雨上がりの午後

Chapter 51 新年の目覚め、三度目の遭遇

written by Moonstone


 光の中に溶け込むような感じで俺は目を覚ました。勿論布団の中で、だ。
お約束と言うか隣、否、直ぐ傍には茶色がかった髪を湛えた頭がある。
ぐっすり寝ている様子の晶子を起こさないように枕元の目覚し時計を見ると−目を覚ました時に起きれば良いという考えで、鳴るようにはしていない−、
11時少し過ぎを指している。
 意識を覆う眠気にそろそろ寝ようか、と俺が切り出したのが確か3時くらいだったか・・・?それから交代で風呂に入って寝た。
酒が入っていたせいか、擦り寄ってくる晶子に困惑と欲望をろくに感じることなく、すぐ寝てしまった。
普段練習やらアレンジやらで3時頃まで起きているのもそれ程珍しくないんだが・・・。
やっぱり夕食に加えて年越し蕎麦を食べて、缶ビールを飲みながら色々話をしたのが効いたかな・・・。

「ん・・・。」

 すぐ傍で寝ている晶子がもぞもぞと動く。
そろそろお目覚めの時だろうか、と思ったら、晶子がゆっくりと目を開けて少し寝ぼけたような表情で俺を見る。
一緒に寝ると、俺が先に目を覚まして、それから程なく晶子が目を覚ますというパターンがほぼ定着しているような気がする。

「・・・おはようございます。」
「おはよ。今11時少し過ぎたところ。」
「昼前ですか・・・。全然目が覚めなかったです。」
「俺もだよ。酒が入ってたせいもあると思う。」
「朝御飯、お昼と兼用ですね。直ぐ準備しますから。」
「いや、作らなくても良いよ。コンビニで菓子パンと飲み物を買ってくれば。」
「・・・良いんですか?」
「正月くらい楽して良いって。普段、飯作らせてばかりだし。」

 俺が身体を起こしてカーテンを開けると、眩い光に続いて蒼一色の空が見える。周辺の木や草は少しも動いていない。
空気の冷たさは此処からじゃ分かる筈もないが、穏やかな晴れの日らしいということは言える。
 俺はエアコンのリモコンに手を伸ばして、スイッチを入れる。
電子音と共にエアコンの下部が開いて、電源のLEDが点滅する。それは霜取りをしているという合図。暖かい風が吹き出すまでまだ暫く時間はかかりそうだ。

「私、コンビニに行ってきますね。」

 そう言って布団から出ようとした晶子の腕を掴んで止める。

「祐司さん?」
「部屋が暖かくなってからでも充分だって。」
「あ、もっと二人だけの時間を堪能したいんですね?」
「ま、まあ、それもあるけど・・・。」
「じゃあ、祐司さんの言うとおりにしようっと。」

 晶子は腕を立てて起こしていた身体を再び俺の横に横たえて、ギリギリまで俺に擦り寄ってくる。
まったくこの大きな猫は・・・。俺は苦笑いをするしかない。
 大掃除の日から晶子が泊まりこんで1週間も経ってないが、晶子が居て当たり前のような気がしてならない。
そして今日帰ることが名残惜しいと言うか、何故帰るのかとさえ思ってしまう。それだけ俺の心の中に占める晶子の存在が確立されたということだ。
だが、それだけ心の中に占める存在が大きくなると・・・失うことがとてつもなく怖い。
まして今度は・・・偶然に偶然が重なって心を覆っていた重い雲が晴れた後に出来たものだ。
それを無くしたら・・・俺はどうなるか分からない。俺は思わず晶子の頭に左手を置いてぐっと自分に近付ける。

「祐司さん?」
「・・・離れないでくれよな・・・。」

 俺は天井を見ながら呟く。すると晶子の頭が小さく動く。晶子の頭に置いた左手の動きからして、晶子は頷いたようだ

「私の方こそ・・・離れないで欲しい。絶対に・・・。」

 晶子の呟きに似た言葉に続いて、俺のパジャマの胸の辺りがきゅっと掴まれて引っ張られる。言葉どおりというか、何かに怯えているように感じる。
俺と同じく、ずっと続くと思っていた関係が切れてしまって辛く悲しい思いをした者として、今度は絶対、という思いが強いんだろうか?

