Saint Guardians

Scene 5 Act 1-2 希望U-WishU- 二人迎える二人の夜

written by Moonstone

 モールの町に夜の帳が下りた。
夕食を済ませたドルフィンとシーナは一旦自室に戻り、予め買い込んだ大きめのタオルと洗面用具と着替えを持って、水浴び場へ向かう。
国土の殆どが砂漠のカルーダ王国は年中夏のようなものなので、一部を除いて湯に入るという習慣がない。但し昼夜の温度差がかなり激しいため、夜が
深まる前に水浴びをするのが普通である。
 ドルフィンは服を脱いで水浴び場に入る。岩石の塊のような肉体の彼方此方に傷跡があり、厳しい修行や激しい戦闘を掻い潜って来たことを物語っている。
他の宿泊客も、ドルフィンの肉体と鋭い眼光−本人は意識していないのだが−を目の当たりにして、思わず道を開ける。
ドルフィンは空いている枠1)に入ると枠桶に水を汲み、頭から水を被る。幾重もの水滴がドルフィンの身体を伝う。2回頭から水を浴びたドルフィンは、
踵を返して水浴び場を出て更衣室で身体の水分を拭い、半袖シャツとズボンを着る。寝る時のスタイルだ。更衣室を出たドルフィンは、入り口のところで
シーナが出て来るのを待つ。ちなみに部屋の鍵はドルフィンが持っている。
 一方のシーナも、ドルフィンが水浴び場に入ったのと時をほぼ同じくして服を脱いで水浴び場に入る。丸みをふんだんに帯びた、凹凸のメリハリが
はっきりした女神像を思わせる見事なプロポーションを見た他の女性客は、思わずシーナに見惚れる。シーナは十分空きがある−宿泊客は男性が多い−
枠の一つに入ると、ポニーテールを解き、背中の半分を超える長さの鮮やかな金髪を垂らす。そして桶に水を汲み、ドルフィンと同じく頭から静かに水を被る。
白い肌と美しい金髪が水を弾き、宝石のような煌きを発しながら滴り落ちる。
シーナは3回水を浴びると、枠から出て更衣室に向かう。タオルで長い髪を丁寧に拭って再び束ねてドルフィンから貰った髪飾りを着け、同じく全身を丁寧に
拭うと、新しいペレーを着て更衣室を出る。

「お待たせしました。」

 真正面で壁に凭れて待っていたドルフィンに、シーナは挨拶する。

「いや・・・。それじゃ水場へ行くか。」
「はい。」

 ドルフィンはシーナの手を取って水浴び場に隣接する水場へ向かう。水場で二人は歯を磨き、口を濯(ゆす)いで寝る準備を完了する。
そして再びドルフィンがシーナの手を取って自分達の部屋へ向かう。
 ドルフィンが持っていた鍵で施錠を外し、ドアを開けてシーナを先に中に入れる。ドルフィンはその後に続いて入って鍵を締め、二人は荷物をリュックに
仕舞う。そしてドルフィンは、部屋に備え付けの小さな竃(かまど)に魔法で火をつけ、湯を沸かしてティンルーを入れる。
夜が深まると部屋はかなり涼しくなる。寝る前にティンルーを飲んで身体を温めるのがこの地方での習慣のようなものだ。
 シーナは静かにティンルーを啜る。ドルフィンはティンルーを飲みながらその様子を愛しげに眺める。ティンルーを半分ほど飲んだところで、シーナは
カップを皿に置き、ドルフィンを見る。シーナの視線を感じたドルフィンは、カップを皿に置いてシーナに声をかける。

「どうした?」
「ドルフィンさんは・・・辛くないですか?」
「・・・辛くないと言えば嘘になるな。」

 シーナの質問の意味を察したドルフィンは、しんみりした口調で答える。視線をやや下に落とし、ドルフィンは寂しげな笑みを浮かべる。

「だが、カルーダに行けば希望がないわけじゃない。それが今の俺にとっての心の支えだ。それに・・・。」
「それに?」
「シーナ、お前が俺について来てくれることが俺にとって何よりも心強い。俺にとっての最大の心の支えはシーナの存在なんだからな。」

