雨上がりの午後

Chapter 266 愚者達との小競り合いとその後

written by Moonstone

「あのー、すみません。」

 挙式の一団が視界から消えて此処を出るかと思ったところで声がかかる。女性誌で見かけるものと似通っている服装の、俺と晶子と同じくらいの年代の
女性だ。女性の恒例と言うべきか、他に数人これまたよく似た服装や化粧の若い女性が固まっている。この女性が代表して声をかけたというところか。

「結婚してるんですよね?」
「はい。」
「あー、ホントだ。指輪してるー。」

 俺が返答した直後に別の女性が声を上げる。俺の左腕を軽く抱え込んでいる晶子の左手にある一点の輝きを見つけた、もしくは確認したんだろう。指輪は
小さいものだが意外と目立つらしい。その俗称のとおり「光りもの」だからか?

「横から話が聞こえてきて、あやかっておこうと思ってー。」
「あたし達と殆ど歳変わらない感じですけど、結婚出来た理由を教えてもらえませんかー?」
「理由、か・・・。1つの区切りとして関係を明確にするため、ですね。」
「夫と同じです。」

 流れで俺が答え続けているが、晶子から異論などは出ない。指輪にしても多分晶子が見えるように角度を変えたんだろうし、夫婦として応対しているから
異論を挟む余地はないと思ってるんだろう。それにしても未だに場馴れしたとは言いづらいな・・・。

「奥さん、凄く綺麗な女性ですねー。」
「ありがとうございます。」
「奥さんに聞きたいんですけどー、それだけ綺麗ならもっと良い男狙えるのに、さっさと結婚しちゃった理由は何ですかー?」

 晶子を褒められて少し舞い上がっていたところで、金属バットで叩き落とされた気分だ。晶子クラスの美人が、若くして結婚を決める相手としては冴えない、
もっと良い男−こういう場合は大抵高身長の美形と付き合えるのに勿体ないことをしたと言いたいわけか・・・。そう言いたげにニヤニヤ笑っている。嫌な
女達だ。

「夫の良いところを挙げればきりがありませんけど、夫は私にとって世界で一番の男性です。付き合いを重ねるうちに何度も強く実感しました。その男性と
正式に一緒に暮らすための節目として結婚したんです。」

 晶子は静かな口調で整然と答える。迷いのかけらも感じさせない答えは、女達の反論を許さない迫力がある。それに、さらりと分かりやすい惚気を冒頭に
入れたのは晶子らしい。

「それと併せて、今度は私からお尋ねします。皆さんが言う『良い男』とはどんな男性ですか?」
「えっと・・・、それはやっぱりイケメンで身長が高くて、良い大学出てて経済的に安定してることですねー。」
「・・・夫は新京大学の工学部ですけど。」
「「「え・・・!」」」

 在学中ではあるが大学名と学部に嘘偽りはない。高校や塾での模試で偏差値が上位レベルに入る。進学校が主な合格実績として上げる大学の1つ。有名
大学や難関大学と言われるこれらの条件を満たすし、少しでも大学進学が進路として扱われるレベルの高校なら、新京大学は十分有名且つ難関の大学だ。

「出身大学は見ただけでは分かりませんから、仕方ないかもしれませんね。ちなみに私も新京大学です。学部は文学部ですが。」
「「「・・・。」」」
「ところで皆さんは、知名度と偏差値で夫と渡り合える水準の大学の出身もしくは在学中ですか?」

 やっぱり晶子は内心相当怒ってるな・・・。口調は平静を保っているが、その分言葉で激しく攻め立てている。晶子自身も新京大学在学中だから、女達が
「夫の出身大学を笠に着て威張っている」という反撃を事前に封じてしまう。実際、女達は何も言い返せずにいる。晶子の質問に答えられないと見るのが
自然だ。

