雨上がりの午後

Chapter 263 春景色の境内を巡りて

written by Moonstone

 電車のあるところから道に沿って神苑を歩く。橋を渡る頃には左手方向に広い森が豊かな緑を湛えている。橋がかかっているのは川というべき水路。方向
から推測して、熊野神社前の交差点から南下する時に渡った川に通じているんだろうか。

「これだけ緑が多いと、夏は涼しいでしょうね。」
「森林浴とかも出来そうだな。歩いてるだけでゆっくり出来る。」

 新京市は小宮栄のベッドタウンという位置づけだから、住宅地が多い。その引き換えに緑の面積が少ない。公園や街路に植えられているが、木々の密度より
住宅や道路の密度の方が高い。鉄道や幹線道路の沿線では街路樹があっても道路のアスファルトと電柱に圧倒されている。市町村合併で面積を拡充した
から、住宅地−通勤通学の便が良いように造成される法則は有効だ−が密集する中心部を離れると緑の方が支配的な田園風景に変わるが、そこまで足を
延ばす機会は殆どない。
 近くに割と大きい公園がある。この時期に晶子とピクニックに行っている場所でもあるが、そこには造成前の森の名残を残したらしく木々が密集している
エリアがある。散歩に出かけた際に数回踏み込んだことがあるが、道はけもの道を少し歩きやすくした程度で、かつて広がっていた森の深さを感じさせる。
今晶子と歩いているこの神苑の森の深さは、公園の森を凌駕する。住宅地の彩りとして作られたか記念にごく一部残されたくらいの森と比較するのは無理が
あるかもしれないが、日頃緑に触れる機会が少ないとこういう場所で時間を過ごすことに憧れを感じずにはいられない。
 更に歩いていく。左手には木々が連なり、右手には川が水を湛えている。公園じゃなくて庭園だな。拝観料を取るのも納得がいく。森は適時整備しないと
簡単に荒れる。文字どおりの自然ならそれでも良いだろうが、人を迎え入れる場所からは遠ざかる。その整備とて全て人手でするにしても機械を使うにしても
金がかかる。拝観料は維持費の一環と考えるべきものだな。

「あれって、何でしょう?」
「観光案内には茶室とあるな。」

 南神苑をまっすぐ北上していくと、平屋建ての建物が見えてくる。大きな日本庭園に付き物とも言える茶室だ。観光案内を見ると、俺と晶子がたどりついた
コースは神苑の外郭に沿って大回りする最も遠いコースだったが、神苑入り口からほぼ直進で来られるコースもあるようだ。時間は気にしなくて良いからこんな
コースもあったのかと思う程度だ。

「この辺は、電車があった南神苑から西神苑に入った証拠のようだな。」

 晶子に観光案内を見せる。境界線は明記されていないし実際の区切りは曖昧なものだろうが−あったところで大した違いはない−、茶室のある場所は
西神苑と言って庭園の北東部一帯に含まれる。

「此処から北に進むと白虎池ってところがありますね。」
「行ってみるか。」
「はい。」

 茶室で休むほど疲れてはいないし、白虎池の広さが気になる。観光案内の平安神宮敷地全体図を見ると、白虎池は本殿や太極殿がすっぽり入るくらいの
大きさがある。
 茶室のある場所から道沿いに進むと白虎池なるものが見えてくる。これは…池と言うより湖だな。池には深い緑の長い葉が数本ずつ束になって無数に存在
する。観光案内を見ると菖蒲とある。菖蒲は梅雨時期の花だから見頃はまだ先の話だが、この広さに菖蒲が咲き乱れる様子は十分想像出来る。

「桜だけじゃないんですね。」
「季節ごとの花を楽しめるように考えたんだろうな。」

 桜は春に人を集める桃色の花を開くだけじゃなく、夏は風に呼応してざわめく風鈴を兼ねた広い木陰を作り、秋には紅葉をなす。だが、桜だけだと
つまらない。花は桜だけじゃないし、春以外にも花は咲くから季節の移ろいを反映するには桜以外の花もあった方が良い。

「岸からだけじゃなくて、池の内側からも見てみるか。」
「え…。はい。」

 最初何のことか分からなかったようだが、意味が分かると満面の笑みで応じる。池には湖面に近い高さで橋のようなものがかかっていて、池に入り込める
ようになっている。その橋はどうにかすれ違える程度の幅しかない。2人でその橋を渡るとなれば、対策は決まっている。
 俺が手を差し出すと、晶子は即座に手を取る。俺は晶子の手を引いて手近なところにあった橋に足を踏み入れる。水面に近いのと手を繋いでいることで
やや安定感が悪いが、晶子と手を繋いで歩くのは悪くない。日頃機会がないからしないだけで、手を繋ぐたくない筈はない。

