雨上がりの午後

Chapter 172 穏やかに流れ行く年の瀬の時間

written by Moonstone


 18:00前にロビーで待っていたら、耕次達が揃って戻って来た。
流石の宏一も昨日で懲りたのか、遅刻することはなかった。スキー用具持参派が荷物を置いて戻って来て、揃って食堂に向かった。

「どうだ?スキーの方は。」
「人が昨日より増えたかな。中級者コースを滑ってるんだが、どうも混雑を避けて上側にシフトして来ているらしい。その辺の事情は、底引き網漁のためにあえて
初心者コースに居る宏一の方が詳しいだろう。」
「ああ、かなり増えて来た。リフトは朝から行列だし。何でも大晦日にスキー場でカウントダウンイベントがあるから、その前に現地入りしたそうだぜ。
大晦日と正月はどの宿も予約でいっぱいだってよ。」
「ということは、混雑はまだピークに向かう途中ってわけか。結構ひっくり返ってる奴が居たから、スキーをしたい奴は多少無理をしてでも混雑を避けて
上側にシフトしてるんだろう。」

 カウントダウンイベントか。
全国で行楽地や観光地と言われる場所では大抵行われるようになった。
花火が打ち上げられたり、電光掲示板に年が明けるまでの秒数がでかでかと表示されたりと、幾つかパターンがある。
去年は帰省していたから実家で年を越したが、何処へ行くでもなく平穏且つ退屈な年明けだった。

「祐司と晶子さんはどうだ?今日は祭りに飛び入り参加させてもらったんだろ?」
「ああ。ルールは単純明快で、二手に分かれてひたすら雪球を投げるってもんだった。狙われてたのかどうかは分からないけど、立ってても雪球を作るために
屈んでても雪球が飛んで来たし、雪は次から次へと降ってくるし、終わった時は雪だらけだった。途中で何度も雪を払ったし。でも、なかなか楽しかった。」
「力を加減しろ、とか言われたんじゃないか?」
「ああ。俺も晶子も始まる前に言われた。見た目飛び抜けて身長があるから、力があると思うんだろうな。」
「観光の方はどうだ?」
「賑わいはそこそこあるけど、混雑してるってほどじゃないな。昼飯時は店がちょっと混雑してたけど待つほどでもなかった。いたって平和なもんだ。」
「雪合戦が終わってから、審判をしていた伯母さんと雪合戦に参加していた子どもに誘われて、ぜんざいをご馳走になったんです。美味しかったですよ。」
「随分人が良いですね。俺が住んでる町じゃまず考えられないことです。ありえない、と言った方が適切なくらいです。」

 晶子の補足に耕次が言う。
確かに今日の出来事は耕次が住んでいる町−耕次も一人暮らしをしている−でなくても、俺と晶子が住んでいる町でも考えないことだ。
街頭で声をかけられてついて行ったら商品の勧誘で逃げようにも逃げられなかった、という警告が大学でもあったくらいだ。

「祐司と晶子さんは暇を弄ぶんじゃないかと思ってたけど、そんな心配は全然必要ないな。」
「2人が共通の時間の過ごし方を知ってるから出来るんだろう。」

 耕次の言葉に渉が同意を込めた補足をする。言われるまでもなく、俺と晶子は2人で見た目派手なイベントがあるわけでもない町を1日歩き回る、という
退屈に思われるかもしれない時間を楽しめるだけの共通の価値観を持っている。共通の価値観を持つということは、長い付き合いをする上で必要不可欠なことだと思う。
 夕食が6人分揃って運ばれて来た。従業員が1品ずつを6人分持って来る、という図式は今回も変わらない。
これもサービスの一環なんだろう。今日の伯母さんの話を思い出すと、切なくさえ思う。

