雨上がりの午後

Chapter 156 聖夜のハーモニー−1−

written by Moonstone


 夕食が終わり、着替えも済んで、後は客を会場に入れるだけとなった。昼食後本番前最後の音合わせも滞りなく進み、準備は万端。
俺とマスターが客が持っているチケットを確認して中に入れ−こうしないとチケット制にした意味がない−、晶子と潤子さんが誘導するという分担だ。
 窓から見ると、既にドアの前に行列が出来ている。チケット制にして買えば確実に入れるようにしたのにこうなるということは、最前列で見たいという
心理が働くせいだろう。夏のコンサートでも開場前から結構客は来ていたし。

「よし、開けよう。」
「はい。」

 時計と見比べていたマスターの合図で、俺はドアを開けてプレートを「CLOSED」から「OPENING」に変える。それを見て、並んでいた客が一斉に押し寄せて来る。
俺は押したりしないように、と言いつつマスターと組んでチケットを確認して切取り部分をもいでから中に入れる。

「これで良いかしら?」
「はい。・・・?!」

 指で挟んだチケットを見せたのは、あの智一の従妹、吉弘だった。
どうして吉弘がチケット持ってるんだ?吉弘が店に来たことはなかった筈だが。

「入るわよ。」

 黒のハーフコートを羽織った吉弘は、俺がもぎったチケットを仕舞ってさっさと店内に入って行く。
・・・考えるのは後だ。俺は頭をチケット確認に切り替える。
 どうにか大きな山を越えた。MCを務めるマスターは客の最終的な誘導のためにステージに向かったから、俺一人でチケットを確認して中に入れるという
作業を繰り返す。力仕事でも何でもない単純作業だし、大きな山は越えたから、さほど苦にはならない。
続々と会場入りする客は、中高生の集団から常連のOL集団まで様々だ。
大きな波にはならないが途絶えることのない客の入りを見て、チケット制にして客の数をある意味制限するようにしたのは正解だとつくづく思う。
 駆け込み組で−時間内に入場しないと無効としてあるからだ−少々バタバタしたチケット確認もどうにか終わった。店内を見ると客でぎっしり埋まっている。
俺はドアを閉めて鍵をかけ、「客席」の後ろに立って両手でバツ印を描く。前に行かせてくれ、という合図だ。

「すみません。演奏者が客席中央を通りますので、皆様少し詰めてくださいますよう、よろしくお願いいたします。」

 ステージに立っているマスターの声で客の視線が一度俺に集まり、客が中央を境にして左右に分かれて人一人が通れるくらいの道を作る。
俺はそこを駆け抜けてステージに上がり、ステージに向かって左から俺、晶子、マスター、潤子さんの並びになる。
改めて見ると、吉弘はステージから見て中央、前から5列目くらいのところに居るのを確認出来る。一体何処でチケットを・・・。

「皆さん、こんばんは!」
「「「「「こんばんはー!」」」」」
「本日はようこそ、当店のクリスマスコンサートにお越しくださいました。多数のご来場、誠にありがとうございます。」

 俺が考え始めたら、マスターのMCが始まった。客席から拍手や指笛が飛んで来る。
もうあれこれ考えていられない。コンサートに集中しないと。

「昨年の大混雑に伴う混乱の反省から、今年はチケット制と入場時間制限を用意させていただきましたが、それでもオールスタンディング形式のこの会場を
埋め尽くすだけのご来場を賜りました。店の増築を考えないといけないかもしれません。」

 会場から笑いが起こる。
確かに1000円と交換に掴み取りという様相だったチケットの売れ行きを思い起こすと、店の増築をしないといけないかもしれない。
そんな中、吉弘がどうやってチケットを手に入れたのか疑問だ。
取り巻きの男を潜入させたと考えるのが無難か。取り巻きの男の顔なんて俺もいちいち憶えてないし。

「今年は店の大切な顔である安藤君と井上さんが学業多忙、特に安藤君が昨年以上に厳しい条件下で準備に入ったのですが、コンサートに向けて準備を
間に合わせてくれました。どうか皆さん、拍手をお願いいたします。」

