Saint Guardians

Scene 8 Act 1-1 接近V-ApproachV- 2つそれぞれの接近戦

written by Moonstone

 聖職者としては教会関係者の間では全国的に有名だが、全国から集まった華やかで苦しい生活からの脱却の糸口でもあるオーディションの出場者と
しては、定数1の辺境の村の予選通過者でしかないルイが、村を出る直前あたりから執拗に命を狙われる理由がアレンとイアソンの間でほぼ判明した情報の
突合せの翌日。
「敵地」リルバン家に雇用される大勢の使用人にすっかり溶け込んだイアソンは、使用人の朝食が済んだ後、使用人の長から早速任務を言い渡された。

「ホーク様とナイキ様、あとお付きの顧問様に朝食を運んでくれ。」
「分かりました。」

 イアソンは即了承して小さく一礼するが、内心は急な、しかし重要な事態に直面することによる緊張感と高揚感でいっぱいだ。
現時点でルイを狙っていると断言して良い、リルバン家当主フォンの実弟であり、名立たる強硬派として知られた先代の後継者となる筈だったホーク。
そして、そのホークを何らかの理由で陰で操っているとやはり断言して良い段階にある顧問と称される謎の人物。これら謎の核心人物と直接顔を合わせられる
機会が、オーディション本選が間近に迫った今日になって巡ってきたのだ。
 勿論、「何故ルイを狙っているのか」などと率直だが事態を弁えない疑問を口にするつもりはない。リルバン家の使用人の1人に過ぎないイアソンが
オーディション本選出場者の名前を具体的に挙げるのはあまりにも不自然だし、ルイの命を狙っている理由を尋ねるなど、わざわざ自分を疑ってくれ、と
宣言するようなものだ。これはイアソンでなくても容易に分かる。
だが、今まで使用人との会話という情報収集で存在は知っていてもその風貌や思考、特に人伝でしか知らない、ザギと同じく目の部分に細い切込みを入れた
仮面を着けているという小柄な顧問なる人物を直接見られるのだ。身分格差で上位の存在とそう簡単に直面出来ない人物の観察にはまたとないチャンスだ。
 食器を洗い場に運び終えると直ぐ、イアソンは3人分の朝食の一部を受け取り、他にホークなどへの朝食運搬を命じられた面々と共に別館へ向かう。
警備の不手際で実兄であると共にオーディション中央実行委員長でもあるフォンの怒りを買ったホークは、妻ナイキと顧問と共に別館に軟禁されている。
立ち入りには警備の兵士に事情を説明し、最低2名を同行させなければならないと通達が出ている。
 顧問がザギ若しくはその側近である衛士(センチネル)だということはほぼ間違いと言って良いが、知る限りではその顧問も現在何ら動きを見せていない。
ホークが招聘したのだから、ホークの別館軟禁中に顧問が不穏な動きを見せれば当然ホークにまず疑いの目が向けられる。疑われるだけならまだ良い。
オーディション本選出場者やオーディションそのものに介入したとなれば、怒りの炎を極限に高めたフォンが処刑命令を下すのはほぼ間違いない。
現在次期当主継承権第1位であるホークのオーディション本選での職務だった警備班班長を解任した上、オーディション本選終了後司法委員会にかけると
まで宣言したのだ。フォンの怒りを抑えるには少なくとも動きを見せるわけにはいかない。そう判断してのことだろう。
 当主や執事など「上級職」が食する見た目にも食欲をそそられる食事の皿を幾つか持ったイアソンは、他に朝食運搬を命じられた使用人達と共に廊下を
歩く。3人分、しかも料理の品目が多いので皿の数は多い。そのため、朝食を運ぶ使用人はイアソンを含めて6人居る。

「リルバン家に使用人として雇っていただいてまだ日の浅い私がこうしてフォン様の実弟であられるホーク様と奥様、そして顧問様へ朝食をお運びするよう
命じられるとは思いませんでしたよ。」

 イアソンは新人らしさを装って少し高揚した口調で言う。

「まだ私はホーク様やナイキ様、顧問様を拝見したことがないので、失礼な物言いではありますがどのような方か興味があったんです。」
「こういう場だから言えるが、フォン様が当主であられるから我々使用人も日々安心して職務を行えるが、当主がホーク様だったら絶対こうはいくまい。」

