Saint Guardians

Scene 13 Act2-1 混沌-Chaos- 希望と絶望の分水嶺

written by Moonstone

 アレン達を受け入れたラクシャスを深い夜の闇が包む。繁華街では屋根付きの松明が灯りを齎し、夜の賑わいを照らし、演出する。繁華街から一歩離れると、防犯対策か屋根付きの松明が点々と通りを照らすのは変わらないが、虫の声や木々のざわめきが聞こえるだけの静寂な空間が広がる。繁華街と住宅街が住民の意識でも明確に区分けされていることが分かる。
 その一角にある、アレン達が借りた一軒家も、ランプが灯るダイニングの窓以外は外の闇に同化している。

『−という状況だ。』
「事態が動きそうね。」

 ダイニングの椅子の1つに腰掛けたリーナが、イアソンからの状況説明を受けて簡潔な感想を述べる。
 タリア=クスカ王国の首都キリカに帰還した伝令の報告を受けて、国王はドルフィンとの直接交渉を決断し、再び伝令をバシンゲンに走らせた。直接交渉の場所や日時は今後折衝となるが、外交関係があるランディブルド王国の王国中央教会の全権大使という肩書を持つルイと同行のパーティーにテロ組織の濡れ衣を着せた揚句に物資を満載した船を破壊して沈めたという圧倒的不利な事実の前に、国王は直接交渉以外に事態打開の道はないと判断した。
 マタラ元内相に近い若手将校など軍の強硬派は当然ながら不満を募らせているが、自作自演による王城爆破をはじめ、事実上のクーデター計画が暴露されて反逆罪でマタラ元内相が罷免・収監された状況で不満の声を公にするのは、処刑の順番を譲り合う立場になるだけだ。
 それを把握してか、国王は同時に軍幹部との会談を行うことと、先住民族との正式な停戦・和平交渉を行うため、使者を派遣することを発表した。マタラ元内相に掌握されていた軍指揮権の「奪還」に加え、外交面で先住民族との対立・排除から和平・共存へと大きく舵を切り、存在感を高め実績を作ろうという国王の意図が分かる。
 国王は、軍幹部との会談にあたっては、マタラ元内相との関係性を査問するのではなく、今後の軍の方向性を協議するためと明言している。長きにわたって先住民族と刃を交えてきた軍が、停戦後に行き場をなくし、最悪の場合クーデターなど暴走の恐れがある。停戦イコール軍は不要ではなく、新たな方向性を協議して見出そうとするのは、先住民族との抗争一辺倒だったマタラ元内相時代とは明らかに一線を画し、疲弊した内政の立て直しを図ると共に、軍の不安や不満を解消する国王の意図がある。

「マタラを牢屋に入れて、国王が本格的に動き始めた感じね。」
『そのとおりだな。俺の情報操作の影響も多少はあるだろうが、国王がマタラ元内相に実権を掌握されていた内政と軍の指揮権の奪還に留まらず、独自のカラーを出すことを考えた結果だろう。直接見たことはないが、国王はかなり聡明で行動的な印象を受ける。』