 会場から温かい拍手が起こる。俺は一礼する。
確かに忙しい毎日だった。1年なんてそれこそあっという間だった。
色々あったが、こうしてこの店での1年の総決算と言うべきコンサートに参加出来て良かったと思う。

「それでは始めてまいりましょう。当店でのクリスマスコンサートの最初を飾るのは勿論この曲、『清しこの夜』。」

 俺と晶子、マスターがステージ脇に下がり、潤子さんがピアノの前に座る。それだけでざわめいていた客席が水を打ったかのように静まり返る。
潤子さんはひと呼吸置いてから、演奏を始める。
 一番星が煌くのを表現するように高音が一つ響く。そして澄んだ冬空に輝く星屑を表現するように高音部から流れ落ちるようなフレーズが展開される。
初めて聞くイントロだ。音あわせでもこんなイントロはなかった。潤子さんの隠し玉だろうが、本当に凄い。
 高音部からのフレーズが終わってひと呼吸置いて、左手でアルペジオ、右手でメロディを3度下の音を重ねた形にアレンジした「清しこの夜」が始まる。
タメを程好く効かせた演奏は、ピアノが持つ豊かな響きと相俟って絶妙なハーモニーを生み出す。
潤子さんの「清しこの夜」を聞くのは今回が初めてじゃないが、聞く度に新鮮な感動を与えてくれる。
 メロディは最初に戻り、メロディの和音が重厚さを増し、ダイナミクスもより鮮明になる。
タメの効かせ方の上手さもあるが、ピアノ一台で此処まで表現出来るか、と疑いたくなるほどのオーケストレーションが生み出される。
音合わせで何度も聞いて来た筈だが、やっぱり聞く度に新鮮な感動がある。
 最後のフレーズが繰り返される。ただ繰り返すだけじゃなく、ダイナミクスを落としているから、自然と終わりを感じさせる。
テンポがだんだん緩やかになっていき、最後にゆっくりと駆け上るフレーズが演奏され、高音と低音を一つずつ使った白玉で締められる。
潤子さんが顔を上げた次の瞬間、大きな拍手が沸き起こる。俺も無意識のうちに手を叩いていた。

「クリスマスを飾るに相応しい曲をお聞きいただけたと思います。それでは雰囲気を変えてお送りしましょう。『YOUR CHRISTMAS』と『Winter Bells』。
この2曲を続けてお送りします。」

