雨上がりの午後

Chapter 244 臨時親子の旅日記(12)−親から子へ(1)−

written by Moonstone

 晶子の子ども好きは今のめぐみちゃんとのやり取りで十二分に発揮されている。めぐみちゃんを安心させるには好都合だが、俺は幾つかの不安がある。
1つはめぐみちゃんに情が移ること。警察で絞られているめぐみちゃんの両親は、明日解放される。その時は当然めぐみちゃんを両親に引き渡さないと
いけない。あの両親が改心するかどうかは疑問だし、めぐみちゃんの安全を出来る限り確保したいとは思う。だが、めぐみちゃんの両親が存在する以上、
めぐみちゃんとの別れは避けられない。それが情が移った晶子に受け入れられない事態となる可能性がある。
 もう1つは子どもを欲しがる欲求が強まること。スーパーで子どもを見るたび接するたび、晶子は子どもが欲しそうな顔をする。口には出さないがそう思って
いるのは明らかだ。代理とは言え1人の幼児の母親となっていることは、母親の疑似体験としてはかなり本格的なものだ。疑似体験では満足出来なくなって
子どもを欲しがったら、俺はどう対処すれば良いのか分からない。

 俺と晶子の間には様々な温度差がある。異なる環境で育ってきた個別の人格を持つ2人の人間だから、ない方が奇妙だ。料理の味、掃除の頻度など生活
リズム、夜の生活など挙げていけばきりがない。どれもどちらかに合わせるか何度かのやり取りの中ですり合わせ−この言い方は不満があるようであまり
好きじゃないが、両方が納得出来る状態にすることで落ち着いている。
 だが、結婚してからの将来設計では温度差の修正が出来ていない。事実を先行させる形で進めてきた結婚は、同棲そのものの生活でそれなりの
シミュレーションや「研修」が出来ていると思う。でも、自分達の力で生計を立てて維持することは未知数だ。俺も晶子も贅沢や浪費はしないし、所謂流行や
トレンドに翻弄されるタイプじゃないが、今は親の仕送りとバイトの給料で賄っている収入を完全に2人で構築出来ることの確約は含んでいない。いくら贅沢や
浪費をしないといっても生活に最低限必要な出費はある。それを自力で確保出来ないと結婚生活は立ち行かない。
 収入はひとまず棚上げすると、俺と晶子の間で解決出来ていない温度差がある。晶子の一時消息不明−マスターと潤子さんの家に居たのは間違いないが
こう表現する−に端を発する一連の事件で急に結婚生活が現実味を帯びたからそこまで話が進んでいないのもあるが、明らかに温度差があると分かること、
それが子どもを持つことだ。子ども好きな晶子に対し、俺はそれほど子どもを持つことに積極的じゃない。子ども嫌いというわけじゃなくて、俺が親になることが
あまり想像出来なくて夫婦2人の生活も自分達で確立出来ていない状態で子どもを持って良いのかと疑問に思うからだ。やってみないと分からないことも
ある。だが、やってみなくても分かることもある。「何とかなる」の精神で突き進んで子どもを儲けても自分達は良いかもしれないが、子どもにとっては良い
迷惑でしかない。
 ペットでも「飽きたら捨てる」は論外の所業だ。ましてや自分達の子どもとなれば「飽きた」と言うこと自体禁句だ。親の都合や勝手に振り回される子どもは
たまったもんじゃない。「だったら自活しろ」という親の反論は通用しないと俺は思っている。親は子どもの扶養義務ある云々の法律の条文より、子どもを
作ったのは誰かという問いの答えになってないからだ。
 今までだったら子どもを持つことにも晶子の勢いに任せようと思えたかもしれない。だが、今は親の勝手で肉体的にも精神的にも抑圧され続けている現実の
典型例であるめぐみちゃんと接している。めぐみちゃんの境遇に接したことで、子どもは安易に儲けるもんじゃない、それは子どもに対する責任だとより強く
思うようになっている。

「此処からバスが出てはいるけど・・・。」

 晶子が観光案内を見て表情を曇らせる。
観光案内はバス路線図のページで、道と同様碁盤の目のように縦横に張り巡らされている。俺と晶子とめぐみちゃんが居る五条からバスに乗れるし方向は
分かっているが、乗ったバスで清水寺の近くまで行けるのか怪しい。路線図をパッと見た限り、もう直ぐと思ったところでバスがあらぬ方向に曲がって
遠ざかってしまう、なんて笑い話みたいな事態が十分考えられる。

「あ、バスって京都市のものだけじゃないみたいですね。」
「民営バスもあるのか。」
「ええ。見てください。薄い色の路線が民営バスです。」

 晶子が差し出した路線図をよく見ると、濃い赤と青の他に薄いピンクや茶色と複数の色の線が混在している。清水寺のイラストがある場所へは市営バスの
路線は延びていなくて、民営バスを使わないといけないようだ。バスのカラーリングや行き先表示で見分ける手段もあるが、小宮栄のようにある程度勝手
知ったる場所じゃなくて自分の意志で自由気ままに移動出来る代わりに間違えても誰にも文句は言えない京都というこの町で、その手はあまり信用
出来ない。俺は方向音痴じゃないが、見ず知らずと言える街中を思うがままに移動出来るほどじゃない。