「カウントダウンイベントって、どんなもんなんだ?」
「その辺の事情は宏一が一番良く知ってる。」
「スキー場のゲレンデにでかい電光掲示板を用意して文字どおりカウントダウンを見せて、年が明けたら、ゲレンデの上級者コースから初級者コースまで
並べられた松明に、上から順にスキープレイヤーが火をともしていって、最後はオリンピックの聖火台みたいなでかい器か何かに火をつけておしまい、って流れらしい。
年末の恒例で此処に来てる、っていうお嬢さんから聞いた。」
「女から聞いた、っていうのが宏一らしいが、まあそういうイベントだ。」
「それはスキー用具を装備してないと会場っていうのか・・・、そこには入れないのか?」
「ああ、それならノープロブレム。カウントダウンイベントのためだけに此処に来てる奴等も結構居るらしい。何でも、この地方じゃ有名な一大イベントだそうだ。」

 スキー場でカウントダウンイベントとなると、まさに若者向けだ。
年配者でカウントダウンイベントに参加した、という話は聞いたことがない。これも「町の活性化のため」のスキー場建設に伴って出来たイベントだろう。

「祐司も晶子さん連れて行くつもりなのか?」
「いや、まだ決めてない。スキー場でのカウントダウンイベントがどんなものか知りたかっただけだ。」
「情報収集ってやつか。」
「そんなところだ。」

 俺はどんなものか知りたかっただけだし、晶子が行きたいと思っているかという問題もある。
面子は恐らく全員揃ってカウントダウンイベントに行くだろうが、晶子は俺と2人で静かに年明けを迎えたい、と思ってるかもしれない。
去年帰省した時は、親戚回りで満腹の上酔ってたから、晶子からの電話も今思うときちんと出来なかったが、マスターと潤子さんの家で正月を迎えた、と
言っていたから今年は俺と2人で、と思ってるかもしれない。こういう機会だから晶子の意思を出来る限り考慮したい。

「祐司さんと私は明日の朝、朝市に出かけるんです。」
「朝市・・・。ああ、年越し朝市ですか。」
「ええ。一度行ってみようってことで。」
「朝何時からなんですか?」
「6時から8時までだそうです。」
「うわっ、そんな朝早くからですか。」

 質問した耕次は顔を顰める。
そんな朝早くから出かけたくない、と思ってのことだろうが、俺からすればスキーに行くのも十分寒い思いを味わうことになると思う。

「皆さんはどうされますか?」
「生憎ですけどスキーの疲れを癒すのを優先して、寝させていただきます。」
「同じく。」
「俺も遠慮させてください。」
「あ、俺もパスです。」

 晶子の誘いを、面子がやんわりと辞退する。
スキーは見た目より疲れるらしい。若者向けの繁華街まであるのに温泉宿が多いのもそれを証明している。
それに買い物のために朝早く起きたくないという気持ちもあるんだろう。これは俺がどうこう言う話じゃない。
俺と晶子だってこの町に来たのにこの年齢の「定番」から外れて昼間から町を歩き回ってるんだから、好き好みに口出しすべきじゃない。

「俺達もカウントダウンイベントの話は今日宏一から聞いて知ったばかりだから、まだ行くかどうか決めてない。それは祐司も同じだろ?」
「ああ。」
「行く行かないは勿論自由だから、晶子さんと相談して決めてくれ。行くなら場所を教えるから。」
「分かった。」

 耕次達は俺と晶子が別行動を執っているのを知っているから、今回も一緒に来い、とは言わない。
俺も晶子の意思を聞いてから決めたいし、俺としてはあまり気が進まないのもある。
人ごみに酔うわけじゃないが、聞いた限りではあまりカウントダウンイベントに魅力を感じないからだ。
 とりあえず、今の目的は明日の朝市に出かけること。早めに風呂に入って床に就くのが賢明だ。
朝6時から8時までと比較的時間帯が短いし、土産物目当てに観光客が大量に押し寄せているかもしれない。
 明日で今年も終わりなんだよな。あっという間に1年が過ぎた。
来年は就職に代表されるように、自分が進む未来を決めなければならない。
でも、今だけは、この町に居る時だけは忘れても良いだろう。時が来れば嫌でも考えたり悩んだりする日々がやって来るんだから。

