Saint Guardians

Scene 2 Act1-3 不信-Distrust- 一時の再会、蠢く闇の胎動

written by Moonstone

 ドルフィンは自分の部屋に荷物を置いて身繕いをした後、1階の事務室に向かう。事務室は広大な店舗の脇にあり、「事務室」と書かれた札が掛かっている。
ドルフィンがドアをノックすると、どうぞ、という返事が返って来る。ドルフィンはドアを開けて中に入る。
部屋の中では、やや白髪が多い茶色の髪の細身の男性が、豪華な木製の机の上で書類に羽根ペンを走らせている。この男性こそ、家の主でありリーナの
父である、フィーグ・アルフォンである。

「小父さん。ドルフィンです。ただいま帰りました。」

 ドルフィンが言うと、フィーグは驚いたように顔を上げ、ドルフィンを見て表情がぱあっと明るくなる。

「おお、ドルフィン君じゃないか!リーナから帰って来たと聞いてはいたが。いやあ、無事で良かった!」
「長い間留守にしまして、すみませんでした。」
「いやいや、君自身のことだから私にとやかく言う資格はない。それよりも無事で何よりだ。まあ、そこに座ってくれ。」

 フィーグはドルフィンを前のソファに案内する。ドルフィンはソファに腰を下ろす。フィーグも羽根ペンを走らせていた手を休めて、ドルフィンの向かいに
腰掛ける。

「2ヶ月ぶり・・・だね。リーナが随分寂しがっておったぞ。君の旅先から手紙が来ると真っ先に取りに行って、何度も読み返して。」
「いきなり抱き着きの歓迎を受けましたよ。」
「そうだろうなあ。いつ帰って来てもいいように、と言って、君の部屋を毎日掃除しておったよ。」
「中に入ったら随分奇麗でびっくりしましたが、そのせいですか。」

 フィーグはやや真剣な表情になる。

「で・・・首尾はどうだったかね?」

ドルフィンは少し暗い表情で首を横に振る。

「そうか・・・。残念だな。」
「彼方此方探し回ったんですが、全く手がかりすら掴めなくて・・・。」
「私も此処に来る客から色々聞いてはみたが・・・。まあ、気を落とさないでくれ。」

 フィーグは、沈んだ様子のドルフィンを慰める。

「ところで…、ちょっと聞きたいことがあるんだが。」
「何ですか?」
「リーナから聞いたんだが、君はテルサに立ち寄ったそうだね。そこで、国家特別警察とかいう奴等と出くわさなかったかい?」
「会いました。邪魔するんで蹴散らしましたが長官だけはとっとと逃げました。」
「そうか・・・テルサのような小さい町にまで派遣しているとは、どうやら一時の酔狂ではないようだな。」
「ミルマには、何時?」
「…3週間ほど前かな、突然黒い鎧を着た兵士達の大軍が押し入って来て、これから町は我々が管理すると一方的に宣言して町役場に陣取りおった。
自警団も強制解散だ。逮捕者が何人も出て町中良い迷惑だよ。」

 フィーグは怒りを込めて状況を説明する。ミルマは首都ナルビアに比較的近いため、テルサよりも早くから国家特別警察の支配下に置かれていたのである。

「1週間ほどして、この店にも来てな。お前の店は町の自治に反抗しているから問題があると。奴等、ミルマ経済連と結託しておるわ。経済連の言いなりに
ならんこの店を、兵士の権力に便乗して潰そうと考えておるんだろう。」
「こういう事態になったら、そういう行動に出るだろうとは思ってましたが、やはり来ましたか。」

 ドルフィンはやはりという表情で答える。
ミルマ経済連とは、正式名称をミルマ経済者連合会といい、王宮や中央役人など大口の相手と取り引きのある大商人や大規模工場の経営者で構成された
団体で、経済活動の自治を掲げて活動している。しかし、それは表面上だけのことで、裏では自分の利益を上げるために対抗する商店を潰そうと工作したり、
取引の繋がりを利用して王族や中央役人に賄賂と引き換えに便宜を図ってもらうなど、悪質な行動が度々取り沙汰されている。
 フィーグの店は規模的にはミルマ随一のもので、元々ミルマ経済連の会員だったが、ミルマ経済連の余りの卑劣なやり口に抗議したために除名処分に
され、それ以降、ミルマ経済連の横暴に対抗するべく中小の商工業者で組織された、ミルマ商工連(正式名称はミルマ商工業者連盟)の代表として、ミルマ
経済連との闘いの先頭に立っている。フィーグの存在はミルマ経済連にとって、まさしく目の上のたんこぶである。