「…だ、大学のレベルで人間は図れないですよ。」
「それだと、良い大学を出ていることを『良い男』の条件の1つに挙げたことと矛盾しますね。」

 苦し紛れに出した理想論を晶子は一蹴する。実に簡潔かつ焦点を的確に突いた一撃だ。こんな言がパッと出るのは頭の良さは勿論だが、この言を出す
ために大学を反撃の糸口に選んだとすれば、棋士も驚きの先読みだな。

「祐司さんから見て、このような女性の皆さんを結婚対象として見た場合どうですか?」
「…言って良いのか?」
「本人の面前で本人と配偶者を中傷する人達には構わないと。」

 口調は平静を保ち続けているが、鋭利な言葉は容赦なく女達に突きつけられる。この際だから、条件を全て満たす「良い男」からは遠いが男性の1人として
本音を言っておくか。

「男性の1人として、貴方達のようなタイプの女性は結婚対象になりえない。何かの理由で肩書や収入が消えたり減ったりすれば即離婚となるのが、簡単に
想像出来るからね。大学でも貴方達のような女性が居る。学部と学科の性質上男が絶えない立場だけど、実のところちやほやする男達からは体の良い
売春婦扱いだったりする。」
「「…。」」
「…で、でも、恋愛経験を重ねた方が人間味が深まるっていうし…。」
「1人に絞って長く付き合わずに、相手をとっかえひっかえするのは恋愛経験とは言わない。単に節操がないだけ。」
「「「…。」」」
「遊べる間は欲望のままに享楽に浸って、結婚や出産を意識する年齢になったら落ち着こうという魂胆は、貴方達が普段見くびったり歯牙にもかけない俺の
ような男性は凄く嫌う。自分の都合で擦り寄ってくるな、何時までも遊び呆けてろ、ってね。」

 普段言わないことを言う。だが、所謂もてない男の1人−晶子1人にもててれば十分だが−から一度は本音を聞いておくのも良いだろう。日頃はセックス
目的にちやほやされている様子だから、男性の本音を聞く機会などないだろうし。

「…内心、こんな冴えないダサい男に詰(なじ)られるようなレベルの低い女じゃないとか思ってるだろうけど、俺は貴方達と違って化粧はしてない。ついでに
言うなら、俺の妻も化粧してない。」
「「「?」」」
「その化粧を取ったら、目の前に居る大したことない男でも捕まえられないだろうし、そんな男とさっさと結婚した女にも敵わないんだろうね。」

 女達は一斉に顔をこわばらせる。一昨日に清水寺で類似したシチュエーションに遭遇した際に、晶子が周囲に聞こえるように言ったカウンターの一撃を
真似したものだ。晶子は食事を含む肌の手入れは入念だが、肌を塗り固めることはしない。女性の心理で越え難い格差が生じる原因の1つは、化粧をして
様になる顔と化粧をせずとも様になる顔かどうかだ。
 化粧をする前とした後では、化粧が濃いほど落差がある。晶子がゼミで借りて来る女性誌には、より「可愛く」見える化粧の事例が色々載っている。その手の
事例を知っていると、女性誌で「可愛い」とされる化粧や服装で固めた女性から文字どおりの化けの皮を剥ぐと貧相な素性が露呈すると容易に想像出来る。

「行こうか、晶子。」
「はい。」

 問題外の男である俺に言われて悔しいのか、女達は唇を震わせている。とは言え、こんな女達と口論するのは時間の無駄。さっさと切り上げるに限る。
晶子も売られたケンカを買ってお釣りを渡したことで十分満足したようだし。

「やっぱり、祐司さんの良さは一般的な価値観だと理解出来ないようですね。」

 参道に沿ってしばらく南下したところで晶子が言う。

「だから晶子は、競争率がゼロに限りなく近い俺を夫に出来たんだよな。」
「ええ。私は凄く幸運です。それにしても、祐司さんがストレートな女性批判を次々言うところは初めて見ました。」
「言って良いものかどうか考えたけど晶子も勧めていたし、眼中にない男から言っておく良い機会だと思って。半分くらいは晶子が一昨日に清水寺で言った
ことの流用だったが。」

