雨上がりの午後

Chapter 301 夏の夜の熱愛(前編)

written by Moonstone

 時は更に流れて8月。大学は夏休みだが、俺には殆ど関係ない。1つは卒研。指導役の大川さんが9月の学会で発表するのに併せて、俺も発表することになってしまったからだ。第1回の中間発表以降も順調に進んだことで、「高速ディジタル信号処理と音響処理の融合の一例」として大川さんが俺を推薦したことに端を発する。
 会員でもないのに発表出来るのかと思ったが、学会によっては非会員でも学会の審査をパスすれば学会で発表したり論文を学会誌に掲載できたりするところもあるそうだ。久野尾先生と野志先生も乗り気で、大川さんと俺がそれぞれ口頭発表で9月の学会に申し込まれて、俺も発表が許可された。
 修士以上、特に研究者志望なら学会発表は基本中の基本だが、学部学生は少数派。久野尾研では5年ぶりだそうだ。大川さんの指導で進めているレベルなのに自分が発表して良いのか甚だ疑問が、研究テーマに大きな進捗があったのは事実だし、その中には俺の努力やアイデアや回路も含まれているから、胸を張って出て行けば良いと言われている。往復の交通費も含めた旅費も出してもらえたりする。
 その分やっぱり他の学部学生より大幅に忙しくなる。朝から夕方まで何時ものように大学に出かけて、卒研をする。食事や休憩は講義と違って時間割や制限にとらわれずに自由に取れるが、一旦実験を始めると終わるまで止められないことが多くて、なかなか大変だ。
 学生居室が帰省や旅行やバイトや院試の勉強で殆ど居ない分がらんとしていて、何だか不満と言うかやり切れないというか、そういったもやもや感を覚えることがある。その分と言うのか、大川さんは勿論院生の人達からは何かと大事にされている。出力音声のスペクトル解析(註:ある信号に含まれる周波数の分布や振幅の大小を解析する。理工系では何らかの形で関係する重要な解析手法の1つで、これを行う手法に前掲のフーリエ変換がある)や回路CADのために、ソフトウェアのライセンスの関係で院生しか使えないPCやワークステーションを使わせてもらっている。
 分からないことがあれば大川さんでも他の院生でも、久野尾先生でも野志先生でも捕まえて尋ねればアドバイスを貰えるし、卒研の進め方や実験データの見方について討論したり意見を貰ったり出来る。必要なら申し出れば、高価な測定器−1000万の大台に乗るものもあるからびっくり−を使わせてもらえる。積極的に取り組めば、学部学生でもある研究テーマに取り組む仲間や同業者として扱ってもらえる。それが大学の特徴だと実感する。
 そういう俺の態度が相乗効果を生むと言うのか、研究室は活気づいている。即席の発表会が会議室で開かれたり、と思ったら茶菓子やコーヒー紅茶が出されて−久野尾先生の奢り−談笑したりと、忙しいながらも充実した研究室生活が送れている。これはこれで貴重な経験だろう。
 もう1つは就職の追い込み。高須科学に内定を得たことで俺の中では就職活動は終了していたが、2つの公務員試験合格を知った−俺が馬鹿正直に教えたんだが−両親から、公務員で内定を取れと執拗に電話が入るようになった。無視したいところだが余計にしつこくなると分かっているから、体裁上二次試験に向けて準備をしている。
 国家公務員の場合、二次試験は志望先の官庁などで受けるんだが、その前に官庁訪問というものがある。合同説明会のようなところで担当者と訪問の日程を調整して、その時見学や質疑応答がある、二次試験の前哨戦だ。試験に合格すればそのまま内定ではなく、志望先の官庁などから声がかからないと二次試験に到達出来ないという、意外な関門があることを此処の段階で初めて知った。

