Saint Guardians

Scene 9 Act 3-1 分岐-Fork- 潜入前日、それぞれの心の固め方

written by Moonstone

 3日後。ロムノを介してフォンからフィリアとイアソンに、国軍幹部会議長と国の役所で国境関係を管轄する外務部部長の押捺34)がなされた越境許可証が
手渡された。フォンが国の役所と国軍幹部会に働きかけると約束していたが、事情が事情だけに許可が下りるまでに時間がかかると観測していた。役所も
絡むだけに少なくとも一月はかかるとの予想を覆す迅速な対応に、イアソンと共にロムノの居室に呼ばれて越境許可証を手渡されたフィリアは、越境
許可証を何度もしげしげと見ても驚きや戸惑いが消えない。

「随分早いですね。」
「事情が事情だけに、国軍幹部会や外務部も緊急に処理したそうです。また、お2人が我が国の国民でないことも幸いしたものかと。」

 何処の馬の骨とも知れない国外の人間が隣国シェンデラルド王国に潜入するための越境許可を下すことは、通常であれば何の諜報活動かとの疑念を呼ぶ
から非常に時間がかかるか不許可のどちらかとなる。しかし、今回は隣国から侵入者が大挙して乗り込み、国境付近の町村に甚大な被害を齎している。
大量の難民が発生しているし、被害地域には大規模な穀倉地帯も含まれるから、中長期的には国の食糧事情に深刻な影響が生じる事態となる。また、
撃退に当たっている国軍も対処しきれない事態に陥りつつあるという報告も届いている。
 食糧事情に影響が出始めたり、国軍が戦力不足になったりしてから対策に乗り出しても手遅れだ。早急に隣国に潜入して事情を把握し、必要な対策を
施す必要があるが、今度は誰を派遣するかという問題が生じる。これは、ロムノの推測どおり潜入を申し出たのが外国人であるイアソンとフィリアである
ことが幸いした。
 外務部には諜報活動を行う国家安全保障課なる部署があり、既に何度か隣国シェンデラルド王国に要員を派遣しているが、全て消息が途絶えている。
隣国からの襲撃行為は収束するどころか活発化する一方だから、要員は全て身柄を拘束されたか抹殺されたかのどちらかで、襲撃者は悪魔崇拝者だから
恐らく後者だろう。これ以上犠牲者を増やすわけにはいかないが、外国人のフィリアとイアソンなら犠牲になってもカウントする必要はない。緊急に越境
許可証が発行されたのは、そういった背景がある。

「最も国境に近い町は、エルダです。現在町民は全て避難し、国軍のみ駐留しているとのことです。町に入る時並びに越境の際には、国軍兵士にその越境
許可証を提示してください。」
「現況報告などはどのように行えばよろしいでしょうか?」
「状況報告が可能な場合は、越境してエルダに入り、現地の指揮官にしてください。国軍幹部会からは、『事態打開のために必要と判断される場合は事前
報告なしに実行して良い』との通達が併せて届いております。」

 国軍幹部会からフィリアとイアソンに大きな越権行為が許可されたことからも、事態の深刻さと対応の切迫度が窺える。
事態打開に必要な行為としては、国民の身柄拘束や殺害など、シェンデラルド王国の国権を侵害する行為も含まれる。通常なら外交問題や戦争を招くから
当然許されないが、潜入するフィリアとイアソンに実行の判断を一任するということは、逐次報告や判断を仰ぐといった連携行為を省いてでも事態の打開を
希望しているということだ。重大な任務だが、かつて「赤い狼」で諜報活動の最前線で活動していたイアソンには、国は違えど諜報活動は似たようなものかと
思わせるだけだ。