 ホークなどとの対面に興味を示すイアソンに、別の使用人が渋い表情で応える。

「お前は新人だからよく知らないようだが、ホーク様やナイキ様とは極力関わりたくないというのが先代からリルバン家にお仕えする我々使用人共通の思いだ。
先代は強硬派ではあったが、由緒正しき一等貴族当主としての職務遂行能力やリーダーシップは備えておられた。そのリーダーシップが二等三等貴族共に
多い強硬派を勢いづかせる要因になっていたのは残念だが・・・。」
「まったくだ。そういった意味では先代の我々使用人に対する処遇はまだましだった。先代は次期当主としてホーク様をご指名するご意向だったが、
フォン様が当主に就任されたのはまさしく神の恵み。ホーク様が当主であられたら我々使用人、特にバライ族の者は小作人共々日夜徹底的に
こき使われたに違いない。」
「兄弟でありながら、フォン様は穏健で我々使用人や小作人にも気さくに分け隔てなく接され、要望があれば可能なものは即実行に移される行動力を
お持ち。しかも一昨年には教会人事監査委員長に全会一致で推挙されるほどの人望の持ち主でもあり、一等貴族当主としての職務遂行能力は年季のある
他の一等貴族当主に勝るとも劣らぬ実力者でもあられる。しかしホーク様は先代の思考だけは無闇に増幅させても一等貴族としての尊厳や実力などは
皆無と言って良い有様。ホーク様が先代に続いてリルバン家当主の座に就かれていたら由緒正しきリルバン家がどうなっていたか、想像するだけでも
恐ろしい。」

 他の使用人達がこもごも口にするホークの悪評は、これまでイアソンが情報収集を進める過程でも度々耳にしてきた。
イアソンはまだ目にしたことがないが、使用人のフォンに対する評価はすこぶる高い。先代が名立たる強硬派だったため特にバライ族の使用人は日々身を
粉にさせられていたそうだが、フォンが当主に就任して以降はそれなりに忙しいながらも心理的なゆとりはかなり大きくなったという。それは使用人として
紛れ込んで職務をこなしているイアソンも感じるところだ。
 聞くところによれば、フォンは当主就任直後に使用人の負担軽減策としてかなりの数の使用人の新規雇用を早速実行に移したという。
「使用人はリルバン家に限らずその家の様々な職務を自分に代わって実行する重要な存在であり、酷使によって失うことは新たな使用人雇用とそれに伴う
教育実施などの新たな負担を生み出し、使用人の職務に専念する余裕を奪う悪循環を生む」というのがその理由だそうだ。
 人間は使い捨ての道具ではない。使用人という一見簡単な仕事でも、職務の指示を受けて的確にこなせるようにするにはそれなりの教育や人員と時間を
要する。折角人と時間を割いて職務をこなせるようにしても、酷使で病を患ったりして活動不能になればその分他の人間がその職務をこなさなければ
ならなくなる。そのような「使い物にならなくなった」人間を解雇して新規に雇用という文字どおりの使い捨ては、結局新たに教育を行いそのための人員と
時間を割く必要性に迫られる。教育を担当する人間にしてみれば、折角それなりに動けるようになった存在の損失に伴う負担増大の上に新規の教育という
負担が上積みされることになり、その負担に耐えられずに教育担当者が身体を壊すなどで更に人員が減り、労働強化が更に強まるという悪循環に陥る。
そういったことを理解してれば、無制限の自由を経済論理にそっくりそのまま適用した雇用政策が中長期的にも生産性の低下を招くことは容易に分かる。
 一方のホークは別館に軟禁される前、正確にはオーディション本選の警備班班長に任じられるまでのリルバン家本館に居た期間、目にする使用人を
それこそ頭ごなしに怒鳴りつけては顎でこき使い、しかもそれは法案提出の準備など本来顧問を通じて行う命令や、フォンや執事などが問題なく食する
食事に何かしらの言いがかりをつけて別の食事を用意させるなど、権力におぼれる人間像を絵に描いたような行動で、使用人の不評を買うばかりだったと
いう。そのような、今まで職務最中の談笑などで得た情報からも、フォンが当主に就任したことを歓迎する一方、ホークが次期当主に就任することを危惧し、
現在は次期当主継承権第1位であることに使用人達が深い懸念を有していることが垣間見える。
 朝食運搬の一団は長い廊下を歩き、本館とは屋根つきの通路で繋がっている別館に到着する。別館周辺は警備の兵士達が彼方此方で睨みを利かせており、
とてもホークや顧問が動きを見せられる状況ではない。

