雨上がりの午後

Chapter 44 冬の海辺の睦み時

written by Moonstone


 自転車は晶子のマンションに到着して元あった辺りに置く。
俺は野菜なんかが入った袋を籠から取り出す。晶子はでかい魚が2匹入った袋をぶら下げて自転車を降りる。

「晶子。袋、俺に渡せよ。」
「え?家までもう少しですから・・・。」
「セキュリティが解ける手が塞がってたら家まで近づけないぞ?」

 晶子はセキュリティのことを思い出したらしく、恥ずかしそうに頭を掻く。
そして素直に俺に袋を渡す。

「すっかり忘れてました。」
「晶子でもそういうところあるんだな。」
「ありますよー。こう見えても私、結構忘れっぽいところあるんですから。」
「威張んなよ、そんなことで。」

 俺と晶子はどちらからともなく笑う。
きびきびしているという印象が強い晶子が忘れっぽいところがあるなんて、また一つ晶子の面白い面を見たような気がする。
・・・俺は晶子から如何見えてるんだろう?
 お約束のセキュリティを晶子が解除して、俺と晶子は二人並んで中に入る。
入ったところで見知らぬ化粧の濃い女と出くわす。俺達を、特に晶子の方を見てフン、と鼻を鳴らして足早にすれ違って出て行く。
どうも俺と晶子が、否、多分晶子が気に入らなかったんだろう。女性専用のマンションに男を連れ込むとは何事か、とでも思ってるんだろう。
晶子もさっきの女のキツい視線に気付いたのか、ちょっと表情が暗い。
まあ、女性専用マンションに男の俺が出入りしているなんて、人によっては猛獣を連れ込んだように感じるかもしれないしな・・・。

「・・・なあ、晶子。」

 やや気まずい雰囲気をどうにかしようと無謀にも試みる。

「マンションやアパートなんて隣が誰だか殆ど知らないじゃないか。此処より規模のずっと小さい俺の家だってそうだし。
また顔を合わせるかどうかなんて分からないし、今度出くわしたときには顔忘れてると思うぞ。」
「・・・そうですね。」
「だからあんまり気にしないでさ。それにさっきの女だって実は、ってことも考えられるわけだし、・・・な?」
「・・・ありがとう、祐司さん。気を遣ってくれて。」

 晶子の表情が明るくなる。逆に落ち込ませやしないかと不安だったが、どうにか効果はあったようだ。

「私もお隣の人と顔を合わせたときは滅多にないんです。行動時間がそれぞれ違うからだと思うんですけど。
それに此処には男の人を入れてはいけないって規則はないですし、私が罪悪感を感じないんですよね。」
「そうさ。俺が初めて入ったときにも入り口のところにいる人に止められたことってないし。だったら尚更晶子が悪く思う必要なんてないって。」
「そうです・・・よね。」

 自分に念を押すように晶子は言う。表情は元の明るさを取り戻している。
俺は内心ほっと胸を撫で下ろす。こういうシチュエーションには慣れてないからな・・・。笑顔が戻って良かった。
だが、顔もろくに知らない人々が壁や天井−或いは床−を隔てて住んでいるという事実は俺の家でも変わらない。
こういう共同住宅なら何所でも起こりうることだ。
俺は・・・ギターの練習の時にはヘッドホンを使ってるし、隣に音が漏れないようにそれなりに気を使っているつもりだ。
晶子のマンションはかなり新しいから、防音も俺の家より良いだろう。
だが、上下左右に接する部屋の住人とトラブルになるようなことは避けるにこしたことはない。
 晶子の家に入って直ぐ、晶子が食料を冷蔵庫に収めていく。3ドアの冷蔵の収納スペースを上手く利用して買ったものを収納していく。
鶏肉や豚肉といったトレイに入って包装されているものは、包装を解いて均等な量や数に分配していって冷凍庫に収めて、
敷き紙(?)をポリバケツに入れてトレイは流しに放り込む。
トレイの回収籠とかが店に入った直ぐのところにあったから、ある程度溜まったら買出しのついでに持っていくつもりなんだろう。
魚2匹も持つのに躊躇することなく冷蔵庫の中央の棚に収める。良い意味で生活感が身体に染み込んでいる。
魚怖ーい、などと言われると可愛いというより情けないと思える。
そのくせ一方じゃ生きてる爬虫類なんかを可愛いと言ったりするから訳が分からない。