 面と向かって女性批判を口にする機会は、普段の生活ではまずない。だが、男性非難は良くても女性非難は絶対許さないという過激フェミニズムはかなり
広く深く浸透していることは日々感じる。おまけに今回は面と向かって俺が駄目な男と言い、それは俺を選んだのは失敗だと晶子も非難するものだった。
立場を入れ替えたらどれだけ金切り声を浴びせられるか分からない。
 清水寺でのように陰でこそこそ言ったり笑ったりする分には−本人には十分聞こえているんだが知らないのか、あえて聞こえるように言っているのかは
不明−別に構わない。どちらかがその場を離れれば聞こえなくなる。だが、わざわざ当人を捕まえて面と向かって言うもんじゃない。
俺が言われるだけならまだ聞き逃せるが、面と向かって晶子の考えや選択を全否定されたことはかなり腹が立った。だが、あの手の輩は自分が気に入らない
男性やグループに属さない女性の批判や反論には、ヒステリックに金切り声でまくしたてる傾向が強い。言うことだけ言ってさっさと退散したのは正解だったと
思っている。

「あんなことを言うのは良くないとか思うか?」
「いえ。あの女性(ひと)達がわざわざ人格否定を本人につきつけてきたのが原因ですし、私も祐司さんを嗾(けしか)けたようなものですから、悪いとは思い
ません。むしろ祐司さんの言うことは男性の偽らざる本音なんだろうな、と思って聞いていました。」
「あの手の女から貶されるタイプの男性は、女性に対して少なからず不満や怒りを鬱積させてるもんだ。」

 嫌いなら嫌いで構わない。誰でも苦手なタイプや嫌いなタイプはある。そんな場合は相手への不干渉に徹すればだいたい避けられるし、関わらざるを
得ない場合でもその局面−学校での集団行動や仕事だけは個人的感情を抜きで関わるようにすれば良い。
ところが、女性批判は時に人権侵害を持ち出しても許さないのに男性批判は受けて当然という認識だと、こちらが関わらなくても挑発してくる。相手が反撃
しないか出来ない−無用なトラブルを避けるためのが殆ど−のを分かっていてやっているから性質が悪い。その1人と思っていた男の俺から、自分達が絶対と
信じているかグループ内の牽制に常時使う装備を否定されれば、それなりにショックは受けるだろう。

「最後の化粧云々のくだりは、私が一昨日の礼儀知らずの女性達に言ったことの発展型ですよね?」
「ああ。あの晶子の一撃は痛いところを突くな、と思ったからな。」
「あの時もそうでしたけど、男性って女性の化粧に興味がないか好感を削がれるかのどちらかが多いみたいですね。」
「化粧をしている時としてない時の落差が大きいと想像するからな。化粧を褒めるのは、それこそ身体目的だろう。」
「男性のこういう率直な意見を聞く機会があるのは、貴重です。」
「念のため言っておくけど、晶子に言ってるわけじゃないからな。」
「分かってますから大丈夫です。」

 晶子を非難するつもりは毛頭ないし、化粧の濃さでは晶子は対極に位置する。だが、女性という性は同じだから、俺よりはずっと自分の価値観を対象外の
男性に否定されることのショックは理解出来るだろう。理解出来る分、意図せずに晶子がショックを受けている可能性はある。
あの手の女達を批判することが、晶子にショックを与えることになるのは不本意だ。自分への悪意に対する批判や攻撃を始めると、対象が属する集団を
一絡げにしてしまいがちだ。晶子への批判の意図はないことを言っておくのは手間じゃない。
それに、無用で不毛な口論を避けるためにあの女達が居た場所から退散して、あの女達も追ってこない。面と向かって俺と晶子を貶されたことに反撃する
のと、あの女達の絶対的な価値観と仲間内での牽制の道具を真っ向否定したことで気は済んだ。これ以上あの女達の批判や論評をしても意味がない。今は
晶子と2人きりで旅行してるんだから。