 イアソンの推測どおり、国王は元々勉強熱心で、先住民族との抗争に明け暮れる現状は、王国や国民の疲弊を強めるだけで未来がないと見ていた。むしろ先住民族と住み分けを行い、必要なら先住民族の自治や独立を承認し、外患をなくした上で産業振興など内政の立て直しを行うことが必要と考えていた。
 しかし、先住民族との抗争は数十年に及び、ある意味王国の日常と化していた。更に先代の時代から「先住民族の完全な排除こそ国家の安寧と繁栄に繋がる」とするマタラ元内相に内政と軍を掌握され、身動きが取れなかった。
 そんな折、イアソンの工作活動でマタラ元内相の悪事が芋蔓式に暴露されたことは、国王にとっては絶好の機会となった。マタラ元内相の事実上のクーデター計画は自身に対する反逆の意図であり、悪戯に国民を不安にさせ、終わりなき先住民族との抗争の泥沼に投げ込む点で、内政を疲弊させ破壊する重大な背任行為だ。内相を罷免し収監するだけの明確な大義名分がある。その上でこれまで温めていた方向性に沿って国政を切り換え、マタラ元内相とは異なる形で安寧と繁栄を目指そうと国王は考えている。
 実際、国王の一連の動きは軍の強硬派を除いて一様に歓迎されていて、中断していた鎮魂祭の再開に向けて動き始めている。これまで戦争に巻き込まれることを恐れて出来なかった耕作地の拡大や街道の整備も旺盛に計画されている。軍用製品の製造に終始していた鍛冶屋なども、農漁業や土木工事の製品に主力を切り換えて来ている。
 戦争で多大な利益を上げるのは軍需産業とそれに寄与する政治家などごく一部であり、それらが神のごとく崇めよと強要さえする国家=支配層ではない圧倒的多数の国民の共同体は疲弊し、国民は物価高と物資不足で困窮するのは歴史が証明しているが、一方でその歴史を直視し、歴史の再現を批判することに反日のレッテルを貼って誹謗中傷するのが現代の日本の現状である。

『話は変わるが、ラクシャスの生活はどうだ?』
「至って快適。イアソンの情報どおり宿は自分達で管理するってタイプなんだけど、広いし下水道もあるし、物価も安くてね。その上こっちは、料理洗濯掃除が得意なのが2人も居るから、下手な宿に泊るより快適な生活が出来るわよ。」

 買い物と役所への用事を済ませて宿に戻れば、完璧に掃除されていて布団はフカフカ。買って来た食材はレストラン顔負けの料理に変貌し、適切な温度の風呂もある。生粋のお嬢様育ちであるリーナも、これで文句を言う理由はない。

「その2人は今頃、宿の整備の慰労会をしてるんじゃないかしらね。」
『この時間に慰労会ってことは…。』
「それを見越して、部屋は今あたしが居るダイニングを挟んで限界まで離してあるわよ。」

 如何に宿の設備や料理が完璧でも、寝る際に隣で騒音が続いては敵わない。夜型のため就寝は遅いが、若くて新婚そのものの2人がことを終えて寝ている保障などない。今のところルイの嬌声は聞こえて来ないが、それが大人しく寝ている証左である保障もやはりない。2人の状況を見せつけられて黙殺できるだけの精神的余裕は、今のリーナにはない。

『…リーナは何気に2人を煽ってないか?』
「そう見える?」
「かなり。2人に指輪の填め替えを勧めたり、2人を1つの部屋にしたり。」
「ルイの惚気話を延々聞かされたり、部屋を別々にしてアレンやルイの恨みを買うよりは、2人を一緒にしておくのがあたしにとっても得なのよ。部屋を分けたところで、どうせあたしの目を盗んで密会するだろうし。」

 リーナの言い分はもっともではあるが、それだけではないとイアソンは直感する。
 アレンとルイの仲がより親密になることでダメージを負うのはフィリア。リーナはそのフィリアと仲が悪い。最近は八つ当たり気味のフィリアをリーナが受け流す感が強いが、元々仲が悪い相手に八つ当たりのごとき対応をされて良い気分になる者はまず居ない。
 アレンとルイをより親密にすることで、間接的にフィリアに大ダメージを与えようと画策していると推察できるし、それが正解であると考えられる事情がある。
 ゴルクスの秘術で記憶を失っていたシーナが町長夫妻の娘として保護されていたマリスの町で、何としてもシーナの記憶を取り戻そうと懸命になるドルフィンに、リーナは恋心から暗に断念するよう求めた。当然ドルフィンはそれを拒否し、リーナは悲嘆のあまりその場に座り込んで涙した。そんなリーナに、フィリアは軽い調子でこう言い放った。