「祐司さんにこうしてもらえるのって、凄く嬉しいです。」
「俺だって、手を繋ぎたいからな。」

 手以外の感触は知り尽くしているのに、手を繋ぐのはどうもこそばゆい。だが、はしゃいでいる晶子を見ると、これでこんなに喜ぶのならもっと積極的にした
方が良いな。手を繋いで歩くカップルなんて通学途中でも買い物の行き帰りでも頻繁に見かけるし、抱き合ったりキスしたりといった目のやり場に困ることじゃ
ないスキンシップと捉えるべきか。
 橋は池の中−上と言うべきか−を迷路のように複雑に走っている。こうした植物のある水場で人が歩ける道というと田んぼのあぜ道を連想する。田んぼは
大規模なものほど形が長方形に近くなり、あぜ道も直行に近くなる。田植えや刈り取りに大型機械を使おうとするほど形が整然としている方が良いから
必然的だ。
 一方、この菖蒲の池での入り組んだ橋は、やっぱり見物を色々な角度から出来るようにするためだろうか。菖蒲は田んぼの稲と違って一定間隔で植えられ
てはいない。つぼみもないから分からないが色も様々だろうから限定された角度からだと面白みが少ない。折角池の中から見るなら色々な角度で、しかも
至近距離から見られるようにと考えた末の産物だろうか。

「新京市にも、桜や街路樹以外でこんな場所があると良いですね。」
「そうだな。管理が大変だろうけど。」
「植物や動物に接したり、それらを大事にする心を涵養するには必要だと思うんです。」
「手入れにかかる人とコストにまず目が行くんだろうな。」

 一旦植えて後は放置とすると、生命力に勝る雑草に負けて上手く育たない。稲でも除草は必須なのはそのためだ。1年で1回くらいで済めばまだしも、
雑草は抜いても抜いても生えてくるから−あの生命力は凄い−かなりの頻度で行う必要がある。除草も1か所だけで済むわけじゃなく、場所が広くなれば人手
では追いつかない。除草剤も勝手に撒かれないから−撒かれたら大変なことになる−結局人手も金もかかる。
 学校でも「役に立つ教科」と「役に立たない教科」の選別意識がある。受験意識が広く定着する中学3年や高校3年では顕著だ。「役に立たない教科」とされる
音楽・美術といった科目は、特に高校では音大や美大などその系統に進学する学生以外は進級するごとに邪魔者扱いされる。「役に立つ教科」でも学校を
離れれば実生活に役立たないとして切り離されることは珍しくない。
 花や絵を鑑賞したり、動物の世話をしたりといったことは確かに実生活にはほとんど役に立たない。だが、役に立つか立たないかで生活をふるい分け
したら、芸術とされるジャンルは成り立たない。更に言えば、基礎科学や理論は役に立たない≒金にならないから知らなくて良いし、突き詰める必要もないと
切り捨てることに繋がる。ところが、今の便利な生活を支える電子機械や、かつて不治とされた傷病を治す医療を知って使うためには、実生活で役に
立たない理科や数学の基礎理論が出来ないと話にならないというのが、3年間大学生活をしてきて実感したことだ。
 役に立つか立たないかは結局のところ、目先の金が増えるか増えないかの判断で言われているような気がしてならない。目先の金を増やすことに没頭する
ことが至高の幸せと思う人ならそれでも構わないが、目先の金が増えるかどうかを全ての判断基準にする人には、少なくとも教師や親にはならないでほしい。
子どもの趣味も夫か妻の趣味や娯楽も金の無駄で切り捨てかねない。それが切り捨てられた当人にどんなショックを与えるか考えられないだろうし、ショックが
あると考えることすらしないだろう。

「この池に魚が居るともっと良いんですけどね。」
「鯉とか?」
「ええ。こうして菖蒲がたくさん植えてある以上は無理だと分かってますけど。」

 この池では菖蒲の維持管理が第一だ。面積が半端なく広い−家1軒分どころの話じゃない−上に橋が入り組んでいるこの池で除草など維持管理を人力で
するのはコスト面からも不可能に近い。となると除草剤を使うだろうが、生憎除草剤はその名のとおり雑草だけに効いてくれるわけじゃない。そんな池で魚を
飼うことは叶わない。
 だが、これだけ広いと魚が泳いでいないことが寂しく思う。菖蒲に埋もれて見え難いだろうが、菖蒲の隙間を縫うように魚影が走り、撒かれた餌を食べる
ために水面を少しだけざわめかせる様子もなかなか楽しそうだ。