 ピピピッ、ピピピッ。
鳥の囀(さえず)りのような軽やかな音で、意識が闇から浮かび上がる。
俺の左肩に乗っていた重みが消えて、音が止まる。隣では、晶子がうつ伏せのまま身を乗り出して目覚し時計を手にしている。

「祐司さん。朝ですよ。」
「ああ。起きてるよ。ちょっと眠いけど。」

 目覚ましは昨日寝る前にセットした。時刻は5時半。着替える時間を見越してのことだ。
カーテンで閉ざされた窓からは、少しも光が入って来ない。まだ夜なんじゃないか、と勘繰ってみたくもなる。
暖房が常時入っているおかげで、冬特有の「布団から出るのが寒くて辛い」というのがないだけまし、と思った方が良いか。
 部屋は当然真っ暗だが、手探りでないと何も出来ないということはない。暗闇にある程度目が慣れているからだ。
逆にこの状態で電灯を点けたりすると眩しさで目が眩むこともある。
晶子が布団から出たのに続いて、俺も布団から出る。着替えは寝る前に枕元に置いておいたから、暗闇の中で闇雲に手を動かす必要はない。
 着替えは闇の中で進む。晶子は布団から出て畳の上で、俺は敷布団の上だ。
浴衣を脱いで畳んで−俺は晶子のように綺麗に出来ないが−、枕元にある服を着る。
ふと隣を見ると、晶子がシャツのボタンを填めている。下は太腿が剥き出しだ。色白だから尚のこと艶やかに見える。
 晶子の太腿を生で見るのはこれが初めてじゃない。つい数日前にこの目で見たばかりだ。
見ただけじゃない。自分の指と唇で触れて、その肌の滑らかさも知っている。
太腿だけじゃない。他の場所だって見たし触れたし、それはその日だけじゃない。なのにどうして、こんなに艶っぽく見えるんだろう・・・。

 ・・・このままだと晶子に飛び掛りかねない。俺は晶子から視線を逸らして服を着るのに専念する。
冬はどうしても着るものが多くなる。それに1枚1枚が厚手だから、何となく落ち着かないと言うか身体に馴染まないというか・・・。
服を全部着てから手足を軽く動かす。こうすると「服に覆われている」から「服を着ている」という感覚が芽生える。

「祐司さん。準備出来ました。」
「俺もだ。あとはコートとマフラーだな。」
「私が取ってきますね。」

 晶子は小走りで箪笥に向かい、中から俺と自分のコートとマフラーを取り出し、両手で抱えて持って来る。
気が利くと感心するより小間使いにしているようで申し訳なく思う。
礼を言ってからコートを着てマフラーを巻く。携帯と財布は・・・あるな。
目覚ましがあるから、ってことで携帯はサイレントにして財布と一緒に箪笥にしまっておいた。一箇所違うのは、俺のコートには部屋の鍵が入っていることだ。
 俺は晶子の手を取って部屋を出て鍵をかける。
廊下は薄明かりが一定の間隔で灯っているが、外の暗闇を破るには程遠い。当然人気はないから不気味なくらい静まり返っている。
こんなところで大声を出すほど馬鹿じゃない。薄明かりのおかげで目が眩むこともなく、俺は晶子と静かな廊下を歩いて階段を下りる。
 1階も人気は殆どない。全く居ないと思っていたが、数名居る。厚着なのは俺も晶子も同じだが、顔立ちからするに年齢層は高めだ。
女性数人のグループで、何やら地図らしいものを真ん中に広げてあれこれ言っている。この場所にはこういうものが売っているとかいうガイドブックみたいなものだろうか。
携帯を取り出して時刻を見る。朝市開始まで10分ほどある。着替えが速く済んだからだろうが、10分くらいなら歩いている間に過ぎるだろう。
 俺は受付に向かい、カウンターに居た伯母さんに鍵を預ける。
これはこれまでと全く変わらないが、こんな早くから居るということは、朝市に出かける客が居ることを見越してのものだろうか。