「そんなにドルフィンさんにふられたのが堪えたの?」

 リーナを励ますつもりだったとしても、リーナは嘲笑されたと感じ取ったのだろう。激昂したリーナはフィリアにラルジェーを召喚して強烈な電撃を加えた。
 それで気が済んだとイアソンは思っていたが、リーナにとっては耐え難い屈辱であり、何時か倍以上にして報復してやると決意していたなら、リーナがアレンとルイの仲をアシストする理由としては十分だ。
 そもそも、リーナは他人のために行動することをしない。あくまで自分の生存や利益にとって必要だから協力するという方針は堅持している。それからすれば、現在のアレンとルイへの協力ぶりは、お節介と言えるほどだ。しかし、それがかつての屈辱の報復のためだとすれば、不可解なほどのリーナのお節介ぶりは十分説明できる。
 あの時のフィリアの真意は分からないが、リーナの強い恨みを買ったのは事実と見て良いし、フィリアにとって最悪の形で報復されようとしている。人の恨みは買うものではないとイアソンは思う。

『…そうか。話がころころ変わるが、ジグーリ王国の方はどうだ?』

 リーナに真意を問いても正直に答えるとは思えないし、逆にリーナの不信や怒りを買いたくないイアソンは、話題を切り換える。

「ジグーリ王国への入国は、この町を治める統領って人達に申請書を提出する必要があって、それは確保したわよ。必要事項はあたしが書いたから、明日提出するつもり。ジグーリ王国への出入りが激減した理由は、やっぱり宝石が流通しなくなったこと。正確には宝石が殆ど採掘されなくなって価格が暴騰して収束の見込みがないってことだけど、ジグーリ王国で何かあったと見るしかない状況ね。」
『坑道で何か重大な事故が発生したか、強力な魔物が現れたってところか。ドワーフは地下のことなら大抵のことは対処できると聞いているから、そのドワーフが対処できない重大な事態が発生している確率が高いな。』
「何が起こってるかはドワーフが話そうとしないらしいのよ。外貨が入ってこないと困るのは自分達だと思うんだけど。」
『何か口外できない理由があるのかもしれない。誰かを人質にされているとか。』

 リーナが今日町を見た限りでは、ラクシャスにおいてはドワーフが迫害されていたり、逆にドワーフが他の種族を虐げていることはなかった。他の種族と良好な関係を築いていながらドワーフの国であるジグーリ王国の異変について語らないのは、イアソンの言うとおり何らかの理由で緘口令が敷かれているか、事態を説明してもどうにもならないとの諦観があると考えられる。申請書の提出と合わせて、そのあたりの事情を調査するのが先決かとリーナは思う。

「外に言えない理由を探った方が良さそうね。申請書の提出ついでに聞いてみるわ。」
『そうしてくれ。もしドワーフの側に切迫した事情があるなら、協力の姿勢を見せた方が良い。リーナが言うとおり、貴重な外貨獲得源である宝石が満足に売れないのは、ドワーフにとって死活問題の筈。そこを念頭に置いて協力を申し出れば、ドワーフも無視できないだろう。』
「分かった。そうしてみる。」

 状況報告と議論がひと段落したリーナとイアソンの間に沈黙の雲が垂れこめる。
 リーナが思い悩んだ末にイアソンのアプローチに対して返答の先延ばしを告げたのは昨夜のこと。当然ながらリーナは返答を固めるに至っていない。イアソンもそれが十分分かっているからリーナに更にアプローチすることは躊躇われる。
 通信機を使ってのやり取りは、本来この世界では不可能な遠距離のリアルタイム通話を可能にするためのものであり、それはハブル山脈を隔ててトナル大陸の東西に離れて行動するパーティーの連携のため。イアソンのアプローチに対するリーナの回答が先延ばしの状況では、如何にイアソンでも話題を繋げるのは難しい。かと言って必要な報告と討論が終わったから通話終了、とあっさり切る気になれないのも事実。
 何とももどかしいイアソンとリーナの関係性を反映するかのように、どちらからも何も言いだせない時間だけが流れていく。

