雨上がりの午後

Chapter 246 臨時親子の旅日記(14)−世界観のギャップ−

written by Moonstone

 晶子は陰口を言わない、老若男女問わず珍しいタイプだ。一方で、俺に関する非難には強い不満や怒りを抱く。俺は晶子の一番であれば十分なんだが、
晶子はそうでもないらしい。俺本人が晶子所属のゼミに「お披露目」されるまで俺との写真と見て「冴えない」だの「もっと他に良い男が居る」だの言われたことを
話した時、言葉遣いこそ普段どおりだったが強い怒りを抱いていることが良く分かった。後で思うと、あの怒りが根底にあったから見返してやろうと思って、
ゼミの人達に着信音を聞かせたり、ある意味田中さんを利用して俺の価値を高めようとしたんだろう。

 ゼミでは「お披露目」以降、晶子から見て誹謗中傷の類は完全に音沙汰をなくしたが−当人を前に公然と陰口を叩くほど度胸のある奴はまず居ない−、
ゼミ以外では未だにそうはいかないらしい。講義の時で居合わせた他のゼミの人達に、俺との結婚生活の様子を聞かれてそのままのこと、すなわち平日は
実験のある月曜以外は朝に2人分の朝飯と弁当を作って一緒に大学に行き、講義が終わったらバイトへ行って帰宅後は俺がレポートを終わらせるまで晶子が
起きていること、月曜は昼と夜の食事を弁当にして俺に渡して自分はゼミの学生居室か図書館で待っていること、土日祝日は一緒に買い物に出かけて
周囲を散歩したりするくらいで遠出はしない、俺のレポート作成を邪魔しないようにしていることを答えると、殆ど決まって「男女平等の世の中でおかしい」か
「そんな地味な付き合いありえない」「他に良い男いっぱい居るのに安い男に引っかかった」と言われるそうだ。
 俺の講義のレポートは講義を全コマ詰め込んだ欲深さもあって1日1つで済めば良い方で、複数重なる方が普通だった。専門書の例題は高校までの
問題集のように解き方が載っていることを期待するのは無理だから、そう簡単に出来ない。手持ちのテキストや借りてきた図書館の本、共通で使えるPCで
検索した結果をプリントアウトしたものを彼方此方捲り試行錯誤してようやく完成と相成る。そんな調子だから日付を超えるまでに完了することはまず
なかった。特に実験のレポートはその日のうちに基礎を固めておかないとデータや記録があっても結構忘れてしまうから、実験が終わって帰宅するのが遅く
なるのもあって日付を超えてしまう。そんな中、晶子に終わるまで起きていろというほど俺は馬鹿じゃない。晶子は俺より朝が早いんだから先に寝てて良いし
先に寝た方が良いと何度も言ったが、やんわりと、しかし頑なに拒否して終わるのを待っていた。
 それも俺がそうするよう言ったわけじゃない。まして命令なんてするわけがない。晶子も答える時に必ずそのことを伝えるが、晶子の俺との結婚生活を批判、
否、否定する人達は、兎に角女性が男性に合わせること自体が気に食わないらしく、「そんな生活は女性の人権を顧みない旧態依然の男性思考だ」「女性の
時代にそぐわない」と厳しく批判するそうだ。
 晶子はその段階で強い怒りを覚えるが、大抵は我慢して「私と夫はそういう価値観で一致している」と言って問答を打ち切るそうだ。しかし、それでも
しつこく食い下がり「そういう価値観が女性の地位向上を妨げる」だの「男女平等の時代にそぐわない価値観だ」だのと俺と晶子の価値観の否定に走る輩に
出くわし、晶子は我慢ならずにこう反論したそうだ。