 対象とした人物や団体の情報収集や身柄拘束、ひいては殺害といった行為は、「国家」なるものが絡めば「治安」や「軍事機密」や「国家安全保障」などの
名目で諜報活動として容易に正当化される。これを国家単位で組織化したものが、旧ソ連のKGB(国家保安委員会)やシュタージ(旧東独の秘密警察)など
東欧諸国の秘密警察であり、過去ではナチスドイツのゲシュタポや大日本帝国下での特高警察であり、現代ではアメリカのCIA(中央情報局)やNSA(国家安全
保障局)、日本の公安警察や公安調査庁、そして自衛隊の情報保全隊だ。
 CIAは、南米チリで選挙を経て成立した革新政権を当時のチリ軍部と共謀してクーデターで転覆させ、悪名高いピノチェト軍事政権の成立にも関与した
「もう1つの9・11」や、キューバ航空機を爆破する(1976年)など、「アメリカの安全保障」の名目で国家テロを堂々と行っている。NSAはアメリカの通信会社から
インターネットも含む通信記録の提出を受けてデータベース化するなど、「9・11」後に成立した「愛国者法」の下で、FBI(連邦捜査局)と共に令状なしの盗聴を
日常的に行っている国家お抱えの巨大諜報機関だ。
 日本では公安警察や公安調査庁によるビラ配布者の身柄拘束や関係団体の家宅捜索など、日本共産党や友好団体、それ以外の市民運動に対する
日常的な監視・諜報活動が行われていることは最早公然の秘密だ。自衛隊では情報保全隊なる部署がイラク派兵反対の活動だけでなく、消費税増税反対
などイラク派兵と関係のない市民運動まで網羅する諜報活動を行っていたことが、日本共産党によって内部資料と共に暴露されたし、立川ビラ弾圧事件では
公安警察と共謀して弾圧に動いたことも判明した(「しんぶん赤旗」2007年10月14日付など)。
 公安警察や公安調査庁は、CIAの支援を受けた戦後日本の右翼反動政権によって特高警察が形や名前を変えて温存されたものだし、戦後日本と
アメリカの防共政策や日米軍事同盟構築のために組織された自衛隊は紛れもなく軍隊−戦車や戦闘機の他航空母艦を護衛する役割を担うイージス艦を
保有しておいて「自衛」なる口実は通用しない−だから、あらゆることを「軍事機密」としたり、政権に反対すると判断した動きを監視・情報収集する行動に
走るのは、ごく自然なことだ。
 戦前の特高警察や憲兵隊と異なるのは、今のところ殺害が行われていないくらいのものだ。国家安全保障や国家機密保持を名目にして「共謀罪」や「スパイ
防止法」が浮上する動きに、日本人はもっと敏感になって良い。もっとも、コスト削減に血道を上げる企業が研究や技術開発の部門に易々と外国人を採用
することを疑問に思わないようでは、望み薄か。

「関係各位の特別なご配慮に感謝いたします。」
「私もフォン様も望んでいたことです。・・・イアソン殿。それからフィリア殿。」
「あ、はい。」
「くれぐれもお気をつけて。」
「・・・はい。」

 手にした越境許可証を首を傾げながら見つめていたフィリアは、自身が背負った任務を噛み締める。
事態が切迫していることは、諜報活動に疎いフィリアでも感じられる。じわじわとランディブルド王国の国家基盤を侵食しつつあるランディブルド王国からの
悪魔崇拝者侵入を解決出来るかどうか、ひいては生還出来るかどうかは自分とイアソンの手腕に委ねられたのだ。我がこととして全力で取り組まなければ、
悪魔崇拝儀式の生贄にされるのがオチだ。
 ロムノに謝辞を述べて、フィリアとイアソンはロムノの居室を出る。越境許可証が発行された以上、今直ぐにでも出発してシェンデラルド王国に潜入
すべきだ。しかし、フィリアには重大な懸念事項がある。その解決無くしては安心して越境は出来ない。
 懸念事項とは言うまでもなくアレンとルイの接近だ。自分が牽制を怠らない日中にはアレンとルイは接近出来ずに居るが、シェンデラルド王国に向かうため
フィルの町を出れば、牽制のしようがない。言うなればルイを野放しにすることに他ならないから、ルイに強く釘を刺しておくなりアレンと恋仲になっておくなり
した方が良い。しかし、前者は自分が不在になれば有名無実と化すし、後者は今まで続いてきた幼馴染という関係を考えるとどうしても二の足を踏んで
しまう。越境許可証が発行された以上もはや前言撤回は不可能だから、何か手を打つしかない。だが、これといった妙案が思いつかないのもまた事実。
フィリアは真剣に悩む。
 眉間に深い皺を寄せて考え込むフィリアを横目に、イアソンはドルフィンとシーナの居室に向かう。パーティーを統括する位置づけにあるドルフィンに、
越境許可が下りたことを報告しておくべきと思ってのことだ。ドアをノックして応答を得て、ドアを開ける。
部屋には愛用のムラサメ・ブレードの手入れをしているドルフィンと、窓際で本を読んでいるシーナが居る。夜だとほぼ間違いなく営みに勤しんでいるし、
日中でも熱愛ぶりはさほど変わらないから、ドルフィンとシーナが揃って服を着ていることにフィリアとイアソンは内心ほっとする。