 「YOUR CHRISTMAS」は今年マスターと潤子さんが投入したレパートリーの1つ。マスターがソプラノサックスを吹き−原曲はEWIだ−、潤子さんが
ピアノを演奏する。
俺はシーケンサのスイッチを兼ねてギターのバッキングを担当する。派手さはないが、根強い人気のある曲だ。
 ステージに上がった俺は、エレキを構えてフットスイッチに足を軽く乗せる。マスターはソプラノサックスを構えてる。潤子さんは俺の方を向いて
小さく頷く。準備完了だ。
俺はフットスイッチを押す。煌びやかなベルのグリスで始まり、ドラムのフィルが加わる。もう一つのクリスマスソングが幕を開ける。
 マスターのソプラノサックスが耳に優しい。
この曲はミドルテンポでバッキングも基本的な形式だから、ギターの難易度はそれほど高くない。
観客から手拍子が起こる。明るい曲調だし、初めて耳にする客でも馴染みやすいと思う。
途中に加わるベルのフレーズをピアノの高音部で演奏しているのが、この演奏のミソの一つだ。
 曲の流れが一瞬止まり、サビに入る。
サビと言ってもこの曲はAメロを繰り返して−途中キーが変化するが−、その中に転調してBメロを挟む、という流れということもあって、あまり派手な
盛り上がりはない。
曲調はそのままに軽い変化を嗜(たしな)む、といった感じだ。
 それが終わるとAメロに戻って、イントロとほぼ同じパートを挟んで−ここでのベルも潤子さんのピアノの高音部が使われる−、ピアノソロに入る。
ピアノが前面に出るから、バッキングのメインもギターに移る。目立たないがピアノのソロを台無しにするわけにはいかない。
 ピアノソロは、潤子さんくらいのレベルならさほど難しくない。
ソロの基本且つ重要ポイント、1音1音をはっきりさせる、ということが要求される。言い換えれば基本が出来ているかどうかが問われると言って良い。
流石は潤子さんというか、そんな心配は無用。休符を大切にしながら流れを壊さずに進めていく。
休符っていうのはいい加減に扱いがちだが、フレーズという「川」の流れを形作る重要な要素の一つだ。
 音の長さも重要なポイントの一つだ。
フレーズが細かくなると音が短くなりがちになる。そうすると聞き難くなって音量を上げる、そうすると他の楽器とのバランスが悪くなるから他の楽器の
音量も上げて、という悪循環に陥る場合もままある。
逆に長くし過ぎてベタっとした感じになったり、次の音に間に合わなくなる−シーケンサならそういうことはないが−ということになるから、かなり微妙だ。
特にクイは難しいんだが、潤子さんのピアノは音のツブを嫌味にならない程度に整えて最後を締めくくる。
シーケンサが演奏するドラムのパラティドルとも息はピッタリだ。マスターのサックスに代わった直後に大きな拍手が起こる。
 Bメロ以降はAメロのパターンにEWIの−今はソプラノサックスだが−ソロが乗る、という形式だ。
ピアノソロと同様テクニックを見せ付けるというタイプじゃないが、丁寧に進めないと曲調を台無しにしてしまう。
だが、かつてジャズバーを席巻したという腕前は確実に料理していく。
最後はジャズっぽい−この曲自体、コードは複雑だが−白玉を背景にマスターがさらっとフレーズを流して締める。
全ての音が止んでマスターがサックスから口を離すと、観客から大きな拍手が起こる。
 マスターがサックスと共にステージ脇に下がるのと同時に、晶子がステージに上がる。それだけで歓声が上がるのはもうお約束と言うべきか。
晶子はステージ中央にあるマイクスタンドからマイクを取る。その間に、俺はフットスイッチでシーケンサのデータを切り替える。
潤子さんは引き続きピアノの前に居る。ベルやバッキングをピアノで演奏してもらうからだ。
 晶子がステージ前方に出たのを確認して、俺はフットスイッチを押す。軽いスネアで頭一つ出て、潤子さんのピアノを加えた短いイントロが始まる。
それが終わると、晶子の出番だ。軽快なテンポに乗って晶子が歌う。客席から自然と手拍子が起こる。
俺はリズムに乗って時に軽く跳ねたりする晶子を斜め前方に見やりながら、ひたすらバッキングを続ける。
 原曲ではハープシコードが担当するソロが、潤子さんによって奏でられる。
ハープシコードとピアノは同じ鍵盤楽器だが、音はまるで違う。ピアノにするとクリスマスの雰囲気が増すと個人的には思っている。
ソロの途中で男声コーラスが入る。勿論マスターによるもの。晶子のソプラノボイスと融合して、上手い具合にハーモニーを奏でる。
 歌が終わり、マスターと共に晶子がコーラスを奏でる。原曲どおりの流れだから特に神経を配る必要はない。最後も原曲同様白玉で締める。
音が止むと、手拍子が大きな歓声に変わる。晶子が一礼した後、サックスをソプラノからアルトに変えたマスターがステージに上がってくる。

「『YOUR CHRISTMAS』と『Winter Bells』を続けてお送りしました。次は、これまで裏方に徹していた我が店の看板ギタリストが一躍主役に
躍り出る『UNITED SOUL』!」

