雨上がりの午後

Chapter 28 何時もと違う朝の訪れ

written by Moonstone


 ・・・朝みたいだ。カーテンが淡く輝いている。今の季節からして7時か8時くらいだろうか?
ちょっと気だるいがよく眠れた方だと思う。昨日バイトの後で音合わせをひととおりやったから、寝られる条件は揃っていたわけだが。
 ・・・何だか左腕が重い、否、何かが絡み付いているような・・・。
何気に見てみると、布団の中から茶色がかった球体が覗いている。
空いている右腕で布団を少し捲り上げてみると、左腕の違和感の原因が分かった、否、見えた。

井上が俺の左腕に密着しているからだ。

手は繋いだままで横向きに密着して、左腕を俺の左腕に絡ませている格好だ。
寝返りを打ってこうなったのかもしれないが、それにしても・・・この格好でこの位置だと、見えるんだよな・・・。その・・・胸の谷間が・・・。
それに気付くとその光景と左腕に伝わる感触が気になって仕方がない。・・・体がむず痒くなってきた。

「・・・うん・・・。」

 井上が余計に密着してくる。肩をすぼめて俺の左腕に少し覆い被さるような感じで・・・。
布団を捲くっているから寒いんだろうか?そう思って布団をそっとかけ直す。
 しかし困った・・・。この状態では起きようにも起きられない。
手は一体化しているかのように握られているし、腕に絡み付いているような感じで密着しているから引き抜くことも出来ない。
・・・このまま腕に感じる感触を気にしながら、内側の疼きに耐えてなきゃならないんだろうか?
それはそれで嬉しいような・・・否、そういう問題じゃない。
 その時、ドアが静かに開く。様子を伺うように顔を覗かせたのは潤子さんだ。

「・・・あ、やっぱり此処で寝てるのね、晶子ちゃん。」

 妙に嬉しそうに声を弾ませる潤子さん。・・・井上が此処に「避難」してきたのは一体誰のせいだと・・・。
しかし、昨日隣の部屋の井上が目を覚まして「避難」する羽目になるくらい激しい物音を立てていたという割には−考えてみると結構凄い・・・−随分元気だ。

「祐司君は起きてるの?」
「は、はい。それより・・・井上はまだ寝てるみたいなんで・・・。」
「あら、御免なさいね〜。」

 俺が上体を少し起こして言うと、潤子さんは一応謝ってみせる。
だが、顔と声は笑っているから説得力はまるでない。完全に面白がっているとしか思えない。

「今、何時ですか?」
「7時半過ぎよ。9時頃もう一回起こしに来るから、その時一緒に朝御飯食べましょ。」
「はい、分かりました。」
「それじゃ、ごゆっくり〜。」
「・・・潤子さん。」

 やっぱり面白がっている。妙に嬉しそうな潤子さんは静かにドアを閉めて足早に去っていく。
きっと間もなくマスターに尾鰭がついた形で伝わるだろう。そうなったらもう俺の逃げ場はない。
どれだけ弁解をしても「そんなに照れなくても」と相手にされないのは目に見えている。

まだ逃げるつもりなのか?俺は・・・

 俺は今の井上との関係を失いたくない。それはもう否定しない。
なら何故迷って、否、逃げてるんだ?
・・・好きだ、と言うことで今の関係が壊れてしまうからか?
井上に対する気持ちが本当に好きという気持ちかどうか分からないからか?
・・・どれもあるだろう。でも、それが全てじゃない。

好きだ、と言うことそのものが怖いからなんじゃないのか・・・?

 井上はその怖さを乗り越えた。
ぶっきらぼうにしている俺に邪険に扱われるかもしれない、一笑に付されるかもしれない、
そんな負の可能性があっても尚、井上は気持ちを口にすることを選んだ。
 ・・・あの時は友人ではいられなくなったことに若干のショックを感じたし、その告白に対する答えも、自分の気持ちも、
これからのことも何が何だか分からなかった。
だから何れ返事をする、と言って今に至るわけだ。
もう俺の気持ちは・・・自分自身で分かってるんじゃないか?否、分かってる筈だ。
 その気持ちが本当に好きという気持ちかどうか分からない・・・。以前は確かにそうだったと思う。
だが結局それは、好きだという気持ちに気付くのを無意識に避けようとしていたからじゃないんだろうか?
またあんな思いをしたくないからって・・・。