「貴方達が言う『女性の地位向上』や『男女平等』とはどういうものなんですか?」

 俺はこの反論を聞いた時点で勝負あったと思った。相手が言葉に詰まったところで晶子は更に「貴方達が言う『女性の地位向上』や『男女平等』で男性に
更なる責任や役割を求めることはあっても、女性に男性と同様の責任や役割を求めることがないのはどういうことなんですか?」と畳み掛けたそうだ。
これは相手も想像していなかったらしく、回答を要求する晶子から目を逸らし、不満たっぷりなのが明らかな表情でしかし何も言わずに足早に立ち去った
そうだ。
 女性の地位向上や男女平等は結構だ。しかし、男性に労働や収入はこれまでどおり若しくはこれまで以上に要求し続け、更に家事育児も平等を名目に
負わせて女性は何をするのか。肉体的・精神的に厳しい労働や収入の背景にある残業、異動や転勤を「女性だから」で拒否し、遊興施設や飲食店での
レディースデイや女性専用車両など女性だけの優遇措置は「女性だから」で死守する。女性の地位向上や男女平等が女性故の既得権益を温存して男性に
更に負担や役割を押し付けることが目的だとしたら、男性の1人として迷惑でしかない。
 後期試験の終わり頃のある週末に、晶子が所属ゼミから借りてきたという女性向け雑誌を見てみた。数ページパラパラと捲って見ただけで頭が痛くなって
止めた。煽り文句もさることながら、込み入った化粧にギラギラのアクセサリーで「カワイイ」「モテ」を喧伝するモデルを見ているだけで頭がどうにかなりそう
だった。 晶子が言うには「こちらが主流」らしいが、「モテ」や「カワイイ」が男性に好印象を与えたいという意味なら、正反対の方向を全速力で突っ走って
いることに気づいていないんだろうか。
 まったくの他人である晶子に男女平等や女性の地位向上を押し付けてくるようなこのご時勢だから、その場では褒めたり合わせたりするだろうが、大抵の
男性はあの手の化粧や服装をしている女性を売春婦など性風俗関連、良くてキャバクラ店員と思う。女性の比率が圧倒的に低い俺の居る学科でもそんな
現場に遭遇していたくらいだ。
 俺の居る電子工学科と同じカリキュラムの電気工学科には、現時点で3年−4月から4年に進級出来るかどうかは知らない−の学生約150人の中で女性は
4人だ。彼女らは揃いも揃って同じようなファッション、同じような髪型をしている。靴はブーツやハイヒールなど、決まって踵の高い靴だ。講義ならまだしも
そんな格好でどうやって実験をするのか理解出来なかった。
 実験出来なくても良い理由がある。男性がカバーするからだ。実験そっちのけでグループ外の学生−女性だったり男性だったり色々−と雑談に興じて
いたり、姿が見えなくなっても、他の男性がしっかり実験を進めてしっかりデータを揃える。そうすることでご機嫌取りをして良い思い−勿論性的な意味−を
する場合もあるし、それで負担が2倍にも3倍にもなる場合もある。俺の場合は後者だ。実験グループに1人女性が居たが、そいつは実験開始早々に実験から
離脱することが普通だった。同じ実験室−複数の実験が同じ部屋で実施されることもある−で姿が見えるならまだましな方で、大抵は行方不明だった。
最初の数回は探したり呼び止めたりしたが、何度言っても改善されないから最初から居ないものと見なすことにした。
 そいつは客観的に見てかなり美人な方だった−化粧でわざわざレベルを落としている感もあったが−から男性には兎に角受けが良く、昼休みや講義
終了後に必ず男を侍らせていた。受けが良いだけなら良いんだが、本人の居ないところで男性が集まると、そいつとセックスしたかどうか、した場所はどこか、
どんなことをしたかといった話で相当盛り上がっていた。話題に上る頻度の差はあっても、他の女性も同様だった。女の方は利用しているようで男の方も
利用しているから「どっちもどっち」とか「似たもの同士」とか「お互い様」とか言えるが、男からすれば「上手く機嫌を取ればセックス出来る女」、つまりは
売春婦とみなされているのは間違いない。それが現実だ。食事やドライブに連れて行ったり、服やアクセサリーを買い与えてセックスに持っていくんだから、
現金の直接の受け渡しがあるかないかの差しかない。
 こういう女、すなわち男に持ち上げられて体の良い売春婦になって憚らないことやまっとうに大学で勉強している男性に負担をかけることや、ひいては他の
まっとうな女性の評価まで下げることまである女性が居ることについてどう思うか。晶子は俺から聞いた−話す時はオブラートに包んだが−話を元に問い
ただしたこともあったが、まともな返答はなかったそうだ。

 その手の女は料理を始めとする家事全般がろくに出来ないことも、どういうわけか共通の傾向だ。俺も料理に関しては初心者レベルだから大きなことは
言えないが、晶子と付き合う前でも掃除と洗濯くらいはしていた。そうしないと一人暮らしの身ではやがて衣服が尽きるし、家はゴミで埋め尽くされる。だが、
それすら出来ない、すなわち何も出来ないのに「女性の地位向上」や「男女平等」は時に相手の価値観を否定することも躊躇わずに押し付けるのはどういう
ことか。
 掃除や洗濯に特別な技術は必要ない。とことん綺麗にするならコツやテクニックというものはあるが−掃除だと基本は上から下へとか−、基本は専用の
電化製品のスイッチを押して、掃除機なら掃除するところを動けば良いし、洗濯機にいたっては洗剤や柔軟剤を入れてセットすれば出来上がってしまう
時代になった。にも関わらず掃除も洗濯も出来なくてどういう生活が出来るんだろうか。
 晶子が俺の家に住み着くようになって、特に試験期間中は料理に関しては晶子に一任していたが、掃除や洗濯は掃除だと晶子がキッチン周りで俺が風呂
−風呂掃除は体力が必要だ−という具合に適時分担していた。分担も機械的に平等に割り振るんじゃなくてその場その時に応じて出来ることをしていた。
大して広くない俺の家。掃除は2人がかりならあっという間に終わる。洗濯は干す時と仕舞う時が面倒だが、これも2人でかかれば直ぐ終わる。
 分担や平等とは個々の能力や技術に応じて仕事や役割、更に責任を割り振り、その分対価を得るのが本来のあり方だと俺は思っている。晶子に「女性の
地位向上」や「男女平等」を押し付ける輩や、料理どころか掃除も洗濯も出来ないのに兎に角男性に家事をさせることが「平等」だと思っている輩は、単に
自分が楽をしたいだけなんじゃないかと思えてならない。