「晶子・・・?」
「ずっと・・・祐司さんと一緒に居たい。離れたくない。離したくない。絶対に・・・。」

 晶子はそう言いながら、さらに俺のパジャマを掴んだ手に力を込める。普段の晶子からはちょっと想像し難いほどの怯えぶりだ。
晶子がふられたことがあるということは知っているが、どんなふられ方をしたのかまでは知らない。
もしかして、俺より残酷なふられ方をされたんだろうか?だとしたら・・・怯えるのは当然だろう。
 前に二人で映画を観に行った時に席から暫く立ち上がることが出来なかったし、ハンカチで涙の跡を拭いてやったら人目も憚らずがばっと抱き付いて来た。
そこから考えても、相当辛い記憶だということくらいは俺の頭でも想像はつく。
俺の場合でも、思い出の品は悉く壊したし、暫くの間は酷い女性不信に陥った。
そんな心の暴走をどうにか鎮めたからこそ、晶子との今の関係があるわけだ。その関係を失う怖さは・・・晶子も同じなのか。

「距離は離れることがあるかもしれない。でも・・・心が変わらなければ大丈夫だと思う。否、大丈夫だ。」
「・・・。」
「だって・・・俺は優子、じゃなくて宮城と遠距離恋愛してたんだ。少なくとも4月からの数ヶ月は・・・。それが破局になったのは距離のせいじゃなくて、
宮城の心変わりが原因なんだ。」
「・・・優子さんの気持ちが変わったのは・・・距離のせいじゃないんですか?」
「・・・そうかもしれない。だけどこれだけは言える。宮城の気持ちは変わったけど、俺の気持ちは変わらなかった。少なくともあの関係が終ったあの日までは・・・。」

 俺は天井を見上げながら淡々とした調子で話す。

「だから・・・距離があるから駄目になるとは言い切れないと思う・・・。」
「・・・。」
「晶子は・・・今の関係を続けることに自信がないのか?」

 晶子は動きでは何の反応も示さない。代わりに言葉を返す。

「自信はあると思います。でも・・・心の何処かで不安は消えずにあるんです。始まりがあれば終わりがある・・・。それが何時どんな形で表れるのか、
それが怖いんです・・・。」

 俺は晶子のさらさらした髪をゆっくりと撫でる。少しでも晶子の不安を和らげたい。それに俺の不安も打ち消したいから・・・。
 晶子の抱く不安は俺も持っている。譬えどんなに小さくても、その気持ちは心から消えようとはしない。消そうと思っても消えない。
逆にその気持ちがより大きくなって自分が苦しくなる。だから・・・大きくなる前に安心で不安を圧縮するしかない。

「怖いと思うのは仕方ない。俺だって同じだ。でも・・・それを表に出すのは止めた方が良いと思う。際限がないから・・・。」
「・・・そうですね。」
「昨日と今日で二人で年越し蕎麦食べたり乾杯したり、将来のことを話したりしたじゃないか。そうやって二人の思い出を積み重ねていけば、
不安もそのうち潰れちまうさ。」

 俺がそう言うと、晶子が体を起こして腕を俺の両脇に立てて、丁度俺の真上に顔があるようにする。その顔には穏やかな微笑が浮かんでいる。
何をするのかと思っていたら、晶子の顔が急に俺に迫り、唇が重なる。そして間髪入れずに舌が俺の口を割って入ってくる。
俺も負けじと晶子の舌に自分の舌を絡ませる。晶子の頭に置いている手に力を込めて、より密着させる。
新年の光がカーテンを通じて滲み出る部屋の中で、舌が絡み合って互いの口を行き来する艶かしい音がする。