「お父さん、お母さん。『みんえー』って何?」
「えっとな・・・。皆が支払う税金っていうお金で動かすのが市営−『しえい』とかそういうもので、民営は・・・主に個人がお金を出して動かすことを言うんだ。」
「何かを始める時の最初のお金が、お父さんが言った税金か誰かのお金かの違いね。」

 唐突に来ためぐみちゃんの質問に、俺と晶子は順に答える。言葉を捜しながらようやく答えた俺を晶子が補足する形にするのは、俺を立てるためだろう。
こういう配慮が嫌味なくさりげなく出来るのも晶子らしい。

「同じバスでも動かすお金に違いがあるから、幾つかのバスが走っている道もあるし、1つしか走ってない道もあるんだ。清水寺に一番近いところへ行ける
バスは、市営じゃなくて民営のなんだ。」
「バスが違うとお父さんとお母さんが困るの?」
「うーん。何せお父さんとお母さんも京都のバスや電車には詳しくないからなー。違うバスにうっかり乗ってしまうかもしれない。」
「お父さんとお母さんだって、何でも知ってて何でも出来るわけじゃないのよ。」

 何でも出来るなら教師も教科書も学校も本も要らない。出来ないことがあるから誰かに聞いたり手伝ってもらったりするし、それがコミュニケーションの
1つとなる。同じ学校、同じクラスだけじゃなく、夫婦でも親子でも変わらない。

「歩いて行こうか。観光案内を見る限り、西に真っ直ぐ行けば行けるみたいだし。」
「そうですね。」

 俺と晶子は徒歩での移動であっさり合意に達する。週末の買い物は自転車か徒歩だし、それ以外での移動も公共交通機関を除けば専ら自転車か徒歩だ。
同じ市の隣町を移動する程度の距離なら歩くことに何らの躊躇いもない。

「めぐみちゃんの抱っこはどうします?」
「このままでも良いけど・・・、歩けないほどじゃないから、めぐみちゃんも歩いてみるか?疲れたら抱っこするし。」
「うん。めぐみも歩く。」

 抱っこされる方が楽だろうからそのままかと思いきや、めぐみちゃんは自分から歩くと言い出す。気を遣わせまいとの配慮だとすれば、悪いことをした
かな・・・。

「めぐみも歩けるから歩く。」
「よし、頑張ってみるか。」

 俺はめぐみちゃんを降ろす。めぐみちゃんは屈んだ俺から軽く飛び降りる。
膝を伸ばして改めて比べると、俺と晶子とめぐみちゃんの身長差はかなりある。俺はさほど背が高くない方だが、めぐみちゃんから見れば十分大柄だろう。
その分威圧感や圧迫感を生じやすいから、気をつけないといけない。

「此処からどのくらい歩くか、だな。」
「ちょっと待ってくださいね。」

 晶子は再び観光案内を捲る。パラパラと左右に捲って晶子が開いたページは、イラスト風の路線図とは違い、縮尺も書かれた地図そのものだ。京都市
全体に道路が隈(くま)なく走り、まさしく碁盤の目を描いていることがよく分かる。

「直線でおおよそ・・・2キロか2.2キロですね。」
「30分くらいか。それほど遠くないな。」

 地図で見ると大きな南北の通りを3つと川−多分鴨川を渡った先の山の中にある。おぼろげな清水寺の景色の記憶と一致する立地だ。3、4km歩くかと想定
していたが予想より近い。

「めぐみちゃんは、どのくらい歩いたことある?」
「んと・・・。お家から幼稚園まで大体10分。」

 幼稚園には徒歩通園か。幼稚園も少子化や親のブランド志向の影響で、スクールバスが各家庭の前を巡回して児童を乗せて幼稚園に向かい、帰りは
スクールバスに乗って各家庭まで送り届けられるケースも多い。近くの幼稚園に通うにしても、防犯意識の高まりから、各家庭か母親の友人同士が交代で
車を出して幼稚園まで送迎することも多いという。
 幼稚園の通園って、近所で誘い合って子どもだけで行くもんだと思っていた。俺自身そうだったし、歩いてやはり10分か15分くらいで通園出来たし、雨が
降ってもそれぞれが傘を差して時に水溜りに強く踏み込んだりして、通園自体も遊びの延長線上だった。車での送迎だと遊びの要素は大きく減る。防犯や
安全を考えると致し方ないのかもしれないが、時代の差と片付けるだけで済むようなものじゃないと思う。

「遠足はバスで行くんだっけ。」
「うん。」
「他に歩いたりしてる?遊びに行ったりとかで。」
「神社やお友達の家に行く時には歩く。でも、どのくらい歩いてるかは分かんない。」
「歩けるところまで歩いてみようか。」
「うん。」