「ホーク様とナイキ様、そして顧問様への朝食を運んでまいりました。」
「うむ。では部屋まで同行させよう。」

 近くに居た兵士4名が召集され、イアソンを含む一団の左右を固める。話には聞いていたが警備は非常に厳重で、まさしく軟禁だ。
中年の男性を先頭に、一団は別館に足を踏み入れて廊下を進む。フォンなど多くの人間が生活を送る本館とは違い、廊下は薄暗くしかも古びている。
イアソンは興味深げな様子で歩きながら周囲を見回す。勿論これは雇用されて間もないことを暗示する演技だ。
 内部を観察するだけなら顔の向きはそのままに視線だけ動かせば良い。だが、こうすることで新人が物珍しそうにしているという印象を与えることが出来る。
自分がフォンの他、ホークと顧問などリルバン家の内情を探るために潜入した「敵」であることを少なくとも使用人に悟られないように装うのも、情報収集活動に
おけるその場に馴染む戦略の実践例の1つだ。

「随分珍しそうだな。そんなに興味深いか?」
「はい。雇っていただいて以来別館には今日初めて入りましたが故。」
「興味が沸くのは致し方ないが、余所見をして皿を落としたりするなよ。」
「分かりました。」

 別の使用人に窘められたイアソンは、興味を抑えたような口調で言う。これもやはり演技だ。
やや気味が悪い感さえある廊下を歩いていくと、豪華な作りだがやはり古びたドアの前に到着する。前を歩いていた兵士の1人がドアを開ける。ギギギ・・・と
古さや長く使われていないことを暗示する音と共に、室内が姿を現す。ドアが完全に開いたところで、先頭を歩いていた使用人が「失礼します」と挨拶して
一礼してから中に入る。イアソンもそれに続く。
 室内はかなり広い。テーブルやソファ、箪笥や本棚といった家具類はひととおり揃っていて絨毯の踏み心地も良い。しかし、古びている印象は変わらない。
外に面しているためそれなりに明るいが、家具類の古びた様子のせいかどうかは分からないが、どうも陰気くさく感じる。
 向き合う形でソファに座っていた、目つきの悪いいかにも陰険そうな男性と女性が訝しげに使用人達を見る。否、睨む。一等貴族当主の実弟やその妻、
すなわち義妹でありながらこんな環境に押し込められたことに対する不満を絶えず燻らし、立場の弱い使用人などにその矛先を向けようとしている意図が
ありありと窺える。権力と言う麻薬常用者がその麻薬を奪われた際に見せる典型的な仕草だ。
目の部分に細い切込みを入れた仮面を着け、ローブを纏っている小柄な人物はホークが座っているソファの脇に立っている。仮面の向きからして使用人達を
見ているようだが、仮面のため表情は分からない。

「朝食をお持ちしました。お召し上がりください。」
「さっさと置け。」

 使用人の言葉にホークは一言も礼を言わず、それどころか苛立ちを露にして吐き捨てる。やはり現在の環境が相当不満なようだ。
使用人達は順に、それぞれ手にしていた食事をテーブルに並べていく。イアソンはあえてホークとナイキと目を合わせない。観察しようと視線を動かして
目が合えば、どんな難癖をつけられるか分からない。それだけならまだ良いが、問題の顧問がイアソンに疑惑を向ける可能性もある。顧問がザギ若しくは
その衛士(センチネル)である可能性は100ピセルに等しい。アレンとドルフィンと違ってイアソンはザギの顔を見ていないから知らないが、策略などに関しては
嫌味なほど優れた才能を有するザギの関係者であれば、イアソンの顔を知っている可能性もなくはない。あくまで此処は使用人に徹し、自然に目にした
部屋の構造などを記憶するだけに留めるのがイアソンの策略だ。

