契約家族

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第3章

「ちょっと!!あんた!!起きなさいよ!!」

 朝の海原宅に猛獣が咆えるような野太い怒声が響き渡る。熟睡していた海原は、その目覚ましなど比較にならない音量で飛び起きる。
海原が見ると、血管が浮き出るほど両手をぎゅっと握り締め、眉を可能な限り吊り上げたセイウチを思わせるエプロン姿の巨体が仁王立ちしていた。
その巨体は言うまでもなく海原の本物の妻である。そしてその背後には怒りと非難の視線を向ける、それぞれの学校の制服を着た本物の子ども達が
立っている。

「な、何だ、朝っぱらから・・・。」
「一体どういうことなの?!説明して頂戴!!」
「説明って、何を・・・。」
「寝ぼけるんじゃないわよ!!昨日のあれよ!!」

 海原は妻の怒声でようやく昨夜のことを思い出す。
昨日、有限会社メンタルケア・プランニングなる会社と月2万円で契約した、自分にぴったりという「安らぎプラン」。
その結果待っていた、目の前のセイウチやその「付き人」らとでは到底不可能な、温かい出迎えと夕食の団欒、そして何時以来かの一番風呂。
その間、契約上の妻が「ご退散願ったわ」と言った、今目の前に居る本物の妻と子ども達が何処でどうなっていたのか、海原は全く知らない。

「あたしや子ども達はね!!昨日夕食を終えてそれぞれのんびりしてたら、いきなり玄関の鍵を開けて入って来た、お揃いの黒いジャンパーを着た
変な集団に捕まって、有無を言わさず猿轡(さるぐつわ)をされて両手両足を縛られて、車に乗せられて何処か分からないところへ連れて行かれたのよ!!」
「いったいあいつらは何者なんだよ!!」
「そうよ!!人様の部屋にいきなり押し入って問答無用に家から連れ出されたんだからね!!」
「この家に戻されたのは深夜だったわよ!!流石にあたし達も疲れてたからとりあえずお風呂に入って大人しく寝たけどね。さあ!!説明して頂戴!!」

 海原は本物の妻と子ども達の迫力に押されて、昨日のことを話す。
有限会社メンタルケア・プランニングという会社に赴き、家庭で安らぎが得られない現状を吐露したこと。
このままでは鬱病になりかねないと言う、カウンセラーらしい男が提案した「安らぎプラン」に惹かれ、契約したこと。
そして早速、契約どおりに「安らぎプラン」を実行して貰うように頼んだこと。
 ひととおり話し終えた海原は、本物の妻と子ども達の様子を窺う。
本物の妻と子ども達はわなわなと身体を震わせ、ギリギリと軋む歯を剥き出しにしている。怒りの絶頂にあることは嫌でも分かる。
本物の妻が海原の胸倉を掴みあげ、布団から引き剥がすように立ち上がらせ−膝をついている分、海原の方が背が低く見える−喚き散らす。

「あんたって人は!!自分が被害者みたいに装って、その変な会社の安らぎプランとやらを頼んだっていうの?!」
「一体何考えてるんだよ!!働いて家族を養うのは父親の務めだろ?!それを家族が自分を大切にしないなんて言うのは変じゃないかよ!!」
「父さんが風呂に入った後は汚いのは本当なんだから仕方ないでしょ?!私達が一方的に悪いみたいに言って私達を拉致監禁させるなんて信じられない!!」

 本物の妻と子ども達は、口々に海原に非難を浴びせる。
いきなり押し入ってきた見たこともない集団に拉致監禁されては、当事者にしてみればたまったものではないだろう。
 しかし、海原にも言い分はある。
今まで自分を定期的に金を運んでくる人間としか見ず、自分を何ら労わりもしなかったではないか。
それどころか、疲れて帰宅した時に待っている食事は冷凍食品の塊、さらに自分を臭い、汚いなどと罵り、風呂に入ることさえ本物の妻や子ども達が
優先で、自分は機会を窺わなければ入ることが出来なかったではないか。
そう思うと、海原の腹の底から怒りが込みあがってくる。
海原は膝を立て、本物の妻の手を払い除けて逆に怒鳴り返す。

「今まで俺を、定期的に金を運んでくるだけの存在としてしか見なかったのは誰だ?!お前達は毎日疲れて帰って来る俺のことを考えたことがあるのか?!」
「な、何よ偉そうに!!いきなり亭主面しないでくれる?!」
「黙れ!!確かに俺は世帯主としてお前達を扶養する義務がある!!だがな!!少しは感謝したらどうなんだ!!扶養されて当然だと言うのは、
自分で金を稼ぐことの苦労を知らないから言える台詞だ!!思い上がるなよ、お前達!!」