 俺は布団に再び身を横たえて、空いた右手で掛け布団を整える。
井上の顔は掛け布団に覆われて半分ほどしか見えないが、よく眠っているようだ。
握られた手と抱え込んだ腕は解放してもらえそうもない。どうやら潤子さんがもう一度来るまで、このままで居るしかなさそうだ。
・・・つまりはもう一回、知らない人間が見たら説明のつかない状況を見せなければならないということだ。
今度は潤子さんだけじゃなくて、マスターも興味本位で顔をにやつかせながらやって来そうな気がする。

「・・・ううん・・・。」

 井上が布団の中でくぐもった声を出す。こういう声をこういう状況で出されると気になって仕方がない。
どんな顔して寝てるんだろう?・・・ちょっと見てみるか、ちょっとだけ・・・そっと・・・。
 右手で井上の顔下半分から下を隠す布団の裾を少し捲ってみる。
井上は俺の腕に抱きつく格好で眠っている。本当に無防備な寝顔だ。
彼女だったら気付かれないようにキスの一つでもしたくなるような顔だ。

・・・彼女だったら・・・。

そう思うと胸がぐっと掴まれたような感覚が走る。
井上の顔を少し上に向けて、俺が顔を寄せれば、唇同士を触れ合わせられる・・・。
胸が高鳴り始める。右手を井上の髪に通して・・・絹糸のような滑らかな感触・・・。
 その時、井上がぱちっと目を開ける。
突然のことに俺は慌てて手を引っ込めて距離を開けようとする。
しかし、左手と左腕をしっかり拘束されているから逃げようがない。

「・・・何時から起きてたんだよ。」
「・・・ついさっき。」
「ついさっき、って・・・何時からだよ?」
「『井上が寝てるみたいなんで』って言ったところから。」

 それじゃ俺がさっき井上の髪に手を通していたところを、じっと様子見していたってことか?
これじゃ言い訳しようがない。寝顔に騙されちまった・・・。

「・・・嬉しいです。」
「な、何が?」
「寝てるみたいだから、って私を気にかけてくれたこと。」

 井上の微笑が何時も以上に柔らかい。どう言い訳しようか半ばパニックになっていた頭が急に落ち着いていく。

「・・・寝てるところを起こしたくなかったしな。でも、寝た振りしてるとは思わなかった・・・。」
「嬉しかったから、そのまま寝た振りしてたんですよ。もう一度潤子さんが起こしに来るまでこのままで居られるって思ったから。」
「寝た振りってのは・・・ちょっとずるいぞ。」
「本当に寝てたら、キスできたのにって?」

 ・・・やっぱりそう来たか・・・。まんまと井上の術中に嵌ってしまったとはいえ、あれは先走りが過ぎた。
あれがそのままマスターと潤子さんの耳に伝われば、今日の夜はどちらかの部屋に布団が二つ並べて敷かれるに違いない。
・・・今こうして寝てる時点で、潤子さんの胸のうちは決まっているかもしれないが。

「な、何で目を開けたんだよ。」
「やっぱり開けない方が良かったですね。」
「べ、別にそ、そんなつもりは・・・。」
「じゃあ、何のつもりだったんですか?」

 井上があの得意の悪戯っぽい笑顔で詰め寄ってくる。
そんなこと聞かれても返答に困る。自分がやっていたこと自体、本人を目の前にして言い訳出来そうもないんだが・・・。
井上の表情がまた変わる。少し切なげで何かを訴えるような瞳から、俺は目を離せない。

「順番は・・・守って欲しい・・・。」
「井上・・・?」
「私から挑発するようなことしてて説得力ないかもしれないけど・・・」
「・・・。」
「そういうことは・・・気持ちを聞かせてからにして欲しいなぁって・・・。」
「・・・そうだな。」

 そうだ・・・。彼女だったら、と思って引き寄せられるように井上の髪に手を通したけど、俺はまだ井上に返事をしていなかったんだ・・・。
じゃあ、あの気持ちは何だったんだろう?
キスしたいと思った・・・それは間違いない。じゃあ何故?
・・・井上の寝顔があまりにも無防備だったから?それもある。他には・・・?

・・・思い当たらない。

 キスしたいということが邪な欲望に基づくものだったとは、少なくともさっきの場合は思えない。本当にただキスしたくて・・・。
それが邪な欲望だとすれば、何を以って純粋な想いと言ったら良いんだろう?