「時間が参りましたら食器を受け取りに窺います。」
「さっさと出て行け。食事の最中に貴様ら使用人が居ると食欲が失せる。」
「まったく・・・。早くこんな薄暗い場所から出たいものだわ。リルバン家次期当主とその妻が、こんな汚らしい部屋で食事をしなければならないなんて・・・。」

 ホークとナイキはこれ見よがしに不満を垂れ流す。しかしイアソンを含む使用人達は表情を変えない。この程度で嫌な顔をするようではホークとナイキの
不満を増幅させるだけだと、イアソンも分かる。

「待たれよ。」

 全ての皿を並べ終えた使用人達が退出しようとした時、抑揚に欠けた低く不気味な声が投げかけられる。その声はホークのものでもなければナイキの
ものでもない。使用人達の方に仮面を向けていた顧問なる人物のものだ。

「そこのお前、今まで見たことがないな。」
「誰のことでございましょう?」
「そこの茶色の髪を後ろで束ねた男だ。」

 顧問の言葉で、使用人達は勿論、食べ欠けたホークとナイキもイアソンの方を見る。この場で茶色の髪を後ろで束ねている者はイアソン以外居ない。
イアソンも勿論それを分かっている。

「わ、私でございましょうか?な、何か・・・?」

 イアソンは自分を指差して当惑した素振りを見せる。これも演技の1つだ。ここで妙に冷静な応対をすると、ホークとナイキ、そして顧問と面識があると
思わせる。そうなると疑いの矛先がイアソンに集中するのは確実だ。あくまで雇用されて日が浅い使用人に徹する。その場に順応するのは工作活動における
重要な要素の1つであり、それに長けたイアソンは自然と振舞える。

「お前、言葉がこの辺のものと違うな。何処から来た?」
「カ、カルーダ王国から一家揃って移り住んで参りました。リルバン家に雇っていただいてからまだ日が浅い上に、生まれ育った地の言葉というのはなかなか
どうして直せないものでして・・・。」
「それにしては随分、使用人としての手際は良かったな。」
「あ、ありがたきお言葉。カルーダ王国でも裕福なご家庭の召使として長く働いておりましたので、ひととおりの職務はこなせるかと。」
「ふふ・・・。そうか・・・。」

 顧問は納得したのか疑惑を深めたのか分からない口ぶりだ。仮面で顔を隠しているから窺い知るにもその余地は全くない。
対するイアソンは身体の彼方此方を忙しなく動かし、動揺した様子を見せる。だがこれも自分がリルバン家に仕えて間もないことを示すための演技だ。

「・・・な、何か私に御用がございますでしょうか?」
「否。ふと、私やホーク様の邪魔をするガキのことが思い浮かんだだけ。そのガキも滞在先で色々手際良く動いているというのでな。」
「さ、左様でございますか・・・。偶然というものはあるものでございますね。」

 イアソンは動揺と安堵が入り混じった笑みを浮かべる。これは慣れないシチュエーションに当惑していることをアピールする演技であると同時に、顧問や
ホークの元にアレンに関する情報が流れてきていることが分かったことに伴う驚きを覆い隠すものでもある。
 ホークは警備班班長を解任されてこの別館に軟禁されている。普通なら解任後のホテルの様子など知る筈がない。しかし、顧問は名前こそ言わなかった
もののアレンを知っている。しかも「動いているという」という現在形で言ったということは、現在もホテルから別館に情報の流入が続いていることを証明する
ものだ。音沙汰をなくしたとは言え、ホテル内にはホークと顧問の息のかかった者が居ることをも示す。
 そしてもう1つ。顧問はアレンを暗喩する「ガキ」が自分やホークを邪魔していると言った。これは顧問とホークがアレンを目の敵にしていることでもある。
アレンを邪魔に思う理由は、現時点では同じ部屋に居るルイに関すること以外にありえない。元クルーシァの人間であるドルフィンとシーナはザギに面が
割れている。仮にこの場で遭遇したら、顧問は配下の部隊をホテルに突入させる可能性が高い。
ザギが壮大な策略を張り巡らせたレクス王国で反政府組織の幹部として活動していたがザギと面識がないことが、イアソンにとって幸運なことこの上ない。
間違いなくホークと顧問はアレンを邪魔に思っている。それは狙う相手がルイであることを確証させるだけでなく、ホテル内では今でも何らかの形でアレン達に
対する諜報活動が行われていることも完璧に判明した。イアソンの臨機応変な行動や巧みな話術が見事に功を奏したと言えよう。