「ペットを飼ってみたいと思うか?」
「ペットですか。飼って…みたいですね。」

 池の魚から連想した疑問から会話が続く。晶子の子ども好きは仲を深めていくにつれて強く実感しているが、ペットについてはあまり言及はなかった。
俺自身はペットを飼ったことがない。父さんが世話は出来ないことを理由にペットを飼うことそのものに反対だったし、母さんは猫が嫌いと来るから飼いようが
なかった。特に犬は狂犬病の危険があるせいか捨て犬や捨て猫を見るのは創作物の中だけ。拾ってきて強引に飼うことも出来なかった。
 俺は動物も好きだ。ペットを飼ったことがない反動もあるのか飼ってみたいと思うこともある。着信音が突出して独自のものなのに待ち受け画像は初期状態
のまま放置されているのは、その画像が可愛らしい子猫なのもある。食事や散歩、排泄の世話は必須なのは分かっているが、ペットすなわち動物だから
許せるものもあるような気がする。

「でも、ペットを飼う機会があるとすれば、それは子どもがある程度大きくなってからの方が良いような気がします。」
「まずは子ども、か。」
「はい。ペットは1人で飼えても子どもは1人じゃ産むことすら出来ませんから。」

 ペットに世話は付き物だが、それは言葉が話せなくて意思疎通が困難なことが大きい。言葉が未発達な乳幼児を相手にする育児とその辺は似ている。
言葉が通じにくいから何を言いたいのか何を考えているのか分からないし、今は静かにして欲しいとかこの作業が終わるまで待ってほしいという意思も
通じない。
 ペットなら言うことを聞かなくても「所詮ペットは動物だから」という、ペットが言葉を話せない人間とは異なる生き物であることが諦めや自分を納得させる
最後の理由になる。だが、子どもだと言いたいことが分からなくても言葉が通じなくても相手は同じ言葉を話せる(ことになる)人間だから、意思疎通の困難を
「言葉の分からない子どもだから」と諦めるのは事実上不可能だ。諦めという逃げ道がないから疑問が焦りを生み、やがて怒りや憎しみになる。
 めぐみちゃんの事例に一時保護者として関与して事情に接する機会があったことで、話に聞くだけだった児童虐待とそれに至る親の思考の変遷が理解
出来たように思う。そのめぐみちゃんの面倒を見る際に子ども好きをいかんなく発揮した晶子は、ペットと子どもの厳密な区別と、ペットより子どもが欲しいし、
子どもの世話に専念したいと思ってるんだろう。めぐみちゃんの面倒を見たことで子どもを持ちたいという願望がより強まっているから、尚更ペットより子ども
だろう。

「祐司さんっていう素敵な夫を得たんですから、祐司さんとでしか出来ないことをしたいんです。」
「その準備も2人でしていかないとな。」
「ええ、そうですね。」

 親は子どもを選べても子どもは親を選べないとはよく言ったもんだと、めぐみちゃんの事例に接して思う。何時か生まれてくるであろう子どもは、最大限良い
状態で出迎えたいし、そのためには準備が不可欠だ。合計10畳程度の空間じゃ手狭だし、付きまとう病気を診てもらったり適切な食事を与えるためにも
収入は欠かせない。
 生活が快適かつ豊かになることで実質的な同居の色合いが濃くなっているとは言え、基本は単身者向けの住宅。バイトの収入は上々だが安心して暮らせる
とは言えないし、就職への足がかりになる最終年次への進級が確定したばかり。まだまだ準備途中どころか始まったばかりだ。肝心の子どもが置き去りに
ならないようにするためにも、子どもが出来てから生活基盤の構築に慌てふためくのは良くない。
 そのためには、やっぱり俺の就職がカギになると思う。不況や就職難と繰り返される昨今だが、研究室に仮配属になったことで聞く学部4年や院生の人達の
話や後半の学生実験担当の教官からの話から、俺が居る工学部、とりわけ電気電子と機械は就職に困ることはないようだ。民間企業なら誰でも夏休み前
までに1社は内定を得ているという。それは「就職は心配しなくて良いから卒業若しくは修了までしっかり勉強しておけ」という大学と企業の思惑や利害が
重なった結果らしい。
 一方、晶子はそうもいかない。基本は説明会や各企業を歩きまわって資料や案内を得て、採用試験と面接をいくつも受けて内定を得るものだという。大学で
落とされることはあまりないが、事務職、とりわけ大手になるほど募集は少ないが希望者は多く、当然狭き門になる。民間企業で駄目なら公務員という感覚
ではなかなかうまくいかず、民間企業と公務員の両方を並行して進めないといけないそうだ。
 だから、卒研がある4年でも俺と晶子では様相が大きく違う。俺は就職先を早々に決められても晶子は希望先を探して歩き回ることになる可能性が高い
くらいだ。じゃあ晶子は専業主婦になるつもりかというとそんなことはない。自分の最低限の生活費くらいは得るために就職先を探すと言っている。いくら
子どもが好きでも先立つものがないと大変なことくらい、晶子は十分分かっている。