「ドルフィン殿。シーナさん。先ほどロムノ様より、シェンデラルド王国への越境許可証をいただきました。」
「あら、随分早いわね。」
「余程事態が切羽詰ってるんだろう。」

 急展開に驚くシーナと背景を推測したドルフィンは対照的だ。ドルフィンはイアソンほどではないが、戦略や策謀といった戦争の本質に詳しい。そうで
なければ、「7つの武器」の1つであるという剣を所有するアレンを伴っての当てのない旅の先頭には立てない。

「フィリアと相談しますが、出来るだけ早期に出発します。」
「その方が良いな。2人にこれを渡しておく。」

 ドルフィンは小さな皮袋を2つ、フィリアとイアソンに軽く投げて渡す。どうにか両手で受け取ったフィリアと、右手1本で難なく受け取ったイアソンは、紐で
縛られた皮袋の口を開いて中を見る。中には中心が赤か緑に輝く小さな水晶がそれぞれ2個ずつ入っている。フィリアは以前目にしたことがある。召還魔術で
召還出来る魔物を封じ込めた魔水晶だ。

「攻撃と防御に使える魔物をそれぞれ2匹封じておいた。赤が攻撃で緑が防御だ。適当なところに投げつければ使える。1回きりだが。」
「ありがとうございます!」
「ありがたく頂戴します。」
「あと、ルイから出発が決まったら出発の2日前には来て欲しいと言伝されている。」
「ルイが?」

 ドルフィンから出た宿敵の名前に、フィリアは敏感に反応して表情を険しいものに即座に変える。

「ルイは居室に居るだろう。」
「分かりました。」

 ルイの居場所を聞いたフィリアとイアソンは退室する。ルイが自分達を呼ぶ理由が分からない上、アレンをめぐって自分と静かだが激しい争奪戦を展開中の
ルイが呼び出し相手だから、フィリアは訝る。勝利宣言するなら即刻戦闘を仕掛けるという選択肢を選ぶのは、今のフィリアには極めて容易だ。ルイが事実上
ただ1人のリルバン家次期当主後継候補であることなど、アレン争奪戦では考慮してはいられないし、するつもりもない。自分の不在を知ってアレンに接近
するつもりなら容赦はしないつもりだ。
 ルイの居室は同じ3階にあるから、向かうのにさほど時間は掛からない。ドアをノックするとルイの声で応答が返って来る。イアソンがドアを開けて入室する。
普段着姿のルイは、机の前で組んでいた両手を解いて立ち上がる。

「ルイ嬢。ドルフィン殿より伝言を賜り、参りました。」
「お疲れ様です。・・・シェンデラルド王国への入国が決まったのですね?」
「はい。私とフィリアに何用でしょうか?」
「お2人のシェンデラルド王国への入国に、少しでも協力したいと思いまして。」

 フィリアが警戒を解かないまま、ルイはひと呼吸置く。

「お2人が着用する武器と防具を、私にお貸しください。」
「武器と防具、ですか。」
「何をしようって言うの?」
「衛魔術の力を込めることで、悪魔崇拝者に対する攻撃力と防御力を上昇させます。」

 露骨に訝るフィリアに対し、ルイはあくまで平静に答える。武器に魔力を込めることで、通常ではダメージを
与えられない幽霊や精霊などにもダメージを与えることが出来るようになる。その際込める魔力の源泉は、通常では力魔術だ。魔力を込める作業が
Necromancer以上の称号を持つ魔術師が数人がかりで行う35)
から、魔力の源泉が力魔術になるのは当然だが、魔術師を聖職者に置き換わることで魔力の
源泉を衛魔術にすることも出来る。
 衛魔術は力魔術とは正反対に、攻撃力は殆どないに等しいが力魔術には殆どない防御力や治癒力を有する。防具に衛魔術の力を込めれば防御力が
上昇することは、比較的容易に想像出来るだろう。一方で武器に衛魔術の力を込めると攻撃力が低下するのではないかとの懸念もあるだろうが、低下は
しない。力魔術と同様幽霊や精霊などにダメージを与えられるようになると共に、悪魔やゾンビなど暗黒属性や毒属性の魔物に極めて強力なダメージを
与えることが可能になる。これは力魔術を源泉とする場合にはない効力だ。
 悪魔崇拝者は崇拝する悪魔の力を自らの肉体で行使することで、攻撃・防御の両面を高めている。国軍が苦戦を強いられているのはそのためでも
あるのだが、衛魔術の力を防具に込めることで悪魔崇拝者の攻撃によるダメージを軽減出来るし、武器に込めることで悪魔崇拝者の高い防御力を突破
出来る。
 武器と防具に衛魔術の力を込めることは通常だと僧正以上の称号を持つ聖職者が数人がかりで行う必要があり、司教補のルイ1人では非常に難しい。
しかし、聖職者の魔力は術者の心の持ち様によって大きく変化する。瀕死のアレンをホークと顧問の凶刃からプロテクションで防御しきったように、本来なら
使えない魔法も使うことが可能だ。これも力魔術にはない、衛魔術の特徴の1つだ。