「まあ、私とて黙ってはおらん。この店の人間に何かあれば一切の薬草や薬の流通を停止させる、そうなれば、あんた達が困ることになるぞと言ってやった。
それ以来音沙汰なしだ。この町で薬関係の国外取引が出来るのは私だけだからな。国全体でも他にナルビアに2人ほどしかおらん。薬草や薬がなければ
魔法は一部使えんし研究もできん、医療は大混乱だ。ミルマ商工連の代表たる者、奴等の不当な圧力や脅しに負けるわけにはいかん。」

 薬草や薬の取引や流通は悪用や濫用を防ぐため、薬剤師や薬草栽培者など、特定の資格を持ったものしか行うことができない。フィーグはそれを逆手に
取って、国家特別警察やミルマ経済連の牽制に利用しているのである。

「さすがですね。」
「とは言っても、商工連加盟の商店や事業者には、度々嫌がらせをして来ておる。私が歯止めを掛けようにも一人で全てには手が回らんからな。
難しいところだ。」
「で、奴等の動きは?」

 ドルフィンが尋ねると、フィーグはやや声量を落としてその問いに答える。

「うむ、それなんだが・・・兵士達め、来ていきなりハーデード山脈の鉱山を強制的に閉鎖してしまいおった。お陰で鉱山で働いていた労働者が大量に
失業してな。鉱山の採掘を止めるということは、この町はおろか、国全体の経済を破壊することに繋がりかねん。私が失業やそれに伴う犯罪発生率の上昇、
それに国全体の経済破綻に繋がるから止めるようにと何度抗議しても、国王陛下の勅命だと言って全く取り合おうとしない。奴等、何を考えておるのか・・・。」
「その件なんですが、テルサで生き残った国王の飼い犬の残党の話では、ハーデード山脈の鉱山閉鎖の直後、大規模な調査隊が入ったということです。
何か心当たりはありませんか?」
「うーむ・・・心当たりねえ・・・。」

 フィーグはうんと考え込んでしまう。暫く考え込んだ後、フィーグは首を捻りながら口を開く。

「果たして関係があるのかどうか、断定はできんが・・・。」
「何でも、どんな小さな事でも良いんです。」
「何回目かの抗議の時、応対に出た兵士の一人が苛立ち紛れに、これは国家にとって重要な調査だから駄目だ、と言ったんだ。私が何を調査しているんだ、
と言ったら、遺跡だ、遺跡を調査して何が悪い、と・・・。すぐさま別の兵士が飛んで来てその兵士を連れていったが、高々遺跡の調査のために、それほど
神経質になる必要があるのかどうか・・・。」
「遺跡・・・ですか?」

 ドルフィンは呟くように聞き返す。
現代でも工事現場で遺跡が発掘されて、学術調査の間、工事が中断されたり、場合によっては工事を中止せざるをえないこともあるが、遺跡の調査の
ために、国全体の経済の死活問題になる鉱山の閉鎖を断行するものだろうか。たとえそうだとしても、自分に対する国民の絶対服従と強権管理をしゃかりきに
進める国王が、遺跡の調査という権力の拡張や強化に繋がらないようなことに気を向けるだろうか。

「まあ、奴等の対応は私がするから、君は久しぶりにリーナの話し相手でもしてやってくれ。寂しがっておったしな。」
「そうさせてもらいます。」
「私は町の本当の秩序回復のためにも鉱山の再開を引き続き要請するよ。」

 フィーグは力強く言う。ミルマ商工連の代表として、そして多くの学生と従業員を預かる経営者として、負けるわけにはいかない。そんな気概がひしひしと
伝わって来る。
 ドルフィンが少し言いにくそうに切り出す。

「・・・帰っていきなり頼み事をするのは気が引けるんですが・・・。」
「遠慮することはない。何なりと言ってくれ。」
「実は、テルサで奴等が押し入っていた建物から、こんなものが発見されたんです。」