「お願いします。」
「はい。ごゆっくりどうぞ。」

 意外とかそういう目では見られない。やっぱり朝市も町の行事の1つという位置づけで、
宿は客が何時でも出かけられるように誰かがこうして番をしているんだろう。
客商売の大変さは俺の実家でも今のバイト先でも経験はあるが、宿のように事実上24時間営業じゃないからな。
 俺は何やら相談事をしている女性グループの脇を通り、待っていた晶子の手を取って宿を出る。その瞬間、剥き出しの頬に強烈な冷気が突き刺さる。
この寒さは感覚的に新京市を上回る。雪が積もるくらいだから寒くて当然だろうが、多少厚めに着込んで正解だった。雪こそ降ってないが、これだけ寒ければ雪は要らない。
 俺達が泊まっている宿の周辺は同業者、つまり宿が集中していることもあって、あまり人気がない。
朝市目当てらしい人達は居ることは居るが、人数は数えられる程度だ。年齢層で言えば、俺と晶子は飛び抜けて若い。
まあ、若さを自慢するつもりなんて毛頭ないし、俺と晶子の目的は人間ウォッチングじゃなくて朝市だ。いちいち人の様子を気にしていたら何も出来ない。
俺は晶子の手を引いて歩き始める。晶子が直ぐ隣に並ぶ。
 宿が密集するエリアから大通りに出ると、雰囲気が一変する。
この寒い中に幾つもの露天が軒を連ね、商品が陳列されている。早くも商品を品定めしている人が居る。
携帯で時刻を見るとまだ6時になってないが、客が来たら開始、という意識で、開始時刻は目安程度のものなんだろう。俺は晶子と一緒に朝市を見て回ることにする。
 最初は土産物関係。
木彫りの猿の置物が主体だが、大きさは店頭にあったもののように何処に置くのか聞きたくなるようなものはなくて、掌サイズのものだけだ。
まあ、大きなものを置いておいても客も持って帰るのに困るだろうから当然と言えば当然か。
値段は・・・確かに安いように思う。土産物屋の店頭で見た時には値段まではっきり見てなかったから、断定は出来ないが。
 最初の店で買ってしまうと、他の店で同じようなもので値段が安いものを見つけてがっくり、なんてこともあるだろうし、店はざっと見た限りでも大通りの
両脇にずらりと並んでいる。もう少し見てからでも良いだろう。晶子もそう思ったのか、歩き始めた俺を引き止めることはない。
 次は野菜関係。昨日までにも見た八百屋を小さくして、品物だけそのまま持って来た感じだ。
白菜、大根、株・・・。冬野菜ばかりだな。温室栽培はしてないんだろうか。それをやってしまったら、普通のスーパーと変わりなくなるだろうが。

