雨上がりの午後

Chapter 248 臨時親子の旅日記(16)−好きな人とものの喩え−

written by Moonstone

 俺が晶子に提供している環境や関係には、強要や支配の意図はない。その辺のところを「男女平等」にご執心の方々は理解しないが−「出来ない」では
ない−、俺は一度も晶子に俺が勉強で忙しい時には掃除や洗濯もしろとか弁当を作れとか言っていない。一緒に住めとも言っていないのは勿論だ。愛する
相手と一緒に居る。愛する相手のために出来ることをする。それが晶子の生きがいであり、「ありのままの自分」なんだろう。それを全面的に受け入れている
俺は晶子にとって「ありのままの自分」を受け入れる相手だから「俺なしでは生きられない」、と考えれば筋は通る。
 何が晶子をそこまで駆り立てるのか、未だに俺は分からない。財産狙いならまったく的外れだ。実の息子である俺でも、実家に狙うような財産があるとは
思えない。財産と言えるだけの金があるなら「大学へ行くなら国公立」という条件が進学への前提になる筈がない。俺の実家の素性は、晶子もついこの前
知ったばかりだ。バンド仲間との旅行帰りに案内した俺の実家を前にして、晶子は緊張した様子は見せても財産狙いからくる落胆や幻滅は微塵も
見せなかった。
 財産狙いなら俺と付き合うにしても遊び感覚で十分だ。自分の生活費をバイトで補填する身の俺から搾り取れる金の額はそれほど見込めない。上手く
たぶらかして貢がせるとしても、欲しいものを買うだけ買わせる財布かATM代わりの男に身体を許す必要はない。餌代わりに身体を許したとしても−俺には
そういう概念自体理解出来ないが−、相手の家に住み込んでまで許す必要はない。ホテルあたりで天井のしみでも数えながら我慢するだけで十分だ。
ましてや誕生日プレゼントに贈った指輪を後生大事に填め続け、しかも結婚指輪と公言するようなことは考えられない。その日のうちに質屋や宝石店にでも
持って行き、大した金にならないと知ったら舌打ちしてどぶに捨てるのがオチだ。
 それでも我慢して、実は俺の貧乏学生ぶりは世を忍ぶ仮の姿と見込んで俺との付き合いを続けたとしても、小ぢんまりした、とても狙うだけの財産があるとは
見えない実家を目の当たりにすれば、その場で踵を返すか翌日にでも縁切りをする。隠れ金持ちでないと分かったのなら、俺と我慢の時間を過ごす必要は
ないんだから。
 財産もない、見かけ没落したが実は名の知れた旧家でもない俺の実家に案内されても、晶子は俺から離れない。離れるどころかより距離を縮める方向に
走っている。弁当を作ってくれるようになったのも、俺の家に住み込むようになったのも旅行から帰った後だ。財産狙いでもなければ旧家の嫁狙いでもない
晶子の俺への強烈な依存心や執着の理由は、やっぱり分からない。唯一考えられるのは・・・晶子が過去に失ったらしい幸せを俺との生活に見出すため。
だが、それでも相手は俺でなくても良い。兄さんに似ているらしい俺でなくても、見せびらかせて鼻を高く出来る男は他にも居る。
 晶子が「ありのままの自分」で居られる相手が俺でなくてはならない理由はないし、これも分からない。だが、俺は晶子の真摯で一途な求愛を嬉しくは
思っても疎ましくは思わない。日々の殺伐としやすい生活を豊かにしてくれる晶子を追い払う理由はない。

「お母さんには、お父さんが必要なのよ。」
「!」

 めぐみちゃんに負けじとばかりのストレートな表現は、俺の胸にダイレクトに突っ込む。だが、ここまで言い切れる晶子の一途さとそのエネルギーが、色々
ありながらも俺と晶子を結びつけたんだよな。

「お母さんが、お父さんのこと凄く好きなのが良く分かった。お父さんは、どう思う?」
「勿論、嬉しいぞ。」

 何となく話を振られる予想をしていたら本当に来た。俺は反射的に答える。晶子の強い想いとそのエネルギーは俺と晶子を結びつけて、疲れを吹き
飛ばして明日への活力を齎してくれている。
 俺も・・・晶子が凄く好きだ。俺と晶子を交互に見て嬉しく満足げな笑顔を浮かべるめぐみちゃんを見る一方、そんな思いを込めて晶子を見る。同じく
めぐみちゃんを見ていた晶子と目が合うと、めぐみちゃんに向けていたものと色合いが異なる、俺だけに向けられる微笑を向ける。「嬉しいです。ありがとう。」と
その瞳が言っている。
 坂道は尚も続く。上っていくにつれて人の数が増えてきたように思う。遠くに小旗を先頭にして移動する集団が見える。観光客だろう。まだ桜のオフシーズン
なのにこれだけ人が来るんだから、観光シーズンの混雑は相当なもんだろう。