「さて、この先宿までひと歩きするわけだが、このまま宿へ直行っていうのはちょっと勿体無い気もするな。」
「あの・・・、此処から宿まで歩いて帰ることを言い出した私が言うのも何ですけど、みたらし団子を食べて行きませんか?」
「みたらし団子の発祥の地とされてる・・・御手洗社だったか、それからの連想か?」
「ええ。発祥の地があるんですから、それにちなんだお店が近くにあるんじゃないかと。」

 さっきの女達との件で蒸散しかけていたが、みたらし団子の発祥地がこの神社にあった。有名な食べ物の発祥の地という特別な位置づけとこの神社自体が
長い歴史を持つことから、晶子の言うとおり近いところにみたらし団子を出す飲食店があっても何ら不思議じゃない。

「なるほどな。その辺の情報は、と・・・。」

 俺は観光案内を取り出して下鴨神社のページを開く。みたらし団子の項を見ると参考ページが記載されている。そこを開くと、「京都市内の主な飲食店」と
して店の名称と種類−喫茶店や日本料理店など大まかな店の区分−、店の所在地と電話番号がズラリと記載されていて、先頭から順に番号が振られて
いる。4ページに及ぶ飲食店一覧の次には京都駅周辺を別枠にした京都市内の大まかな地図があって、一覧の番号で所在地を示している。
 みたらし団子の項にあった番号を探す。・・・ある。下鴨神社を取り囲むようにいくつかみたらし団子の店がある。東西南北に走る道路で区切られた分かり
やすさは健在だし、下鴨神社とは大して距離はない。これなら店を回って良さそうな店を探すことも十分可能だ。

「みたらし団子の店はいくつかあるな。行ってみるか。」
「はい。」

 割り込みで行き先が加わった。こういう場所を知って訪ねたなら、締めとして本場や本家といえるみたらし団子を賞味しておくのは思い出作りに最適だろう。
市も鴨神社から出て近いところから順次巡って、美味そうな店を探そう。

「味が違ったりするのか・・・?」
「味、ですか?」
「たれの味が甘口か辛口か、違いといってもその程度しか思いつかないけどな。」
「そういう違いはあるかもしれないですけど、焼いた団子をくしに刺してたれをつけるスタイルは変わらないと思いますよ。」
「発祥の地だと焼いた団子を塩につけて食べるとか、そういうものもあるかと思ってな。」
「塩だけのみたらし団子って普通は目にしないですけど、シンプルな味付けですから面白そうですね。」

 発祥地とそこから拡散した末裔では大きく違うこともままある。食べ物だと形状から味まで異なることもある。今でこそみたらし団子は甘口のたれと一緒に
食べるが、発祥地から見るとそれは異端で、塩だけつける方式が本来の食べ方と叱られるかもしれない。
此処を目的地に選ぶまで下鴨神社の存在自体知らなかったし、ましてやその中にみたらし団子の発祥の地があるなんてまったく予想もしなかった。その土地
ならではの食べ物を食べるのが旅行の醍醐味の1つというが、意外性と相俟ってみたらし団子が醍醐味の1つとなるのは間違いないな・・・。
 右手に鴨川を見ながら晶子と歩く。甘口のたれと焦げ目がつく程度の硬さのバランスが絶妙なみたらし団子を食べたことで、小腹が膨れて良い具合に
夕飯に向けて食欲をかきたてられている。