・・・。

 舌を離した晶子がゆっくりと俺との間に距離を作り始める。
俺は晶子の頭の拘束を緩める。俺と晶子の口を結ぶ橋が煌きを伴っている。

「今年初めてのキスにしちゃ、ちょっと過激だったな・・・。」

 俺が口を動かすと、口と口とを繋いでいた唾液の橋が切れて俺の唇に落ちる。俺は橋の残骸を舐めて取り除く。

「初めてだから余計に気合が入ったんですよ。」
「気合い、ねえ・・・。」
「それに・・・祐司さんの言葉に感動したから・・・。」
「失恋して暫く大暴れしてた俺が言っても、あんまり説得力がなかったかもしれないけどな。」
「いいえ。私、失恋して自分自身も何もかも嫌になったことがあるんですよ。だから凄く嬉しい言葉でした。不安が一気に吹き飛ぶくらい・・・。」

 晶子は笑みを浮かべながら、身体を再び俺の左側に横たえて擦り寄ってくる。
俺を見上げるように見るその表情には、さっきまでの不安に押し潰されそうな印象は感じられない。

「俺も・・・失恋した時はもう何もかも嫌になったさ。俺の荒れ様は晶子もよく覚えてるだろ?」
「ええ。」
「でも、そんな時を乗り越えたからこそ、今の俺と晶子の関係があるんだよな。またふられるんじゃないか、っていう恐怖を超えたから・・・
人の恐怖が分かるんだと思う。だから、あの時の経験は無駄じゃなかった。・・・そう思う。」

 我ながら大層なことを言うものだと思う。ほんの2ヶ月ほど前までは、俺はもう駄目だ、もう恋愛なんて懲り懲りだ、とか思ってたくせに・・・。
人間ってものは状況によって180度違うようなことが言えるのか。

「祐司さん、人生経験豊富ですね。」
「おいおい。晶子の方が1年分長く生きてるんだから人生経験豊富だろ?」
「生きてる時間と経験の間には、どんな人にも共通な関数は存在しませんよ。」

 お株を奪ったような数学的な晶子の言葉に俺は苦笑いするしかない。
そうこうしているうちに、顔に触れる空気が暖かくなっているのに気付く。もう起きていい頃合だ。初詣もあるし・・・。

「暖房も充分効いたから、そろそろ起きるか。」
「うーん・・・。もう少し余韻に浸りませんか?」
「余韻って・・・。」
「冗談ですよ。」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、晶子は布団を弾き飛ばすように起き上がる。
その瞬間、晶子のパジャマの裾が捲くれ上がって、はっきりくびれた白いウエストが見えた。
初めて見る顔や手以外の晶子の肌を目の当たりにして、俺は思わず息を飲む。
 十分暖かくなったとはいっても、布団の温もりに比べれば部屋の空気は肌に染みる。
だけど、このまま布団に潜り続けているわけにはいかない。起きることをもちかけたのは他ならぬ俺自身だからだ。
晶子がベッドから降りるのに続いて、俺は上体を起こす。

「私、お風呂場で着替えてきますね。」
「ああ、分かった。」

 床の隅に置いてある自分の鞄から服を取り出すと、晶子は浴室へ小走りで向かう。別にそんなに急がなくても良いと思うんだが・・・。
俺と一緒に初詣に行くのがそんなに心弾むことなのか、それとも布団の温もりに未練を感じている俺と違って、すっぱり未練を断ち切るためだろうか?
後者のような気もするが、前者だと嬉しいな・・・。

 着替えてコンビニで買った菓子パンと牛乳という簡素な食事を済ませた後、俺と晶子は自転車で−勿論何時ものスタイルで−最寄の駅へ向かう。
駅に通じる大通りに出ても、車の数は少ない。まだ寝ているのか外出しているのか、間もなく正午を迎える街の風景は思った以上に静かだ。
食事の時に見ていたテレビでは、行楽地や初詣に向かう車で道路が彼方此方渋滞していると言っていたが、この風景を見ていると、
そんな混雑は遠い世界の出来事にさえ思える。
 駅に着いても人の数はまばらだ。
切符売り場には「月峰神社初詣往復割引切符発売中」と大書された看板が立てかけられている。
その看板に書いてある駅名と路線図にある駅名を比べると、この路線を南端近くまで行った所にあることが分かる。昨日の晶子の話どおりだ。