 競争じゃないんだから、出来るところまでで良い。疲れて歩けなくなったらめぐみちゃんよりは体力がある俺や晶子が抱っこするなりする。めぐみちゃんが
自分で歩いてみるという意志を尊重するのが大事だ。

「お父さんとお母さんと手を繋いで歩こうか。」
「うん。」

 昼飯を食べに行った帰りと同じように、めぐみちゃんを中央にしてその右手側に俺、左手側に晶子が立ってめぐみちゃんと手を繋ぐ。自分と両手を繋いで
いる俺と晶子を交互に見て、めぐみちゃんは表情を明るくする。幼い頃って何かと親に甘えたくなる年頃だ。今まで甘える余地がなかっためぐみちゃんは、
俺と晶子を本当の親と思ってるんだろうか。

「お父さんとお母さんは、手まり歌って知ってる?」
「手まり歌?」

 少し歩いたところで、ご機嫌な様子のめぐみちゃんが唐突に尋ねる。思いついたように質問や疑問が飛び出すのは幼児相手だと当然のようだ。即応性が
低い俺にはちょっときつい訓練だ。

「京都の手まり歌のこと?」
「うん。幼稚園で先生が歌ってるのを聞いたことある。」

 手まり歌で全然イメージがわかなかった俺に対し、晶子はさらりと近いもの、否、そのものを挙げる。幼稚園で手まり歌か。ボール遊びの一環で先生が知って
いたのを歌ったんだろう。

「めぐみちゃんは歌えるの?」
「ん・・・。難しくて覚えられない。」

 聞いた経験があるめぐみちゃんも覚えるには至らないか。京都の手まり歌は、最初の一節だけ知っている。以前何かの映画で使われたらしく、スーパーの
子どもやその母親の間でちょっとしたブームになった時に憶えた。確か・・・。

「まーるたーけえーびすに、おしおいけー。」
「あ、その歌だ。お母さん、知ってるんだ。」

 俺が暗唱するのに合わせて晶子が口ずさむ。いまいち自信が持てなかった俺に対して、晶子は俺にも聞こえる声で明瞭に歌う。晶子の歌声を聞くのは
何だか久しぶりのように思う。色々あって晶子は店のステージから遠ざかっているからな。

「全部歌える?」
「メロディが正しいかどうか分からないけど、良い?」
「歌って歌って。」

 めぐみちゃんがせがむと、晶子は微笑んで一呼吸置く。俺も便乗して聞かせてもらおう。

「まーるたーけえーびすに、おーしおーいけー。あーねさーんろーっかく、たーこにーしき。」

 俺も知っていた冒頭の一節以降が、晶子の澄んだ声で緩やかに紡がれる。メロディが正確かどうか分からないというが、手まり歌をはじめとする遊びで歌う
歌は聞いて違和感がなければ十分だろう。その手の歌は楽譜や教材として学校で教わるんじゃなく、親や祖父母から子や孫へ、或いは年長の子どもから
年少の子どもへと口伝えで受け継がれてきたものなんだから。

「しーあーやぶったーか、まーつまーんごじょうー。せーったちゃーらちゃら、うーおのーたなー。ろーくじょうーひっちょーう、とーおりーすぎー。はっちょーう
こーえれーば、とーおじーみちー。くーじょうおーおじーで、とーどめーさすー。・・・おしまい。」
「わー、凄い凄い!お母さん、凄ーい!」

 めぐみちゃんが歓声を上げる。歩きながら頻りに小さく飛び跳ねている。今は両手が塞がっているから無理だが、空いていたら間違いなく手を叩いている
だろう。俺自身拍手したい。今まで店のステージで培った「人前で歌う」度胸もさることながら、澄んだ歌声が胸を良い感じに振るわせる。聞いていて心地良く
なる歌声は、手まり歌や子守唄でより威力を強めるように思う。

「この歌ってどういう意味があるの?」
「京都の道、今めぐみちゃんがお父さんとお母さんと一緒に歩いてる場所も含む道を順番に歌ったものよ。」
「順番ってことは、ドレミの歌と同じ?」
「そうね。ドレミの歌もドレミファソラシドの順番で歌にしてるから。」

 京都の手まり歌の意味は初めて聞く。スーパーで子どもやその母親の間でちょっとしたブームになっていたから小耳に挟んで冒頭だけ覚えたし、調べたり
しようと思わなかったから、由来や意味までは知らなかった。手まり歌として憶えやすくしたんだろうか。

「道の名前を順番に歌ってるんだね?」
「そうよ。今歩いてる道は五条通っていう名前。手まり歌でも『ごじょう』ってそのまま出て来るわね。手まり歌に出て来る通りの名前は、東西−お日様が昇って
沈む方角の方向に引かれている通りで、五条通はその1つなのよ。」
「じゃあ、最初の『まーるたーけ』・・・っていうところもあるの?」
「勿論よ。めぐみちゃんが言った部分は丸田町の『まる』と竹屋町の『たけ』を合わせたものよ。」

