Saint Guardians

Scene 9 Act 2-4 深淵-Abyss- 繋がる呪縛の打開に向けて

written by Moonstone

 ルイがランディブルド王国国王ルベルスト3世と謁見した日の夕刻。同じ謁見の間でルイがフォンに置き換わって謁見が行われた。ルイの謁見の結果を重く
見たルベルスト3世が急遽使者を派遣し、フォンに謁見するよう命じたのだ。
ウェルダを着用したフォンは国王の前で跪き、神妙な表情で国王と向き合う。ルイの謁見直後に国王からの使者から謁見の命令が伝達されたのだ。ルイの
謁見が不調に終わったことはフォンの想像に難くない。

「フォンよ・・・。そなたなら先に行われたルイとの謁見の結果は、私が言わずとも分かるであろう。」
「はい・・・。」

 ルベルスト3世の確認を肯定したフォンの表情は、当然と言おうか重い。
フォン自身、ルイのルベルスト3世との謁見でルイが多少なりとも態度を軟化させることを期待していた。ルイに少しでも疚しいところは持ちたくないとの思い
から、直接間接問わずルベルスト3世にルイを説得するよう根回しを行っていない。ルベルスト3世もフォンやその腹心ロムノからルイの説得を依頼されて
いない。あくまで若くして一村の中央教会祭祀部長という要職に就き、村の評議委員会委員の職も担当しているルイの叩き上げの経歴は、教会との密接且つ
良好な関係確保出来るという観点からも次期リルバン家当主に相応しいと考えてのことだ。
 慢心とそれに伴う怠惰が目に余り、他の一等貴族当主の間での評判も最悪だったホークに対し、リルバン家当主就任直後から穏健派の代表格として王国
議会での論戦をリードし、議会提案に先駆けて独自に実施出来る範囲の対策29)を素早く実行に移すフォンに、一等貴族当主や教会輩出の王国議会議員は
非常に高い評価を与えている。ホークの質があまりにも悪かったためフォンの評価が相対的に高まっている面もあるが、文字どおりの実力者であるフォンの
後継は、それなりの人物でないと務まらない。
フォンが今後正室も側室も迎えるつもりはまったくない以上、唯一の後継候補であるルイが態度を変えなければ、何れ一等貴族一家系存亡の危機が
不可避となる。

「これからルイはどうするつもりか、知っておるか?」
「ルイをヘブル村から護衛したキャリエール中佐の令嬢と、キャリエール中佐の令嬢と共にオーディション本選開催までの期間ルイの身辺警備を担当した
面々と併せて、必要な期間リルバン家邸宅に滞在させておりますが、ルイの心境は分かりかねております。」
「一先ず、すぐさまヘブル村に帰還することはないであろう。しかし、先は読めぬな・・・。」

 リルバン家における親子間の確執が先代の時代から続いていることは、国王であるルベルスト3世も知るところだ。
先代とフォンの確執で最も危惧されたことは、一等貴族当主の器ではないことが明らかなホークがリルバン家次期当主に就任することだった。先代が次期
当主を指名しないまま急逝したことで危惧された事態は回避され、次期当主に相応しいと目されていたフォンの就任という望ましい結果へと繋がった。
しかし、先代とフォンの確執が形を変えて引き継がれ、前回より深刻な事態を迎える危険性をも孕んでいる。国王として到底看過出来ない。しかし、国王と
言えど一等貴族の継承問題には干渉は許されない。事態を打開する術は国王もフォンも持ち合わせていない。

「申し訳ございません、陛下・・・。」
「ルイの出生が不遇になったことは、先代の時代ではやむを得なかったそなたの判断故だ。そなたが気に病むことはない。」

 ルベルスト3世がルイの出自を知っているのは、先の臨時建議会の席上でフォンが供述したためだ。
ルイがフォンとローズの間に生まれたフォンの唯一の直系で、ルイがリルバン家に迎え入れられることを手段を問わずに阻止すべくホークが動いたことで、
シルバーカーニバルの目玉イベントでもあるシルバーローズ・オーディション本選が中止となった。臨時建議会は二等三等貴族の強硬派王国議会議員が
フォンの辞任を求める弾劾決議を提出したのを受けて行われたから、オーディションの中央実行委員長でもあったフォンが、前代未聞の事態を招く原因に
ついて供述するのは当然だ。
 実子も居なければ正室も側室も娶らなかったフォンに実子が居たこと、実子ルイがフォンとかつてリルバン家で働いていたメイドとの間に生まれた子どもで
あることは、ルイが私生児であることと併せて一等貴族当主を驚愕させた。しかし、次期リルバン家当主就任を既定路線として疑わず、傲慢の限りを尽くす
一方で怠惰と慢心に拍車がかかったホークが次期リルバン家当主に就任するより、15歳にして司教補昇格・ヘブル村中央教会祭祀部長就任を果たし、
全国の教会からの異動要請が尽きることがない稀に見る若手聖職者であるルイの方が、一等貴族当主として遜色ない働きを十分期待出来る。
一等貴族当主全員はそのような認識で一致したし、地方では非常に少ない10代での教会幹部職経験者であるルイの才覚を更に伸ばし、王国議会議員
ひいては国の中央教会総長候補としたい教会幹部は、フォンの辞任に伴いルイの「進路」が早々と次期リルバン家当主就任に確定してしまうことを避ける
ため、弾劾決議に猛反対した結果、弾劾決議はフォンを除く全会一致で却下された。
 魔術師と同じく聖職者は称号によって実力に格差が生じる。称号を決定するのは個人の魔力であり、聖職者の場合は魔法の使用経験だけでなく、慈愛や
庇護といった継続を要する平穏な感情の度合いによって大きく左右される。リーナの表現を借りれば、「称号は個人の資質を表す絶対的客観条件」であり、
年齢が若かろうが少数民族の出身だろうが私生児だろうが司教補は司祭長などより上であることは間違いない。
 一等貴族当主や後継候補は漏れなくキャミール教の精神を学ぶが、正規非正規問わず聖職者の職務に就いた経験を有する者は居ない。その点からも
ルイは貴重な存在だ。現役の教会幹部職であり、全国の教会関係者から将来を渇望されているルイが次期リルバン家当主に就任することそのものに反対
する一等貴族当主や教会幹部は居ない。異なるのは望ましい就任時期だけだ。

「総長殿に期待する他ない、か・・・。」
「総長殿に私が招いた後継問題を委ねるのは申し訳ないことですが、私には何も出来ません故・・・。」
「とりあえず、ルイの安全には万全を期してもらいたい。」
「承知いたしました。」

 フォンは深々と一礼する。
ホークは一等貴族直系の1人なる身分が齎す強欲と次期当主就任への野望に溺れ、ナイキは傲慢故にルイの存在を許さず、結果的に自滅した。
リルバン家の血統を受け継ぐのはフォンとルイの親子だけ。ルイの安全を保障することは、今後正室も側室も娶らない決意をルイに示すことと併せてフォンの
至上命題だ。
 愛し合ったローズと共にルイを苛烈極まりない境遇を齎し、ローズがフォンとの再会の願いが叶わずに逝ったことでルイを深く傷つけた。ルイへの謝罪は
言葉だけでは決して賄えない。自分が愛したのはローズだけであり、自分の子どもはルイだけであることを示し続けることがフォンに要求される。
 フォンは当時メイドだったローズと愛し合ったことを過ちだったとは思っていない。だが、愛し合う時期を誤ったことは確かだ。その誤りが親子関係の深い
断絶という深刻な事態を招いてしまった。先代から続く人間関係の負の連鎖が断ち切れる見通しは立たないままだ・・・。
 同じ頃、イアソンはロムノと面会していた。
ルイの謁見が不調に終わったとの知らせを聞いたイアソンは、フォンとルイの深刻な断絶を生む要因となった先代とフォンの確執が発生した謎に打開の
道筋が隠されていないかと推測し、ロムノに面会を申し出て受理された。角度は異なれどフォンとルイの親子関係修復を望んでいるのはイアソンもロムノも
同じだ。
 互いに力量を認め合う間柄であるイアソンは、アレンとは別の角度からルイの態度を軟化させる術を探り続けているし、ロムノもイアソンの意向を察して
いるからイアソンへの協力を惜しまない。

