【単独制作作品No.81 あの人と向き合う時間(とき)】

Written by Moonstone

あの人に会いに行って家に戻った。薄暗くなり始めた部屋に灯りを点す。
今日は平日。3年前までなら普通に仕事に行っている時間。
だけど今は、あの人と会う日が平日でも私は構わず休む。
仕事であの人と会う時間を奪われたくない。
辞めさせたければそうすれば良い。私はあの人のところへ行くだけだから。
一度上司が有給届に難色を示した時、私はそう言った。
あの人が居ない今、無理にこの世に留まる必要はない。
私はあの人のところへ行くだけだから。
続けざまにそう言うと、それ以来上司は無言で有給届を受け取るようになった。

誰も私がこの日に休むことを止めはしない。
職場から自殺者が出たら困るからだろう。外面を気にしてのことだろう。
理由は何でも構わない。私は月命日にあの人と会いに行くだけだから。
それを邪魔されるなら、私はこの世を去るのを待つだけ。
あの人が居ないこの世には、もう何の未練もない。

箪笥の前に向かう。そこには1つの写真立てがある。
あの人から指輪をプレゼントされてから初めて、2人で旅行に出かけた時の写真。
紅葉が艶やかに彩る渓谷を背景に、私とあの人が笑顔で映っている。
あの人と撮った写真の中で、一番気に入っている写真。
私の家に来る度に、あの人はこの写真を見て少しの間感慨に耽っていた。

写真立ての傍には、あの人の形見の品がある。眼鏡と指輪。
あの人から眼鏡を外して掛けては、回る世界に軽い酔いを覚えて笑った。
あの人が婚約の証に填めていた指輪は、私がお礼に贈った物。
宝石は付いてないけど、と私が言うと、あの人はこう言った。
僕には宝石は似合わないし、君からのプレゼントなら何でも良いよ。

あの人の命を奪った事故でも、この2つは傷一つなく残った。
僕のことを忘れないで、というあの人の遺言。
私はこの2つをあの人の両親から譲り受けた。
写真はあの人の姿を捉えた記憶。形見の品はあの人がこの世に居た証。
どちらも私には失くせないないもの。これらを失くした時がこの世の私の終わり。
あの人が居ないこの世には、もう何の未練もない。
死ぬ時が何時訪れるかを待つ日々を、私は漠然と行き続ける。

あの人のところへ行くことに踏み切れないのが、私にはもどかしい。

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