 ドルフィンは懐から不思議な粉の入った瓶を取り出して、机の上に置く。

「これを兵士に投与したところ、生きながらにしてゾンビになったということでして。成分を分析してもらえませんか?」
「生きながらにしてゾンビ・・・?」
「ええ。私も俄かには信じられないんですが、冗談で片づけることも出来ないような気がして・・・。」

 フィーグは、興味深そうに瓶の中の粉を見詰める。

「・・・これは天然の物質ではないな。結晶が見たこともない形だ。」
「何か分かりますか?」
「さすがに外観を見ただけでは分からんよ。しかし、既存の薬品ではないことは間違いないだろう。これは私が責任を持って成分分析をしておこう。
少々時間が掛かるだろうが。」
「どうかお願いします。」
「任せてくれ給え。薬剤師の端くれとしてこの粉の正体を暴いて見せるよ。」

 フィーグの瞳が職人のそれになる。

 ドルフィンはそれからフィーグと半ジム程話した後、遅い夕食を食べに炊事場へ向かう。時計は既に18ジムを回っている。アレンとフィリアの分の夕食は
事務室に行く前に頼んでおいたが、自分の分は話がいつ終わるか分からないため、頼んでいなかった。
炊事場には専従の従業員3名と学生2人が持ち回りで待機しており、実習や勉強で夜遅くなってもちゃんとした食事が食べられるようになっている。勿論、
腕に自信があれば自分で勝手に作って勝手に食べても構わない。
事務室から店舗を過ぎて廊下を突き当たったところに、『お食事、休息の部屋』と書かれた札が掛かっているドアがある。ドルフィンはドアを開けて中に入る。
 部屋は普通の家一件分ほどの広さがあり、ゆったりとしたスペースでテーブルと椅子が並び、新聞や雑誌が入った棚もある。壁には学生が自由に利用
できる広い掲示板があり、グループ学習の呼びかけや研究発表会のお知らせと言った真面目なものから、誕生会のお知らせやテキストの譲渡を希望する
もの、果てはこの問題を教えて欲しいという個人的なものまでが貼られている。
テーブルには誰も座っておらず、広い部屋が余計に広く感じられる。ドルフィンは、食事を依頼しようとカウンターへ足を運ぶ。そこには見慣れた姿の先客−
リーナが居た。

「何だ、まだ食べてなかったのか?」

 ドルフィンが話し掛けると、リーナが不審そうにドルフィンの方を向く。しかし、話し掛けた相手がドルフィンと分かると、一転して表情が明るくなる。

「ドルフィン!」
「薬剤師の勉強でもやってたのか?」
「一応ね。それより一緒に食べようよ。ね?」
「そうするか。」

 ドルフィンとリーナは、カウンターで食事を注文して、誰もいない席に並んで腰掛ける。その姿は、仲の良い兄妹か恋人同士としか見えない。

「ドルフィンがいない間、あたし、ずっと一人でこの時間に食べててね、すっごく寂しかったよ。」
「長い間留守にしたからな。今日はゆっくり食べるか。」
「うん!ドルフィンが旅先で見たこと、いっぱい話してね。」

 リーナは目を輝かせる。
暫く話し込んでいると、二人の注文した食事が運ばれて来る。二人は、遅い夕食を食べながら話し込む。
 ドルフィンは旅先で立ち寄った街の風景や人々の暮らし、遭遇した魔物との戦いなどを話す。リーナは薬剤師の勉強−唯一の跡取りとして責任感がある
らしい−の進み具合や、ドルフィンがいない間の出来事を事細かに話す。アレンとフィリアに敵意を露骨に見せた時の表情とは打って変わって、表情豊かな
一人の女の子だ。

「ところでさ、ドルフィン。一つ聞きたいことがあるんだけど・・・。」

 リーナの表情が険しくなる。口にするのも気分を害すると言いたげだ。

「ドルフィンがテルサから連れて来たって言うあいつら、一体何しに来たの?」
「アレン・・・赤い髪の方の父親が、一人だけとんずらこいた兵士の頭にナルビアへ攫われてな。父親の奪還に俺が協力しているってわけだ。もう一人は
アレンが心配でついてきてるんだ。」
「自分でやればいいのに、情けない奴!そんな個人的なことにドルフィンを巻き込むなんて!」