「顧問殿には申し訳ないが・・・、使用人との話はこのくらいにしていただきたい。食事の場に使用人ごときが居るなど、汚らわしいだけだ。」
「しかも、主人が栄えあるリルバン家次期当主に就任することを阻もうとしている輩が蔓延っている時期に、使用人ごときが大挙して押し寄せること自体不愉快
極まりないこと。ただでさえ辛気臭い場での食事が更に不味くなりますわ。」
「で、では失礼いたしましてもよろしいでしょうか?」
「あーもう!!何時までもへらへらした顔を向けないでくれる?!鬱陶しいわ!!」

 イアソンが退出の許可を申し出ると、ナイキが癇癪を起こして料理が乗っている皿を1つ掴んでイアソンに投げつける。料理がイアソンの顔の半分以上を
塗り潰し、更に服にもその余波を残す。料理をイアソンに押し付けた皿は床に落ちる。
他の使用人達が表情を強張らせる中、イアソンは粛々とその場に屈んで皿とぶつけられた料理の一部を拾って皿に乗せる。

「・・・では、失礼いたします。」

 イアソンが姿勢を元に戻した後、最初に入室した使用人が一礼して部屋を後にする。イアソンは皿を持ってそれに続く。兵士によってドアが閉められ、
再び兵士に囲まれた使用人達が隊列を組んで廊下を歩く。気まずく重い空気が垂れ込めている。
別館から出て兵士の警備から解放されたところで、先頭を歩いていた使用人がイアソンの方を向く。その表情は同情一色だ。

「・・・お前、新入りなのによく平気で居られたな。ナイキ様の八つ当たりに。」
「使用人も召使も、呼称こそ違えど立場は同じ。その家の上位の者がいかなる行為に及んでも耐え忍ぶのが基本というものです。」
「・・・あれでも、先代が在位中の頃より沈静化した方だ。先代の在位中、ホーク様とナイキ様は次期当主とその奥方になることが既定路線だと信じて疑わず、
我々使用人や小作人を口汚く罵ったり、様々な嫌がらせをされたりしたものだ。特にバライ族の人間には容赦なかった。それこそ虫けら同然の扱い。さっきの
ようにご自身の癇癪や鬱憤晴らしに使用人に料理を投げつけ、それを拾わせて食べさせ、更にはその様子を嘲笑ってさえ居られた。『黒い人間は床に
落ちたものでも食べていれば良い』などと言ってな。少しでも気に食わないと跪かせて足蹴にされることもあった。全く酷かったものだ。・・・特にあの人には。」
「先代の頃に何かあったのですか?」
「・・・ああ。お前はとりあえず顔を洗って部屋に戻って服を着替えて来い。それから少し話してやる。屋敷の中にホーク様やあの顧問とかいう胡散臭い仮面の
男に代わって動いている奴が全く居ないという保障はないからな。ホーク様の耳に入ったら、他の使用人がお前のように料理を投げつけられるやも知れぬ。」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。暫しお待ちを。」