 そんな時、高須科学の和佐田さんからメールが入った。公務員試験の結果が出る頃だと思うが、高須科学の内定を辞退しないで欲しいというものだった。俺は企業からの内定は高須科学以外では貰っていないこと、公務員試験は国家U種と地方上級の2つに合格したが、両親の強迫まがいの勧めがあって体裁上進めているだけで乗り気ではない、と回答した。
 内定辞退が出れば再度募集をすれば良いんじゃないかと思ってその旨併せて尋ねてみたら、不況なのもあって学生が公務員試験を並行して受けていて、そちらに乗り換える人が少なからず出ているという。募集をかけても即座に集まるほど対象とする電気電子系の学生に知名度が高くないから、尚更集まり難いのもあるそうだ。
 公務員の職務内容にそれほど惹かれるものはないのは事実だ。専門分野での採用と言っても、事務職とそれほど変わるようには見えない。給料も専門分野での採用だから差がつくわけでもないし、それなら事務職で採用した方が良さそうに思う。それより、作業着を羽織って専門分野に携われる方が魅力的だ。
 和佐田さんにはそう伝えたし、和佐田さんも、業績が良い時には羽振りが良いが、一方で悪くなると途端にボーナスカットや人員削減で掌を返す、所謂「誰でも知っているような大企業」のようなことはない、不況と言われる現在でもきちんと前年比と同等の給料やボーナスが出ているし、人員削減どころか計画的に採用し続けられるほど財政基盤は安定している、など知名度だけでは分からない堅実さや優良さがあるし、それらを直接両親に説明しても良いと申し出てくれた。
 流石にそこまでしてもらうのは気が引けるし、稚拙かもしれないが俺には俺の策もある。こちらが有利なカードは適当に増やしておいて、最善の選択が出来るようにしておく。俺だけじゃなくて晶子の生活もかかってるんだから。
 その晶子は、休みの間大学には来ていない。かと言って家で惰眠を貪ったりするわけがなく、バイト先の店で働いている。店は昼前にオープンして午後に一旦閉めて、2時間ほど休んで再びオープンする、昼の部と夜の部があるようなタイプの営業形態だが、晶子はその昼の部から働きに行っている。
 就職活動が全滅に終わり、ついに晶子も撤退した。だが、それで終わらないのが晶子の凄いところ。俺に就職活動からの撤退を詫びた日の翌日、晶子はマスターと潤子さんに大学が夏休みの間は昼から働かせて欲しいと申し出た。就職活動が駄目だった分、時間の余裕が出来る夏休みの間に店で少しでも多く働きたい、これからの俺との生活や子どもを産むことに備えて少しでも貯金したい。それが理由だ。
 俺との生活や夢である出産に向けて自分が汗を流すことを惜しまない晶子を、俺が咎める理由はない。俺も一緒にマスターと潤子さんに頼んだ。マスターと潤子さんは承諾どころか大歓迎。俺の家のことをする時間を持つため、土日を除いて昼から働くことになった。
 昼からだからといって寝ているわけがない。朝は何時ものように起きて、一緒に朝飯を食べた後、俺に弁当を持たせて送り出す。その後は掃除や洗濯をこなしてから店に行く。大学がある時は土日に集中させていたことを、店に行くまで時間がある今はその時間に分散させているわけだ。
 朝から晩まで働きづめな晶子の身体が当然心配になる。今のところ晶子は元気だ。むしろ、就職活動をしていた時より元気だし顔色も良い。「先が見えなくて自分が否定されるばかりだった就職活動より、お店で働いている方が心も体もずっと楽です」とは晶子の弁。張り切り過ぎることに注意した方が良さそうだ。

「お先に失礼します。」
「お疲れさん。何か楽しそうだね。嫁さんとデート?」
「そんなところです。」

 8月半ばの月曜。今日の卒研を終えた俺は、野志先生の冷やかしを受けて研究室を後にする。普段より浮き足立っているように見えるんだろうか。そうだとしても仕方ない。今日はそれなりの理由がある。
 大学を出てそのまま駅に向かう。もう何度通ったか数え切れない、駅と大学を結ぶ道のりだ。此処も普段よりずっと早く進みたいと思い、つい断続的に駆け足になる。時間は午後6時少し前。夏休みの間の暫定延長措置の結果だが、今日はもう少し早めに切り上げても良かったと思ってしまう。
 駅が見えてきた。更に気が逸る。帰宅ラッシュの始まりでやや混み始めた駅前ロータリーの自動改札脇。そこに立っているのは…晶子。俺の存在に気づいて表情をぱっと明るくして、手を振る。俺は最後の直線を駆け足で走り抜け、晶子の前に立つ。

