる。縁側に面した方はガラスの引き戸が閉じられている。霧がなければ縁側を見ながら待てるんだろうけど、今は霧しか見えないだろうし、霧が入って来たら大変なことになるだろうから仕方ない。
 祈祷の申し出が割とあっさり通ったのはちょっと意外だ。他に人が居ないのもあるかもしれないけど、まったく予告なく来た人を即座に受け入れられるほど準備はしなくて良いものなのかな。神道には詳しくないし、すんなり申し出が通ってラッキーくらいに思っておけば良いかな。

『シャル。此処から本殿や御神体のスキャンって出来る?』
『勿論です。視線を現在の角度から右に30度ほど傾けてください。』
『このくらい?』
『はい。…終わりました。まだ距離が遠過ぎますね。スペクトル解析結果は昨日と同じです。』
『祈祷で恐らく拝殿に移動するから、そこからスキャンを続けて。もしかしたら他にも何か手掛かりが得られるかもしれない。』
『分かりました。』

 シャルは僕の目を通して解析するし、御神体は建物と比べれば凄く小さい。僕が拝殿、出来れば本殿に入らないと十分な解析は出来ないだろう。祈祷の段階で拝殿には入れると思うから、そこから更に一歩進むのは僕の交渉次第。難しいけど行動しないと始まらない。
 時間はゆっくり流れていく。待合室らしいこの部屋にはTVは一応あるが、真黒な消灯画面。何も音がしない静寂に包まれた空間の中で流れていく時間。少し前まで時間に追われて、時間を無駄に過ごすことに恐怖感すら覚えていた。この旅に出て時間に対する感覚が180度変わったな。

「お待たせしました。拝殿へご案内します。」

 暫くして、巫女さんが入室して来て伝える。僕は徐に席を立って巫女さんの後ろに付く。社務所から拝殿まで歩くのは外を出ないといけないんじゃなかったかな?確か渡り廊下とかはなかったように思う。

「拝殿までは外を歩きます。ご存じのとおり非常に霧が濃いので、こちらをお持ちください。」
「これ、注連縄ですか?」
「はい。通常のロープより神社らしいものをと思って用意したものです。」
「確かに神社らしくて良いですね。」
『綺麗な巫女さんと手を繋げなくて残念でしたねー。』
『!そういうこと言わないで!』

 低いトーンのシャルの声が唐突に脳内に飛び込んで来る。シャルが人間の形になって僕の隣に居たら、常時猛烈なやきもちを焼いて怖い目をしていそうだ。巫女さんに続いて外に出る。一気に視界が遮られる。3Dマップは…切れてないな。これがないと巫女さんどころか握っている注連縄もまともに見えない。

「拝殿まで段差はありませんが、足元にご注意ください。」
「分かりました。」

 社務所から拝殿への移動でも、3Dマップがないと相当きつい。これだと祈祷どころか参拝も遠のくだろう。神社の収入についてはよく知らないが、寄進やお守りとかの売上、それと祈祷や冠婚葬祭だと思う。人が来ないとかなりの収入が消えるだろうから、霧は神社にとっても死活問題だろう。

「今回突然の申し出でしたが、問題はなかったんですか?」
「本来ですと準備や宮司の都合で開始時刻を決めていたりするんですが、何しろこの霧で祈祷のお申し出自体がめっきり減ってしまって…。準備の時間だけ待っていただいただけです。」
「この霧は、町全体の問題ですね。」
「そうなんです。農作物が特に酷くて…。」

 昔のように餓死者は出ないだろうけど、農作物が育たないと農家は収入源を断たれる。それだけじゃない。農業は兎に角経費がかかる。苗や種を買うのもホームセンターとかで1つ2つってレベルじゃないし、肥料や農薬も必要だ。農機具は高級車が余裕で買えると言うし、それを回収できないと農家は赤字なんてもんじゃなくなる。
 農業が主産業の1つなんだから、農家の収入減少は町の財政にも影響する。所得税と住民税が町の財政にどう繋がるか詳しくは知らないが、全く無関係とはいかない筈。農家の収入がなくなったから勝手に飢え死にしてくれとは出来ないから−口にしたら確実に大問題−、生活保護なり県や国への支援要請などが必要になるだろう。
 この霧は、水平方向だけじゃない。垂直方向も無差別に覆っている。太陽も出ていることは分かるが、霧に阻まれて白い円が光っているようにしか見えない。このままだと、この町は冗談抜きで霧によって滅ぼされる。この霧にヒヒイロカネが関与している確率があって、しかもそれが御神体である確率もある。まず御神体とヒヒイロカネとの関係を明らかにする必要がある。