「よし、収納は終わりっと。祐司さん。これから如何します?」

 冷蔵庫のドアを閉めた晶子が俺に尋ねる。
俺一人のときはギターの練習をするかアレンジするか、或いはベッドに横になってCDを聞くくらいだったが、折角二人なんだしまだ午前中、
その上今日はバイトも休みだからこのまま此処に居るのは勿体無いような気がする。

「外に出るか?」
「外へ?」
「電車もあるし、多少遠いところへも行けるだろ。日帰り旅行気分で行ってみないか?」
「良いですね、それ。行きましょうよ。」
「じゃあ、晶子がコート着たら出るか。」
「ええ。」

 元々出不精な俺が、それも人を誘って外に出ようと言い出すなんて以前じゃ考えもしなかったことだ。
これも・・・晶子との付き合いで俺が変わったと言うことを示す一端なんだろうか?

 それから間もなく、俺と晶子は俺の自転車で駅に向かう。
日はかなり高く上っているが肌を掠める冷気の鋭さに変わりはない。
迫り来る年の瀬と共に強くなる冷気。この時期冷気に晒される自転車はちょっと辛い。バイクならスピードが早いから尚更だろうが。
 割と空いている駅の自転車置き場に自転車を置いて、俺は改札の上部にある路線図を見上げる。
普段通学に利用しているこの新京神線は基本的に縦に長い。途中幾つかの支線があって、北の終着駅からJRだの他の私鉄だのに分岐する。
俺の実家はその分岐する私鉄を乗り継いで1時間半ほどのところにある。
 それはさておき、何所へ行こうか?
地元の線なら大凡のことは知ってるが、通学で同じ駅でしか乗り降りしない新京神線の勝手は分からない。
そう思っていると、俺のコートの右腕がクイクイと引っ張られる。

「海に近い駅ってどの駅か分かります?」
「海に近い駅?・・・うーん。名前から推測すると北に行った方にある『柳ヶ浦』って駅じゃないか?急行も止まる駅だな。」
「もし祐司さんが他に行きたいところがなければ、そこに行きたいんですけど・・・。」

 冬に海か・・・まさか寒中水泳なんてやると思わないが、他に行きたいところはないし、何所に何があるかは大学前の駅くらいしか知らないから、
ぶらりと出掛けるには丁度良いかもしれない。

「俺は良いよ。柳ヶ浦ってところに行ってみるか。」
「ええ。」

 晶子は嬉しそうに微笑むと俺の腕を取ってそのまま切符売り場に向かう。
晶子が先に財布を出して自分の分の切符を買う。奢ってもらおうというつもりはさらさらないようだ。
そう言えば、前に映画館の後に入った喫茶店でもそうだったな。
俺は自分の財布から自分の分の切符を買う。
 改札を通って、何時もとは逆のホームへ向かう。こっちのホームに立つのは多分初めてだ。
今のアパートに引っ越すときは車だったし、それ以外ろくに外を出歩いていないし、さらに通学以外で電車を使って彼方此方出歩いた覚えもない。
 この駅のホームはアーケード状になっていて上からの雨風はやり過ごすことが出来る。
しかし今日みたいに横から吹き込んでくる風には打つ手がない。ひたすら電車が来るのを待つしかない。あと・・・5分くらいだ。

「それにしても・・・晶子。」
「はい?」
「何で海に行きたいんだ?」
「海が好きなんですよ。元々。でも夏場は人でいっぱいだし、ゆっくり散策するには冬のほうが良いかなって思って・・・。」
「そっか・・・。散策か・・・。そういうのも良いな。」
「そうですか?私が勝手に思いついただけなんですけど・・・。」
「俺は元々出不精だからあんまり外を出歩かないんだ。知らないところを散策するのも良い気分転換になりそうだし、丁度良いやって思ってさ。」
「良かった・・・。変に思われてないかって・・・。」