「お待たせ。」
「走ってきたんですか?少しくらい遅れても大丈夫なのに。」
「少しでも早く来たかったんでな。さ、行こう。」
「はい。」

 俺と晶子は改札を通って小宮栄方面のホームに向かい、電車を待つ。待つこと10分ほど。混雑が目立つ急行電車がホームに滑り込んでくる。俺と晶子はそれに乗車して終点まで車両の片隅に佇む。毎日使う胡桃町の駅じゃなくて小宮栄なのは、今日の晶子との待ち合わせの理由に含まれる。
 途中で車掌から胡桃町−小宮栄間の割増運賃を支払い、電車に乗ること約40分。電車の両方のドアが開き、収納されていた乗客が続々とホームに溢れ出す。オフィス街でもある小宮栄は丁度帰宅ラッシュの真っ盛り。電車から降りる人の波と電車に乗ろうとする人の波を間違えると、引き戻されかねない。
 無事に電車から降りる人の波に乗って改札を通る。今日は地下道を進む。少し歩くと目的地が見えてくる。「ミッドシティホテル小宮栄」。今夜、俺と晶子はこのホテルで過ごす。
 宮殿のような作りのエントランスからフロントに向かい、チェックインする。印刷してきた予約完了結果を出すとすんなり通る。代金を払って説明を受け、カードキーを受け取る。10階の1011号室。今夜の住まいはかなり高いところにある。

「凄いお部屋ですねー。」

 驚嘆の声を漏らす晶子と俺も同じ思いだ。絨毯が敷き詰められた広い室内には十分なゆとりを持って家具類が配置されている。窓は天井から床まであって、小宮栄の夜景を眼下に空に浮かんでいるような錯覚を覚える。
 オレンジがかった照明は少し抑え目で、落ち着ける雰囲気を醸し出している。部屋のほぼ中央に大きなベッドがある。ツインルームだからベッドは1つで枕は2人分ある。こういう雰囲気でダブルベッドを見ると気が逸ってしまう。

「祐司さん。ありがとうございます。」
「例は後で良い。先に食事にしよう。」
「はい。」

 大学から直行した形の俺は、鞄をロッカーに仕舞う。待っていた晶子と腕を組んで最上階の展望レストランに向かう。オートロックだからカードキーを持っていれば戸締りは気にしなくても良い。
 レストランでウェイターに2人用の席に案内される。ディナーコースの1つを2人分頼んで暫し待つ。右方向にはオフィス街と港湾方向の夜景が広がり、正面には晶子が居る。耳には俺がプレゼントしたイヤリングがぶら下がっている。

「イヤリングを着けてきたんだな。」
「こういう日こそ着けようと思って。着けるのにちょっと苦心したんですよ。」
「どうして?」
「普段着けないのもありますけど、落とさないようにしっかり着けるにはどうしたら良いか分からなくて…。」

 晶子は苦笑いする。今日はブラウスの上に薄いジャケットを羽織っている。丈の長いフレアスカートと合わせると、清楚さと上品さを兼ね備えたお嬢様そのものだ。一応俺も長袖シャツに薄手のブレザーを着てきたが、晶子より見劣りするのは否めない。

「こういう場所で夕食を食べるのは初めてですし、何より祐司さんと一緒に過ごすんですから、かなり頑張って選びました。」
「それは十分感じる。その分、どうも俺の方がしょぼくれて見えるな。」
「いえ。私と違ってお仕事から直行なんですし、さっぱりして素敵です。」
「素敵、なんて面と向かって言われると照れくさいな…。」