「拝殿に着きました。」

 巫女さんが告げる。巫女さんが持つLEDライトが、おぼろげに拝殿を映し出している。僕は3Dマップのおかげではっきりした輪郭や色を見ることが出来るが。

「こちらからお上がり下さい。足元が見辛いので十分注意してください。」
「はい。」
「靴は、こちらの袋に入れてお持ちください。」
「分かりました。」

 この霧だと足元も碌に見えないのは経験済み。今は3Dマップによる視覚アシストがあるから普通に移動できるけど、その存在は知られてないし知られると危険さえ生じる。手持ちのLEDライトで照らしつつ、靴を脱いで袋に入れて、慎重に木製の階段を上る。不自然に見えてないと良いけど…。

「もう少しで拝殿の中です。」
「物凄く遠く感じます。御苦労が多いでしょうね。」
「移動は確かに大変ですけど、仕事ですので。」
『綺麗な女性には随分気遣うんですねー。』
『だからそういうんじゃないってば!』

 シャルのやきもち焼きは相当だな…。こういう時、相手を気遣うのは社交辞令や会話の一手法でしかないんだけど。

『それより、もう直ぐ拝殿の中に入るから、スキャンを頼むよ?』
『はーい。』

 声のトーンからも不承不承という感が滲み出ている。シャルだからきちんと仕事はしてくれると思うけど、シャルのやきもち焼きがピークに達しないか心配だ。巫女さんが拝殿の障子を−こういうところは神社ならではだ−開けて、そそくさと中に入る。注連縄を持っている僕も急いで入る。霧が入ると困るのは明らかだ。

「ご案内しました。」
「よろしくお願いします。」
「ようこそお越しくださいました。そちらのお席にどうぞ。」

 拝殿の中、神棚を豪華にしたような祭壇と向かい合う形で、椅子席が奥行き方向に2列、横方向に2列で並んでいる。僕1人だから奥の隅の席に座るのはちょっと変だから、最前列の中央の席に座る。宮司は白一色の所謂「神主」という装束。祭壇の両側には榊と蝋燭が佇んでいる。

『丁度正面奥に、御神体が見えます。』
『解析はどう?』
『距離がこれまでより近くなって、解析が詳細に出来ます。…やはりヒヒイロカネとスペクトルが類似しています。』
『御神体はヒヒイロカネってことで間違いなさそう?』
『まだ断定は出来ません。障害物が多くてそのスペクトルが混ざってしまうんです。』
『障害物?ああ、祭壇とかのことか。』

 シャルの解析手法の詳しいことは分からないが、恐らく対象から放射される赤外線や紫外線を総合的に解析してるんだろう。超音波は強弱を変える形か?だとすると、他の影響が無視できない。祭壇だけでもかなり入り組んでいるから、距離も含めると断定には至らなくて当然だ。

『ひとまず僕は祈祷を受けるから、その間出来ることを考えて、出来ることがあれば進めておいて。』
『分かりました。』

 祈祷のことは殆ど知らないが、少なくとも立ち歩いたり話しかけたりは出来ないし、そんな状況じゃないことくらいは知ってる。しかも本来の目的は別とは言え、僕自身が申し込んだことには違いない。祈祷はきちんと受けておいて、その間はシャルに任せよう…。

「お疲れさまでした。」

 巫女さんの声で僕は一気に意識が戻る。断続的に意識が途切れるのは分かったが、ついに眠ってしまったようだ。ひたすらじっとしているのは眠気を誘う。しかも祈祷は祝詞っていうのか?それの読み上げが催眠術のように感じた。それほど時間は経ってないようだけど…。

「旅の安全を祈願されたいとのこと。しっかりと神様に祈願しておきました。」
「ありがとうございます。」
「祈祷は今回が初めてですか?」
「はい。この町で長い歴史を持つ神社を知ったので、祈祷の体験をこの神社でしておこうと思って。」
「殊勝な心がけですね。きっと良い旅になることでしょう。」
「ありがとうございます。…またとない機会ですので、1つお願いがあるのですが。」
「何でしょう?」
「神社には今居る拝殿の奥に御神体を祀る本殿があるということですが、その本殿を見せていただけないでしょうか?この霧で境内からは殆ど見えなかったので。」
「うーん…。神聖な場所ですから特別な時しか入れないのですが…。信心深さに免じて特別に認めましょう。」
「ありがとうございます。」
 予想外にうまくいった。いきなり御神体の拝観を要請するよりはハードルが低いだろうと見て試みたんだが、これでもう少し御神体に近づくことが出来る。そこでの様子を見て御神体の拝観へ迫るのが良いだろう。