「朝昼晩の食事以外で外で食べるのって、たまには良いもんだな。」
「普段の食事は家とか大学とか、決まったところで食べますからね。」

 実験があった月曜以外の平日だと朝は家、昼は大学、夜はバイト先の店。月曜は朝が家で昼と夜が大学。土日祝日は朝と昼が家で夜がバイト先の店とほぼ
完全に固定されている。このところのデートは週末の買い物で代替している感があるが、買い物途中で飲食店に立ち寄ることはない。
レポートや家事の合間の休憩やバイト終わりの1日の打ち上げも、喫茶店や居酒屋に出向くことなく専ら家、最近だと俺の家だ。そこで出される紅茶と晶子
手製のクッキーやケーキが美味いし、それに飽きを感じることがない。
 バイトの時給は俺が1500円で晶子が1400円と飲食店としては高額な部類だし、それを毎日4時間週6日しているから、月24日としても俺は1500×4×24=
144000円、晶子は1400×4×24=134400円入る計算だ。学費別の仕送りと合わせれば月20万を超えるから、ある意味学生らしい遊び歩きも可能だ。
だが、俺は元々音楽関係以外であまり金を使わない。曲データ作成に必要なシンセ関係を揃えて久しい−そうそう買い換えるものでもない−から、交換が
必要なギターの絃や3カ月に1回くらいの楽器店でのメンテナンス以外で金が動くことがなくなっている。
 晶子と生活する時間が長くなっても、必要事項以外に金をかけないというスタイルは変わらない。2人だから食費が2倍になると思いきや、晶子もきっちり
食費を出すから、俺の収入に対する食費の割合はむしろ減少している。光熱費も2人で1つの場所に居るから、総額は1人の時代とたいして変わらないし、
これも晶子がきっちり出すから対収入比は確実に減っている。
使わない金はそのまま口座に直行する。定期的に一定額が入る収入に対して支出が減れば、自ずと金は溜まる。おかげで来年度−もうあと半月足らずに
迫ったが、大学に進学する修之に学費を振り向ける代わりに自分で1年分の学費を払える確約が出来るに至った。

「もっと外に出て、こういう機会を持つようにしないとな。」
「祐司さんはこれから大切な時なんですから、余裕が出来ればで十分ですよ。」

 資金的な余裕が出来ているのは、生活面での晶子の強力な支援があることくらい十分自覚している。これから卒研や就職活動で時間が詰まる可能性が
高い。その分晶子とデートらしいデートをする機会は意識的に持たないと作れないかもしれない。晶子が驚くほど辛抱強いことに甘えて依存するのは彼氏、
否、夫失格だ。

「私は、毎日を祐司さんと支え合って過ごして、子どもが出来たら一緒に育てて、少しばかり時間やお金に余裕が出来たら、それで可能な範囲で寛いだり
楽しんだり出来れば良いんです。」
「…。」
「私は、夫婦とはそういうものだと思ってます。それが…、私がずっと欲しかった夫婦の暮らしなんです。」

 晶子が望んでいるのは、ちっぽけとか時代遅れとか言われがちなシンプルな幸せ。その幸せを確実に得るために、幸せの立脚点を揺るがす浪費や浮気の
リスクが低い俺に焦点を絞って今に至るんだな…。
その幸せの方向性に、俺は何ら異論はない。そもそも貧乏学生の俺を選んだ時点で、裕福でお姫様のようにもてなされる暮らしを求める方が間違いだ。
求める幸せの方向性が決定的に異なれば、カップルや夫婦は何れは破綻する。

「ですから、祐司さんとの下鴨神社の参拝帰りにみたらし団子を食べて、こうして手を繋いで歩いて帰る今が、凄く幸せなんです。こんな幸せはお金で
買えないのは勿論ですし、祐司さんと一緒に居られる今しか実現出来ないことですから。」
「そういう幸せは、俺も好きだ。だから、今みたいな幸せを感じられる機会を意識的に持つようにしたい。」