 シーナはほんのりと頬を赤らめる。
目の前に居る体格も立派な、しかも尋常でない強さを持つ豪傑の青年が、何の力もない自分を最大の心の支えだと言うのだ。驚くのは勿論、胸を高鳴らせる
ものでない筈がない。
だが、ドルフィンの表情と瞳は至って真剣で、同時に深い愛情に満ちている。お前に言うことに嘘や誇張はない、と訴えているのがよく分かる。
シーナは照れ隠しにティーカップを手に取るが、視線を水面に落としたままで飲もうとはしない。ドルフィンはティンルーを一口啜ってティーカップを置く。
 沈黙の時間がゆるりと流れていく。
ティーカップを弄んでいたシーナは思い切って顔を上げ、ドルフィンに尋ねる。

「ドルフィンさん。私とドルフィンさんは、どうして離れ離れになってしまったんですか?」

 シーナの核心を突く問いに、ドルフィンは沈黙を続ける。果たして言って良いものかどうか、考えているのだ。その間、シーナはドルフィンに視線を
固定して、微動だにさせない。
やがてドルフィンはティンルーを一口啜ると、閉じていた口をやや重々しそうに開く。

「・・・俺とお前は、クルーシァに居た。」
「クルーシァって、優れた剣士と魔術師が集う、伝説の修行国家・・・。」
「ああ。お前が家出してまで俺の後を追ってクルーシァに入り、俺は師匠の下で、お前は俺の師匠が紹介した魔術の師匠の下で修行に励んだ。年月は流れ、
俺は師匠から後継者として認められ、シーナ、お前はクルーシァの魔術大学の主任教授に着任し、互いに剣と魔術の道を極めた。そんな俺とお前は
厳しい修行の間に愛を育み続け、俺が師匠から後継者の証であるこの剣を授かった日に婚約し、一緒に住むようになり、あとは結婚式の日を待つばかりと
なった。だが・・・あの日・・・。」
「・・・。」
「結婚式を当日に控えた早朝、クルーシァでクーデターが勃発した。首謀者はセイント・ガーディアンの覇権主義者共の筆頭ガルシア。不意を突かれたことで
クルーシァはあっという間にクーデター側の手に落ち、俺とお前、そして俺とお前の師匠はそれぞれクルーシァから脱出した。」
「・・・。」
「俺とお前はドルゴに跨り、海をひたすら南に向かって走らせた。極寒の南極を越え、デトラクス帝国2)の領海もすり抜けて、ひたすら逃げた。だが、追っ手は
容赦なく俺とお前に襲い掛かってきた。勿論迎撃したが、数が圧倒的に多い上に攻撃力が俺とお前に匹敵する集団だったが故に俺とお前は窮地に
追い込まれた。そこで俺はある選択肢を選んだ・・・。」

 結界を耐え目なく撃ち続ける魔法と武器の嵐。そして視界を遮る天候の嵐。
休む間もない連戦による疲労とドルゴの手綱を握るドルフィンは結界を伝わってくる激しい衝撃波の前に、操縦するのが精一杯という状況になっていた。
シーナが魔法で応戦するものの、あまりの追っ手の多さに魔力がどんどん低下し、肩で息をして、額には大粒の汗が滲んでいる。

「シーナ!ライフジャケットを着ろ!」

 ドルフィンが後ろを振り向いて叫ぶ。

「どうして?」
「いいから着ろ!」

 ドルフィンの強い言葉にシーナは逆らえず、応戦の手を休めて、背負っていたリュックからライフジャケットを取り出し、急いで着る。それを見ていた
ドルフィンは、シーナがライフジャケットを着た次の瞬間、シーナを突き飛ばす。シーナは海に放り出される。シーナは慌ててドルゴの後尾にしがみ付き、
ドルフィンを問い質す。

「ドルフィン!どういうつもりなの?!」
「このままじゃ共倒れだ!お前は逃げろ!奴らは俺が相手する!」
「そんな!幾らドルフィンでも、あれだけの強力な兵団をドルゴを操縦しながら相手にしてたら身体がもたないわ!」
「そんなことは百も承知だ!」
「ドルフィン!」
「お前だけでも逃げろ!Wizardのお前なら転移の魔法3)が使えるだろ?!そいつで出来るだけ遠くに飛べ!」

 攻撃は益々激しくなってきて、結界の表面が激しく波打ち、衝撃波は絶え間なくドルフィンとシーナに襲い掛かる。ドルゴの後尾にしがみ付いていた
シーナの手が、衝撃波の影響と海水による摩擦力の減少で徐々にドルゴから離れていく。