 晶子が安堵するような表情を浮かべたとき、電車の到着が近いことを知らせるアナウンスが流れる。
どんな風景が俺と晶子を待っているんだろうか・・・。

 電車は少し混んでいるが、俺と晶子が並んで座るスペースは十分ある。
列で向かい合う形式の座席の中央付近に並んで腰を下ろす。
此処から急行で2駅だから、せいぜい10分もあれば着くだろう。
電車の中はレールを走る電車の音をベースにして結構騒がしい。
子連れで子守りに手を焼いている母親、携帯電話で大声で喋ってる奴−電車の中では切れよ−喧騒を撒き散らす茶髪の集団。
まあ、数分の我慢だ。人ごみが少ないのを除けば、大学との往復の風景と大して変わりはない。
 電車は一度減速して停止する。人の乗り降りはさほど多くない。
社会人はまだ仕事で学生は休みだから、人数が減るのはある意味当然かもしれない。
電車はホイッスルの音の後ドアが閉まり、ゆっくりと走り始める。目指す「柳ヶ浦」という駅は次の駅だ。
駅名は確かに海を連想させるが、実際違ったらどうしよう?
・・・間違ったから別の駅を探すか、とでも切り出すか?うーん、間抜けだな・・・。
出不精なのがこういうときに響いてくるとは・・・。
以前、つまり優子と付き合っていた頃は近場で済ませていたし、行動範囲がかなり限られていたから無理もないか。
 ふと思い直すと、電車に乗ってから晶子との会話がない。
晶子はやや深く椅子に腰掛けて向かいの風景が流れるのをただ見ているだけのようだ。
電車に乗る前は腕を掴んで離さなかったのに、何でだろう?
もしかしたら周囲に気配りをしてのことかもしれない。
ベタベタくっついているカップルを見るのは人によってはイライラするときもあるからな。

 電車が減速を始める。目的の駅「柳ヶ浦」への到着が近い。
俺はポケットに入れておいた切符を取り出す。まだ駅のホームすら見えてないのに降りる準備をするのはやはり習性か?
電車がかなり減速したところで、ふと後ろの窓の景色を見る。
何やらそれ程遠くないところに横と奥に広がる白く霞んだものが見える。あれは海なんじゃないか?雪の少ないこの辺りで雪の平原なんてありえない。
どうやら俺の推測は間違ってはいなかったようだ。
さっきまでの不安が杞憂に終わって内心胸を撫で下ろす。
 電車が止まったところで俺と晶子は立ち上がって電車を降りる。
降りた乗客は俺と晶子以外では2、3人。急行が止まる割には閑散とした駅だ。
兎も角改札を通って駅を出る。すると何となく潮の香りがする。
近くの案内表示を見ると、このまま真っ直ぐ行けば海に行けるのは間違いない。これでもか、とばかりに分かりやすく書いてある。
徒歩で10分程度の場所らしい。『ようこそ!海水浴場の柳ヶ浦へ』なんて看板もその案内表示の横に建っていたりする。
何のことはない。海水浴場として名の知れたところらしい。

「祐司さん、行きましょうよ。」
「あ、ああ。」
「どうかしたんですか?」
「ん・・・推測どおりでちょっと拍子抜けしたっていうか・・・。」
「良いじゃないですか。推測どおりだったんですから。」

