Saint Guardians

Scene 12 Act3-1 陰謀-Conspiracy- 膨らむ野望と暗雲

written by Moonstone

 闇一色の山道を、イアソンは出力を絞ったライト・ボールの明かりだけを頼りにドルゴで疾走する。
 明かりは自分の視界を確保する手段であると同時に、自分の所在を知らせる伝達手段でもある。隠密行動において明かりを使うのは、現在移動中であることをリアルタイムで誇示することに他ならない。最低限の視界を確保しつつ闇が深いうちに首都キリカへ移動するしかない。一言で言うと簡単そうだが、パーティーの当面の拠点となったヴィルグルの町と首都キリカの距離は、およそ200キーム。全力でドルゴを走らせ続けても4ジムはかかる。バシンゲンの町からの追放劇から一夜明けたばかりで心身の疲労が十分取れたとは言えない状況、しかも視界が十分確保できない道中をドルゴで走り続けることは非常に厳しい。
 日本で長距離トラックや夜行バスの事故が発生する背景には、定刻どおりに運搬・移動するには休憩が碌に取れないスケジュールで運転することを強いられる労働環境がある。数時間の長距離運転は軽く見られがちだが、数時間連続で座り、トイレにも行かずに緊張を維持することは非常に困難だ。しかも、一歩間違えれば破滅的な状況を招く数トンの金属の塊を操作し続けるのだ。並大抵の疲労ではないのは容易に想像が出来る。
 それでも「甘え」や「自己責任」を言うなら、一度高速道路を数時間、東京からなら名古屋あたりまで一切休憩なしで運転してみることだ。もっとも、それで事故を起こしたとしても一切責任は持たない。それこそ「自己責任」の範疇だ。「自己責任」論者には自己の主張を実践できるまたとないチャンスだろう。

 「赤い狼」で隠密行動の最前線で活動を続けて来たイアソンは、ヴィルグルとキリカを結ぶ街道を走るが、この時間帯における町村への唯一の出入り口である正門が見えてくるあたりで、敢えて森の中に突っ込む。宙に浮かんでいるから足場を探る必要はないものの、行動は大幅に制限される。森と言っても熱帯地域のこの国ではジャングル。方向を少し間違えれば全く意図しない場所に出るし、それ以前に方向を見失う事態に陥りかねない。更に、森は魔物の巣窟でもある。しかも夜間は魔物が活発になる傾向がある。危険極まりない行動だが、イアソンは人間の方が危険と判断している。
 魔物は結界を張れば大抵攻撃を防げるし、火系の魔法をちらつかせればほぼ間違いなく退散する。第一次欲求に忠実であるが、生存本能も強いから力の差を見せつければ即座に撤退することが殆どだ。撤退せずにひたすら攻撃をし続けるのは、アンデッドなど自我や意志を持たない魔物と、命令のままに動く人間であるとイアソンは断言できる。実際、「赤い狼」時代でも最も警戒したのは魔物ではなく人間だった。そんな時代を経ているイアソンは、警備に悟られないため一時的に最悪の環境にドルゴを走らせることを躊躇わない。
 視界の大半を黒い幹で埋め尽くされた中、イアソンは結界を盾に力技で突き進む。深い森で木々がぶつかり合い、その勢いで折れたり、徘徊していた動物や魔物が驚いて退散して様々な音を立てるが、深夜に動物や魔物が食うか食われるかの追跡劇を展開し、その影響で森が揺れるのは日常茶飯事。街道を挟んで深い森と向き合う町村の警備は、特に森のざわめきを気に留めることはない。

 町村が遠くに消えたところでイアソンは街道に躍り出て疾走を続ける。イアソンはドルゴを操縦しながら様々なことを思案する。
 1つは首都キリカでの行動方針。
 タリア=クスカ王国に入国して以来、パーティーは拠点として来たバシンゲンから全員規模での移動をしていなかった。そのため、キリカの情報はかなり限られている。最も疑わしい内務大臣マタラと軍に関する情報を入手・分析するのが最大の目的だが、そのために王国の事情、特に先住民との関わりにおける王国支配層と国民の認識を詳細に調べる必要性を感じる。
 タリア=クスカ王国が先住民と長年抗争を続けて来たのは周知の事実だが、マタラを筆頭とする軍が先住民に対して強硬策を推し進めるのに対し、一般市民は必ずしも先住民の排除を望んではいない。謎の病が蔓延したことの副作用で、暫く開催出来なかった鎮魂祭が開催できる運びとなったが、イアソンが見聞きした限りでも人々は活気づいていた。
 ヴィルグルの町でも、町の有力者である中央教会総長から「血で血を洗うような泥沼の抗争」「無意味な戦乱」という文節が出た。聖職者だから元々好戦的ではないことを差し引いても、長く続く先住民との抗争に嫌気がさし、表には出ないものの早期の終戦や折り合いをつけて共存することを望んでいる人は少なくないと推測できる。むしろ、戦争で何らかの形でまず矢面に立たされる一般市民だからこそ、先住民の襲撃や報復に警戒し怯える日々を過ごすより、安眠できる夜を望むのは当然だ。
 情報を収集・分析するのは勿論だが、マタラの失脚を誘う事態、すなわちタリア=クスカ王国の国民と先住民の融和と厭戦機運の拡大へと事態を誘導できないか模索したいとイアソンは思う。
 もう1つはマタラの背後に居ると思われるザギの居場所と目的。
 確証はないが、権力を欲する者に擦り寄り、一時的にでも権力を与えて入れ知恵をして巧みに踊らせるのはザギの常套手段。マタラによる突然のパーティー追放劇からも、ザギがマタラの背後に居る、すなわちザギが新の黒幕である確率は高い。
 薬剤の調合や配給はパーティーが行ったが、薬草の提供は王国に居住する薬剤師によるものだし、変異してからは聖職者が治療の主体になった。だから薬剤師や聖職者を拘束してもおかしくないのだが、パーティーに目標を絞って夜間に大挙して押し寄せた。そこからも、パーティーを知る者、すなわちザギがマタラを操って拠点と共にハルガンへ向かう唯一の足である船を破壊した、と考えれば、筋は通っているが詰めが甘い面もあるマタラの行動も理解できる。
 マタラの野望を頓挫させるには、ザギの所在を暴き、可能なら拘束するのが最短だが、あまりにも困難が多い。
 まずザギの所在が不明である。レクス王国とランディブルド王国ではザギとその命を受けた衛士(センチネル)の居場所が決まっていたが−ランディブルド王国では恐らくイアソンが別館で接触した頃までザギが滞在していたと思われる−、今回は首都キリカに居るかどうかすらも掴めていない。ザギの所在が分かればドルフィンに連絡して突入してもらうのが最も確実だが、ザギは勘が鋭い。自分の絶対的な不利を悟れば即座に逃亡する策も心得ている。
 様々な角度から非常に厄介な相手だが、ザギの居場所を掴み、拘束すれば、囚われの身となって久しいアレンの父ジルムを救出できるし、ザギが仕えている変質したクルーシァに君臨するガルシアの野望を掴むことも出来る。タリア=クスカ王国の騒乱を収束するのは勿論重要だが、根本には世界をまたにかけて暗躍するザギ、ひいてはクルーシァを支配下に置くガルシアが居ることを忘れてはならない。
 マタラは権力の麻薬に手を出し、強力な効能に溺れた哀れな男の1人に過ぎない。そのことにマタラが気づいていないのもまた哀れであるが、権力の麻薬の中毒患者を救う手段は全てを失うこと以外にない。あまりにも逃げ足が速いザギが逃亡する前にいかに拘束するか、イアソンは頭を巡らせる…。
 イアソンを送り出したヴィルグルの町は、改めて深い眠りに就く。警備にはシーナが作った複数のゴーレムがあたっている。第一次欲求が存在しないゴーレムは、生体リズムを乱しやすい夜間でも命じられれば警備を延々とこなす。動きは鈍いが攻撃と防御は高く、しかも痛覚も感情もないからいざとなれば文字どおり盾に出来る。
 本来警備を行う兵士は思わぬ休暇を喜び、改めてパーティーの全面支持を約束した。
 警備の兵士も漏れなく、本人あるいは家族が病に苦しめられていた。地理的要因もあって対症療法もままならず、町の全滅も具体性を帯びていたところに、アレンとルイが遠路はるばる何度も特効薬を運搬し、変質してからもルイが聖職者にディスペルを指導したことで救われたのだ。通常の感覚なら恩義に感じても謀略を巡らせることはない。
 更に、町を全滅の瀬戸際に追い込んだ地理的要因は、パーティー追放劇のためにでっち上げられたデマが届くのを遅らせる副作用を生じた。どう考えてもつじつまが合わないデマも、事実より先に人に届けばそちらが真実と取られやすい。デマが届くより先にアレンとルイが全戸訪問で事情を説明したことで、町の人々にデマが届くより前にパーティーを追放したマタラを筆頭とする軍への義憤と不信感を喚起し、デマを一蹴する環境を構築できた。まさに怪我の功名である。

「何してるの?」

 時計の針が1ジムを回った頃、リーナは用を足した帰りにドルフィンとシーナにに宛がわれた部屋に明かりが灯っていることに気づき、静かにドアを開けて顔を突っ込む。ドルフィンは机にタリア=クスカ王国の地図を広げてじっと考え込み、シーナはランプの明かりを気にせず安らかな寝息を立てている。

「リーナか。夜中の考え事だ。」
「この先どう攻めるか考えどころってこと?」
「そのとおりだ。」

 ヴィルグルの町を当面の拠点とし、マタラを筆頭とする軍など王国中枢部の実情や先住民の情報、更には謎の病とザギの関連性を探るためにイアソンの諜報活動を承諾したドルフィンは、パーティーの実質的なリーダーとして次の一手を思案している。
 諜報活動はイアソンの得意とするところで、ランディブルド王国で大きな実績を挙げた。今回はリーナが召喚したダークシルフを護衛としているから、攻撃・防御共に前回より大幅に上積みしてはいる。しかし、やはり単独行動だ。すべての負荷がイアソンに覆い被さるから、心身の疲労は無視できないだろう。
 しかも寒暖差や湿気が少なく昼夜過ごしやすい環境だったランディブルド王国と異なり、タリア=クスカ王国は高温多湿が基本。ヴィルグルの町は比較的高地に位置するため快適な方だが、パーティーが滞在していたバシンゲンの町や首都キリカは高温多湿そのものの環境。イアソンとて長期間の活動は困難と見た方が良い。
 内務大臣として軍を掌握し、対外的な強硬策を取り続けるマタラの傾向は、ザギが好むものだ。ランディブルド王国で偶然アレンとルイに遭遇・交戦後に逃走した方向も含めて、タリア=クスカ王国にザギや配下の者が潜伏し、マタラを懐柔して何かを企てている確率は高い。謀略や策略には長けるザギだが、戦闘は苦手とする。これまでの行動や傾向からしても、軍を操作して人々を抑圧したりパーティーを妨害したりはするだろうが、自ら軍を率いて先制攻撃を仕掛けることは考え難い。それゆえに、次の一手の選択が難しくなる場合がある。
 ヴィルグルの町は高地に位置する上に、他の町村と繋がる街道は蛇行とアップダウンを有する。空から攻めない限り非常に攻め辛く守りやすい地理的条件だ。先制攻撃を仕掛けられてもWizardのシーナの結界はまず破られないと言って良いし、ゴーレムは可動部分がある限り全身をバラバラにされても戦闘を続行できる。ザギが理由もなく手持ちのコマを無駄に減らす選択をするとは思えない。
 やはり、マタラ近辺やカーンの墓など秘密やアジトが近い場所に防衛を集中させ、パーティーの妨害や撹乱を主体にする算段だと考えるべきだ。それだと、敵がどこに潜んでいるか分からない分、非常に攻め辛い。ある意味一般市民を人質に取られたような格好だ。町全体を巻き込む市街戦を厭わないなら話は別だが、パーティーは一般市民を戦闘に巻き込むことは極力避ける方針。市街戦を当然視するなら、ザギと同じレベルに堕ちたも同然だ。
 これまでと異なり、今回はザギの潜伏場所が特定できていない。厄介なことに、タリア=クスカ王国は市街地や耕作地を除いて国土の多くがジャングルだ。これも攻め辛く守りやすい地理的条件の1つ。ザギの居場所を探ろうにも、広大なジャングルを捜索するには人手も時間も圧倒的に不足している。王国の船を借用してハルガンへの航海に使う方針を貫くためには、何から突き崩して行くか十分検討しなければならない。

「イアソンの第一報を待つしかないか…。」
「…何か掴めるんじゃない?人の周囲を嗅ぎ回って荒探しをするのはイアソンの得意技だから。」
「随分な言い方だな。」
「事実でしょ。」

 刺々しいことこの上ない言葉だが、口調は以前の「嫌いな相手を叩きのめす」ものではなく、「構ってもらえない寂しさからの八つ当たり」だ。
 落ち着き先が見つかったと思ったら、喜び勇んで深夜にも拘らず飛び出して行ったイアソン。これまでなら南の星空を一緒に見て云々とアプローチを仕掛けて来るところなのに、事態打開の鍵は自分の行動次第と意気込んでいる。自分のことなど眼中にないと言わんばかりの決断と行動の速さに、リーナは置いてきぼりを食らったような釈然としない気分を感じている。

「戻ってきたら、『おかえり』って言って胸に飛び込んでやれ。泣いて喜ぶぞ。」
「!へ、変な冗談言わないで。」
「多少誇張したが、意中の女に歓迎されたり甘えたりをされて喜ばない男は居ないぞ。」

 唐突なドルフィンの「指導」にリーナは赤らんだ顔を背ける。シェンデラルド王国での工作任務から無事帰還したイアソンに黒装束を手渡した際、感極まったイアソンに抱きしめられたことを思い出したのだ。突然の行動に驚いたが、抵抗したり撥ね退けたりしたことはいくら記憶の底を深く掘っても存在しない。それらを思いつきもしなかった事実を改めて噛み締める羽目になり、リーナは激しくなる一方の動揺を表面化しないように抑えるのが精一杯だ。

「リーナはどうしたいんだ?」
「…何を?」
「イアソンにアプローチされたいのか、自分からアプローチしたいのか。」
「!ど、どうしてあたしが…。」
「イアソンの気持ちはパーティーの誰もが知ってる。だが、リーナの気持ちは誰も知らない。推測はどれだけでも出来るが、確証は持てない。」

 ドルフィンは広げた地図のヴィルグルの町の位置に小石を置く。ヴィルグルの町から首都キリカへは方角では北東。だが、深いジャングルが横たわっている。今回の事態解決の鍵になる可能性があるカーンの墓は、偶然かその直線上に存在する。どう攻めるか思案のしどころだ。

「今、俺達パーティーが直面している問題は、相手が軍を掌握している以上、多かれ少なかれ戦闘は不可避だ。バシンゲンから俺達を追放してマタラは満足しても、ザギが満足するとはとても思えん。どう攻めるか思案しているのはザギも同じ。ギリギリの時点まで心理戦、情報戦が続く。それは…今のリーナと似てると感じる。」
「あたしが?」
「これからどうするか思案しているところがな。どうするのかは結局リーナ次第だが…、思案を続けているだけだと先に攻められる。」
「…イアソンに?」
「否、対イアソンで絶対優位と思って安穏としていると、何時の間にかその座を奪われるってことだ。」

 リーナの表情が固まる。
 フィリアの露骨な−リーナ視点で−アプローチからひたすら逃げ回っていたアレンが、ランディブルド王国で出逢ったルイにあっさり籠絡され、フィリアお決まりの強迫を伴う尋問でも明確にルイへの愛情を公言したことは記憶に新しい。
 今も着実に愛情を深めているのは明らかだし、フィリアが割り込む余地はないとリーナも見ている。それ故に、幼馴染だから何れはとある意味高を括り、新参者のルイに完敗したフィリアを過去の報復も兼ねてせせら笑いもした。しかし、リーナの現状は、かつてのアレンをイアソンに、フィリアを自分に置き換えれば、アプローチの方向が正反対であることを除けばかなり似通っていることが分かる。
 イアソンの熱烈なアプローチが何時までも続くし、それが当然だと最近まで思っていた。しかし、自分を諭したクリスの影を感じて以来、フィリアの二の舞になるのではという危機感が生じた。
 元々クリスがイアソンと相性が良いのは感じていたが、所詮飲んだくれ同士という認識だった。ところが、自分を諭した際のクリスのイアソンの評価には、気の合う飲み仲間の範疇を超えた何かを感じずにはいられなかった。今夜首都キリカに向けて出発したイアソンにダークシルフを護衛に就けたのは、精一杯の努力で実行した精一杯の激励であり気配りであり、クリスへの牽制だった。しかし、それでクリスより再び絶対的に優位に立ったとは思えない。
 航海中に夕食担当だったイアソンと、別の担当を終えて休憩の時間になったクリスが語らっている場面に遭遇したことがある。船酔いを避けるためクリスは飲酒こそしていなかったが、この機会に自分の生きる世界を探してみたいと語るクリスの横顔は、飲んだくれの印象から大きく外れていた。そしてそれを黙って聞くイアソンの目が温かく感じた。あの時はイアソンが珍しく聞き上手になっているとしか思えなかったが、今は違う。

「自分がどうしたいのか考えて、行動に移すことだ。行動に移さなかったらどんな理想も絵空事でしかない。」
「…考えておく。」

 リーナは会話を打ち切って部屋を後にする。リーナの難しい感情の遷移を知るドルフィンは追わず、思案の対象を王国での次の一手に戻す。
 リーナがどんな次の一手を思いつくか、そしてそれを何時打つか、それは誰にも分からない。リーナでさえも分からない…。
 翌朝。食堂21)で聖職者と共に朝食を摂っていたアレンに、イアソンからの第一報が入った。

「−こんな状況だ。」
「かなり厳しそうだね…。」
「進展があったら直ちに連絡する。通信機はこのまま準備しておいてくれ。」
「分かった。気を付けて。」

 食事の手を止めてイアソンの報告を聞いていたアレンは、通信を終了して小さい溜息を吐く。芳しい状況でないことは、アレンの表情から十分感じ取れる。

「首都キリカは昼夜問わず厳戒態勢が敷かれていて、中に入れないそうだよ。」
「侵入者や情報の流出を阻止するためだろう。」
「イアソンもそう推測してた。今はキリカに一番近い−と言っても数キールはあるそうだけど、タロイっていう町に滞在して情報収集を進める、って。」

 疑惑の人物であるマタラは、既にキリカの全ての出入り口に検問を設置して20ジム体制の警備を敷くなど人の出入りを大幅に制限していた。イアソンの侵入を阻止するような行動は、軍を掌握する内務大臣ならではの特権を最大限利用したものであり、マタラとマタラが陣取るキリカに何かがあることを臭わせるものだ。
 ランプや松明など、人手による定期的な燃料供給が欠かせない照明しか存在しないこの世界において、夜間は絶好の諜報活動期間であると同時に、諜報活動の対象には脅威が最大になる期間でもある。内務大臣であるマタラは、バシンゲンから追放したパーティーからの逆襲や真相の露呈を防ぐため、先住民からのテロ攻撃から首都キリカひいては王家を守るためなどと称して軍を動かしたと考えられる。
 ランディブルド王国では、別角度からホーク夫妻の野望を暴かんとしていたロムノの泳がせ政策もあったとは言え、イアソンは使用人としてかなり容易に潜入し、諜報活動を行えた。しかし、今回はパーティー追放劇から1日程度で此処まで対策が進んでいる。内務大臣という立場を理解しての行動か、ザギの入れ知恵によるものなのかは不明だが、マタラは欲に溺れたホーク夫妻とは一線を画す難敵であると見た方が良い。
 現地で情報が得られない諜報活動は困難である。インターネットが普及した我々の社会ではクラッキングでサーバからデータを盗み出したり、フィッシングで利用者の情報を詐取することが可能であり、厳重管理されている筈のサーバから大量の個人情報が流出する事件が頻発している。ケーブルや無線を介することで、現地に赴かなくても情報を抜き取ったり露呈させたりすることが出来るようになった我々の世界は、安全なように見えて実は諜報活動が容易になったと言える。
 一方、この世界にはインターネットという諜報活動を容易にする環境は存在しない。現地に赴くか口コミに加わるしかないが、人の出入りも厳しく制限・検閲される状況では後者の手段も期待できない。タロイという町に潜入して情報収集に当たるというが、真相に迫るまでにかなり遠回りを強いられるのは確実だ。その分、イアソンの肉体的・精神的負担も増す。拠点は確保できたが、最善の「次の一手」を編み出すのは困難な情勢だ。

「キリカにイアソンを潜入させる方法を考えるのが先か…。」

 朝食会場がそのまま会議場となり、ドルフィンが難しい表情で当面の方針を模索する。
 直近とは言え、地図で調べるとキリカとタロイの距離は直線でも5キームある。ドルゴなら近距離だが、厳戒態勢が敷かれているキリカにドルゴで接近するのは、捕まえてくれと宣伝するようなもの。徒歩での単独移動は魔物や賊との遭遇など危険が多い。イアソンの力量を最大限発揮させるには、キリカに潜入させるしかないが、出入り口を事実上塞がれていてはそれもままならない。

「手が出ないなら、イアソンを撤収させた方が良いんじゃない?」
「行ったばっかりやのに戻って来いっちゅうのか?」
「碌に行動できないなら、戻らせて機会を待つなり別の手を探った方が良いってこと。」

 ややむきになったクリスに、リーナは相変わらずの口調で自説を言い替える。
 ランディブルド王国とは異なる高温多湿の環境は、いかにイアソンといえどもかなりの負担になることは想像に難くない。しかも言葉の問題もある。イアソンはパーティーで最もマクル語が堪能だが、ネイティブと区別できないレベルには達していない。この辺りから怪しまれ、最悪密告されて身柄を拘束される恐れもある。
 このまま潜入の機会を待っても、夜中に軍隊を差し向けてパーティーをバシンゲンから追放する策に打って出たマタラが、容易に警戒態勢を緩めるとは思えない。イアソンも病気や負傷には勝てない。パーティーの面々を使い捨ての駒と思っていないなら、策が無謀と判断したら早急に撤退するのが無用な犠牲を生まない最善の策だ。

「…あの…。こちらの皆様は、キリカに赴く機会はないんでしょうか?」

 ドルフィンがイアソンへの撤退指示へと傾きかけた頃、ルイがおずおずと聖職者に疑問を呈する。

「ランディブルド王国では、各町村の中央教会総長は半月に1度首都フィルにある王国の中央教会に集合して、教会運営を協議する機会があったので…。」
「まさかあんた…、イアソンを聖職者に扮装させて潜り込ませる気なわけ?」
「キリカに入らなければイアソンさんは満足な情報収集が出来ないのですし、現状でイアソンさんがキリカに入れる手段と言えばそれくらいしかないかと…。」
「清純を気取ってる割に、考えることは結構ドロドロね。」
「何てこと言うんだよ。ルイさんは真剣に考えて提案したのに。」
「まさに、あんたが言うな、ってところね。」
「聖職者が不可侵な存在であれば、その方法が最も安全だな。」

 意外な提案をしたルイをここぞとばかりに非難したフィリアだが、アレンからは怒りを買い、リーナからは皮肉を食らい、ドルフィンからは妥当な案だと評価されたことで、顔を伏せて口を噤む。
 確かにルイの言うとおり、聖職者が不可侵という位置づけであれば、イアソンが聖職者に扮装することでキリカに潜入することが可能だ。となると、当然議場の面々の注目は聖職者、特に同席している総長に集まる。

「ルイ様が仰るとおり、聖職者はこの国の憲法22において国王陛下に次ぎ大臣諸氏と並ぶ位置づけがなされており、行動の自由もかなり認められています。」
「そうとなれば…。」
「しかし、先ほどの御話では、軍がキリカに厳戒態勢を敷いているとのこと。聖職者と言えど検問を避けることは出来ないでしょう。」

 突破口を見出したアレンを遮って総長が厳しい見解を示す。
 イアソンの潜入を許す前に先手を打ったマタラのことだ。聖職者に扮装して潜入する事態も十分想定していると見て良い。ヴィルグル町の聖職者がパーティーに加担していたことが発覚すれば、拠点を失うどころか協力した聖職者の処罰に加え、タリア=クスカ王国から追われることも覚悟しなければならないだろう。
 タリア=クスカ王国に見切りをつけるならそれでも良いが、またも暗躍している疑惑が濃いザギの所在と策謀を暴き、身柄を拘束することがパーティーの重要課題であり、王国所有の船を借用して以降の航海に使用することがパーティーの決定事項だ。その方針を遵守するなら、重大なリスクを伴う方法を取るわけにはいかない。

「…一時的にでも、検問が機能しない状態にすれば良いんじゃない?」

 再び行き詰まりからの沈黙が支配して少しして、リーナが言う。

「その間にイアソンが潜り込めれば、の話だけど。」
「時間にもよるがイアソンなら不可能じゃないだろう。だが、どうするんだ?」
「イアソンの所持品を利用するだけよ。」

 成功を確信したのか、リーナは僅かに唇の端を吊り上げる…。

「やった!潜入成功だ!」
「大きな声を出したら台無しになるでしょうに。それくらい注意しなさい。」

 その日の夜、アレンから通信機を借りたリーナは、興奮を隠せないイアソンを呆れた様子で窘める。リーナが耳に着用した受信機からは、幾つもの怒号に近いやり取りをバックグラウンドとして、爆発音が遠くに聞こえる。
 リーナの策とは、イアソンが所持する爆薬をキリカ周辺で炸裂させ、軍が確認に向かうことで警備が手薄になった隙を突いてキリカに潜入するというもの。
 複数のテロ行動と誤認するように導線を利用して爆薬の炸裂時間を不規則にずらし、短期間で潜入できるように出入り口から最も遠い位置の爆薬を最後に炸裂するようにし、潜入後も散発的に爆薬を炸裂させる。これらは全てリーナの作戦であり、イアソンがそれを忠実に実行したことで、思惑どおりに軍は爆発の地点に散開し、出入り口の警備ががら空きになった隙にイアソンは闇に紛れてキリカ内部に潜入することに成功した。
 作戦の説明と指示は、アレンを介してではなくリーナが自ら行った。他人を使役することで目的を達成するのを当然とさえする根っからのお嬢様気質のリーナが、自ら行動を起こすのは極めて異例。「あたしが言えばイアソンもホイホイ言うことを聞くでしょうよ」とのリーナの予測どおりではあるが、単純にそれだけではないとアレン以外の面々は思う。

「流石はリーナ。一般人民に被害を及ぼさない極めて安全な作戦だ。」
「煽てても何も出ないわよ。良い?相手は腐っても一国の軍を掌握する内務大臣。しかもあのザギが背後に居る確率が高いんだから、この程度で浮かれてたら逮捕監禁まっしぐらよ。そうなっても助けに行くつもりはないから、慎重に行動しなさい。」
「勿論だ。諜報活動の糧にしたいから、このままリーナと繋がっていたいな。」
「ドサクサに紛れて性的な口説き文句を並べるんじゃない!ダークシルフに遠隔命令23)で窒息させられたくなかったら、寝言言ってないでさっさと諜報活動を始めなさい!」
「了解了解。冗談は抜きで、このままリーナが通信を担当してくれるのか?状況から考えて通信を入れる時間帯は予想できないが。」
「考えておくわ。切るわよ。」

 リーナは通信を打ち切り、口元から離した送信機を見て溜息を吐く。
 リーナの発言だけを聞いていたパーティーの面々はやり取りの詳細までは分からないが、リーナが通信機をアレンに返却するかどうか決めかねているのは分かる。普段なら通信が終わるや否や受信機のイヤリングをもぎ取るように外し、アレンに突き返すところだ。

「…イアソンはキリカへの潜入に成功したみたいよ。」
「そうか。まずは安心だな。」
「…アレン。ランディブルド王国でイアソンと通信してた時、何ジムくらいに通信が来た?」
「えっと…、大体…18ジムくらいだったかな…。オーディション当日以外は遅い時間だった。」
「そう。夜なら良いか。」

 リーナは通信機をアレンに返すことなく踵を返す。リーナが通信機を返さないことに焦ったアレンが思わず呼び止める。

「リーナ。夜中に起こされるかもしれないけど、良いの?」
「あたしは夜行性だから、お構いなく。」

 リーナは首だけアレンの方を向けてそれだけ言うと、足早に部屋へ向かう。リーナの心模様の変化を察していないのはやはりアレンだけである。
 ドルフィンとシーナはクリスが横槍を入れないことを不思議に思うが、恋愛模様への第三者の関与はえてして余計なお世話や干渉になりやすい。特にリーナは自身の心のありようを操作されることを非常に忌み嫌う。下手にリーナやクリスを刺激してパーティーの人間関係を拗らせては、パーティーの実質的な保護者失格。当面静観するに留めるのが賢明だ。
 リーナは部屋に入ると直ぐにドアを閉めて鍵をかけ、ランプを消してベッドに倒れ込む。胸の奥底が蠢くようなざわめくような、不快ではないが認めたくない、そんな気分の中、リーナは身体の向きを反転させて天井を見ながら右手に送信機を持って掲げ、左手で耳に着けた受信機に触れる。

「…せいぜい使役してあげるから、覚悟しておきなさい。」

 毒づくものの、口調からは何時もの刺々しさは消失している。リーナの脳裏に、左耳に流れ込んできたイアソンの口説き文句の一節が鮮明に蘇る。

『リーナと繋がっていたいな。』
「…帰って来たら、ただじゃおかない。」

 リーナは何かを振り切ろうとするかのように吐き捨て、掛け布団を頭まで被る。その手に受信機を強く握ったまま…。

用語解説 −Explanation of terms−

21)食堂:キャミール教の教会において、聖職者と宿泊者が食事をするのは食堂と定められている。宿泊者は聖職者と同席できるが、下働きは聖職者が食事を終えてからになる。

22)憲法:この世界では多くの国が明文憲法を持つが、殆どは元首や国民の義務など最低限の規定を纏めた程度で、軍の指揮命令系統や議会・役所の任務など詳細は個別の法律か不文律で定められている。

23)遠隔命令:召喚魔術では、知能の高い魔物に限って召喚者の声が届く範囲であれば、面と向かわなくても指示命令が出来る。リーナが通信機を装着したことで、通信機を介してイアソンを護衛させているダークシルフに命令することが可能な状態である。

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