「かなり距離ありますね。」
「ああ。ま、のんびり行こう。急ぐ理由なんてないし。」

 俺と晶子はそれぞれその往復切符を買って−切符を買うのに千円札を2枚以上入れたのは初めてだ−、改札を通って大学へ行くときに
利用するホームへ向かう。とは言っても、大学へ行く時と同じホームなんだが。
ホームの人影は外よりは多いが、それ程の混雑じゃない。だが、到着する電車がどれだけ混んでいるかということが気にかかる。
 幾らホームに佇む人数が少なくても、電車の中が混んでいて、それが停車毎に人をどんどん拾っていったら・・・満員電車になるのは間違いない。
よくよく見ると、ホームに居るのは俺と晶子のようなカップルや数人単位の男や女のグループが殆ど。
となれば・・・俺の中の嫌な予感は間違いなさそうだ。
その対策には・・・少々金はかかるが一つしかない。

「・・・晶子。さっき、のんびり行こう、なんて言っときながら何だけど、いっそ特急で行くか?」
「え?」
「多分このホームに居る人間の殆どは、月峰神社とかいう神社に初詣に行く奴だと思う。もう少ししたら来る急行がこの駅からさらに人を拾って行ったら、
満員電車は必然。その次の特急だったら余分に金がかかるけど、全車座席指定だから間違いなく座れる。
月峰神社への所要時間は路線図から推測して約2時間。どうする?」

 正直言って満員電車は大学へ行く時だけで御免被りたい。だが、晶子が急行で行くと言えば、俺は折れるつもりだ。
俺は晶子と一緒に居られればそれで良いし、乗る電車のことで新年第一日目から口論なんてしたくない。
晶子は下唇に人差し指を当てて−可愛い仕草だ−少しの間押し黙ってから答える。

「私は祐司さんと一緒だったらどういう行き方でも良いです。」
「・・・じゃあ、決まりだな。」

 俺は晶子の手を取って、北側にある特急券の自動発券機へ向かう。
画面の指示に従ってタッチパネルを押して、最後に金を入れて「発行」と表示された部分に触れるだけだ。
急行到着が近いことを知らせるアナウンスが流れ始めた頃、禁煙席で二人分並んだ座席を簡単に手に入れることが出来た。
それぞれ切符と特急券を持って、間もなくホームに走りこんできた急行をやり過ごそうと、何時もより幾分下がった位置に立つ。
 降りる客は少ないが乗り込む客は多い。元々かなり混んでいた車内がさらに混雑を増す。俺の推測に間違いはなかったようだ。
昼まで寝てて午後から初詣に行くのは俺と晶子だけじゃないってことか。

「祐司!」

 乗り降りする客が交錯するホームの何処からか、俺の名を呼ぶ声がする。
・・・まさか・・・否、あの声は・・・その存在を否定しようにも否定しようがない。何で・・・何で、よりによってこんな時にのこのこと・・・!

「祐司!丁度良かった!まさかホームに居るなんて偶然!」
「晶子、行くぞ!」
「え、でも・・・。」
「良いから!」

 俺は晶子の手を取って急行に乗り込もうとするが時既に遅し。
ホイッスルの音に続いてドアが閉まり、チンチンというこの場に似つかわしくない軽やかなベルの音がして、急行はゆっくりとホームから去っていく。
ホームには10人前後の人影に加えて、俺と晶子、そして・・・優子、否、宮城が残された。
 黒のハーフコートとパンツに白のセーターという男っぽい服装の宮城が、俺と晶子のところに悠然と歩み寄ってくる。その口元には笑みさえ浮かべている。
俺にはその笑みが、嫌がらせが成功した奴の嫌な笑みに見えて仕方がない。