「…何か動きがあったり、状況に疑問が生じたら連絡してくれ。」
「…うん。」

 後ろ髪を引かれる思いで、イアソンとリーナはほぼ同時に通話を切る。通信機の1つを口元から離したリーナは、重い溜息を吐いて椅子の背凭れの頂点に後頭部を乗せ、天を仰ぐ。
 アレンとルイは順調に仲を深め、今は大きな一線を超えるのは時間の問題、否、今夜超えたところかもしれないのに、自分は相変わらずプライドと危機感のせめぎ合いに翻弄されている。
 イアソンは自分が回答するまで待つと言った。しかし、期限を明示していない状態で延々と待たされればイアソンも心が揺らぐかもしれない。しかも、イアソンが帰還したあたりでクリスがアプローチを開始するかもしれない。気が合うと自他共に認めるイアソンとクリスのどちらかが本気になれば、いともあっさりとカップル成立となりかねない。アレンとルイがそうだったように。
 そこまで推測が出来ても尚、イアソンに肯定の回答をするのに強烈なブレーキをかけるプライドが存在する現状。それこそ今耳に着けて手にしている通信機を使ってイアソンを呼び出せば、直ぐ出来ることなのに。

「どうしよ…、あたし…。」

 リーナは苦渋の表情で再び重い溜息を吐く。リーナが長年抱えて来たプライドに妨害され、翻弄される日々は当面終わりそうにない…。
 ラクシャスに朝が訪れる。陽光が十分であればカーテン越しでも朝の訪れを感じさせるが、今日はカーテンが控えめに光の存在を告げる。
 東側角部屋のベッドに出来た盛り上がりの一部が動き、ルイが身体を起こす。ルイは豊満な肢体が露わで、乱れた長い銀色の髪の一部がその肢体に付着している。隣で安らかな寝息を立てているアレンを起こさないように、慎重にアレンを跨ぐように左手をベッドに置き、右手でカーテンの向こう側を除く。
 細い透明の線が無数に上から下へと軌跡を描いている。昨日ラクシャスに入った時は雨の気配がなかったが、昨日ベッドがある宿を確保できたのは幸運だったとルイは思う。
 外の天候を確認したルイはカーテンを閉じて元の上体を起こした姿勢に戻り、自分の胸と腹に指を当てて見る。かさぶたの様な感触の部分が彼方此方にあるのが分かる。ルイは隣のアレンを見る。素肌の肩と左腕を覗かせているアレンは、目覚める気配がない。
 ルイは口元に微かな笑みを浮かべてアレンの唇に触れるようなキスをして、静かにベッドの端に両脚を出す。腰の下着だけのルイは、足元に積み重なった衣類から自分のパジャマを手に取って両腕と両足を通す。その過程で身体に付着した髪を剥がし、全体を手櫛で整える。
 続いてアレンのパジャマと下着を取って丁寧に畳んでベッドの隅に置く。ルイはベッドから腰を上げて改めてアレンに触れるようなキスをして、足音を立てないように部屋を出る。
 ノブの金具が填まる音すらもしないようにドアを閉めたルイは、ドアに凭れかかって目を閉じる。昨夜のことが次々と脳裏に蘇り、恥ずかしさと幸福感が複雑に絡み合ってルイの身体を内側から揺さぶる。
 身悶えしそうな衝動がようやく鎮まったルイは、小さい溜息を吐いてダイニングへ向かう。ダイニングは台所だけでなく、東西両側の部屋に通じる廊下、玄関、そして浴室とトイレに繋がっていて、寝る以外のことはダイニングに出る必要がある。
 ルイはランプの明かりが見えるのを見て不思議に思い、ダイニングに出る。ダイニングのテーブルにはリーナが突っ伏していた。急病かと思ってルイが慌てて駆け寄ると、リーナは緩慢な動きで上体を起こす。

「あー、ルイか。おはよう。」
「お、おはようございます。どうしたんですか?急に具合が悪くなったとか?」
「大丈夫。うっかり寝落ちしただけ。身体は至って健康よ。」

 寝起きを象徴する眠そうな顔だが、声の張りには異常は感じられない。リーナはイアソンとの通信を終えた後、どう回答するか、そもそも回答をどうするか、クリスへの対抗策はあるのかなど思い巡らせているうちに眠気が限界に達して寝落ちしてしまったのだ。