「あ、川だ。」

 めぐみちゃんが歓声に近い声を上げる。
改めて風景を見ると橋の傍に居る。めぐみちゃんを中心に進む話に気をとられて、自分の所在位置が地図も含めて頭の中からすっかり吹っ飛んでいた。
これが市街地の道路がほぼ縦横90度で交わる京都じゃなかったら、目的地から全然違うところに向かっていたかもしれない。

「凄く大きい川だー。向こう側が凄く遠くに見えるー。」
「鴨川っていう川よ。めぐみちゃんは見るの初めて?」
「うん、初めて。」
「もっと近くで見てみようか。」
「うん。」

 めぐみちゃんの関心はすっかり眼前の鴨川に移行したようだから、関心を深める方向に誘導する。目的地である清水寺に何時までに行かなきゃならない
なんてスケジュールはないし、今くらいはめぐみちゃんに興味や関心の赴くままに行動させてやりたい。

「あんまり見えない。」
「抱っこしてやるよ。」

 俺が屈むとめぐみちゃんは即座に俺の胸に飛び込んでくる。コートの襟をしっかり掴んだところで、抱っこして膝を伸ばす。男性としてはあまり背が高くない
方の俺だが、めぐみちゃんの目線よりはずっと高い。その分光景も大きく広がる。

「うわーっ!海みたーい!水がきらきら光ってるー!」
「鴨川は川幅が広いからな。」

 鴨川は今朝にも見たから最初ちょっと錯覚したが、今朝は−当然ながら−晶子と2人で見たからめぐみちゃんと見るのはこれが初めてなんだな。
 めぐみちゃんは鴨川を見るのが初めてと答えたから、やはり住まいは京都市内じゃないようだ。京都市内在住だったら鴨川はまず知っているだろう。
手まり歌は手まりをついて遊ぶ子どもが少なくなった今だと知っているかどうか不明だが。

「この川って、やっぱり海に繋がってるんだよね?」
「勿論。鴨川は北に向かって流れてるから辿っていけば何れは日本海っていう海に着くぞ。」
「遠い?」
「結構遠いと思うぞ。京都は陸地の真ん中あたりだから。」

 電車や自動車、果ては飛行機と交通手段が発達した今は地図を見ても実感が沸きにくいが、日本は広い。京都も観光名所が集中する京都市だけじゃ
なく、10円硬貨の表面のデザインにも採用されている平等院鳳凰堂がある宇治市、かつて都があって−何時だったかまでは忘れた−今もその名を受け
継いでいる長岡京市、「京都には海がない」という割とありがちな認識を覆す舞鶴市など、かなり広い。京都だけでも長短有名無名含めて多数の道路が交錯
していて、複数の行政区に分割される大都市。観光名所だけでも全部回ろうと思ったら2日3日では足りないだろう。市内全域となれば一月見込んでおいても
足りないかもしれない。
 成長と共に行動範囲も拡大していく。最初は徒歩、次に自転車、やがて電車やバスといった身近な公共交通機関に触れて、原付やバイクや自動車と
いった免許を持たないと運転出来ない交通手段や、広大な滑走路と比べて意外に小さく見える飛行機を使うようになると、行動範囲は近所から町内市内、
更に県外や国内、更には海外へと広がる。
 めぐみちゃんがあの両親の下で遠くに遊びに連れて行ってもらっているとは想像し難い。お婆さんとは良好な関係のようだが、年齢や身体状況によっては
社会人から引退している若しくは引退せざるを得ない状況だろうし、やはり年齢によるが常勤雇用にあるかどうかも不明。そんな状況で一時避難しに来た
めぐみちゃんを遠くに遊びに連れて行くことは難しいと考えた方が良い。
 俺と晶子に出来ることはごく限られている。親代わりと言っても今日1日だけ。名前は良く知っていてもその土地や近隣の状況なんて殆ど分からない。
動き回るにしても観光案内を頼らざるを得ない。現に今がそうだ。でも、1日限りの親代わりで俺と晶子にとってはたいした距離でなくても、めぐみちゃんに
とっては目に映るもの全てが新鮮なものであるのは間違いない。出来ることをする。それが今の俺と晶子に出来ることだ。