 予想だにしなかった父親の「逆襲」に、本物の妻と子ども達は沈黙してしまう。
海原は本物の妻に掴み上げられた際に乱れたパジャマの襟を直す。
その悠然とした海原の態度を見ていた本物の妻は、再び怒りの形相を剥き出しにして、海原に宣告する。

「じゃあ好きになさいよ。その代わり、あんたのことは今後一切構わないから。」
「何?」
「食事も洗濯も掃除も、あんたの分は自分でしなさいってことよ。あたし達を養ってくれれば、あんたは何をしても良いわ。好きになさい。
勿論、あんたの朝食は準備してないからね。安らぎプランとやらでどうにかしてもらいなさいよ。」

 本物の妻の言葉は、事実上家庭内離婚を公然と宣言したようなものだ。
だが、海原は特別狼狽することなく、箪笥からシャツとスーツを取り出して着替えを始める。
流石に10数年も着ては脱ぎ、きては脱ぎを繰り返しているだけあって、着替えは5分も経たないうちに終る。
そして海原は本物の妻に向き直り、手を差し出して言う。

「出せ。」
「何をよ。」
「銀行のカードに決まってるだろう。お前の言ったとおり、お前達を扶養する分の金は渡してやる。だが、元々は俺が汗水たらして稼いだ金だ。
それをどうしようと俺の自由の筈。さあ、出せ!」

 海原の要求に、本物の妻は顔を引き攣らせた後くるっと身を翻し、海原の居間兼寝室を出て行く。
そして少しして、本物の妻は眉を吊り上げたまま戻って来て、海原の手に叩きつけるように銀行のカードを渡す。

「家族のありがたみがどんなものか、思い知るが良いわ。」
「それはこっちの台詞だ。」

 海原は枕元に置いてあった時計を左腕に付け、財布に本物の妻から受け取った銀行のカードを仕舞ってズボンのポケットに入れ、最後にアタッシュ
ケースを持って、本物の妻や子ども達の間を掻き分けるようにして部屋を出て行く。
 海原は腹を括っていた。
自分の苦労や疲れを察することなく、ただ金さえ持ってくればいいと言わんばかりの態度を見せる本物の家族が如何に味気ないものか。
昨日の夜から早速始まった契約にしたがって現れた妻や子ども達の方が、如何に自分を大切にしてくれたことか。自分を労わってくれたことか。
本物の妻から事実上の家庭内離婚宣告を受けたが、別にショックには思わない。
扶養するだけの金さえ渡せば自分で稼いだ金を自由に使えるのだから、もはや体裁さえも整っていない夫婦や親子の関係が切れるのはむしろ
ありがたいとも言える。
そっちがその気なら、俺にも考えがある。
海原は階段を下り、玄関のドアを開けて外に出ながら、安らぎプランの更なる「充実」を考えていた。
 その日の夜、仕事を終えた海原は予め電話を入れておいた有限会社メンタルケア・プランニングへと赴いた。
時間が遅いせいか他の客は少なく、直ぐに海原の番が回ってきた。
海原は「第1応接室」と書かれたプレートが掛けられているドアをノックする。
中からどうぞ、という声が聞こえてくると、海原はドアのノブを捻ってドアを開いて中に入る。
部屋の中では昨日と同じ男が待っていた。

「海原様。さあ、お掛けになって下さい。」
「では、失礼します。」

 海原と男は向かい合う形でソファに座る。昨日と全く同じだ。
男は少しの沈黙の後、海原に尋ねる。

「如何でしたか?ご提案した安らぎプランは。」
「ええ。完璧でした。お陰様で久しぶりに家族らしい時間を過ごすことが出来ました。」
「そうですか。お客様の満足の良くサービスを提供できて、プランを提案した私も嬉しく思います。」
「・・・その代わり、今朝は少々災難でしたがね。」
「それはどうしてですか?」

 男の問いに、少し暗い表情になった海原は今朝の一部始終を話す。
海原が話し終えると、男は渋い表情をした後、海原に向き直る。

「プラン実行のために本物の奥様やお子様にはご退散願ったんですが、それがかえって海原様のご家庭を崩壊に導く結果になってしまいましたね。
なんと申し上げれば良いか・・・。兎も角、その点に対して配慮が行き届かなかったことは心よりお詫びいたします。」
「いえいえ、良いんですよ。体裁上の家族より安らぎプランの家族の方がよっぽど家族らしかったんですから。むしろ御礼を言いたいくらいです。」
「そう言って頂けると私は救われます。ところで、今日はどういう件でいらっしゃったのですか?」
「ええ。それなんですが・・・プランをもっと充実して欲しいと思いまして。」
「ほう。具体的にどのようにですか?」
「昨日契約したプランでは、私が帰宅してから床に就くまで、となっていますけど、これを朝と休日に広げて欲しいのと、洗濯と掃除もプランに加えて
欲しいんです。」

 海原が言うと、男は何度か小さく首を縦に振り、少々お待ちください、という言葉を残して、テーブルの脇に置いてあったノートパソコンを操作し始める。
真剣な表情で忙しなくキーを叩き、マウスを操作しているところを見ると、海原はそれだけで自分の為を考えてくれていると思って嬉しくなる。
本物の妻からは家庭内離婚をはっきりと宣告され−全くショックがなかったわけではない−、仕事では部下の突き上げと上司の押さえつけに翻弄される
海原は、自分のために誠心誠意動いてくれる様子を見るだけで、疲れきった心が癒されていくように思う。
 海原にとって長く感じた時間が過ぎ、男はノートパソコンから距離を置いてマウスをクリックする。
男の背後でプリンタが動き始め、印刷を始める。
程なく印刷されて排出された紙を手に取って、男はそれをテーブルに広げて海原に見せる。

「海原様のご要望にお答えできるプランはこのようになりますね。順にご説明いたします。」

 男は紙のある部分を指差しながら、新しいプランを丁寧に説明する。
その説明を聞くうちに、海原はそのプランの魅力にすっかり虜になる。
プランの内容はまさに海原が望む家族像そのものだったのだ。
 唯一気になるのは値段だ。
帰宅から床に就くまで、という時間にすれば数時間の現在のプランでも月2万円かかる。
そのプランを時間を朝と休日にも拡大し、さらに洗濯まで含めると相当な金額になるのではないか。
プランの内容に文句はない。その「有効性」も早速昨日証明された。
家庭内離婚を宣言されたとはいえ、自分で言った手前、本物の家族を扶養するだけの金は残さなければならない。
海原の月収は中間管理職ということでそれなりにあるが、子どもが何分金がかかる年代だから、余裕を見越しておく必要がある。
 男の説明はプランの内容からいよいよ値段に差し掛かる。
休日は料金が割増になること、さらにプランの時間帯以外に生じる行為、つまり洗濯には別途料金が必要になると言う。
海原が期待と不安で胸を高鳴らせながら見た、男が指し示した場所に書かれたプランの値段は何と10万円。今のプランの5倍である。
流石に6桁となると、今まで、否、つい昨日まで月40000円で昼食代や仕事の後の飲み屋での一杯をやりくりしてきた海原にとっては高額に見えてならない。
しかし、この会社のプランは確実に安らぎを提供してくれる。
更にプラン実施のために本物の妻や子ども達を強引に拉致監禁したことを「配慮が行き届かなかった」と率直に認めて謝罪した。
プラン実行の為には当然のこと、と居直るかと思いきや、率直な謝罪という行為に出たことで、海原はこの男をすっかり信用しきっている。
それに自分を何ら労わりも感謝もせず、金さえ持ってくれば良い、というふてぶてしい態度に終始している本物の家族の方が悪党だとさえ思う。
 海原は頭の中で素早く計算をする。
自分の月収、本物の−戸籍上の、と言ったほうが良いかもしれない−家族の養育費、自分の昼食代やその他必要な経費、そして将来に備えるための
貯金・・・。
海原が考えている間、男は急かすことなく、ただじっと海原の言葉を待っている。
暫くして海原の中で結論が出る。そして海原は男に真剣かつ切実な表情で訴えるように言う。

「お願いします。このプランを契約させて下さい。」

 海原の願い出に、男は穏やかな笑みを浮かべて頷く。

「分かりました。それではもう一度プランの内容をよくお確かめの上、こちらにサインをお願いいたします。」

 男の言葉を受けて、海原はプランの内容にひととおり目を通した後、差し出されたペンを受け取って素早く所定の位置にサインする。
そして早速今晩から実施して欲しいと男に要請すると、男は快諾した。
 帰宅後、昨日と同じように細身の女性が海原を出迎え、昨日と同じように妻と子ども達を交えた少々遅い夕食と和やかな団欒の時が過ぎていく。
そしてやはり昨日と同様一番風呂で一日の疲れを癒した後、さっぱりした気分で風呂から上がり、契約上の家族と挨拶を交わしてから自分の部屋に戻る。
電気を消して既に敷かれてあった布団に潜り込み、海原は翌朝のことに思いを馳せる。
 今朝は最悪の目覚めだったし、自分と本物の妻と子ども達の間に埋めることが出来ない溝を刻み込んでしまったように思う。
しかし、翌朝からは違う筈だ。提示されたプランにも、後に渡された契約書にも明記されている。
姿が見えない本物の家族のことはもはや、海原の頭の何処にも引っ掛かっていない。
海原は翌朝の目覚めの時を楽しみにしつつ、目を閉じて染み出してきた眠気に身を委ねる・・・。

Fade out...


Fade in...

「・・・なた、あなた。そろそろ起きないと会社に遅刻しますよ。」

 目覚ましの代わりに優しい音色の言葉が、海原の耳に流れ込んでくる。
海原はゆっくりと目を覚まし、自分を起こした人物の顔を見て、あれ?と思う。
海原を起こしたのは30代後半くらいの女性ではあるが、昨日の夜の女性とは明らかに違う人物だ。
がばっと勢いよく起き上がった海原は、女性に問い掛ける。

「貴方は初めて見る顔だけど・・・何で違う人になるんだ?」
「お客様には別の人間が担当することもあります。プランの説明でもあったと思いますが。」

 女性の言葉を引き金にして、海原は昨日のプランの説明や契約書の内容を思い出す。
うろ覚えではあるが、他の客のプランとの兼ね合いで、「家族」が別の人間になることもある、との説明や記載事項があったことを思い出す。
顧客は海原一人だけではないし、「家族」の数や条件にも限りがあるだろうから−子どもが夜間出歩くのを許さない本物の親も居るだろう−、
「家族」が代わるのは仕方のないことだ。
 海原はふう、と小さく溜息を吐くと、布団から立ち上がって着替えを始める。その海原の着替えを、契約上の妻が手伝う。
思いがけないことに海原はちょっと戸惑うが、新婚時代を思わせる「妻」の行動に海原の顔が自然と綻ぶ。
間もなく着替えが終わり、身支度を整えると「妻」は言う。

「朝御飯の準備が出来てますよ。」

 昨日はコンビニのおにぎりとお茶で済ませた朝食が準備できていると「妻」は言う。
本物の妻が用意した朝食は決まってトーストと牛乳。トーストに塗るのはバターと決まっていた。
果たしてどんな朝食が待っているのか、海原は気体と不安が交錯する中、「妻」の後を追って階段を下りて行く。
 ダイニングに入った海原は、目の前の朝食に思わず我が目を疑う。
用意されていたのは御飯と味噌汁の茶碗、焼いて間もないらしい、ほんのりと湯気を立てる目玉焼き、それに付け合せの野菜と味付け海苔という、
旅館と見間違うほど立派な朝食だった。
驚きと感動で立ち尽くす海原に、「妻」は言う。

「どうしたんです?ぼうっと突っ立ったままで。」
「・・・あ、いや、まさかこんな豪勢な朝食が用意されてるとは思わなかったから・・・。」
「朝食は一日で一番重要な食事。それを疎かにしたら満足に仕事できませんよ。さ、どうぞ。」

 「妻」の案内で、海原は自分の席に座る。
用意されている朝食は自分と「妻」の二人分。子ども二人分は用意されていない。
時間からして、まだ寝ているという設定になっているのだろう。それに、本物の子ども達と朝食を共にした記憶は引き出せない。
本物の家族はまた拉致監禁されているのだろうか、とふと思うが、何時以来かの本格的な朝食を食べていくうちにそのことは忘却の彼方へと消える。
 本当に久しぶりに満腹感を感じて朝食を終えると、ご馳走様、と一言言って海原はアタッシュケースとそれに被せておいたスーツを手にして立ち上がる。
そして洗面所へ行って顔を洗い、歯を磨いて髭を剃ると−ちなみに海原はさほど髭が濃くない−、スーツの袖に腕を通して玄関に赴き、靴を履く。
その後をついて来た「妻」は、靴を履いた海原に向かって言う。

「明日は土曜日ですけど、休めます?」
「まあ・・・今日次第だけど多分大丈夫だと思う。」
「そうですか。じゃあ、いってらっしゃい。気をつけて・・・。」
「・・・行ってきます。」

 これまた何時以来かの見送りを受けて、海原は感動で涙が溢れそうになるのを懸命に堪える。
これまでは今日も仕事か、と重い気分で家を出たものだ。だが、新たな安らぎプランを得た今は違う。今日は頑張っていこう、という気になる。
海原は「妻」の見送りを受けながら、玄関を出る。
空は海原の今の心情を象徴するかのように、雲一つなく青く澄み切っていた・・・。
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