「晶子は何時くらいに子どもが欲しいと思ってるんだ?」
「そうですね…。出来れば20代のうちに、と思ってます。体力的な問題やリスクを勘案すると早い方が良いですから。」
「尚更、俺の役割が重要になってくるわけだな。」

 高齢出産が当たり前のように、むしろ「働く女性」の王道として20代は仕事や遊びに費やして30代で出産という青写真が綺麗に描かれているが、年齢で
高まるリスクや体力面での問題は避けられない。あまり早いと出産機能が未成熟だからかえって危険−この辺を学校の保健体育で教えておくべきだと思う−
だが、10代後半から20代での出産がベストだ。
 出産が絡むと女性は基本心身共にそれに専念する態勢になる。それだけ出産が一大事ということだが、その間収入の減少は不可避だ。1人で産み育てる
ならまだしも、晶子はそれを望んではいない。晶子が出産で手を塞がれている間の収入は俺の双肩にかかるのは必然だ。

「祐司さんに、夫におんぶに抱っこになるつもりはありません。その時まで出来る限りの準備を祐司さんと二人三脚でしていきたいんです。」
「新婚の期間っていうのは、子どもを迎えるための準備期間でもあるのかもしれないな。」
「全く同じ思いです。夫婦はどちらが欠けても夫婦じゃないんですから。…マスターと潤子さんの受け売りですけど。」

 夫婦はどちらが欠けても夫婦じゃない。単純かつ明快だな。マスターと潤子さんがそれを言った時は憶えがない。多分、晶子が俺の家に戻る際に言ったこと
なんだろう。

「私…、祐司さんにも、マスターと潤子さんにも色々なことを教えてもらいました。女であることを理由にして人の心を試したり人を翻弄してはいけない。
駆け引きは夫婦やカップルでするものじゃない。祐司さんに夫になってもらいたい、祐司さんと夫婦になりたいと思っていた筈なのに、何時の間にかその
気持ちを何処に持っているか見失っていた…。祐司さんからのメールと、マスターと潤子さんのお話で気づかされました。」
「…。」
「ですから、この旅行に出る時から常に妻としての立場や役割を考えて、それを実践しようと思ってるんです。それが私には一番相応しいんじゃないかって
気がします。」
「俺もそうしてもらった方が良さそうな気がする。だから、晶子は今のままで良い。」

 しんみりかつ神妙に語った晶子は、嬉しそうに頷く。自分らしい自分−俺はいまいち掴みづらいから「安定して自我が保てる自分の立ち位置」と認識して
いるが、それは誰もが何時でも主役になることじゃない。誰かの補佐やサポートになることも立ち位置の1つだし、主役ばかりで世界は成立しない。主役は
補佐やサポートの役割に感謝して保護するし、行動に責任を持つ。それが俺と晶子が関係を続ける上で理想的な立場や役割だと思う。

ああ、だから…、
晶子は俺との関係に執念や執着とも言える強いこだわりを持っているんだろうか。

 晶子にとって自分が安定出来る男女関係は夫唱婦随型で自分は夫のサポート役に徹すること。その対価として夫が自分だけを愛していて、夫が心変わり
する心配はない。俺はその理想が実現しやすいと正確な時期は分からないがかなり早い段階で確信したことで、既成事実を積み重ねることも含めて一気に
距離を縮めて俺を確保したんだろう。
 理想の異性と出逢う可能性はごく少ない。人口の半分は男か女とは言え、その中で自分の行動範囲で出逢える異性の数はかなり限られる。理想となれば
その高さに反比例して更に数が少なくなる。必死で漁ったところで見つかるとは限らない。経験や視野を広げると称して手当たり次第に異性を付き合って
ベストの選択をしたとしても、選択した相手が相思相愛を受け入れるとも限らない。自分が選んでいると思いきや体よく遊ばれているだけだったりすることも
ある。
 その対極として、やり直しもリセットも出来ず、回数もごく限られる出逢いと選択の中で、自分の理想が叶うと直感で判断したら素早く行動に出ることがある。
直感が誤っていたら大損害を被る危険はあるが、結婚やその後の生活は早期に固め始めることが出来る。子どもを待望する晶子が理想を叶えるには後者の
手段を執るのが最適だろう。俺との結婚やカップルより強い夫婦関係へのこだわりの理由がようやく理解出来て来た気がする。

「俺が持てる花は1本だけだ。1本を持ちながら別の花が育つのを待つとか器用なことは出来ない。」
「祐司さん…。」
「だから…、俺に良い香りと上手い果実をもたらすことに専念すれば良い。晶子はそれが十分出来てる。それで良い。」
「…はいっ。」

 改めて頷いた晶子は感慨に打ち震えている。晶子がもたらす香りはどんな香水より心を和ませるし、果実である料理と肉体は何度食しても美味で飽きない。
それは感謝として伝えていたつもりだったが、晶子は分かっていると思い込んでいた側面は否定できない。夫婦だからじゃなくて夫婦だからこそ感謝を
伝えたり思いやったりすることが必要だな。

「良い香りと美味しい果実って、上手いたとえですね。」
「花から連想しただけだ。」
「そういったたとえがすっと出てくるのは、知識が深い証拠ですよ。」

 たまたま上手く言えただけなんだが、晶子は甚く感心した様子。少し屈んでいた姿勢を勢いよく元に戻す。

「あ…。」
「危ない!」

 姿勢を戻した勢い余ってバランスを崩した晶子をとっさに抱きとめる。…間に合った。まだコートが手放せないこの時期に池に転落したら大変なことになる
危険もある。

「驚かすなよ…。」
「御免なさい。」

 俺が右手一本で抱える晶子は、本当に軽くて柔らかい。特別腕力があるわけでもない俺が、完全にバランスを崩していないとはいえ横倒しになっている
晶子を腕一本で受け止められるくらいなんだから。晶子が姿勢を戻すのに併せて抱えたまま持ち上げるように動かす。姿勢を戻すのにそれほど時間は
かからない。

「ありがとうございます。」
「手を繋いでいたのが幸いした…かな。」

 場合によっては俺も道連れになって池に落ちる危険もあったが、腕一本だけで完全に落下を防げたのと姿勢を戻すのに殆ど力が要らなかったのは手を
繋いでいたことが大きいように思う。ビギナーズラックじゃないが、俺としては珍しいことをしたことで良い方に転んだんだろうか。

「それはあると思います。」
「断言するのか。」
「勿論ですよ。それに、抱きとめてもらった時に力強さや逞しさを感じました。」

 中肉中背でこれといった特徴がない体つきの俺には、力強さや逞しさって言葉は俺とは縁の薄い言葉だ。だが、昨日の風呂でも晶子は俺に男性的な
要素を感じているとしきりに言っていたし、俺の実家に連れて行った時も俺のコートを着て大きいとしみじみした様子で言っていた。
 男性の多くは背中の広さや体格の良さを同性と比較することはあまりない。俺も自分の体格は服が入らなくなるほど太ったとかいうレベルに達しない限り
殆ど気にしないからどんなものか知らないが、それほど身長差がない筈の晶子から見ると俺は身体の大きさや力強さといった男性の要素を強く感じさせる
もののようだ。言われ慣れないが言われて悪い気はしない。

「これからも手を繋いでくださいね。」
「…ああ。」

 全てを知って教えた仲の深まり度合いはさておき、プライベートでの手を繋ぐことくらいもっと積極的にしても良いだろう。何かと周囲が不快に思わないか
どうかを考えて来たが、極端な話手を繋いでいるだけでもやっかみの対象になりうる。俺の場合は相手が明らかに見栄えする晶子なのもあるが、手を繋ぐ
ことはもっと楽に考えていこう。
 白虎池から東に川を下に見ながら歩いて、神苑東側に到着。まずは蒼龍池−白虎があったから残り3つのうちどれかはあるだろうとは思っていた−。
こちらも池と言うより湖の広さに今度はカキツバタ−案内があった−が植えられ、そこに島と飛び石が浮かんでいた。白虎池同様、手を繋いで臥龍橋という
名の巨大な飛び石を渡ってみた。飛び石1つ1つは大きいが足を踏み外せば池にまっさかさまなのは変わりない。俺が渡って晶子を先導して渡らせる、
ありがちなことをしてみたが晶子は随分感激した様子だった。
 まだ見頃の季節には早いカキツバタの緑の絨毯を後にして南下。三たび湖のような池が表れたが、今度は自然や落ち着いた佇まいから一転した壮大な
雰囲気。観光案内で見ると神苑内で最大面積の池の岸に1つ、池を跨ぐ形でもう1つ神道の雰囲気を帯びた建物が鎮座している。栖鳳池(せいほういけ)という
この巨大な池を跨ぐ、橋の役割も兼ねている泰平閣という建物で俺と晶子は一息ついている。

「こんなに広い池が市街地にあるなんて凄いですね。」
「そうだな。観光案内の地図じゃ想像出来なかった。」

 一昨年の夏にマスターと潤子さんに2泊3日で海に連れて行ってもらって以来、広大な水場に接する機会から遠ざかっている。大学にも競泳用のプールが
あるらしいが、一般教養の体育では水泳の講義なんてなかったし、関連するクラブやサークルにも入っていないから近付くこともない。大学ってのは同じ
敷地にあっても自分の学部学科や興味に関係がないと無縁のままになる場所が多数存在する。
 普段の生活で水に接すると言えば洗面と入浴、洗濯くらいのもの。そのどれもが生活に密着したものだから水場そのものを眺めたりすることもない。旅行は
日頃の生活では接する機会がない場所や物事に触れることが醍醐味だと思うが、今はまさにその真っ最中だ。

「水って何だか不思議ですね。此処や海のように広くて綺麗な集合だと心が安らぎますし。」
「生活で使うこと以外でも、精神安定の要素としてある程度以上の広さの水場は必要なのかもしれない。緑と同じで。」

 人間は1週間食べなくても生きられるが3日水を飲まないと死ぬという話を聞いたことがある。意識しなくても1日の中で水やそれを含む色々な飲料を飲む
機会が必ずあるように、水を飲むことは生活の重要な要因を占めている。水道があるから災害以外で水に困ることはまずない。じゃあ水道があるから必要な
水は全て得られるかと言えばそうとも言えないようだ。
 有史以来、文明は水辺、特に大河を起点として発展・拡大してきている。飲み水としては勿論、農作物を得るための灌漑に必要な水を得るのに淡水が
一定量流れている川は何かと都合が良い。生活で出るごみや排泄物も人間の数が少ない時代だったら流せば解決出来た。日本もその例に漏れないが、
歴史を見ると水との関わり度合いの違いが影響している場面がある。伝染病だ。
 医療が未発達でそれこそ神頼みが基本だった時代、伝染病は町一つ潰す強力な殺戮兵器になりえた。日本でも此処京都のお隣である奈良に大仏が建立
されたり各地に国分寺が建てられた時期に天然痘が流行したように、八百万の神のおかげで伝染病とは無縁だったとはとても言えない。だが、欧州と違って
日本ではペストやコレラや赤痢の類はあまり大規模に起こっていない。それは、水との関わりが大きかったためだと考えている。
 ペストやコレラや赤痢は汚水と密接な関係がある。水の循環が鈍い地域で人口が密集すると、排泄物を含む生活排水で水の汚染が急速に進む。そこは
ネズミや細菌の温床となるからペストなどが発生しやすくなる。ヨーロッパは国土に対してさほど川が多くない。日本は支流を含めて狭い国土に川が入り
乱れているし、四方は海で囲まれている。生活排水を海や川に流せば済むレベルだった時代は、水が多い≒水の循環が良いことでペストのように汚水が
呼ぶ伝染病が発生しにくかった。これが江戸時代あたりになると排出される生活排水に対して水の循環が追いつかなくなって話が変わってくるが、水との
接触度合が異なる日本とヨーロッパの違い−優劣ではない−が見える。
 雨として地上に降り注いで川となって海に流れ、陽光で熱せられて蒸発するという地球規模の循環だけでなく、人体レベルの水の循環もかなり重要だ。水を
飲むのは水分補給もさることながら、寝ているだけでも行われる代謝の結果生じる体内の不要物や有害物を排出するためだ。生活でも飲み水を取る上水が
あれば排水を流し出す下水が必要なのと同じで、体内の不要物を流し出さないと色々と問題が生じる。
 排泄は性教育と並んで色もの扱いだが、必要以上に忌み嫌ったり敬遠することで特に女性で便秘やそれに伴う身体の異常に見舞われている人は多い。
それも排泄すなわち身体の不要物を流し出す機能が不十分な証拠。下水の配管が詰まったままで都市機能が正常なままで居られないのと同じだが、
自分の身体の機能よりグルメと言う名の金で買う飽食とダイエットという相反する項目の両立の方が大切らしい。

「それは言えますね。身体の維持に必要不可欠なものですから、それがたくさんあるのを目の当たりにすることで心が落ち着くのかもしれないですね。」
「推測だけどな。」
「此処見たいに大きな池や海に面した場所が人々の憩いの場所になることが多いのは、祐司さんの推測が荒唐無稽なものじゃないことの表れだと思い
ますよ。」

 夏場に海水浴でにぎわう場所だけでなく、海に面した一角−たとえば港の一部を公園にした臨海公園や海浜公園は日本のあちこちにある。新京市も
小宮栄も海に面していることで港や工業地帯があるし、海に面した広大な公園があって商店街や遊興施設が隣接している。行ったことはないがどちらも
かなりの面積らしい。