 晶子の丁寧で分かりやすい解説に、めぐみちゃんは興味深く聞き入り頻りに頷く。『まるたけ』は丸竹っていう通りの名前じゃないということは、他の部分も
大抵は先頭の一部を取って合わせたものなんだろう。まあ、流石に『とおりすぎ』や『とどめさす』なんて名前はないだろう。歌だから覚えやすさや語呂
合わせも含めたものになっていると考えるのが自然だ。

「お母さんも、凄く物知りだね。」

 めぐみちゃんは俺と晶子を交互に見て、目を輝かせながら言う。

「お父さんは機械とかそういうのに詳しくて、お母さんは地図とか歌とかに詳しい。本を読んだから?」
「そうよ。お父さんはお母さんより沢山、難しい本をお仕事で読んでるんだよ。」
「へえー。」

 タイミングを見て俺を立ててくれる。一般に「難しい本」といわれる部類に属する本を読んではいるが、必要だからな。自前の知識だけじゃ実験や講義の
レポートは書けない。
 晶子も俺の家に住み込んでいる中、自分のレポートを書いていた。PCが安価に入手出来るしワープロソフトも有名どころから穴場的なものまで探せば有料
無料様々あるらしい−詳しくは知らない−が、ワープロソフトで書いた文章はコピーが簡単に出来てしまうためだろう。大学に提出するレポートは手書き
のみだ。晶子は文学部だから流石に実験はないが、レポートはある。食事や洗濯、掃除でしっかり立ち回る一方で自分の分のレポートはしっかりこなして
いた。数は確かに俺より少ない。俺の居る工学部全体がやたらと多いから少なく見えるのかもしれないが、その分かなりの数の本を読む必要があるらしい。
 あと、晶子は趣味の1つとして本を読む。趣味も含めて必要な関連の本しか読まない俺とは対照的に、創作小説からノンフィクションまで様々なジャンルの
本を読む。晶子が作る茶菓子と淹れる紅茶の一部は、その時に費やされる。週1回のペースで晶子の本来の家−晶子自身にはそこが自分の家という意識は
もうないようだが−に行く。その時衣類の交換や郵便物の受け取りや確認、掃除をするが、その際に本も交換の対象になる。晶子の家には服やらバッグ
やらが少ない一方で本はかなり多い。収納が上手いからパッと見ただけではそれほど多く感じないが、彼方此方から出て来る様は宝探しのようでもある。
 晶子の読むペースと量だと何れは本で家が埋まってしまう。晶子も一部の気に入った本を除いて古本屋に持っていく。それで得られる金額は当然度外視。
新しい本と交換する際に偶々得られるという程度の認識でしかも定期的にそこそこの量を持っていくから、古本屋の常連となっている。古本屋に本を持って
いくとすっかりなくなるわけじゃなく、別の本が加わることもある。それはその時読んでいる本の続き−本もものによっては直ぐ書店から消える−だったり、
同じ作者の異なる本だったりと様々だ。ジャンルや作者にこだわらずに色々な本を読むことが晶子所属のゼミの方針と前に聞いたが、それを実践している。
本を読むのは簡単なようで意外と難しい。内容そのものより一定の時間文章と向き合うことに集中力が必要だからだ。

「お父さんは難しい本を読む時、どうやってそこに書いてあることを覚えるの?」
「んー。色々あるけど、何度も読んで問題があればそれを繰り返し解くのと、お母さんが歌った手まり歌みたいに、覚えるものの名前とかの一部を取って並べて
何か意味がある文章になるようにするとか、だな。」
「たとえば?」
「たとえば・・・か。どれが良いかな・・・。」

 俺が覚えてるものは、それこそ「難しい」ものばかりだ。めぐみちゃんが身近に接して尚且つ興味を持てそうなものはなかなか思いつかない。

「難しくても良いか?」
「うん。」

 めぐみちゃんには聞いたこともないような、それこそ何かの暗号か外国語にしか思えないようなものだが・・・、こんなのしか思いつかないからな。

「『貸そうかな。まあ当てにするな。酷すぎる借金。』」
「?」
「?それ・・・どういう意味?」

 あー、予想どおりというか・・・。めぐみちゃんは勿論、隣の晶子も頭に疑問符を浮かべている。京都の手まり歌のように何かを覚えるためのものとは思えない
ありふれた文章だからな・・・。説明は必須だ。

「これは化学−薬とかを合成する分野の勉強で使う、元素−それ自身の性質を示す一番小さい物の覚え方の1つなんだ。」
「お父さん、薬も作ってるの?」
「薬は作ってないけど、その基礎になる幾つかのことは知ってないとお父さんが勉強している仕事の話が出来ないんだ。」
「へえー。」