『奇抜な戦略ですね。ですが、最適解だと思います。』
『シャルの方は何か出来そうなことはあった?』
『残念ながら…。』
『じゃあ、これから僕が本殿に近づくから、解析を頼むよ。』
『分かりました。出来るだけ滞在時間を引き延ばしてください。その方がより精密な結果が得られます。』
『分かった。』

 1回の測定だとノイズやバラツキがあるから、複数回測定して平均を取ったりする。シャルの測定も同様だろう。質問事項は幾つか用意してあるから、それを使って出来るだけ本殿の滞在時間を引き延ばし、出来れば御神体の拝観へ結び付ける。此処は僕の踏ん張りどきだ。

「一般の方が本殿に立ち入れるのは、先ほども申し上げたとおり本来は特別な時のみです。神様に改めてお願いするための祈祷を行います。」
「よろしくお願いします。」
「現金な話になりますが…。」
「勿論、初穂料に上乗せして奉納します。」
「稀に見る殊勝な心がけ。神様もその心がけを十分ご理解下さるでしょう。」
『神様とか聖域とか言う割に、言うことは現金ですね。』
『この霧で参拝者も激減してるだろうし、祈祷や神楽は神社の大きな収入源だからね。ある意味金にものを言わせる形になるのは仕方ないよ。』

 参拝者と祈祷や神楽の増減は厳密な比例関係にはないだろうが、参拝者が来ない神社に祈祷や神楽を申し出る人が殺到するとは思えない。加えて宮司や巫女さんも生活がある。酔狂か気まぐれかで訪れた僕でも、初穂料として相応の金銭を包むと知れば、宮司も態度を軟化させるだろう。
 このオクシラブ町に入る前、ATMで当座に必要な金を引き出したが、カードが一切使えないということでかなり多めに引き出しておいた。会社勤務をしていた頃は自分で手にしたことがない額だったが−明細では一応見たことはある−、「地獄の沙汰も銭次第」とはよく言ったもんだと思う。
 初穂料は元々多めに包んである。そこに上乗せするのは引き出した額からすればそれほど痛くないし、無尽蔵に引き出せることから考えれば微々たるもの。それが御神体の拝観に繋がるなら、有効利用と考えられる。元々あの老人もこういう時のために金銭的な環境を整備してくれたんだろうし。

「では、本殿へご案内しましょう。」

 最初のより少し長めの祈祷が終わる。やはり宮司の態度が好意的になっているように感じる。何にせよ、僕の今の役目はヒヒイロカネと見られる御神体に少しでも近づくこと。それがより理想的な形で実現できるなら、方法の是非に固執するべきじゃない。そもそも祈祷ついでに本殿の拝観申し出が問題かと言えばそんなことはない。
 今度は宮司に先導される形で移動する。拝殿の正面向かって右側の扉から渡り廊下に出る。屋根はあるが左右が露出しているから、霧が容赦なく周囲を包む。しかし此処は神社が考えたもの。廊下の左右が一定の感覚で光っている。段差もないから、慎重に歩いていけば方向感覚を失うことはない。

「この足元の灯りは、霧対策ですか?」
「そうです。まかり間違っても此処で粗相は出来ませんから。」

 拝殿から奥は聖域中の聖域という位置づけだから、こういった人造物を据えるのは躊躇するだろう。だが、この霧じゃそうは言ってられない。まさに背に腹は代えられないってやつだ。こういう設備を道路に導入すれば多少はましになるかもしれないけど、この町じゃ資金的にも人的にも、そして意識的にも無理だろう。

「こちらを含め、四色宮は神代からの歴史があるそうですが。」
「流石によくご存じで。日本武尊が『荒ぶる神』を封印された由緒ある社の1つです。」

 日本武尊と「荒ぶる神」は、町史に詳しく書かれていた。基本、神道は古事記や日本書紀、すなわち現在の天皇家の側から書かれた書物を絶対のものとしているから、日本武尊や「荒ぶる神」の存在の確証は不問或いは忌避する。それより、町史との矛盾があるかどうかの方が重要だ。