「そうでしたか。少ししたら朝ご飯を作ります。」
「風呂は残り湯だけど良いの?」
「はい。身体を洗うだけなので…!」

 リーナの言葉の真意を悟ったルイは、思わずリーナを見る。頬杖を突いたリーナは、笑みこそ浮かべていないものの「やっぱりか」と言いたげな表情だ。ルイの頬が音を立てるかのように一瞬で紅潮する。

「避妊薬飲んでおいて良かったでしょ?」
「さ、最後まではしてません。」
「代わりにあんたの身体に出させたってとこか。」
「!!な、そ、そんなことは…。」
「あんた、アレン関連で隠し事は出来ないわよ。直ぐ表情と顔色に出るから。」

 リーナはサラマンダーを召喚して、風呂桶の湯を適温にするよう指示し、ルイにはサラマンダーと入れ替わりに入浴するように言う。ルイは部屋に着替えを取りに戻り、サラマンダーが浴室の方から出て来たのを見て、サラマンダーに礼を言って浴室へ入る。
 10ミムほどでルイは慌ただしく着替えまで済ませてダイニングに戻って来る。

「お待たせしました。今から朝ご飯を作りますので。」
「慌てなくて良いわよ。あたし自身寝起きに近いから今すぐ食べたいって気分じゃないから。サラマンダーを貸すから、竈の火起こしに使いなさい。」
「ありがとうございます。」

 リーナは待機させていたサラマンダーに、ルイの指示に従うよう命じる。ルイはサラマンダーを伴って台所に立ち、2つの竈に火を入れるよう依頼する。
 竈に限らず火起こしは時間がかかる。道中はアレンが力魔術を習得し始めたことでファイア・ボールなどで簡単に火起こしが出来るようになったが、熟睡中のアレンを起こす選択肢はルイにはない。サラマンダーにとっては、竈の薪に着火して適度な燃え具合に調節することくらい造作もない。
 ルイはサラマンダーに礼を言って、手際良く料理を作っていく。竈が安定運用できれば、料理の腕と手際の良さはアレンとシーナに並ぶルイなら普段以上のスピードで食材を料理に変貌させられる。軽快な料理の音と背中の方から漂ってきた良い匂いに、リーナの表情が緩む。

「料理は並べておくから、旦那を起こして来なさい。」

 サラダをリーナの前に置いたルイに、リーナが言う。

「普段は間違っても寝過ごさないアレンが、今の今まで寝てるなんてね。」
「昨日は家全体の掃除で、全ての部屋の家具の移動もしてくれたので、相当疲れていたんだと思います。」
「それも少しはあるだろうけど、あんたにかけるだけかけて大満足なんでしょうよ。」
「!!そ、それは…。」
「良いから早く起こして来なさい。アレンもあたしに叩き起こされるより、嫁のキスで起こされた方が良いでしょうし。」
「は、はい。」