 晶子は俺の左腕を取って引っ張るように前に進み始める。俺は慌ててその後に追いつこうとする。
バスターミナルがある駅の前を抜けてそれに面した大通りを渡る。観光客に分かりやすくするためか道幅が広くなっている前の道を歩いていく。
夏なら海水浴の客で大混雑するだろうこの通りも、シーズンオフの今は人通りが少ない。
民家が多いので商店街みたいに人が集まる場所がないのもあるだろう。何だか人の居ない町に足を踏み入れたような気がする。
吹き抜ける風はかなり冷たい。だが、それ程頻繁に拭くわけじゃない。
ゆっくりしたペースで方向を変えながら潮の香りを残して飛び去っていく。師走だからといって、風まで忙しなく吹き抜けていくことはないのに。
 この間、俺と晶子の間には会話はない。今時こうも無口なカップルも珍しいだろう。
だが、言葉がなくても俺は左腕に晶子の存在を感じるし、晶子は右腕を通して俺の存在を感じてるだろう。
会話をするときはそれなりにするがそれ以外のときはくっついたり手を繋いだりこうして腕を組んだりと相手の存在を感じていればそれで良い。
そういう関係もあって良い筈だ。
流行の場所や繁華街を徘徊するだけが今時のカップルのあり方なんて、そんなものはないし、あったとしてもそれに従う必要なんてない。

「あ、海が見えましたよ。」

 晶子が左手で指差す方向に、寄せては返す水の動きの一部を垣間見ることが出来る。そしてその手前に白い平原がある。
水と触れ合う部分だけが褐色を微妙に濃さを加減しているも微かに見える。
さらに近付くと周囲を囲んでいた民家の壁が急に開けて、見渡す限りの白い砂浜とぼんやり霞む海が見える。
夏の色、蒼とは違う、眠りの色とでもいおうか。ただ打ち寄せて海岸にその痕跡を残して砂をさらって退いていく・・・。
少し曇りがちな空と合わせて寂寥感を醸し出している。
 周囲を見回してもこの辺りの子どもだろうか、数人の子どもが砂山を作ったりそこにトンネルを掘ったり、
波を堰き止めようとして懸命に堤防を作るが、打ち寄せる波に簡単に崩されて、それでも堤防を補強してより長い堤防を作ろうとしている。

「あの子達、可愛いですね。夢中になって遊んでる・・・。」
「俺もガキの頃は公園の砂場でああやって山作ったり、水路作って水流したりして喜んでたもんだよ。」
「祐司さんもですか?私は飯事遊びや縄跳びとかかくれんぼとかしてましたよ。」
「かくれんぼか・・・。どうりで人を追っかけるのが上手いわけだ。」
「そうかもしれないですね。」

 晶子はくすっと笑う。
でもその追っかけがなかったら今の関係はなかったかも知れないんだから、晶子の幼児時代に感謝しておこうか。

「でも・・・今外で遊んでる子なんて殆ど見かけないですよね。」
「習い事や塾はあるし、俺たちの頃にはなかったTVゲームなんかがあるしな。それに・・・遊ぶ場所そのものも減ってる。
減らされてると言った方が良いかな・・・。」
「減らされてる?」
「ああ、特に大人にな。昔なら泳いだり魚や蛙取ったりしてた場所には行くなって言われて、公園の砂場は汚いから遊ぶな、と言われ、
空き地には入るなって言われるし、道には車がわんさか通ってる。」
「・・・確かに・・・そうですね。環境が全然違いますよね。」
「その上、将来のためとか言って習い事や塾に押し込んでる。大人が最近の子どもは対人関係が築けない、だから問題を起こすってほざくが、
子どもから遊ぶ場所と時間を奪って対人関係を築けなくしてるのはてめえら大人だってことに気付いてない。・・・馬鹿ばっかりだ。」

 俺は勢いづいて一気に自論を吐き捨てる。俺の子どもの頃は夕方まで遊んでるのが普通だった。
喧嘩しても翌日には喧嘩した相手とけろっとした顔で遊んでいた。
なのに何時からだろう・・・。付き合いが上っ面だけのものになって、些細な諍いを起こせば一言も口を利かなくなったりするようになったのは・・・。
・・・中学からか?成績で全てが決まるようになったのは。成績次第で人を見下ろしたり見下したりするようになったのは。
高校には完全に序列があって、「上位」の高校に行く奴は自然と「下位」の学校の奴を見下ろすようになっていたように思う。
俺はそれに違和感を感じて・・・当り障りのない関係を幾つか築いておいた上でギターに没頭するようになったんだったんじゃないか・・・?
その中で数少ない強さの絆を築いたのが、バンドのメンバー達と・・・優子だったってわけか。もっとも後者は予想以上に脆かったが。