 イアソンは一礼して駆け出す。内心では謎の核心に大きく近づけるというある種の興奮が湧き上がっている。
アレンにも伝えたが、一等貴族の絶対的権限は国全体だけでなく、その家計が所有する土地や邸宅内にも及ぶとイアソンは聞いている。しかし、その実例が
浮上したことは今までなかった。イアソンもさり気なく聞き出そうとしたが、何故か使用人達はそこには言及しようとしなかった。
 工作活動において「敵地」に潜入した場合、不利な条件が付きまとうことは多々ある。ましてやイアソンは使用人。ランディブルド王国で絶大な権限を有する
当主には及ばないがその実弟という威光を悪用して威張り当り散らされても、反撃に出るようなことは間違っても厳禁だ。
その観点からしてもイアソンの行動は的確だった。高慢なことでリルバン家邸宅内ではホークと並んで悪名高いナイキによる八つ当たりに新入りにも
かかわらずイアソンがひたすら使用人に徹したことが、他の使用人の心を動かした格好だ。
 既にシーナを経由する形で、問題の人物であるルイがバライ族を母とし、しかもその母はバライ族でも珍しいハーフのダークエルフだとイアソンは知って
いる。そのバライ族の使用人とホークとの間に過去に何があったのかを聞きだせることは、危険を承知で「敵地」に潜入した見返りとして余りある。
長く工作活動を主たる任務とする部隊の長として最前線で活動してきたイアソンにとって、一時の屈辱など何ら心に残るものではない。
新しく、しかも問題の核心に大きく迫れる可能性がある情報を聞きだせるという高揚感を抑え込みながら、イアソンは廊下を走る・・・。
 同じ頃、ホテルに割り当てられたアレン達の部屋の台所では、アレンとルイが早くも昼食の準備を始めていた。
リーナの8ジムという遅めの朝食の時間は一向に変わらず、10ジムに昼食というのも完全に固定されている。火を起こすには時間が掛かるから朝から
つけっ放し。かと言ってガスや電気と違って適時竈に薪をくべないと火が消えてしまう。そうなると一からやり直しだ。
その上、5人分の食器を洗い、やはり5人分の昼食の下準備をしなければならない。朝食のメニューはサンドイッチとティンルー、そしてアレンとルイが考案した
牛乳をベースとしたスープと少ないから洗い物は直ぐ片付くが、昼食の準備はそうもいかない。
この部屋で絶対的権限を振るうリーナが同じ食事が出されるのを拒否するし、クリスが1人で2人分3人分平らげる大食らいだから、下準備の量はその分
増える。朝食を済ませて一休み、といかないまさに召使そのものの生活だが、アレンはルイと長く過ごせることで不満が蓄積されないで居る。
 今日のメニューはシーサー1)とポテトサラダ。ポテトサラダは兎も角、シーサーは小麦粉や卵といった材料をしっかり混ぜて生地を作るところから始まる。
シーサーの存在を知ったリーナが「どうせ食べるなら生地から手作りのものにして」と言ったためだ。リーナの場合、「〜して」という語尾は「〜しろ」という
命令形の置換に過ぎないということが分かっている。生地から作る大変さを知っているアレンが難色を示した時に「文句言わない」と押し切った際に見せた
威圧感たっぷりの視線が、何よりの証明だ。
 今でなくてもリーナを窘めたり出来るのはドルフィンとシーナくらいだ。それ以外の人間は同じパーティーだろうが何だろうが、痛い目に遭わされる。
アレンは勿論癇癪のとばっちりで痛い目に遭うのは御免だし、アレンに加勢しようとフィリアが介入しようものなら火に油を注ぐことになるのはそれこそ
火を見るより明らかだ。今でこそリーナの絶対的権限で抑え込まれているが、フィリアとリーナの感情的ないがみ合いは今尚健在。乱闘騒ぎに発展したら
警備の兵士が駆けつけるだろうし、それを理由にルイから引き剥がされるようなことになったら、今は音沙汰をなくしているとは言え命を狙われていることが
確実なルイをみすみす凶刃の前に差し出すことになってしまう。我侭なリーナに絶対服従を強いられるのはアレンでなくても不満だが、今はルイの安全が
最優先だからそのような事態に発展することは何としても避けなければならない。

「これで良いかな。」

 服の袖を肘の上まで捲くったアレンは麺棒を脇に置いて、額から滲み出る汗を拭う。
シーサーを作るために警備の兵士に依頼して用意してもらった広い俎板には、直径25セムほどの円形の白い生地が4枚ある。シーサーの生地を作るには
時間は勿論、力が必要だ。十分力を入れて練りこまないと生地が均一にならず、焼く際に熱の通りに斑を生じる。そうなると当然リーナが作り直しを命じる
だろうし、当然二度手間になる。生地作りを入念に行うことは後の失敗を未然に防ぐことでもある。