 とりあえず「こういうことに使う知識の1つ」という概念は掴んだようだ。化学や元素の定義から話し始めると1日じゃ終わらない。幼稚園児のめぐみちゃんは
化学や物理どころか理科という科目があること自体知っているかどうか不明だし、今の時点では概念が分かれば十分だ。後は興味を実現するために本を
読んだり自分で調べたりすれば良いし、それは学校でもすることだ。

「どういう順番なの?お母さんが歌った歌は道の並び方の順番だったけど。」
「お父さんが言った文章−歌とは言えないからな。それは、変化を起こしやすい順に並べたものなんだ。」
「変化・・・。」
「んーと…。鉄は長い時間で錆びるだろ?そういう変化が起こりやすい順番があるんだ。」
「鉄の他は鉄より錆びやすいとか、錆び難いとかいうこと?」
「そうそう。それで良い。」

 厳密にはイオン化傾向しやすい−更に厳密には酸化還元反応で酸化しやすい順番なんだが、イオンを持ち出したらその定義から説明しないと
いけないし、それには原子はプラスの電荷を持つ陽子とマイナスの電荷を持つ電子と電気的に中性の中性子から出来ていて、という話をしないといけない。
更には外殻の電子を放出してプラスの電荷を持つ、すなわちプラスイオンになる元素と、外殻に電子を取り込んでマイナスの電荷を持つ、マイナスイオンに
なる元素があって、という話をしないといけない。とても時間が足りないから、今のところは錆びやすいか錆び難いかの概念で十分だろう。知識のバック
グラウンドが違う相手に話を理解してもらうのは、本当に難しい。

「物の名前だけ先に全部言うと・・・、カリウム、カルシウム、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、亜鉛、鉄、ニッケル、錫(すず:錫めっきに使う金属)、鉛、
水素、銅、水銀、銀、白金、金。」
「えっと・・・、カリウム、かるしーむ・・・。」
「1つずつ錆びやすいものから説明するよ。」

 鉄や金は知っているだろうが、カリウムやカルシウムは初めて聞く名前かもしれない。無論1回で覚えることを求めるわけじゃないから、説明は欠かせない。
俺とて化学は専門じゃないから基礎知識レベルしか話せないが、それでも噛み砕いて説明するには難しい。

「まずはカリウム。植物を育てる栄養分になる肥料の材料の1つだし、人間の身体にも少しだけ必要な金属だ。」
「金属って、鉄の仲間のこと?金属なのに肥料になったり人間の身体にも必要なの?」
「カリウムに限ったことじゃないけど、人間の身体には少しだけ必要な金属が沢山あるんだ。それは多すぎても少なすぎてもいけない。凄く微妙なバランス
なんだよ。」

 説明が難しくなるから言わないが、カリウムは人体に必要な微量元素、所謂ミネラルの1つだ。ある程度の過剰摂取は人体が調節するが、限度を超えると
身体に変調を来たして最悪死に至る。調べれば調べるほど、人体は多数の元素が微妙なバランスで構成していることが分かる。

「カリウムはこんなところ。次はカルシウム。骨を作る金属だから、割と馴染み深い金属だな。」
「めぐみの骨も『かるしーむ』っていう金属で出来てるの?」
「勿論。めぐみちゃんだけじゃなくてお父さんの骨も、お母さんの骨もカルシウムで出来てる。」
「ロボットみたい・・・。」
「金属で出来てるっていうとロボットを思い浮かべるだろうな。硬くて重いだけが金属じゃないんだ。」

 カルシウムが金属と表すると違和感を感じる人が多いかもしれない。だが、カルシウムもれっきとした金属。ロボットみたいというめぐみちゃんの表現は
当たらずとも遠からずだ。ロボットも今は鉄だのアルミだのチタンだので骨格や外殻を作っているが、ロボットが目指すところは人間だ。カルシウムで構成
できない−イオン化傾向が高くて反応しやすい=扱い難いから、加工しやすい鉄やアルミやチタンといった金属で置き換えている。

「次はナトリウム。これはめぐみちゃんの身近にもあるぞ。食塩−塩っていう形でな。」
「塩って入れ物から出なくなることがあるのは知ってるけど、錆びるのは見たことない。」
「見たり食べたり出来る塩は、別のものとくっついてるんだ。ナトリウムだけだと保管もし難い。」
「別のものとくっつく・・・。」
「鉄が錆びるのも、鉄とは別のものとくっつくからなんだ。ナトリウムは鉄が錆びる時とはくっつくものが違う。」
「ふーん・・・。」

 酸化と言えば一言で済むんだが、酸化を知るには酸素という物質の存在の説明が必要だ。更には、ナトリウムが酸素と化合しないで塩素と化合することで
所謂「塩」になることを説明しようとすると、酸化に加えてイオン化傾向そのものの説明も必要になるだろう。めぐみちゃんにはイオン化傾向が錆びやすさの
度合いと説明しているし、その概念を混乱させないためには化合の相手が異なると分かる程度で良いだろう。