 駅前で待ち合わせていた晶子は、明らかに人目を引いていた。改札を出入りする人がチラチラ晶子を見ているのが遠目にも見えた。待ちぼうけを食らったようなら声をかけてみようかとばかりに見つめていた人もいた。飾り立てていないのに十分見栄えする容姿と、それを腐らせない品の良さを持っている。
 その晶子が俺の前で俺を「素敵」と言う。何とも贅沢な状況だし、普段から俺を立ててくれる晶子も使わない表現だから、インパクトは強い。夜景そっちのけで俺を見つめて微笑む晶子を前にすると、今日の準備をした甲斐は十分あったと思う。
 今日のことは、晶子の慰労と晶子への感謝のために俺が準備した。何処に何があるか大して知らない俺でも、今はインターネットがあれば大抵のことは調べられる。家にはないが、大学には高速LANが学生居室のPCにも完備されている。
 夏休みに入ると学生居室はほぼ俺1人になるから、尚のことPCで大手を振って調べられる。小宮栄の駅から徒歩5分から10分程度でレストランがあって朝飯付のツインルーム、という条件で探した。案外簡単に複数の候補が見つかって拍子抜けしたが、少々奮発してこのホテルを押さえた。
 1週間前に晶子にこの話を伝えた時、予想以上に驚かれた。何かあったのか、どうしてこんな高級ホテルを予約したのか、と切羽詰った表情で聞かれて俺がそのまま晶子の慰労と感謝のためと答えると、晶子は俺が説明のために渡したホテルの案内を印刷したものを抱えて言った。

祐司さんの心遣いは凄く嬉しいです。でも忘れないでください。私は今でもう十分幸せです。
私を受け入れてくれて、私に居場所をくれる祐司さんと、祐司さんと一緒に暮らせる今の環境がありますから。
だから、私をもてなそうとか優雅な生活をさせようとか、そんなことは考えないでください。

 その後、晶子は半額出すと申し出た。晶子の慰労と感謝が目的だから良いと言っても頑固さを発動した晶子はなかなか譲らなくて、ホテル料金の1/3の1000円以下切り捨て分と交通費の負担でようやく妥結した。晶子相手に全額払うのは相当難しいのは、こういう場合良いのか悪いのか分からない。
 ただ、何時までも申し訳なさそうにしていたわけじゃなく、今日が近づくにつれて晶子は明らかに弾んだ様子だった。口にはしなくても待ち遠しそうなのが明らかだった。服も一度晶子の家に帰って選んできたんだろう。それだけ楽しみにしていて、今喜んでくれるなら十分だ。
 4月に入ってから、晶子は踏んだり蹴ったりだった。将来−と言ってもドラマとかのような女性賛美一色に脚色されたキャリアウーマンじゃなくて、ごく普通に働いて、将来子どもを産み育てるために金を貯めるための就職活動で悉く門前払いにされ、頼みの綱の公務員試験も全滅と相成った。
 ゼミの雰囲気は重苦しくなる一方で、そのゼミの助教に就任した田中さんの宣戦布告を受けて、蓄積した過労が炸裂して1週間寝込んだりもした。あれから不思議と田中さんのアプローチはないが、晶子が日々神経を尖らせていると考えるには十分だ。
 そんな中、晶子は今までと変わらず大学にきちんと通いつつ、俺の家で家事をこなしてくれる。夏休みの間の平日はバイト先で昼の部から働いている。就職活動が全滅したから後は専業主婦を気取ってのんびり、とはならず、俺に弁当を持たせてくれることも変わらない。
 俺が順調な卒研生活を過ごせているのは、晶子の強力な後方支援があるからだ。1日くらい家のことを考えずに日常とは違う世界で寛げる機会を持って欲しい。そう思ったから宿を探して夜景と部屋がアピールポイントで評判も高かったこのホテルを予約した。俺とてただもてなすために万単位の出費をするほど裕福じゃないし、金の使い方を考えられないわけじゃない。
 前菜と共にワインが運ばれてくる。ワインはウェイターが注いでくれる。ウェイターが退いた後グラスを手に取る。