「もう少しだけ・・・時間をくれないか?」
「?」
「俺の気持ちはもう固まってると思う・・・。だけど、それに自信がない・・・。純粋な気持ちなのか、それとも自分の欲望を満たしたいだけなのか・・・。だから・・・。」

 前に井上に看病してもらったときもそう思った。この気持ちは熱で寝込んで心身共に弱り切っていたから、
自分に尽くしてくれる相手に依存する気持ちを好きだという気持ちと錯覚してるんじゃないかって・・・。
 もしそれが本当に錯覚だったら、前に経験したパターンとよく似てる。
告白されたことが嬉しくて付き合うようになって、本気になってこのままずっと、と思っていたら、相手の方があっさり乗り換えたんだ。
・・・もう、あんなことは御免だ。絶対に・・・。

「待てるだけ待つって言ったのは私だから・・・良いですよ。」
「・・・悪い。」
「好きだって言ってもらえるときは、迷いなく言って欲しいですから。」
「・・・好きって言うとは一言も・・・。」
「違うんですか?」
「・・・ノーコメント。」

 このまま井上と問答していたら、ぽろっと好きだと言ってしまいそうだ。
元々策士の上に誘導尋問も巧みだと・・・浮気は絶対ばれるだろう。する気もないが。
悪戯を仕掛けたことを分かっていながら子どもに詰め寄るような井上の表情に耐え兼ねた俺は背中を向けようとするが、
左腕をがっしり抱え込まれていて首だけ横を向けるのが精一杯だ。

「・・・あ、あのさ、井上。そろそろ・・・手を離してくれないか?」
「どうしてですか?」
「だ、だって・・・もう良いだろ?」
「・・・嫌。」

 井上は少し怒ったような声でより強く腕を抱え込んで来る。
そんなに強く抱え込むと・・・胸の感触が余計に強くなるじゃないか・・・。
ますます井上の方を向けなくなる。昨日の夜と同じ状況だ。

「な、何で?」
「潤子さん、あと1時間くらいしてから起こしに来るんでしょ?」
「だから?」
「それまで私達は寝てることになってるんですから、手は繋いだままで居ます。」
「何だ、その理屈・・・。」

 引き抜こうにも腕は抱え込まれているし、手はしっかり握られているからどうしようもない。
強引にやれば出来ないこともないだろうが、それにはちょっと・・・躊躇いがある。
腕と手を通して伝わってくる井上の手や胸の感触−どうしても気になる−、そして温もり・・・
。あと1時間ほど浸って居たい。抵抗するのは止めにしておこう・・・。

・・・じくん、・・・さこちゃん・・・。

・・・誰だ?井上か?ちょっと声の質が違うような気がする・・・。

・・・うじくん、まさこちゃん。

え?俺?・・・まさこって・・・誰だっけ?

「二人ともなかなか寝ぼすけさんねぇ。」

 呆れたような声は・・・潤子さん?!
ばっと目を開けると、布団の横に両膝を落とした、エプロン姿の潤子さんが居た。
がばっと身を起こそうとするが左腕の方が錘でも付けられたように重くて傾いてしまう。
起き上がった勢いで掛け布団が捲くり上がり、俺の姿勢が傾いた「原因」が潤子さんに晒されてしまう。
・・・井上はまだ俺の左腕に密着している。

「・・・なるほどぉ。起きられなかったのはこういう理由だったわけね。」
「あ、いや、これは、その、昨日、いろいろ、ほら、・・・。」
「そんな状況で弁解しようとしても、説得力ないと思うけどな・・・。」
「・・・ん・・・どうしたんですか?いきなり・・・。」
「えっとね、もう9時だからそろそろ良いかな、って思って起こしに来たんだけど・・・。」
「潤子さん・・・?あ、おはようございます。」

 上体を少し引っ張り上げられるような格好になってもまだ暢気にまどろんでいた井上が、潤子さんの体裁を整える程度の理由説明に
ようやく目を覚まして俺から手と腕を離して布団に座る。
モーニングコールをするときの声からは想像もつかないが、意外に目覚めは良くない方なのかもしれない。

「どう?晶子ちゃん。よく眠れた?」
「はい。二度寝だったんでちょっとぼんやりしてますけど・・・。」
「あら、休憩を挿んでも続けるなんて、祐司君たら随分頑張ったのね。」
「な・・・何言ってるんですか!元はと言えば、井上がここに来たのは・・・」
「夫婦だから良いでしょ?」

 そう言われるとどうにも言い返しようがない。
確かにこの家はマスターと潤子さんの家なんだし、そこで二人が夜中勤しんでも誰にも干渉する権利はないわけだ。
 しかし、多少は照れたり誤魔化そうとしたりするかと思ったが、全くそんな素振りは見せない。
夫婦だからそういうことがあっても何も不思議はないし、隠すようなことではないと思っているんだろうか?