「人が増えて来てる。」
「観光に来てる団体の人達が居るのもあるわね。」
「入れるかな・・・。」
「団体さんだと一定時間が過ぎると次の目的地に行くから、待っていれば入れるわよ。」

 少し不安な様子を見せためぐみちゃんに−表情が目まぐるしく変わる−、晶子が言う。
 晶子の言うとおり団体客はスケジュールに沿って行動するから、一定時間で移動する。その分ごっそり空間が出来るから入りやすくなる。逆に団体客が多数
居たり長居したりすると渋滞を起こすんだが、旅行会社もその日の混雑状況まで把握したり対策を講じたりはしないし出来ないだろう。それに、観光ツアーで
来ていない俺と晶子のような観光客はそもそもスケジュールがないから、団体客から見れば行動を阻害する要因にもなりうる。こういう時に「お互い様」という
表現を使うべきなんだろう。
 進むにつれて人の流れが鈍ってくる。移動出来ないわけではないが数歩進んでは止まるといった具合だ。思い切った行動を促したりする際の常套句でも
ある「清水の舞台」を訪れる観光客は、オフシーズンだからといって極端に減ることはないようだ。

「めぐみちゃんを今のうちに抱っこしておこう。」

 何度目かの停止で提案する。混雑が緩和される見込みはない。更に混雑はめぐみちゃんよりずっと背が高い大人で構成されている。金閣寺の時と同様、
混雑の中で1人圧倒的に背が低く、混雑に耐える力も弱いめぐみちゃんをこのまま歩かせるのは危険を伴う。

「そうですね。めぐみちゃん。お父さんに抱っこしてもらいなさいね。」
「うん。」

 晶子の支持も得て、俺はめぐみちゃんを抱っこする。抱っこしなかった時間が出来たことで、めぐみちゃんを直接支える左腕にずっしりと重みを感じる。20kg
くらいか?小学生直前の幼児の平均体重なんて知らないが、米袋より重く感じる。
 俺が大食いとはいかないまでもかなり食べるから、家の米の消費は結構多い。ご飯のある食事は家の外で食べるか中で食べるかの違いでしかなかった
時期、すなわち晶子と出逢って一緒に食事をするまでの時期より格段に増えたから当然と言えばそうだ。今では米は大体一月に10kgのペースでなくなる。
大体月末に買うことが多いが、その時は大抵俺が持つ。晶子は晶子で肉や魚や野菜がぎっしり詰まった袋を持つし、これは俺が持ってあれは晶子が持つと
明文化していない。自然とそうなっただけだ。晶子は時に刺身をはじめ様々な魚料理の材料になる魚を丸ごと1匹何の躊躇もなく持つし。
 俺は左側で物を持ったり抱えたりする癖か習慣か、そういうものがある。これも意識的にしてきたわけじゃなくて、自然発生・成立のものだ。ギタリストの端くれ
なら左手をカバーするのが王道なんだろうが。10kgの米袋を袋に入れて持ち運ぶと、重くもあるし痛くもある。袋の紐の部分が強く引っ張られて手に食い込む
からだ。最初のうちは癖で左手で持っていたが、持ち運びのしやすさをあれこれ考えた結果、左腕で抱えるスタイルで落ち着いた。
 そう言えば・・・、丁度今めぐみちゃんを抱っこしているように、左腕で重みを受け止めて左肩に寄せ掛け、余裕があれば右手を添える−他に買い物袋を
持っている場合もある−というスタイルでの持ち運びを始めた直後、晶子は「子どもを抱っこする練習ですね」と持ちかけたな。俺は確か・・・「子どもは米袋
みたいにじっとしてくれないだろうな」とスーパーで騒いでいた子どもを連想しながら答えたと思う。その時は晶子の子ども好きを改めて感じると同時に
子どもを抱っこするなんて何時になるかと思っていたが、今こうして代理として抱っこしてるんだから驚きだ。
 めぐみちゃんは意外なほどじっとしている。落ちるのを怖がるのは勿論だろうし、あまり考えたくないが、大人の気に障るような行動を過剰に自省しているのも
あるんだろう。抱っこしやすいのは良いが、エネルギーに満ち溢れる幼児らしいとは言えない。
 少しずつ進んでいくにつれて、進行速度が遅くなってくる。改めて見ると客の年齢層は高めだ。俺と晶子は明らかに若いし、めぐみちゃんは言わずもがな。
親子連れという形の俺と晶子とめぐみちゃんは、かなり浮いて見える。

「暗くなってきた。」
「もうそんな時間か。」

 めぐみちゃんの言葉で俺はふと空を見上げる。夜にはまだ遠いが、空は西の方から微かに青色が深まっている。まだ本格的な春は少し先のこの時期、
夕暮れ時はかなり早い。

「今5時過ぎですから、この時期だと暗くなり始める時間ですね。」

 晶子が携帯で時刻を見る。もうそんなに時間が過ぎていたのか。めぐみちゃんと出会ったのが昼前、京都御苑を出たのが昼過ぎだったことは憶えてるが、
そんなに時間が過ぎたという感覚がない。
 晶子と2人きりだったらまったりのんびり時間が過ぎていただろう。普段の土日もそうだ。レポートや最近だと試験の準備で忙しくても、時間の進みは
緩やかだ。時間の感じ方自体が、空腹を感じたり晶子が休憩や買い物、そしてバイトへ行くと呼びかけることで時刻を知って、ああそうかと思う程度なのも
ある。気づいたらこんな時間だったという時間を飛び越したような錯覚を感じるのはバイトの時だ。他にはようやく終わった学生実験の時。前者は疲れと共に
1日の大きな区切りを実感する充実の時でもあるが、後者は徒労感を感じることが多かった。あれこれ進めて指示を出して、智一が食事や休憩と言い出した
ところで、いたずらに時間だけが過ぎていたことを知るからだ。
 めぐみちゃんの親の代理をするようになって、めぐみちゃんを中心に話をしたり移動したりしているように思う。親の立場からの話は普段の生活で聞く機会が
ほとんどないから「親の1日」がどんなものかよく知らなかったが、子どもを中心に行動しているとあっという間に時間が過ぎてしまうものなんだろうか。

「暗くなると、入れなくなる?」
「拝観−お寺に入れる時間の制限はあるだろうけど、まだ十分時間はあるから大丈夫よ。」

 めぐみちゃんが気になるのは、暗くなる=夜になる→清水寺に入れなくなるという図式のようだ。まだライトアップの季節じゃないが、夕暮れと同時に門が
閉まって本日の拝観時間終了とはならないだろう。そうでなかったら、清水寺に向かう人の波がこうして続く筈がない。
 宿の夕食時間は一応決まっているが、客の準備が整えば運んでくるというかなり緩やかな形式だ。今日はめぐみちゃんが加わることも先に伝えてあるから、
食べる場所や食膳の追加も手配される。時刻を気にして拝観の列に並ぶ必要はない。
 この旅行自体、この日はまずこの時間に此処へ行ってどれだけ滞在したらこの道のりで次へ、といった具合にスケジュールを決めていない。そもそも何処へ
行くかもろくに決めていない。京都へ行くことであっさり合意して、まず京都御苑からという流れで始まった。それも話し合いというほどのレベルじゃない。
普段が講義と実験とレポート、半年に1回ペースの試験で密度が濃い反動か、それ以外での俺の生活はかなり気ままだ。晶子と知り合う前も、ギターを
弾いたり演奏データを作ったりといった音楽関係以外は、気が向いた時に食べてそれ以外は寝るような生活だった。勿論その時の彼女だった宮城との
付き合いは真剣だったが、彼方此方出歩くことにはあまり気が向かなかった。晶子と付き合うようになって、その親密度合いが深まっても、生活の志向は
あまり変わっていない。晶子も彼方此方出歩くより家で本を読んだり音楽を聴いたり、晶子ならではとも言える料理を作ったりする方が性に合っているという
タイプだ。
 晶子が「あそこに行きたい」と意志表示したのは今まで一度だけ。あれはまだ・・・半年前なんだな・・・。マスターと順子さんも行った、2人の名前を書いた札を
投げると一生結ばれるというジンクスがある「別れずの展望台」へ行きたいと言った、あの一度だけだ。あの場所には公共交通機関が通っていなくて、場所が
場所だけに2人きりで行きたいから、晶子の強い意向を叶えるためにレンタカーを借りて赴いた。思えば・・・あの日を契機に夜の頻度が急速に増したな。
あの日あの夜、思いつく限りのことを晶子にしたし、晶子は俺にしてくれた。壁を突破した若しくはたがが外れたことで、スキンシップの一環として夜の営みに
臨むようになったのかもしれない。
 晶子はあの一度の強い意志が叶えられたことで、遠出する必要性を感じなくなったんだろう。新婚旅行にしても、今までの話で時々出るには出たが、旅行
会社のパンフレットを持ち出したり、憧れの行楽地を思い浮かべながら目を輝かせるようなこともなく、時間と環境が揃って行けるなら行きたいという随分
控えめなものだった。
 晶子は決して時間にルーズなタイプじゃない。かと言って時間や期限を絶対視する潔癖とも言える完璧主義でもない。守ることは基本として、必要なこと
以外ではおおらかといった具合だ。買い物に行くにしても土曜の午前に行くことを原則としているが、それはあまり混雑しないという明確かつ合理的な理由が
ある。だが、その原則を遵守するために必死になったり、時間を過ぎたことで機嫌が悪くなることはない。
 俺も混雑を避けて早めに買い物を済ませたいという晶子の意向を知っているし分かるから、出来るだけそれに沿うようにしている。俺は時間の経過を気に
しないで没頭することが多いが、土曜の午前は時刻に注意を払っている。いつもの時間−晶子が朝飯の後片付けをして洗濯をひととおり済ませたあたりで、
晶子が買い物に行きたいと言えば、俺は応じて席を立つ。そんな生活をしている。

 進行の速度は更に遅くなり、人波の密度が増してくる。観光シーズンの京都の様子は知らないから比較出来ないが、大学への往路での電車の車内くらいの
混雑はある。大都市小宮栄とは逆方向だが新京市中心部にある官庁街−県庁や市役所の他国の出先機関が集中する合同庁舎がある−や企業に出勤する
人達と学生でかなり混み合う。立っていると誰かと常に接触するくらいの混雑だ。
 ふと、左腕に掴まれた感触を感じる。めぐみちゃんを左側に抱っこしているから直接確認出来ないが、晶子が俺のコートの袖を掴んだのは間違いない。
手を繋ぎたいところなんだが、俺はめぐみちゃんを抱っこしているしまさか下ろせというわけにはいかないことくらい百も承知だからコートの袖を掴んだと
いう晶子の心境も分かる。
 行列は少しずつ進む。混雑してはいるが、渋滞で立ち往生ということはない。晶子とめぐみちゃんが、それぞれ俺のコートの襟や袖を掴んでいる。服って
身体の一部じゃないのに掴まれたり引っ張られたりといった感覚が皮膚と同じように生じるな。
 朱色の巨大な門が近づいてくる。石段を上る人の列が少しずつ移動しているのが見える。門に近づくにつれて、その両脇にこれまた巨大な仏像が鎮座して
いるのが見えてくる。

「赤い建物の両側に大っきい人が居るー。」
「めぐみちゃんも見えるか。」
「多分、仁王様ね。」
「『におー』・・・?」
「金閣寺でも見たたくさん居る仏様と同じで、2人が組みになっている仏様よ。」

 「阿吽の呼吸」という単語にも登場する、馴染み深い仏である仁王。朱色の柱を枠にした門の両側に構えるその姿は、大きさも相俟って迫力が凄い。邪悪な
ものは入るな、と凄んでいるような形相は、門番に相応しい。

「この仏様も怒ってる。」
「仁王様は仏敵−お寺やお坊さんに悪さをしようとする敵が入らないように、ああやって何時も守ってるのよ。」
「金閣寺に居た、怒ってた仏様と同じなんだね。」

 めぐみちゃん、よく憶えてるな。金閣寺の金箔で覆われた外観に目を奪われやすいし記憶にも残りやすいが、めぐみちゃんは中で見た仏像も強い印象に
残っていたようだ。
 俺と晶子とめぐみちゃんが乗った人の波は、少しずつだが確実に進んでいく。それにつれて、門と仁王の像も大きくなっていく。大人の何倍もあろう
仁王像が、更に大きい門の両側に立っている様子は圧巻だ。守護神の位置づけは伊達じゃない。

「えっと・・・、この門は『仁王門』という名前だそうです。」

 晶子が解説する。観光案内を左手1本で広げて見せてくれる。右手は俺のコートの袖を掴んだままだ。

「この門が清水寺の正門ですね。」
「『せーもん』って何?」
「正面入り口、玄関のことよ。」

 晶子が見せる観光案内を流し読みする。別名「赤門」で国の重要文化財、か。「赤門」と聞くと東京大学のものを連想するが、京都、特に清水寺周辺の人達の
間では「赤門」と言えば清水寺の正門である仁王門になるのかもしれない。