「…乾杯。」
「乾杯。」

 グラスを手に取っていた晶子と軽くグラスを合わせる。ワイン自体普段飲まないから、酸味が強く感じる。時間はたっぷりある。ゆっくり食べつつ晶子との時間を堪能しよう。晶子の慰労と感謝のためなのは勿論だが、夏休みも変わらず研究室に通って気分転換したかったのもあるしな…。
 晶子と腕を組んで部屋に戻る。随分長く居たような気がすると思って携帯を見たら2時間近く居た。ワインをそこそこ飲んで良い感じに時間間隔が麻痺しているようだ。日常から離れた時間を味わうのに時間を気にする感覚は不要だ。ああいう場所での酒は非日常の演出のためでもあるのかもしれない。
 改めて部屋を見渡す。電灯はシャンデリアだが、大きなキャンドルを中心に8方向に小型のキャンドルが取り巻くイメージの、割とシンプルな作りだ。煌びやかさや豪華さを前面に押し出すんじゃなくて、細かい細工や彫刻は控えめにして、物の良さで静かにアピールしようとしている。無駄に飾ってない分嫌みがなくて飽きが来ない。
 その中で、目を引くものの1つが窓だ。天井から床まで全て窓ガラス。こういうタイプは話に聞いたことはあるが初めて見た。カーテンを閉めないと、窓際に来た時足元から夜景が広がる。足元を見なければ空中浮遊しているような気分になる。
 俺は晶子と一緒に窓際に向かう。色とりどりの光の点が散在して、多少の濃淡はあるが闇に溶け込んでいる建物のシルエットを飾っている。奥に目を移すと、一部に黒一色の部分がある。恐らく海だろう。「ベイエリアも見渡せる夜景」がこのホテルの売り文句の1つだったし。

「凄く綺麗ですね…。」
「普段夜景を見ることはないよな。住宅街の真ん中だし。」
「足元まで窓ガラスがありますから、空に浮かんでるみたい…。」

 晶子は身体を寄せて、頭を俺の左肩に乗せて来る。腕を組んだままだから左腕からは薄い服を数枚通して晶子を感じる。温もりと柔らかさは愛しさと欲情を同時に派生させる。晶子の身体で一番柔らかさが際立つところが、俺の左腕でたわんでいるのが分かる。かなり積極的だな…。
 俺は肘から先を動かして、晶子の腰を抱く。くびれのやや下側に手を回した格好になる。ほんの少し手を下にずらせば、晶子の臀部を堪能出来る位置だ。腰を抱いたことで、晶子はもうこれ以上無理と思えるくらい身体を密着させる。

「今日は…本当ありがとうございます…。こんな素敵な場所と時間を準備してもらって…。」
「晶子はずっと頑張ってる。それに…、俺が就職活動を上手く進められて卒研に専念出来るのは、晶子のおかげだ。晶子のためならこれくらい準備するのは惜しくない。」
「私は…凄く幸せです…。祐司さんに受け入れてもらえて、居場所を与えてもらえて…。今日はこんな別世界で一緒に過ごせて…。」

 晶子は俺の肩に頬擦りする。左腕も俺の腕に絡めて続ける。何だか惜しくなって、俺は身体の向きを捻って晶子を抱く。晶子は俺の腕の拘束を解いて、直ぐに俺の背中に抱きついて鎖骨の辺りに頬擦りをする。俺は晶子の感触、否、晶子の存在を味わい確かめるために、晶子を抱く腕の位置と力をこまめに変える。