「先んじて町立図書館で町史を拝読したんですが、日本武尊が『荒ぶる神』を封印した宝玉が、こちら青宮を含む四色宮の御神体として祀られているそうですね。」
「ほう。町史を読まれたのですが。随分熱心ですね。そのとおりです。」
「『荒ぶる神』は化け物であり、町を肥沃にした豊穣の神でもある。不思議な二面性を感じます。」
「なかなか深い洞察ですね。かの菅原道真公や平将門公のような二面性は、八百万の神を仰ぐ神道ならではのものかもしれません。」
「この町やお社に真摯に向き合っているんですね。素晴らしいです。」
「町史や立て看板からの受け売りのようなものです。」
『ほー。随分謙虚な受け答えでいらっしゃいますねー。』
『こういうところで無暗に誇らない方が良いの!』

 シャルは容赦なく突っ込んで来る。宮司からの称賛はスルーして巫女さんからの称賛にしっかり突っ込んでくるあたり、凄く僕の巫女さんへの反応に敏感だ。シャルも声から推測してかなり若くて綺麗な女性をイメージしてるんだが、自分と競合すると思ってるんだろうか?

『きょ、競合への不安などではなくて、ヒロキさんがデレデレしそうなところに釘を刺しているだけです。』
『一度、シャルのイメージ画像って言えば良いのかな?そういうのを出してくれる?』
『私の容貌は定義されていませんが、検索から推測してみます。』
『楽しみにしてるよ。もう直ぐ本殿だから今は解析を頼むね。』
『分かりました。』

 渡り廊下に設置されたLEDライトと、宮司が持つLEDライトに照らされて、本殿がうっすら浮かび上がって来た。霊感とかそういうものにはてんで疎い僕だが、何かこの建物は安易に近寄り難いと思わせる。霧の中から少しずつ鮮明になっていくそれは、神社における中枢、聖域中の聖域だと無言の圧力を発しているようだ。

「こちらが本殿です。」
「何と言うか…。特別な仕切りなどがないのに不思議と安易に近づけまいとしているように感じます。」
「聖域であるお社の中でも特別な場所ですからね。御神体、つまりは神様が鎮座しておられる、言わば神様の住居ですから、不埒なものは立ち入るなと強く警告されているのです。」
「一般人は特別な時しか見られないと仰るだけのことはありますね。」
「神様には特別のお許しを得ましたので、これより特別に本殿の中をお見せしましょう。」
「ありがとうございます。」

 いよいよ御神体との対面だ。緊張の中、宮司が扉の鍵を外す。神棚と同じように扉がゆっくり開かれ、木の匂いがうっすらと流れ出る。宮司が僕と巫女さんを中に入れて、扉を閉める。霧は「荒ぶる神」の残滓のようなものだから、御神体を汚すと見ていてもおかしくない。
 宮司はLEDライトで床を照らす。その反射光で微かに御神体−白木で組まれた祭壇に丁重に供えられた青い球が照らされる。あれが御神体か。宮司が直接照らさないのは、神様でもある御神体への礼儀だろう。誰でも直接ライトを向けられて良い気はしない。

「これが御神体ですか。」
「仰々しいと思われたかもしれません。しかし、こちらは紛れもなく『荒ぶる神』を封印されている宝玉です。」

 宮司のLEDライトによる簡易的な間接照明で照らされる宝玉は、何を言うでもなく静かに鎮座している。見た感じ、深い青色のガラス玉に見える。神代の歴史は現在の天皇家の系譜である大和朝廷が自分達の正当性のために作り上げたものと見るべきだから、「荒ぶる神」の封印は話半分で良いだろう。
 だけど、そうとばかりは言えないのも事実。現存する歴史書や文献などを全て正しいとするのは誤りだが−そうだとした典型例が魔女狩りで悪名打開中世ヨーロッパのキリスト教−、全て誤っていると見るのも誤り。封印された「荒ぶる神」の残滓が霧として表れていると町史に記載されていた。そして封印している宝玉の1つがこの御神体という。
 そして、4つの宝玉のうち赤宮以外が同様のスペクトル解析結果が出ている事実。更に、御神体が持ち込まれたヒヒイロカネである確率。それらが合わされば、御神体に何らかの異変があって、それが満月の夜以外町を覆う霧として表れていると見ることも出来る。そしてそれが今のところ最もつじつまが合う。

「またとない機会ですので、御神体に参拝などして良いでしょうか?」
「良い心がけです。ただし、私が居るところより前には出ませんよう。」

 2,3歩進み出るともう少し宝玉が鮮明に見える。やっぱり見た感じ普通のガラス玉のようだけど…。兎も角通常の手順に従って参拝する。一般的な2礼2拍手1礼。拍手の時に気持ちゆっくりで、宝玉をしっかり見据える。これでシャルが少しは解析しやすくなると思うが。