「高いところはどこ?」
「えっと・・・ここからまっすぐ進んでいくとやがて見えてくるみたいよ。」

 めぐみちゃんが言う「高いところ」とは、清水寺を代表する「舞台」のことだろう。晶子は素早く観光案内のページを捲って、境内略図を見せる。
略図を見ると、潜っている最中の仁王門から「舞台」がある本堂までの経路に、たくさんの建物がある。小学校の修学旅行では「舞台」からの展望しか記憶に
ないが、この境内だけで1日使えそうな密度だ。
 仁王門を潜ると、それまで石段と門で圧縮されていた人の列が急に広がる。晶子も観光案内を広げて見せやすくなるが、それでも左手だけで広げ続ける
のは器用と言うか流石と言うか。

「右に見える朱色の大きな建物は西門(さいもん)、左の小さい建物は鐘楼ですね。」
「お母さん、バスガイドさんみたい。」

 めぐみちゃんの指摘で、晶子ははにかむ。紹介の仕方は確かにバスガイドに似ていた。バスガイドは俺と晶子には高校を卒業してから縁遠くなったが、
めぐみちゃんにはかなり身近な存在だろう。

「鐘楼には大晦日に鳴らされる鐘があるわよ。ほら。」
「ホントだー。」

 清水寺はその名が示すとおり寺院。寺院には鐘が欠かせない。境内や寺の規模から想像していたものより小ぢんまりして見えるが、朱色の柱に囲まれて
ぶら下げられている鐘は巨大で、見るからに重そうだ。めぐみちゃんが関心を示す鐘楼に近づいてみる。想像したものより小さいとは言え、近づいて見ると
大きさに圧倒される。朱色の太い柱は、鐘の重さを支えるために必要なんだろう。これだけ大きいと音も相当大きいだろうな。

「この鐘が鳴ると、凄く大きな音がしそう。」
「そうだろうなぁ。」

 めぐみちゃんも同じことを思っていたか。除夜の鐘が鳴らされるところはTVを通じてしか見たことがない。一度は除夜の鐘を直接聞きながら年越しをして
みたいな。

「こういう大っきな鐘ってどうやって造るの?」
「さあ・・・。お母さんには分からない。」
「金属−石より硬い鉄の仲間を色々な形にするには鋳造(ちゅうぞう)っていう手段がよく使われるけど、この鐘みたいな大きくて重いものだとどうだろうな。」
「『ちゅーぞー?』」
「あらかじめ型を作って、そこに溶けた金属を流し込んで冷やして目的のものを造る方式のことを言うんだ。」

 簡潔に前置きしてから、市販のチョコレートをハート型や星型にすること−所謂「手作りチョコ」を例にして説明する。鋳造という単語が未知のもので、金属と
いう概念もあやふやなめぐみちゃんに分かるように説明するには、身近な材料、特に食品を例にする説明が効果的だろう。
 前置きではいまいち分かりかねた様子だっためぐみちゃんも、ハート型や星型の型を用意して、熱して溶かしたチョコレートをその型に流し込んで冷やすと
ハート型や星型のチョコレートが出来ることと鋳造が等価だと分かると、目の前の濃い霧が一挙に晴れたような顔をする。

「へえー。そうやってすると色んな形の大っきくて重いものが造れるんだー。」
「そう簡単に壊せない金属も思い切り熱くすれば溶けるから、溶けた時に目的の形にしてしまうってことだ。」
「お父さん、凄ーい!」
「お父さんがこの鐘を造ったんじゃないからな。念のため。」

 濃い霧をすっきり晴らす解説だったようで、めぐみちゃんは随分驚嘆している。疎い分野である食材の加工を例にしたのは正解だったな。

「造り方を知ってるってことは、造れるの?」
「知ってるのは造り方だけだからなぁ。きちんと造れるかどうかは分からない。」
「どうして?」
「方法だけ知ってても、ちゃんと準備をしないときちんと造れないんだ。」

 俺はめぐみちゃんに、再びチョコレートとハート型や星型を作るための型を例にかいつまんで説明する。金属を溶かすにしてもそれに達する温度まで加熱
出来る炉が必要だ。金属を溶かすつもりが炉が解けてしまっては話にならない。どうにか金属を溶かしても、型に流し込んで溶けたらこれまた無意味だし、
かと言ってある程度壊しやすくないと型に封印する羽目になってしまう。

「−だから、溶けた金属を流し込んで冷やしたら、外すか壊すか出来るような材料にしたり造り方にしておいたりしないといけないんだ。それ相当の環境や
設備が必要なんだよ。」
「ふーん。」

 めぐみちゃんは興味深そうに聞き入っている。鋳造という言葉1つにしても専門用語やある水準の知識を必要とせずに誰かに説明するには、なかなか
難しい。卒研ではどの研究室でも週1回程度の頻度でゼミがあって、俺が本配属を希望している久野尾研では学部4年がゼミを主導する。ただ並んでいる
単語や文章を読み上げていくのではなく、定義や概念を説明したり誰かの質問に正確に答えることが要求される。今はその練習なのかもしれない。