 リーナは吐き捨てる。その表情には、露骨ともいえるほどの嫌悪感が表れている。

「まあ、そう言うな。協力を頼むのは別に弱虫でも何でもない。ケツ捲くって逃げるよりはずっとましだ。」
「ドルフィンにはドルフィンの大事なものがあるのに。宿を与えた代償に協力を押し付けたんじゃないの?」
「それは違うな。俺が強制や脅しに、はい分かりました、と尻尾振るように見えるか?」
「・・・でも、あたしは反対よ。ドルフィンがあいつらのために動くなんて。折角帰って来てくれたと思ったらゆっくりしてる間もないなんて。あたしは嫌。
ドルフィンが自分のために旅に出るのは仕方ないけど、他人のために動くのは絶対に嫌!」
「これは俺の意志でやってることだ。誰に強制されたわけでもない。」

 ドルフィンが静かに諭すと、リーナは無言で俯く。先程までの嫌悪感が消え、寂しさが露になる。

「そんなにすぐに出るわけじゃない。時間があるうちは傍に居てやるから。」
「・・・うん。ドルフィンが言うなら、それで良い。」
「よしよし、良い娘だ。」
「あーっ、子ども扱いしてるーっ。」

 リーナは頬を膨らませる。

「ちょっとしたことですぐ拗ねたり喜んだりするのは、まだまだ子どもって証拠だ。」
「ひっどーい。こう見えても16歳間近のレディよぉ。」
「ほほう、レディねえ。レディが果たして取っ組み合いの喧嘩で、顔に蚯蚓腫れ作ったりするかねえ。」
「あ、あれは・・・、あいつらがあたしに絡んで来たから・・・。もう、そのことには触れないでよぉー。」

 巧みな突っ込みに答えあぐむリーナを、ドルフィンは笑みを浮かべながら見ている。
窮地に追い込まれたリーナが何とか話を逸らそうと、相談を持ち掛ける。

「それはそれとしてさ、ドルフィンにお願いがあるんだけど。」
「何だ?」
「お父さんから聞いてるかもしれないけど、この町に首都から忠誠心の育成と秩序回復のためとか訳の分かんないこと言って、真っ黒の鎧の兵士達が
居座っちゃってさ。おまけに鉱山まで閉鎖しちゃって、お父さんが入ってる組合の店に度々嫌がらせしてるの。お父さん、その対応に追われっぱなしでろくに
休めないのよ。」
「国王の飼い犬がうろついてるって話は聞いてるし、実際そうだった。だから意表を突いて取水トンネルから潜り込んだんだ。」
「でね、このままじゃお父さんの体が参っちゃうから、ドルフィンに何とかして欲しいなって思って。あいつら、この町から追い出しちゃってよ。」

 ドルフィンはうんと考え込む。リーナは、ドルフィンの手の上に手を被せるように置いて上目遣いに言う。
こんな表情をフィリアが見たら、目を疑うだろう。

「ドルフィンなら簡単でしょ?ね?お願い。」
「小父さんが困ってるんなら手助けしたいのは山々なんだが・・・。今の俺では状況的に厳しいな。」
「どうして?別にドルフィンなら何も苦労はしないでしょ?簡単に蹴散らせるじゃない。」

 リーナが疑問と不満が入り交じった口調で尋ねると、ドルフィンは答える。

「俺はこの町では面が割れてる。下手に行動に出たら、奴等がこの店や小父さんを潰す絶好の口実を与えかねん。」

 ドルフィンはフィーグのミルマ経済連への抗議の席に、不測の事態に備えての護衛役として必ず同席しており、当然ミルマ経済連の幹部クラスにも存在が
知られている。警備の兵士に悟られることなく潜入できたから戻ったことは知られていない筈であるが、ミルマ経済連と国家特別警察が結託していることが
フィーグの話からほぼ間違いない以上、表だって行動に出ることは大きな危険を伴う。

「・・・どうしても駄目?」

 リーナが半分泣きそうな表情で言うと、ドルフィンは首を横に振る。

「誰も駄目とは言ってない。俺も鉱山閉鎖の背後事情に興味があるし、狂った飼い犬をこのままのさばらせておいて良い筈はない。」
「じゃあ、何とかしてくれるのね?」
「少々手間と時間はかかるだろうが、それなりに対処するから心配するな。」