「海や川のほとりに大きなビルやマンションが建てられるのも、見晴らしの良さに加えて水辺の安心感があるのも要因かな。」
「リゾートホテルでも海の近くのものは高級だったりするそうですから、それはあると思いますよ。」

 一時期日本を席巻したバブル経済で目立ったが、それより前から現在に至るまで大型開発は高層建築と臨海部の埋め立てに大別出来る。その両方が
合わさったものが臨海埋立地の高層マンションや高層ビルだろう。新京市では聞かないが、小宮栄では港以外の臨海地域を埋め立てて大規模開発を展開
している。そこには高層マンションとオフィスビルが続々建てられ、小宮栄と県−新京市も同じ県−が人の入居や企業の誘致に力を入れている。
 熱の篭った呼び込みに対して、効果すなわちマンションへの入居や企業の誘致はかなり鈍い。色々な要因があるが、1つは価格だ。分譲マンションは元々
裕福な人を対象にして建設したとは言え、平均価格帯で数千万円。広い間取りや最上階は億の単位に達する。バブル経済の時期ならそれでも売れた
だろうが、それ以降の経済状況でそんな高価なマンションを買える人はごく限られてくる。
 ITや株取引で多額の収入を得た話はよく聞かれるが、それを手がけた人の多くが継続的に多額の収入を得ているかといえば決してそんなことはない。
儲けた人も一時的なもので何かの拍子に大きな損失を被って最悪差し引きマイナスになることもある。バルブ経済の源泉がITや株に変わっただけのことだ。
 一種の賃貸マンションといえるオフィスビルへの入居も、高額な家賃がネックになる。フロアの一角の数十uでも数十万円。1フロアとなれば百万の単位は
くだらない。分譲マンションと同じくバブル経済時期ならそれでも誘致は見込めただろうが、今では家賃で企業が躊躇してしまう。
 通勤通学に便利だからと割安だが時間がかかる郊外より割高だが近くに住める都市部や駅周辺の物件に人が集まるように、価格が青天井でも利便性が
高ければ購入に積極的になれる。だが、臨海部の交通アクセスはどういうわけか図ったように不便だ。既存の都市部でJはRと複数の私鉄、さらには地下鉄が
交錯しているのに、臨海部だと通じている路線は1本か2本、しかも各駅停車のものしかないというのはパターン化している。
 危機管理が叫ばれる昨今、国レベルだと軍備増強で地方レベルだと行政機能の集約が筆頭に挙がる。だが、交通網が不便なところに危機管理とやらで
拠点にする庁舎を移転するのは首をかしげざるを得ない。危機発生の際に職員は徒歩と水泳を組み合わせて登庁しろと言うつもりなんだろうか。
 災害、特に日本で発生する確率が高い地震もそうだし、国レベルの危機すなわち軍事衝突で危険度が高い建造物の1つは橋だ。地震や水害で交通の
要所になっている橋が潰れて交通網が寸断されることはよくあることだし、爆撃では陸路の交通網寸断のために橋が狙われる。橋での移動が必須の
臨海部は国レベルでも地方レベルでも危機管理の拠点にするには向かない。
 軍事レベルの話は高校時代に耕次が言っていたことだ。相手の移動を阻むことと−兵力と物資両方−川が多い日本の地形を考慮したら何処を攻めるか
考えると、日本の陸路を寸断するには橋を落とすのが手っ取り早くて有効だし、橋での移動が必要な臨海部に拠点を置くのは危機管理が失笑するものだと
言っていたな。

「あの建物って…結婚式場になる場所ですよね?」
「そうだな。」

 晶子が南方向に見つけた、池の向こう側に鎮座する建物は平安神宮会館。晶子が神苑と行く方向を迷った場所だ。観光案内で位置関係を見ると、神苑は
本殿を北方向からすっぽり覆うように広がっていて、東側は西側よりかなり張り出していて南で平安神宮会館と隣接している。

「神苑の入り口が此処。境内の西側で道のりに沿って時計回りに移動してきて、今は此処に居る。」
「随分歩いたんですね。」
「随所で観光案内を広げたんだが、歩いた距離までは実感がなかったな。」

 晶子が広げた観光案内を覗き込む。平安神宮会館との位置関係を見てから再度平安神宮会館を見る。最初に迷っていた様子だったから、別角度から見て
改めて憧れを強めているんだろう。