 晶子が憧れて求める幸せは、金をつぎ込んで商取引の接待のように懇切丁寧にもてなすものじゃない。映画やドラマを研究してシチュエーションを演出
するものでもない。日々の生活の隙間や直ぐ隣に実現する機会は落ちているタイプだ。みたらし団子を食べて帰ることだけをとっても、週末の買い物で行く
スーパーでその機会はある。毎回買って食べるんじゃなく、何かの節目やふと食べたくなった時に利用する。そんな程度で良い。
 機会の頻度は恵まれているが、日常的すぎて見落としたり見逃したりしやすい。今まで何度も買い物帰りにみたらし団子を食べる機会があったのに、その
機会を利用せずに居た。ありふれたところにあるからこそ、意識的に利用しようとしないと逃していくばかりだから、金や労力をつぎ込む幸せより実現が
難しいと言える。
 晶子が求めて俺も好きな形の幸せは、意識的に作ることから始まる。今回の寄り道をしてみたらし団子を食べることでも、ルートに入ってないとか宿に
帰ったら食事があるからとか選択肢を避ければ実現しなかった。機会が彼方此方に落ちていて、拾って使えば小さいかもしれないけど花が咲くなら、その
種を拾うことを意識した方が良い。

「俺が仮配属中で本配属も希望してる研究室は、今のバイトを続けることも十分可能だ。買い物に出ることも、な。言い換えれば今までのような生活が続け
られるってことだ。」
「・・・。」
「今までの生活の中にも、俺や晶子が望む形の幸せを実現して感じられる機会はたくさんあったように思う。それを生かすことで2人の生活がより楽しくて充実
したものになるなら、意識的にそうした方が楽しいだろ?」
「はい。」
「晶子の言葉を借りれば、俺と一緒に居られるからこそ感じられる幸せを晶子にもっと味わって欲しい。その幸せは俺の幸せにも重なるから、晶子と一緒に
居られるからこそ感じられる幸せをもっと味わいたい。」
「こんな幸せが何度も味わえるなんて、それ自体が凄く幸せです。」

 晶子は微笑んで身体を寄せてくる。手を繋いでいて距離は近いから、腕同士が密着する。こうして密着させるのも、晶子にとって幸せを感じられる時
なんだろう。
 空を見上げると、空の色合いが変わりつつある。西は山が連なって形成する境界線の付近から朱色が拡散し、東は西からの朱色の拡散と交わりながら深い
藍色に染まっていこうとしている。こうして空の色のダイナミックな変化をリアルタイムで見ながら晶子と帰路をゆったり歩くなんて、俺は幸せだな。
歩いていくにつれて空は深い藍色の比率が高まり、町に満ちる昼の光が消えていく。通りに面した家々の窓や街灯に、夜を照らす明かりが灯り始める。時折
風の一閃を受けながら、俺は晶子と手を繋いで歩く。新京市よりずっと大きな町なのに、大通りから通り1本離れるとぐっと静かだ。
 鴨川に沿って南下を続けていくと、控えめに品良くライトアップされた宿の白い看板が見えてくる。意外と時間がかからなかったように感じるのは、幸せな
時間だったからだろう。京都市内を凡そ半周したこの1日の本格的な夜は、もう直ぐそこまで来ている・・・。

「お帰りなさいませ。」

 宿に入ると、仲居が出迎えてくれた。担当の人とは違うが、出迎えてもらえるのは非日常だから素直に嬉しい。

「御夕食の準備が出来ております。」
「ありがとうございます。」

 奥の方から歓談の声が聞こえてくる。確か今日から俺と晶子以外に宿泊客が居るんだったな。基本的に智一の父親が経営する会社関係者しか使えない
旅館とは言え、1週間あまり俺と晶子しか客が居ないとなると他人事ながら経営の心配をしてしまう。

「偶然と申しましょうか何かのご縁と申しましょうか、今日挙式されたご夫婦とそのご親族の皆様が本日より宿泊されています。」
「下鴨神社で挙式後の記念写真現場を見たんです。」
「平安神宮でも挙式されるような感じでした。」
「どちらも有名な神社ですから、全国から挙式されるご夫婦がいらっしゃるんですよ。」