「ちょっと五月蝿かったかもしれないけど、隣の部屋への響き具合まで知ってるわけじゃないからね。」
「・・・かなりよく聞こえましたよ。」
「あら、そうだった?参考になったかしら?」

 潤子さんは隠すどころか逆に尋ねてくる。
井上は口篭もって俯いてしまう。答え辛いことをわざわざ尋ねるなんて、潤子さんも人が悪いなぁ・・・。

「まあ、その話は置いといて、皆で朝御飯食べましょ。準備は出来てるから着替えて降りてきてね。」
「は、はい。」

 さらに追求するのかと思ったが、潤子さんは井上の沈黙が少し続くと自ら話を切り上げる。
この辺り、タイミングを心得ているというか・・・。押すか引くかしか知らないような俺や井上には未熟な、人間関係での技だ。
 潤子さんが部屋を出て、足音が遠ざかっていく。
俺と井上は改めて顔を見合わせて苦笑いする。

「何だか・・・結局、潤子さんに当てられっぱなしだったな。」
「そうですね・・・。でも、羨ましい。」
「何で?」
「だって、それだけ好き合ってるってことでしょ?」
「・・・そうだな。」

 少なくとも潤子さんにとっては、あれは秘め事ではないわけだ。むしろ、私達はそれだけ夫婦仲が良いという証明なんだろう。

「私達もあんなふうになりましょうね。」
「・・・ちょ、ちょっと待て。俺は・・・。」
「着替えるから部屋に戻りますね。」

 俺が言おうとしたところで、井上はそれをはぐらかすように立ち上がっていそいそと部屋を出て行く。
何だか・・・もう一歩のところで逃げられたような口惜しさを感じる。
まだ好きと言ったわけじゃない、と言おうとしたつもりなんだが・・・。
 俺は小さい溜息を吐く。
あそこで俺もあんな風になりたい、とか気の効いたことを言えれば、何かが変わっていただろう。
どうも俺にはそういうセンスのようなものがない。
俺と井上の関係が変化したとき、井上は俺のそういうところを許せるんだろうか?
我慢できなくなったとき、或いはそれがない存在を見つけたとき、関係は終わりへと向かうだろう。俺の気付かない間に・・・。

やっぱり俺は、恋愛をしない方が良いんじゃないか・・・?
その方が・・・俺も井上も余計な傷を増やさなくて済むんじゃないか?

・・・そうとも思う。でも井上には俺の傍に居て欲しい・・・。同じくらいそう思う。
どうすれば良いんだろう・・・?考えれば考えるほど分からない・・・。

 着替えを済ませて階段を下りていく。
台所に出ると、テーブルに4人分の食事が食器が並んでいて、その内の1つには、新聞を広げているマスターが座っている。
潤子さんはコンロにかけた鍋の様子を見ている。微かな味噌の匂いが漂ってくる。

「おはようございます。」
「おっ、おはよう。昨日はお疲れだったらしいな。潤子から聞いたぞ。」
「・・・お疲れなのはマスターの方じゃないんですか?」
「いや、お陰でよく寝られたよ。」

 反撃に出ようと思ったんだが、呆気なくかわされた。
やっぱり年季が違う・・・。聞いていないかのように鍋を時々かき回していた潤子さんが、手を休めて俺の方を向く。

「あら、祐司君。おはよう。」
「・・・おはようございます。」
「マスターの隣に座ってくれる?」
「はい。」

 俺は潤子さんの指示どおり、マスターの横に座る。
朝食の席で食べる前に新聞を読んでいる姿は実家の親父を思い出させる。
 それはそうと・・・井上はどうしたんだろう?
てっきり俺より先に降りて来てると思ったんだが・・・。

「あの・・・井上は・・・?」
「ああ、晶子ちゃんはもう降りて来てるわよ。」
「そうですか・・・。」
「おっ、井上さんのことが心配か?」
「い、いえ、俺よりきっちりしてるから、先に来てる筈だと思って・・・。」