「魔力を込めるのには、私の力量では少なくとも丸1日はかかると思います。そこで、ドルフィンさんを介してお2人にご足労いただきました。」
「ご厚意に感謝します。」
「・・・ありがとう、と言っておくわ。」

 イアソンが丁重に礼を述べたのに対し、フィリアは複雑な気持ちで感謝を口にする。無理もない。恋敵に協力することは普通だと考え難いだろう。
この場合だと、力魔術が効力を増す魔力を込めるという残酷な策略すら想像するところだ。しかし、激しい迫害の中5歳から正規の聖職者として修行を始めた
ルイには、心情の対立を脇に置いて対立する相手に協力する心構えが容易に出来る。それくらいでなければ称号を上昇させられないのが聖職者の特質で
あり、聖職者の称号上昇が魔術師より遅いこともご理解いただけるだろう。これは聖職者として修練を積んだ故に可能なことで、人格の差ではない。
言い換えればフィリアが普通で、ルイが特殊なのだ。
 フィリアとイアソンは一旦各々の居室に戻り、フィリアはロッドと新たに入手したローブを、イアソンはロングソードとスプリント・メイルを持ってルイの居室に
戻る。ルイは2人からの武器防具の貸与を受け、幾何学的な文様の魔方陣を描いた羊皮紙を床に広げて、その中心に武器防具を置く。この時に備えて用意
しておいたのだろう。

「食事は当面不要との旨、厨房の方にお伝え願います。併せて、儀式終了まで入室なさいませんよう、皆様にご通知願います。」

 魔術師が武器に魔力を込める時と同様、儀式には高い集中力を要する。また、儀式を中断すると魔力が中途半端になり、効力が増すどころか装備すると
有害になる場合もある。だからこの間の食事は不可能だ。儀式終了まで一切干渉しないよう屋敷の人間に通知することの必要性は、フィリアにも分かる。

「分かりました。その旨、関係各位に通知いたします。」
「よろしくお願いします。」

 ルイは一礼する。儀式を行うには衛魔術の場合、魔力の質を合わせるために礼服に着替える必要がある。そうでなくても、一切干渉しないよう頼まれたの
だから退室するのが当然だ。
 イアソンはフィリアを促して改めて礼を述べ、静かに退室する。アレンを巡る熾烈な戦いの相手である自分に進んで協力するルイが未だ理解出来ない
フィリアは、頻りに首を傾げる。フィリアは建国の経緯もあって全般的に信仰心が薄いレクス王国出身だから、聖職者の心理が理解し難い。イアソンも理解
し難いが、非常に厳しいと聞いている聖職者の修行の賜物だと認識している。
 ルイは静まり返った部屋のカーテンを閉め、礼服に着替えた後、机に置いておいた水が入ったハーフボトルを武器防具の隣に置き、両膝を突いて両手を
組んで目を閉じ、呪文を唱え始める。複雑な発音の呪文が唱えられると、ルイの全身が淡い銀色に輝き始め、武器防具とハーフボトルが共振するように
淡い銀色で不規則な点滅を始める。武器防具に衛魔術の魔力を込める儀式は、ルイがそれまで進めていた聖水の作成にも適用出来る。この方が通常の
方法より強力な効力を込められる。
 ルイの孤独で厳粛な儀式は静かに幕を開けた。魔法使用の時とは性質が異なる魔力の集中が、賢者の石を填め込んでいる屋敷の者全てに感じられる。
それだけ強力で局所的な魔力の集中が起こっているということだ。
 フィリアとイアソンは、本館1階にある武術道場へ向かう。シェンデラルド王国への潜入が決まったから、より実践的なトレーニングを少しでも多く行っておく
必要があると思ってのことだ。武術道場にはアレンとクリスが居る。防御力の高い鎧を装備出来ないため持ち前の敏捷性でカバーする戦闘スタイルを確固
たるものにしたいアレンは、クリスが繰り出す連続攻撃をかわすことで敏捷性と併せて動体視力の向上を目指してトレーニングに励んでいる。クリスの攻撃は
かなり強力だから、攻撃がヒットしても負傷しないよう、革製の防具を頭と胴と両腕両足に装備している。クリスは攻撃の威力こそ抑えているものの、動きや
攻撃のスピードは抑えていない。
 クリスが休む間もなく次々と繰り出す突きや蹴りが、アレンの身体を何度も掠める。クリスは体力も高いから、長時間クリスの攻撃をかわすだけでも相当な
体力が要求される。アレンが克服すべき課題は多いが、ルイを護ると堅く決意しているアレンは、トレーニングに全力投球している。