 今日巡った場所は平安神宮、銀閣寺、下鴨神社の3つ。銀閣は別として神社ではどちらも確信に近い予想も含めた挙式の現場に出くわした。神社は全国
津々浦々にあるし、結婚式場も含めると、1日あたりの挙式数は数先数万の単位になるだろう。その数だけ夫婦が誕生しているわけか。
 部屋に入ってドアを閉める。コートを脱いでハンガーにかける。その直後ドアがノックされて、応答すると仲居が食事を運んでくる。帰って来た直後に食事が
用意されているのも非日常だ。後片付けも含めると極楽に感じるという話も納得出来る。
 晶子が淹れた茶を飲みながら夕食を摂る。2人きりで朝から晩まで京都散策を楽しんだのは、今日が初めてだ。2日目でめぐみちゃんと出逢ってそのまま
3日目まで親代わりをしていたからな。めぐみちゃん、元気にしてると良いんだが・・・。
旅行は日曜日までの5泊6日。その4日目が終わろうとしている。あっという間だ。まだ振り返るには早いが、同じように大学に行ってバイトをしている晶子と、
2人きりで長期間出かけることがなかったことによる強い印象の数々は、時間の経過感覚を大きく加速させるには十分だ。

「今日から宿泊しているお客さん、もしかしたら今日、下鴨神社で記念撮影の現場を見学したご夫婦と親族かもしれないですね。」

 晶子が言う可能性は否定出来ない。下鴨神社とこの宿は割と近いし、規模も大きい方だ。和風に徹した装いを気に入ってここを宿泊場所にして今日挙式
したと考えるのは、突飛な想像じゃない。

「そうかもしれないな。そこまで偶然が重なると世間の狭さを感じざるを得ないが。・・・どうしてだ?」
「お風呂は、部屋のものを使った方が良いかもしれないと思って。」
「珍しいな。今まで他の人と旅先で一緒になっても気に留めなかったのに。」
「普段なら構わないんですけど、今は新婚旅行中ですから・・・。」

 2人きりの旅行だから、他の人との宿での接触は控えたいんだろうか。子どもならめぐみちゃんの例もあるから話は違うかもしれないが、泥酔して絡む輩が
いる可能性があるし、風呂場への往復などでその手の輩に晶子を触れさせたくないという思いがある。

「俺は構わない。大きな風呂場にこだわりはないからな。」
「勝手を言ってすみません。」
「そのくらいなら勝手に入らない。部屋で過ごす方が2人きりの時間をより多く持てるし。」

 晶子も賑やかさより静けさを好むタイプ。更に今は新婚旅行の最中。静かに2人きりで長く居られるならその方に惹かれるのは当然だし、俺も何ら異論は
ない。
 食事を終えて、少しして仲居が食膳の回収と銘酒の搬入に訪れる。ドアが開けられている間に部屋の外の音が流れ込んで来るが、宿に戻った時より喧騒の
度合いが強まっている。賑やかを超えて大騒ぎという感じだ。部屋の位置関係は知らないが、それなりに距離があってこれだけ聞こえてくるってことは、
会場は乱痴気騒ぎ常態だと考えて良いだろう。
こういう時に羽目を外して大騒ぎするのは、大抵親族だ。葬式でもそうだが−小さい頃に祖父母の葬式に出た記憶がある−、そういう親族には行事に
かこつけて酒を飲んで大騒ぎしたいだけという認識がかなり見受けられる。当人を祝ったり偲んだりする行事の意味がないし、当人の心身を無用にすり減らす
だけだ。騒ぎの渦中に居るであろう挙式間もない夫婦の心労はいかばかりか。

「晶子の言うとおりのようだな。」

 仲居が退出した後、俺は晶子の隣に移動する。俺から仕掛けたことに一瞬驚いた様子を見せたが、それは直ぐに喜びとなって表情に出る。座ると同時に
肩を抱いてみたりする。酒はまだ飲んでないのに我ながら随分積極的だ。