 新聞を読んでいたマスターがいきなり話に首を突っ込んでくる。聞いてないようでしっかり聞いていたのか・・・。
井上と一緒に寝てたことや手を繋いで密着していたことも知っているに違いない。何となくこの場に居辛い・・・。
 潤子さんがガスコンロの火を止めて、椀を順番に取って鍋の味噌汁を注いでいく。
4人分の味噌汁が食卓に並んだ頃、井上が階段と反対側から姿を現した。
髪を梳いたり顔を洗ったりしていたんだろうか?

「晶子ちゃん、丁度良いところに戻って来たわね。さ、座って。」
「何か手伝いましょうか?」
「もう皆の食器に盛り付けるだけだから大丈夫よ。」

 井上は俺と向かい合う形で座る。
俺は視線を何処に向けて良いか分からず、何気なく目の前の朝食に一時待機させることにする。
井上と見詰め合うのはちょっと・・・気恥ずかしい。
 朝食はご飯に豆腐の味噌汁、厚焼き玉子に漬物、海苔と、それこそ何処かの旅館で出てきそうなメニューだ。
厚焼き玉子なんて、高校のときの弁当以来だと思う。
母親が作っているのを見たことはあるが、俺では到底出来ないと思ったものだ。
 潤子さんが茶碗にご飯をよそっていく。
4人分の料理が出揃ったところで、潤子さんがエプロンを取ってマスターと向かい合う形で座る。
マスターも新聞を畳んでテーブルの隅に置く。

「じゃあ皆揃ったことだし、戴きましょうか。」
「「「「いただきまーす。」」」」

 声を揃えていただきます、なんて小学校の給食みたいだが、これだけ人が居るとそれも楽しく思える。

 のんびりした雰囲気の中、朝食は進む。4人の食卓は実家を出て以来初めてだ。
最初のうち、井上と一緒に寝ていたことをあれこれ突っ込まれるのかと思って気が気でなかったが、
そんな気配はまったくないので緊張が徐々に解れて食事を味わう余裕が出来る。
同年代だと食べる暇もないくらい突っ込んで来るだろうが、何だかんだ言ってもマスターと潤子さんは大人だな、と思う。

「今日、二人は大学の講義はあるの?」
「いえ、土日は休みです。サークルとかも入ってませんし・・・。」
「あ、そうなの。私の頃は土曜日も午前中はあったんだけどね。」
「どうしてですか?」

 俺が尋ねると、潤子さんは箸を置いて席を立ち、冷蔵庫にマグネットで留めてある長方形の紙切れを取ってきて、俺と井上の間に差し出す。
・・・映画のチケットだ。タイトルは『逢瀬の丘』。
丁度俺くらいの年齢の男女がアップで向かい合い、その背景に朝日を逆光に見る構図で男女のシルエットが見えるという、
いかにもラブロマンスものと分かるデザインだ。

「新聞屋さんに貰った招待券なんだけど、店を休むのも何だし、丁度2枚あるから二人で行ってきたらどう?」
「二人でって・・・」
「良いんですか?これ、最近封切りになった人気の映画ですよね?」
「晶子ちゃん、知ってるの?」
「ええ。前売り券買おうと思ったんですけど、買いそびれちゃって・・・。」
「なら丁度良いわね。何時もの時間までに戻ってくれれば良いから。」

 ・・・俺が口を挟む余地は全くない。既に井上は行く気でいる。
クリスマスコンサートが近いからという理由で泊り込むことになったというのに、昼間の空き時間に遊んでいて良いんだろうか?

「あの・・・昼間は練習した方が・・・。」
「練習ばかりだと息が詰まるわよ。練習はバイトの途中でも出来るし、店が終わってから皆でするし。」
「音楽以外のことに触れておくのも大切なことだぞ、祐司君。」

 3対1か・・・。これじゃ俺が何を言っても無駄だろう。
それは兎も角、映画なんてあの女、優子と付き合っていた頃行ったきりだし、この町に来てから行ったことはおろか、
映画館の場所すら知らなかったりする。

「俺、映画館の場所知らないんですけど・・・。」
「私、知ってますから。」

 井上が目を輝かせて即答する。・・・ま、たまには良いだろう。
それに、井上と一緒なら・・・。

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