「ドルフィン!!」
「大丈夫だ。必ず生きて会おう。そしてその時こそ・・・結婚しような。」
「ドルフィン!!」
「早く行けぇ!!ぶった切られたいのか?!」

 怒声とは裏腹に酷く悲痛なドルフィンの顔を見たシーナは、涙ながらに言う。

「絶対よ!!絶対生きて会うんだからね!!結婚するんだからね!!」

 シーナはドルゴの後尾から手を離し、右手の人差し指と中指を左手で握り、左手の人差し指を立てて早口で呪文を唱える。

「デュミスト・エレファイカル・シームルエンド・クルハード!全ての精霊よ!我が身をかの地へ飛ばしたまえ!」

 結界から出たシーナは、急速に離れていくドルゴに向かって涙で頬を濡らしながら叫ぶ。

「絶対生きて会うんだからね!!約束よ!!ワープ!!」

 魔法の名前を口にすると4)、シーナの身体がかき消すように瞬間的に消えてしまう。
それを見届けたドルフィンは一瞬悲しげな笑みを浮かべた後、直ぐにドルゴを操縦しながら魔法で応戦するという離れ技に打って出る。しかし、如何に
Illusionistのドルフィンと言えど、それに匹敵する集団が圧倒的な数で追って来るのだから、とても全滅に追い込むことが出来ない。
剣で一網打尽にすることも可能だが、複雑に島が浮かぶこの海域で背後を向くこと自体が危険なのに、手綱を放すのは危険を通り越して無謀だ。
ドルフィンは複雑な地形を縫うようにドルゴを操縦して、逃げることに重点を置く。
 結界の表面が激しく波打ち、衝撃波がドルフィンの背中に叩きつけられる。流石のドルフィンも苦痛に顔が歪む。追っ手の中にIllusionistが
加わったのだろう。魔法の連続攻撃でついに結界が破られてしまう。
ドルフィンが結界を張り直すより先に、ドルフィンに対して武器と魔法の集中砲火が降り注ぐ。たちまち傷だらけになったドルフィンは、ドルゴの額に手を
翳してドルゴを消す。傷ついたドルフィンの身体は海面に崩れ落ちる。

『シーナ・・・。済まない。お前との約束は守れそうにない・・・。せめてお前だけは幸せになってくれ・・・。』

 ドルフィンはゆっくりと目を閉じる。魔力の消耗で意識が朦朧としてきたのだ。
そこに容赦なく魔法の集中攻撃が降り注ぐ。海面に激しい爆発が起こり、ドルフィンの身体は一片の木の葉のように舞い上げられ、嵐の海の中に消える・・・。
 ドルフィンから、自分とドルフィンが離れ離れになった一部始終を聞いたシーナは言葉を失う。身体を張って愛する者を逃がし、自分は手加減無用の
攻撃を受けて生死の境を彷徨う道を選んだのだから無理もない。対するドルフィンは、話を終えると残りのティンルーを飲み干してティーカップを置く。

「・・・そして俺が目を覚ましたのは、レクス王国の首都ナルビアの宿屋の一室だった。嵐で海流が乱れていたせいで、俺は運良く追っ手から逃れ、
ナルビアに面したサンゼット湾に流れ込み、海岸に打ち上げられたらしい。その間のことは意識がないから、俺を助けてくれた恩人からの受け売りだがな。」

 シーナの大きな青い瞳から涙が溢れ出し、ポロポロと零れ落ちる。頬を伝う涙を拭うことなく、シーナは震える声を絞り出す。

「私を逃がすために・・・ドルフィンさんは・・・。」
「でも生きて会うという約束は守れた。あとはお前が記憶を取り戻してくれればそれで良い。俺はお前を守る力を身につけるためにクルーシァに渡ったんだ。
お前に魔法を使わせたとは言え、お前を追っ手から逃がすことが出来て満足だ。身体の傷は癒えるが、お前を失うという心の傷は絶対に癒えることは
ない・・・。」
「ドルフィンさん・・・。」
「もう泣くな。俺はお前の涙を見ることだけは耐えられないんだ・・・。」