「アレン、クリス。俺達も混ぜてもらうぞ。」
「おっ、イアソンとフィリアやないか。」

 クリスは攻撃の手を休める。アレンは緊張から解放されて溜息を吐き、流れる汗を拭う。

「さっきから、かなり強い魔力の集中を感じてるんだけど、何かあったのか?」
「ああ。ルイさんが俺とフィリアの武器と防具に衛魔術の力を込める儀式を始めた。終了まで部屋には入らないでくれと頼まれている。」
「ルイの称号で衛魔術の力を込めるんは本当やとかなりきついけど、ルイが本気になれば出来るやろな。どんくらい36)かかるて?」
「丸1日はかかるそうだ。儀式終了まで入室禁止。中断も不可だそうだ。」
「本格的やな。」

 クリスも聖職者が衛魔術の力を武器防具に込められることは知っている。しかしそれは高位の聖職者が複数で行うのが普通であり、将来性豊かとは言え
司教補のルイが単独で行うには相当の集中力と魔力を要する、だがルイの成長を間近で見てきたクリスは、修行を積んで来たルイなら集中力を高め、
衛魔術を使用する心構えを整えれば不可能を可能にすると確信出来る。

「ルイさんが衛魔術の力を込め始めたってことは、もう許可が下りたってこと?」
「ああ。予想外の早さだが、それだけ事態が切迫していることの裏返しと考えるのが自然だな。」
「出発は何時なんや?」
「詳細はまだだが、出来るだけ早期を考えている。ドルフィン殿からは魔水晶ももらったし、他に用意するのは食料くらいだしな。」
「んじゃ、仕上げにしっかりトレーニングしとこや37)。本番になってから後悔しても遅いでな。」

 口調こそ明るいが、事態を把握しているクリスの提言は至ってまともだ。
悪魔崇拝者と対峙してから「もっとトレーニングをしておけば良かった」などと後悔しても手遅れ。出発までの猶予は限られているし、情など期待する方が
無駄な悪魔崇拝者を相手にするのだから、心行くまでトレーニングをしておくつもりで武術道場に足を向けたのだ。

「武器はルイ嬢に預けてるから、木刀を使うか。」
「あたしはロッドやローブがなくても魔法は使えるから、気にしなくて良いわね。」

 フィリアは早くも臨戦態勢に入り、イアソンも壁にかけられている木刀を手に取って気合を入れる。悪魔崇拝者が攻撃防御共に強力だとは聞いているが、
実際遭遇したことはないから想像の域を出ない。失敗は生命の剥奪に直結するから、今までの諜報活動以上に集中して臨まなければならない。
フィリアとイアソンを加えて、トレーニングが再開される。何時も以上に気合が入ったトレーニングは、実戦さながらの白熱したものとなる・・・。
 翌日の夜。ルイの儀式は無事終了し、衛魔術の力が込められた武器防具に加えて聖水2本分がフィリアとイアソンに渡された。聖水は悪魔崇拝者は勿論、
悪魔崇拝者の力の源泉である悪魔にも効力を発揮すると説明された。試しに装備してみると、全身が何処か心地良く感じる不思議なものに覆われる気が
した。その感覚は衛魔術の力によるもので、悪魔崇拝者などには強固且つ近づき難いものとして感じられる、とルイが説明した。
 単独では甚大な負担となる儀式を終えた後だけにルイには疲労の色が濃かった。それでも本来僧正以上の聖職者が数人がかりで行う儀式を司教補
単独で完遂して尚意識を保っていられるのだから、ルイの聖職者としての高い資質が窺える。
 ルイの儀式の間フィリアとイアソンは手をこまねいていてわけではない。トレーニングの傍ら、長期保存が可能な食料の手配に加え、イアソンはゲリラ戦で
用いる小型爆弾を多数作成しておいた。悪魔崇拝者に効力を発揮するかどうかは未知数だが、ないよりはましと思って作成したものだ。対象が悪魔崇拝者
だから説得や交渉など不可能だから、完全に吹き飛ばすことに躊躇する必要はない。躊躇したら「死」が待っている。そのため、威力は通常より大幅に強化
してある。