「まずは挨拶からね。あけましておめでとう、祐司。」
「・・・何しに来たんだ。」
「何って・・・祐司に会いに来たに決まってるじゃない。」

 自分勝手に人と絆を捨てておきながらよくもまあ、あっけらかんと・・・。
俺の歯がぎりぎりと軋む。幾ら過去の辛い経験と口では言えても、「加害者」を目の前にしてそんな達観が出来る筈はない。
]そんなことが出来るのは余程の大物か馬鹿かのどちらかだ。

「何にしても、もう俺に会う理由なんてない筈だ。早く帰りな。」
「・・・何でそんなに冷たいのよ。」
「宮城・・・。2ヶ月ほど前に俺に何て言った?もう忘れたのか?『貴方とはもう終わりにしたい』。『もう疲れた』。お前が俺に言ったことだ!」

 俺の口調が荒々しくなってきた。だが、口から迸る声に負の感情が混じるのを避けることは出来ない。
あの時感じた、全てが足元から崩れるような感覚がくっきりと蘇ってくる。
早くこの場から消えろ!優子、否、宮城!!もうお前の存在は俺にとって目障り以外の何物でもないんだ!!
 だが、宮城は俺の突き飛ばすような言葉に悲しげな表情を浮かべるものの、向かいのホームに足を向けようとはしない。
まだ言い足りないのか?だがもう何を言っても無駄だ。俺とお前はもう・・・終ったんだから!お前が終らせたんだから!!

「私・・・あの時、祐司がさよならって言うとは思わなかった・・・。」

・・・何?

「きっと、私が最初に別れを仄めかした時のように引き止めてくれると思ってた・・・。私と別れたくないなら、そうしてくれると思ってた・・・。
でも、祐司は、さよならの一言に続いて電話を切った・・・。あの時、私・・・呆然としたよ。受話器持ったままで。」

・・・何だよ、それ。

「前に私がこの駅を出たところで祐司と出くわしたのも、別の日に祐司の家に行ったのも、祐司と会いたくて、それに祐司の気持ちを確かめたかったから・・・。
本当は、電話で直ぐに謝れば良かったと思う。でも、祐司は大学とバイトで忙しいって知ってるし、疲れてるところに電話をかけて、祐司の心に
余計な負担をかけたくなかった。だから電話しなかったのよ。会って話をしようにも、私も大学やバイトに就職活動が加わって、なかなか行く機会がなかった。」

・・・それだけ心配りが出来るなら、どうして・・・!

「でも、祐司はどの時も冷たかった。そして今も・・・。祐司の家に行った時の祐司の言葉で私、ようやく悟った。あんな人を試すようなこと、
するんじゃなかったって・・・。」

何を今更・・・。勝手すぎる!

「以前『身近な存在』って言ったことのある、同じバイト先の人と付き合った。でも半月経たないうちに別れた。
その人じゃ、祐司の代わりにはならなかったから・・・。」

俺の代わりを探すくらいなら、俺自身を求めれば良いじゃないか!
それにもしその男が俺の代わりになったら、そのまま付き合ってたんじゃないのか?!

「だから祐司・・・。ごめんなさい。もう一度私と・・・」

 パシンという軽く乾いた音が響き、宮城の顔が横を向く。
俺の隣に居た晶子が一歩前に進み出て、その右腕が胸の前を横切っている。
何が起こったのか容易に分かる。
宮城は打たれた左の頬を押さえて再び正面を向く。だが、視線は俺じゃなくて晶子の方を向いている。

「優子さん・・・でしたよね?貴方の言い分、勝手過ぎます。」
「・・・。」
「祐司さんがどんなに苦しんで悲しんだか・・・想像できます?何も信じられなくなって、見るもの全てが醜く歪んで見えたんですよ・・・。」
「・・・そういう貴方、祐司のこと全て分かってるみたいに言うけど、何処まで祐司のこと分かってるの?」
「同じような経験をしたから分かります。結婚したい、とまで思った相手にある日いきなり捨てられたんですから。」