「海があるところも京都?」
「そうよ。鴨川が海にたどり着く場所も京都。京都市じゃなくて別の町だけどね。」
「ふーん・・・。」

 めぐみちゃんはじっと川面(かわも)を見つめる。思いは目の前で輝く水面からずっと遠く、日本海に流れ込む場所へと向かってるんだろう。あの向こうに何が
あるのか思いを馳せるのは、自分の行動範囲が大幅に限られてしまう幼年期ならではだろう。

「めぐみちゃんはこれから自転車に乗ったり自分で電車やバスに乗ったりするようになるから、川の流れに沿って行くことも出来るようになるよ。」
「うん。」

 めぐみちゃんは遠くを見つめながら頷く。何かを決意したような顔は、大きくなって鴨川の流れ着く果てを見ようと思ってのことか、それとも今見える景色の
向こう側を見られるまで頑張って生きようと思ってのことか。前者なら良いが、後者は幼稚園児が固める決意に相応しいとは思えない。

「もう良いか?」
「うん。」
「じゃ、降ろすぞ。」

 めぐみちゃんが視線の川への固定を止めたところで見物を終えてめぐみちゃんを降ろす。降ろす際にも「飛び降りろ」と言う訳にはいかないから、しゃがむ
程度にまで身体を低くする。こういう時、バイトで力仕事をしていて良かったと思う。料理が載った皿を幾つか運んで食べ終わった皿をキッチンに運ぶだけ
でも結構力が必要だからな。
 晶子との生活距離が縮まっていくにつれて実感するようになったことは、男女問わずある程度の力仕事は出来るようにしておくべきだということだ。
皿など食器も複数重なればそれなりに重くなるし、料理器具は元々重量が結構ある上に複数人数分の料理を載せたり入れたりするとある程度力がないと
扱えなくなる。買い物にしても、1品2品なら片手で十分持てるが買い出しレベルになるとそれなりに力が必要だ。ビン類や冠類−晶子が住み着くように
なってから料理酒以外の酒とは縁遠くなった−、米袋が加わると腕力なくして運べない。車があってもスーパーなら駐車場までカートで持っていく手段が
使えるが、帰宅してからの面倒までは見てくれない。
 「女だから」なる枕詞で力仕事を拒否する例は大学でも目にする。「女」を時と場合によって使い分ける様子は見ていて不愉快だが、言って聞くような連中
じゃないし逆に何をされるか分からないから放置するしかない。社会に出てからもあんな調子で通用するのかと思うと嫌な気分だ。
 俺と晶子は再びめぐみちゃんと手を繋ぐ。真ん中のめぐみちゃんは俺と晶子を交互に見て笑顔を浮かべる。それほど子ども好きな方じゃない俺でも、
こういう笑顔を見ると心が温かくなる。世間の親も、普段色々な苦労があっても子どもの笑顔が見られれば良いという感覚なんだろうか。
 ふと考えてみると、俺と晶子の周囲には親の立場に居る人が極端に少ない。マスターと潤子さんは夫婦ではあるが親ではない。大学に多く居る学生で親の
立場の人は知らない。少なくとも学部レベルでは居ないだろう。店に来る客は塾通いの中高生が多いから親の立場だと逆に驚くし、OL集団は話の中に
恋愛や結婚は頻繁に登場しても、子どもの話は耳にしたことがない。だから、代理とは言え親の立場になっている今、的確なアドバイスを求める先はない。
今は子ども好きな晶子のおかげで割と順調にこなせているが、この調子で続けて良いのか分からない。だが、アドバイスを求める先もなく、考える余裕も
あまりない今、俺と晶子で何とかするしかない。

「お父さんとお母さんは、清水寺に行ったことある?」
「お父さんは小学生の頃に修学旅行で1回行っただけだな。」
「お母さんも修学旅行で1回行っただけ。お父さんと違うのは高校生の頃だったってこと。」
「『しゅーがくりょこう』って何?」
「小学校、中学校、高校でそれぞれ1回、学校の皆との思い出作りのために行く泊りがけの旅行のことよ。」

 晶子が上手く纏めてくれた。修学旅行は漢字からすると学業の1つという位置づけなんだろうが、生徒本人にとってはクラスメートや付き合っている相手との
思い出作りがほぼ全てだ。

「お父さんとお母さんで行った時が違うのはどうして?」
「お父さんとお母さんは通っていた学校の場所が違うからよ。」
「大まかに、小学校中学校高校と上の学校に進むにつれて遠くに行く傾向があるな。」
「ふーん。」

 日本が広いというのは、修学旅行の行き先でも分かる。小学校で修学旅行先が京都だったことを話すと、遠方出身の人から「京都がそんな近くにあって
羨ましい」という返事が来ることがある。全国から学生が集結する大学で初めて遭遇したが、北海道や九州が俺からすると遠いのと同様、北海道や九州の人が
自分達にとっては近場だということで、同じ日本でもそれだけ距離があると実感する時の1つだ。
 修学旅行先は国内に限らず、海外という事例も増えている。公立では何かの制限があるのか国内限定のようだが、私立は高校で修学旅行先が海外という
事例をよく聞く。生徒にとっては思い出作りが最重要だから、場所はその年代で近すぎると思えない場所なら何処でも良いだろう。

「めぐみだと、何処に行くのかな?」
「そうねぇ・・・。大阪や神戸あたりじゃないかな。」
「『おーさか』と『こーべ』ってどの辺?」
「此処、京都の西。今歩いてる方向と反対側って言った方が分かりやすいかな。」

 名前くらいは知ってると思ったんだがそうでもないようだ。俺が幼稚園児だった頃の記憶はあまりないが、その頃知っていたのはせいぜい実家のある
麻生市。やっぱり小学生から地名や所在地といった知識が加わっていったように思う。地理に関する知識の会得は社会の時間の存在が大きいな。

「電車の乗り方を覚えると簡単に行けるようになるから、めぐみちゃんも行ってみると良いよ。」
「うん。」

 京都から大阪、神戸への電車ルートは俺と晶子が乗ってきた新幹線を含むJRの他私鉄もあると聞いている。晶子の言うとおり、電車の乗り方を覚えると
行動範囲が一気に広がる。それが自分の好奇心や興味から得るものか通学で必要になって得るものか−俺は後者で高校は電車通学だった−は人によって
違うが、めぐみちゃんにもそんな時代が来る。

「あ、電車が走ってる。」

 めぐみちゃんが前を見て言う。丁度真正面を電車が南へ走っていくところだ。割とゆっくりしているから駅を出て間もないのか?

「あの電車って、『おーさか』や『こーべ』に行くの?」
「えっと・・・、ちょっと待ってね。」

 晶子は空いている左手で観光案内を取り出し、片手でページを捲る。
読書好きな晶子は本の扱いにも長けている。文庫本や新書は片手で自在にページを捲って必要若しくは読みたいページを探し出すことが出来る。

「あの電車は・・・京阪電車っていう電車ね。名前からすると大阪まで行けると思う。」
「『けーはん』って名前なのにどうして大阪まで行けるって分かるの?」
「ちょっと難しい話になるけど。」

 晶子は立ち止まり、更に屈んで観光案内のページを見せる。俺だけ歩いていくわけにはいかないから、他の人の邪魔にならないように歩道の隅に寄る。
小さな疑問も無視しないのは流石だな。俺だけだったらこうはいくまい。

「この字。この漢字は大阪の『阪』っていう字と同じでね。大きな道路や電車の線路の名前で地名の全部や一部が入るってことは、どういう道のりを辿るかは
別としてその地名のところに通じてるって意味なのよ。この場合だと京都の『京』と大阪の『阪』だから京都と大阪を結ぶ線路って考えていいわけ。」
「大きな道や電車の線路ってそんな名前のつけ方するんだー。」

 なるほど、晶子が指し示す地図の箇所には−幸い視力は良いから屈む必要はない−「京阪」という字が見える。これが話に聞いたことがある「京都から
大阪に通じる私鉄」の1つのようだ。
 大阪と一口に言ってもそれがイコール大阪市だけじゃない。目の前を通り過ぎていったあの電車が大阪の何処に行き着くかは知らない。今は晶子が持って
いる観光案内は京都市や隣接している市の観光名所−平等院鳳凰堂とか−を紹介しているものだから、京阪電車の行き先まで掲載を要求するのは無理
ってもんだ。

 車にはとんと縁がないからあまり知らないが、高速道路は片方を出発地点とするともう片方の終着地点それぞれの地名の一部を取った名前が多い。市内を
走る大きな道路で番号で呼ばれる国道以外の道−県道が多い−はその道路が結ぶ市の名前をそのままくっつけた名前になっている。新京市だと新京大室
(おおむろ:新京市に隣接する市の名称)線とか。俺と晶子が買い物にいくスーパーが東で隣接する道がそれだ。買い物に行く土日−大抵土曜だが俺の
レポートや試験の準備で日曜になることもある−は必ず南北どちらかの車線が渋滞しているのを見る。
 新京市は最近流行りの市町村合併で出来た割と新しい市だが、元々の新京市−今の新京市中心部と新京大学がある辺りを中心に人口は増えている。
大都市の小宮栄では一戸建てや分譲マンションは無理だし、賃貸だと手狭で家賃が高いと感じる層や、新京大学の地元に住んで子どもを早く受験慣れ
させておきたいと考える層がベッドタウンとして居を移しているためらしい。
 その勢いは合併と言っても新市名からして吸収合併に近い旧町村部でも激しいが、その煽りで道路の整備が人口の増加に追いつかない様子だ。新京市
から小宮栄へは電車で行けるが、俺と晶子が住む胡桃が丘の駅から新京大学方面に向かう方と小宮栄に向かう方で利用客のバランスが悪いのもあってか、
本数は潤沢と言えない。そのせいもあってか新京市に転居しても車で通勤を続ける人も結構居るらしい。
 道路だけじゃないが、物を作るにはそれなりのコストがかかる。ここまではある程度の知識があれば分かることだが、一度作ったら維持費がかかることには
意外と及ばない。「車が増えた」→「じゃあ道路を増やせば良い」というのは土建屋的発想でしかない。一度造った道路は交通量によって劣化速度が大幅に
変わってくるから定期的に補修しないといけない。そのコストは何処から来るのかと言えば税金だ。コストの問題はひとまず度外視して交通量の増大に併せて
道路を増やすなり拡張するなりすれば万事解決かと言えば、決してそんなことはない。今度は道路に隣接する住環境が悪化する。騒音や排ガスといった
思いつきやすい問題の他、他の道路から入り難い若しくは逆に出難い事態、それが発展した渋滞という問題だ。

 晶子と買い物に行くようになったのは、晶子に引っ張られる形で既成事実化が進む中では割と遅かったように思う。その最初の頃と今とを比べると今の
交通量の増加は感覚で分かる。俺より行き慣れている晶子も行き始めた頃と比べて車の数が増えたと言っていた。
 俺と晶子が買い物に行くスーパーは広い駐車場を持っている。学校1校分くらいは簡単に収まりそうな屋外の敷地だけでなく、地下と屋上にも備えている。
それが土日だと朝からかなり入っていて、土曜でも夕方頃、日曜だと朝から屋外平地の駐車場はほぼ一杯になる。車で買い物には行かないから屋上と
地下の構造は良く知らないが、エスカレータとエレベータが2台ずつあるから駐車位置の階までは行ける筈だ。でも、出来るだけ近いところに停めたいと
思うのが人間の心理というものか。屋外平地の駐車場の空きを待っているらしく、駐車場をゴーカートか何かのように周回している車もよく見かける。
 スーパーが隣接している新京大室線は中央分離帯があって、スーパーの駐車場に繋がる出入り口は道路の東側、南方向車線に隣接している。一種の一方
通行だが、出入り口には信号がないから出る時にはタイミングを見ないと簡単に事故になる。駐車場は別の道路の西側、北方向車線にも隣接しているが、
こちらも信号がない。スーパーが建設された時の車の利用数を越えるためだと想像出来る。
 そのスーパーが車で出入りし難いと見たのか、新京大室線を南に走ったところにあるT字路交差点を正面出入り口とするのが、紅茶やスーパーでは入手
出来ないものを買いに行く大型量販店だ。そこには食品や日用品以外に服飾店やファストフード店、雑貨店、宝飾店、CDショップや本屋など大抵のものは
全部揃えられるだけのテナントがひしめいている。
 大型量販店はスーパーより出来たのが後らしく、スーパーより更に広い駐車場を備えている。駐車場は地下と屋上にそれぞれ2階ずつあって、
エレベーターとエスカレーターは知っているだけで8台ずつある。当然車の量も半端じゃない。そこへ行く頻度は多くないが、行く時は必ず市内の車が全部
押し寄せたような物々しさになっている。
 駐車場の広さとテナントの数で圧倒している大型量販店にスーパーが押されて最悪潰れると思いきや、食品や日用品を買う人はスーパー、他に買うものが
ある人は大型量販店という住み分けが出来ているようだ。扱っている食品は晶子に言わせるとスーパーのものの方が安くて品質が良いらしい。その辺の
事情は料理一切を仕切る晶子くらい料理が上手くならないと分からないだろう。

 大型量販店へは新京大室線で南に走れば正面出入りから入れる利便性が、新京大室線の交通量増大に拍車をかけている。紅茶を買いにスーパーへの
買い物の延長で大型量販店に向かったら、南方向車線の渋滞の先端は大型量販店正面出入り口に面するT字路の交差点だったことは何度もある。信号が
南北で青になると、大型量販店に入る車と入れ替わりに出る車が左に右に真ん中に分岐しながら続々と出て来る光景も何度か見ている。
 交通量の増加による渋滞や住環境の悪化もさることながら、治安の悪化も加わることが多い。まだ外国のようにホテルから100メートルそこそこの距離で
強盗に遭って身包み剥がされるようなことはないが、自転車泥棒や万引き、車上狙いといった小さいようだがれっきとした窃盗が頻発するという話をバイトの
接客で聞く。
 スーパーは午後9時に閉店する。一方、大型量販店は午後24時までテナントも含めた全域が営業している。それだと仕事帰りや俺のように実験や研究で
遅くなる人はまだしも、特に用もないのに夜間外に出る所謂深夜徘徊を生み出す要因になる。小中学校で夜間の外出は控えるように言われたもんだが
−高校では出歩く暇があるなら勉強するという雰囲気だったから注意は夏休み前くらいだった−、今は塾通いが当たり前だから学校も夜間外出を控えるよう
言えないのかもしれない。
 俺と晶子がバイトしている店も午後10時まで営業していることが保護者の「関心」を呼ぶようで、以前マスターが中学校だかのPTAが来て学生の喫煙を黙認
したり煙草を打ったりしていないかと設問してきたと言っていたようなことが起こるのもある意味当然だ。夜の来店=深夜徘徊→喫煙など非行という公式を
適用したいんだろう。もっともその話をしたマスターが言っていたように、子どもに夜の塾通いをさせて更には食事も済ませるようにしておいて中高生の
来店云々を言うのはおかしな話だ。夜に塾通いをしなくても良いように親が子どもの勉強を見るなりすれば良いことの筈。
 強面のマスターは勿論接客で回る俺、キッチンから客席を見渡せる晶子と潤子さんが未成年者の喫煙を許さないという態度で居るし、来店する客も
喫煙者の比率は年々減る一方だ。自分の家庭や子どもを放置して学校や社会に面倒を見ろと押し付けるのはどうかしている。