「お父さん、凄−い。」
「チョコレートにたとえたのが当たったかな。」
「祐司さん、謙虚ですね。」
「謙虚ってほどじゃ・・・。」

 めぐみちゃんに続いて晶子からも賞賛される。無論悪い気はしないが、自分の知識を披露して褒められることはなんだかこそばゆいな。晶子と暮らしていて
音楽のデータ作りや大学の講義や実験、本配属を希望している研究室との関連を聞かれた時に答えると感心されるが、それでも毎日というほどじゃない。

「鐘って何で出来てるか分かる?」
「金属の種類って意味か?だとすると多分・・・青銅だろうな。色からして。」
「『せーどー』?」
「銅と錫の2種類の金属を混ぜ合わせた金属のことだ。」

 俺は10円硬貨を例に挙げて銅を説明する。採掘量が多くて安価なこと、他の金属と混ぜ合わせて色々な硬さや加工のしやすさの合金が出来る材料である
こと、その1例が10円硬貨であることを説明する。めぐみちゃんは、目の前の巨大な鐘と身近な10円硬貨が同じ材料だと知って、驚いた様子で鐘を見る。

「え?同じ材料なのにどうして10円玉と鐘は色が違うの?」
「原因は主に2つある。1つは混ぜる金属である錫の割合の違い、もう1つは使われる時間の長さだ。」

 俺自身あまり詳しくは知らないが、10円硬貨の青銅は銅の割合が多く、銅の色である光沢のある赤茶色がかった赤色になることと、空気中に長くさらされて
いると酸化で変色すること、変色の色は銅の割合若しくは錫の割合で変わることを説明する。めぐみちゃんは、金属材料の専門家が聞いたら失笑ものかも
しれない俺の説明を興味深げに聞いている。

「−こんなところかな。10円硬貨は長く使われてるものでも50年程度だけど、あの鐘は何百年だからな。」
「へえー。長く使われてあんな色になったんだー。じゃあ、『すず』はどんなものなの?」
「錫、か。これで身近なものというと・・・あれかな。」

 俺は少し考えて、めぐみちゃんも目にした切符の自動販売機や俺と晶子が持っている携帯電話の中にある電子回路基板の部品実装に使われている
はんだを説明の題材にする。学科が学科なせいか、錫の代表例というとはんだが真っ先に思いつくし、それ以外で錫が表に出るものが思いつかない。
 今や電気で動く道具にはほぼ全て入っている回路基板。小中学校の理科ではオームの法則、高校の物理ではコンデンサが出てくる程度の抽象的な抵抗
やらコンデンサは勿論、CPUやマイコンなど各種ICは基板にはんだで実装されている。言い換えれば、はんだなくして電子機器は存在し得ないとも言える
ほど、はんだは重要な材料だ。以前−と言っても半世紀も経ってないが、はんだと言えば錫と鉛の合金だったが、今は鉛が環境や人体に有害ということで
欧州が主導して排除された代わりに、銀や銅が錫と混ぜられる。鉛フリーはんだというやつだ。この鉛フリーはんだは俺も学生実験の幾つかで扱ったが、
中学校の技術で使った鉛入りはんだより溶け難くて使い勝手が悪く感じた。回路の規模はそれほど大きくなかったが、はんだ付けだけで午前中いっぱいを
費やしてしまうことが多かった。
 はんだ付けは1つ間違えると回路がまったく動作しないことも珍しくない。更に、オシロスコープやロジックアナライザといった測定機器を使わないと動作が
見え難い。よくよく調べてみたらはんだが1箇所ショートしていただけだった分かった時の脱力感はかなりのものだった。はんだ付けと疎遠なイメージがあった
電力関係の実験でも、はんだ付けを伴う実験は多かった。単に太い配線を結線するだけじゃなくて、マイコンを中核とするかなりスマートな回路で、重厚
長大のイメージとは違っていた。
 その実験の口答試験の後、担当教官との話で「電力回路はもはやモータを回すだけではない」という話から、自動車ももはやマイコンの塊であり、電子
回路を知らなければ自動車は作れない時代になったという話を聞いた。車を持っていないし持つつもりもないし興味もない俺だが、担当教官が見せてくれた
自動車用モータ制御回路の実物を見て素直に驚いて、しばし見入った。

 工学部は実用的・応用的なことを扱う分野であることもあってか、企業との共同研究が多い。耕次に言わせると「企業のひも付き研究費に依存することで
大学の自治や学問の自由がおざなりになる危険がある」とのことだが、実用レベルにする研究も必要だろうと俺は思う。電力関係の担当教官が所属する
研究室である堀田研は、企業との共同研究を積極的に進めている。自動車用モータ制御回路も将来の完全電動自動車に向けて、小型軽量の電池で強力な
モータを駆動出来ることを目指すものの1つだそうだ。
 ひとしきりモータ制御回路の紹介や説明を受けた後、「電気電子工学を総括するならうちの研究室」と研究室への勧誘を受けた。勧誘はありがたいし
本配属を決める際には勿論視野に入れると答えたが、結局最後まで勧誘の熱が冷めることはなかった。
 鉛フリーはんだは物性関係の研究室の1つが研究対象にしていて、その研究室の助手が担当する実験後の口答試験が終わってから、鉛入りはんだと同等
以上の機能性を持つはんだの構築は電子回路のみならず社会全体に大きな影響を与えるという触れ込みに始まる説明と研究室への勧誘を受けた。物性
関係の実験は途中からのやり直しが出来ない温度が絡むことで敬遠意識があるが、ICなど電子部品を材料から構築するという売り文句には興味を
そそられた。
 俺には錫にまつわるそんな話があるんだが、めぐみちゃんに話すのは大変だ。錫が今の便利で豊かな、ともすれば危険と隣り合わせの世界を作るうえで
欠かせない電子機器の数々を作るために欠かせない材料だと分かってもらえば良い。

「−こんなところ。」
「へぇーっ。『すず』って凄いものなんだねー。」

 恐らく耳にしたことがないであろう錫という金属が今の社会を形成する上で重要なものとして身近に存在することに、めぐみちゃんは感嘆した様子だ。

「お父さんも、その『はんだ』ってものを使って、物を作ってるの?」
「実験で少しだけな。これから先、増えると思う。」

 久野尾研の研究テーマはソフトウェアやプログラミングの占める割合が高い。一方で高周波回路やCPLD(註:入出力や動作を設計出来るICの一種)などでハードウェアの製作もある。
 俺が興味を持っている研究テーマは、どちらかと言えばソフトウェアやプログラミングの比重が高いという程度で、ハードウェアの製作もかなり比率が高い。
ハードウェアの製作が絡むと学生の苦手意識が強まり、出来る出来ないが両極端になる傾向もある。ソフトウェアやプログラミングはPCに触れていれば
アレルギーが弱まるが、ハードウェアは講義が理論中心だったり単位取得が難しかったりでアレルギーになりやすいんだろう。
 週1回のゼミが終わった後なとで、今の学部4年の修士選択組やオブザーバー参加の修士博士の人達から、ハードウェアの比率が高い研究テーマにぜひ
取り組んで欲しいとたびたび言われている。うちの研究室の配属希望は多いがテーマによって希望者の偏りが激しいというのが伝統的な悩みの種だそうだ。そのため希望者が多いテーマは抽選になって、抽選に漏れた学生がハードウェアの比率が高いテーマに流れやすくなる。本意じゃなかったテーマに割り
振られ、就職することで1年で離れられるから進捗も鈍りやすくなる。ありがちなパターンだろう。研究室への本配属でも同様のことが起こるそうだから。
 俺自身はハードウェアに対するアレルギーは弱い。はんだ付けが鉛フリーはんだだとやり辛いと感じるが、慣れの問題だろう。その旨は伝えてあるし、
研究室の人達からも同様の見解が返って来た。

「お父さんって、凄いんだねー。」
「まだ始めたばかりだから、知ってることだけで言ってる部分が多いんだよ。」

 これほど感嘆や賞賛をされると、気恥ずかしさを通り越して違和感を覚える。でも、知っているということはめぐみちゃんにとって未知の宝箱であり、見た
こともない宝物なんだろうな。
 大学生活では、知っていることが要求される一方で知らないことは早急に知るよう求められる。知らないままやり過ごすことも可能なことはあるが、学年を
増すごとにその機会は少なくなっていく。学生実験では知らないことを調べることが当然のように要求される。そんなこともあってか、知ることを必要と思う
ことはあっても楽しいと思うことは減ったように思う。美味い食事も次から次へとより多く食べるように半ば強制されると、美味さを感じるより速く飲み込む
ことに意識がシフトして美味さを意識することが低くなるのと同じようなもんだろうか。

