慈善「死」医療

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第5章

「はい、移植医療担当の毛利です。」

 電話口に出た毛利という男の声に、小山内はもしや、という嫌な予感を強く感じずにはいられない。
小山内は一瞬言葉に詰まったが直ぐに気を取り直し、電話越しに毛利と対峙する。

「私は国立総合医療センターの小山内だが・・・。」
「お名前は存じております。国立総合医療センターのホープ、若き天才移植医と。」
「私の名を知ってるなら話は早い。本題に入らせていただく。」
「どうぞ。」

 小山内はあえて高慢とも言える口ぶりで話すが、それにまったく反応しない毛利という男は、果たして礼儀に無頓着なのか、それとも何を聞かれても
構わないとある意味自信に溢れているからなのか、なまじ会話の手段が電話だけに想像するしかないので余計に気味悪い。
とりあえず小山内は、問題の状況説明から話に入る。

「昨日午後、当方に交通事故に遭った青年が担ぎこまれて来た。瀕死と呼ぶに相応しい状態だった。」
「ほう。」
「私をはじめとする手術チームは懸命の手術を行った。だが、その青年は残念ながら息を引き取った。」
「お気持ちお察しします。」
「そこにだ。当方に常駐している臓器摘出団が何の断りもなく手術室に入ってきて、青年の遺体を囲んで臓器を摘出していった!」
「何故お怒りなのか、私には理解し難いのですが。」
「臓器摘出団は、患者の死亡、或いは脳死が確認出来た時点で臓器摘出を行うのが規則。なのに臓器摘出団は青年の死亡を待っていたかのように
手術室に土足で入って来て、臓器を摘出していった!その時、彼らが何と言ったか!

『邪魔しないで下さい。この患者はもう死んでるんでしょう?』

貴様ら移植医療推進機構の職員は、人の命を救う医療を何と心得ているんだ!」
「その点に関しましては、人事部に報告しておきます。」

 毛利はまさに他人事のようにさらりと言ってのける。何が問題なのか、と言わんばかりだ。
その横柄とも言える態度に、小山内は全身の血液が逆流するような怒りを感じながら言葉を続ける。

「問題は臓器摘出団の態度だけじゃない!これまで臓器摘出団は規則をきちんと守ってきた!なのに数日前に貴様らのところの交渉員が
私を訪ねて来て、患者のためにもっと積極的な行動に出るつもりだ、と言い残して出て行った直後に態度の豹変だ!そして臓器を摘出している際に
臓器摘出団が交わしていた会話!

『腎臓は・・・片方潰れてる・・・強すぎだ。』
『肋骨が折れてる・・・肺も破れてるぞ』

これは臓器摘出団が、青年の負傷の度合いを事前に把握していたということではないのか?!それが予想以上に酷かったことで出た言葉ではないのか?!」
「私は生憎その場に居りませんでしたので、ことの真相は分かりかねます。」
「分かりかねます、で済むか!貴様らのところの交渉員が来てからの臓器摘出団の態度の豹変は、貴様らが臓器狙いに交通事故を引き起こした
何よりの証拠だ!善意に依存すべき臓器提供を人為的に起こさせようとは、貴様ら、それでも人間か!!」
「状況証拠を元に臆測で申されましても、お答え致しかねます。」

 毛利は背筋が寒くなるほどの冷静さで、小山内の怒声を受け流す。
小山内は警察から送られてきたメールの内容を突きつけようと一瞬思ったが、他言無用で、という断り書きがあったのを思い出して止める。

「仮に先生の仰るとおりだとしても、何が問題なのでしょうか?」
「何?!」

 毛利から出た信じられない問いかけに、小山内は思わず聞き返す。
善意の提供が大前提の筈の臓器提供を人為的に引き起こし、それに何の問題があるのか、と言ってのける毛利の思考回路が小山内には理解出来ない。
小山内の心にあった疑惑が急速に確信に変わっていく。やはりこいつらの仕業だ、と。
 未来ある一人の青年の命を奪い、家族を悲しみのどん底に叩き落し、それに問題があるのか、と疑問に思う毛利。
臓器摘出のためなら人の命をも狙う。これがまかり通れば、臓器提供を登録している人間はおちおち外を歩けやしない。
移植医療推進機構の「変質」がひしひしと感じ取れる中、毛利は言葉を続ける。

「先生はご存知かと思いますが、移植医療のための臓器は慢性的に不足しています。臓器移植を待ちながら死んでいく患者を、我々としてはこれ以上
見殺しにするわけにはいかないんですよ。」
「・・・臓器医療を待つ患者のためなら、人の命がどうなっても構わないというのか?」
「救急医療は無駄な延命処置。どうせ助からない命なら、一刻の猶予もない患者の命のためになる方が、その人にとっても幸福なことではないですか?」
「貴様、正気か?!」

 小山内は毛利の言葉に耳を疑う。
救急医療は日進月歩の勢いで進歩している。脳のオーバーヒートによる自滅を防ぐ脳低温療法などにより、これまでは助からなかった患者が助かり、
社会復帰を果たせることさえ現実にある。蘇生不可逆点は確実に後退しているのだ。
それを無駄な延命処置と断言する毛利の言葉は、小山内にはとても正気の沙汰とは思えない。
 間違いない。移植医療推進機構は、移植医療を待つ患者のために殺人すら正当化しようとしている。否、もうしてしまっている。
移植医療医である以前に一人の医師である小山内にとっては、生死の境をさ迷う患者の命も、臓器移植を待つ患者の命も天秤に掛けられないものだ。
否、天秤に掛けてはならないのだ。どちらの命が優先されるべきなのか、などと考えてはならないのだ。
その場そのときで救える可能性がある命を救うために最大限の努力をする。それが医師の使命だ、と小山内は信じている。
だが、毛利はそれを否定し、臓器移植を待つ患者の命を優先し、そのためには手段を選ばないと仄めかしている。
小山内は全身の血液が沸騰しそうな激しい怒りを爆発させる。

「貴様らは人の命に優先順位をつけるのか!!臓器移植のためなら何をしても良いとでも言うつもりなのか!!思い上がるな!!」
「優先順位をつけていると仰られれば、そうですと答えるしかありませんね。」
「き、貴様・・・!!」
「先程も申しましたように、どのみち助からない命なら助かる可能性がある命のためになる方が、その人にとっても幸福というものです。
それに臓器移植のためなら、我々は可能なあらゆる手段をとります。移植医療推進機構という我々の組織の名のとおりに。」
「つまりは臓器移植のためなら人を殺しても構わない、と貴様らは考えている、そして実行に移していると受け取って良いんだな?!」
「そう受け止められるなら、それは止むを得ませんね。」

 毛利の言葉で、小山内の確信は確固たるものになる。
移植医療推進機構は臓器移植の看板を掲げて殺人をも正当化する行為に走り始めた。
交通事故の加害者の顧問弁護士とやらも、恐らくは、否、間違いなく移植医療推進機構が雇って派遣した人物だろう。
法的にも無法行為を−当の本人達は無法と認識していないから更に始末が悪い−擁護しようというのだから、尚のこと危険度が増すことになる。
 これから先、移植医療推進機構がどんな手を使ってくるか分からない。
恐らく交通事故では、事故時の衝撃が強過ぎて臓器が満足に得られないことを先の「経験」で学んだだろうから、もっと臓器が確実に得られる手段、
例えば刃物で刺すとか、まさかと思いたいところだが拳銃を使うとかいった手段に訴える可能性が考えられる。
特に後者は、警察崩れや拳銃の扱いに長けた暴力団組員の手を借りることで、頭を撃てば−脳は移植医療の対象にならない−臓器が無傷で手に入る。
相手がどんな無法行為に打って出るか分からないから、臓器提供を登録している一般市民に広く注意喚起したいところだが、状況証拠しかない以上、
仮に移植医療推進機構が殺人行為に走り始めた、と公表したら、名誉毀損で訴えられかねない。
少なくとも今の自分に出来ることといえば、臓器提供を登録しているセンター職員にメールで注意喚起することくらいだ。
状況証拠はこれでもか、というくらい揃っているのに世間に広められないのが、小山内にはもどかしく、口惜しくてならない。

「貴様らは踏み込んではならない領域に踏み込んだ。その結果どうなっても、私は知らんぞ。」
「ご忠告、肝に銘じておきます。」

 あまりの毛利の冷静沈着ぶり、否、人を小馬鹿にした対応に激昂した小山内は、受話器を叩き落すようにして電話を切る。
小山内は置いた受話器を持ったまま暫く方で息をした後、パソコンに向かい、臓器バンクのデータベースにアクセスを始める。
そして検索のキーワードを入れる欄に「国立総合医療センター」とタイプして検索を開始させる。
程なくCRT上にずらりと職員の名前が並ぶ。総計238人。センター職員全体の半数を超える数だ。
 小山内はメールソフトのウィンドウを元に戻し、「送信」ボタンを押してメールウィンドウを出す。
そして検索結果が表示されたウィンドウを元に戻し、そこに表記された使命を片っ端からメールウィンドウの宛先の欄にタイプしていく。
小山内が使っているメールソフトは、事前にメールサーバーに登録されてある氏名を入力すれば、送信時に自動的に送信先氏名に該当するメール
アドレスに変換する機能を持つ優れものである。
小山内が高速でタイプしていく氏名の中には、小山内に重要な情報を伝えた看護婦、中野清美の名もある。
 小山内は238人全員の氏名をタイプし終え、念のためブラウザと見比べながら確認した後、メッセージ入力欄に素早くタイプする。
一刻も早くこのことを伝えなければ、という気持ちが、元々早い小山内のキータイプを更にアップさせる。
小山内がタイプしたメッセージが、言葉を話すような速さでウィンドウに表示されていく。

職員各位
突然のメールのご無礼をお許しください。

私は本日、移植医療推進機構が臓器移植のために殺人行為すら正当化する考えをもち、それを実行に移して
いることを、移植医療推進機構の移植医療担当者との電話と、昨日の交通事故死した青年に対する
臓器摘出団の言動から察しました。
憶測に過ぎないと思われるかもしれません。
しかし、移植医療担当者の口からは私の疑問、即ち先日の交通事故は作為的なものだったのか、
という疑問に対して、それの何処に問題があるのか、という主旨の回答が飛び出しました。
更に移植医療担当者は、臓器移植のためなら殺人行為をも厭わないと受け止めても構わないのか、
という私の問いかけに、そう受け止められても止むを得ない、とまで言ってのけました。
冗談に思われるかもしれませんが、これらは全て事実です。

移植医療推進機構は、もはや暴走状態に踏み込んだと言えます。
何時如何なる時に皆様の身にその手が及ぶか分かりません。
くれぐれも外出、特に夜間は警戒を怠らず、自宅の戸締りは厳重になさって下さい。
余裕があるならセキュリティ会社との早急な契約をお勧めします。

取り急ぎ、要件のみで失礼します。

 小山内はメッセージの内容を確認した後、送信ボタンをクリックする。
「メッセージを送信中です・・・」というウィンドウが10秒ほど表示された後、「メッセージを送信しました」というウィンドウが表示される。
それを見て、小山内は重い肩の荷を下ろすかのように肩の力を抜き、椅子の背凭れに体重を掛けて大きな溜息を吐く。

「悪戯メールと思われたらそれまでだな・・・。」

 小山内はそう呟くともう一度大きな溜息を吐き、立ち上がって部屋を出て行く。
患者の容態確認に気分転換を兼ねた回診に向かうためである。
今の小山内には、自分が送信したメールの内容を該当する職員が真面目に受け止めて安全対策を施すことを祈るしかない。
それが小山内にはもどかしくてならない。
 小山内が回診を終えて自室に戻って間もなく、ドアがノックされる。
どうぞ、と小山内が応答するとドアがゆっくりと開き、失礼します、ということを共に一人の看護婦が入って来る。
彼女こそ、昨日の手術で死との戦いを共にし、小山内に重要な情報を伝えた妙齢の看護婦、中野清美である。
 中野は真剣そのものの表情をしている。
もしかしたら業務で忙しい最中に信じがたい内容のメールを受けたので文句を言いに来たのか、と思った小山内に、中野は尋ねる。

「先生。先程先生からのメールを拝見したんですが・・・移植医療担当の方は本当にメールにあったようなことを言ったんですか?」
「ああ、本当だよ。信じられないかもしれないが。」
「そうですか・・・。やっぱり昨日の事件の背景には、移植医療推進機構のああいう考えがあったんですね。」

 中野の言葉で、小山内は不謹慎だが少し嬉しくなる。
自分は真剣に、そして一刻も早く伝えたいという思いでメールを送信したのだが、文字列にその時の感情は込められない。
中野がメッセージを真実として受け入れてくれたことは自分の思いが伝わったということであるから、嬉しくならない方がおかしいというものだ。

「信じてくれたようで嬉しいよ。ありがとう。」
「先生が冗談であんなメールを送るなんて考えられません。でも内容が内容だけに念のためというか・・・。決して先生を疑っていたわけじゃないんですが、
あまりにも内容が衝撃的だったものですから・・・。」
「否、そう思われても仕方ない。私自身、冗談であって欲しいと思っているんだから。」

 小山内は一旦緩んだ表情を再び引き締める。

「君が臓器バンクに登録していたことは今日初めて知った。物騒な話だが、十分注意を払ってくれ。」
「はい。」
「私は医者の端くれとして、どんな理由があっても人が死ぬのは見たくもないし、人が人を殺したり、人が殺されるのを看過するわけにはいかない。
だから急いでメールを送ったんだ。私は一人でも多くの患者の命を救うために働いている。患者の命の重みに軽重はない。あってはならない。」
「先生のお気持ちはよく分かります。」
「ありがとう。・・・君は今日日勤か?」
「はい。」
「それならまだ安心だな。だが油断は禁物だ。周囲に十分注意を払ってくれ。すまないが、今の私にはそれしか言えない。」
「いいえ。先生のお気持ちはありがたいです。十分気をつけます。・・・それでは、業務に戻りますので失礼します。」

 中野は一礼して部屋を出て行く。
ドアが閉まった後、小山内は中野の身に移植医療推進機構の魔の手が及ばないことを祈る。
患者を救えなかった自分を労わり、重要な情報を提供してくれた中野の存在が心の中で急速に大きくなっていくのを、小山内は感じる。
それ故に小山内は、もしかしたら、という不安と、大丈夫だ、という自分への説き伏せに苛(さいな)まれることになった。
 容態が急変した担当患者の緊急手術のために勤務時間を超過してしまった小山内は、凝り固まった肩を叩きながら自室に戻る。
患者は何とか危機を脱したが、小山内は念のためにと患者をICU(集中治療室)に収容するようスタッフに命じた。
患者が死ぬところを見たくない。小山内の強い思いが慎重過ぎるとも言える処置を命じさせたのだろう。
 患者の回復を祈りながら帰り支度を始めた小山内の机の一角に鎮座する内線電話が、コール音を鳴らし始めた。
同時に点滅しているのは緊急を告げる青色のランプだ。
小山内はもしや、という嫌な予感を強烈に感じつつ、持ったばかりの鞄を放り出して受話器を取る。

「はい、小山内です。」
「先生!重傷の急患です!大至急手術の準備を願います!」

 電話の主は早口で用件を伝えると、即座に電話を切る。
小山内はハンガーに掛けて間もない白衣を纏うと、一目散に部屋を飛び出す。
心の中に嫌な予感が駆け巡る。
全速力で走りながら小山内はそれを抑えようとするが、それはより速度を増して心の中を駆け回る。
杞憂であってくれ。神や仏が居るなら縋(すが)っても構わない。
 駆け込んだ急患用の手術室の中央にあるベッドに横たわっている患者の顔を見て、小山内は声にならない絶叫を上げる。
酸素マスクをつけられ、急患対応のスタッフが懸命に止血処置を施している患者は、こともあろうに中野清美その人だった。
呆然とその場に立ち尽くす小山内の腕を医師の一人が掴んで、隣室に引き摺るように連れて行く。
医師はずらりと並んだレントゲン写真の前に小山内を誘導して言う。

「先生!弾丸が・・・弾丸が・・・大動脈を貫通してしまっています!輸血と止血を行っていますが、この状態では・・・!」

 我に帰った小山内は、歯をギリギリと軋ませる。
よりによってメールを送ったセンター職員の一人を、それもよりによって彼女を・・・!
小山内はレントゲン写真に映された弾丸の影を殺意の篭った視線で睨み、手術室へ戻り、スタッフを押し退けるようにして中野の傍らに立つ。

「メス!」

 小山内はスタッフから渡されたメスで、中野の傷口を切り開く。
夥(おびただ)しい出血が両手を塗らす中、小山内は瀕死の中野を救うべく戦いを始めた。
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