「2人きりの時間を満喫するには、泥酔客も居る場所に足を踏み出すより此処に居た方がずっと良い。」
「ありがとうございます。」
「2人きりの方が良いのは俺も同じだ。・・・2人きりが風呂場行きでの中断なしに続く以上・・・。」

 俺は緊張と興奮で胸が高鳴るのを感じながら、晶子を見詰めてひと呼吸置く。

「風呂もじっくり味わわせてもらうぞ。」
「存分に・・・ご堪能ください。」

 俺の言葉の意味を捉えた晶子は、俺の肩に頭を乗せて頬を少し赤らめて応じる。昨日一緒の入浴も体験したことで、俺の中でまた1つ大きな壁を越えた。
ドアを閉めれば喧騒を遮断出来るこの部屋で晶子と非日常の2人きりが続くなら、遠慮や躊躇の材料はないも同然。言うことすることは頭の中でどんどん
生じてくる。
 押し倒したい衝動を抑えて、俺は晶子の肩を抱いたまま晶子の背後に回る。昨日試しにやってみた、座った状態で晶子を後ろから抱く人間座椅子の
体勢だ。手を喜び一色の晶子の肩からウエストに移動させて抱き込む。

「こういうのも堪能だよな?」
「勿論です。凄く・・・嬉しいです。」

 晶子は俺に身体を預けてくる。昨日もこれをした晶子はかなり喜んでいた。裸やセックスが堪能の筆頭候補だが、こういう密着や触れ合いも良い。晶子も
早速押し倒されたり風呂に引っ張り込まれるより、こういうステップを踏まえた方が気分が高揚するだろう。

「晶子・・・。愛してる・・・。」
「愛してます・・・。祐司さん・・・。」

 抱きすくめていてふと口を吐いて出た言葉に晶子が山彦のように言葉を返す。幸福と興奮が高まりつつ交錯する。晶子の首筋に唇を触れさせ、左腕で
晶子のウエストを抱きこみつつ、晶子の身体に手や指を這わせる。セーターの上からでも形と柔らかさが分かる胸を揉み、豊かな曲線が艶かしい太ももや腰
周りを撫でる。耳元で感じる晶子の呼吸が速く荒くなる。晶子の身体を抱いて堪能する俺の両手には晶子の両手が重ねられ、拒むどころか右手が案内役を
買って出ることもある。
 様々な深さのキスをする。茶や酒を湯飲みや徳利を介して、或いは直接俺の口から晶子の口に注ぎ込む。幸福と興奮が更に高まり、混合したことで
それぞれの沸点を飛び越えて尚も上昇し続ける。食膳の回収に併せて布団も敷かれたから、押し倒して始める環境は整っている。

「・・・祐司・・・さん・・・。」

 上下の服に手を入れて下着越しに触れていたところで、途切れ途切れに晶子が呼びかける。

「先に・・・お風呂に・・・入っておきませんか・・・?」

 晶子は完全に俺に身体を委ねている。抵抗や拒否の意思はまったく感じられない。ただ、肌寒いとは言えかなりの距離を歩いて汗をかいたから、1日の締め
くくりとして風呂に入っておきたいんだろう。昨日の体験と今の高ぶりが頭の中で融合しているから、風呂で中断するつもりはない。・・・確認しておくか。

「場所を風呂に移すだけになるぞ。」
「お任せします・・・。」

 俺は晶子の服の中から手を出して動きを止める。晶子は力を抜ききって俺に凭れ掛かっていて、媚薬を服用したようにとろんとした顔を向けている。服は
上下共にウエスト付近で俺が手を入れた痕跡がくっきり残り、強烈なエロティックさが漂う。
 俺は晶子を両腕で抱いて立ち上がる。晶子は俺の胸に上半身の多くを委ねて目を閉じている。肌と下着が顔を覗かせるウエスト部分が性欲を激しく掻き
立てる。宣言どおり、風呂場でも存分に堪能させてもらうとするか・・・。
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