「花嫁行列は見られる保証はないけど、次はあそこに行ってみるか。」
「良いんですか?」
「行きたいって雰囲気が感じられるし、急ぐ理由もないからな。」

 以心伝心とは少し違うが、平安神宮会館を見る横顔から晶子が何を考えているかくらいは分かる。俺と晶子に合わせる筈もないから花嫁行列の拝観は期待
しない方が無難だが、大規模な神前婚の建物を見物するだけでも十分だ。
 泰平閣から少し北に進んだところにある尚美館という建物から西にある出口から神苑を出た。続いて神楽殿を横目に南下して応天門から境内を出て、道路
沿いに東に進む。純和風の平屋建ての建物が平安神宮会館だ。神社そのものが意外と新しいのもあってか、平安神宮会館も比較的新しい建物だ。
 結構人の出入りが多いと思ったら、結婚式が執り行われるようだ。黒スーツと白ネクタイの男性や和風洋風様々な女性が数人ずつ入っていく。俺と晶子と
同じく平安神宮を拝観するついでか或いは結婚式にあやかろうとしているのか不明だが、会館周囲にはカップルと思しき男女や若い女性がそこそこ居る。

「結婚式があるんですね。」
「平日だからどうかと思ったんだが、休日だけじゃ会館の空きを待たなきゃならないか。」
「冠婚葬祭には、今くらいの時期が出席する人にとっては好都合かもしれないですよ。」

 晶子が説明する。男性女性問わず出席者の服装は襟元から足元まできっちり固められたものが多い。男性だとスーツ、女性だと着物が特にそうだが、
それらは見栄えは問題ない一方で通気性が良くない。しかも色は黒が基調だ。日光を吸収してその熱の逃げ場がないから服の内側に熱がこもる。

「なるほどな。式場で着替えるわけにもいかないし。」
「重ね着で調整するものでもないですから。」
「着物だと特にそうだろうな。」

 着物の構造はよく知らないが、帯を締めるとそれまで着たものが着脱不能になるようだ。見栄えは良いけど動きづらいし食事やトイレで一苦労するという
話は、成人式で聞いた。機能性では洋服に軍配が上がるな。

「そう言えば、晶子の着物姿は見たことないな。」
「着物は持ってないんです。一応着つけは出来るんですけど。」
「着付けも出来るのか。大したもんだな。」
「実家に居た時教えられたんです。」

 着付けはかなり手間と時間がかかるらしくて、自分で着られる女性はそう多くない。成人式や卒業式あたりで美容院が大混雑するのは、髪形を整える
−着物を含む和服で髪を下ろすのはあまり似合わない−のと着付けを両方する女性客が集中するからだ。
 晶子は実家との確執があるせいで、俺より1年早かった成人式のために帰省していない。1人暮らしで着物を持ち歩く人はまず居ない。となれば、着る機会も
なくて俺が見る機会もなかったのは当然だ。着物姿を見たいから実家から取り寄せろとか言うのは常軌を逸している。

「私が着物を着たところ、見たいですか?」
「ん…。着物の親戚みたいな浴衣を見てるからな。」
「やっぱりドレスですか?」
「そうだな。そちらの方が晶子の希望とも重なるようだし。」
「祐司さんにはぜひ見てもらいたいです。」

 晶子のウェディングドレスへの憧れはよく知っている。俺とて着物姿に興味がないわけじゃないがウェディングドレスの方を見てみたいし、変な言い方だが
丁度良い。

「花嫁行列が出て来るまで待つか?」
「いえ。それが目的じゃないですから」

 花嫁姿への憧れはあっても、今俺と行動している目的を変異させることはしない。立ち寄ることで見られれば良いなという期待はあっても、見るまで移動
しないという子どもじみた我儘は言わない。この辺は晶子も十分弁えている。

「次は銀閣寺ですよね。一番近いバス停は何処ですか?」
「どれどれ…。此処から南に行ったところにある京都会館美術館前か、此処に来る前に通過した熊野神社前かのどちらかだな。どちらに行ってもそれほど
差はない。」
「あ、本当ですね。」

 晶子が観光案内を覗き込んでくる。近眼でもない晶子は身を乗り出すようにしなくても十分見える筈。…観光案内を見るのと俺にくっつくのを両立
させてるな。全然悪い気はしないが、やっぱりちょっと照れくさい。

「どうやら32番か100番の路線だと銀閣寺に一番近いな。路線図をたどると…こう。」
「ああ、左回りなんですね。それだと32番が通っている京都会館美術館前の方が便利ですね。」
「決まりだな。」

 なぞ解きをするような感覚で路線図を読み取って最寄りのバス停を決める。スマートなエスコートとは遠いが、新婚旅行は男性が女性をもてなす接待や
審査の場じゃない。見知らぬ場所や場面で2人で最適な道を選ぶ練習だと考える俺は、晶子以外の受けはさぞ良くないだろう。それが晶子の安心の材料に
なるならむしろそのほうが良いんだが。
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