 フィリアとイアソンは「膳は急げ」と明朝の出発を決め、それを受けて盛大な壮行会が催された。フィリアとイアソンを主賓とした壮行会にはクリスとルイを
含めたパーティーの面々全員の他、ロムノをはじめとするリルバン家執事全員と当主フォンが出席して、代表してドルフィン、ロムノ、そしてフォンが激励の
挨拶を述べた。
 フォンからは一等貴族当主全員と国軍幹部会を通して、越境許可証を提示すれば途中の宿泊や必要品の購入などは一切無料とするよう手配したと説明が
なされた。それだけ一等貴族当主や国軍幹部会の期待が大きいということであり、外国人だから犠牲になっても代わりが居ると安易な考えではないし、そう
考えては居られないほど事態が切迫しているということでもある。
 壮行会終了後、フィリアはアレンを屋上に、イアソンはリーナを2階のテラスにそれぞれ誘った。アレンは長年幼馴染として身近に居たフィリアが初めて自分と
本格的な別行動を執るということで、フィリアの誘いに応じた。ルイを見ると、「信じてます」と言うように微笑んで小さく頷き、フィリアに手を引っ張られていく
アレンを見送った。普通なら素っ気無く誘いを門前払いするリーナも、「生か死か」を逐次問われる厳しい任務に臨むイアソンの心境を理解してか、珍しく
誘いに応じた。

「アレンと別行動執るのって、これが2回目だよね。」

 屋上に出たフィリアは、夜空を見上げながら言う。アレンは、自分に背を向けているフィリアが不安を懸命に押し殺しているような気がする。

「あたしの魔法がどれだけ通用するか分からないし、悪魔崇拝者って見たこともないからどんなもんかも分からない。考えるときりがない。」
「・・・。」
「だから・・・、今度のことは考えないようにしてる。それより、バッチリ成果出して帰って来ることだけ考えてる。」

 シェンデラルド王国への潜入を間近に控えて、フィリアの不安は尽きない。
Enchanterまで称号を上昇させたが、その魔力が悪魔崇拝者に何処まで通用するかはまったくの未知数だ。悪魔崇拝者は悪魔の力を利用しているようで、
実際は悪魔の駒として動かされているに過ぎない。親玉の悪魔の階級次第では、手持ちの魔法が通じない可能性もある。
 悪魔崇拝者にはフィリアが得意とする火系や雷系が有効だとドルフィンやシーナから聞いている。ルイからは通常のものより強力だという聖水を供与された。
力魔術が聞かなければ聖水を投げつける。チャンスは1回だけだが、浄化系魔術を非常に苦手とする悪魔崇拝者や悪魔には極めて有効な手段だ。
イアソンからは小型爆弾を提供されている。フィリアは不安を懸命に押し潰し、持てる力を全て発揮して「生か死か」を決する戦いに臨む決意を固めている。

「ねえ、アレン。」

 少しの沈黙の後、くるっと振り向いたフィリアが尋ねる。

「ルイから告白された?」
「あ、いや・・・。まだ・・・。」

 フィリアが牽制を続けた甲斐あってか、アレンもルイも互いの気持ちを告白出来ずに居る。「可愛い」ともてはやされることはあっても、意外にも告白された
ことはない−村ではフィリアを含む女性同士が牽制し合っていたのもある−アレンは、恋愛に関してはかなり不得手だ。ルイとの約束ではルイから告白を
受けることになっているから、それに甘んじているような側面もある。
 一方のルイは告白するシチュエーションを決めているのか、フィリアが牽制する日中や邸宅が寝静まる深夜は勿論、フィリアが弱い早朝などアレンが
無防備になる時間帯にも行動を起こさないで居る。