 晶子の言葉を受けて、宮城の眉が吊り上る。
最初に俺に別れを仄めかした時とよく似た表情だ。・・・また嫌なことを思い出しちまった。

「私は祐司を捨ててなんてないわ!ただ・・・祐司に理解してもらえなかっただけよ!」
「貴方の言葉で祐司さんが貴方に捨てられたと思ったのは事実でしょう?!手前勝手な自己弁明はもう止めて下さい!」

 晶子も、俺の部屋の大掃除の休憩時に俺と晶子を中傷する主婦連にコップの水をぶちまけた時のように、眉間に皺を寄せて宮城と対峙する。
アーケード状のホームは二人の声を取り込んで、遠い山彦のように僅かな残響を生む。
ホームに居る人々が俺達、否、晶子と宮城の方に視線を向けているようだ。
 一人の男を巡って今の彼女と元の彼女が言い争う・・・。
第三者から見れば羨望や嫉妬を抱きそうなシチュエーションだが、当事者の俺には何も良いことはない。
それに自分を巡って女が争う構図なんて真っ平御免だ。そんなものを悠然と眺めていられるほど、俺は人間が出来てない。
俺は晶子を制するように晶子の前に左腕を伸ばして、俺の方を向いた宮城に言う。

「宮城・・・。お前の意図を知らなかったにせよ、あの夜の電話で俺はお前に捨てられたと思った。お前が最初に別れを仄めかした時に
すっぱり別れてりゃ良かったと思った。」
「・・・。」
「苦しかった。悲しかった。憎らしかった。やり場のない気持ちをどうしようもなくて、友人や晶子に当り散らしたりしたこともあった。
でも、晶子は・・・すれ違ったことはあったけど、俺を理解してくれた。晶子が言ったように同じようなことを経験した似た者同士として、
そして・・・俺を好きでいてくれる女として・・・。」
「祐司を好きなのは、私だって同じよ。」
「だけどお前は、あの日の電話で直ぐに俺に真意を説明しなかったじゃないか。あれはどう考えたって、俺と別れたいと本気で思っているとしか思えなかった。」
「う・・・。」
「俺は今、晶子と付き合ってる。俺が告白したっていう意味ではまだ間もないけどな。俺は・・・晶子が好きだ。この気持ちに嘘偽りはない。
もう・・・お前とのことは良い思い出だけ残しておきたいんだ。だから・・・帰ってくれ。」

 俺はいたって冷静に、優子に対して最後通牒を突きつける。あの日の夜と立場が逆になったような感じだ。
だが、俺が言ったことは全部、俺が思うことだ。
もう俺をどう転がしても優子、否、宮城に気持ちを向けることは出来ない。
会っただけで嫌悪感を感じるような相手ともう一度やり直すなんて器用な芸当は、俺じゃとても出来ない。
 どちらが悪いとは不問とするにしても、あの日の夜の電話で俺の中での宮城との関係は終った。今はこの町で出会った晶子と付き合っている。
これが俺の偽らざる気持ちであり、俺が通過してきた出来事の大まかな推移だ。俺はその気持ちを宮城に突きつけたに過ぎない。
宮城には冷酷に思えるだろうが、二股かけられるほど俺は器用じゃない。宮城には諦めてもらうしかない。
 俺の突きつけた最後通牒で、宮城は俺から視線を逸らして少し俯き加減になる。
そのままこの場を去るかと思いきや、宮城は再び顔を上げて神妙な表情で口を開く。

「もう一度じゃなくて・・・最初から始める。」
「どういうことだ?」
「私と祐司が今日出会ったところから始めるのよ。」

 な、何だ?宮城の奴・・・。表現を替えても結局俺とよりを戻したいことには変わらないじゃないか!
だが、宮城の目は本気だ。だったら何で・・・何であの夜、あんなことを言ったんだ!人を試すにも時と場合と言い方を考えろ!