「電気…、消した方が良いですね…。」

 暫く抱きあった後、俺から名残惜しそうに顔を上げた晶子が言う。全面窓ガラスは夜景を眺めるには最適だが、そのままだと外からは全部見える。だがカーテンを閉めると夜景は完全にシャットアウトされる。外から見えなくして夜景も見えるようにするには、部屋の明かりを消すくらいしかない。
 俺は後ろ髪を引かれる気分で晶子を窓際に残して、部屋の明かりを消しに行く。スイッチは出入り口のドア近くにあるが、ソファに挟まれたテーブルに置かれたリモコンでも可能だ。シャンデリアに向けてリモコンの「ON/OFF」ボタンを押すと、シャンデリアの9本のキャンドルから放たれていたオレンジ色の明かりが一斉に消える。
 暗がりになった部屋の窓際に佇む晶子は、偶然降臨した女神のようだ。俺は引き寄せられるように窓際に戻る。待っていた晶子は、俺が傍に立つと直ぐに抱きつく。今度は鎖骨辺りで頬擦りせずに、俺を見詰める。俺は晶子の後頭部に右手を通し、抱き寄せてキスをする。
 唇同士が密着して少しすると、俺と晶子が同時に舌を差し込もうとする。少しびっくりするが、後戻りせずにそのまま晶子の口に舌を入れる。くぐもった声がする。俺の口にも晶子の舌が躊躇いなく突っ込んで来て、口の中を這いまわる。勢いに押されそうになるが、負けじと晶子の口の中を舌で掻き回す。
 舌を退却させて唇を離す。思わず息が切れる。晶子も息が切れている。唇が半開きだから妙にエロティックだ。俺は晶子のジャケットに両手をかける。両側に開いて下にずらす過程で、晶子が俺から両腕を離して、両腕を下に垂らす。ある程度まで下にずらしたジャケットは、するりと滑るように脱げて床に落ちる。

「ベッドへ…連れて行って…。」

 ブラウスに手を伸ばしたところで、晶子が言う。俺は晶子の手を取って、ベッドへ向かう。掛け布団を捲って、一旦ベッドに腰掛けて晶子を隣に誘導する。直ぐ押し倒さないことに、晶子はちょっと意外な様子だ。ジャケットを脱がしてブラウスに手を伸ばしたんだから、俺がしたいことは分かる筈。ベッドに連れて来て掛け布団を捲ったのに、その次が予想と違うのは何かあったのかと思うんだろう。

「どうしたんですか…?私、拒否するつもりは…。」
「もうちょっとムードを高めた方が良いかと思って。」

 俺は晶子の肩を抱き、改めてキスをする。唇の感触を十分味わってから、舌を差し込む。晶子からも舌が差し込まれて激しく交錯する。粘性を伴う音と荒い呼吸音だけが浮かんでは消える。俺はキスを続けながら晶子を抱き寄せ、ゆっくり体重をかける。晶子は何の抵抗もなく倒れ込んでいく。
 ベッドに倒れ込むと少し弾む。キスを続けながら自分の身体全体をずらすようにベッドに乗せる。晶子は俺の誘導に従って身体を移動させる。完全にベッドに乗ってからもキスを続け、息が少々苦しくなってきたところで上体を起こす。晶子は眼を閉じ、唇を半開きにして荒い呼吸をしている。無防備に横たわった晶子は、服が少し乱れかかっているだけで強烈に欲情を刺激する。