「京都から大阪に行く人って居るのかな?」
「?どういうこと?」
「京都にはこんなに沢山見る場所があるのに、京都に住んでて大阪とか別のところへ遊びに行くのかなって思った。」

 最初は意味が分からなかったが、俺の疑問に答える形でのめぐみちゃんの追加説明で疑問が理解出来た。めぐみちゃんにとって京都市内だけでも見る
もの触れるもの全てが新鮮。そんな新鮮で刺激溢れる場所からわざわざ別のところに行く必要があるのかとめぐみちゃんは思ってるんだ。

「京都以外の場所に住んでいれば京都は色々な場所があるし、行ってないところも沢山ある場所だけど、京都に住んでいる人にとっては近所の景色に
なるんだ。めぐみちゃんにとって幼稚園や近所の神社は見慣れた景色だよな?」
「うん。」
「めぐみちゃんを京都に住んでる人に、幼稚園や近所の神社を京都に置き換えてみるとどう感じる?」
「ん・・・。近所・・・かな。何時も遊びに行ったり見たりしてる場所。」
「京都に住んでる人にとっては、京都の風景はそういう感覚なんだよ。」

 「隣の芝生は青く見える」なんて言い回しもある。京都に住んでいない観光客からは京都は寺社仏閣や有名史跡に囲まれていることや、風光明媚な
観光地が随所にあって羨ましく見えるだろうが、京都に住んでみると京都の負の部分が見えてきて理想と現実の違いに落胆する人もいるだろう。
 「隣の芝生」は京都に限ったことじゃない。俺と晶子が住んでいる新京市も、「小宮栄余裕の通勤圏内」「新京大学を始めとする閑静な文教都市」などと
言われている。そういう面は確かにあるが、新京市が良いところばかりなのかというわけじゃない。進学という熱病に狂った親が子どもの中学・高校進学を
契機に新京市に転居し、塾通いさせることも多いと店の接客で聞く。塾は「新京大学の城下町」を旗頭に進学競争を加速させている。半強制的に塾通いを
する中高生の言い分もさることながら、平日の昼時に時々来るという−俺と晶子は大学があるし夏休みとかでも昼間にバイトを入れていない−塾の講師の
言葉は、話してくれたマスターと潤子さんをも唖然とさせるものだった。

僕らにとって生徒は客ですし、宣伝材料ですよ。
塾も少子化で生き残りに必死ですからね。

 生徒は長くて基本6年でローテーションするが、塾の講師はローテーションで職を変えられない。今通っている生徒を1人でもより良い高校や大学に進学
させることで、塾の知名度や保護者の信頼は上がるし、次の客である生徒も確保しやすくなる。そういう感覚が赤裸々に詰め込まれた塾講師の言葉を、
保護者が聞いたらどう思うんだろうか。
 市の人口の割に大学が多いから、賃貸物件も豊富だ。新京大学だと生協が不動産業者と提携して物件を斡旋している−俺はそれを知るより前に今の家を
知った−。だが、賃貸物件の多さは近隣住民とのトラブルの要因ともなる。賃貸物件は必要がなくなるか嫌になったら出て行けば良い。だが、定住している
住民はそう簡単に引っ越せない。引っ越してきた大学生が夜な夜な飲み会で五月蝿くすることが近隣住民とのトラブルになりやすく、そうなりにくい大学と
なりやすい大学で不動産業者も客を選ぶという話も聞くし、俺自身経験した。
 今の家を斡旋していた不動産業者の担当者は、俺が学生と聞いて大学名を尋ねた。俺が何気なしに新京大学と答えると、「それなら大丈夫ですね」と
言った。その時はそれだけだったが、改めて思い直すと大学が新京大学じゃなかったら斡旋しなかった可能性も考えられる。
 晶子と付き合い始めて俺の家に来る頻度が増し、ついには住み着くようになった今でも、隣人から苦情は聞かない。隣は社会人で、時々空いている俺の
分の駐車場に来客の車を置かせて欲しいと頼みに来るから顔は知っている。晶子が住み着き始めて暫くした頃に頼みに来た時、それとなく五月蝿くないか
聞いてみたが、全然そんなことはないしむしろ客が来るこちらの方が五月蝿くないかと問い返された。夜の音が気になるかもと思ったんだが、隣の音が来客時
にも大して聞こえないところからして、機密性や防音性は予想以上に高いようだ。
 「隣の芝生」は住む場所だけじゃない。大学や働く場所でも同じだ。よく聞く話で「大学生は遊んでいて良い」「大学はレジャーランド」という揶揄があるが、
その手の輩は俺が在籍している新京大学の工学部に入ったら1週間もつか怪しい。それにその手の輩がどの大学のどの学部に居たか、ついでにどんな大学
生活だったかも是非聞いてみたいもんだ。