 ドルフィンは少し身を乗り出して、シーナの頬を伝う涙を優しく拭う。しかし、シーナの涙はその流れを止めようとはしない。
シーナはティーカップを投げ出すように置き、両手で顔を覆う。まさに我が身を挺して自分を守ってくれた。だが、自分はそのことはおろか、守ってくれた
相手のことさえ思い出せない。そんなどうしようもないもどかしさと悲しさがシーナの心を塗り潰す。
 ドルフィンはシーナを慰めようとはせず、静かに立ち上がってシーナの傍らに腰を下ろし、シーナの肩を抱く。両手で顔を覆って嗚咽を漏らすシーナを、
ドルフィンは優しい、しかし寂しげな瞳で見守り続ける・・・。

 10ミム程してシーナがようやく泣き止む。
ドルフィンは明朝この町を出るから、と言ってランプの火を消す。暗転した室内は静寂が支配する。
ドルフィンとシーナはそれぞれ布団に入り、仰向けになって目を閉じる。二人の床は50セム程離れているが、その距離は無いにも等しい。
もしかして、という予感が−それは決して悪いものではないが−シーナの頭を過ぎったが、ドルフィンは規則的な呼吸音を微かに立てている。
シーナは改めて安心すると同時に何か物足りなさを感じ、そんな自分に頬を赤らめる。目を閉じたは良いものの、シーナの頭は冴えてしまって睡眠の世界に
足を踏み入れることが出来ない。明日睡眠不足でドルフィンに迷惑をかけるわけにはいかない、と思い、呼吸を鎮めて寝る態勢を整えるが、それでも
眠れそうにない。
 シーナはドルフィンの方を向く。ドルフィンは目を閉じて安らかな寝息を立てている。昨日は自分を寝させるために殆ど寝てないだろうから直ぐ寝入って
しまっても不思議ではない、と思ったシーナは、ドルフィンを起こさないようにそっと寝床から出て窓辺に向かう。木製の窓を音を立てないように半分ほど
開けて、シーナは外を見る。
あれほど賑わっていた通りには人影一つなく、不気味なほどに静まり返っている。転じて空を見上げると、星の煌きを遮るかのように、満月が乳白色の光を
放っているのが見える。
満月の夜、二人部屋でのドルフィンとの就寝。そこにシーナは何かがあるような気がしてならないが、それが頭に思い浮かんでくることはない。
何としてでも思い出そうとすると、今度は頭が痛くなってくる。
 シーナは記憶の糸を探るのを止め、改めてドルフィンの方を見る。ドルフィンはまったく目覚める気配がない。やはり疲れていたのだろう。
シーナを寝させるために昨夜殆ど眠らず、その上ドルゴを連続して走らせていれば、肉体的にも精神的にも疲れが溜まって当然ではある。
シーナは窓を静かに閉めると、物の輪郭が微かに浮かぶだけの暗闇の室内を音を立てないように歩き、ドルフィンの寝床に潜り込む。ドルフィンの肩口を
枕にしてドルフィンにぴったりくっついていると、不思議と心が安らぐのを感じる。
自分から異性の眠る寝床に入るなど勿論初めてだ。しかし、何の抵抗も感じない。むしろそれが当たり前のような気さえする。これがドルフィンでなかったら、
決して床に潜り込むようなことはしない。わざわざ蜘蛛の巣に引っかかりに行くようなものだ。それ以前に二人部屋にすることを頑なに拒否しているところだ。
ドルフィンは、寝る前の話で自分との婚約後一緒に住むようになったと言っていた。となれば、褥を共にしていても不思議ではない。
それどころかそれ以上のことも・・・。
 シーナは顔が火照るのを感じながら、ドルフィンの胸に乗せた左手に意識を向ける。とくん、とくん、・・・と一定の周期で刻まれる心臓の鼓動が伝わってくる。
自分を救うために我が身を挺したと言う。そして今は自分の記憶を取り戻させるため、懸命になっている。こんな男性になら恋焦がれるのも納得がいくし、
今の自分もそうなりつつあるのを感じる。シーナはゆったりと眠気が意識を支配していくのを感じながら、ドルフィンとの過去に思いを馳せる・・・。

 同じ頃。
マリスの町の町長邸の一室では、リーナが独り窓辺に腰掛けて満月を眺めていた。
ドルフィンがシーナを連れて町を出た後、リーナは元々少なかった口数を更に少なくし、図書室で読書をするか、部屋に篭るかのどちらかで一日の大半の
時間を費やしていた。
 リーナにとって、ドルフィンのシーナとの再会は来て欲しくない瞬間だった。そのシーナが記憶を失っていることで一時は安堵した。
しかし、ドルフィンはシーナの記憶を取り戻そうと必死になり、とうとうアレン達の計らいで連れ出されたシーナを伴って町を出て行ってしまった。
ドルフィンの心からシーナの存在を取り除き、その代わりに自分が納まる。そんなリーナの淡く切ない、同時に大胆な野望とも言える期待は水泡に帰して
しまった。
ドルフィンにとってシーナは掛け替えの無い存在であり、自分がどう足掻こうがシーナに取って代わることは出来ない。所詮自分はドルフィンにとって
妹同然の存在でしかない。それを思い知らされたリーナは、切ない溜息を吐くしかなかった。

「ドルフィンが出て行ってから・・・かなり経つわね・・・。」

 リーナは月を見ながら呟く。その表情は普段決して見ることが出来ない、切なさ溢れるものだ。

「シーナさんの記憶・・・戻ってくるのかしら・・・。」

 リーナは今尚微かな「希望」を抱いている。その「希望」は決して誰にも口にしない。ドルフィンには尚更だ。
ドルフィンを慕うリーナにとって、シーナの記憶復活は自分とドルフィンとの「蜜月」の終わりを意味する。そんなことは考えたくもない。ドルフィンは何時までも
自分のものだ。不謹慎だとは承知の上で、リーナは月に向かって「希望」が適うことを願わずにはいられない。
夜が更けても尚、リーナは窓辺に座って月を眺め続ける・・・。
 ドルフィンの意識が深淵からゆっくりと浮上してくる。目を開けると、左肩に軽い重みを感じてその方を向く。
長い金髪の束が左肩口に乗っかっていた。そして胸には白い手が添えるように置かれている。ドルフィンは敵意を感じなかったため目覚めなかったのだが、
まさかシーナが自分の寝床に潜り込んでいるとは思わなかった。
ドルフィンが愛しげにシーナの寝顔を見ていると、シーナの瞼がぴくぴくと動き、ゆっくりと開いていく。

「よく寝られたか?」
「はい・・・。」

 シーナはドルフィンの肩口を枕にしたまま微笑んで頷く。
寝ている間に自分の寝床に潜り込むとはふしだらだ、と言われるのでは、と一瞬思ったシーナだったが、ドルフィンの表情も口調も穏やかなものだったので
その不安は直ぐに消し飛ぶ。そして代わりに、聞いても仕方がないことだとは思いつつもどうしても聞きたいことが心の奥から急浮上してくる。

「ドルフィンさん。私とドルフィンさんは・・・一緒に寝てたんですか?」
「・・・婚約してからはな。」

 ドルフィンの答えに、シーナはやはり、と思う。初めての筈なのにそう感じないどころか安心感さえ得られたということは、それが身体に染み込むほど
経験していることを意味する。それに婚約という重大な「契約」が交わされている仲であれば、それ以上のことがあっても何ら不思議ではない。
シーナは頬を赤らめ、ドルフィンに顔を見られないようにドルフィンの胸に頭を乗せて蹲るように身体を丸める。