 ルイはエプロンを着けたまま、いそいそと部屋へ向かう。その様子は新婚の若妻そのものだ。その後ろ姿を見送ったリーナは、自分の状況と比較して人知れず深い溜息を吐く…。
 ルイが起こしたアレンを加えて3人での朝食が終わり、アレンが片づけをしてから当面の方針を討議する。外は雨であり、集団で行動するにはあまり適さないという共通の前提がある。
 拠点としてこの一軒家を確保できたのだから、方針を決めて役割を分担して、この旅の目標であるファイア・クリスタルの入手を達成することで、パーティーは早々に一致する。
 バシンゲンに滞在中のドルフィン達は、近日中にドルフィンが国王と直接交渉をする見通しだ。ドルフィンがどのような方針で交渉に臨むか確証は持てないが、リーナはイアソンの情報を基に、マタラ元内相の処分と引き換えにパーティーに泥を被れという条項の削除を求める以外は、交渉を決裂させる意図はないという見解を示す。
 だとしたら、時間的猶予はあまりないと考えた方が良い。
 交渉は、パーティーへの狼藉に対するタリア=クスカ王国側の対応が焦点だ。タリア=クスカ王国側がマタラ元内相の処分を交換条件としないと決めれば、交渉はかなり早期に合意に至る可能性がある。交渉が合意に至れば、タリア=クスカ王国側がランディブルド王国教会全権大使でもあるルイを招聘し、国王などとの会談を申し出て来るだろう。その際にルイが不在だと一転してパーティーの立場が不利になる恐れがある。
 直面する課題は、ジグーリ王国への入国と宝石価格の暴騰の2つ。前者は入国申請書を提出し、承認されれば解決されると見て良い。後者は現時点で全く不明。この原因を把握し、対策を講じることが急がれる。
 討議の結果、リーナが入国申請書の提出を行い、並行してアレンが繁華街を中心に聞き込みをして、リーナと合流して聞き込みを続けることで合意した。その間ルイは一軒家に滞在し、保存食の調理など帰還に備えた準備を行う。
 食材は昨日リーナが買い込んだことで潤沢だ。一方で、往路で野菜類の品数が少ないことが課題となった。生鮮野菜は不可能でも漬物や茹でるなどして、種類を多くすることは出来る。肉や魚、主食となるパンや米なども、燻製や干物にしたり分類しておけば、出発時に慌てることはない。幸いにも、リーナが警備も兼ねてサラマンダーを貸し出すという。これなら煙が継続的に出る程度の火力調整が必要な燻製や煮炊きの負担は大幅に軽減される。ルイの魔力は主教補昇格を反映してあまりある。ドルゴなど日常使われるものを除いて、聖職者が召喚魔術を使うのは異例中の異例3)だが、ルイは変に躊躇したりしない。

「留守番、頼むわね。」

 準備を済ませたアレンとリーナは玄関先に出る。保存食の調理などがあるルイはエプロンを着けたまま、2人を見送る。

「はい。気を付けて行って来てください。」
「じゃ、あたしは先に行くから、アレンは打ち合わせどおり、10ジムに町事務所前に来なさい。」

 リーナはそう言って足早に出て行く。玄関までアレンと歩調を合わせておきながら、言うことを言ったらさっさと独自行動を始めるのはリーナならではと言えるが、今は別の事情もある。
 リーナが玄関先で待機して5ミムほどして、アレンが出て来る。

「割と早かったわね。」
「ま、待ってたの?先に行くって…。」
「あたしが待機してないと、嫁とイチャついて何時まで経っても出て来ないかもしれないからね。」
「!そ、そんなことは…。」
「準備を済ませて後は玄関から出るだけで何でこれだけ時間がかかったのか、説明できるならどうぞ。」

 まるでドアの向こうの一部始終を見ていたかのようなリーナの突っ込みに、アレンは返す言葉が見つからない。
 リーナは呆れた様子で溜息を吐き、顔を赤くして言いあぐむアレンを放置して歩き始める。ようやく我に返ったアレンは、慌ててリーナの後を追う。
 1人一軒家に残ったルイは、唇や首筋に残る感触を指先で確認すると、サラマンダーが待つ台所へ向かう…。
 丸1日かけた聞き取り調査から、アレンとリーナが帰還した。
 ルイがエプロン姿で出迎えて下ごしらえを済ませてあった夕食に取りかかり、さほど待たずに豪華かつ美味な料理が並んだ。昼食抜きで歩き回り、出先で話を聞いて疲労が全身に行き渡っていたアレンとリーナは、ルイの料理で体力と気力が回復するのを感じる。

「帰還して直ぐに食べ応えのある料理が出て来るってのは、精神的にも助かるわね。」
「ありがとうございます。」

 殆ど他人を褒めないリーナが無条件で称賛するのは、アレンとシーナとルイの料理だ。リーナ自身は料理に手を出さないが、生粋のお嬢様故か、かなりの食通。リーナの舌を満足させられる3名のうち2名を独占している状況は、リーナにとっては至福と言える。
 ルイの隣で、「疲れて帰宅したら最愛の妻と美味な料理が出迎える」シチュエーションで感激に打ち震えながら舌鼓を乱打しているアレンは言うに及ばず。ルイを感謝と共に手放しで称賛することも加えているから、丸1日食材の処理に奔走したルイは殊のほか嬉しそうだ。
 心身の栄養補給がひと段落したところで、アレンとルイは聞き取り調査の結果をルイに伝える。
 リーナが提出したジグーリ王国への入国申請書はすんなり受理され、何とその場で3名分の入国許可証が発行された。
 ジグーリ王国の事実上の門番という位置づけでありながら、書類審査だけで入国許可証を即日発効するのは何か理由があると踏んだリーナは、繁華街で聞き込みをしていたアレンと急遽合流し、再度事務所に足を運んで即日発効の理由を尋ねたところ、理由は意外にあっさり判明した。