「晶子…。」

 だが、欲情に従って行動したら普段と大して変わらない。俺は晶子の顔の両側に両手を突いて、晶子を真上から見下ろして呼びかける。晶子が呼び掛けに応じて目を開ける。

「俺の前で…脱いでくれ。」

 俺はそう言って、晶子の隣に腰を降ろす。晶子は身体を起こして、ベッドから出る。俺が晶子の方を向くと、それを合図とするかのようにスカートに手をかける。ベルトを緩めてホックを外し、ファスナーを降ろして両手でスカートを下にずらす。膝あたりまでずらすと、後は滑るように床に落ちる。
 適度に肉がついていて引き締まった白い脚を露わにして、晶子はブラウスに手をかける。上から1つずつボタンを外していく。手早く外さないのは、俺にボタンを外す過程を見せるためだろうか。上から少しずつ出来ていくブラウスの隙間に引き寄せらせるように見入ってしまうから、その策略は大成功だ。
 ボタンを全部外し終わると、その場に佇んで俺を見詰める。少しとろんとした目と僅かに開いた唇が、催眠術にかかったかのような印象を与える。少しの間を挟んで、晶子はブラウスに再び手を伸ばし、襟元に両手で持ってゆっくり左右に開く。白い花が大きく開くかのようにブラウスが左右に広がり、肩から腕をするりと通って床に落ちる。
 下着姿になった晶子は、再び俺を見詰めてその場に佇む。暗がりの中で白い肌の晶子は仄かな光を放っているように見える。肌とは違う種類の白の下着が、豊満な肢体の一部で存在感を醸し出している。決して派手な下着じゃないが、少し前までのガードの固さから一転しての無防備そのものの様子が艶っぽさを際立たせる。

「全部脱いで…良いですか?」
「ああ。脱いでくれ。」

 晶子は小さく頷いてブラの前に手をかける。ホックを外してブラウスと同じ要領で左右に開いて脱ぐ。ブラが床に落ちると、形が良くて大きい2つの胸の隆起が露わになる。晶子は胸を隠さず、再びその場に佇んで俺に見せる。俺は思わず生唾を飲み込んでしまう。
 沈黙の時間が流れた後、晶子は最後の1枚を脱ぎにかかる。腰に両手をかけ、下着を少し広げて前屈の要領で降ろす。下着が脚を滑って床に落ちる。晶子が姿勢を戻すと、一糸纏わぬ裸体が真正面に現れる。何度も指と唇と舌で触れた晶子の身体が、晶子自身の手によって俺の前にさらけ出された。その事実が幸福感と征服欲をそそる。

「綺麗だ…。」
「私は…全部祐司さんのもの…。祐司さんは…全部私のもの…。だから…祐司さんも…全部脱いでください…。」

 魔術をかけられたような晶子の誘いで、俺はベッドから出て晶子の前に立つ。そして晶子の前で全部脱ぐ。ジャケット、ズボン、シャツと床に落とし、最後に下着を脱ぐ。俺の全てを晶子にさらけ出す。晶子は上から下へと俺の身体に視線を動かす。晶子が見ているという事実を受けて、俺の男性の部分が更に存在感をアピールする。