「ルイさんはどう?」
「もう少しです。」

 竈と連結している広いスペースで生地作りをしていたアレンに、テーブルで同じく服の袖を捲り上げて生地作りをしていたルイが手を休めて答える。
ルイも額に滲む汗を拭う。やはり生地作りを念入りに行っていることが窺える。
 当然1人で全員の分を用意するのは時間的にも無理だから2人で分担している。アレンは自分とフィリアとリーナとルイの分。ルイはクリスの分だ。
担当する人間の数だけ見ればアレンの方が多いが、ルイが作るクリス用のシーサーはアレンと同じく4枚。つまりクリスは1人で4人分食べるというのだ。
勿論アレンはクリスに食べられるのか確認したが、「道場の稽古が終わってから夕食の前に家で2枚は食っとったでな」というある意味恐ろしい答えが返って
来た。しかし、今まで見てきたクリスの底なし胃袋ぶりを思えば、4枚で足りるだろうかという逆方向の心配を呼び起こしさえする。
 アレンはルイの傍に歩み寄る。見たところ白い円が4枚綺麗に出来ているが、もう少し練りこむつもりなのだろう。
教会では村の中央教会の祭祀部長という名誉ある役職だが、総長と副総長以外は料理や洗濯を当番制で受け持つと、今朝の朝食の準備の時アレンは
聞いた。
ルイの料理の腕は、パーティーの中でシーナと一二を争うアレンと肩を並べる。それに加え、料理をより美味しく作ろうという姿勢も顕著だ。料理なども
修業の一環という。非正規を含めると相当な人数の食事を用意するとなれば、ルイの性格からして修行の成果を示そうとより自己研鑽に勤しむだろう。
幼い頃自分を敵視・軽蔑していた強硬派を完全に沈黙・平伏させ、報復を恐れさせるに至っても尚自分に妥協しないルイは、アレンの好感を高める要因の
1つだ。

「もう・・・十分練り込んであるよ。」

 アレンは成型された生地の1枚に軽く人差し指を押し当てる。感じる適度な弾力はルイの力の入れ様を十分感じさせる仕上がりだ。

「気持ちもう少し練り込みたいんです。」
「じゃあ、俺がするよ。ルイさんは休んでて。」
「でも・・・。」
「俺なら大丈夫だから。今日はルイさんが大変な日だし。」
「・・・すみません。お願いします。」

 ルイは少し躊躇った末にアレンの勧めを受け入れる。
実は今日、ルイは女性特有の生理現象に見舞われている。今朝からこれまでと違って幾分動きが鈍いルイを見て心配したアレンは朝食の準備で尋ねたが、
内容が内容だけにルイは口を濁し、疑問が消えなかったアレンが朝食の席で尋ねたところ、クリスの返答とリーナの呆れ交じりの補足を受けた。
朝食後の僅かな時間にクリスが、ルイの月経は耐えられないわけではないが絶え間なく続く針で刺されるような腹痛を伴うものだとアレンに小声で教えた。
絶えず腹痛が続くというのは強い痛みと同様に我慢を強いられる。むしろ「痛い」という言葉が口に出るレベルではない分、常に付き纏う痛みに耐えるのは
厳しい。
 そのことを知ったアレンは勿論、ルイに今日は休むように進言したが、料理の準備を量を考えるとそれは出来ない、とルイが受け入れなかった。ならば、と
アレンはリーナに今日の食事は外で済ませようと提案したが、リーナは「外に出るのは危険だから出来るだけ避けたい」と退けた。フィリアとクリスを
引き連れて部屋を出ては図書館で新しい本を借りてきてのんびり読書に耽っているのに何を今更、とアレンは怒りに任せて口走りそうになったがどうにか
堪え、ルイも村に居た頃も普段と変わらない生活を送っていたから大丈夫、と言ったため、アレンは苦渋を感じつつルイとの共同作業を決断した。
 リーナがシーサー作りを命じた時にもアレンは生地くらいはレストランから取り寄せようと提案したのだが、やはりリーナに一蹴された。アレンとルイとの
これ以上の接近を阻むことも兼ねてフィリアがアレンへの協力を持ちかけたが、これまたリーナに一蹴された。料理はアレンとルイに任せるのが一番、と
言ったのに続き、護衛の分際でのこのこ護衛対称から離れるな、とやはり威圧感たっぷりの視線でダメを押した。
 そんなこともあって、アレンが抱くリーナへの不満は日々召使のようにこき使われることから、同じ女性として女性特有の生理現象を知っていながらルイを
休ませないことに対する怒りが変貌したものが大きな割合を占めている。