「へえ。こんな大きい白菜が1つ丸ごとで80円ですか。」
「どれも今朝採って来たばかりのものですよ。」

 晶子は値札と品物を見比べて目を輝かせている。晶子は自炊してるから、普段買っているものと比べるんだろう。
自炊をとうに放棄している俺は「一度にいっぱい買えて安ければOK」程度の認識しかないが、晶子は普段の買い物でもかなり吟味してるからな。
 他の品物も興味深そうに見てから、晶子と共に他の店を見て回る。
漬物も真空パックに入ったものから、木製の桶(おけ)−この辺が情緒豊かだ−に入っていてグラムあたり幾らで売るという、漬物らしくない豪快な売り方もある。
置物は猿の他にシンプルなものだと雪だるま、手が込んだものだと山車−この町の春の祭りで使うものを模したものだそうだ−まで色々ある。
値段も昨日伯母さんが言ってたとおりかなり安い。単品で1000円以上のものを見つける方が難しい。店頭の置物は小さいものでも7、800円はしたけど、
この朝市では500円くらいだ。
 朝市の賑わいは穏やかなものだ。閑散としてはいないが、人波に押されて動かないといけないなんてことはない。
ゆったり気ままに店に立ち寄り、品物を見る。この町の名物の1つだというからもっと派手なものかと思っていたんだが、予想が外れてほっとしている。
 幾つか見て回って品物と価格の大まかな傾向を把握したので、購入目的に品物を見て回る。
食べ物だと漬物、そしてオーソドックスに饅頭。饅頭は白い表面に黒餡で波模様が描かれているという、ちょっと珍しい一品。
置物は猿。掌サイズのもので色々あるが、同じ大きさの猿が寄り添って座っているものが微笑ましい。
 普段家でまともな食事をしない俺が、漬物を買っても意味がない。漬物に不可欠とも言えるご飯を炊くこともしないからだ。
よって食べ物分野は饅頭に決定。掌サイズの土産物にしては大きめのものが16個入りで1000円。帰りに実家に立ち寄る可能性を考えての選択だ。
置物は同じ大きさのものが寄り添って座っている、これまた掌サイズのものにする。こちらは500円。
 晶子は自炊をしていることもあって漬物の他野菜も欲しい様子だが、漬物だけにする。 100グラム70円のものを3種類それぞれ200グラム、つまり420円。
置物は同じ大きさの猿が向かい合って両手をつき合わせているものを選ぶ。こちらも500円。
それぞれが竹ひごで編まれた籠に−最初に買った時にもらった−買ったものを入れたところで携帯で時刻を見る。8時まであと20分を切ったところだ。
宿での朝食の時間は7時から9時。丁度混雑のピークを迎えている頃だろう。

「宿に戻ろうか。」
「はい。」

 朝飯は混雑を過ぎてからでも構わない。普段は平日朝早い一方で土日は昼まで寝てるという両極端な生活をしてるから、1時間や2時間のずれはずれにならない。
それに、急いで朝飯を食べないと遅刻する、とかいう切羽詰った状況でもないから尚更だ。
朝市の時間は間もなく終わるからとりあえず宿に戻って、食堂の混み具合を見て今後の行動を決める。そんな流れで良い。
 宿に戻るには意外に歩く必要があった。
朝市の店は大通りに沿ってずらりと並んでいたし、幾つもの店を見て回ったから、どうしても遠くに行ってしまう。
宿に着いた時には8:00過ぎ。受付で部屋の鍵を返してもらって食堂に向かう。予想どおりといおうか、食堂は混雑している。やっぱり混雑のピークを過ぎるまで
待った方が良さそうだ。
 俺と晶子は部屋に戻る。食べ物関係は冷蔵庫に入れ、置物関係は鞄の近くに置いておく。
漬物や饅頭は常温で腐るものはあまりないが、冷蔵庫で保管しておくのが無難だ。この町を出るまでに今日を含めてまだ4日あるからな。
 改めて携帯で時刻を見ると、8時15分過ぎ。そろそろピークを過ぎる頃だろう。
あまり遅くなると朝飯を食べ損なう。まあ、食べそびれても外で食べれば良いだろうけど。

「祐司さん。食堂へ行ってみませんか?」
「そうだな。時間も丁度良いくらいだし。」

 晶子も同じ考えだったようだ。揃って部屋を出る。
俺が鍵を閉めようとした時、両側のドアが開いて人が出て来る。言うまでもなくそれは耕次達。俺と晶子を見て少し驚いた様子を見せる。

「祐司。今から朝食か?」
「ああ。もうそろそろ混雑のピークを過ぎ始めただろうからな。そういう耕次は今起きたのか?渉も。」
「目覚ましはかけておいたんだが、気付かずに寝入っててな・・・。」
「不覚だ。完全に寝過ごした。」
「勝平と宏一もか?」
「耕次と渉と同じく、完全にノックアウトだ。」
「体力には自信あるつもりだったんだけどなぁ〜。」