 ドルフィンが言うと、リーナはドルフィンの筋肉の固まりのような太い腕に抱き着く。

「だからドルフィンって大好き。頼れるし、行動力もあるし。」
「こらこら。何甘えてるんだ。」

 腕に頬擦りするリーナに、ドルフィンは呆れたように言う。リーナは、久しぶりのドルフィンとの触れ合いの時間を、少しでも長く持っていたいのだろう。
カウンターの奥から二人の様子を眺めていた従業員や学生は、ドルフィンがいる時といない時とのリーナの口調や振る舞いの落差に、改めて驚いていた。
 ドルフィンがいない間、リーナは食事を取るにもわざわざ時間をずらして、誰もいないこの食事場で黙々と食べていた。殆ど部屋から出ることもなく、
たまに出る時も必ず一人で出かけ、洋服や菓子を買って来てはすぐに部屋に閉じこもっていた。周囲から見れば異常とも思えるほど他人との関わりを
避けていたリーナも、ドルフィンには笑ったり、拗ねたりと表情豊かだ。それだけ、リーナにとってドルフィンの存在は、何物にも代え難い大きいもの
なのだろう…。
 まだ東の空の色も変わっていない頃、半袖のシャツに白い綿のズボンという、寝る時の服装のドルフィンは目覚めた。ものの2、3ジムしか眠っていないにも
かかわらず、眠そうに目を擦ったり生欠伸をすることはない。
 ドルフィンは、窓から街の様子を眺める。人気のない通りには、黒い鎧に身を包んだ兵士達が3人一組で巡回にあたっている。民家や商店の明かりは
見当たらないが、東側に見える3階建ての巨大な建物の窓は例外だ。その建物こそ、目下フィーグの最大の敵であるミルマ経済連の本部である。
ミルマ経済連とフィーグの店とは、町の中心部を東西に貫く大通りを挟んで100メール程しか離れていない。その周囲は特別厳重に警備が固められており、
国家特別警察との結託を象徴しているかのようだ。
 視線を南に向けると、闇の中に微かに稜線を浮かべるハーデード山脈が見える。星のように小さな光が、山の麓から中腹にかけて点在しているのが見える。
どうやら夜を徹しての調査が行われているようである。
国民への管理統制と自身の権力の強化とは程遠いはずの遺跡の調査に、これほど執念を燃やすのは何故か。ドルフィンは否が応にも、きな臭さを
感じずにはいられない。
アレンの父ジルムを救出することに協力するだけならば、彼らが何をやっていようと自分には関係ない。だが、自分の存在の根本的理由である国を経済的に
破綻させかねない鉱山の閉鎖をしてまで遺跡の調査をすることと、平民の持つ剣一本のために兵士を動かしたことは、全く無関係でもないような気がして
ならない。

 ドルフィンは服を着替え、枕元に立てかけてあった愛用の剣を手に取る。ベッドの脇の小さなテーブルにおいてあった酒を軽く体に振り掛けて念じると、
姿が闇に溶け込んでいく。そして音を立てないように静かに、少しずつ窓を開ける。体一つ分開けて、ドルフィンは窓枠に足を掛けて飛び降りる。
音を立てずに通りに降り立つと、すぐに走り出して裏通りに入る。現代のように闇夜を照らす街灯などないために、姿さえ消してしまえば巡回中の兵士達に
気付かれないように行動するのもさほど難しいことではない。
 細い裏通りを駆け抜けて、ミルマ経済連の建物の裏口の近くにやって来た。警備の兵士は勿論いたが、ドアの両脇に一人ずついるだけで、さほど重要視
されていないようだ。兵士達も退屈なせいか、頻繁に生欠伸をしている。
 ドルフィンは全速力で走り出す。兵士達の目前にまさしく突如として現われて、手刀で兵士達の額を突く。額を突かれた兵士達は、壁に凭れ掛かるように
倒れ込み、支えを無くしたかのようにずるずると座り込む。