「じゃあ、言っておくね。・・・アレン。」
「あ、はい。」

 フィリアが真剣な表情で一気ににじり寄ったことで、アレンは思わずかしこまる。

「ルイの誘惑に屈しちゃ駄目よ?アレンのお嫁さんはあたしって決まってるんだから。」
「・・・誰が決めたんだ?」
「あたし。」

 フィリアは即答すると、アレンの両肩に手をかけ、少し背伸びしてアレンにキスをする。突然のことにアレンは目を大きく見開いて固まってしまう。
固まったアレンを他所に、フィリアはレクス王国でのリーナ救出劇後にした時よりアレンの唇の隙間を自分の唇で埋めるような深いキスをする。舌を差し込ま
ないだけまだ良心があると言うべきだろうか。
 存分にアレンの唇を堪能したフィリアは、仕掛けた時とは逆に余韻を残すようにゆっくり唇を離す。前より深いキスに満足したらしく、上目遣いで妖艶な
微笑を浮かべながら少し浮かせていた踵を下ろし、消え行く感触を残さず味わうためか最後に唇を軽く一舐めする。

「帰って来たら、続きしようね。」

 とどめにアレンの耳元で甘く囁き、フィリアは小走りで屋上を後にする。不意打ちで前回より長く深いものだったせいか、アレンは1人固まったままだ。
部屋に戻るフィリアの顔は自然とにやける。何かとルイに押され気味だっただけに、アレンに自分の強烈な印象を植え付けたと確信している様子だ。
 部屋に入ったフィリアは勢い良くベッドに飛び込み、枕を抱いてうつ伏せになり、アレンとのキスの思い起こしては足をバタつかせるなど1人悦に浸る。
フィリアは不安で眠れないことはないだろう。眠れないとすれば、薄いピンク色に染まった高揚感が収まらないためだろう・・・。
 テラスに出たイアソンは、ようやくリーナが誘いに応じたことに高揚感より緊張感の方が大きい。
何せリーナは以前より丸くなってきているとは言え、感情の起伏に乏しい。変化があるのは怒りや敵意が生じた時が殆どだから分かりやすいと言えば分かり
やすい面もあるが、それ以外の感情は分かりかねる。2人きりというシチュエーションに便乗して愛の囁きなどしようものなら平手打ちを食らう羽目になるが、
重い話は愚痴めいたものになりやすいから、これもリーナの機嫌を損ねかねない。何から話をすれば良いか頭が痛いところだ。

「星空の下、今生(こんじょう)の別れをあたしに言うわけ?」

 突き放した物言いは相変わらずだ。これしきでめげるようでは、リーナへのアプローチを続けられない。

「そうなっても不思議じゃないな。相手はそこいらの魔物より強いらしい悪魔崇拝者だし。」
「死ぬつもり?」
「死ぬつもりはない。だが、死ぬことは想定してる。諜報活動ってのは常に死と隣り合わせだからな。」
「生と死の瀬戸際に揺れる自分に酔ってるわね、あんた。」
「そうかもしれない。慣れってもんは恐ろしいもんだ。」

 「赤い狼」で反政府諜報活動の最前線に立ち続け、素性を隠してリルバン家で諜報活動を遂行したイアソンは、諜報活動の高い危険性を嫌と言うほど把握
している。レクス王国での反政府活動でも、質でも量でも圧倒的な国軍に圧されて仲間や部下が死亡したこともあったし、イアソン自身幾度も死の危機に
直面した経験を持つ。
 今回シェンデラルド王国に潜入するのは「世界を巡って見聞を広める」というパーティー加入の目的には広義で含まれるが、必須ではない。わざわざ危険を
冒して潜入して国情を把握しなくても、事実上無期限の滞在を許可されているリルバン家に留まり、情報収集を行う方がはるかに安全だ。しかし、世界各地に
陰謀や策略の網を張り巡らせ、その根幹には「大戦」と称される古代文明の存在が見え隠れしている。
 アレンの剣の所有権を主張するザギが、生物改造に執心していたというゴルクスと共に本来の目的から逸脱する行動を執る背景にも、やはり古代文明の
存在が垣間見える。現在とは比較にならない高度な水準を誇った古代文明が滅んだのは、奇しくもその文明が生み出した大量破壊兵器がその一端を担った
らしい。
 権力なる麻薬に手を出したものは、より強力な麻薬を求めるのが世の常だ。絶大な破壊力を持つ武器をはじめとする軍事力は保身の必須事項であることも
世の常だ。アメリカが国連憲章で許されない先制攻撃をちらつかせて他国の核技術開発を抑圧する一方で、自国は地球を何度も滅亡に追い込めるほどの
核兵器の所有に固執し続けることも、「世界の憲兵」「世界一の超大国」を自称する自国の権益を保持するためだ。古代文明を壊滅させる一翼を担った大量
破壊兵器がガルシア率いるクルーシァ制圧勢力の手に渡れば、世界は存亡の危機に瀕する。
 世界を巡って見聞を広めることも、世界が存在してこそ可能なこと。しかも、リルバン家の人間関係に深刻な影を落としている宗教問題や民族問題が関係
する隣国に、ガルシア一派のザギが潜伏している可能性が高いと目される。ザギが、ひいてはガルシア一派の動きが侵略という形で表面化する前に抑止する
には、あえて危険に踏み込む必要がある。