 全員揃って寝過ごしたらしい。
揃って起きるのは偶然のなせる業だろうが。昨日は俺と晶子より早く起きていたのに今日は全員寝過ごすとは、初日で結構蓄積した疲労が一挙に吹き出たんだろうか。

「ところで祐司。お前と晶子さんは朝市に行ったのか?」
「行ったぞ。帰って来てからまだそんなに時間経ってない。」
「6時から今までずっと行ってたのか?」
「はい。6時少し前に起きて。」
「そうですか。よく起きられましたね。」
「普段、朝ご飯を作るために6時には起きていますから。」

 俺は最近まで時間ギリギリまで寝ていた。
あの事件以降空きコマの有無に関係なく晶子と一緒に通学するようにしたから、普通の目覚まし時計に加えて携帯のアラームも加わったし、使命感もあってか
寝過ごすことなく起きている。夜遅いのは相変わらずだから眠い筈なんだが、慣れというのは凄い。
 対する晶子は行きに俺を迎えに来てくれるから、その分朝が早くなる。
俺と一緒に通学するようになったことで、これまで6時半起きだったのが6時と30分早まった。
朝の30分というのは感覚的に昼間の1時間以上に匹敵する。早めようとするのは尚更だ。
だが、晶子は何の苦もなく起きている。今日だって俺より先に目覚ましに反応して起きてたし。

「此処で立ち話も何だし、朝飯食いそびれないうちに食堂へ行くか。」

 耕次の音頭で、全員揃って食堂へ向かう。
1階へ降りたところで、ぞろぞろと続く人波と出くわす。若年層は俺達と入れ替わる形で階上へ、年配層は持っていた上着を羽織って出入り口へ向かう。
やはり食堂の混雑のピークが過ぎたようだ。
 案の定、食堂は閑散としている。従業員が片付けに追われる中、俺達は近くの空いている席に座る。
程なく従業員が急ぎ足でやって来て、お絞りと湯のみを置いて、茶を汲んでから、少々お待ちください、と言って足早に立ち去る。
俺も普段のバイトで混雑している店内を走り回っているから、従業員の気持ちはそれなりに分かるつもりだ。

「で、収穫はあったのか?」
「事前に店頭よりかなり安くなるとは聞いてたけど、実際かなり安かった。俺は饅頭と木彫りの猿の置物。」
「私は漬物3種類と、祐司さんと同じく木彫りの猿の置物です。」
「猿の置物と漬物は分かるが、饅頭はどうするんだ?」
「帰りに実家に寄る時を想定して買った。」
「可能性として含めておくのか。寄った時は手土産になるし、寄らなかったら晶子さんと食べれば良いだろうし、適切な選択だな。」

 耕次とやり取りする。まだ実家に立ち寄るかどうかを決めたわけじゃないが、可能性が消滅したわけじゃない。その時手ぶらというのも何だし、漬物は意外に
好き嫌いが出るから、無難に饅頭にした。父さんも母さんも糖尿じゃないし、甘いものは人並みに食べるから、その観点からしても無難な選択だろう。
手土産に饅頭はよくある話だが、手土産に漬物という話はあまり聞かない。
 従業員3人がかりで全員分の朝飯が運ばれて来た。朝食は9時までだからそんなにのんびりしてはいられない。
量はそこそこだが品数はやっぱりかなり多い。これだと後片付けも一苦労だろう。
俺はバイトで注文を取って出来た料理を運んで後片付けをするのが主だが、使用済みの食器を洗うのはキッチンを仕切る晶子と潤子さん。
料理を作りつつ次から次へと運ばれて来る食器を洗うんだから、俺だったらうんざりするだろう。
晶子は自炊しているからその辺は台所で働く者として意識が完成されているようだ。

「話は変わるが、今日のカウントダウンイベントはどうする?」
「うーん・・・。まだ何とも言えない。折角来たんだからどんなものか見てみたいっていう気持ちもあるけど、混雑の中にわざわざ突っ込んでいくのも気が引けるからな。
皆は行くのか?」
「その方針ではある。」