「ぼけっとしてちゃあ、警備にならんぜ。」

 ドルフィンは座り込んで下を向いている兵士達の喉を一人ずつ掴み上げ、壁に凭れさせるように再び立たせる。

「さあて・・・。何をやってるやら。」

 ドアが静かに開き、また静かに閉まる。正面と右手に伸びる廊下はしんと静まり返り、誰の姿も見えない。時折、微かにどこからか話し声と笑い声が
聞こえて来る。ドルフィンは右に伸びる廊下を進んでいく。
暫く進んで行くと、左手に階段が現れる。話し声と笑い声がやや音量を増して来る。単なる雑音のような大勢の声の不協和音は、明らかに泥酔者のそれだ。
 ドルフィンは階段を上って行く。話し声と笑い声の音量は、徐々に耳障りなほど五月蝿く感じられるようになって来た。2階は廊下に人がぱらぱらといて、
例の耳障りな雑音は大通り側の廊下の方から聞こえて来る。
ドルフィンは廊下を進んで行く。時々、酒の臭いをさせていたり、眠そうに欠伸をしている兵士達とすれ違ったが、誰一人として気付くことはない。
廊下を進んで行くと、雑音は思わず耳を押さえたくなるほどの大音量になって来る。大通りに面する部屋の一室が雑音源らしい。
 静かにドアが開く。中はまさしく酒池肉林だった。大勢の兵士がジョッキの酒を浴びるように飲み、大声で歌い、中には裸でテーブルの上でのた打ち回って
いるようにしか見えない踊りを踊る者も居る。堕落の象徴のような兵士達に休むことなく酒や食べ物を運んでいる若い女性達が居る。姿格好からして、
一般住民らしい。権力を笠に着て無理矢理連れ出し、酒の席で働かせているのだろう。ドルフィンは半分以上零しながらジョッキの酒を呷る兵士の後ろに
立つ。勿論、泥酔している兵士は気付く筈もない。

「お前達の頭は何処にいる?」

 背後からの声にも、泥酔している兵士は全く驚くことなく答える。

「あー?何言ってやがんだ。3階だよ。3階の313号室だよ。」
「ほお。じゃあ、業務関係の書類の保管場所は?」
「うっせえなあ。そんなもん知らねえよ。俺達下っ端が知るわけねえだろ。」
「おい、お前、誰に向かって話してるんだ?」

 兵士の隣で、やはり酒を呷っていた別の兵士が尋ねる。

「知らねえ。聞いて来るから答えてやっただけだって。」

 兵士は首を傾げて気配に答えていた兵士の背後を見て言う。

「んー?誰も居ないぞお。」
「じゃあ、居ねえんだろ。」

 素面の人間からすれば笑ってしまうような会話を交わせるのは、酔っ払いならではだろう。

「もう一つ。鉱山を閉鎖して何をやってる?」
「しつこい奴だなあ。遺跡の調査だと。何やら重要なもんがあるらしいぜぇ。」
「変だなあ。俺まで声が聞こえるような・・・。飲み過ぎたのかな?」
「違う違う。飲み足りないんだって。さ、飲むぞ!」

 兵士達は、泥酔しているために完全に思考力が麻痺しているらしく、姿なき質問者を全く疑問に思わないようだ。ドルフィンは何も言わずに兵士の背後から
消えて、喧しく騒ぐ別のグループの一人の背後にやって来た。

「でよお、昨日、店の若い女を追い掛け回したんだよ。その女、泣きながら逃げ回ってさ。『止めて下さい』だって。」
「で、どうしたんだ?」
「退屈だったんでさあ、捕まえて身ぐるみ剥いで通りに放り出してやったぜ。その女、めそめそ泣いちまってさ。笑っちまったよ。」

 その兵士の頭が勢いよくテーブルに叩き付けられる。再び起き上がった時には、顔のあちこちに食べ物のかすが付着し、鼻から赤いものが滴り落ちている。

「お前、何やってんだよ。」
「そんなところで居眠りこいてんじゃねえよ。」

 他の兵士達はへらへら笑いながらからかう。

「いやあ。飲み過ぎちまったみたいだなあ。」

 その兵士がやはりへらへら笑いながら言うと、男は芋が地面から引き抜かれるように椅子から立たされる。そして、くるりと後ろを向くや否や、鈍い音と
共に顔が歪みながら左を向く。次は右、また左と、男の顔が左右に振れる度に醜く変形していく。他の兵士達は驚いたり、疑問に思うどころか、拍手
喝采する。

「面白えぞ!もっとやれ!」
「なかなか大した隠し芸じゃねえかよ、おい!」
「い、いや、何かこう、本当に殴られてるようでさあ。」

 兵士が顔面をぼろぼろにしながら言うと、正面から声がする。

「本当に殴ってるんだよ、屑が。」
「え?」

 兵士が聞き返すと、その体が勢いよく持ち上げられ、宙に浮かぶ。他の兵士達は単なる隠し芸とでも思っているのか、大歓声を上げる。

「飛べ。」

 兵士の下から声がすると同時に、兵士は猛スピードで投げ出される。兵士は絶叫を上げながら、煉瓦の壁に勢いよく激突する。豆腐が潰れるように兵士の
体はひしゃげ、血や内臓を壁に飛び散らす。兵士達は酔っているせいか大歓声を上げたが、酒や食べ物を運んでいる若い女性達は顔面蒼白になる。
ドルフィンは無残な肉塊のオブジェを一瞥することもなく部屋から出て、3階へ向かう。
 階段を上って廊下を歩いて行くと、『会議室』と掛かれた札が掛かっているドアの向こうから、数人の話し声が漏れて来た。2階のような大声や歓声が
入り混じった雑音ではなく、違う声が順序良く流れて来る。ドルフィンは聞き耳を立てる。最初に聞こえて来たのは、芯の太い男の声だった。

「−で、『赤い狼』対策は進んでおるのか?」
「はっ、懸命に捜索を続けておりますが、全く見当たりません。」
「この町の管理は開始してから一月近く経とうとしているのに、まだ摘発できんというのか?」
「申し訳ありません。どうやら奴等は、何らかの方法で我々の駐留開始及び一斉摘発の情報を掴んでいたようです。」
「現在、魔法探査7)で全体像の解析を急いでいる。遺跡調査が奴等に知られるようなことになれば、間違いなく妨害工作を行って来る。それで調査が失敗に
終われば我々の首はおろか命はない。分かっておるのか?」
「も、申し訳ありません。引き続き、大捜索を行って根絶やしにする所存です。」

 どうやらミルマの『赤い狼』は、摘発を逃れて地下に潜伏しているらしい。現在の国家体制に反旗を翻す『赤い狼』を根絶やしにできないと、国家特別警察は
足元に爆弾を抱えているも同然である。それに『赤い狼』摘発は最高権力者である国王の勅命であり、それに反するようであれば只では済まない。

「問題はまだある。テルサ支部を壊滅に追いやったあのドルフィン一味が、何時の間にかこの町に潜入したのだ。警備隊は一体何をやっておったのだ!」
「はっ、連日20ジム体制で警戒に当たっております。」
「警備状況など聞いてはおらん!ドルフィンが動けば我々の計画は一気に水の泡だ!航空部隊がミサイルらしいもので全滅したところからしても、
ドルフィンの力は自ずと知れる。あれが我々に向けられたらどうなるか…!」

 ドルフィンの頭に衝撃と共に大きな疑惑が持ち上がる。
何故奴等は自分達がこの町に潜入したことを掴んでいるのか。会話の内容から、泳がせておくためにわざと見て見ぬ振りをしたとは考えられない。
滞在先の薬屋は終日監視されているのだろうか。この状況では、ますますドルフィンが動くことは憚られる。

「我々としましてはですね、できるだけ早めに鉱山を再開して頂きたいのですよ。」

 ドルフィンが聞き覚えのある声が聞こえて来た。蛙を締め上げるような独特の声は、ミルマ経済連の会長のものである。

「鉱山の長期閉鎖はですね、我々の首を絞めることにもなるんですよ。そうなると、皆様へは勿論、崇高なる国王陛下への献金も滞ってしまいますので、
何とぞ・・・。」
「うむ、分かっている。我々とて、国家に忠義を尽くすミルマ経済連を苦しめる気は毛頭ない。もう暫く辛抱してくれ。」
「勿論でございます。この建物も皆様のために引き続き喜んで御提供いたしますので。」

 フィーグの予想通り、ミルマ経済連と国家特別警察は結託している。ミルマ経済連加入者が多い鉱山関係の経営者が、鉱山の長期閉鎖に対して不満を
言わない理由もそれだったのだ。

「さて、次は今後のミルマ管理運営についてだが−。」

 会議はドルフィンが知りたいことから方向がずれ始めた。これ以上会議を盗み聞きしても得るものはないと思ったドルフィンは、先ほど聞き出した長官の
部屋へ向かう。
暫く廊下を歩き回ると、問題の313号室が見つかる。ドアには『ミルマ支部長官室につき、無断立入厳禁』と書かれたプレートが掛けられている。
ノブがゆっくりと回り、ドアが開く。部屋は完全に真っ暗だ。
部屋に入ろうとしたドルフィンは、微弱な魔力を感じた。しまった、と思った瞬間、赤く光る小さな玉が次々に飛んで来て、爆発を起こす。

「何事だ!」
「賊だ!急げ!!」

 あちこちのドアが開き、階段の方からも駆け上って来る足音が雷のように響いて来た。

「ちっ!」

 姿を現した、否、姿を暴かれたドルフィンは、舌打ちして近くの窓を蹴破って飛び降りる。会議中だった幹部や当直の兵士達が駆けつけた時には、
黒い人影が地面に飛び降りて走り出したところだった。

「追え、追え−!!逃がすなー!!」
「非常事態発生を知らせろ! 大至急だ!!」

 建物中に怒声がこだまする。
静かな夜を引き裂くかのように、けたたましく見張り台の鐘が打ち鳴らされ、暇を持て余し気味だった巡回中の兵士達や、酒を飲んで大騒ぎしていた
兵士達は緊張で身を固くして、本部建物前に集合する。安らかな夢心地から無理矢理引き戻された一般の住人は、不機嫌な表情で布団を被ったり、驚いて
泣き出してしまった幼子を懸命にあやしたりする。

「たった今、本部施設に賊が侵入した!まだ遠くに行っていない筈!徹底的に探せ!」

 長官の指令を受けて、兵士達は四方に散らばって付近の捜索を開始する。倉庫やごみ箱まで隠れる場所になりそうな場所はくまなく探しまわる。
しかし、侵入者は全く見当たらない。
 東の空の色が深い青色から徐々に白みを帯びて来た頃、捜索に当たっていた兵士達が続々と本部施設に戻って来て、長官に侵入者が何処にも
見つからなかったことを報告する。

「・・・おのれ・・・。逃げ足の早い!」
「訓練された、『赤い狼』の諜報員でしょう。特別監視下のフィーグの家からは、ドルフィンの動きはなかったという報告がありました。」
「やはり、何としても『赤い狼』を殲滅せねばならん!警戒と操作をより厳重に行え!」

 長官はヒステリックに叫ぶ。
自分の在任中に何か問題が起これば、それは自分の責任問題に直結する。それだけは何としても避けなければならないと、長官は大いに焦っているのだ。
 その頃、ドルフィンは部屋に戻って一息ついていた。ドルフィンは即座に近くの井戸に飛び込み、潜入した時と同様、地下トンネルを通ってフィーグの家に
戻ったのである。さすがにここまでは、兵士達の捜索の手が及ばなかった。

「俺としたことが迂闊だった・・・。まさか、トラップ・ボール8)を仕掛けてあるたあ・・・。」

 ドルフィンは唇を噛んで警戒を怠った自分の至らなさを恥じる。

「しかし、あれほど用心にしてるってことは、余程怪しいことをやってやがるな。」

 ドルフィンは、ますます遺跡調査に対する疑問を大きくする。
怪しげな行動を続ける王の行動を妨害するためにも、部屋と食事を提供してくれているフィーグに報いるためにも、このまま見過ごすわけにはいかない。
あの獲物を狙い定めたような鋭さが増したドルフィンの瞳は、東の方から橙色に変わりつつある東の空を見ている…。

用語解説 −Explanation of terms−

7)魔法探査:微量の魔力をある方向に放射して、その反射時間と反射量で物体の位置や形状、測定位置からの距離を特定するレーダーのような技術。
魔術師のみ使用可能。称号によって効果範囲や正確さが異なる。


8)トラップ・ボール:魔力によるセンサーを張り巡らせて、魔法がかけられた物体が入って来るなど、魔力の勾配が変化するとそれに向かって爆発する
小さな玉を放射する魔法のトラップ。魔術師のみ使用可能。爆発には魔法解除の力もあり、防犯対策によく使用される。


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