「・・・祐司さんの言うことが正論に思えます。悲しいことですけど・・・。」
「ちょっと口が過ぎたかもしれないな。俺だって大して賢い頭持ってるわけじゃないのに。」
「でも、そうやって自分の考えをしっかり持ってて、それをはっきり言える人って少ないですよね。」
「突っ込んだ話をしようとすると避けられるんだよ。固い奴とかってな。智一くらいかな。同じ学科でこんな話が出来るのは。」
「それは私達でもよく似た状況ですよ。真面目な話題で自分の考えを主張したりすると避けられちゃうから、ファッションとか髪型とか、
当り障りのない会話ばかりですよ。そういうのがつまらなくて・・・。」
「そういうの、何所かで誰かに無性に話してみたくならないか?」
「なりますよ。でもこっちはただでさえ女の人が多いから、噂は直ぐ広がりますしね・・・。変な娘だ、って。ちょっと息苦しいですよ。」

 晶子が寂しげに微笑む。理工系男子なら誰もが憧れる(?)女子大生の花でいっぱいの文系学部でも、晶子のようなタイプだと
居場所がないように感じるんだろう。
なまじ真面目だけに尚更息苦しいだろうな・・・。

「・・・せめて自分だけでもそういう色に染まらないようにしていきたいなって思って・・・。だから友達少ないですよ。
その娘達とも別に一緒に何処かへ遊びに行ったりするわけじゃなくて、大学の中だけの関係ってところですね。」
「大学じゃもう・・・全てとは言わないが人と人の繋がりがなくなってるのかもしれないな。」
「私達みたいなカップルを除いて、ね。」

 晶子は話を一気にそっちに飛ばす。咄嗟に返す言葉が思い浮かばない。
晶子は目を見開いて俺の顔を正面から覗き込む。余計に言い辛くなって視線を逸らすと、晶子は俺の腕から離れて俺の正面に来る。

「そうですよ・・・ね?」

 口調こそ軽いが俺を見る目は真剣で且つ切なげだ。俺はごくっと唾を飲み込んで、砂浜を背に立つ晶子に言う。

「・・・ああ、そうだよ・・・。」

 すると晶子は表情を一転してぱあっと明るくして、俺の首にがばっと抱き着く。
俺はその勢いで2、3歩後ずさりしたが、晶子を抱いたまま砂浜に倒れるのを防ぐ。

「な、何だ、いきなり!」
「嬉しかったから。」
「だからっていきなり抱きつくなよ。危うくひっくり返るところだったぞ。」
「だって祐司さんって、こうでもしないと好きだとか言ってくれないから・・・。」

 晶子の声が引いていく波の音と共に耳に溶け込んでくる。
確かに俺は・・・なかなか好きだ、とか愛してる、とか言えない。
優子との時もそうだった。女って言葉で確認しないと不安になるんだろうか?

「口で言われないと不安か?」
「・・・多少・・・は。」
「不安になるんだろ?相手の気持ちが自分から逸れていないかどうかが。それに声だけじゃ相手が見えなくて余計不安に感じて、
まめに会いたがるんだろ?」
「・・・それだけよく分かってるなら、最初から素直に返事してくださいよ。」
「ついさっきそんな気がしたから・・・。」

 そう、優子とのことを思い出したからだ。
高校時代は殆ど毎日会っていたし、休みの日のデートも加えれば会わない日はないって週もあったくらいだ。
それでも人目があるところ以外では、優子は度々私のことが好きかどうか尋ねてきた。
俺はお互い好きだと分かってるだし、両想いになったのは色々なシチュエーションがあるけど、何より「相手のことが好きだから」ということを
確認しているんだから、その後は頻繁に確認する必要なんてないと思っていた。
 だが、実際は可能な限り確認しないと気が済まなかったようだ。
キスを求める頻度は俺の方が多かったと思うが、それでもその後で好きだ、と一言添えると優子は尚瞳を潤ませて、
自分からキスしたりさらに舌を入れてきたりした。俺がこっちに来てからは、毎日の電話では勿論、会う度に好きかどうか何度も尋ねてきて、
寝る前にもその最中にも、終わってからも何度となく尋ねてきた。
それはてっきり優子独特のものかと思っていたが、晶子も同じだった。
毎日でも顔を合わせ、好きだと言わないと駄目なんだ、女っいうものは・・・。今それを実感する。
 晶子は俺の首から両腕を離して姿勢を戻す。そして俺の両脇を潜らせる形で両腕を俺の背中に回す。
抱き締める、というよりは軽く抱きとめる感じだ。その上で額を俺の胸にくっつける。