「混ぜるものの量によって、色の変わり方が変わってくるんだよね?」
「そうだよ。銅と錫の組み合わせの場合は、な。」
「どうして混ぜる量を変えるの?」

 めぐみちゃんの素朴な疑問は、実に鋭い。銅と錫を混ぜると青銅になることは分かっても、どうして混ぜる比率がものによって異なるのかまでは説明が
つかない。

「それは、鐘を造るにしても10円硬貨を作るにしても、同じ量ずつ混ぜれば良いんじゃないかってことか?」
「うん。同じだけ混ぜるように決めておけば良いのに、どうして混ぜる量が違うのか分かんない。」
「その答えは色々あるだろうけど・・・、1つは銅を純粋に造る技術の差だろうな。」

 俺は純度が高い金属を作るには高温の炉が必要になること、不純物を出来る限り除く技術である精錬にはその金属に応じた材料を使用しないといけない
こと、それだけ手間や材料や技術を投じて造られたものは価格が高くなること、大量生産すれば価格を下げることも出来ることを順を追って出来るだけ
平易な言葉で説明する。

「−こんなところかな。」
「じゃあ、あの鐘は凄くお金がかかってるんだね。」
「特注品の一種だから、多分そうだろうな。」
「へぇー。」

 めぐみちゃんは改めて鐘に見入る。俺だと「大きい鐘」だけで済ませてしまうであろう鐘にこれだけ注視出来るのは、混ぜ物が多いとはいえ大量の銅、
言い換えれば多額の金を投じて造られた特別なものだと知ったからだろう。
 鐘は寺にとってある種のシンボルだ。昔のように毎日決まった時刻に鳴らさないまでも、ある程度規模が大きかったり観光名所になるようなところだと、
大晦日に除夜の鐘として必要になる。錫が多くともかなりの量の銅がぶら下がってるんだから、戦争の際に鐘が召し上げられたというのも頷ける。
 錫がはんだという電子部品の接合材料として不可欠のものであるように、銅もまた電子機器に必要不可欠の金属だ。ケーブルの芯線の素材になるのも
あるが、何より回路基板を形成する上で必須だ。
 学生実験では紙フェノールという柔らかい素材に規則的な間隔で銅箔が配置されたユニバーサル基板−またの名を「蛇の目基板」という試作用基板に
目的の回路を実装することが多かったが、ものによってはガラスエポキシというかなり硬い素材に銅箔が貼られた基板に専用部品が配置された基板の特性を
計測するというものもあった。その手の回路−主に数百MHz以上の高周波で動作する回路は相応の知識や技術がないと、回路図のとおりに製作しても動作
しないからだ。
 ユニバーサル基板は市販品で1枚あたり数十円から数百円程度で買えるし、試作や実験程度ならそれで十分だ。しかし、高周波回路や精密回路は専用の
CAD(註:設計用ソフトウェア)で部品の配置や配線の長さもしっかり決めて、専用の機械で加工したものを使う。大学には試作工場があって、実験で2、3回
出入りした材料工作工場の他に電子機器の制作室がある。材料工作工場に比べると部屋は小規模だが、幾つかの研究室と連携して色々な研究用電子
回路を作っている。高周波回路の特性試験で使った回路基板は、その制作室で設計されたものだ。俺が本配属を希望している久野尾研も、ハードウェア
製作の比率が高い研究テーマの一部で電子機器の制作室と連携している。在籍の学生や院生からは、ハードウェア製作の比率が高い研究テーマを
勧められるに併せて、電子機器の制作室に出入りして製作も手がけて欲しいと言われている。
 学部学生の1年、しかも就職活動も控えている中でどれだけ回路基板の製作に携わる時間が持てるか分からない。だけど、「学生の試作やそれに伴う
失敗は大いに歓迎するし、そうすることで電子回路の本質を掴めて来る」という院生や研究室の助手である野志先生も言っていたし、失敗を恐れる必要が
ない試作や製作は手がけてみたいと思う。

「お父さんの言うことは、凄く分かりやすい。」

 暫し鐘に見入っていためぐみちゃんは、俺の賞賛を再開する。婉曲的な表現がないから心にダイレクトに響く。

「難しいことや色々なことを、めぐみにも分かりやすく言ってくれる。チョコレートの話は、特に分かりやすかった。」
「料理関係だったら、お母さんの方がもっと上手い説明が出来たんだろうけどな。」
「私が聞いていても分かりやすかったですよ。」

 クッキーやケーキも手がける晶子からすると、チョコレートにたとえた話は料理のうちに入らないだろう。だが、料理の知識があるかどうか分からない
めぐみちゃんに小麦粉や卵を混ぜてというところから説明すると本題、すなわち溶かしてあらかじめ用意した型に流し込むことを説明することから外れて
しまう可能性があるから、チョコレートにたとえるくらいが丁度良かったのかもしれない。
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