「ありがとうございます。あまり長居をするのは御神体に失礼だと思いますので、この辺でお暇したいと思います。」
「何とも謙虚な素晴らしい心がけですね。」

 きっとシャルは解析中だろう。予想以上に、否、限界まで御神体に近づくことが出来た。解析はシャルに任せて、必要以上に押して怪しまれないように退散しよう。御神体はあと3つある。これらも解析が必要だし、そのために今回の拝観を利用する手を思いついた。出来ることはすべて実行する。
 御神体の拝観まで進んだ青宮を後にする。境内に続く階段の麓にシャルが迎えに来ていた。シャルに乗り込むとシートベルトが締まり、コックピットとHUDが起動する。

「ただいま。」
「おかえりなさい。御神体を直接見るまで接近できたのは凄いですね。おかげで完全に御神体を解析できました。」
「結果はどうだった?」
「ヒヒイロカネで間違いありません。」

 謎の解明に大きく前進した。青宮の御神体はヒヒイロカネだった。それは同時に、明らかに異なる解析結果が出た赤宮を除く3つの神社の御神体がヒヒイロカネであるということ。どうやら4つのヒヒイロカネが御神体として均衡を保っていたが、何らかの理由で赤宮の御神体がすり替えられ、均衡が崩れたことで霧がこんな状況になったんだろう。
 誰が赤宮の御神体を偽物とすり替えたかが重要になって来る。事件の解決には本物の御神体、すなわちヒヒイロカネが必要。これをシャルが創り出せたとしても、今本殿に鎮座している偽物と入れ換えるまでは出来ない。偽物とすり替えた犯人を見つけ出し、返却という形で元に戻すのが一番理想的な形だ。

「他の御神体の確認も必要ですが、青宮の例からして恐らく神社の名前と同じ色の宝玉という形を取っているんだと思います。ですが、ヒロキさんの推測どおりだとすると、単純に私が宝玉を生成しても、この霧がすんなり収まるとは考えられません。」
「どうして?」
「以前、私は車として基本的に完結するよう処理されていると話したと思いますが、宝玉も同様の処理が行われている確率が高いです。そうなると、材質は同じヒヒイロカネでも、機能は異なる宝玉になります。偽物と大して変わりありません。」
「宝玉としてプログラミングされたものなら、同一のプログラミングをしたものじゃないと入れ換えても無駄ってこと?」
「そのイメージで正解です。」

 シャルが作れるというミニチュアサイズの軍隊は完全にシャルのの支配下に置かれるだろうし、ヒヒイロカネは処理−それすらもどういうものなのか分からない−の仕方で全く別のものになることも出来るのか。とんでもない代物だ。回収が必要な理由が何度目かの裏打ちをされた。
 赤宮の宝玉になっていたヒヒイロカネを誰が持ち出したか探るのは、赤宮に行けば手がかりがつかめるかもしれない。僕と同じく祈祷を依頼して宝玉の場所を把握してから忍び込んですり替えたとも考えられるから、赤宮の祈祷の記録を見せてもらって、霧がこの状況になる前後の人物の行方を追うことも考える必要があるだろう。

「僕はプログラミングで例えたけど、それはシャルに出来る?」
「不可能ではないですが、実物からプログラムソースに該当するものを抽出する必要があります。宝玉全てが同じプログラミングならまだしも、そうでないと…。」
「かなり難しいと思っておいた方が良いね。そうなると、赤宮の宝玉を持ち出したのは誰か突きとめることを考えるべきかな。」
「青宮の境内で写真を撮っていた男性。彼が犯人である確率も存在します。」
「その線もあるか…。」

 目的の写真を撮れる状況ではないのに嘘を言ったあの男性も、御神体の行方、ひいてはこの霧に一枚噛んでいる確率はある。1つ謎が明らかになったら複数の別の謎が浮上して来た。どれも待ってては解決しない。時間と金はあるんだから、惜しみなく使って解決していけば良い。

「まずは念のため、順に3つの神社を回って御神体を出来るだけ解析しよう。赤宮では御神体の拝観をした人の情報を聞き出すことも含めて。」
「そうですね。では次は白宮へ向かいます。」

 神代からという歴史を有する4つの神社にヒヒイロカネが宝玉として安置されているってことは、相当昔にこの世界に持ち込まれたと考えて良い。誰が何のためにヒヒイロカネを持ち出したのか?僕の動きを知ったか?何かに使うためか?謎は多いが、まずは目の前の課題の解決が最優先だ…。
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