「シャワーを浴びるか。」
「はい。」

 顔を上げた晶子は、俺に凭れかかる。俺は晶子を両腕で抱え上げてバスルームに移動する。晶子は俺の腕の中で完全に俺に身体を預けている。

 意外と広いバスルームで、かなりの面積を占めるバスタブ。俺と晶子はそこに入って身体を洗う。まずは俺。手にボディソープを付けて泡立て、晶子の身体を洗う。首から肩、腕と適時ボディソープを追加して泡が溢れる手を丁寧に擦りつける。晶子は俺の成すがままだ。
 晶子の両腕を泡で包んだ俺は、洗う場所を下へ移動させる。存在感を示す胸を洗う。時折くぐもった声がする。晶子は眼を閉じて呼吸を荒くしている。手の動きに応じて弾み撓(たわ)む胸を斑なく手で擦り、背中にも手を回す。晶子は少し両腕を広げて俺の手の動きを妨げないようにする。
 少し名残惜しいものを感じながら、くびれが明瞭なウエスト、豊かな曲線を描く腰、しなやかに伸びる脚へと順に洗っていく。腰あたりになると必然的に屈む。晶子は裸だから見えるものは全て見える。だが、晶子は隠さずに俺の成すがままに脚を少し広げたり身体の向きを変えたりする。
 晶子の全身が泡塗れになる。目を閉じていた晶子に軽くキスして完了を合図する。今度は晶子の番。晶子は俺がしたように両手でボディソープを泡立てて、俺の身体を洗う。手で洗われるのは予想以上に気持ち良い。首筋で晶子の両手が前後するだけで自然と目を閉じてしまう。
 晶子の手は隈なく俺の身体を上から下へと洗っていく。首から肩、腕、胸へと移っていく。胸からは背後に両手が回って背中も洗われるのは俺の時と同じだ。晶子の手を邪魔しないように両腕を少し広げておく。背中を洗う際に晶子が密着するのは、手が届かないからということだけが理由じゃないと感じる。
 晶子の手は胸から腹、そして腰へと移動していく。腰あたりからは晶子も屈む必要がある。俺も当然裸。ふと眼を開けて見ると、晶子の顔の正面に俺の男性の部分がある。晶子の顔が至近距離にある事実を目にして、俺の男性の部分は更に存在感を誇示する。
 それまで俺の腰を洗っていた晶子は、愛しげに微笑んで俺の男性の部分を両手でそっと包む。快感が走った俺は思わず呻き声を上げる。晶子の両手がこれまでと同様ゆっくりした動きで俺の男性の部分を洗う。快感と幸福感が絶え間なく襲う俺は、歯を食いしばったり唇を噛んだりして声が出ないように、そして何より絶頂に達した証を出さないように堪える。
 晶子の両手は脚へと移動する。どうにか堪えた俺が口の拘束を解くと、荒い吐息が次々飛び出す。俺が見つめる中、晶子は俺の足先まで丁寧に洗う。俺の全身が泡塗れになると、晶子は膝を伸ばして俺に軽くキスをする。

「気持ち良かったですか?」
「ああ。気持ち良かった…。」
「私も…凄く気持ち良かったです…。」
「躊躇いなかったな…。全部洗うのに…。」
「あるわけないじゃないですか…。祐司さんだって、全部洗ってくれて…。」
「全部晶子だからな。」

 俺は頭くらいの位置にあるシャワーの蛇口を捻る。流石に高級ホテルと言うべきか、水はほんの僅かな間だけで直ぐに湯に切り替わる。降りかかる湯が俺と晶子を覆う泡を少しずつ洗い流していく中、俺は晶子を抱き寄せる。晶子は自ら俺の首に両腕を回して俺と密着する。
 晶子とシャワーを浴びながら強く抱きあい、舌を絡めたキスをする。泡を纏った晶子の身体が密着し、押しつけられた胸が撓んでも尚柔らかさを感じさせながら俺の胸で小刻みに動く。ピークのまま保たれている欲情が激しく刺激される。晶子も相当興奮しているのか、舌の動きからして大胆そのものだ。
 この場で始めたいという強い欲求が膨らんでくる。始めること自体は十分可能だ。裸で密着して互いの口内を奥まで抉るようなキスを続けている。此処で始めたところで晶子が拒否する筈はない。晶子も此処でこうしている以上十分想定している筈だ。
 強烈な衝動が一線を越えようとするギリギリのところで俺は堪える。風呂でもしたら、本当に歯止めが効かなくなる。したい時に晶子を脱がして動いて絶頂に達する。何だか本能のみで動く低級な動物みたいな気がする。俺は晶子の身体を思いのままに弄ることで、一線を超えそうな衝動を削って解消する。

「しないんですか…?」

 暫くキスを続けた後、息継ぎのために口を離したところで晶子が言う。切なげな表情が愛しさと欲情を同時に高める。この表情は魅惑の魔法を持っているように思えてならない。

「十分…想定してますから…。」
「あえてしない…。此処で十分…興奮を高めておきたい…。」

 したいのは山々だが、それっぽいことを言って晶子の唇を塞ぐ。シャワーが降り注ぐ中、晶子と裸で密着して激しく深いキスをする。これだけでも十分な興奮材料だ。足まで絡めて来る晶子をしっかり抱き、晶子の全身を気の向くままに弄り、幸福感と快感と支配欲にどっぷり浸る。
Chapter300へ戻る
-Return Chapter300-
Chapter302へ進む
-Go to Chapter302-
第3創作グループへ戻る
-Return Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-