「暫くリーナに会えなくなることには変わりない。だから、その麗しい姿を瞼の裏に焼き付けておこうかと思ってね。」
「そういう歯の浮く口説き文句が、良く次から次へと出て来るわね。」
「話術も諜報活動の必須事項だからな。職業病みたいなもんだ。」
「威張れるもんじゃないし、あたしには通用しないってことは学習出来ないみたいね。」
「はは・・・。」

 リーナの鋭い批判に、イアソンは笑って誤魔化す。表情を変えずに淡々と、しかし容赦なく相手を言葉で打ちのめすのはリーナの特徴だ。

「十分見た?」
「もっと見ていたい。出来れば・・・」
「朝まで、なんて言うなら、実験室にある溶剤ぶっかけるわよ。」
「そ、それは勘弁。」

 薬剤の合成実験では、強力な分解・剥離作用を持つ溶剤を使用して使用した器具を洗浄することがある。その溶剤は人間の肌にかけると重度の皮膚
侵食を起こすし、飲めば量次第で死に至る。当然扱いには慎重を期して肘まである専用の手袋を使用する。そんな溶剤をかけられては、ひとたまりもない。

「じゃ、あたしは実験の続きがあるから。」
「おやすみ。」

 自分から対談の打ち切りを宣言してテラスを後にするリーナを、イアソンは止めることなく見送る。ポニーテールにしたトレードマークの長い黒髪が、月光を
受けて星のような煌きを発する。この髪を当分見られなくなる、場合によっては二度と見られなくなる。イアソンは最後の最後までリーナを見つめ続ける。

「あ、そうそう。一言忘れてた。」

 ドアを開けたところで、リーナが振り返る。

「この前のレアチーズケーキ、美味しかった。」

 イアソンがクリスの協力を得て選定してプレゼントしたレアチーズケーキの率直な感想は、イアソンの心を高揚させるには十分だ。
プレゼントした時もリーナは表情を変えなかったし、「後で食べる」と言っただけだった。その後の行方など尋ねていないから、気に入らずに誰かに譲られるか
捨てられるかもイアソンは想定していた。プレゼントされておきながら譲るならまだしも捨てるのはあまりに失礼だが、それに立腹したり落胆したりするよう
では、リーナへのアプローチは続けられない。ほぼ諦めていたところに率直な感想を直接伝えられただけで、イアソンは十分嬉しいし、必ず生還して再び
あのレアチーズケーキをプレゼントしようと決意出来る。
 それだけ言ってさっさと出て行くリーナを見送ったイアソンは、ドアが閉じられた後小さくガッツポーズをする。死の危険が絶えず付き纏う諜報活動に
怯む余地は、今のイアソンにはなさそうだ。

死と常に隣り合わせとなる危険極まりない任務に臨むフィリアとイアソンは、かなり似た者同士のようだ・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

34)押捺:この世界では印鑑の使用は少数派で、サインが主流。ランディブルド王国での押捺は、公式文書の発行を国軍の幹部や役所の高官が許可・認可
する場合に限定される。


35)武器に魔力を込めることで・・・:詳細は「設定資料集 魔物編」の「はじめに」を参照していただきたい。

36)どんくらい:「どのくらい」と同じ。方言の1つ。

37)しとこや:「しておこう」と同じ。方言の1つ。

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