「女の子って結構勝手なんですよ・・・。」

 晶子が波の音に声を混ぜ込む。
線の細いソプラノボイスは波の音に打ち消させることなく俺の耳に届く。

「自分が相手から愛されてるか、愛されてるって分かっていても直ぐ不安になって相手に言わせたりするんですよ。
心配性っていうのかな・・・。それが男の人からすればしつこいとか、何で分かりきったことを、とか思うんでしょうね・・・。」
「・・・。」
「でも、言ってもらえないと不安になるんです。何だかんだ言ったって・・・女の子は自分勝手なんですよ。
そうであって欲しいと思ってそれを要求して、それを反故にされると不安が苛立ちに変わっていく・・・。そういうものなんですよ。」
「こう言うのもなんだけど・・・前と比べるとよく分かる。」
「遠距離恋愛が難しくて、特に女の子の方から離れて行っちゃうのは、女の子のそういう側面が男の人にカバーしきれない場合が多いから・・・。」
「改めて言われてみると・・・ああ、そうだったんだなって思える。」
「祐司さんにはちょっと嫌なこと思い出させちゃいましたけど・・・時々でも良いから祐司さんの方から好きだ、って言って欲しい・・・。」

 好きだ、と言おうとすると言い慣れないせいか口篭もってしまう。
優子との時積んだ「経験」は全く役に立たない。相手が違うと前と同じようにはいかない。元々言うだけでも相当の覚悟が必要な人間だからな・・・。
言えないなら行動で示すしかない。
そう思った俺は晶子の身体をぐっと抱き寄せる。突然の俺の行動に、晶子はあっ、と言って俺と身体を密着させる。
びっくりして反射的に跳ね除けるかと思ったら、俺の背中に回した腕により力を込める。
その両腕が俺の存在を確かめるように彼方此方動く。

「俺は・・・自分で言うのも何だけど口下手だから・・・こうやって行動で示すようにするつもり・・・。不満かもしれないけど・・・。」

 すると晶子が首を何度も横に振る。

「これで・・・充分です。時々で良いですから言葉も添えてくださいね。」
「そうするようにする・・・。まだ言い馴れないけどな・・・。」

 俺と晶子はそのままじっと、ぐっと抱き合う。波の音と子ども達の歓声が遠くなっていく。
この世界に俺と晶子しか居ないような気分になってくる。

「ちょっと練習してみます?」
「練習って・・・必要あるのか?」
「何事も経験、経験・・・。」

 囁くような会話の後、俺は俺をじっと見上げる晶子を見詰める。

「・・・好きだよ。」

 するとなかなか言えない言葉が自然と零れ落ちる。
屋外で誰が見てるか分かりもしないのに、すんなり言えた・・・。何故?
世界から俺と晶子が隔絶されたからか?
晶子は柔らかい微笑を浮かべる。その顔は同時に嬉しさに満ち溢れている。

「ほら、言えるじゃないですか。」
「・・・何でだろうな。」
「気持ちが私に集中できてるかどうか・・・。それだけですよ。」

 気持ちの集中・・・。言われてみればそうかもしれない。
好きだ、というときにもどんなシチュエーションで言うか、言うタイミングは何時が良いか、とかあれこれ考えてたからな・・・。
もっと気軽にすれば良いのか?