「次はマグネシウム。これはあんまり馴染みがないかな。カリウムと同じで人間の身体に少しだけ必要な金属の1つではある。」
「聞いたことない名前。」
「色んなものがあるからな。次はアルミニウム。これは直ぐにでも目に出来る。1円玉の材料だからな。」
「え?1円玉って『あるみにーむ』で出来てるの?」
「『ア・ル・ミ・ニ・ウ・ム』。まあ、正確に言えるかどうかは重要じゃないから良いな。」

 めぐみちゃんは「ニウム」の部分を上手く言えない。これは初めて聞く名前なのもあるだろう。初めて聞く単語を正確に言うのは、日本語でも難しいことが
ある。外来語だと元々日本語と違うから言い回しが日本語の発音に不向きなものも当然混じっている。めぐみちゃんが「ニウム」を「にーむ」と発音するのは、
幼稚園の段階では無理からぬことだ。

「アルミニウム、以降はアルミと略すけど、アルミは軽くて切ったり曲げたりがしやすいから、1円玉以外にも色んなところに使われてる。網戸やドアの外枠とか、
他の金属と混ぜて飛行機や電車とかにもなったりする。」
「飛行機や電車を1円玉と同じもので作るの?」
「他の金属と混ぜて、だけどな。」
「1円玉って小っさくて凄く軽いよね?簡単に折れたりしない?」
「大丈夫。アルミだけでも柱や板にすれば結構頑丈だし、飛行機とかに使うのはアルミだけじゃなくて他の金属を混ぜてるから、がっしりしてる。そうじゃ
なかったら飛行機を飛ばせないだろ?」
「そっかぁ・・・。」

 1円玉と同じものを使って作られてるってことで、不安が先に出たようだ。1円玉の寄せ集めを連想すると確かに心もとない。そんな脆いものが線路を走り、
更には空を飛んで大丈夫なのかと思っても無理はない。
 俺が3年の1年間で経験した学生実験は、当然だが電気電子関連の題材だった。実験が終わると実験の監督や口答試験、レポートの審査を担当する
各分野の研究室助手の居室に行くんだが、その途中、巨大な銀色の構造物を垣間見る機会があった。口答試験が終わった後−その分野でも俺は先に
口答試験を受けて解放されていた−から実験室に戻る途中、その研究室に居た所属の学部4年にあれは何かと聞いたところ、真空装置で材料は大半が
ステンレスだが一部アルミもあると教えてくれた。真空装置は購入することもあるが、研究や実験の内容によっては自作する必要がある。工学部には付属の
工作工場があって、旋盤やらフライスやら材料工作に使う大型機械が幾つも鎮座していて、そこで学生や院生が中心になって真空装置を製作する。
 俺の名前と顔は普段出入りしないその研究室の人にも知られていたらしく、真空装置の材料や何故アルミ箔で覆ってあるのかなど懇切丁寧に教えて
くれた。直接の勧誘はなかったが−強引になって逆に嫌われる危険性を考慮したんだろう−うちの研究室は就職は悩まなくて良いと最後に言われた。
 アルミ箔で覆われているのは一言で言えば「保温のため」。真空は文字どおり「何もない」状況だ。対象は空気だけじゃなく、水も含まれる。ある筈がないと
思うが実のところ水分は彼方此方に潜んでいる。真空装置で使われるアルミやステンレスも例外じゃない。水分は表面には見えなくても内部に含まれている。
真空装置では装置内外の空気圧の差などで、真空装置を形成する材料から水分が染み出してくる。測定や実験の対象になる物質以外は極力省きたいから
真空を作るのに、途中で水だの空気だのが出てこられたんじゃ意味がない。
 そこでヒータの出番となる。ものは電気ストーブの内側で赤く輝いて熱を発する「あれ」と同じで、形状がリボンのように細長い不燃性の布で包まれているから
リボンヒータと言われるが、それを真空装置のいたるところに巻き付ける。装置の規模にもよるが1本2本なんてもんじゃない。だが、単に巻きつけて加熱する
だけでは、かなりの熱が空気中−此処では実験室内の空気−に逃げてしまう。電気ストーブでは放出されないと意味がないが、真空を作るために巻き付ける
ヒータでは熱に逃げられると省エネの観点からも問題がある。真空装置にヒータを巻きつけて加熱して空気や水など余分なものを除外する過程を
「ベーキング」と言うが、ヒータは電気ストーブ数台分の電力を消費する。しかも真空が出来上がるまで24時間付けっぱなしだ。ベーキングの最中に出来るだけ
ヒータの熱を逃がさないようにアルミ箔で覆うというわけだ。
 アルミは身近な金属でありながら、作るのに金がかかる。イオン化傾向でかなり高い位置にいることから化学の知識があれば察しがつくだろうが、溶鉱炉で
溶かしてコークスを混ぜて純粋な状態にしてから精錬、ということが出来ない。中学あたりで習うのと同じように電気分解でないと作れない。その電気も
少量で済まないからその分コストがかさむ。「1円玉が1円で出来ない」というのはアルミのコスト高を簡潔に示している。

「鉄で作るのとアルミで作るのでは、どう違うの?」
「作るものや目的によって色々だけど・・・、大まかに言うと、アルミは軽くて切ったり曲げたりといったことがしやすいことに、鉄は安く多く作りたいことに
使うかな。」
「たとえばどんなこと?」
「例を挙げるとなると・・・、アルミは1円玉やサッシやドア以外に、携帯電話のフレーム−外枠とかにも使われてるな。携帯電話は軽いことが重要だから、多少
傷がつきやすくなっても軽いアルミを使う。」
「へえー。」

 正確に調べたわけじゃないが、家電製品の目に見える金属部分で銀白色のものはアルミが多い。安く出来る−鉄鉱石を溶かしてコークスを入れれば純鉄に
なる−から鉄を使ってコストを抑えたくなるが、携帯のような小型且つ複雑な形状を鉄で実現するのは難しい。硬いということはそれだけ加工がし難いと
いうことでもある。市販される携帯の製造ラインを見たことはないが、鉄を加工する分の機械や刃物など消耗部品のコストも考えると安いからというだけで
鉄を採用するわけにはいかない。
 もう1つ、携帯に特に欠かせないことは軽さだ。片手で誰でも気軽に持ち運び出来るから「携帯」が携帯電話を指すほど普及した。これが無線基地局のような
大きさと重さのままだったら普及はしなかっただろう。持ち運びする頻度が高いほど軽さは重要なキーワードになる。
 携帯の中身は電話がおまけの機能と思えるほど様々なものが詰まっている。当たり前のように見る液晶画面、着信音を鳴らすためにも使うスピーカ、携帯
自身を細かく振動させるバイブレータ、要するに小型モータ、使用モードによって数字や文字列、果ては絵文字を入力するためのキーパッド、機能の
豊富さや少ないキーでの様々な操作を使用者に気にさせないレベルで実現する電子回路、微弱な電波を送受信する無線通信回路と、欲深いにも程がある
ほど詰め込まれている。電子回路は集積化とそれに伴う小型化で軽量に出来るが電子回路だけでは限界がある。
 キーパッドはスイッチの塊だからスイッチが薄くなることで薄く軽量に出来る。スピーカやモータも技術の進歩で小型高性能化が同時に進む。だが、中身を
軽量化してもそれを包むフレームが重かったら無効化される。フレームはある程度強度がないといけない。不意に落としてしまって分解するようじゃおちおち
持ち歩けない。コンクリートの壁に投げつけても大丈夫という装甲車みたいな強度は不要としても、日常生活での扱いに耐える程度の強度が必要だ。
 プラスチックに代表される樹脂は熱で変形するし、やはり脆い。となれば金属が視野に入る。コストと加工のしやすさを秤にかけて、結果大部分をアルミで
作ることになる。コストは鉄より高いが加工のしやすさはそれを補う。小型の量産品となれば尚更だ。

「飛行機はさっきも言ったようにアルミだけじゃなくて他の金属と混ぜてるけど、鉄で同じものを作るよりずっと軽いし、十分頑丈に作れる。飛行機は頑丈に
作られてることも重要だけど、軽さも重要なんだ。燃料代がかかるからな。」
「燃料代って、ガソリン代と同じこと?」
「そう。飛行機はガソリンじゃないけど同じ種類の燃料を使う。何十人と乗せて空を飛ばすとなれば、重いと燃料代がかかるのは想像出来るか?」
「うん。ガソリン代と同じでしょ?」
「だから、飛行機は鉄で作るより他の金属と混ぜたアルミで作るってわけ。」
「ふーん。考えて作ってるんだね。」

 理解出来たようだ。やっぱり知識レベルが違う相手に物事を説明するのはかなり難しい。これも子育ての練習・・・になるか?

「アルミに関してはこんなところか。他に聞きたいこととかある?」
「ううん。もうない。」

 内心一安心。1円硬貨がアルミで作られている理由を聞かれたら知らないからどうしようかと思ったが、飛行機が鉄じゃなくてアルミ、正確にはジュラルミンで
作られることに関心が移って、その理由が分かって満足したようだ。

「じゃあ次だな。次は亜鉛。聞きなれない名前かもしれないけど、割と密接に人間と関係してる。」
「どういう風に?」
「亜鉛は舌で味を感じるために必要な金属なんだ。勿論、ごく微量だけどな。」

 時々浮上する味覚障害。目玉焼きにかけるのはソースか醤油かなど好みの違いは別として、何でもかんでも唐辛子を振りかけてそれで辛いと感じないのは
明らかに味覚がおかしくなっている。人体に必要な微量元素、所謂ミネラルの不足で亜鉛はかなり表に出やすい金属だ。
 店に来る客でも、唐辛子まではいかなくても「そんなにかける必要ないだろう」と首を傾げるほど醤油やソースを出された料理にかける人は時々居る。
それだと料理の味じゃなくて醤油やソースの味しか分からないと思うんだが、客が出された料理をどう食べるかに口出しすることはしない。

「亜鉛って、どんな食べ物に含まれてるの?」
「うーん・・・。お父さんは料理に詳しくないからな。お母さんの方が良く知ってると思う。」

 料理の材料は知ってても、どれに何が多く含まれるかなんて知らない。今まで人に聞いたり本を読んだりした過程で、野菜特に緑黄色野菜は重要である
こと、ビタミンは人体で作れないから食事で摂取するしかないことくらいしか知らない。こういったことは晶子の方がずっと詳しい筈だ。

「お母さん、知ってる?」
「うん。主なものとしては、牡蠣、うなぎ、レバー、納豆、豆腐ね。」
「『かき』ってあの赤い果物?」
「果物じゃなくて貝の仲間の方。冬の鍋物やフライに良く使われるよ。」

 俺の期待も篭っためぐみちゃんの疑問に、晶子はしっかり答えてくれる。数種類のメニューのローテーションにならない種類の料理を目的に応じて日々
作るだけあって、食材の用途や料理方法を熟知している。
 牡蠣はカキフライとして弁当に登場したことを良く憶えている。登場前の週末の買い物で牡蠣が食べられるか否かを聞かれたから登場は間違いないと
思っていた。牡蠣は好き嫌いが明瞭に分かれやすいから、俺が食べられない事態を避けたかったんだろう。俺は今のところ焼き茄子以外は全てOKだから
そのとおり即答しておいた。

「レバーは知ってる?」
「んー・・・。聞いたことあるようなないような・・・。」
「レバーは牛や豚や鳥−鶏の肝臓っていう内臓の1つよ。」
「肉じゃなくて内臓?そんなの食べられるの?」
「勿論よ。焼いて食べると美味しいし、栄養も豊富よ。」

 レバーが内臓と知ってめぐみちゃんはやはり強い警戒感を抱いたようだ。晶子の事実だが好意的な解説でも納得しかねる様子だ。
 レバーも好き嫌いが明瞭に分かれやすい、しかも「嫌い」が「絶対拒否」と強い感情になりやすい食材だ。実家に居た頃焼肉を食べる時は母さんと弟が
レバー嫌いでまったく手を付けなかった。その分俺と父さんで山分けしていた。「臭いし不味い」と母さんと弟は言うが、俺に言わせればレバーより焼き茄子の
苦さや不味さの方が酷い。
 晶子には絶対焼き茄子だけは作らないでくれと半ば懇願している。晶子は嫌がらせをする性格じゃないから今まで出された料理や弁当の中に焼き茄子が
紛れ込んでいたことはない。俺の焼き茄子嫌いが克服される前に焼き茄子が登場するのは、俺と晶子の関係が別れるまではいかなくても最悪の冷戦状態の
時くらいだろう。
 その晶子はゼミでの俺との話で、俺の食べ物の好き嫌いについても話した。個人情報云々は食の好き嫌い程度なら秘匿するまでもない。話を聞いた人が
俺に焼き茄子の山を突きつけてくるなら話は別だが。

「納豆や豆腐は知ってるよね?」
「うん。でも、納豆は食べたことない。おばあちゃんも買ったことないって言ってた。」
「そっかぁ。関西は納豆を食べないていうのは、間違いじゃないみたいね。」

 境界は不明瞭な「関東」と「関西」なる、日本の地理的区分の1つでは様々な違いがある。その中の1つが納豆を食文化とするかどうかだ。俗説かと思いきや
案外そうでもない部分もある。
 俺と晶子が住む新京市は関西に入る位置にある。そのせいか、納豆の売り場はあまり賑わわない。棚もあることはあるが人がこぞって買っていくことは
見かけない。俺の実家も関西に入る。地元生まれ地元育ちの両親が揃って納豆嫌いだから、俺の実家では納豆が食卓に並んだことはない。俺は高校時代に
よく出歩いたし他人と食事をする機会もよくあったから、そこで偶に見かけて口にしたくらいだ。両親が口を揃えて言うほど臭いとか不味いとか思わず、
今も普通に食している。
 大学は全国から学生が集まるから、生協の食堂には定食メニューの他にある一品料理に主だった料理があって、そこには納豆もある。食事がてら観察して
いると、必ず納豆をつける人も居るし納豆には見向きもしない人も居る。
 晶子が作る弁当のメニューには納豆そのものはない。納豆のあの粘り気は他の料理との共存が難しいからだろう。家で食べる夕飯には時々出る。納豆
そのものの時もあるし、天ぷらの一品として並ぶこともある。そのまま以外での食べ方を知らなかった俺には最初こそ驚きだったが、食べてみるとそのまま
とはまた違う食感と味−晶子手製のつゆにつけて食べる−が楽しめて結構好きだ。
 京都は明確に関西に入る。納豆がまったくないということはないだろうが、納豆を食べる習慣はあまりない、食べる食べないで言えば「食べない」方に区分
出来る土地柄なんだと分かる。
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