「リビングで横になってた方が良いよ、ルイさん。」

 ルイを案じるアレンは、麺棒から手を完全に離していないルイの右手に自分の右手を添える。ルイは少し驚いた様子でアレンの方を向く。

「痛みがどんなものかは本人じゃないから想像するしかないけど、これだけのシーサーを焼くのには時間がかかるからその間だけでも休んでた方が良いよ。
座るより横になる方がより楽だろうから。」
「いえ、座れるだけでも十分です。」

 ルイはそう言って俯く。それに続いてその頬が仄かに赤らんで来る。

「顔が赤いよ。熱も出て来たんじゃない?」
「こ、これは熱じゃありません・・・。」

 ルイは即座に発熱であることは否定するが、その後が続かない。再び俯いてしまう。
頬の赤みもあいまって色気を感じさせるルイの横顔にアレンは思わず見とれてしまうが、頬を赤らめる理由が気になる。

「でもどうして・・・?」

 アレンの問いに、ルイは暫しの沈黙を挟んで俯いたまま口を開く。

「・・・アレンさんに手を添えられて、胸がドキドキして・・・。」
「あ・・・、い、嫌だった?」

 ルイのものは元より自分の心情も度外視するようなアレンの問いに、ルイは無言で首を横に振る。好意を抱く相手に手を添えられて嬉しさや期待感などを
感じはしても、不快感を感じる人は余程の潔癖症でもない限りまず居ないだろう。
アレンは意識してルイの手に自分の手を添えたのではないが−そんな意識や行動力があるくらいなら既に恋愛関係が成立している−、ルイにしてみれば、
求愛の意思表示をしている相手に自分の身を案じてもらい、手を添えられることでその温もりを感じられるのだから、胸が高鳴るのは当然だ。
 ルイの反応が自分を嫌悪してのものではないと分かったアレンの胸も自然と高鳴る。今は万が一に備えて薬で女になっているが、頭の中身は男のままだ。
異性への関心、とりわけ好意を抱く相手への関心はきちんと備わっている。それに、アレンが恋愛に踏み込むことを躊躇わせてきた最大の要因である
女性的な外見と背が高くて体格が良く力強い「男」を志す気持ちのギャップから生じた劣等感を克服する足がかりを作ってくれたのは他ならぬルイだ。
そういった条件が重なれば、添えた手を離すのを惜しむ気持ちも生じる。
アレンはルイの手を軽く握る。シーサーの生地とは異なる弾力がアレンの胸の鼓動を更に早める。ルイは頬を赤らめてはいるが、アレンの手を払い除けようと
しない。言葉には出さないが手を握ってほしいとその横顔が言っているように思える。
 思えばルイの手を握るのはこれが初めてだ。出逢ったその日の夜に警備の兵士に扮装した刺客に襲撃されたルイを間一髪救出した後、大粒の涙を流し
ながら自分の胸に飛び込んできたルイを抱きしめた時にその温もりと感触に暫し浸ったが、生憎その時の事情もあって中断を余儀なくされた。
身体は女だが頭は男のままであるアレンは、これが女の子の手の感触なのか、と思いながらルイの手を握り続ける。

「ねえー。まだ出来ないのー?」

 アレンとルイのひと時は、今度はリビングからのリーナの催促で中断させられる。我に帰ったアレンはルイから手を離し、リビングの方に顔を出して、
もう直ぐ生地が出来る段階だ、と言ってから生地の仕上げに取り掛かる。
その間に椅子に腰掛けたルイは、絶え間ない腹痛を堪えつつも自分に代わって汗を流してくれる真剣な眼差しのアレンに、熱い視線を贈る・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

1)シーサー:この世界におけるピザの呼称。元はルイとクリスが住むヘブル村も含むランディブルド王国北方の郷土料理。現在は全国に広まり、その地域に
おける食材をトッピングに使用していて様々な味が楽しめる。


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