「じゃあ、これももっとし易くなるかな?」
「何が?・・・あ。」

 俺は晶子の頭に左手を回して一気に引き寄せる。唇と唇がしっかりと密着する。
左腕で一応人の居る方向からは避けてるつもりだが、頭の近付き具合で直ぐ察するだろう。でも・・・そんなことどうでも良くなっている。
晶子は最初少し戸惑ったみたいだったが−俺の後ろにある両手がわたわたしていた−、少しずつ落ち着きを取り戻して
俺の両脇を通した手を俺の肩に後ろから引っ掛ける。
その分頭の高さが俺とほぼ等しくなる。これだと外からも見えてるかもな・・・。ま、良いや。
 波の音が遠く聞こえ、子ども達の歓声が鳥達の囀りに聞こえる。
仄かな静寂に包まれた二人分の世界の中で、俺と晶子は唇を重ね続ける・・・。

「年越し、どっちの家でします?」
「俺の部屋でも良いけど・・・長閑に年越しっていう状態じゃないぞ。」

 俺と晶子は堤防の大きな段差の中央部分に並んで座っている。
長いキスの余韻がまだ残っているのか、晶子はぴったりと身体を横付けして俺の肩に凭れている。
俺もあの唇の感触がしっかりと頭に焼きついている。当分取れはしないだろう。

「部屋、少しは掃除しないと駄目ですよ。」
「何かなぁ・・・。雑誌とかもう読みきったしかなり前のやつだから捨てようかな、とも思うんだけど、いざって時になると迷っちまうんだよなぁ。」
「そのうち雑誌で部屋が埋まっちゃいますよ。」
「どれだけあるか自分でも見当も着かないからな・・・。もう手遅れかも。」

 何気なく俺がぼやくと、晶子が思い切った提案をする。

「それじゃ、明後日祐司さんの家の大掃除しましょうか?」
「俺の?」
「ええ。祐司さんだけだと雑誌を積み重ねて終了、って感じがするし、二人なら効率よく出来ますよ。」

 前半はちょっとムカッとしたが、充分予測される行動だけに反論できない。
それに雑誌の量や隠れたゴミの片付けを考えると、1日では到底終わりそうにない。ゴミ溢れる中で寝る羽目になりそうだ。
・・・人によっては既にそういう状況になっていると言われるかもしれない。
 それに俺は、歩く場所があれば掃除する必要がないと思うくらい掃除が嫌いで苦手なタイプだ。
すっぱり残す、捨てるの判断が出来る「他人」が居る方が思い切った片付けが出来そうだ。

「・・・じゃあ、手伝ってもらおうかな。想像以上に手間かかるかも知れんぞ。」
「大丈夫ですよ。日を越す場合は一泊させて貰いますから。」
「・・・あのな。」

 本当に警戒心がないというか何というか・・・何時俺が狼に変貌するか知れないのに、よく気軽に一泊させてくれ、と言えるもんだ。
それだけ信用しているということか、それとも・・・欲望の手を伸ばせるような度胸はないと高を括ってるんだろうか?
 どうにか告白という一大事を乗り越えて以来、その気になれば押し倒したり、ベッドで覆い被さる機会は何度もあった。
実際そうしようかと思ったこともある。でも・・・そうするには至らなかった。どうしてだ?
優子との経験で知ったからだろうか?
最後の一線を越えたとしても、それは心を繋ぎ止める理由にも、絆を強める理由にもなりはしないということを・・・。
そして両者の合意が何よりも不可欠だということを・・・。
過去の経験が今の自分に生きている・・・嫌な過去は全て否定するばかりで良い、と思っていたが、
こうして今のある状況に生きてくるときが来るものなのか。

「・・・一泊する覚悟で来た方が良いかもしれない。確かに。」
「前にお邪魔したとき、雑誌の山が彼方此方に出来てましたからね。」
「実家に居た時からのものもあるからな。押入れに無理矢理放り込んだものもあるし、見るのも怖い状態になってるかも・・・。」
「大丈夫ですよ。私が非情とも思える判断を下しますから。」
「お手柔らかに。」

 俺は苦味を含んだ微笑を浮かべる。すると晶子が急に頬を赤らめていく。別に好きだ、と言ったわけにもないのに・・・何故だ?

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