「まだ貴方は自分のしたことの重みが分かってないようですね。」

 晶子が宮城に厳しい目を向ける。宮城も負けじと瞳の鋭さを増す。

「今、祐司さんは私と付き合ってるんです。最初から始めるも何も、貴方が祐司さんとの付き合いを再開することは不可能なんです。
目の前の現実をしっかり認識してください。」

 晶子は宮城にそう言い放つと俺の左腕を取って、自分の右腕をぎゅっと絡み付ける。
コートやセーターを挟んでも感じるその場所独得の柔らかい感触が、確かに俺の頭に伝わる。
この感触には無意識に心拍数を上げる効果がある。
対する宮城は晶子の気迫に臆することなく−二人共かなり気が強い一面があるらしい−、晶子を見据えて口を開く。

「じゃあ・・・方針を変えるわ。私は絶対、貴方から祐司を奪ってみせるから。」
「!」
「み、宮城・・・。」
「私は祐司の好物も苦手な食べ物も、癖も身体の特徴も、家族の顔も何もかも知ってる。少なくとも貴方よりは、祐司のことを知ってるわよ。」
「・・・私は今の祐司さんが好きなんです。知らないことは・・・これから教えあったり一緒に過ごす中で少しずつ知っていけば良いことですから。」

 宮城は俺との付き合いが約3年続いたことを前面に押し出す。
思わぬ宮城からの「宣戦布告」と、宮城の俺に関する知識の豊富さを見せ付けられた晶子は、対抗することはしても押されている感は否めない。
此処は俺が晶子に助け舟を出さないと・・・。

「俺のことをどれだけ知ってても、それが俺の気持ちの向きを変えることには直結しないぞ、宮城。」
「突破口になる可能性はあるわよ。」
「今、俺が好きなのは俺の傍に居る晶子だ。それにお前、最初に別れを仄めかした時、俺に言っただろ。『身近に居ると一番安心できる』って。
そのとおりだよ。俺にとって身近に居て一番安心できる存在は俺の隣に居る晶子だ。その安心感と俺の晶子に対する気持ちの何処に突破口を
見出すつもりか知らないが、諦めた方が良いと言っておく。昔のよしみでな。」
「祐司さん・・・。」

 ちらっと晶子の顔を見ると、少し頬が赤らみ、瞳が潤んでいる。
俺が自分の気持ちをはっきりと自分の「宿敵」に言ったことが嬉しかったんだろうか?
 特急の到着を告げるアナウンスが流れる。
晶子と宮城のぶつかり合いはこれでおしまいだ。俺の今の気持ちに変わりはないことを加えて。
 アナウンスから程なく他の列車とは彩色の違う、見た目にも特別車と分かる列車がホームに入ってくる。
甲高いブレーキの音が止むと、折畳式のドアが開く。中から出てくる人の数はやはりまばらだ。
恐らく徹夜してか朝早くに起きてかして初詣や親戚周りに行った帰りだろう。逆の可能性もあるが。
俺は電車の方に身体の向きを変えて−勿論左腕をがっしり抱えている晶子もだ−、首だけ後ろを向いて宮城にとどめの一言を投げかける。

「それじゃ早く家に帰りな。あと、就職活動頑張れよ。じゃあな。」
「祐司・・・。」

 再び列車の方に向き直った俺は、晶子と共に特急に乗り込む。
宮城が俺を追って乗り込むのかと思いきや、その気配はない。
チラッと背後を見ると、宮城はその場から動こうとせず、俺と晶子を見送るようにその場に佇んでいる。
 ホイッスルに続いてドアが閉まる。もう一度確認がてらチラッと背後を見ると、宮城はその場に突っ立ったまま、俺の方をじっと見ている。
その目の中で嫉妬と執念が激しく燃えているように見えてちょっと怖い。
 もう後ろを振り向くのは止めよう。
このまま何度もドアを隔てて宮城を見ていると、そのうち望郷にも似た感情が湧きあがってきそうだ・・・。
もう宮城との関係は終ったことだ。今は晶子と色々な思い出を作るべき時だ。
それが俺の気持ちに正直な生き方だ。それで間違いない・・・。

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