 俺はフットスイッチでシーケンサのデータは勿論、エフェクターを切り替える。
今までナチュラルトーンで演奏してきたが、今度は最初から最後までエレキらしい音で演奏する。
マスターのサックスが加わるとより原曲に近くなるが、あくまでメインはギターだ。
俄かに緊張感が強まる。店でのリクエストでも人気が高かっただけに、期待も大きいと考えた方が良い。
 マスターがサックスを構えたところで、俺はフットスイッチを押す。スネアが先に頭一つ出ると、早速俺とマスターのユニゾンが始まる。
俺が演奏しながら前に出ると−この辺は高校時代のライブから経験済みだ−、観客の興奮が更に高まる。手拍子に混じって「安藤くーん」という声が
聞こえて来る。
 キラキラしたシンセの下降グリスに混じってドラムのフィルが入り、ドラムとベースが本格稼動する。
俺とマスターはユニゾンを続ける。マスターとユニゾンするこのフレーズは、「UNITED SOUL」の多くを占める。言い換えるとサビから始まるタイプの曲だが、
それだけに重要性は増す。
 ユニゾンが一旦終わり、マスターのサックス、ベース、ドラムだけ−シーケンサがバックでギターを鳴らしているが−のAメロに入る。
だが、それは4小節限りのこと。直ぐ俺とのユニゾンに戻る。
俺はマスターとユニゾンしつつ、「合いの手」的なフレーズを入れる。店では俺一人だったんだが、サックス、しかも生のサックスが加わると音の厚みが
格段に増す。
 Bメロは俺だけの演奏が8小節、次にサビに繋げるユニゾンの8小節で構成される。
T-SQUAREのサックス(またはEWI)とギターとのユニゾンは大抵サックスがメイン、ギターがその3度或いは6度下をユニゾンする形式なんだが、
「UNITED SOUL」はその逆、つまりギターがメインの座を占める。当然注目されるから−ギター自体注目を集める楽器だが−緊張感はあるが、それが楽しい。
 俺のギターで長い白玉を出す。フレットから手を離さず、音が自然に消えていくのを待つ。その間、ドラムとパーカッションが躍動感溢れるラテン風味で鳴り響く。
フレットを押さえている間、俺はリズムを取ったりせずにあえてその場に佇む。
次に控えているのはギターソロ。「動」の前の「静」という位置づけで考えた、俺なりのステージパフォーマンスだ。客席からの手拍子が絶えることはない。
 音をギリギリまで伸ばし、ひと呼吸置いてからギターソロを始める。従えるのは小音量のギター、ベース、ドラムといたってシンプル。それだけに尚のこと目立つ。
フレーズの難度はさほど高くないし何度も演奏して来ているが、店内をぎっしり埋め尽くした観客を前にしているから多少は緊張する。
高校時代にはギターのくせに大人し過ぎる、と言われた俺は、多少のオーバーアクションは加えるものの、演奏に集中する。
 再びマスターとのユニゾンに戻る。ラストは近い。
今までとはラストの2音が違うだけだが、それだけで終わりを感じさせるものになっているフレーズを、マスターのサックスと共に高らかに歌い上げる。
ドラムのフィルが入り、演奏はほぼ締めくくられる。俺は中間の長い白玉と同様のリズムを背景に、交信しているような音を奏でる。
フェードアウトしていくリズムに連れて、弦を弾く指の力を弱める。
 完全に音が消えるまで続いた手拍子は、大きな歓声と拍手に取って代わる。「安藤くーん」という声援に、今度は手を振って応える。
元々人気の高かったこの曲、今回も大好評のようだ。
・・・あ、吉弘が見える。大騒ぎの周囲の中、呆然としているのか何だかよく分からないが棒立ちになってるな。

「当店のリクエストタイムでも大好評だった『UNITED SOUL』、いかがでしたか?」
「最高ー!」
「カッコ良い!」

 マスターの問いかけに対し、客席から幾つもの歓声が起こり、再び大きな拍手へと変化する。

「詳細は来年4月以降にならないと不明ですが、安藤君は本業である学業が卒業研究という重要な局面を迎えるため、事態は非常に流動的です。」

 客席がざわめく。
このステージに立つのはまだ3回目だが、店でのバイトそのものは来年の4月で3周年、言い換えれば4年目を迎える。
それは俺の大学生活最後の年でもあり、「これから」を決めなければならない大きな節目の年だ。今までどおりバイトに来られるという保障はまったくない。