 耕次の専門分野の用語を使えば「前向きに検討」しているってところか。
この地方で有名だと言うし、耕次は色々なことに積極的だから−対する俺はギターのくせに消極的過ぎとよく言われた−、好奇心が沸くんだろう。

「そのイベントって、何時から始まるんですか?」
「あ、えーと・・・。午後11時からだったと思います。宏一、どうだ?」
「そのとおり。午後10時受付開始で、午後11時開始。カウントダウンが始まるまでには、屋外特設ステージでイベントがある。入場料は無料だが、場所が限られてるから
あまり遅いと入れないかもしれない。」
「どうせ行くなら早めの方が良いな。」

 人気のイベントとなると開場前から行列が出来ることは、店のクリスマスコンサートで経験済みだ。
開始まで1時間あるから、といって受付開始時刻に行っても、入場制限に引っかかる可能性が高い。

「仮に行くとなると、晩飯は此処じゃなくてスキー場の中かそこに近い場所で摂るのか?」
「否、食事は此処だ。イベントがあるってことでスキー場内や近場の食堂とかは、混雑してかえって遅くなる可能性がある。此処に戻って来るから、祐司は晶子さんと
相談して行くかどうか決めておいてくれ。」
「分かった。」

 今後の方針が固まったのを受けて、食事に専念する。スキーに興じる面子と比べて、町を気ままに散策する俺と晶子は余裕がある。
晶子は去年俺が帰省したことで寂しい思いをしたようだから、晶子の意向を尊重したい。晶子のことだから、自分のために俺一人が面子と別行動を取るのを
申し訳なく思うだろうが、その辺のフォローはしないとな。

 朝飯を済ませた俺達は、スキーへ行く組と町の散策の組に分かれる。言うまでもなく前者は俺を除く面子全員、後者は俺と晶子だ。
この町は思った以上に広いから、昨日一昨日でもまだ全部を回りきれていない。今までは主に大通りとその北側を歩いていたが、今日は南側を歩いてみようと思う。

「晶子。今日のカウントダウンイベント、行きたいか?」
「出来ることなら・・・祐司さんと2人で年を越したいです。」

 宿を出て少し歩いてからの俺の問いに、晶子は遠慮気味に答える。
やっぱりそうだよな。去年はマスターと潤子さんの家に行って正月を迎えたんだ。来年はどうなるか分からないから−分からないから色々悩んだり考えたりするんだが−、
せめて今年は、という思いなんだろう。

「でも、私に決める権利はありません。」
「晶子?」
「本来今回の旅行は、祐司さんが高校時代のお友達との一足早い卒業旅行なんですから、厚意で同行させてもらっているとは言え私は部外者です。祐司さんの行動を
束縛する権利はありません。そのくらいのことは弁えているつもりです。」

 遠慮している。一言で言えばまさにそれだ。
晶子は俺と面子との旅行に同行していることに、かなり負い目を感じていることが改めて分かる。正直な気持ちは先に出た。
だが、後半の言葉は自分の気持ちを無視して構わないから俺が決めてくれ、というものだ。痛々しくさえ思う。

「・・・部屋で年越しをしよう。」
「祐司さん?」
「俺自身面子と卒業旅行と言いながら、今もこうして別行動を執ってるんだ。1つ2つそれが増えたからってどうってことない。もし俺の別行動が許せないなら、
とっくに止めてる。それ以前に晶子の同行を認めなかった筈だ。」