「さ、起きて朝飯を食いに行こう。此処を出たら暫く砂漠の旅だ。十分体力をつけておかないとな。」
「は、はい。」

 シーナはがばっと身体を起こし、それに続いてドルフィンが身体を起こす。
シーナに背を向けさせてドルフィンが着替え終わると、二人は洗面用具を持って−ドルフィンは水筒も持って−部屋を出て食堂へ向かう。
まだ朝が早いのか、食堂は閑散としている。
ドルフィンとシーナは朝食が運ばれてくるまでの時間、向かい合って過ごす。会話のネタは昨日の夕食やその後の時間でほぼ尽きた。だから取り立てて話す
ことはない。それでもドルフィンは退屈する様子もなく、シーナは不満を言うことなく、ただ穏やかな表情で互いの顔を見詰め合う。
 少しして朝食が運ばれてくる。二人は黙々と食事を始める。会話がなくても、二人の食事のペースはほぼ一致していて、傍目からは息の合った恋人か
夫婦にしか見えない。静かでゆったりとした朝食の時間が流れていく。
 二人がほぼ同時に食事を食べ終わる。顔を上げた二人は顔を見合わせて小さく頷き、席を立つ。そしてその足で水場へ向かう。二人は歯を磨いて口を
濯(すす)ぎ、ドルフィンは持ってきた水筒に水を入れる。
これから先暫くは砂漠の旅が続く。肉体を極限まで鍛えて極限状況にも耐えられるようになっている自分は別として、今は無力なシーナに不自由をさせる
わけにはいかない。いざとなったら水系の魔法で水を出すという手段もあるのだが、乾いた砂地に水を出しても直ぐに吸い込まれてしまって飲むどころでは
ない。それに途中立ち寄る予定のオアシスも枯れてしまっている可能性がまったくないとは言い切れない。だから水筒にありったけの水を補給しておく
必要があるのだ。
 水を汲み終えたドルフィンは、シーナと共に部屋に戻り、それぞれ荷物を持って部屋を出る。ドルフィンが受付のカウンターに鍵を返し、二人は宿を出る。
通りは朝早くから随分賑わっている。商人の威勢の良い呼び声が彼方此方から聞こえる。ドルフィンとシーナは手を取り合い、昨日立ち寄った武器屋へ
向かう。武器屋は既に開いていて、数人の剣士らしい男達が訝しげに二人を見る。
 武器屋という場所に女連れは浮いて見える。だが、ドルフィンの体格と鋭い瞳が、男達を萎縮させて遠巻きに二人を見る。何処かのお嬢様の旅行を
護衛する腕利きの剣士か、それとも恋人同士なのか、と男達はあれこれ想像する。
ドルフィンはカウンターに向かい、主人に声をかける。

「昨日、武器を頼んでおいた者だが。」
「おお、あんたか。出来ておるぞ。ちょっと待ってくれ。」

 主人は鍛冶の音が聞こえる店の奥に引っ込み、直ぐに何かが大量に詰まっている皮袋を持ってくる。主人は皮袋から武器を、両端が鋭利に研ぎ澄まされた
金属の針を見せる。

「・・・良い出来だな。」
「あんた、これを武器に出来るのかい?大したもんだね。」
「慣れの問題だ。そうそう、料金だ。100ペレだったな。」

 ドルフィンは100ペレの金貨を皮袋から取り出してカウンターに並べる。主人は金貨を数えると、皮袋に金属の針を仕舞い、皮袋ごとドルフィンに差し出す。

「皮袋はサービスするよ。」
「悪いな。」
「毎度あり。」

 ドルフィンは皮袋を受け取ると、それをズボンのベルトに括りつけ、シーナの手を取って武器屋を出る。
二人はかなり賑わう大通りを歩き、入った出入り口から町を出る。ドルフィンがドルゴを召還して跨り、その後ろにシーナが座ってドルフィンの腰に手を回す。

「それじゃ、行くぞ。」
「はい。」

 シーナの声を聞いて、ドルフィンは前を向いて手綱を叩く。
ドルゴは二人を乗せてモールの町から急速に遠ざかっていく・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

1)空いている枠:水浴び場は水が溜まっている半径1メール半程の水汲み場を単位にして木の壁で区切られている。普通のシャワー室を想像してもらえば
良い。


2)デトラクス帝国:北極近くに位置する巨大帝国。鎖国を敷いている上、外部との接触を極端に嫌う排他的性格のため、その正体は謎に包まれている。

3)転移の魔法:力魔術の一つで古代魔術系に属する。名称はワープ。触媒は不要だが現有の魔力を全て消費する。術者の思い描いた場所に瞬間移動
する。効果範囲はゼロレンジで術者のみ。Wizardのみ使用可能の難しい魔法


4)魔法の名前を口にすると:魔法の呪文は導入部、制御部、発動部に大別出来、魔法の名称は発動部に相当する。発動部を言わないと魔法は発動しない。
これを利用して、時間差攻撃やパーティーの他の魔術師と呼吸を合わせて魔法を一斉使用するなどのことが出来る。


Scene5 Act1-1へ戻る
-Return Scene5 Act1-1-
Scene5 Act1-3へ進む
-Go to Scene5 Act1-3-
第1創作グループへ戻る
-Return Novels Group 1-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-