「これからも、時に軽快に、時に穏やかにギターを奏でる若き名手の演奏が聴けることを、皆様、どうか大きな拍手でご期待ください!」

 マスターの呼びかけに、観客が歓声を交えた大きな拍手で応える。温かい期待と励ましの証に、俺は深々と一礼する。
「これから」がどうなるかなんて分からない。だが、「これから」に向かって進むことは出来る。進まなきゃ流されるだけだ。
ならば真剣に考えて、時に相談して進む方向を決めて進む。マスターのMCには、俺にそうして欲しいという願いを感じた。

「それでは続きまして、当店でのクリスマスコンサートらしく、じっくり聞かせるラインナップを今年投入した新曲を交えつつお送りしていきます。『明日に架ける橋』、
『Fly me to the moon』ギターソロバージョン、『ANCHOR'S SHUFFLE』。この3曲を参りましょう!」

 大きな拍手と歓声の中、マスターがステージ脇に下がり、晶子と潤子さんがステージに上がる。
「Winter Bells」の時とは違い、晶子はマイクをマイクスタンドに立てて歌う。俺は引き続きギターだが、今回は奥に引っ込む。主役は晶子だからな。
 晶子と潤子さんが準備完了なのを確認した後、俺はシーケンサのデータを確実に切り替えてフットスイッチを押す。
ストリングスだけの簡単なフレーズが流れる。だが、これはピアノが潤子さんの生演奏になることを受けて、テンポと演奏開始をカウントダウンする重要なものだ。
そのために曲のテンポに合わせた4分音符だけで構成している。
 ピアノが入ると同時にストリングスが「本性」を現す。ピアノが生になると音圧が大きく違う。
それを狙っての「特別編成」なんだが−4人全員の会議で決めた−、効果の程はどよめきの大きさで分かる。
俺と晶子の携帯のメール着信音でもあるイントロ兼サビが壮大に奏でられ、やがてピアノ単独になる。
単独でもその音圧は凄い。それを表現して生かすだけの技量があってのものだが。
 アルペジオを主体としたピアノをバックに、晶子の歌声が流れ始める。
ドラムやベースといったテンポを刻む楽器がない、ピアノと歌声だけのシンプルな構成だ。テンポは潤子さんのピアノが奏でるアルペジオが唯一の頼りだ。
 リクエストタイムではずっとシーケンサで演奏させていたから−俺が付き添って演奏したり出来ないという最近の店の混雑事情もある−、テンポコントロールを
組み込まない限り嫌味なほど正確にテンポキープしてくれる。だが、生演奏ではどうしても揺らぎが発生する。
晶子は入念に練習して来たし、音合わせでも問題はなかった。だが、本番になるとどうしても気になる。
 ストリングスが控えめに加わる。だが、まだテンポキープは晶子と潤子さんに委ねられる場面が続く。
俺の感覚では、生演奏独特の自然な揺らぎは含みつつも自然にテンポが保たれているように思う。一旦始めた演奏を止めてやり直し、なんて出来る筈がないから、
R 晶子と潤子さんを信じるしかない。
 サビに戻る。ストリングスが再び勢いを増すに併せて、此処でようやくベースが入る。・・・タイミングはバッチリだ。心配するだけ損だったかもしれない。
ベースは2拍単位だが、ヴォーカルとピアノの2つと違和感なくかみ合っている。俺の出番はまだまだ。
そもそも俺の役割はシーケンサの制御だけでも十分なんだが、サックスやピアノがそうなように、ギターも生の方が良い。
 ようやくドラムが加わる。此処まで来たからお飾り的感は否めないが、それを言い出したら俺のギターもそうだ。
こういう楽器が順に加わってくるタイプの曲では、後の方で加わる楽器の存在感が薄まるのは致し方ないこと。
 晶子の澄んだヴォーカルが、存在感を示しつつも一歩引いたピアノに乗って流れる。Aメロ、Bメロと来たらようやく俺の出番だ。
前向きな気持ちを綴った歌に添える感じで、ギターを鳴らす。白玉のみの簡単なフレーズだが、デコレーションの失敗したケーキを食べたいという気には
あまりなれないのと同じように、添え物だからと言っていい加減にするわけにはいかない。
 サビが終わると間奏に入る。ここでヴォーカルとピアノ以外は一斉に退散する。
今度のピアノはアルペジオじゃなくて白玉のクイで始まるから、テンポキープがかなり難しい。
それでも晶子のヴォーカルと潤子さんのピアノは、ごく自然に息を合わせてシンプルなフレーズを紡いでいく。
 ピアノがアルペジオを加えたものに変化し、晶子のヴォーカルに力が篭る。
とは言っても熱唱というタイプじゃなくて、この曲全体に貫かれている前向きさを際立たせるという感じだ。
ピッタリのタイミングで、それまで退散していた俺を含む楽器群がオーケストレーションを形成し始める。
ギターなりベースなり、一つ一つの楽器と言う色が組み合った虹の橋。投入以来、この曲の人気が高い理由の一つが此処にあるような気がする。
 曲はサビに戻る。観客から自然と手拍子が起こる。イントロからしてサビを基本にしている−逆の言い方も出来るだろうが−曲だけに、サビの存在感は大きい。
この手の曲はサビを強調したいという意図もある。前向きな心を綴ったこの曲では、サビが前面に出るのがプラスの方向に働いている。
 サビを2回繰り返すと、ヴォーカルとピアノ以外は一斉に消える。シーケンサのデータも此処で終了する。後はヴォーカルとピアノだけで構成されるからだ。
前に向かって進んでいく途中で辛くなっても今君が居るから大丈夫、という意思を込めた歌詞が、ゆっくりテンポを落としていくピアノに乗って歌われる。
ヴォーカルとピアノが心地良い余韻を残して消えると、客席から大きな歓声と拍手が沸き起こる。

 晶子が一礼してステージから下りる間に、俺はギターをエレキからアコギに変える。
クリスマスコンサートでは初めての披露となる「Fly me to the moon」のギターソロバージョン。何度かアレンジしてはいるが、この店でバイトを始めて以来の
付き合いなんだよな。
 拍手と歓声の大波が引いた観客を前に、俺はギターを爪弾き始める。
ハンマリング・プリングを多用した、一旦下降して上昇する細かいフレーズを奏でる。
3年以上の変遷を経て出来上がった、現段階でのイントロの完成形。最後の音を爪弾いて、そのままの姿勢で深呼吸1回分の間を置く。
 静まり返った店内に、ギターの音が浮かんでは消える。
メロディを基本にしたフレーズが、フレットノイズを交えながらゆらゆらと流れる。
俺と晶子の携帯の着信音でもあるこのフレーズ。自分が言うのも何だが、やっぱりギターも生が良い。アコギは尚更だ。
 俺一人のステージは続く。AメロBメロを2回弾いてから、俺が作曲した16小節のフレーズを弾く。
何度かのアレンジを重ねたフレーズは、テクニックを見せ付けるようなものから弾いてて気持ちが良いものに変わっていった。
蒼い月の下、想いを綴る。そんな感じだ。
 少しタメを加えてAメロに戻る。
勿論最初のものをそのままコピー&ペーストしたものじゃない。その日その時の気分と流れで違って来る、まさに即興のフレーズ。
この店の採用試験で弾いて以来何度となく弾いて来た「Fly me to the moon」の、俺なりの一つの集大成が此処にある。
一度きりの、この瞬間だけのフレーズ。何気にそういうのが結構好きだったりする。
 アップストロークで最後のコードを弾く。残響が少ないアコギの音は直ぐ消える。
俺がフレットから顔を上げると、パラパラと拍手が鳴り始め、それは指数関数的に音量を増す。
興奮ではなく感動を示す温かい拍手の中、俺は一礼してからステージ奥に下がる。ギターをエレキに戻して次の曲に備える。

 ギターとシーケンサの準備を整えた俺が見ると、アルトサックスを構えたマスターが居る。
フットスイッチを押すと、ドラムのフィルに続いて明るいブラスセクションが鳴り響く。しっとりしていた雰囲気が一転して軽快なものになる。
観客からの手拍子を受けつつ、俺は前に出る。
 オーバードライブさせたギターにサックスが重なる。原曲ではEWIなんだが、アルトサックスでもなかなか面白い。マスターと斜めに向かい合って
ユニゾンしてみたりする。
 一旦俺が下がり、サックスだけになる。それまでとは違って艶っぽさを持たせた演奏は、サックスにすると艶っぽさが増す。
ブロウを効かせたアルトサックスは色気があるからな。
 再び俺とマスターのユニゾンが始まる。2拍単位で変わるコードに、ギターが前面に出た形でメロディを乗せる。
マスターとは斜めに向かい合っている。普段ギター単独だった−これも店の混雑が関係している−から、ここぞとばかりに人間と人間のぶつかり合いを堪能する。
転調してより明るさを増したコード展開に乗せて、軽快にメロディを奏でる。
 ギターソロに入る。このソロはかなり長いし、コードがめまぐるしく変わる、複雑だが曲調を阻害しない流れに乗って、あくまでも軽快さを忘れずに演奏する。
こういう曲では特にテンポに乗ることが大切だ。フレーズ自体もさほど難易度は高くないし、演奏を楽しむことが重要だ。
 後半になるとフレーズが細かくなる。尚のこと曲調とテンポを崩さない演奏が要求される。
オーバードライブやディストーションといった音を歪ませるエフェクトをかけたギターは、ともすれば演奏を音の歪みで誤魔化しがちになる。
即興と間違いとは違う。音のツブははっきりさせ、機械的にならないように、同時に音の歪みで誤魔化さないように丁寧に、そして楽しく。
 Bメロに戻ってサックスに交代する。客席からの拍手に小さい一礼で応えてユニゾンに備える。
今度のBメロは最初のそれとは少し違う。最後に1小節増えている。
多くの曲は4の倍数でAメロなりサビなりを構成している。1小節加えるだけでもかなり印象が違ってくるもんだ。
増えた1小節では、サビに繋げるブラスセクションが目立つ。データを作る時結構苦心した覚えがある。
 マスターとのユニゾンが始まる。これも斜めに向かい合って「見せる」要素を加える。
フレーズそのものは先のものと変わらないから、「見せる」ことと楽しむことに専念出来る。最後の音の伸ばしは十分保って、細かいドラムのフィルを引き立てる。
 サックスソロに入る。コード進行はAメロと同じだし、原曲でもここはサックスだから、かつてジャズバーを席巻したというマスターなら心配は無用だ。
原曲ではサックスソロでフェードアウトしていくんだが、サックスでフェードアウトは難しいから16小節演奏したところでフィルが入って、最後はジャズっぽい
白玉を背景にサックスが細かいアドリブを入れておしまい、としてある。
 サックスでよく耳にする音域を使ったフレーズがゆっくり消えてマスターがサックスから口を離すと、観客から大きな拍手が起こる。
俺はステージ後方に下がって次の準備をする。マスターはサックスをぶら下げたまま、マイクスタンドにあったマイクを手に取る。

「皆様、お楽しみいただけましたでしょうか?」

 マスターの威勢の良い呼びかけに、観客が盛んな拍手や歓声で応える。
そう言えば耕次の奴、煽りっていうのか、こういうのが上手かったな。それが五月蝿いって生活指導の教師が怒鳴り込んで来てひと悶着、ってのもよくあったっけ。

「若きギタリスト大活躍に続いては、特に男性の方は今か今かと心待ちにしていたでしょう。」

 この時点でどよめきが起こる。此処に来ている客で男性、と来れば楽しみなものは「あれ」だということは直ぐ分かる。

「我が『Dandelion Hill』が誇る夢のデュオ、井上晶子さんと渡辺潤子の登場です!曲は勿論、『Secret of my heart』!」

 大歓声の中、晶子と潤子さんがステージに上がる。やっぱり人気あるなぁ。
料理に髪の毛が入るといけないから、ってことで普段はトレードマークの長い髪を後ろで束ねている晶子と潤子さんが、髪をおろして揃いの衣装で並ぶんだから、
注目が集まるのも当然か。

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