 元々晶子をこの旅行に同行させることを持ちかけたのは、俺の自宅に電話をかけてきた耕次を筆頭とする面子の方だ。
2人部屋3つを予約したのは良いが1人分空いてるからどうしようかと考えていたところだ、とも言っていた。
俺が晶子を同行させるなら、俺の性格をよく知ってる面子のことだ。俺が晶子を優先させることくらい百も承知の筈。そうでなかったら、引き摺ってでも
スキー場へ連れて行っている。
 俺を含むバンドのメンバーは、コンサートを成功させるとか次の定期試験に備えるとかいう共通の必須事項以外では自由気ままに行動する、というのが
暗黙の了解になっている。
現に高校時代、俺は当時付き合っていた宮城とデートしていたし、耕次は校則−校則は拘束と重複しているというのが持論だった−改正のために生徒会に
掛け合ったり生活指導の教師と直接対峙したりしていたし、勝平は実家の工場で材料工作をして、楽譜やノートを広げて置ける卓上スタンドを作ったりしていた。
渉は図書館に通っていて、宏一は機会ある毎に女に手を出しまくっていた。
 今回も旅行でこの町に来るという目的は共通しているが、俺以外の面子はスキー、俺は晶子と観光がこの町における目的だ。
その目的には俺が面子に干渉してないし、面子も俺と晶子に干渉していない。
行くかどうかを決めておいてくれ、とは言っていたが、来い、とは言ってない。行く行かないは俺と晶子が決めることだという意思表示の裏返しだ。
だったら、俺と晶子が合意した方向で行動すれば良いだけのこと。

「去年は寂しい思いをさせちまったからな。来年はどうなるか分からないし、今一緒に過ごせる時間を大切にしたいのは、俺も同じだよ。」
「祐司さん・・・。」
「面子も行くかどうか決めておけ、とは言ってたけど、来い、とは言ってないしな。理由は俺からちゃんと説明する。」

 晶子は俺の左肩に頭を乗せる。腕に手を回しているから−今日は雪は止んでいる−必然的にかなり密着した格好になる。
屋内、専ら俺か晶子の家のどちらかだがそこでは割とよくあるが、屋外では殆どない。せいぜい手を繋ぐかこの町での観光のように晶子が俺の腕に手を回すくらいだ。
晶子がこういう行動に出たということは、それだけ嬉しいんだろう。
 去年の年越しに関して、晶子からはあまり詳細を聞いていない。
分かっていることは、マスターと潤子さんの家で年を越したこと、やはりマスターと潤子さんと一緒に月峰神社に初詣に出かけたこと、俺が自宅に戻る日に
俺の家で待っていた、ということくらいだ。
 俺が居ない隙に、ということをしでかすような女じゃないと信じてたし、それは今でも変わらない。
信じないと愛情に限らず友情とかそういうものは遅かれ早く瓦解するものだということを、田畑助教授絡みの一件で嫌と言うほど思い知らされたのもある。
 電話の時間は俺に迷惑がかからないように、という晶子の配慮で短かったから、その間にあれこれ問い質すことは出来なかった。
俺の家で待っていた晶子とは夜を共にしたが、その前後でも尋ねていない。俺の家で待っていてくれた上に、好物の唐揚げを作ってくれたのもあって、
尋ねるのを思いつかなかったこともある。
 ことが終わった後で、俺と離れていた時間は短いようで長かった、俺に早く帰って来てほしいと思っていた、と晶子は言っていた。
電話でも自分が今日なにをしたかの概要を伝え合っていたし、その内容に「ちょっと待て」と言うべきものは何もなかった。だからその時も聞かなかったし、
今更蒸し返すつもりなんてさらさらない。
 大賑わいのイベントの輪に入って年越しをするのも一つ。2人で静かに年越しをするのもまた一つ。
面子も明言こそしていないがそれを承知で晶子の同行を許可、否、持ちかけてきたんだし、俺は理由があったとは言え去年寂しい思いをさせてしまった分、
そして来年がどうなるか分からないから出来る限り晶子の意思を優先したい。それだけだ。

このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。
Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp.
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。
or write in BBS STARDANCE.
Chapter 171へ戻る
-Back to Chapter 171-
Chapter 173へ進む
-Go to Chapter 173-
第3創作グループへ戻る
-Back to Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall-