Saint Guardians

Scene 8 Act 2-3 決戦-Decisive battle- 決戦に向けて−前編−

written by Moonstone

 様々な思惑と陰謀が絡み合い、それが表面化する可能性が極めて高いオーディション本線まであと2日となった。
アレンはこれまで同様、ルイと共に早朝から台所に立って食事の準備や菓子作りを共に行い、全員に振舞っている。
大食らいの上に大酒飲みでもあるクリスには、酒のつまみも用意している。大食らいだから量さえあれば気にしない、というものではなく、かなりの食通である
クリスは、「美味い酒飲むにはやっぱし美味いつまみも欲しくなるもんや」とのたまう。つまみは故郷のヘブル村でルイもよく作っていたという、ギーグに
塩コショウを施して焼いたものから現在居る漁業も盛んなフィルならではのピッチュの塩焼きまで、実に幅広い。暇さえあれば食べるか飲むかしている
クリスの底なし胃袋に、アレンは驚きを通り越して呆れることしばしばだ。
 そのクリス。身体が鈍(なま)るとアレンを連れて−勿論リーナの許可を受けている−道場に赴いたものの、クリスを見た武術家が恐怖で顔を引き攣らせ、悉く
挑戦を辞退したため−無論クリスに一撃でノックアウトされたためだ−、隣接するトレーニングルームでトレーニングに臨んだ。
 重さ3キラグ17)の鉄アレイを両手に持っての肘の曲げ伸ばし、重さ35キラグのバーベルを両肩に担いでの膝の屈伸運動、そして仰向けになって重さ
95キラグのバーベルを上げ下げするベンチプレスといった、基本的な筋力増強トレーニングを終え、サンドバッグ相手に突きと蹴りを繰り出す。拳や足が
叩きつけられる度にサンドバッグはその部分を少しへこませ、少し揺れる。
こう表現すると非力な印象を抱くかもしれないが、サンドバッグには大量の砂が目いっぱい封入されている。当然ながらその重量は相当のもので、強度も
高い。だが、クリスの放つ一撃には、そんな重くて硬いサンドバッグをへこませて揺らすだけの威力がある。それだけ破壊力が凄まじいということだ。
その様子を見物するアレンは、クリスの武術家としての力量の基となっている筋力と技の破壊力の原点を見て、先の道場での武術家全員を相手にした特別
試合で、武術家全員を一撃でノックアウトした理由がよく分かる。それどころか、よく殺されなかったものだとさえ思う。

「あー。やっぱし身体動かすと気分ええわぁ。」

 一頻りトレーニングを済ませたクリスは、絶え間なく滴る汗を拭って一つ大きな溜息を吐く。
白い肌を紅潮させ、汗を滴らせる様子は風呂上りを髣髴とさせ、エルフの血を引く民族の特徴である美貌とスタイルの良さも相俟って、なかなか魅力的だ。

「こんだけのサンドバッグを揺らせたで、正式装備の国軍兵士でも十分相手出来るな。」
「クリスは故郷の村の武術道場とかでも、こういうトレーニングはしてたのか?」
「うん。武術家の技の威力を強うする基本は、筋力の増強と技の切れやでな。剣とか槍とか使わへん武術家は、自分の身体が武器と防具や。それは武器や
鎧みたいにとっかえひっかえ出来るもんやあらへん。強うする唯一の手段は、自分を鍛えることや。それ嫌がっとるようでは、武術家やっとれへんよ。」

 要所要所でクリスが言うことには、歳だけ加算させた者や権力に媚びへつらう技術で上位に君臨した者が言う人生論よりはるかに重厚さがある。
その大部分は、幼少時に苛めに遭っていたルイを見かけて苛めを撃退し、以後ルイの親友を名乗ってルイに降りかかる執拗な苛めを撃退してきた過去に
ある。
 自分が強くならなければ親友のルイを守れない。待っていて強くなるものではない。武術家に限らず、武器や防具を高級品に取り替えれば即強くなるもの
ではない。そういったことを身を以って知っているから、クリスはホテルの武術道場に常駐する武術家を全員倒したところで安住せず、自己研鑽に
勤しむのだ。

「アレン君もやってみぃや。」
「え?」

 いきなり話を振られたアレンは、思わず聞き返す。雫の形を成す汗をもう一度拭ったクリスの顔は飄々としてはいるが、その瞳は真剣だ。

「アレン君は鎧を一撃で切り裂けるほどの威力ある剣持っとる。その剣使えば近接戦における攻撃力は問題あらへんと思う。せやけど、それだけや足りへん。
アレン君は鎧着けとらんで、防御力の面では基本的にあたしと大差あらへん。あたしは武術着着とるで割とましやけど、アレン君はそれもないで、敵の攻撃
受ける前に敵に突っ込んでくだけの瞬発力が必要や。敵が遠距離攻撃得意な魔術師やったら尚更な。」
「・・・。」
「それに、剣の威力が幾らあっても、それを十分振り回せるだけの腕力がないと本来の威力出せへん。小っちゃい子が棒切れ振り回す時みたいなゆっくりした
動きやと、斬れるもんも斬れへん。それに、次にルイを狙うて来ることがほぼ確実なオーディション本選やと、どんくらいの数で攻め込んで来るか分からへん。
少なくとも、数が増えることはあっても減ることはあらへんて考えた方が自然や。となると、素早く敵斬って次の奴に向かってくくらいせんと、数で押されて
まうかもしれん。そうなったらアウトや。力付けとくに越したことあらへんと違うやろか。」

 落ち着いた口調でのクリスの言葉は至極もっともだし、アレンも瞬発力や腕力の基礎である筋力の増強は必要と感じていた。
最大の決戦場となるオーディション本選会場では、自分が持つ全ての力を出さないと、渦中の人物であるルイを守れない。
 リルバン家の次期当主を巡る思惑と陰謀に巻き込まれてしまったルイを次こそ確実に仕留めんと、次期当主の座を狙うホークとその顧問として背後で糸を
引くザギ若しくはその衛士(センチネル)はあらゆる手段と兵力を動員してくるだろう。
現当主フォンが唯一の実子であるルイを抹殺されれば、建国神話にまで遡る歴史と伝統を誇り、しかも養子縁組が禁止されている一等貴族の家系を維持
するために、唯一の血縁者であるホークを次期当主にせざるを得ない。
そのホークは、先の二度にわたるルイ襲撃未遂事件の責任を問われて別館に軟禁中の身。しかも、現当主フォンはオーディション本選終了後にホークを
司法委員会にかけ、最低でもリルバン家から永久追放させる構えでいる。
ホークを追放しても、実子であるルイをリルバン家に迎え入れれば何ら問題はない。リルバン家の使用人がホークが永久追放される可能性が生じていることを
不安視したりしないのは、何らかの形でフォンに実子が居ることと、フォンがその実子をリルバン家に迎え入れて次期当主に指名する意向であることが暗黙の
うちに周知されているためだと考えれば、納得がいく。
 言うなれば、オーディション本選はルイとリルバン家に纏わる思惑と陰謀が集結し、それぞれの力が真正面から激突する場となるということだ。
フォンはオーディション本選終了後にルイと接触してリルバン家に迎え入れるために、ホークはリルバン家からの永久追放を免れると共に次期当主の座を
獲得するための確実な切符となるルイ抹殺のために、そしてアレンとクリスはそれぞれ想い人や親友という間柄の人物であるルイのこれからの人生を保障
するために、それぞれ総力を挙げて臨む。そこで強くなるまで待ってくれ、などという暢気な提案が通用する筈がない。
遅きに失した感は否めないが、クリスの言うとおり、今からでも筋力を増強出来るだけしておくに越したことはない。

「・・・やるよ。俺はルイさんを守って、これからの人生をどう生きるか思う存分考えて欲しいから。」
「ええ覚悟や。」

 決意したアレンに、クリスは短い称賛の言葉を送る。

「アレン君は食事の準備とかもあるで、あんまし外に出られへん。出来るうちに出来る効率的なトレーニング方法を教えるわ。」
「うん。頼むよ。」
「腕力増強するんに必要なんは、当然やけど腕の筋肉増やすことや。」

 クリスは汗を拭っていたタオルを首にかけたと思ったら、何故かアレンの左腕を掴む。力は篭っていないが、何度か揉み解(ほぐ)される。

「な、何だよ。」
「やっぱし、そこそこ筋肉はあるな。」

 クリスは、アレンの腕の筋肉を触感で推測するためにアレンの腕を掴んだのだ。

「あたしとルイが居った部屋に深夜乱入してきた兵士達を撃退してくれた時の動きで、かなり瞬発力とか腕力とかはあるて思とったんやけど。」
「故郷の町で、自警団って言って、この国の軍隊に相当する組織の準構成員だったから、夜中とかに攻め込んできたオークを迎撃するために、剣を持って
パジャマ姿で夜中に飛び出していったことが結構あるからね。剣の使用暦は結構長いよ。」
「せっか。アレン君の剣の腕は伊達やないっちゅうことが分かったわ。んじゃ、今度はあたしの腕揉んでみぃ。胸はルイの方が揉み甲斐あるで、そっちに
しときなよ。」
「そ、そんなことするか。」

 クリスに茶化されたアレンは慌てて否定するが、その脳裏には以前偶発的に見たルイの下着姿が鮮明に蘇ってきている。
女性と直接触れ合う機会が少ない−無闇に触れれば平手打ちを食らわされても文句は言えまい−アレンは、恐る恐るクリスの左腕を掴み、軽く力を込める。
クリスの腕は思いの他女性特有の弾力に乏しく、逆に筋肉が生み出す剛性のある弾力に飛んでいる。

「かなり硬いね・・・。」
「ちょいと腕に力入れとんのもあるけどな。人間の身体作るんは筋肉や。筋肉付ければスタイルも良う出来る。一石二鳥や。」

 認知されているようでいないことの1つは、人間の身体を構成する要素の1つが筋肉だということだ。骨格の上に筋肉があることで肉体の大部分が形成
される。筋肉の上に保温とエネルギーの貯蔵を兼ねて脂肪が重なる。女性の乳房も形成の主たる原因が違うだけで、本質は脂肪であることには違いない。
その脂肪が必要以上に増えた状態である肥満を解消するためにダイエットと称して断食まがいのことをしても、筋肉が先に痩せ細る。
 脂肪は身体活動のエネルギー源であって、筋肉を形成する要素ではない。筋肉を構成するタンパク質の補給がなければ、タンパク質で構成される筋肉が
衰えるのは当然だ。脂肪だけ減らさんと断食まがいのことをしても無意味どころか、最悪の場合生命の危機に陥る危険性さえある。
断食まがいのダイエットで倦怠感や月経不順など身体に不調を来たす場合が多いのは、脂肪を減らすことだけしか頭になく、筋肉を形成するタンパク質の
他、身体維持に欠かせないビタミンやミネラルなど各種栄養成分を補給しないことが原因だ。
 エネルギーの単位の1つであるカロリーの補給を減らすことで脂肪の増加を抑え、同時にタンパク質など他の栄養分を十分に補給することと適度な運動に
よって筋肉を増強していけば、やがて不要な脂肪がエネルギー源として消費されていく。断食まがいの行為で一時的に体重が減るのは筋肉の減少を示す
ものであり、脂肪の削減というダイエットの本来の目的とは食い違う。
適切なダイエットを行うと一時体重が増加するが、それは筋肉の方が脂肪より密度が高い=単位堆積あたりの重量が多いためであり、エネルギーを消費する
対象である筋肉が増えたことを意味するから、失敗と思ってはいけないし、そこでダイエットを止めるとリバウンドの恐れが高い。低カロリー高タンパクの
食事と適度な運動を継続すれば、結果的に減量に成功出来るし、リバウンドの恐れも少ない体質も出来上がる。
 クリスが大食いの一方でオーディションに出場出来そうなスタイルを維持していられるのは、武術の稽古やトレーニングで筋肉を増強・維持しているためで
あり、食事で得られるエネルギーが筋肉で消費されているためでもある。
もっとも、クリスは医科学知識に基づいてそうしてきたわけではない。ルイから苛めを退けるだけの技と破壊力を身に付けるために稽古やトレーニングに
勤しみ、結果生じた空腹を食事で解消して再び稽古やトレーニングに臨む、という一連のパターンを繰り返した結果に過ぎない。

「最初やから、軽めのがええな。」

 アレンが腕から手を話した後、クリスは棚に並ぶ鉄アレイを物色して、1組の鉄アレイを選んでアレンに手渡す。
鉄アレイの重さは1キラグ。クリスが使っていたものより2キラグ軽いが、片手で1つずつ持つとそれなりの重量感を感じる。

「それを肘の曲げ伸ばしだけで上下運動させながら、膝の屈伸や。まず30回。」
「鉄アレイを持って曲げ伸ばししながら、膝の屈伸運動か・・・。同時に2箇所を強化するってことだね。」
「そういうこと。鉄アレイが負荷になるで、普通に膝の屈伸運動するより筋力の増強になる。肘も膝も両方、ゆっくり曲げ伸ばしするんがコツや。」
「ゆっくり?出来るだけ早く、じゃなくて?」
「早う動かせばええっちゅうもんやあらへん。重要なんは、1つ1つの運動に効果的な負荷をかけることや。それに、いきなり早う動かすと、関節痛めてまう。」

 スポーツ選手は準備運動を入念に行う必要がある。いきなり動かすと負傷の原因になるからだ。
基礎体力を作るトレーニングも、いきなり高負荷、たとえば持つのもやっとな重いものの上げ下げや速い反復動作といったことをすると、筋肉と共に肉体を
形成する要素である骨格、特に運動−スポーツなど狭義のものではなくて日常生活全体も含めた広義のもの−に不可欠な関節を痛め、トレーニングどころ
ではなくなってしまうこともある。中学高校の運動系クラブなどで「しごき」の名で横行する非科学的な訓練で、関節を痛めたりする人が後を絶たないのは
その悪しき代表例だ。
 アレンの筋力の増強が必要なのは勿論だが、いきなりクリスがしていたものと同じ高負荷でのトレーニングは、関節を痛めたりするなど致命的事態に発展
しかねない。応戦どころか満足に動けなくなっては話にならない。そういったことを見越して、クリスはアレンに助言や説明を行っている。

「肘の曲げ伸ばしする時は、反動使ったら駄目やで。肘を固定して、純粋に肘の曲げ伸ばしだけで鉄アレイを上下させるんや。ちょいと、肘だけやってみて。」

 クリスの指示を受けて、アレンは鉄アレイを持った両腕を交互に曲げ伸ばしする。
クリスの言うとおりに肘の曲げ伸ばしだけで鉄アレイを上下させようとすると、かなり重く感じる。

「うん。そんな感じでええ。」
「意外に・・・重く感じる。」
「普段は肘だけやのうて、肩や胸の筋肉と関節の動きも加わっとるでな。純粋に肘だけで重いもんを曲げ伸ばししようとなると、意外に力要るんよ。」
「なるほど。」
「その動き続けながら、膝の屈伸してみぃ。ゆっくりな。」

 アレンは鉄アレイの上下運動に肘の屈伸運動を加える。意識して動きを抑えるのは意外に難しい。

「右の動き、止まっとるで。」
「左、反動使たら駄目や。使うんは肘だけやで。」

 クリスの指摘や注意を受けつつ、アレンは肘と膝の屈伸運動を続ける。
程なくアレンの肌に汗が滲んでくる。呼吸も早まってくる中、アレンは肘と膝の曲げ伸ばしだけに動きを集約するよう、神経を集中する。

「よっしゃ。30回いったで、止め。」

 クリスの指示でアレンは運動を止める。予想を大きく上回る疲労感と腕と脚の張りを感じる。
アレンが行った膝の屈伸運動総数は50回以上あったのだが、「肘と膝の曲げ伸ばしだけ」という条件を満たしたもののみクリスがカウントしていたため、
運動量が増えたアレンは、汗を滴らせて呼吸も速い。白い肌はすっかり紅潮している。

「結構えらい18)もんやろ?」
「何だか・・・、普通に動き回るより厳しかったような気がする・・・。」
「そりゃそうや。動かすんを肘と膝だけに絞ったでな。ちょいとした動きでも普段は肘や膝だけやのうて、肩とか股の関節とか、色んな部分が連動しとるんよ。」

 無論医師ではないし、医療助手でもないクリスだが、己の肉体を武器とし、その動きで敵の攻撃をかわし、先制攻撃を繰り出すことを防具とする武術家と
して、肉体の動きやそれを効果的に発揮する術を経験的に体得している。それ故に、発言は素人のアレンの胸にストンと落ちる説得力を有する。

「そんくらいの小道具やったら今日明日くらい貸し出しさせてもらえるやろうで、頼んでくるわ。」
「ありがとう。」
「その間、アレン君は休憩しといて。柔軟体操くらいやったらしてもええけど、さっきみたいな運動はしたら駄目やで。」
「何で?連続じゃなくて?」
「運動やトレーニングっちゅうもんは、ただ延々と続けりゃええわけやあらへん。適度に休ませへんと筋肉や関節痛めてまう。アレン君は今日が初めてやで
尚更や。」

 トレーニングの継続を指示するかと思いきや正反対の行動である休憩を指示したことへのアレンの疑問に、クリスは答える。
これも「しごき」という非科学的な訓練の横行で理解されていないが、長時間の負荷を未発達の関節や筋肉にかけると、やはり痛める原因となる。軽めの
運動をこなした後は休憩を入れて筋肉や関節の「興奮」を鎮めることで、次のトレーニングや本格的な運動に備えることが出来る。
 アレンの場合は今回が初めての本格的なトレーニング。しかも腕と脚に同時に負荷をかけた。アレン自身かなりきつく感じた後だから尚更休憩を挟む必要が
ある。

「分かった。此処で待ってるよ。」
「んじゃ、行ってくるわ。」

 クリスは、鉄アレイの貸し出し許可を受けるべく、トレーニングルームとは別にある管理室へ向かう。アレンは鉄アレイを床に置いて、前屈運動や腰の捻り
など、軽めの柔軟体操をして身体を解し、クリスの帰りを待つ。
 残された時間は少ない。だが、その時間を有効に使うかただ過ぎるのを待つかだけでも大きく異なる。全力を向けるのを当然のこととしなければならない
一大決戦の場まで、可能な限り筋力を増強しておこう。それがルイを守るより確かな力の礎となる。
改めてルイを守る決意を固めたアレンは、逸る気持ちを抑えてクリスの帰還を待つ・・・。

「これだけ時期が迫っても、結局ルイが狙われる一連の事件の核心には迫れずじまいになっちゃうわけ?」

 アレンとクリスが武術道場に赴いている頃。
部屋では険しい表情のフィリアとその向かい側で神妙な表情で視線を下に落とすルイが、一連の事件の総括に臨んでいた。
リーナはフィリアの隣で悠然と薬学関連の書籍を読んでいる。時折ティンルーの入ったカップやサルシアパイ−この日の午前中にアレンとルイが共同して
作ったものだ−に手を伸ばす以外、リーナは我関せずという様子で読書に耽っている。そんなリーナの他人事そのものという素振りが、フィリアの苛立ちに
拍車をかける。
 フィリアは、幼馴染であり想いを抱く相手でもあるアレンと「新参者」のくせにいきなり自分とアレンの間に割って入ったルイの接近を、当然快く思っていない。
それを脇に置いても、ルイが執拗に命を狙われている一連の事件が、今回のオーディションの中央実行委員長を担当するリルバン家の内部事情に関連する
ものらしい、ということまでしか分かっていない現状に苛立ちを感じている。
事件の核心に迫り、有効な対策を講じるには事件の当事者であるルイの証言が必要不可欠だ。しかし、ルイはリルバン家との関係については何も言及
しない。
 明後日に迫ったオーディション本選で、これまで2度も未遂に終わったルイ襲撃が本格化するのは確実と言って良い。その場では護衛として絶対服従を
強いられているリーナは勿論、ルイの護衛であるクリス、そしてリーナの正規の護衛であるアレンが、どれだけの規模と実力なのかさえ分からない敵の襲撃に
立ち向かわねばならない。ならば、せめてルイは自分が知る限り事件の真相を明らかにすべきなのだが、ルイは一行にその気配を見せない。
 アレンがルイに向けられた凶刃から身を挺して守ったことがあるから、ルイを守るためにまたアレンが重傷を負うかもしれない。それをフィリアは最も不安視
している。守られる立場にありながら、自身は事態の解決に消極的なルイの態度が、フィリアにはアレンとの距離の問題も絡んで腹立たしい。
その上、偶然が重なったとはいえこれまで生活を共にしているリーナが、事態に殆ど無関心を決め込んでいるから、余計に腹立たしくてならないのだ。

「このままじゃ、あたし達はひたすら迎撃準備だけして、その場で対策を迫られることになっちゃうじゃないの。」
「・・・。」
「ルイ。あんたが一番、今回の事態に深く関係してるのよ?それはあんた自身が一番良く分かってる筈。なのに、どうして何も話さないわけ?」
「・・・私が知っていることは、今までお話したことだけです。」
「嘘言うんじゃないわよ!」

 辛うじて黙秘したルイを、フィリアが一喝する。

「警備班班長だったリルバン家現当主の実弟が、オーディション本選出場者に成りすました刺客があんたを狙った事件が未遂に終わって、現当主に警備班
班長を解任されて以降、すっかり音沙汰なくなった。そのリルバン家は強硬派で有名だった先代当主とは正反対の現当主と、その実弟しか血縁者が居ない。
その血縁者は警備班班長だったあの実弟。しかもその実弟の背後にはあのザギかその側近が絡んでるのは確実だってことは分かってる。となれば、あんたが
命を狙われる最大の原因は、あんたがリルバン家に何らかの関わりがあること、しかもそれがザギ絡みの実弟にとってあんたが極めて目障りな存在だから
って考えるのが自然よ!つまり、あんたが現当主の実弟を差し置いてリルバン家の次期当主になれる可能性が高い存在だ、ってね!」
「・・・。」
「クリスやアレンが、あんたを守るために大怪我をしても回復魔法を使ってはいおしまい、で済ませるつもり?!そういう無責任な態度は絶対許せない!
今からでも遅くないわ。あんたの知ってる事情を洗いざらい白状しなさい!」

 言葉を連ねるうちに口調が荒くなってきたフィリアの尋問に、ルイは視線を落として沈黙するのみだ。
ルイはアレンにのみ、事の真相を話している。アレン以外の他人には話すつもりはない。

 自分の母がかつてリルバン家の使用人であり、現当主フォンと恋に落ちたが、当時リルバン家当主だった先代当主の怒りを買って、密かに脱出させられた
 こと。
 自分は現当主フォンと母の間に生まれたフォンの唯一の実子であり、母からその死の間際に、フォンから愛の証として贈られた指輪を託されたこと。
 オーディション本選に前言撤回の上に休職届を出してまで出場することにした本当の理由は、今年のオーディション本選の中央実行委員長がフォンだと
 知ったことで、母の遺志を受けてオーディション本選終了後にでも指輪を渡すためだったこと。

 それらをアレンに話せたのは、つい最近のこと。しかもそれは、アレンが自分の言動が聖職者の精神と食い違うこと、特に他人を愛し、許すことを教義の
基礎とするキャミール教の信仰を職務とするにもかかわらず、当主継承権欲しさに母を見捨てたフォンへの怒りを抱いていることを言動不一致と指摘
されるのを恐れていたためであり、アレンがそうせずに自分への気持ちを変えることがないと確信してようやく話せたのだ。
 ルイとて話す相手を選り好みしているわけでは決してない。決してフィリアを悪い人物とは思っていない。しかし、アレンと違って、自分の辛く悲しい過去を
話せるだけの深い信頼を抱いてはいない。フィリアとはアレンを巡って競争・対立の関係にあることくらい、ルイは分かっている。
 それに、幼い頃から孤立無援のまま自分を守り続けてくれたクリスにさえ、リルバン家との関係を話してはいない。
それは取りも直さず、この国の国家体制に深く関与する一等貴族の一家系の唯一の実子であることと、そうなった事情に自分が強く慕い、聖職者の生きる
模範でもあった母の不遇が関係していること、そしてそれが原因となって、聖職者としてあるまじき怒りという感情を抱く自分を知られることを知られたく
ないためだ。それを話すことはルイにはどうしても出来ない。クリスにさえ話せず、アレンにも最近になってようやく話せたばかりのことだ。
そういう事情があるのだが、それを知る由もないフィリアが、この期に及んで自分をひた隠しにして事態の解決に消極的にしか見えないルイの態度を許せる
筈がない。

「あんたがあくまでも話さないつもりなら、無理矢理にでも吐かせるわよ!」

 苛立ちが頂点に達したフィリアは、強硬手段発動を宣言して立ち上がる。ルイは恐怖で身を縮こまらせる。

「あんたは知らないだろうけど、一定称号以上の魔術師は、魔法球を相手の脳に送り込むことで一時的に意識を自分の制御下に置ける19)!つまり、あんたの
意思にかかわらず、あんたの口を割らせることが出来るってことよ!そうでもしなきゃ吐かないっていうなら、そうするまで!!吐くの?!吐かないの?!
どっち?!」
「そ、そんな・・・。」
「選択肢は2つ!!どちらを選ぶかくらいはさせてあげるわ!!さっさと選びなさい!!」
「止めなさい、フィリア。」

 それまで間近で吹き荒れるフィリアとルイの攻防の暴風を、それこそ何処吹く風とばかりに読書に浸っていたリーナが、やや強い調子でフィリアを制する。
だが、元来直情的であり、今はルイに対する感情が複雑な上に苛立ちが頂点に達しているフィリアがそう簡単に受け入れる筈がない。

「あんたは黙ってなさい!!それに、さっきまで暢気に読書して他人のふり決め込んでいたくせに、今更しゃしゃり出てくるんじゃないでくれる?!」
「ルイが事情を話さないのは、恐らく話せないから。自分の過去が絡んでるからよ。」
「今はそんな暢気なこと言ってられる場合じゃないでしょ!!」
「辛い過去を背負ったことのない人間が、辛い過去を背負ってる他人の心に土足で踏み込もうとするんじゃないわよ!!」

 眉間に深い皺を作ってリーナが張り上げた怒声に、フィリアの暴走状態にあった感情が一時停止する。
フィリアとルイが見詰める中、リーナは高ぶった感情を深呼吸で鎮める。しかし、眉間の皺は消えない。

「ルイが狙われる原因は、恐らくあんたの推論どおり、ルイがリルバン家の相続問題に深く関与する存在だからよ。そうだとすれば、ルイは幼い頃から世間の
冷たい仕打ちに晒されて来たに違いない。リルバン家の相続問題に関係してるなら、ルイの姓はリルバンである方がむしろ自然。なのにルイの姓はリルバン
じゃない。つまり、ルイは私生児よ。」
「!」
「・・・。」
「戸籍制度が、あたしやあんたが居たレクス王国と比較にならないくらい頑強なこの国で、私生児ってことがどれだけ世間の冷たい仕打ちを呼び寄せる原因に
なるか。それくらい、あんたにも想像出来るでしょ?」

 厳しい口調でフィリアに迫るリーナの黒い瞳は、微かに潤んでいるように見える。

「ルイと幼馴染のクリスでさえ、ルイの過去の詳細を話したことがない。それはクリスがあえて話さないせいかもしれないし、ルイが話してないせいかも
しれない。何れにせよ、それだけルイの過去が壮絶なものだってことよ。そんな辛い過去を背負ってるところに、事態が事態だからって強権発動を
ちらつかせてでもその過去を吐かせられることがどれだけ怖くて辛いことか、あんたに分かるの?」
「「・・・。」」
「心の傷を負った痛みはあたしには分かるつもり。心の傷はそう簡単に癒えるもんじゃない。一生かかったって癒えないことだってある。その傷を力づくで
広げられることの辛さや痛みが、あんたに分かるの?!」
「そ、それは・・・。」
「事態が切迫してるのはあたしだって百も承知。だけどね。それでも話せないほどルイの辛い過去は、言い換えれば心の傷が深いってことよ!それでも
あんたは、その傷を広げて出血させることも当然だとでも言いたいの?!そうだって言うなら、あたしにも考えがあるわよ!!」

 強権発動を仄めかすリーナの強い言葉を受けて、フィリアは納得出来ないものを感じつつも怒りの矛先を引っ込めて着席する。
リーナの言葉には、間接的ではあるが自身の過去に一部言及する部分があった。
思えばリーナも、自分の過去をあまり話していない。レクス王国から出る前、厳密には今後の行動の選択をする際に、リーナは自分のもう1人の父親を探すと
言った。そして、その父は母と何時か親子で一緒に暮らそうと約束したこと、その母の願いは叶わなかったがせめて自分は、という思いがあることを話した。
 親子関係で辛い過去を背負っているという点では、リーナもルイと同じなのだろう。だから、時にルイを庇う行動に出るのだろう。
苛立ちが頂点に達して頭に血が上ったフィリアだが、冷静になれば他人の心を蹂躙するようなことをするべきではないことくらいは十分分かる。
事態の切迫性を考えるとルイに事情を話させる必要があるのだが、心の傷をこじ開けて出血させてまでそうすることには流石に躊躇する。それを強引に行う
ほどフィリアは冷徹ではない。リーナの命令に従うかどうか以前の心の問題を知ったフィリアは、ルイへの尋問を取り止める。

「ルイ。少なくともあんたは、当日は防御魔法なり結界を張るなりして、あんたへの攻撃を阻止しなさい。アレンとクリスもそうだし、フィリアもそうだけど、あんたに
迫る恐らく最大規模の攻撃を全部防げるわけじゃない。敵を迎撃するのが精一杯と考える方が自然よ。何せ相手は、力の聖地とも称されるクルーシァの
最高峰、セイント・ガーディアンの1人かその側近が絡んでる。場合によっては、クルーシァに援軍を要請してるかもしれない。こういう場合は最悪の事態を
想定する方が賢明。だからあんたはせめて、アレンやクリス、そしてフィリアの足手纏いにならないように、自分の身は自分で守りなさい。良いわね?」
「はい。分かりました。」
「物分りが良いわね。じゃあ、そろそろ夕食の準備を始めて頂戴。アレンとクリスは情報交換をしてるかもしれないから、戻るのは何時になるか分からないし。」
「はい。」

 ルイは素直に承諾して、夕食の準備のために台所に向かう。昼食後にリーナから今日の夕食のメニューを指定されているから、準備に迷うことはない。
ルイが台所に消えたのを確認して、リーナは小さい溜息を吐いて視線を本に戻す。フィリアは右肘を膝について手に顎を乗せ、深い溜息を吐く。

「辛い過去、ね・・・。」

 フィリアは、リーナの表現を借用してもう一度深い溜息を吐く。

「辛い過去を持つ者同士、共鳴するものがあるってこと?」
「そんなところね。」
「あたしには、そういう過去を話したくない心境ってのが、あんまり理解出来ないんだけどね・・・。」
「理解出来ないのは構わないから、そういう過去に土足で踏み込もうなんてことはしないことね。」
「分かったわよ。」

 視線を本に向けたままのリーナとの会話の後、フィリアはもう一度深い溜息を吐く。
現在進行形で自分に迫っている緊急事態。それに関係することが明白にもかかわらず、人においそれと話せない辛い過去。フィリアは悶々としたものを
感じる・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

17)3キラグ:キラグはこの世界における重さの単位の1つ。1キラグは0.8kgに相当する。

18)えらい:ここでは「激しい」「しんどい」といった意味を持つ。方言の1つ。

19)一定称号以上の魔術師は・・・:Scene1 Act2-2では「精神力を集中させる」という描写で、Scene8 Act1-4では具体的な名称で登場した魔法球は、直接
相手に叩き込むことで物理・魔法の両方のダメージ(魔法面は無属性に相当する)を与えることも出来るし、Magician以上になるとフィリアが言った物騒な
言葉のように、相手の脳=頭部に送り込むことで、相手の意識を一定時間(称号によって異なる。Enchanterであるフィリアの場合は20ミム程度)自分の
制御下に置くことが出来る。魔術師の社会的地位がランディブルド王国で低く、忌み嫌われる傾向にさえあるのは、そういった強大な力を神の名を語る
ことなく行えて発生させられることもある。


Scene8 Act2-2へ戻る
-Return Scene8 Act2-2-
Scene8 Act2-4へ進む
-Go to Scene8 Act2-4-
第1創作グループへ戻る
-Return Novels Group 1-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-