「京都に行けば何でもあるわけじゃないわよ。京都に住んでいる人が皆京都で買い物とか学校や会社に行くわけじゃないから。」
「お父さんとお母さんも学校へ電車で行ってるの?」
「うん。電車だよ。お父さんとお母さんが住んでる町から別の大きな町にある学校や会社に行く人も沢山居るわよ。」
「歩いて行ける範囲だけだと収まらなくなって来るんだ。そのために色んな町を結ぶ道路や電車や飛行機があって、それを使って移動する人が居る。」
「ふーん・・・。」

 スケールの大きい話にめぐみちゃんは小さく何度も頷く。
幼稚園は徒歩のようだし、おばあちゃんの家に行くにはバスを使うようだが、それでも彼方此方の路線を乗り継いでというほど行動範囲は広くないと考える
のが自然。めぐみちゃんにとっては俺と晶子が普通に使う公共交通機関でさえも新鮮で興味をかき立てる存在なんだな。

「世界って広いんだね。」
「そうよ。お父さんが言ってたように、大きくなってバスの他に電車や車や飛行機を使うようになるにつれて、自分で行けて目にする世界がぐんと広がって
いくのよ。」

 めぐみちゃんの感慨の一言を晶子は「当たり前のこと」で片付けない。自分では当たり前のことでも年齢や境遇が違えば当たり前でなくなる。そのことを理解
している人は案外少ないんじゃないか。
 俺とて大学では電気電子工学の専門強化にどっぷり浸かり、自宅ではギターを通じて楽器の弾き方吹き方やコード進行といった専門の用語や知識を活用
していて、それが当たり前だと思うことがある。めぐみちゃんと話して改めて自分の当たり前が他人の当たり前じゃないことが分かった。

「行こうか?」
「うん。」

 少しして晶子が鑑賞の継続を問い、めぐみちゃんは清水寺への歩みの再開を選択する。ある目的地に行くにしても興味や関心が頻繁に彼方此方に逸れる
めぐみちゃんに、晶子は根気強く付き合う。俺だけだったら「行くぞ」とめぐみちゃんの意思を寸断して今回だと清水寺へ引っ張っていくだろうな。
 今そうならないのはめぐみちゃんの親代わりをしているという責任感もあるし、気持ち自体にゆとりがあるのもある。大学では講義や実験、それらの
レポートが次々押し寄せ、生活費を上積みするために週6日バイトに向かう。そんな中で子ども、とりわけ注意力が散漫になりやすい幼児の面倒を見るのは
無理だろう。
 今は晶子との新婚旅行で、2人で終日フリーの行動が出来る。バスや電車の出発時間を気にする必要はないし、例えば自分は此処をもっとじっくり見物
したいのにスケジュールの都合で強制終了させられるといったこともない。普段と比較して気持ちに十分すぎるほどのゆとりがあるから、晶子と同じように
めぐみちゃんの散漫且つ継続的な興味や関心に付き合っていられるんだろう。
 それを踏まえると、やはりめぐみちゃんの両親を責めるだけでは終わらないと思う。あの両親がどんな生活をしているのか知らないが、日々の生活に
追われて心のゆとりがなくて、めぐみちゃんに構っていられないとしたら?経済的裏づけのない状態で結婚生活を始めて、それがあの両親の計画や意図に
沿わなくてイライラが募っているとしたら?
 めぐみちゃんを半ば虐待したり、ましてや見知らぬ場所に放置して良い筈はない。それらは厳しく叱責されなければならないし、めぐみちゃんのために
ならない。でも、あの両親を叱責すれば万事解決するとは思えない。めぐみちゃんの自宅に近い児童相談所とも連携すると警察の人は言っていたが、あの
両親がめぐみちゃんに親としてきちんと向き合える環境を構築する手助けは必要だろう。
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