「ロムノ様。リルバン家の事情に部外者である私が深入りするのは好ましくないことは重々承知しております。ですが、人間関係は縦にも横にも関連して生じる
もの。リルバン家の過去の事情を知ることで、リルバン家における人間関係の負の連鎖を断ち切る方策を見出せるのではないかと考えております。」
「同感です。リルバン家にお仕えする私では行動に制約が生じます。イアソン殿の手腕には期待しております。」
「ありがとうございます。」

 ロムノの好評に感謝したイアソンは本題に入る。

「私は先ほど、人間関係の発生について縦と横という表現を用いました。これは同じ時間に生きているために生じる人間関係を横とするなら、親子や上司部下
など血統や組織−伝統を引き継ぐこの国の一等貴族の家系も組織と言えますが、そこで生じる人間関係を縦となぞらえたためです。」
「言いえて妙ですな。」
「ありがとうございます。そこで私は、リルバン家の縦の人間関係に確執が生じた先代の時代に焦点を当てようと考えました。」

 イアソンは一呼吸置く。

「ロムノ様の許可を得て書庫を閲覧させていただきましたところ、リルバン家は先代より前まで穏健派に属する発言や行動を行っていたことが分かりました。」

 イアソンの口から驚くべき調査結果が飛び出す。
先代が強硬派で名を轟かせたくらいだからリルバン家は先祖代々、そこまではいかなくとも数代前まで強硬派に属していたと考えやすい。ところが蓋を
開けてみたらそれとは逆で、先代の時代で急転換したことが判明した。
 イアソンが驚くと同時に、「縦」と称した当主継承をはじめとするリルバン家の歴史に疑問を抱き、事態打開の糸口を探るために先代の時代に筆頭執事に
昇格した、言わば「リルバン家の生き証人」のロムノに面会を申し出たのだ。

「先代の時代に何があったのでしょうか?」
「・・・先に、この件については絶対に口外しないとお約束願いたい。」

 ロムノの表情が一挙に険しく、重いものとなる。何か重大なことがあったと察するに十分だ。

「元より承知でございます。私情を無闇に口外しないことは諜報活動において重要事項であると認識しております。」
「・・・では、お話いたします。」

 イアソンの誓約を信じたロムノは、何時になく重く険しい表情のまま重い口を開く。

「先代の父君が、唯一娶られた奥様に裏切られたのです。・・・先代の父君の実弟、すなわち先代の叔父との不貞という形で。」

 声量を絞ってのロムノの回答は、衝撃的なものだ。

「そして・・・、先代の父君の奥様はバライ族の人間だったのです。」
「!!」

 更に明かされる事実は、より衝撃を強める。
唯一娶った妻が不貞を働いた、しかもその妻がバライ族だったとなれば、先先代の実子である先代がバライ族を憎悪・敵視するようになったのは無理もない。

「先代の父君がそのことを知ったのは、先代が20歳を迎えられた頃でした。私はそれより先、先代の顧問として採用していただいておりました。まだ若輩者
でしたため、諸先輩方の教えを受けながら職務をこなす見習い同様の身分ではありましたが、先代は私を厚遇してくださいました。」
「・・・。」
「先代にはご兄弟が3名居られました。先代がご長男で、その下に長女である妹君、そして次男と三男である弟君2人が居られました。・・・先代を除くご兄弟
3名は、何れも先代の叔父−先代の父君には弟君がお2人居られたのですがそのお子様で、先代の父君の奥様はその何れもと不貞を働いていたのです。」

 明かされた事実の衝撃は、イアソンから一切の発言を奪い去るほど強烈だ。
唯一娶った妻が不貞を働いただけでも重大だが、2人居た自身の弟2人と関係を持ち、しかも先代から見て弟や妹が生まれていたというのだから、その事実を
知った時の先先代の衝撃は想像を絶するものだったに違いない。

「事実を知った先代の父君は深刻な精神的打撃を受けられたのでしょう。病の床に伏せられ、半月も経たずして逝去されました。当時先代の父君はまだ次期
リルバン家当主を指名しておらず、先代は母上である先代の父君の奥様と自身のご兄弟と良好な関係を築いておられました。しかし、先代が失意のうちに
逝去されたことで、父君の最期を看取られ、法律に従って国王陛下のご指名を受けてリルバン家当主に就任された先代は、父君の葬儀が終わった直後に
母上であられた先代の奥様と、先代の奥様と不貞を働いた先代の父君の弟君お2人、そして先代のご兄弟を全員、公開処刑に処すよう命令されました。」
「・・・。」
「泣きながら必死に許しを請われる母上と叔父上とご兄弟を、先代は憤怒と憎悪溢れる表情で『教書』の逆読(「ぎゃくどく」と読む)39)をなさって冷徹に見続けて
おられました。処刑が終了するまで、ずっと・・・。私は先代のお供で処刑の場に立ち会ったのですが、先代のあの表情は今尚忘れることが出来ません・・・。」

 当時を思い出したのか、ロムノは重い表情で溜息を吐く。
イアソンは妻に裏切られた先先代と、唯一先代と母との間に生まれた実子である先代の心境を想像すると、胸が強く痛む。実の兄弟と信じて疑わなかった
弟と妹が異父兄弟だった、しかも母が叔父2人と不貞を働いた結果であることを知った先代は、愛情の反動から不貞に関係したリルバン家の人間を根こそぎ
粛清するという荒療治に打って出て、以降バライ族を敵視・憎悪して強硬派の筆頭格に躍り出たと容易に想像出来る。
 また、妻の不貞を知って病床に伏して程なく逝去した先代が非常に一途な性格であったことや、不貞を働いた本人である母と叔父は兎も角それまで仲が
良かったという弟や妹まで容赦なく公開処刑にしたことから、愛情や信頼を反故にされた先代の怒りの程が窺える。

 浮気や二股などの不貞行為は、行う当人にはさほど罪悪感がない一方で、浮気や二股をされた側は以降の男女関係や恋愛の見方を一挙に180度転換
させる重大な精神的ショックを受けることが多い。それまで両想いになっての恋愛関係の経験がない場合はショックがより大きくなりやすい。「ようやく
両想いになれた」との安堵感や幸福感に満たされた風呂桶に浸っていたところを、いきなり風呂桶ごとひっくり返されるようなものだからだ。
 信頼や愛情を裏切られたショックによる心の傷が容易に癒えないことで、以降異性に対して強い不信感を抱くようになったり、恋愛は全てまやかしや虚構で
あるとの極論に達して異性に攻撃的になることもある。そうなる事例は女性より男性に多く見られる傾向がある。女性は自身が妊娠・出産することで
「自分の子ども」と強く実感する機会があるが、男性は極端な話DNAを調査しない限り自分の子どもが本当に自分の子どもかどうか確証が持てないことや、
恋愛において総じて女性が優位に立ちやすい思春期に何度もふられたりメディアの女尊男卑的な煽動を真に受けたりすることで、男女関係や恋愛に
ネガティブな印象を植え付けられることが原因と考えられる。
 戦前の日本において不貞行為が姦通罪として厳重な処罰の対象とされた。現代日本では翻って女性の都合の良いところを摘み食いしたフェミニズムなる
女尊男卑思考−以降「似非フェミニズム」と称する−が浸透し、20代後半以降の未婚男性の間で恋愛や結婚、果ては女性全般に対する嫌悪感や拒否感が
広まっている。似非フェミニズムの元に蔓延る援助交際なる若年層の売春や不倫、その結果離婚となっても女性がほぼ100%子どもの親権を得て養育費を
強制的に徴収するシステムが整いつつあること、果ては熟年離婚で夫が長年支払ってきた厚生年金を強制的に半額徴収出来るシステムが構築されるなど、
恋愛や結婚並びにその後の生活において男性が一方的に不利益を被る現状や、自分の子どもが本当に自分の子どもではないと思わせるに十分な事例を
多数見聞きすれば当然だ。
 似非フェミニズムの扇動者であり恋愛や結婚で多大な利益を上げるメディアやブライダル関連企業や広告代理店にとって不利益となり、似非フェミニズムに
よって男性が料理や洗濯・掃除など生活技術を向上させる一方で、「男女平等だから家事分担は当然」と甘んじて生活技術を低下させている女性にとっても
不利益となっているのは皮肉な話だが、自業自得でもある。

「そのような事情があっては、先代が名立たる強硬派に変貌したのは理解出来ますね・・・。」

 唯一娶った妻に裏切られたショックで失意のうちに逝去した父の後を継いだ先代が、父を裏切った母が属するバライ族全般を強く敵視・憎悪するように
なったことは容易に想像出来るし、フォンの傍系すなわちフォンの親戚筋が1人も居ないこと、フォンがバライ族の1人であるローズと関係を持ったことを
知った先代が離別を命令するなどしたことの謎は解けた。先代がフォンとローズを離別させようとしたのは、「父の二の舞にはなるまい」「息子に父と同じ轍を
踏ませたくない」という、先代の父親としての愛情の表れだったのだ。
 しかし、確執があったフォンに過去の事例を伝えるのは困難だし、確執がある下でそんな話をされても、ローズと離別させるためのでっち上げと受け取られる
のが関の山だろう。1つの裏切りが後世に深刻な影響を及ぼしているリルバン家の現状。これを打開するのは非常に困難だが、打開しないことには何れは
リルバン家存亡の危機に陥る。人間は何時死ぬか分からないし、フォンが今後正室も側室も娶るつもりがない以上、フォンへの怒りや不信感で凝り固まった
ルイの心を解さない限り事態の打開は不可能だ。

「やはり・・・アレンの力を頼るしかなさそうですね・・・。」
「私もそう思います。フォン様の下で働かせていただいている私では、説得力を持ち合わせておりませんし・・・。」

 事態打開の方針は一致したものの、イアソンとロムノの表情は芳しくない。
アレンとルイの心理的距離と、ルイから先んじてルイの立場からのローズのリルバン家脱出事情を聞いたアレンの心情を考えると、アレンをルイ説得に
向かわせるのはこれまた容易ではない。しかし、ルイがそれまで親友のクリスにも明かさなかった自分の過去を明かした相手であるアレンに頼るしかないのも
事実。混迷の只中にあるリルバン家の人間関係に光明を見出せる見通しは、知略に長けたイアソンとロムノにも見出せない・・・。
 翌日。アレン達パーティーの大半はリルバン家邸宅から初めて外に出た。この日は自身の強化のためトレーニングに励むアレンとイアソンとクリス、そして
アレンと過ごす時間を増やすと共にルイの接近を阻むために参入しているフィリアも終日休みとなって外に繰り出している。
 前述した内容と重複するが、トレーニングでは継続は勿論重要だが適度な休息も必要だ。日頃のトレーニングの後に休息をとっても、特に始めて間もない
頃は筋肉が十分順応していないため、疲労が蓄積しやすい。無理にトレーニングを続けると筋肉の動きが伴わず、怪我の原因となる。強化を目的に
トレーニングを行っても怪我をしてはその分治癒に余計な時間を費やすし、結果としてその間トレーニングが十分出来なくなる。悪循環の1つだが、軍隊式の
精神鍛錬をスポーツの現場に持ち込んだ日本のスポーツ界ではなかなか抜本的な改革が行われず、しばしば選手の故障や選手生命の終焉、最悪の
場合は選手の生命そのものの喪失を招く事態となっている。逆境でも諦めないなど精神面の強化は無論必要だが、「しごき」に代表される非科学的な訓練は
逆効果である。

 ドルフィンとシーナは共に海釣りに出かけた。フィルの町は港町でもあるから、防波堤や埠頭や岸壁は多数存在する。薄曇なのもあって−釣りでは晴天より
曇りや雨などの方が良い−釣りには好条件だ。釣りを趣味とするドルフィンは竿など釣り道具一式を持ち、シーナは釣り上げられた魚を捌いて食すための
包丁や俎板、食器を持参して、ベテランの使用人や港湾労働者に教えられた釣りのポイントへ向かう。埠頭の一角に腰を下ろして釣竿を持って悠然と浮きの
具合を眺めるドルフィンとその隣に腰を下ろして穏やかな海を眺めるシーナは、力の聖地クルーシァでセイント・ガーディアンの下で訓練や修行を重ねて
超一流の戦闘力を獲得した魔道剣士やWizardには見えない。
 リーナ以外の面々はクリスが案内役となってシルバーカーニバル開催中の街中に繰り出す。父ヴィクトスの出張に同行して何度かフィルの町を訪れた
経験があるクリスは、持ち前の快活で気さくな面を存分に発揮して面々を案内する。方言丸出しの案内は多少周囲から浮いて見えるが、クリスの底抜けの
明るさはフォンとルイの断絶や修復の動きに晒されてストレスが蓄積していた面々の心を解すには好都合だ。フィルの町に繰り出すことを餌にリーナを
デートに誘ったものの今回も冷たく一蹴されたイアソンも気を取り直し、情報収集の過程で把握したフィルの町をクリスの補佐役で案内しながら廻る。
 活気と賑わいが溢れる通りは、見ても良し食べても良しだ。彼方此方で開催されている演劇は涙あり笑いありと様々で、高名な銀細工職人が手がけた
銀細工の品がずらりと陳列されている様は圧巻だ。大都市だけあって食品の種類も豊富で、大食らいのクリスには特にありがたい。

「これ、美味いで。食うてみいな31)。」

 クリスは食品店で売られていたカンマ32)を差し出す。初めて見る食品にクリス以外の面々は多少手を出しあぐむが、覚悟を決めて口に運ぶとサクサクした
歯切れの良い食感に続いてチーズを主体にした中身のとろけ具合が出来たての熱さを交えて、絶妙なハーモニーを奏でる。

「あ、これは美味いな。」
「うん、美味しい美味しい。」

 先に食べたイアソンと少し遅れて食べたアレンが揃って味に太鼓判を押したことで、フィリアとルイも続いて食して美味さに共感する。
クリスは大食らいだが、舌がなかなか肥えているから食品の品評は確かなものだ。次に面々が赴いたのは菓子店。ケーキやクッキーなどが豊富に陳列されて
いて、店内には客席が多数あって買ったら即食べられる利便性も好評の店だとクリスは紹介する。イアソンは早速リーナへのプレゼントを兼ねた土産とする
ケーキを物色する。
 イアソンの誘いを一蹴したリーナは、リルバン家邸宅の自室で本を読み耽っている。そのリーナの好物はケーキとチョコレートであるとドルフィンから
情報を入手したイアソンは、表現は悪くなるが食べ物で釣ることでリーナの懐柔に踏み出そうと目論んでいる。知略に長けるイアソンも、リーナの鉄壁に
風穴を開けるのは非常に困難だ。好物を供与することで気を引くのはオーソドックスではあるが有効な手段であることには違いない。「好物を同時に食べる
のは好かない」との理由でチョコレートケーキは敬遠すると言うし、種類は豊富だから選定には時間がかかる。

「どれが良いかな・・・。」
「あたしはどれでもええで。」
「クリスにプレゼントするんじゃない。」
「ケチ臭いこと言うたら駄目やて。可憐な乙女の意見を参考にせえへん手はあらへんで。」
「何が『可憐な乙女』だ。毎晩酒飲みまくってるくせに。」
「あたしにとって、酒は水と同じや。飲まな生きてけへん33)。」

 軽快なやり取りをするイアソンとクリスは、傍目から見れば十分仲の良いカップルとして映る。性格が重なり合う部分が多いイアソンとクリスはすっかり意気
投合した飲み友達で好感を抱いているが、恋愛感情には至らない。イアソンは毎回あっさりそっぽを向かれてもへこたれることなくリーナへのアプローチを
続けているし、クリスはドルフィンのような筋骨隆々の男性を打ち負かすことに執念を燃やしているから、相互に恋愛感情が芽生える余地がない。事実、
ケーキを選ぶイアソンにクリスがリーナの性格を踏まえた反応を想定して品選びに協力している。
 その間アレンとフィリアとルイは連れ立ってケーキを選ぶ。今までケーキを食した経験があまりない3人は目移りしてしまうが、アレンはチーズケーキ、
フィリアはサルシアのショートケーキ、ルイはモンブランを選び、代金を支払って6人用のテーブルに着席し、イアソンとクリスを待つ。
 暫くしてリーナへの土産にレアチーズケーキを選定したイアソンは、レアチーズケーキを収めた保冷箱と自分が食べるサルシアパイ、クリスはシュー
クリームを運んで来る。全員揃ったところで食し始める。どのケーキも絶品で、店内が特に女性客で賑わっているのも納得出来る。

「良い店だね。」
「そうやろ?あたしがこの町に来た時には必ず此処に来るんよ。」

 クリスはこの店内で第一声を発したアレンに説明する。
好き嫌いなく何でも食べるクリスは菓子類もよく食べる。クリスは運動量が多い、つまりカロリーを大量消費するから、大量の飲食で取り込むカロリーを無駄なく
消費出来るから脂肪の蓄積を気にする必要はない。
 ケーキをはじめとする菓子類は総じて分量に対してカロリーが高い。ケーキに絞ると見た目からは想像も出来ないほど大量の砂糖を使用するために含有
する糖分以外に、牛乳や卵、種類によってはチョコレートなどカロリーが高い食材をふんだんに使用するのだから、カロリーが高くなるのは必然的だ。
ダイエットと称して食事制限をする一方でデザートを景気良く食していては何らカロリー制御にならないばかりか、必要な栄養素を十分得られず体調不良や
骨密度の低下など身体の根幹部分が痩せ衰える羽目になり有害でしかない。見事なスタイルを誇るモデルやグラビアアイドルなどのウエストを見ると細さ
のみに目が行きやすいが、腹部には適度な腹筋が備わっていることからも、体内に取り込まれたカロリーをはじめとするエネルギーを消費する筋肉を増量
しない限り、真の痩身はあり得ないことは明らかだ。
 また、このような間違ったダイエットに勤しむ者はえてしてメディアの扇動に容易に踊らされる傾向にあることは、ある番組で紹介された食品や食材が
その日のスーパーなどで大きな売り上げを上げたり、鵜呑みにして体調不良を来たす事態を招いた数々の事実からも明らかだ。運動せずに楽をして
健康的に痩せる方策など存在し得ないことは、幼少時の教育で十分取得出来る基礎知識の1つだが、主体性を持たず周囲の動向を自身の意向に反映
させることを基本に据えると、その基礎知識はいとも簡単に忘れ去られてしまう。「食育」なるものは、まずダイエット狂想曲に明け暮れる者達にこそ施すべきで
あろう。

「色々あるもんねぇ。シルバーカーニバルってこんなに賑わうもんなの?」
「フィルは町そのものがでかいし、店の数も豊富やでな。んでも他の町村でもえらい賑わうな。聖誕祭はもっと賑わうで。」
「祭りはどの国でも賑わうもんなのね。」

 フィリアはふと故郷のレクス王国テルサの村を思い出す。夜間に時々オークが攻め込んで来る以外はいたって平穏な日々の連続は、少々退屈で物足り
なくも思った。しかし、波乱万丈の旅を続けて一息入れると、平穏な日々が連続した故郷の村が妙に懐かしく思う。
 村には両親が居る。村の人々が居る。魔物の侵入を防ぐために外堀と高い壁で囲まれた閉鎖空間、しかも辺境の村であるため村人全てが顔見知りに
等しい。一方旅の道中で出会う人々は殆ど全てが見知らぬ他人だ。出逢いや別れは新鮮だが、その分外を数ミム歩けば顔見知りの誰かに出会えた村での
暮らしが懐かしい。

「クリスとルイの故郷も、割とあたしとアレンの故郷に似ていそうね。」
「典型的な田舎やで、似とっても不思議やあらへんな。フィリア。ちょいとホームシックか?」
「そこまでいかないけど、お父さんやお母さん、村の皆はどうしてるかな、ってちょっと懐かしくなってる。・・・変?」
「全然変やないで。あたしも村が懐かしいわぁ。こない長いこと村出るんは久しぶりやし。」

 故郷を離れて久しいフィリアと同様、クリスにも望郷の念が生じている。自分の心情をあっけらかんと語るところもクリスが敵を作り難い要因だ。

「フィリアは1回故郷に帰ってみたいて思うか?」
「そうねー。あんまり変わってなさそうだし。」

 この世界は人間の居住空間は原則として町や村だけで、町や村を出れば他の種族や魔物が生息している。町や村の拡充は壁と外堀の一時撤去と
再構築を必要とするから危険を伴うため、他の種族との衝突や魔物の襲撃から人名や財産を守るだけの戦力が必要で、辺境は地理的な問題からどうしても
後手後手に回りやすい。
そういった理由で、アレンとフィリアの故郷テルサ村やクリスとルイの故郷ヘブル村などは、永い時を刻んでも風景に劇的な変化が起こり難い。それが
「何時帰っても記憶のままの風景がある」と望郷の念を強める要因ともなる。

「・・・一度、ルイ嬢は村に戻られるのも良いかもしれません。」

 イアソンが思いがけない提案をする。当然イアソン以外は驚くが、イアソンの提案はそれなりに理に適っている。
村への愛着が非常に強くて初めての土地で今後の進路を見出せないで居るルイに落ち着いて考えられる環境を提供するには、住み慣れた故郷の
ヘブル村に一時帰還することが最も手っ取り早い。
 国王からもルイの安全保障に万全を期すよう厳命されているフォンもルイを無闇に刺激したくないだろうから、警備の提供はするが帰還そのものに強く
反対はしないと考えられる。曲がりなりにもルイは建国神話に発祥を遡れる一等貴族一家系当主の一人娘だ。ルイがバライ族だからと攻撃を仕掛けてくる
なら問答無用で打ち負かして問題ない。必要ならフォンなどから証明書なりの提供を受ければ、道中で不自由することはないだろう。

「うーん・・・。ええ手かもしれへんけど、フォンさんが許可するやろか?」
「・・・総長様との謁見を終えたら、一度村に戻ろうと思ってる。」

 懸念を示したクリスに対し、ルイはイアソンの提案に同調する。
母の遺志は全うしたし、フォンと話し合うつもりは毛頭ない。オーディション本選出場のため休職届を出してはいるが、教会にとっても村の行政にとっても
要職である現在の役職を悪戯に空席にしておくことは好ましくないと思ってのことだ。

「フォン当主には、提案した私から掛け合いましょう。強い反対はされないことと。」
「よろしくお願いします。」

 フォンとの交渉役を申し出たイアソンに、ルイは謝辞を述べる。村に帰還してからのことは分からないし、決めてもいない。だが、混沌として光明が見えない
ままリルバン家で生活を続けるより気分はずっと楽だろう。
一時帰還の意志を示したルイに、フィリアは早くも危機を察知し、警戒を強める・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

29)独自に実施出来る範囲の対策:一等貴族当主は邸宅や所有の小作地において一定の自治権を有する。具体的には執事の昇降格や任免、小作人の
採用や解雇など。Scene7 Act2-1などでフォンが所有の小作地における小作人を増員したのも、この自治権に基づく措置である。この自治権行使には
外部の干渉を受けない。


30)「教書」の逆読:キャミール教の唯一神である神の教えを記した「教書」を逆から読むことは、神の教えに反逆する行為であり、呪詛ともされる。リルバン家
先代当主は母と叔父と兄弟の公開処刑に臨むにあたってこうすることで、地獄に落ちるよう強く念じていたのだろう。


31)食うてみいな:「食べてみて」と同意の勧誘表現。方言の1つ。

32)カンマ:記号ではない。チーズを溶かした鍋に細かく刻んだ海産物と野菜を投じて十分熱し、小麦粉とハーブを主体にした5セム×10セム程度の平たい
型に封じて焼き上げ、成型したもの。我々の世界のたこ焼きやお好み焼きに類似するフィルの特産品の1つで美味。


33)飲まな生きてけへん:「飲まないと生きていけない」と同意。方言による言い回しの1つ。

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