「ジグーリ王国の窮状を解消できる可能性に賭けるためには、四の五の言ってられません。」

 窓口の男性はこう答え、ジグーリ王国の状況を説明した。
 ジグーリ王国の生命線と言える宝石の坑道に強力な魔物が出現した。
 ドラゴンの一種であることは分かっているが、ドワーフもこれまで見たことがない種類だという。動きこそ緩慢だが、鋼鉄を敷き詰めたような鱗の前には、ドワーフが鍛えた武器でも全く歯が立たない。その上、強力な酸性の液体をブレスとして吐き出すため、ドワーフ謹製の鎧や盾まで溶かされてしまうばかりか、ドワーフが大怪我を負ってしまう。
 ドワーフは地の利を生かして排除しようと試みたが、そのドラゴンは普段は碌に動かない癖に縄張り意識が相当強いのか、ある地点に差し掛かった時点で普段の動作からは想像できないほど猛烈な速さで接近して襲いかかって来るため、手の出しようがない。
 結果、宝石の売買で得られる外貨が途絶え、宝石産出と加工という重要な職業を失ったドワーフは失業状態。宝石は全く産出できないから在庫していたものを出すしかないが、それも数に限りがある。価格を釣り上げることで収益の確保を狙ったが、元々高価な宝石が数倍数十倍に暴騰したら、買おうとする者が居なくなる。
 ジグーリ王国は衰退と荒廃の一途を辿り、門前町であるラクシャスも道づれのように衰退している。宝石商の出入りがなくなったのだから当然ではあるが、ラクシャスを統治する統領達もドラゴン相手では警備隊を無駄死にさせるのは流石に躊躇して、食料支援が関の山。それもジグーリ王国全体を支えるのは困難だから、このままだとジグーリ王国とラクシャスの破綻は不可避の情勢だ。
 そのため、外部から久しぶりにラクシャスに入り−何と2年ぶりだという−、ジグーリ王国への入国も申請するのだから止める理由はないし、可能ならジグーリ王国の窮状を救って欲しい。無論、相応の報酬は準備する。

「−こんな話。予想の範疇に入るくらいシンプルだけど深刻な情勢ね。」

 リーナが説明を締めくくる。
 アレンと合流したリーナは、事務所を通じて統領達からも聞き取りを行うことにした。統領達は意外にも事務所の招聘により自ら事務所に集まり、会議室を手配して詳細な情報提供も買って出た。ジグーリ王国の地図やドワーフが使う宝石売買の隠語一覧など、通常の申請では得られない情報を、統領達が積極的に提供した。
 特に坑道の図面は本来門外不出の機密情報だが、緊急事態であり、一刻も早い解決が望まれるからとして、ドラゴンが襲いかかって来る境界線と言える地点まで示された地図の提供まで受けた。
 初対面の、しかも見た目明らかに若く、戦闘向きではないアレンとリーナに、貴重な宝石産出国の門前町として機能する1つの独立都市国家を治める統領達が、情報を惜しみなく提供しながら共倒れの危機を切実に訴えたのだ。アレンは勿論、パーティーの一員としてファイア・クリスタルの入手を目的とするリーナも、乗り出さない理由はない。

「目的のためにすべきことが早期に明確になりましたね。」
「それ自体は良いんだけど、簡単じゃないわよ。」

 リーナが言うとおり、相手はドラゴン。しかも接近した場合に限らず、縄張りと思しき地点に侵入した時点で襲いかかって来て、強力な酸性のブレスを吐き出す。
 「7の武器」の1つであるフラベラムはまだしも、アレンは防御面では生身に等しく、驚異的な敏捷性でカバーしている状態だ。その敏捷性で生じる回避能力は必ず攻撃を回避できることの保証ではない。仮に酸性のブレスを浴びたら、自己再生能力(セルフ・リカバリー)があっても油断はならない。自己再生能力(セルフ・リカバリー)はあくまで当人が生存していることが発動の絶対条件であり、即死攻撃まで無効化するものではない。
 それに、ドラゴンの防御力は尋常ではない。フラベラムと言えども攻撃が効くという確証はない。ならば力魔術はどうかと言えば、アレンはまだまだ習得間もない状況。ドラゴンの中には魔法防御力が高いものも存在するし、そもそもTrickstarの魔術師が繰り出す魔法で効果的なダメージが与えられるほど、ドラゴンの生命力は低くない。
 唯一確実なのはルイが担える防御面だ。高位の聖職者と称して遜色ない称号と、強大な魔力に裏打ちされた数々の衛魔術と結界がある。ルイの衛魔術でドラゴンの猛攻撃を凌ぎながら、アレンとリーナが攻撃を行うのが唯一の対抗手段だ。
 リーナの召喚魔術も期待したいが、属性や元々の防御力の高さによる威力軽減の恐れは否定できないから、不確実性はアレンと似たり寄ったりだ。

「早速、明日ジグーリ王国に入って、ドワーフから詳しい話を聞こう。」
「入国許可証があるからって、準備も何もせずに入国して何をするつもり?」
「装備は今あるものしかないんだから、手を拱いているより早々に現地入りして、ドラゴンの情報を集めたりした方が良いよ。」

 時期尚早との見解から懐疑的な見方をしたリーナに、アレンは現実的な提案を含めて反論する。
 確かにこの町の武器防具も見たが、ドラゴンと攻防できる品物は見当たらなかった。もしそのようなものがあれば統領達が警備隊を派遣して事態の収束を図っている。
 アレンの魔術師の称号が一気に上昇する見込みなどないし、目的や原因が明確である以上、早期に現地入りして現在の状況を把握・分析して、可能ならドラゴンと対峙するのが最も現実的だ。

「…それもそうね。此処に立て籠もって事態が解決できるわけでもなさそうだし。」

 適切な反論の材料が見当たらないリーナは、あっさり持論を撤回する。
 アレンにとってはやや意外な態度だが、元々冷徹さを堅持できるタイプのリーナは、持論の貫徹にこだわらない。議論はある命題に対する解決策を決めるためのものであって、相手をやりこめるのが目的ではないことくらい、リーナは十分理解している。

「じゃあ、明日出発ってことで。あたしはひと眠りするから、必要な物資や荷物の選定はあんた達夫婦に任せるわ。」
「それは良いけど、早くない?」
「疲れが結構溜まったから、イアソンの通信があるまでに仮眠くらいしておきたいのよ。あんた達の夜はこれからなんだから、さっさと風呂に入っておいたら?」

 昨夜のことを思い出して、アレンとルイの顔が同時に紅潮する。未だに自分達の行動が2人だけの秘密と思っている節があるアレンとルイに、リーナは呆れた様子で溜息を吐いて部屋に消える。
 2人が醸し出す熱々な雰囲気に耐えられないのもあるし、危険を伴うであろう明日のジグーリ王国入国の前に2人が可能な限り熱い時間を過ごせるようにとの、リーナらしからぬ気配りが隠された行動だが、それらの意思を汲み取ったのは「嫁」だけである…。

用語解説 −Explanation of terms−

3)聖職者が召喚魔術を使うのは異例中の異例:聖職者は攻撃的な手段が乏しいため、召喚魔術を使用するに至る「魔物と戦闘して倒す」ことが単独ではほぼないのと、聖職者は神に仕える職業であり、神の子ではない魔物とは相容れないとされることが背景にある。

Scene13 Act1-4へ戻る
-Return Scene13 Act1-4-
Scene13 Act2-2へ進む
-Go to Scene13 Act2-2-
第1創作グループへ戻る
-Return Novels Group 1-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-